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【2355】 | RE:竜馬がゆく メルカトル (2010年04月24日 23時23分) |
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ドウコク!さん、こんばんは。 >(そうでなければ思い付きもしなかった筈)内心、ちょっぴり自慢したいところだったのですが、そんなに凄いことではなかったとは。 そんな事はないでしょう。 少なくとも私は見事に騙されましたよ。 予測できたという意見が多いというだけで、私のように作者の策略に嵌めれらた人も多かったはずです。 この仕掛けを見破ったドウコク!さんは、十分凄いと思いますよ。 >読後、「やはり、この長さは必然性が無かった。」と落胆するも、読んだことに対する後悔もありませんでした。 全く持って同感です。 そこまで長尺にする必要が果たしてあったのか?と思わずにはいられません。 しかし読んだ事に対する後悔はなかったです。 >でも、それなのに私の場合、京極作品は「暗黒館〜」より短くても、圧倒されて、読むのを躊躇してしまいますね。 お気持ちは分かりますが、京極ファンの一人として残念です。 『姑獲鳥の夏』の密室トリックを不服とするのは致し方ないとは思いますが、せめてもう一作『魍魎の匣』くらいは読んでから評価を下しても良いのではないかと思いますよ。 >一言で言って本作は、「青春小説」だと思います。 そうだったのですか。 タイトルからしてなんとなく普通の時代小説だとは思いませんでしたが、そうでしたか。 青春小説だったとは意外です。 友人からとにかく元気になれる小説だからと薦められたのは、そういった意味だったのでしょうか。 本当に元気に、前向きになれる小説ですか? ならば、一作目くらいは読んでみようかと思わないでもないですが。 ではまた ^^ |
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【2358】 |
ドウコク! (2010年04月25日 22時18分) |
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これは 【2355】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、こんばんは。 >本当に元気に、前向きになれる小説ですか? むむむっ、これは難しい質問ですね。 そうですね、これに対する私の意見としては、「イエスであり、ノーでもある。」という微妙なものになります。 まず、「イエス」について。 これは、主人公の竜馬だけに着目するならば、彼は終始「前向き」です。 どんな苦境、悲惨な状況であっても、常にポジティブに物事をとらえ、常に明るくユーモアも交え、事態に向かいます。 特に途中からは、友人や仲間の相次ぐ死に直面し、また幕府という怪物に向かい、普通の人間ならくじけそうな場面でも、それを乗り越えていきます。 そして、遂には待望の「明治維新」のおぜん立てを、整えることができるのです。 また、他の人物でも、やはり若さゆえか、大なり小なり前向きのエネルギーを感じますね。 そういった意味では、「イエス」だと思います。 次に「ノー」について。 これはやはり、時代背景に関してですね。 途中で作者の司馬氏は、「維新は確かに達成された。 しかし、それは数えきれない若者の屍の末に、である。」 と記します。 まさに、その通りです。 竜馬を取り巻く人物たちは、道中、その志を胸中に抱いたまま、ほとんどが道半ばにして斃れていきます。 これをフィクションとして読むならば、それもクライマックスに向けての隠し味となるでしょう。 しかし、これは事実なのです。 己の道を正しいと信じる者たちが、悲しいかな、「時代と合わなかった」と言うしかない理由で、次々と去ってゆきます。 しかも、未だ若き身空にて。 更に、結局、最後は竜馬自身も、自分の成し遂げた成果を見届けることなく、散ってしまいます。 そんな皮肉な面を感じさせもするので、「ノー」とも言えると思います。 これは多分、読む人の感性次第ではないでしょうか。 本作で、「明るく頑張れば、いつか良いことがある。」と感じるか、「頑張っても結局は、ダメ。」と感じるか。 ただ言えるのは、その両方の面、いずれも深く感じられる作品ではないか、だと思います。 で、「お前はどっちか?」と問われれば、「どちらかと言えば、イエスの方だ」、ですね。 なお、一巻は、はっきり言って、かなり明るいですよ。 というか、ラブコメ要素もあったりして、お気楽過ぎるような筆致かも。 |
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