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【108】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月24日 14時23分)

【文 面】

「いきなり要用のみ申し上げます。
ご多用中をかへりみずおいでいただいたのは、
決して自己宣伝のためではありません。

事柄が自衛隊内部で起こるため、
もみ消しをされ、小生の真意が伝はらぬのを怖れてであります。
しかも寸前まで、いかなる邪魔が入るか、
成否不明でありますので、もし、邪魔が入って、
小生が何事もなく帰ってきた場合、
小生の意図のみ報道機関に伝わったら、
大変なことになりますので、特に私的なお願ひとして、御厚意に甘えたわけであります。

小生の意図は同封の檄に尽くされております。
この檄は同時に演説要旨ですが、それがいかなる方法に於いて行われるかは、まだ、この時点に於いて申し上げることはできません。
何らかの変化が起こるまで、このまま市ヶ谷会館ロビーで後待機くださることが最も安全であります。
決して自衛隊内部へお問い合わせなどなさらぬやうお願ひいたします。
市ヶ谷会館の三階には、何も知らぬ楯の会会員たちが例会のため、集まっております。
この連中が警察か自衛隊の手によって、移動を命ぜられるときが、変化の起こった兆しであります。

そのとき、腕章をつけられ、偶然居合わせたやうにして、同時に駐屯地内にお入りになれば、全貌を察知されると思ひます。
市ヶ谷会館屋上から望見されたら、何か変化がつかめるかもしれません。
しかし、事件はどのみち、小事件にすぎません。
あくまで小生らの個人プレイにすぎませんから、その点ご承知おきください。
同封の檄及び同志の写真は警察の没収をおそれて差し上げるものですから、何卒うまく隠匿された上、自由に発表ください。

檄は何卒、何卒、ノーカットで
御発表いただたく存じます。

事件の経過は予定では二時間であります。
しかし、いかなる蹉跌が起こるかもしれず、予断を許しません。
傍目にはいかに狂気の沙汰に見えようとも、
小生らとしては、純粋に憂国の情に出たるものであることをご理解いただきたく思ひます。
万々一、思ひもかけぬ事前の蹉跌により、一切を中止して、小生が市ヶ谷会館へ帰ってくるとすれば、
それはおそらく午前十一時四十分頃まででありませう。

もし、その節は、この手紙、檄、写真をご返却いただき、一切をお忘れてただくことを虫の好いお願ひ乍お願ひ申上げます。

なお、事件一切の終了まで、小生の家庭へは、直接御連絡下さらぬやう、お願ひいたします。
ただひたすら一方的なお願ひのみで、恐縮のいたりであります。
御厚誼におすがりするばかりであります。
願ふはひたすら小生らの真意が正しく世間へ伝わることであります。
ご迷惑をおかけしたことを深くお詫びすると共に、バンコック以来の各別の後友誼に感謝を捧げます。

十一月二十五日
徳岡孝夫様                    三島由紀夫

二伸 なほ、同文の手紙を差し上げたのは他にNHK伊達宗克氏のみであります。
【107】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月24日 14時32分)

【レ ポ】

徳岡孝夫を乗せたタクシーは
午前十時四十分に市ヶ谷駅前を通った。

目の前に市ヶ谷会館が見える。

真っ直ぐ行けば、定刻より早すぎる。

せっかくの小春日和がもったいなく、
徳岡は手前の陸橋でタクシーを降りると
歩いて市ヶ谷会館に向った。

楯の会の制服を着た若者数人が同じ方向に歩いていた。

のんびり歩いたが、それでも五分あまりで
市ヶ谷会館に着いた。

玄関受付のところに制服姿の青年が立っている。

「田中さんか、倉田さんですか」

「違います」

「田中さんか、倉田さんはどこにいますか」

「知りません」

妙にぶっきら棒だった。

見ると入り口の会場案内に
「楯の会例会 三階」と出ている。

三階へ行ってみた。

会場には制服を着た隊員三十人ほどが座っていた。

早めの昼食なのか、カレーライスを食べている者、
コーヒーを飲んでいる者もいたが
演壇には誰も立っていない。

ここでも一人に質問したが
「下にいるはずです」と、
とりつくしまもない。

「いないから、来たんだ。
 だいたい、部屋の中では帽子をとるのが礼儀だろ」

少しむかっ腹がたった徳岡は
喧嘩を売ってみたが青年は黙って相手にしない。

徳岡は再び一階ロビーに戻った。

さっきの青年はいなくなっている。待つしかない。

十一時になった。

     
十一時五分になった。

どこに隠れていたのか、
さきの制服の若者が近づいてきた。

直立不動の姿勢をとると、言った。

「自分が田中です。さきほどお尋ねを受けましたが、
 時間を厳守せよとの三島隊長の命令でしたので
 否定いたしました。
 身分証明書を見せていただけますか」

これはただごとではない。

徳岡は自分の顔色が変わるのを感じた。

手は無意識のうちに田中が差し出す封筒を
ひったくっていた。

角型A5サイズの防水封筒に
「サンデー毎日 徳岡孝夫様 親展」と
赤のサインペンで書かれていた。

直筆の原稿を受け取ったり、
私信を交わしていた徳岡にとって
見まごうことない、三島由紀夫の直筆だった。

その場で立ったまま、ホッチキスの封を引きちぎった。

手紙と写真がでてきた。

便箋四枚、これも右上がホッチキスで止めてある。

徳岡の目があわただしく手紙の上を走った。
【106】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月21日 16時40分)

