■ 9,999件の投稿があります。 |
【1439】 |
ドウコク! (2010年01月16日 01時18分) |
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これは 【1438】 に対する返信です。 | |||
ゴールデンゼウスさん、再びです。 ご丁寧なご挨拶、痛み入ります。 「虚無への供物」は、【760】から【774】の間で、ところどころ出てきます。 では、おやすみなさい。 |
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【1438】 |
ゴールデンゼウス (2010年01月16日 01時02分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
お部屋の皆さんこんばんは。 簡単に自己紹介しておきます。私はころころさんの返信にも書きましたが、東京在住の50代(四捨五入すると50歳 笑)のおじさんです。 もともと本は大好きで文庫本は週2〜3冊のペースで今も読み続けているので、我が家の書斎は数千冊の本で溢れております。 実は小説家志望の時期があり、今も私小説を書いております。 趣味はものすごく多く、麻雀、パチンコ、競馬はそれぞれ40年近く続けております。 その他、海が好きで沖縄は年に1回、海外のビーチリゾートは数十回はカミさんと行っております。 潜るの好きなんです。 モルディブ、タヒチ、バリ、セブ、サイパン、ハワイは詳しいです。 又、洋画がすきで海外、日本問わず美術館巡りも大好きです。 本に関しては日本、洋書何でも読みます。 推理やミステリーも大好きで、推理では松本清張、高木アキ光(うまく変換できません)黒岩重吾、内田康夫、半村良、中井英夫が好きです。 松本清張はほとんど読みました。お気に入りは「Dの複合」です。 私は高校がラグビーの名門だった国学院○我山だったのですが、そこで世界史を教えていた先生が松本という名前なのですが、その先生の家に友人と遊びに行った際、松本清張がいまして本当に息子だったのです。それからほとんど読むようになりました。 半村良では「石の血脈」がいいです。伝奇ロマンですかね。 中井英夫は「虚無への供物」が圧倒的に素晴らしいです。 この本は計7〜8回は読んでいますが、最後に ??となり不思議な小説です。 今後とも宜しくお願いします。 |
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【1437】 |
ドウコク! (2010年01月15日 23時42分) |
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これは 【1436】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、再びです。 >麻雀や博打の賛歌として著されたのではなく、それによって転落していく者もあるのだとの教訓をも書き著したかったのではないか おっしゃる通りだと思います。 そして、それは一歩間違えれば自分であったかも、という思いもこもっているのかもしれません。 一応、明日も続けます。 日曜は、「シャドウ」で行く予定です。 では、おやすみなさい。 |
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【1436】 |
メルカトル (2010年01月15日 23時29分) |
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これは 【1431】 に対する返信です。 | |||
ドウコク!さん、こんばんは。 >これは私も読みました。 冷静に分析していましたが、かなり差別的な表現があったと思いますね。 私も必ずしも女性が勝負事に向いていないとは思いません。 阿佐田氏にしてみれば、女性は勝負に徹するには感情的過ぎるということになるのでしょうが、読んでいて一概にそうとも言えないのでは?と正直そう思った記憶があります。 >それで読みだして、読んでいる途中は、少し不満でした。 >なぜなら、普通の麻雀が主体ではないからです。 私も期待に胸膨らませて読み進んだのですが、やや肩すかしを食らった感は否めませんでした。 それは私の期待していた闘牌シーンに今ひとつ熱が入らない感じで、淡々とストーリーが進み過ぎたきらいがあるからではないかと思います。 ですからドウコク!さんが書かれている事には首肯できる部分が多く、納得できます。 >博打という一瞬のスリルを求めるだけにしては、あまりにも大きな代償を払ったと思います。 >この辺の記述がお見事だったと、読後に感じました。 阿佐田氏は必ずしも自らの小説を、麻雀や博打の賛歌として著されたのではなく、それによって転落していく者もあるのだとの教訓をも書き著したかったのではないかと思います。 それこそが氏が実生活で体験してきた事であろうし、どんな社会にも、表が存在すれば裏もあるという事を麻雀や小説を通して体現した人だったのではないかという気がします。 >ところで、ラストの勝負も三人麻雀でしたよね?(ドサ健、浜辰、陳は思い浮かぶが、4人目が出てこないので) すみません、これは完全に忘れてしまっていますので、お答えできません。 申し訳ないです。 ではまた ^^ |
