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【769】 |
メルカトル (2009年08月28日 22時08分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
みなさん、こんばんは。 ドウコク!さんのリクエストを受け、アンチミステリの私見を語ることになりました。 ここでは難解な記述を避け、なるべく平板な表記で、あくまで個人的な解釈によるアンチミステリを述べたいと思います。 さて、そもそもアンチミステリなる言葉が最初に用いられたのは、『虚無への供物』について作者の中井英夫本人が語った時に使用されたと言われています。 その後、『虚無への供物』は昨日にも述べた「黒い水脈」(この呼び名の生みの親はあの埴谷雄高)所謂三大奇書の一角として並び称せられ、それに伴って他の二作もあわせてアンチミステリと呼称される様になりました。 アンチミステリの起源はこれくらいにして、それではアンチミステリの定義とは何か? 箇条書きで挙げてみます。 1.メタ構造を含有する。 例えば作中作などはその最たるもの。 或いは、作中の人物が読者に語りかける、実際に存在する人物が登場するなど。 2.様々な推理が披露され、それが悉く否定される。 今日ではこの手法を多くの作家が活用しいてる。 いわゆる推理合戦がその代表格。 3.結論が曖昧で謎が謎としてそのまま解決されない。 以前語られた『夏と冬の奏鳴曲』などはこれに当たる。 つまり、非(反)現実性、過剰な推理、理解不能なほどの迷宮性を有したミステリをアンチミステリと呼んでも良いのではないかと思います。 上記の1〜3までの項目を多く有していればいるほど、アンチミステリとしての完成度を高める結果となるのではないでしょうか。 しかしながら完璧なるアンチミステリが、果たしてこの世に存在するのかどうかは私には判断できません。 現在の時点で私が最もアンチミステリに究極的に近しい存在だと考えるのは、竹本健治の『匣の中の失楽』です。 以上簡単ではありますが、私見を述べさせていただきました。 いささか内容が希薄な感は否めないと思いますが、ご容赦願いたい。 |
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【768】 |
メルカトル (2009年08月28日 22時02分) |
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これは 【767】 に対する返信です。 | |||
ころころさん、こんばんは。 『姑獲鳥の夏』分厚い本の読了、お疲れ様でした。 >現在、少々、放心状態。 そうでしょう、そうですよね、私もそうでした。 同じような心境かどうかは分かりませんが、私も読後しばらく放心状態だったと記憶しています。 何かこうもう当分本は読まなくてもいいかな、みたいな滅多に味わえない体験だったことは確かです。 >やはり、悲哀に満ち満ちた結末、ちょっぴり苦い読後感は拭えません。 やはりそうでしたか。 私は関口が京極堂によって救われたことが読後の清涼感に繋がりましたので、それほど悲壮感は覚えませんでしたけど。 >榎木津氏よりは京極堂氏寄り。 >理由は論理的思考の理屈屋&和のテイストが好きだから。 女性はこのタイプが多いと聞きます。 エキセントリックな榎木津より、理論派で一見偏屈なようで常識家の京極のほうが受けるらしいのですが。 >脇役では真直ぐで人情深い木場氏に好感をもちました。(笑わないでくださいね(^^;)) いえいえ、木場の旦那はいい味出していると思いますよ。 『魍魎の匣』ではさらに活躍しますので乞うご期待ですよ。 ではまた ^^ |
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【767】 |
ころころ (2009年08月28日 15時55分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
お部屋の皆様、こんにちは。 ご報告いたします。 「姑獲鳥の夏」読了いたしました。 私は、そもそもの事件のきっかけが「誤字」による誤解と思っていたら、 最後の最後にさらに動機の引き金となるべくベースとなった残された人物登場、 余りなくパズルのピースが埋まりました。 やはり京極夏彦さんも割算のミステリーでした。 現在、少々、放心状態。 やはり、悲哀に満ち満ちた結末、ちょっぴり苦い読後感は拭えません。 明日以降、本作品についてのお話し、いつでもOKです。 さてさて、ひとつだけ。 レギュラー陣の男性では、私は誰のファンとなったか? 榎木津氏よりは京極堂氏寄り。 理由は論理的思考の理屈屋&和のテイストが好きだから。 脇役では真直ぐで人情深い木場氏に好感をもちました。(笑わないでくださいね(^^;)) では、また。 |
