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【1400】 | RE:麻雀放浪記 ドウコク! (2010年01月12日 22時11分) |
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メルカトルさん、こんばんは。 >白黒にした成功例である事は間違いないと思いました。 おっしゃる通りですね。 あれには必然性を感じました。 別の理由ではありますが、同じく必然性を感じた映画には、 私の場合、「エレファント・マン」があります。(ご存じかどうかは分かりませんが。) >それに阿佐田氏自身が「俺の若い頃にそっくりだ」と評されていたので、 阿佐田哲也氏といえば、その写真は作家として活躍されてから以後のものを、出版社は使いますね。 (ご指摘の「近代麻雀」の雑誌なども含め) そこでは、前頭部に髪がなく、だらしなく肥満した姿ばかりが写っていますが(どうやら、それは歳をとってというより、病気のせいらしい)、 若いころの写真は、第一線で活躍した勝負師らしく、精悍で鋭く、真田広之顔負けの雰囲気を醸し出していると思います。 >私はおそらく、阿佐田哲也名義の小説は全部読んでいると思います。 何と、それほどハマっておられたのですか! 私も「東1局52本場」(失礼、タイトルあやふや)や、角川文庫以外のモノも、 あの世界観に魅了され、多少は読んでおりますが(双子の兄弟が作者に勝負を挑む話が収録された本など、タイトルは失念)、 全部、までには行きませんでした。 これは本当に凄いですね。 さて、「麻雀放浪記」、第1部以外。 これで印象に残っているのは、やはり何と言っても、第4部・ドサ健が主人公の「番外編」ですね。 以前には「坊や哲に感情移入している」、とは書きました(それは真実ですが)が、キャラクターとしては、実はドサ健が一番好きです。 その彼が主人公であり、期待に違わず(良くも悪くも)縦横無尽に暴れまわる、「番外編」は異色の魅力を放っていると感じます。 ラストは、その彼が勝って終わりにしてほしかったな、とは「番外編」読了後に感じましたが、 でも、アレはアレで良かったのではないでしょうか。 ちゃんと見せ場は作りながらも、結局、こんな人物はあんな風になってしまう、でも、それを慕う人もいる、って、 小説の体を成す一方でアイロニーを込めながらも、作者のアウトローたちへの共感も感じられて、とても余韻嫋々の結末でした。 |
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【1403】 |
メルカトル (2010年01月12日 23時21分) |
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これは 【1400】 に対する返信です。 | |||
ドウコク!さん、こんばんは。 >私の場合、「エレファント・マン」があります。(ご存じかどうかは分かりませんが。) 名前だけは知っています。 その作品を観た友人から感想を聞いた記憶はありますが、少しだけ不気味なイメージを持ち、映画館に足を運ぶのが躊躇われました。 >若いころの写真は、第一線で活躍した勝負師らしく、精悍で鋭く、真田広之顔負けの雰囲気を醸し出していると思います。 おっしゃる通り、若い頃はきりりとした相当な二枚目だったようですね、写真を見る限りでは。 「若い頃の写真を見せても誰も自分とは信じてくれない」と氏は嘆いたいましたね。 それもその筈、年齢を重ねてからの変わり様は、若かりし日の面影を全く残していませんでしたから。 唯一変わらない様に見えたのは鋭い眼光だけだったようです。 >何と、それほどハマっておられたのですか! 私も「東1局52本場」(失礼、タイトルあやふや) 『東一局五十二本場』、良かったですねー。 あの手に汗握る緊張感は、氏の多く残しておられる短編(正確には中編ですかね)の中でも一、ニを争う傑作ではないかと個人的には思います。 >これで印象に残っているのは、やはり何と言っても、第4部・ドサ健が主人公の「番外編」ですね。 以前も書き込みましたが、私も本シリーズの中では『番外編』が一番気に入っています。 坊や哲があまり活躍しないのは残念ですが、各登場人物が個性に溢れており、誠に読み応えがありました。 また、闘牌のシーンも充実していたと思います。 >小説の体を成す一方でアイロニーを込めながらも、作者のアウトローたちへの共感も感じられて、とても余韻嫋々の結末でした。 そうですね、誠にもって同感です。 世間からあふれた、裏街道を歩まざるを得なかった不運とも言える者達に捧げる、哀愁漂うラストシーンは今でもはっきりと私の脳裏に残っています。 ではまた ^^ |
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