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【1435】 |
メルカトル (2010年01月15日 23時46分) |
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これは 【1428】 に対する返信です。 | |||
ころころさん、こんばんは。 >最初の配牌で「親」が捨てた初めの1個が、「子」の誰かの上がり牌、 >(つまり、子は最初からテンパイ状態)という場合、その「子」はロンできますか? ゴールデンゼウスさんのご意見とは若干異なりますが、私が思う一般的なルールを以下に記しておきます。 親の第一捨て牌での和了は元々は「地和」(チーホー)で役満扱いだったらしいですが、現在では地和は子の第一ツモでの和了を言うみたいですね。 では親の第一捨て牌でロンした場合はどうなるのか? それは「人和」(レンホー)と呼ばれ、役満とするルールと、倍満止まりとするルールがあるようです。 また人和は自分の第一ツモ順が回ってくる前(チー、ポンなしで)に、当たり牌が出れば子から出ても人和とするケースが一般的ですね。 地和も人和も役満扱いの場合の点数は32000点です。 倍満の場合は16000点。 尚、ゴールデンゼウスさんもおっしゃっておられますが、この場合他の役は必要ありません、役無しで和了できます。 あと、ご質問の件、ドウコク!さんのレスと重複しますが一応書いておきます。 >●イーペーコー 例えば萬子の一一ニニ三三といった、同じ種類の数牌で全く同じ順子が二つ揃った役のことを言います。 一翻の為、鳴いては和了できません。 >●ジュンチャン(チャンタの仲間?) チャンタは一、九牌に字牌が絡んだ役ですが、ジュンチャンは一、九牌のみを絡ませた役で、三翻です。 鳴いてニ翻。 >●(ドウコク!さんのおっしゃる)カンチャン・ペンチャン カンチャン(嵌張待ち)は例えば三萬五萬という形になり四萬で和了出来るとすれば、待ちはカン四萬ということになります。 ペンチャン(片張待ち)は一萬ニ萬、八萬九萬といった形で三萬、或いは七萬で和了出来るとすれば、待ちはペン三萬、ペン七萬となります。 すなわちペンチャンは必ず、三か七の待ちになるということです。 従って、カンチャン、ペンチャンは手役の名前ではなく、あがり牌の待ちの名称なのです。 説明が下手ですみません、お分かりになったでしょうか。 ではまた ^^ |
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【1434】 |
メルカトル (2010年01月15日 23時24分) |
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これは 【1425】 に対する返信です。 | |||
ゴールデンゼウスさん、こんばんは。 何度も拝読させていただきました。 偶然とはいえ、素晴らしい出会いと経験をされているんですね。 たとえ半チャン5回とはいえ、あの阿佐田哲也氏と同じ卓で麻雀を打ったなんて、一生の思い出になる事でしょう。 おそらくはそれも何かの縁で、ゴールデンゼウスさんと阿佐田哲也氏は過去世で何らかの繋がりを持たれていたのではないかと思います。 それにしても他の面子が、長門裕之さんと南田洋子さんとはこれまた凄い事ですね。 そう言えば、阿佐田氏の著作でお二人の事が書かれていたエッセーがありましたよね。 氏の交友の広さの一端を垣間見たような気がします。 その後、阿佐田氏との再会を果たすことは出来なかったようで、残念ではありますが、偶然(或いは必然)の出会いに感謝、ですね。 そんなゴールデンゼウスさんとこうして交流できている事も、きっと何かのご縁だと思います。 ということは私もほんの僅かながら、阿佐田氏、いや阿佐田さんとご縁があったのでしょうかね。 もしかしたら天国の阿佐田さんが、我々をこの掲示板を通して会わせてくれたのかもしれませんね。 私も一度で良いから阿佐田哲也さんと会ってみたかったです。 実際会われた阿佐田さんは、どんな方だったのでしょうか。 その印象をまたの機会に教えていただけると嬉しいです。 ではまた ^^ |
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【1433】 |
ドウコク! (2010年01月15日 23時20分) |
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これは 【1426】 に対する返信です。 | |||
ゴールデンゼウスさん、こんばんは。 まずは、人生の大先輩(私は40代)として今後ともよろしくお願いします、と改めて御挨拶いたします。 それにしても、物凄いメンバーで麻雀をされたのですね。 ゴールデンゼウスさんの他に、阿佐田哲也氏、南田洋子、長門裕之……! うち2名がもう他界されて、もう二度とこのメンバーで卓を囲めないあたりに、この対局、歴史と価値を感じます。 そして、素直に驚きと羨ましさを禁じ得ません。 もちろん、実際に対局されておられる間は、これが余人にどれだけ衝撃を与えるかは想像できなかったでしょうけれど。 阿佐田氏のナルコレプシーを目の前で見たのも、今となっては大変、貴重な経験だと思います。 あと、僭越ながら一応、お断りしておきますが、普段は私、ミステリの書物についての感想などで投稿しております。 今の麻雀話は、どちらかというとイレギュラーです。 ですから、普段に戻った場合、私のレスは分かりにくくなるかも知れませんが、ゴールデンゼウスさんとは別の話題でも お話したいと思っています。(メルカトルさんも、「話題はミステリだけに限定するつもりは無い」とおっしゃってました。) 今後もお暇な時で結構ですので、相手をしてやって下さい。 |