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【766】 |
ドウコク! (2009年08月27日 23時16分) |
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これは 【763】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、再びです。 >日本人は昔から3と言う数字を神聖化する傾向がありますので、半ば無理やり『ドグラ・マグラ』『黒死館』に並列させた なるほど、これは納得できる見方ですね。 無理やり。 多分、それが真相かと。 んで、当然、「三大奇書」という呼称は、「虚無への供物」以降、成立したのですよね? そうであれば、この作品を売り込もうとした、編集者、 あるいは、この作品をとっても評価した人が、この呼び名を考え付いたのだと思います。 だとしたら、多分それを想定していなかったであろう作者にとっては、 「予想外の評価、でも嬉しい。」ってとこでしょうか。 >『虚無への供物』と言えば、個人的にはミステリの極北を目指したアンチミステリの傑作 「アンチミステリ」について、教えて下さい。 これは、明日で結構です。 明日は、先にメルカトルさんに書いてもらうってのはどうですか。 ということで、 「次回 RE:アンチミステリ」になる筈。 |
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【765】 |
メルカトル (2009年08月27日 23時08分) |
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これは 【764】 に対する返信です。 | |||
ころころさん、再びこんばんは。 >言葉が足りなくて申し訳ありません。 >作品自体はとても素晴らしいものと認めています。 そうですか、でしたら良いのですが。 どうやら私の早とちりだったようで。 本当に自分が気に入った作品を人にお薦めするのは、責任重大ですからね。 >ただ、私が女性のキャラクター側に思い入れ過ぎて悲しい物語だなと思っているだけですから。 >誰をも責めることの出来ない哀しいストーリーなのだな…と。 私は女性の登場人物にに感情移入出来なかった為、ころころさんとはまた違った角度から読んでいたのかも知れませんね。 取りあえず、ころころさんに無駄な労力と時間を使わせてしまっていなかったことに、内心ホッとしています。 ではまた ^^ |
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【764】 |
ころころ (2009年08月27日 22時55分) |
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これは 【762】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、こんばんは。 言葉が足りなくて申し訳ありません。 作品自体はとても素晴らしいものと認めています。 勧めて頂いたことには感謝していますよ。 ただ、私が女性のキャラクター側に思い入れ過ぎて悲しい物語だなと思っているだけですから。 誰をも責めることの出来ない哀しいストーリーなのだな…と。 ちょうど今からラストスパートに入ります。 ドウコク!さん、明日はまだ違う話題でお願いいたしますね(^-^) では、また。 |
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【763】 |
メルカトル (2009年08月27日 22時51分) |
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これは 【760】 に対する返信です。 | |||
ドウコク!さん、こんばんは。 『虚無への供物』と言えば、個人的にはミステリの極北を目指したアンチミステリの傑作、と言った印象です。 ですから勿論、本格ミステリとは対極をなす物語であり、幻想でもなく衒学趣味でもない、あくまで「アンチ」だと思います。 同じような傾向は本作に真っ向から挑戦した『匣の中の失楽』にも散見されます。 確かにぺダントリーは各所に散りばめられていますが、『黒死館殺人事件』のように全編を覆っているわけではないですしね。 >ただ、ここまで凝った作品が以前には存在しなかった、当時としてはとても斬新であった、 >という意味なら、納得はできます。 その辺、どうなんでしょう。 んー、どうなんでしょうね、実際。 それまでこれほど凝った構成や、多人数による推理合戦などは存在しなかったのかも知れませんね。 