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【390】

【年末時代劇】逃げられお蒔写し帖 弐  評価

まきりと2 (2021年12月17日 14時30分)

「・・え・・」


『毎度これほど小さくされては堪らんよ』


声の主を探した女の目が辛うじて捉えたのは、それはそれは小さきものだった。


「・・お侍さま?・・」


『竈 童磨。そう呼ぶがよい』


「・・かま どうま??・・」


『本来、寅馬と呼ばれるべきなのだ。
 それを、ぬしが勝手に改名を・・。
 言っておくが、漢字で呼ぶように』


(漢字で呼べって・・見えないし)

そっか。私、夢をみてるのね。
えっと、カマドウマ主演の時代劇?

先日観た、無限の住人のせいかしら。



『長い付き合いだ。
 ぬしが私を離さぬのは知っている』

「なんと、滅相もありません。
 出て行って下さらないのではないですか」

『私は、そう悪いばかりの者ではない。
 太らせると厄介にもなろうがの。
 私を太らせるのは、ぬしであろう』

「・・む。」



そうなのかもしれないと考える。
人なら誰しもその胸に寅と馬を飼っている。
大小の差はあるに違いない。
そして、私の竈童磨は、今、こうして待つ人を思うだけで、一寸法師のように小さくなっている。


知りたかったこと。聞けなかったこと。
たくさん、あったのに。

口にせずとも良い、口にさせるなと思う人の心の内が見えなくて

何も言っては貰えない自分が好きになれなくて


人との縁が怖くなっていた。
そんな自分が、この店に足を運んだのはなぜだろう。


きっとそれは、私の知る主さまが、心の内を包み隠さずに見せて下さる人だから。

今のままの自分でいいと言ってくれた人だから。


家族でも友人でも恋人でもいい。
人は、誰かに背を押されたい。
心の支えがあってこそ、一人でも生きていけるのではないかしら。



『では、行こう』


声にはっとして目をやると、小さな竈童磨の姿が夜の帳に溶けて行く。


「きっと、またお会いしますわね」


だって忘れたりはしないだろう。
今日までの時間が、今の私なら。
それはこの先も私とともにある。



『良い酒だった』


「次は、もっとおいしい酒をお出しします」



もう見えない筈の小さき侍が、笑ったように見えた師走の夜だった。
【389】

【年末時代劇】逃げられお蒔写し帖 壱  評価

まきりと2 (2021年12月17日 13時54分)

「おや、雨かい。どうりでね」


今宵は一枚も汚れていない目の前の皿に目をやって、折から降り出した雨の音に、女は小さく独り言つ。


表通りの物音は確かに師走の忙しなさを伝えるが、裏手の店の静寂は時が止まったかのようで、女が吐く白い息のみが辛うじてその季節を写し撮る。


(どうしておいでだろうか。あの方は)


白魚ではない指が凍えても、空が澄み星が瞬くこの時期は、一年の終わりを告げるに相応しいと思えて女は好きだった。


(決めた。今夜は暖簾を仕舞っちまおう)


主不在の気ままさに、引き戸を開けて表へ出る足に迷いはない。


(今夜は、風来夢尽くしと行こうかね)


どの活劇にしようかと、急いて暖簾を下ろす腕がふと止まる。


(おや。気づかなかった。お客さんかね)


振り向く目に写る人の姿は、侍のようだった。


「お客さん、寄って行かれます?」


答は返らぬが、立ち去る様子もない。
店に他の客はなく、少し物騒な場面と言えるだろう。このまま、暖簾を仕舞おうか。


「濡れちまいますよ。お入り下さいな」


意に反し、出た言葉に軽く驚きつつも平静を装って戸を引く女に


『ここで良い』


男は、粗末な長椅子に腰掛けた。


「・・ここですか?」


幸い、通り雨だったようで弾け飛ぶ雫はなかったが、濡れた長椅子は冷たいと思われた。


躊躇う女に、男の声がする。


『あま酒を貰えるか』


「はい。只今お持ちします」


どうして知っているのだろう。
あま酒は、酒に弱い女が自分用に於いているもので、品書きには載せていない。

どう考えても、怪しいことこの上ないにもかかわらず、二人分のあま酒を載せた盆から立ち昇る湯気を見つめる己の心は騒がない。

この感情なら知っている。
これは、なつかしさと呼ばれるもの。
遠い昔から知っている人に会った時の心模様。


(だけど、見知ったお顔じゃないのよね)


女は、あま酒を置き、自身も長椅子に腰を下ろした。


(妙だわね。・・あたたかい?)


