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【4466】 | RE:魍魎の匣 メルカトル (2011年05月24日 23時13分) |
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ドウコクさん、こんばんは。 >被害の多いところ、台所の窓の外がイイ、とは素人考えで思うのですけれど。 いえ、台所の窓を開けることはあまりないようですので、多分入り口は玄関が多いのではないかと思います。 窓は網戸がありますしね。 >確かに、玄関に吊るしている家を、何軒かは見ていますよ。 という事は、やはりそれなりに効果はあるのだと考えて良さそうですね。 これはますます試してみる価値はありそう。 >ただ、CGは、戦闘シーンというよりも、もはや存在しないシーンの背景で使用、の方がメインだと思います。 >つまり、現存しない安土城とか、合戦の場の大平原(今や、鉄塔や鉄道・高速道路の映らない場所は少ないらしい)とか。 なるほど、昔ならばセットで撮っていたところを、現在ではCGになっている訳ですね。 逆にその方が、リアル感が出てくるかもしれませんね。 >秀吉の命に背いた政宗を廃し、新当主にして伊達家は翻意がない(だから、攻めてこないで)、と秀吉にアピールするような。 なるほど、そのような背景があったわけですか。 戦国時代やもっと昔の時代では、身内を殺害してしまうのも決して珍しくはなかったようですね。 そんな事件がいくつもあった気がします。 >なるほど、京極氏をもってしても、「匣(はこ)」にふさわしいような妖怪が見当たらなかった、ということかも。 本作の場合は話のスケールが大きすぎて、妖怪を特定しきれなかった、というのが真相じゃないでしょうかね。 まあ、これは私の勝手な想像ですけれど。 >それにしても、「魍魎」を透視させるというエピソード、「リング」での貞子の母親を、つい想起しました。 私は正直『リング』を全く思い起こす事はありませんでしたが、そう言われてみればなるほどと思います。 確かに似たようなエピソードですね。 >「アイツが噛みつくのは、物理的に無理やろ。」です。 なるほど、確かに無理でしょうね。 ただ他に感情表現の方法がなかった、ということで私は納得していました。 ドウコクさんに指摘されるまで、全く気付かなかったというほうが正しいかも。 ではまた ^^ |
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【4473】 |
ドウコク (2011年05月25日 22時25分) |
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これは 【4466】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、こんばんは。 >これはますます試してみる価値はありそう。 まあ、一度、安いタイプのでお試し下さい。 値段は、効果というよりも、持続期間によって違うと思います。 30日・60日・90日のように。 いずれも千円以内だったと思います。 >逆にその方が、リアル感が出てくるかもしれませんね。 これはまだ、洋画ほどのリアリティはないですが、それでも最近は、「これ、CG?」と思うような映像もありますね。 もっと技術が進歩したら、本当に見分けが付かなくなるかも知れません。 >戦国時代やもっと昔の時代では、身内を殺害してしまうのも決して珍しくはなかったようですね。 政宗は、あの事件の後、実の弟(これを新当主に、という動きがお東の方らにあったので)を、斬っています。 なお、来年は、保元の乱で、実の叔父・甥間や実の親子間で戦をした、平清盛や源義朝(頼朝や義経の父)がメインのようです。 京極夏彦氏「魍魎の匣」、つづき。 >確かに似たようなエピソードですね。 これに関して、私は本作で、「ドグラマグラ」を想起しました。 いずれも、前代未聞の狂気に満ちた実験を行った、という意味で。 京極氏が、「ドグラマグラ」を読んでいたとしたら、きっと少しは意識しただろうな、とも思いました。 私見ですが、実験の深さ(というか、変さ?)とスケールでは、「ドグラマグラ」の方が、少しだけ上のような気がします。 でも、その叙述の仕方は、断然、京極氏の「魍魎の匣」の方が上でしょう。 あと、予算も。(笑) (上記、あくまでも、私見です。 人によっては、全く逆の見方をする人も、当然いると思います。) ともかく、本作は、「三大奇書」の一つに挙げられる内の一作と比較して語れるような、ハイレベルの作品でしょう。 本作は、「奇書」ではないと思いますけどね。 |
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