しかし私もこれが奇書だとは思いません。 日本人は昔から3と言う数字を神聖化する傾向がありますので、半ば無理やり『ドグラ・マグラ』『黒死館』に並列させたと言うのは穿った見方でしょうか。 そして三大奇書ということにしたのではないかと。 >ということで、本作品は、「変」 というネガティブさはないけれど、「凄すぎる」 という賛辞も当たらない、と感じ、 >「普通に凄い作品」 ではないか、と感じるのです。 ですから、「奇書」 ではない、と。 おっしゃりたい事は十分理解できます。 私も概ねドウコク!さんのご意見に賛同します。 結局『ドグラ・マグラ』『黒死館』とは一線を画す奇書ならぬ「奇書」なのでしょう。 ではまた ^^ |
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【762】 |
メルカトル (2009年08月27日 21時52分) |
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これは 【759】 に対する返信です。 | |||
ころころさん、こんばんは。 出張、お疲れ様でした。 ご無事でのご帰還、何よりです。 >ただ、おそらく、読後感はあまり後味の良いものにならない気がして。 そうですか・・・ お薦めした手前、責任を感じてしまいますね。 >読了迄、あと少しですが、現状あまりに悲劇的でやるせない感情にあります。 ころころさんにとってはあまり相性の良くない作家だったのかもしれませんね。 私には一種のカルチャー・ショックを受けた作品だったんですけどね。 それほど最初に読んだ時は衝撃的でした。 私にとっては。 しかし、ころころさんのお気に召さなかったのであれば、謝らなければなりませんね。 せっかくの貴重な時間を使わせてしまって、申し訳ありませんでした。 ではまた ^^ |
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【761】 |
ドウコク! (2009年08月27日 21時51分) |
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これは 【759】 に対する返信です。 | |||
ころころさん、こんばんは。 お帰りなさい。 御無事で何より。 お仕事ご苦労様でした。 「次回」 「うーん、タイタニックにしようかな、それとも、『姑獲鳥の夏』? はたまた、イエロー・ドウコク!見参!!で行こうかな、 ただ今、考え中」 |
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【760】 |
ドウコク! (2009年08月27日 21時44分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん こんばんは。 「ドグラマグラ」 「黒死館」 を、「三大奇書」 と呼ぶのは分かりますが、「虚無への供物」 を 「奇書」 と呼ぶのはどうなんでしょうか? 上2つは、確かに 「奇怪」 であり、「とっても変で、意味が分からない。 でも、何かありそうな気がする。」 という感じがしますので、「奇書」 と呼ぶにふさわしいと思いますが、 「虚無への供物」 は、「とっても変で、意味が分からない。」 の部分が当てはまらないのではないでしょうか? 確かに、推理合戦があったり、作中作のようなものがあって、凝った構成になっています。 これ一冊で、何冊も書けそうなネタを、惜しげもなくぶち込んでいるように思います。 でも、「変」 「奇怪」 という表現は、おかしいと思います。 そういうネガティブな意味ではないかも知れませんが、かといって逆の 「凝り過ぎ」 というホメ方も、どうかと。 他にも、凝った作品はあるのではないでしょうか? ただ、ここまで凝った作品が以前には存在しなかった、当時としてはとても斬新であった、 という意味なら、納得はできます。 その辺、どうなんでしょう。 更に、「意味が分からない」 については、全然違いますよね。 だって、私はちゃんと理解できましたし、恐らく他の読者も、上2作品より、十分に分かりやすいと感じると思います。 ということで、本作品は、「変」 というネガティブさはないけれど、「凄すぎる」 という賛辞も当たらない、と感じ、 「普通に凄い作品」 ではないか、と感じるのです。 ですから、「奇書」 ではない、と。 これは、私としては、ケチをつけるのではなく、本作品への褒め言葉として表現しています。 だいぶん、分かりにくい内容となりましたが、メルカトルさんなら通じると思いまして。 いかがでしょう? やっぱり、私の感想が変? |
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