雨に濡れ、冷たいはずの長椅子に温もりを感じる、虫の声も聴こえぬ冬の夜。
黙ったままの二人は、あま酒を口にする。


『店の主は、長旅か』

「はい。暫くかかるかと」

『良い店だ』

「それは中へ入って仰って下さいな」

『入らずとも見えている』

「え。お侍さま…その、千里眼で?」

『千里も離れてはおらぬがな』


ははーん。これは、あれね?
化かされているのだわ。

狐なのか狸なのか、尻尾は見えやしないけど。いったい、何が目的なのかしら。


『ここにいると、楽であろう』

「主は心根が優しゅうございますれば」

『楽しいか』

「主のお力でここへおいでる方はみな」

『続くと良いな』

「はい。貴方様もお通い下さいまし」

『それは、出来ぬ相談だ』

「おや、どうしてでしょう?」


女は、はっとする。

となりにいた男の姿が、忽然と消えていた。
【388】

巨大カマドウマをやっつけろ!  評価

まきりと2 (2021年12月15日 07時09分)

好きだった涼宮ハルヒの憂鬱と言うパチンコの演出で、巨大カマドウマとの対決リーチがありました。

カマドウマ??
なに、それ?どんな虫??

長年、疑問に思っていながら、調べる事なく過ごしていた私。
ちょっと、スマホで調べてみましたよん。

Wiki曰く、竈のような薄暗い場所にいて、馬のように飛び跳ねる。
その跳躍力は非常に強く、飼育器に入れると、壁に激突死してしまう事もあるほどなのですって。

んん?
まきりとは、なぜ、虫の話をしてるのか?
待ってます、蒔いてますとか書いてたくせに、もうネタ切れしてるのか?

…しょうぞうさんをハテナにしてるかな(´`*)

今朝はですね。
早く目覚め過ぎてしまって、実は現在まだ5時前です。寒さと年齢のせいでしょか。

それに加え、最近パチンコによる高揚感が全く得られない自身の不調がありまして。
当たらない、当たってもラッシュに入らない、玉が出ない。
三種の神器を持たぬ者、産出の難儀です。

そんな時、私の思考は裏になる。
見たくないマイナスの世界の住人になるのです。…これがね。いくつになってもね(´`*)


(カマドウマって、トラウマに似ているな)

初見の語感は根強く残り、今も気分が沈んだ時にトリガーとなって浮かびます。

私のトラウマは書けないものも含め多数存在してますが、その中で巨大カマドウマと呼べるもの。

それは、自身が傾倒の想いを抱く男性は、時短くして離れて行ってしまう、と言う歴史です。

そして誰もがその理由を告げてはくれません。

人は、何度でもやり直せる。
幾度となく書いて来た私の思いと相反する結果が、自身の史実となっているのです。

理由を尋ねなかった訳じゃない。
私の嫌なところを教えてはくれないの?
ごめんなさい。悪いところは、直します。
けど、あなたが嫌だったところを教えて貰ってから謝らないと、それは本当の謝罪ではないと思うんよ。
それとも、今、こうして聞かないと判らないのが、アウトなの?

