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【72】 | RE:受動喫煙防止法について もりーゆo (2014年06月24日 09時26分) |
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>>これが褒められたことでは無いとは思いますが >ここを私は不適切だと主張しているんですよ。 「誹謗中傷や暴言」を讃えるつもりはありません。 どのような根拠があろうと「誹謗中傷や暴言を吐いて良い」と言う理由には全くなりませんから 【客観性】も【公的基準】も全く関係ありません。 もし【誹謗中傷や暴言はダメだよ】が論点だと言うなら、これ以上何も言うことは有りません。 しかし「現状のパチンコ店が批判される根拠は無い」 と言う話であれば「そんなことは無い」との意見を述べています。 >一個人が意見を述べるならまだしも 「批判」も意見です。 「誹謗中傷や暴言」は「意見に基づくもの」であっても不作法です。 >>本当に客観的かは異論もあるかもしれませんが >従って、ここが私にとっては大問題ですし、 もちろん、ここは問題です。 >〜ただの主観でしかない訳です。 しかし 「自分が【客観的】と信じることに基づいて批判する」内容が 「権威ある第三者の評価、公的機関の明示等がなければそれは全て個人の主観であって、客観性があるとは全く言えず、批判など一切してはいけない」と言うなら 批評評論は自分の判断など存在してはならず、権威のある言葉に盲従せねばならない と言うことになるのではないでしょうか? 【その根拠となる考えが解らない】と言う話であるなら 「それはこのようなことから判断できる」 →「その判断は、この点が誤りである」→反論 と言った論議になるでしょう。 (現状はその根拠の説明を前トピ主が放りだした状態だと思っておりました) >『協力は任意であるという【定義】』 これが読み誤りだと言っています。 何度か書いているつもりですが 「そのような【守るか守らないか勝手にして良い】と言う法として定められたもの」ではなく 「守るべき法であるが、処罰規定が無い為に、【結果として当事者の勝手にされてしまう】もの」だと言っています。 「【遵守されるか否か】(≒法律に従うか無視するか)」が当事者の任意に左右されると書かれています。 「遵守しない(=法を無視している)」ことを選択した当事者が それにもかかわらず「遵守している(=法に従っている)」と言われる訳ではありません。 >【現段階】では『どれぐらい実行しようが、好き勝手にして良い』という意味も含んだ『法』 「まもろうがまもらなかろうが自由」と言う意味を含む法では有りません。 「できるだけ守れ!(←努力しろ)だが、処罰の規定は定めないよ」 です。 なお >「法を守っているとするに十分な努力」と言う公的なラインは存在しない と私が書いたのは 「目標を達成する目的」がある以上「目標に達しない努力は全て不十分(≒もっと努力する必要がある)」と言う意味です。 さもなくば「目標を達成しない」にも関わらず、それ以上は努力しなくても良い と言う公式の基準が出来ることになり「目標を達する目的」に反するからです。 ただし、現時点において止むを得ず努力不十分であっても 「誠実に努力している」のであれば批判されるべきではないと思います。 >今、金があるかないかで努力の度合いを計るのも個人的には違和感を感じますけど・・・。 あくまでも例示であり、資金は幾つかの要因の一つです。 それが充分できる能力があるのに適当に済ますのと その能力が充分無い状況で精一杯の事をするのと 実際の行動内容が同じであると言うだけで どちらも同じように「誠実に努力している」あるいは「大した努力をしていない」と思われますか? |
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【80】 |
FAUST (2014年06月24日 15時59分) |
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これは 【72】 に対する返信です。 | |||
もりーゆoさん レスありがとうございます。 >もし【誹謗中傷や暴言はダメだよ】が論点だと言うなら、これ以上何も言うことは有りません。 私の本筋の論点はそこです。 ただ、貴殿のお話をお伺い出来たのは非常に有意義でした。 他意もなく純粋にありがたく思っています。 まだ続くかはわかりませんが、一旦お礼を申し上げます。 >一個人が意見を述べるならまだしも「批判」も意見です。 >「誹謗中傷や暴言」は「意見に基づくもの」であっても不作法です 貴殿が前トピをどこまでご覧頂いているかは存じませんが、私のスタンスは「肯定」であれ「批判」であれ、ここは立場も信念も異なる不特定多数の人が書き込みをする掲示板なのだから、表現に気を気を付けろという事です。 「批判」=「誹謗中傷・暴言」ではありません。 さらに一つ主観を付け加えさせて頂くならば、「批判」する時こそ、「誹謗中傷・暴言」と取られない様に、殊更に表現に気を使うべきだと思っています。 >批評評論は自分の判断など存在してはならず、権威のある言葉に盲従せねばならないと言うことになるのではないでしょうか? なりません。私は「誹謗中傷・暴言」を否定しているのであって、「批判」を否定していません。 >「守るべき法であるが、処罰規定が無い為に、【結果として当事者の勝手にされてしまう】もの」だと言っています。 これに関しては読み誤っているのは貴殿だと思います。 読み誤っているというか、私の主張を誤解しています。 あくまで【私と貴殿の議論の上】では『努力義務』の定義は、 【努力義務とは、日本の法制上「〜するよう努めなければならない」などと規定され、違反しても罰則その他の法的制裁を受けない作為義務・不作為義務のことである。遵守されるか否かは当事者の任意の協力にのみ左右され、またその達成度も当事者の判断に委ねられる。】 で一旦統一したと思いますが、この定義を【主観や倫理観、状況など、あらゆるものを一切排除して『単純にただの文章』として読んだ】らば、「守るべき法であるが、処罰規定が無い為に、【結果として当事者の勝手にされてしまう】もの」という内容はどの部分から読み取っているのでしょうか? 『任意の協力にのみ左右され』は普通に文章を読み取れば【守る(協力する)か守らない(協力しない)かは勝手(任意)にして良い】と解釈する方が自然です。 「法を守るべき」とか、そう言う法に対しての倫理観を貴殿に問うている訳ではないんですよ。 前述の通り貴殿の法に対する倫理観には賛成も同意もしています。 しかし例え協力を一切しない決断を取った所で『法』違反ではありません。モラルに欠ける判断だとは私も思いますが。 >あくまでも例示であり、資金は幾つかの要因の一つです。 >それが充分できる能力があるのに適当に済ますのと その能力が充分無い状況で精一杯の事をするのと 実際の行動内容が同じであると言うだけで どちらも同じように「誠実に努力している」あるいは「大した努力をしていない」と思われますか? 私は双方とも「誠実に努力している」或いは「大した努力をしていない」と思いますね。 実際の行動内容が同じなのであれば、本来双方の評価に差を付けるべきではないと思います。「誠実さ」を計るものさしなんて無い訳ですし、何を以って「誠実」と言うのかわかりませんから。 文面から察するに、貴殿は前者を「大した努力をしていない」、後者を「誠実に努力している」と思ってるんですかね? 目標に達しない努力は全て不十分(≒もっと努力する必要がある)なんですよね? では出来る能力があるとかないとかは関係なく双方とも「大した努力をしていない」と言う事になるんじゃないですか? |
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