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【375】 | 家族とともに しょうぞう (2021年12月09日 10時04分) |
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まきりとさん、いつもありがとうございます。 私ね、正義の味方ではなく、正義の味方の「つもり」です。 そう思うことが、思えることが、自分のことを好きでいられる秘訣なのかな。 当時は全くそんなこと思っていませんでしたけど、最近、そういう風に考えるようになってきました。 何回も書いてますけど、私、カッコつけたがりなんですよ。 カッコつけるためには、ケンカでは負けられない。 つまり、カッコいいイコール、ケンカが強いという宇宙一単純な思考。 ほんとバカでしょ(笑) みんなから、しょうぞうはケンカ強いって思われたら、いざというとき頼ってくれる。 そう思っていたんです。 だからね、どうしても負けたくなかったんです。 それが、私の唯一の拠り所だったから。 おふくろが自慢とか、あんまり思ったことというか、考えたことなかったんですよ。 でも私も親になって、色々考えるようになって、やっぱ一番の自慢かなぁって。 改めて思いました。 あっ、私ね、小っちゃい頃というか、小学校低学年くらいまでは、お父さん、お母さんって呼んでたんですよ。 でもふとね、やっぱ、ケンカ強いオトコはオヤジ、おふくろでしょって思って、それからはそう呼ぶようにしたんです。 相変わらずモーレツにバカでしょ(笑) 最初は二人とも、えっ?ってな感じになってましたけど、すぐに慣れました。 おそらく、今お父さんお母さんって言ったら、それこそ、えっ?ってなると思います(笑) 命を授かる瞬間、おそらくそれが、この世でもっとも嬉しく、幸せを感じる瞬間なのだと思います。 私たちは、結婚してから何年も子どもを授かることができませんでした。 なので、心の中では、本心は、もう完全に諦めていました。 妻が、もしかしたらって言ったときも、おそらく勘違いだろう、私と妻は、子どもを授かる星の下に生まれていない。 そう思ってました。 だからというわけではありませんが、あの、この世でもっとも嬉しく幸せを感じた瞬間が、今の私の生の活力です。 私は、自分でも怖いくらいに娘を溺愛し過ぎています。 私にとって、家族がほぼ全てです。 家族のためだったら、この命、微塵も惜しいとは思いません。 それが私の死生観。 そしてそれが、なにものにもかえがたい幸せを授かった、しょうぞうというオトコの生き方。 そう思っています。 そして私にとっても、この思いが、生涯有効な御守りなのかもしれません。 まきりとさん、あなたが書き綴られた、母としての喜びを、その強さを、そしてその思いを、同じ親として共感できるこの瞬間が、なにものにもかえがたい尊い時間であり、思いであり、ずっと忘れてはならない親としての「心」なんだろうなって思いました。 |
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【384】 |
まきりと2 (2021年12月10日 06時22分) |
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これは 【375】 に対する返信です。 | |||
神さまのお告げは、私にとって嬉しくありがたく、忘れることなど到底出来るものではありません。 ともすれば、書きたくなるのがファンレター。 なれど、書きすぎて主さまの負担になってはと、一時流行った海系パチ演出である待機群のよに、出るタイミングを迷う日々。 大好きなつぶやきが聞ける中、しょうぞうさんが暫くお休みされるこのタイミングで、どうしてもお伝えしたい事がありました。 これが、いつも思う、機の不思議。 人と人の繋がりなのだと感じます。 おそらく幼稚園に通っていた頃の記憶だと思うのです。 父が買って来てくれたお土産は、小公女。 喜ぶ私は、膝の上。 お人形やぬいぐるみではなく、父の出張のお土産は、いつも一冊の本でした。 見知らぬ世界へ連れて行ってくれる本が、とても好きだった私は毎回とても喜んでいましたが、大好きな父が帰った事こそが最大に嬉しくて。 だけど、あの小さな私は、それを言葉にする術を知らなかった気がします。 伝えなくても、駆け寄って抱きつく娘の満面の笑みが、何より雄弁にその思いを伝えていたのかも知れません。 抱きしめてくれるその腕は、確かな繋がりと温もりを伝えてくれるから。 私もセガーレをしょっちゅう抱きしめて、 その内、「もー(苦笑)」とか言われたりする年頃になっても抱きついて(笑) そうして過ごせる時間は短いと、人はみな知っているのかも知れないね。 昨日は、父が三度目の入院へ向かう朝でした。 車を運転しない(免許はあっても出来ないほど下手なのです)私は、外せぬ仕事へと。妹が仕事を休み、連れて行ってくれました。 治っていれば三日、治っていなければ長くなる。 まだ、その診断結果は出ていません。 心臓ですし、かなりの高齢なので、簡単に大丈夫とも言えぬ中、父と母と私、三人で過ごした先週末。 鍋を囲む私達三人には、確かな願いがありました。 人が人である以上、現実には望めなくっても。 とうさんには、ずっと元気でいてほしい。 私は、ずっとおとうさんの娘でいたい。 とわにともに。 その願いは、いつも胸に。 もし、サンタクロースがいるのなら。 当たり前の特別がずっと続いて行くことを 願わずにはいられない大きな娘なのでした。 |
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