迷っては言い澱み、揺れに揺れるそんな時。
巨大カマドウマが現れる。

わからないか?彼の人に、もうおまえは必要ないと言われているのだよ。
おまえは、そうしたものなのだ。
ただその事実を理解しろ。

あぁ、またかと思う。
私は、また繰り返したのか。
これ以上、尋ね続けたら、うざい、しつこいと思われるだけだ。
カマドウマが巨大になって行くだけだ。

何より、たいせつな人に嫌な思いをさせて良い訳がない。
そんなこと、望むはずもない。

そうして、追い縋る事を止めてありがとうと諦める自分を私は知っている。

後になっても、片付けられやしない後悔と知りながら、聞かせて貰えるまでとボコボコになるまで投げ打てはしないのだ。

今の自分を支える全てが壊れてもいいと思えるほどに想う人は、そう多くは出逢えない。

どこが好きと言えない、違うと思う部分も含めて、何もかも全部"その人が良い"になる想い。

恋が愛になり、やがて君になる。

それは、自身を好きでいたい、好きだと思える自分のままでたいせつな人を守り愛したいと願うしょうぞうさんの想いには程遠い、自身を蔑ろにする自己だけの想いかも。

「私は私を好きじゃない人が好きなのよ」

何度か口にした言葉は、自身に言い聞かせるための。
傷ついた時間をセルフカバーするための。
オロナイン。だったかも。


だからこそ、しょうぞう文庫に惹かれるのかな、って思います。

強くあれ、私。
せめて、残りの人生は、強くあれ。


しょうぞうさんとの文通は、私の神さまがくれた時間。

裕子ちゃんが今日も家族の笑顔の中で笑っているように。

願う私も、しょうぞうさんも。
笑顔の時間、過ごせますよーに。
【387】

日曜日は、一皿入魂で  評価

まきりと2 (2021年12月12日 22時05分)

ほんとうは、玉ねぎと人参だけで作る方が好きだけど、台所の先輩に「じゃがいも、いる?」って聞いたら「いるやろ、じゃがいもは」って返って来たからさ?

そうだよね。
うちは、いつも、じゃがいもが入ってた。
声に出さないでつぶやいた。


とーさんは普段はご飯と別によそうから、スープカレーっぽく薄ぅーくした方が良いかな?って思ってさ。

「味、どんな?」って聞いてみたら、「お。えぇぞ」って言うからさ?

サラサラのカレーよそったら「少し薄い。まちっと、とろっとした方が」

…ふふ!だよね?
速攻、ルーを足してみる。



いったい、幾度、この皿で食卓をともにしたんだろう。


玉葱と人参とじゃがいもの最強トリオが少なめに入ったおにくを引き立てて、いつだって鍋の中をおサイフに優しいごちそうにしてくれる。

(今日は、とーさんが「異常なし」を勝ち取って戻ってくれてから、初めてのおもてなしなんだから)


失敗は許されないのよ、ドラ娘!


自らを奮い立たせ臨むのはカレーライス。
何処にでもある、何の捻りもない。
それは、ただのカレーライス。


私がした事は、ひとつだけ。
ひとつひとつの行程を丁寧に。
それしか思いつかなかったのだ。


おとうさん。
帰って来てくれて、ありがとう。

好きなお酒も煙草も止めて
スロも行けなくなって
楽しみがなくっても

くさらず毎日、足を回して
体操もしていたね。


おかあさん。
おとうさんが早く戻って良かったね。

「ろくに動けない私じゃ、とうさんの側にいたってだめなんよ。」

いつだって素直な心の声。
褒めて貰えないと拗ねるのは、今も大好きな人だからだって知ってるよ。


ドラ娘は、今、こんなことしか出来ないけど、二人がいてくれて嬉しいです。


何十年の刻に感謝して。

どうか、この一皿が
おいしくなりますよーに。


そうして出来上がったカレーライスは、私史上最高の出来だった。

「人参は、要らんのだ」と言ったとーさんが「人参が、うまかった」と言ってくれたこと。

カレー好きなかーさんが「じゃがいもが、ほっくほくだった」と言ってくれたこと。

ただそれだけのことが、涙が出るくらい嬉しかったよ。

喜んで。貰いたかったんだなぁ、私。


大好きな人と食べるカレーライスは、いつだって当たり前の特別で、「おいしい」と言ってくれる人の笑顔を届けてくれる魔法の一皿なのじゃないかって。


しょうぞうさんに伝えたい、まきりと●●歳の冬だった。
【386】

続く世界  評価

まきりと2 (2021年12月10日 22時22分)