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【1432】 |
ドウコク! (2010年01月15日 22時55分) |
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これは 【1428】 に対する返信です。 | |||
ころころさん、いかすみー。 ●イーぺーコー 123など連続する面子(メンツ、3コで一組)が、同じ種類で2つある役。 1翻(鳴くと無くなる)。 例えば、ピンズで、445566の並びなど。 ●ジュンチャン チャンタは、一・九と「字牌」が含まれていれば成立するが、 ジュンチャンは、一・九のみが含まれている面子で構成される。 「純」粋なチャンタ。 (「字牌」を含まない) 面前で3翻、鳴いて2翻。 ●ペンチャン 「12」だけ揃っていての「3」待ち、「89」と揃っていての「7」待ちのこと。 端牌に関係のある待ち。 ●カンチャン いわゆる、穴ぼこ待ち。 「1 3」、「4 6」、「5 7」など。 あと、補足。 >点数を誤魔化されても、 そういう可能性のあるメンバーとは、絶対に卓を囲まないことをお勧めします。 |
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【1431】 |
ドウコク! (2010年01月15日 22時34分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、こんばんは。 タンクロウ、クソ丸、それにドテ子の「リビ、リビ、リビー!」など、大変懐かしく思い出せました。 ありがとうございました。 >「女性は勝負事に向いていない」というのが氏の持論 これは私も読みました。 冷静に分析していましたが、かなり差別的な表現があったと思いますね。 まあ、作者の実体験から来ることでしょうし、当時の女性なら仕方ないかな、とも思いますが、 私は、「女性は本能的に、争い事が好きではない=勝負事に全霊を込めない。」が正解だと思っています。 さて、今日は、「ドサ健ばくち地獄」。 これは書店で見かけた時、「ドサ健」の名前だけで、「もう買うしかない」と思い、上・下巻、一気に買いました。 それで読みだして、読んでいる途中は、少し不満でした。 なぜなら、普通の麻雀が主体ではないからです。 更に、上巻はまだしも、下巻になると「三人麻雀」が中心で、「なんだかなぁ。」という感じでした。 また、戦術にしても、「麻雀放浪記」はイカサマが中心だったので、それは手品の種を見せられるようで 非常に興味深かったのですが、 本作では、「流れ」みたいなものが中心です。 「勢いに乗ったときは好牌が続々と流れ込んで当たり牌も掴まず、上級者はその流れを持続させる。」 みたいな。 「ホンマかいな。 麻雀は自分の手牌と相手の捨て牌を見て、状況を推理するゲームではないのか?」 と、本当の玄人である作者に意見してみたくもなりました。 ストーリーも起伏に富んでいるとは感じられず、その意味では私にとってはダメなのですが……。 でも、それを上回るほどの「リアルさ」があると思います。 この舞台背景や、登場人物が実在するかどうかは二の次で、 「かなり熟練した博打うちでも、最後には転落してしまう。」というのが見事に描かれていたと思いますし、 そして、それは真実なのであろう、と納得させられる内容でした。 潜伏中の変態政治家、落語家のハナ助(だったかな)、学生の志郎ちゃん、プレイボーイの専務さん、みんな見事に没落していき、 博打という一瞬のスリルを求めるだけにしては、あまりにも大きな代償を払ったと思います。 この辺の記述がお見事だったと、読後に感じました。 ところで、ラストの勝負も三人麻雀でしたよね?(ドサ健、浜辰、陳は思い浮かぶが、4人目が出てこないので) |
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この投稿に対する 返信を見る (1件) |
【1430】 |
ゴールデンゼウス (2010年01月15日 18時13分) |
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これは 【1428】 に対する返信です。 | |||
ころころさん、質問に答えるのを忘れていました。 私は生まれも育ちも東京です。 現在も東京在住です。 それから麻雀の役については面前から鳴くと一ハン下がります。 ただし例外として対々と手の中で3暗刻ができていあた場合は下がりません。2ハンのまま。 それとタンヤオは1ハンですがこれも例外で巷のルールでは下がりません。完全先付というルールの場合はダメですが・・・ それから親の第1打で上がりの場合は、店によって違います。 地和といい役満にしているところもあれば、倍満扱いの店もあります。 この場合は手役は必要ありません。 役なしでもあがれます。 |
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