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【1338】 | RE:沈黙 メルカトル (2009年12月26日 23時48分) |
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ドウコク!さん、再び、こんばんは。 わざわざ遅い時間にご助言頂き、ありがとうございます。 おおよその感触は掴めました。 それ程読むのに苦痛は感じないかな、くらいだと心に留めておきます。 ではまた ^^ |
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【1340】 |
ドウコク! (2009年12月27日 22時10分) |
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これは 【1338】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、こんばんは。 >それ程私は刺激を欲しているようです、そこまで引きずり込んでくれないと、読む甲斐がないというものです。 これはまた、大胆な発言ですね。 これは、普段の生活が平穏無事に推移しているからこそ、フィクションの世界で刺激を求める、 つまり、メルカトルさんの日常が平和で良いことだ、と解釈します。 ただ、本作がその期待に応えてくれるかどうかは、分かりませんが。 「沈黙」、こぼれ話。 作者・遠藤周作がこの作品を発表した当時、キリスト教界では、その内容に大きな議論が持ち上がったそうです。 その内容は、主人公・ロドリゴ神父の選択した行為について。 これに対し、カトリック・プロテスタント、いずれからも抗議の嵐が巻き起こったそうです。 これを知ったとき、私は、とても疑問に思いました。 「違うだろう。 議論すべきは、作者の提示した『真のキリスト像』だろう。 これがキリスト教の教義に沿っているか、聖書でのイエスの教えと合っているか、を議論すべきだろう。」 と思いました。 私が思うに、作者の「キリスト像」は、それほど斬新で説得力のあるものでした。 私はキリスト教徒ではありません。 ですから、その教義については素人です。 それでも、主に、世界史や映画・活字などから私が得たキリスト教の教えとは、氏の解釈は全く異なるもの、と判断できました。 一般的なキリスト教の解釈に私は魅力を感じませんし、他の宗教も含め、今後も無宗教のつもりですが、 遠藤氏の提示するキリスト教なら、入信してもよい、とさえ感じさせるものでした。 そこが本作の真骨頂であり、その大本を議論せずに、枝葉である部分(ロドリゴ神父のくだり)に抗議をする団体に、私は、 「なんと蒙昧なんだろう。」と失望を覚えたものです。 しかし……。 その後も遠藤氏の提示した「キリスト像」が大きく広がってはいないところをみると、 (=これを教義とした宗教団体が出現していない、また、「沈黙」自体がそれほどメジャーではない) やはり、普遍的でないのかも知れませんね。 この「キリスト像」は。 歴史的背景(江戸時代の鎖国、キリスト教禁制)さえ上手く説明できれば、この作品は、キリスト教圏の西洋諸国でも、 受け入れられて然るべき、だとは思うのですが、そうでもないようですし。 その点は、残念です。 |
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