こんばんは。しょうぞうさん。


仕事がなんとか片付いて母に電話したら、父は検査の結果、異常なしと言われたと聞きました。

良かったと叫ぶ自分の声が大きくて驚いた。
嬉しかった。
ホッとして、力が抜けました。


父を想う時間の中で、あなたのつぶやきを見たのです。
そこには、娘を想う父の心がありました。


遠い遠い空の下。
人の想いは、繋がっているようで。


開いたページの向こうにいる人の幸せを
願いながら、私は幸せ者だと思えたよ。


きっと、あなたのことだから、全力で臨むのね。
どうか、思いきり集中して下さい。


遠い空の下、あなたの闘いの先にある穏やかな微笑みを。
やり切った人にだけ訪れる笑顔を信じて待ってるよ。


体を壊さぬよう、少しずつでも労って
帰って来て下さい。


このページをご覧になってるみなさんと
私が 待ってます。


あなたに聞いてほしかった私のつぶやきを
少しずつ  そっとそっと 蒔きながら



帰って来る日のあなたを迎えよう
帰って来た日のあなたを迎えよう



しょうぞうさん。
行ってらっしゃいませ。

どうか、あなたに幸運を(^^)/
【385】

幸せのバトンリレー  評価

しょうぞう (2021年12月10日 21時35分)

まきりとさん、こんばんは。

機の不思議。

そうでしたか。
実は私も、昨日の書き込み、本当は今日書こうと思っていたのです。
でも、もしかしたらと思って一日前倒しで書きました。
つまり、一日間の猶予を持たせたのです。

そしたらやはり、まきりとさんが書き込んでくださいました。

私には珍しく、正解だったようです(笑)


実は今、リアルでとても重要な局面を迎えました。

元来、器用ではない私は、ピワをやりながらだと、自身の納得のいくカタチまで持っていくことができないと判断し、リアルに全集中するため、これが終わるまでは、もしくは二週間のリミットがくるまでは、ピワを封印することを決めました。

それが明日からです。
明日から休み返上で、カタがつくまでずっと会社に泊まり込みで全力を傾注します。

休むことをあえて書く必要はなかったのかもしれませんが、心配されるといけないので、休む予告をした次第です。

カタがつくまで、もしまだカタがつかなかったとしても、二週間後までには必ず戻ります。


神のお告げ。

私も、おそらくまきりとさんがタイミングを窺っておられるのだろうと感じ、その必要はない、今の私にそれが負担になることはもうない、だからお好きなときに、気の向くまま、「わがまま」に書いてくださいという意味合いで書いたつもりだったのですが、あとから客観的に見直すと、なんか書き込みを催促してるみたいに感じたので、修正した次第です。

どうぞほんとに気の向くまま、お好きなようにしてください(笑)

恥を忍んで言うと、催促は本心です。
たとえ100連発だったとしても、私はそれに対応できます。
そしてそれが、つぶやきに影響することは絶対にありません。
お告げをした神に誓って(笑)


人は誰だって永遠を願ってしまうもの。
私だって同じ。
ずっとずっと、永遠に続いてほしい。

でも、目の前にあるのはいつだって真実。
嘘偽りのない、確かな真実。
確かなのは、それだけ。
未来は誰にもわからない。

でもだからこそ、今存在することに感謝し、その幸せを噛み締め、未来へ繋ぐ。
永遠に続く、幸せの未来へのバトンリレー。

あなたの幸せは、お父さまと、そしてご家族の幸せ。
そう思います。

お父さまと、そしてご家族と、共に過ごす時間が少しでも長く続きますよう、お祈りしています。



では、しばらく離れます。

まきりとさんをはじめ、見てくださってる皆さまに、当たり前の特別がずっと続くことを願いながら。
【384】

開くページの先にいるあなたへ  評価

まきりと2 (2021年12月10日 06時22分)

