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【7255】 | RE:イヤミス メルカトル (2013年06月11日 23時45分) |
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ドウコクさん、こんばんは。 >なかなか難しいようですね。 今は昔のように時間が有り余るという訳にいかないですので、余裕がないんですね。 まあそんなだから勝てないんでしょうし、したがって現在は休パチ中なんですけど。 >おお、掟破りではないのですか。 掟破りではないと思います。 どの密室講義を読んでみても、掲載されているはずですよ。 まあ最初に考え付いた人は、やはり偉いと思いますね。 簡単に思いつきそうで、意外とそうした発想というのは考え付かないものではないでしょうか。 >それにしても、「ときどき見かける」というのにも驚きです。 苦し紛れなんでしょうね。でもそれがメイントリックになっていることはさすがに記憶にないです。 確かに、現実にありそうなトリックではありますし、使い勝手がいいというんでしょうかね。 >ここを、他では見ないような理由で上手く処理できたら、 >犯人への同情も読者の方に湧いてくると思うので、この部分は力を入れてほしいところです。 私はそれほど動機を重視するほうではありませんので、そこまで気にしませんが、出来るだけ信憑性のあるというか、真実味の感じられる動機をひねり出してほしいとは思いますよ。 >また、人間の醜い部分(エログロや憎悪など)を強く書いた横溝氏は、「イヤミス」の先駆者のような気もしますが 横溝氏の場合は、本格スピリットみたいなものが感じられますので、問題ないと思います。 しかし、イヤミスの先駆的作品なら戦前から結構書かれているのではありませんかねえ。 人間の醜い部分をえぐったエログロは、いわゆる変格推理と呼ばれ、そのジャンルを既に戦前に確立されていたはずです。 その当時の小説と現在のイヤミスとは若干毛色が違うかもしれませんけどね。 >あるいは、悲劇的結末だけで終わる作品でも、美しく哀しく描くのでやはり悪い感じはしない。 だから、横溝氏の描くミステリはあくまで文学なんですよ。 異端とは言え、やはり一種の文学小説と捉えるのが正しい気がしますね。 もはや氏のミステリは、今ではクラシックとすら呼べると思いますので。 >「本格」が復活すれば、最初から問題はない、という。 死にかけてはいますが、まだ完全に息絶えたわけではないと思いますので、本格物を書こうという意気込みのある作家には、とにかく頑張っていただきたいものです。 まだまだ本格は死なず、という認識を世間に与えるような作品をガンガン発表して欲しいですね。 ではまた ^^ |
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【7259】 |
ドウコク (2013年06月12日 22時59分) |
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これは 【7255】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、こんばんは。 >掟破りではないと思います。 >どの密室講義を読んでみても、掲載されているはずですよ。 そうだったのですか。 ここは不勉強で知りませんでした。 というか、そういう談義はカーのをちゃんと読んだくらいで、後は出てきてもいい加減にナナメ読みしています。 「どうせ、今回のには関係がないだろう。」みたいに感じて。 >私はそれほど動機を重視するほうではありませんので、そこまで気にしませんが、 私も、「『アリスミラー城』殺人事件」ほどヒドくなければ、OKなのですが。 (「彼女は存在しない」もヒドかったけど。) 逆に、動機が納得できれば、その作品の評価が大幅に上がる、という感じです。 その意味で、私には重要かな。 さて、「イヤミス」について。 >しかし、イヤミスの先駆的作品なら戦前から結構書かれているのではありませんかねえ。 なるほど、確かにありそうですね。 よくは知らないですが。 その時代なら洗練されていない分、何でもアリで今よりもっとエゲツナさそうです。 (今の作家は、何だかんだと言いながら、どこかセーブをかけていそうな気もするし。) >だから、横溝氏の描くミステリはあくまで文学なんですよ。 >異端とは言え、やはり一種の文学小説と捉えるのが正しい気がしますね。 上手い表現です。 まったくもって、同感です。 おどろおどろしい事件内容とは裏腹に、道中の感触や読後感はどこか柔らかい。 結末があまりにも皮肉で可哀そうだった「獄門島」でも、 金田一耕助・最初で最後の恋なんかがあったり。 この金田一耕助の存在も大きいのでしょう。 ……といったようなテイストを、「イヤミス」の作家の方々に望むのは、無理とは分かっているのですが、つい比べてしまいます。 |
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