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【719】 | RE:流れ者日記 大王イカ2世 (2021年01月20日 18時03分) |
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こんばんは。 孔明の評価ですか…。劉備を蜀のTOPに導いたことは評価できるけど三国の計って当時では誰でもイメージできたという話ですね。 後で調べて知ったのですが魯粛が三国にまとまってからの統一を既に描いていた事と諸葛亮家が実は蜀の人材や資金を十分に用意できる地位にいた、というのを聞いて?ですね。 馬謖の件もそうですが何か他人に対して踏み込めないというか自分の野心を描けなかったというか呉と同盟を結んでからの孔明は好きではないですね。 関羽や張飛までにも実はちょっとした確執みたいのがあったのかもしれないですね。豊臣家でも戦に出る武将と内政の知将とでは相いれない関係で後に戦争にまで発展してますしね。 孔明がどこまで未来を見れたのかはともかく劉備亡き後にすべて自分で行い戦場で過労死という結末を迎えたのも何か人を信じたり頼ったりとか人と信頼を築いていく人物ではなかったような気がします。 個人的には軍師というより先生ですね。呉と自ら出向いて同盟を結んだのに関羽や張飛を死なせて劉備の心境はどんなものだったのか気になります。最後に自ら蜀のTOPにと言葉を掛けた劉備の内心は色々イメージ出来ますけど個人的には蜀の滅亡を劉備も理解していたと思います。 |
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【720】 |
東京流れ者 (2021年01月20日 20時58分) |
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これは 【719】 に対する返信です。 | |||
☆大王イカ2世さん こんばんは。 >孔明の評価ですか…。劉備を蜀のTOPに導いたことは評価できるけど三国の計って当時では誰でもイメージできたという話ですね。 まあ、強気な人間が多い武将が他国の力を借りて均衡を保つなんて発想はしないでしょうから 魯粛や孔明のような文官だからこその発想なのでしょうね。 誰でも発想できるけど、それを実現するのはそんなに簡単ではない、というのが彼らの功績なのでしょう。 >馬謖の件もそうですが何か他人に対して踏み込めないというか自分の野心を描けなかったというか呉と同盟を結んでからの孔明は好きではないですね。 何か発想が観念的と言うか、柔軟性がないような気がします。 生きた人間の心を重視してないような気がするんですよね。 それでも、南伐あたりまでは蛮人の心をつかむための策を行使してたんですが 北伐の最初に馬謖の凡ミスで失敗してから、余裕がなくなりそのままジリ貧になった感じです。 単純な北伐の可能性としては、魏延が発案したと言われる急襲の方が成功率は高いような気がしたり。 って、これは横山光輝三国志を読んだ感想ですが(^^;) >個人的には軍師というより先生ですね。 劉備に三顧の礼をさせた頃は、何か凄そうだというのはあったんですがね(^^;) 水鏡先生の元に集まった人材の中では抜群の才能を持っていたようですが 気になるのはその孔明が出廬した後に、孔明自身が見出した才能が殆どない事です。 関羽、張飛はじめキラ星のごとく並ぶ劉備の元に集まった武将に比較し 孔明が見出したのは姜維ぐらいでしょう。 まあ、これも横山光輝三国志を読んだ感想ですが(^^;) >劉備の内心は色々イメージ出来ますけど個人的には蜀の滅亡を劉備も理解していたと思います。 息子の出来、そして孔明が絶対主君の恩義に背く人間ではない事からして、予想できたでしょうね。 前にも書いた事ありますが、中国では今でも愚か者の事を「阿斗」と言うそうです(^^;) |
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