神さまのお告げは、私にとって嬉しくありがたく、忘れることなど到底出来るものではありません。

ともすれば、書きたくなるのがファンレター。

なれど、書きすぎて主さまの負担になってはと、一時流行った海系パチ演出である待機群のよに、出るタイミングを迷う日々。

大好きなつぶやきが聞ける中、しょうぞうさんが暫くお休みされるこのタイミングで、どうしてもお伝えしたい事がありました。

これが、いつも思う、機の不思議。
人と人の繋がりなのだと感じます。



おそらく幼稚園に通っていた頃の記憶だと思うのです。


父が買って来てくれたお土産は、小公女。
喜ぶ私は、膝の上。
お人形やぬいぐるみではなく、父の出張のお土産は、いつも一冊の本でした。
見知らぬ世界へ連れて行ってくれる本が、とても好きだった私は毎回とても喜んでいましたが、大好きな父が帰った事こそが最大に嬉しくて。

だけど、あの小さな私は、それを言葉にする術を知らなかった気がします。
伝えなくても、駆け寄って抱きつく娘の満面の笑みが、何より雄弁にその思いを伝えていたのかも知れません。

抱きしめてくれるその腕は、確かな繋がりと温もりを伝えてくれるから。

私もセガーレをしょっちゅう抱きしめて、

その内、「もー(苦笑)」とか言われたりする年頃になっても抱きついて(笑)

そうして過ごせる時間は短いと、人はみな知っているのかも知れないね。



昨日は、父が三度目の入院へ向かう朝でした。

車を運転しない(免許はあっても出来ないほど下手なのです)私は、外せぬ仕事へと。妹が仕事を休み、連れて行ってくれました。


治っていれば三日、治っていなければ長くなる。
まだ、その診断結果は出ていません。

心臓ですし、かなりの高齢なので、簡単に大丈夫とも言えぬ中、父と母と私、三人で過ごした先週末。

鍋を囲む私達三人には、確かな願いがありました。


人が人である以上、現実には望めなくっても。
とうさんには、ずっと元気でいてほしい。
私は、ずっとおとうさんの娘でいたい。


とわにともに。


その願いは、いつも胸に。
もし、サンタクロースがいるのなら。
当たり前の特別がずっと続いて行くことを
願わずにはいられない大きな娘なのでした。
【383】

当たり前の特別  評価

しょうぞう (2021年12月10日 00時30分)

何気ない日常の中に、たくさんの幸せが隠れている。

いかにその幸せを見つけ出すことができるか、感じることができるか。

当たり前の日常がいかに幸せであるか、そして、それに気づくことができるか。

いや、もしかしたら、当たり前の日常など存在しないのかもしれない。

そう、全てが特別。
当たり前という特別。

当たり前だと思ったら、当然だと思ってしまったら、それに対する感謝の気持ちが薄れてしまうかもしれない。

いつも通りの日常に感謝できたら、そこにはたくさんの幸せがあることだろう。

家族がいて、恋人がいて、友人がいて、そして職場の人たちがいる。
決して当たり前ではない。
その全てが特別。

仕事ができる。趣味を楽しめる。美味しいごはんが食べれる。眠れる。車に乗れる。自転車に乗れる。自分の足で歩ける。

当たり前ではない。

嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと、辛いこと、それらは全て、あなたがあなたであるからこそ感じる特別。

自分自身という特別。

幸せになるために、そして、幸せを感じるために特別なことはいらない。

だって、最初から全てが特別なのだから。
【382】

とわにともに  評価

しょうぞう (2021年12月10日 00時21分)

私は仕事の関係で、娘が生まれてから半年ほど、娘に会うことができなかった。

やっと家族一緒に暮らせるようになったものの、娘は私の顔を見ると必ず、大声で泣き出した。

知らないおじさんがきたと思ったのだろう。
非常に寂しかった。

娘が私の顔を見ても泣かないようになるまで、どれくらいの期間を要しただろうか。

娘は夜泣きがひどかった。

ほぼ必ず、同じ時間になったら夜泣きが始まる。
私や妻が抱っこしてどんなにあやしても泣き止まない。
連夜のことであり、妻のストレスや疲労がピークにきていると感じていた。

このままでは妻が倒れてしまうかもしれない。

とりあえず夜泣きから解放してあげようと思い、私は泣き止まない娘を抱っこして家をあとにした。
すると不思議なことに、チャイルドシートに乗せて車を走らせると、すぐに泣き止み、いつの間にかぐっすり眠ってくれた。

それから深夜のドライブが日課になった。
そして必ず、例外なくぐっすり眠ってくれた。

娘が小学生のころ、妻が娘にこのことを話したことがある。

「夜泣きがひどかったから、パパが毎日夜中にドライブに連れてってくれたのよ」

当然そんなこと知る由もなく、娘は「そうなの?」と苦笑いした。

私を見て泣いていた娘は、いつしか、私を見ると必ず、両手をいっぱいに挙げて、抱っこ、抱っこというようになった。
本当に嬉しかった。

誰かが言っていた。

子どもが抱っこを要求する期間は限られている。だから、思う存分抱っこしてあげなさい。
子どもは、その愛情を絶対に忘れないから。

娘が幼稚園に通ってたころ、週末によく家族で御殿場のアウトレットに行った。
アウトレットに行くと必ず、娘は私にこう言った。

「肩車してー」

週末の人で溢れかえった屋外のあの長い直線通路、その人混みを、上から見下ろす景色が好きだったのかもしれない。


妻は言う。

「まるであなたの生き写し。喋りかた、仕草、行動がビックリするくらいあなたと同じ」

だからいつも娘に言うそうだ。

「そういうとこ、ほんとパパそっくり」

そしたら娘は必ず、嬉しそうにこう返すらしい。

「だって、パパの子やもん」


パパ。パパ。パパ。

こう呼んでもらえる日が、私にくるとは思っていなかった。

私は娘に何を与えられるだろう。
娘に何を残せるだろう。
そして、いつまで見守ることができるだろう。

溺愛し、盲目にならないよう気をつけたいとは思っているが、おそらく私には、それは無理なのだろう。

残された人生における私のたった一つの願い。
ただそれだけを、ずっと、とわに胸に秘めて。
【381】

あの日の思い  評価

しょうぞう (2021年12月10日 00時07分)

娘がまだ小っちゃかった頃の話。

その日妻は、短大の同級生との定期的な飲み会の日。

こういうときの夕食はいつも外食で済ますのだが、たまにはレストランのバイトで鍛え上げたこの料理の腕前を披露しようと思ってね、娘と一緒にスーパーまで夕食の食材を買いに行ったときのこと。

本日のメインは娘の大好きなお肉。
たくさん陳列されたステーキ用のお肉を前に、娘に「どれにする?」って聞いた。

ニコニコしながら一生懸命お肉を選んでいる。
その姿がなんとも可愛らしい。

で、ふと娘が、私にこう言った。

「パパ、これなんて書いてあるの?」

「これはわぎゅう、こっちはこくさんぎゅうって書いてあるんだよ」

「それ、なにが違うの?」

子どもは好奇心旺盛で、疑問に思ったことをすぐ聞いてくる。
でも当時の私は、恥ずかしながら、娘のその疑問に瞬時に答えてあげることができなかった。


今はなんでもすぐに、そして簡単に調べることができる世の中になった。

でもやっぱりそれは応用であって、基本ではないのだろうと思う。
応用もすごく大事。生きていく上で必要な術。
でもその応用も、基本があってからこそ。
基本がしっかりしてないと、応用も活きてこない。

表現が適切ではないのかもしれないけど、応用、つまり、ある器材を使おうとしても、それを操作する人によって、その器材の能力発揮には差が出るのが当然。
操作をする「人そのもの」が基本であって、結局、どんな応用も、その基本に左右される。

そう思っている。

だから人間は、生涯勉強なのだと思う。
まぁ、勉強嫌いな私が言うのも変な話だが、あのとき、そう強く思った。

たとえあのときスマホを持っていたとしても、調べることなく、瞬時に答えてあげたかったと思う自分がいる。

あのときの思いだけは、ずっと忘れずにいる自分でいたいと思う。

人は、決して一人ではないのだから。
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