【最期の朝】

昭和四十五年(1970年)十一月二十五日。

三島由紀夫、人生最期の朝、
彼は午前八時すぎに床を離れた。

執筆が徹夜におよぶことの多かった
三島にとっては、早い時間帯だった。

夫人は子供たちを車で学校へ送ったあと、
乗馬の練習へゆく日で
三島が起きたときはもう、家にいなかった。

彼は家政婦が持ってきたコップ一杯の水を飲み干した。

小賀正義とその下宿に泊まった
小川正洋、古賀浩靖の三人が起きたのは
さらに遅れて八時五十分ごろだった。

朝食はとらず、楯の会の制服、制帽、特殊警棒を装着し、午前九時半過ぎにコロナに乗って出発した。

十分後、前夜の打ち合わせ通り、
首都高速・新宿西口ランプで森田必勝を拾った。

晩秋の青空から燦燦と陽が降り注いでいた。

四人が乗ったコロナは三島由紀夫邸の手前の
ガソリンスタンドに寄り一同は
白い車体を入念に洗車した。
そのあと、各自が親元に宛てた手紙を
スタンドわきのポストに投函した。

徳岡孝夫がサンデー毎日編集部に着くと、経理の女性が

「いまさっき、三島さんから電話があったわよ」

と告げた。

「えっ」

「かけ直しますって」

時計を見ると指定された午前十時を五分過ぎていた。

しまった。

いつもと違う出勤時間で乗り換えに少し手間どった。
しかし、かけ直すというからには、待つしかない。
そう思って腰を下ろしたとき、ベルが鳴った。

「もしもし」

三島の声だった。

「おいで願う場所というのは市ヶ谷です。
 自衛隊市ヶ谷駐屯地のすぐそばに
 市ヶ谷会館というのがありますが、
 そこへ午前十一時に来て欲しいんです。
 玄関に楯の会の制服を着た倉田または
 田中という者がおります。
 その者が案内することになっております。
 では、また十一時に」

「承知しました」

電話はそこで切れた。

三島邸にコロナが到着し門扉を開け、
小賀正義が入ってきたのは十時十五分ごろだった。

三島は立ち上がって
腰に軍刀づくりの関の孫六を下げた。
三通の命令書を出し「読め」と命じた。

小賀は立ったまま、
自分宛の封筒から命令書を抜き出して読んだ。

二人は連れ立って門に向った。
コロナの前に来ると車中の三人が敬礼し、
三島が答礼した。

ドアを開けて小賀が運転席に、
三島は助手席に乗り込み、コロナはスタートした。

新潮社の編集担当者が三島邸を訪れたのは
約束の午前十時半より十五分も遅れてからだった。

門前で家政婦が「お出かけになりました」と告げ、
原稿が入った封筒を渡した。

コロナは第二京浜から首都高に入った。

助手席の三島が
「これがヤクザ映画なら、ここで義理と人情の
『唐獅子牡丹』がかかるのだが、俺たちは明るいなぁ」
といって、歌いだし、四人の若者も和した。

午前十時四十分、コロナは飯倉ランプで高速を下り、
防衛庁の前を通り赤坂から外苑へ出た。

十時五十五分、コロナは市ヶ谷駐屯地の正門に着いた。
総監との面会の約束が通じていたのか、警護所は車中を見ただけで通した。

急坂を上ってコロナはバルコニーのある
一号館前に停車した。

定刻二分前、正面玄関で沢本泰冶三佐が出迎えた。
【105】

 ★☆〜ブレイクタイム〜☆★  評価

野歩the犬 (2014年11月21日 16時14分)

お〜♪
れおちゃん、久しぶりぃ〜♪♪ ^^

>今、見てる「網走番外地」に出てた

それって・・・「網走番外地 吹雪の斗争」かな?
「新網走番外地 嵐呼ぶ知床岬」にも出てるようよ。

>これは、前にも見てたんだけど、とってもインパクトあったから、すっごく覚えてる

へー、そうなんだ。番外地は初編しか観た記憶がないもんで・・・
安藤昇は「懲役十八年」で主役を張ったときは
元・本物のオーラを感じたけど、だんだん、芝居がかって、見えた気がしました。
ま、プロの俳優とはちゃうからねぇ

>すいません 健さんのファンなもんで^^;

健さん、逝っちゃったねぇ…
あれだけ、任侠映画で相手役を張った純子さんのコメントがないのが妙に悲しい…
健さんからのプライベート手紙を宝物にしていたというから
相当、ショックなんだろうなぁ……

>若い健さんは、子どもっぽくて、カワイイ♪

なるほろ。。。  そういう見方もあるんだ。

そうそう「単騎千里を走る」観ましたよ。
こりゃ、健さんでしか「絵」にならないですね ^^
【104】

RE:血風クロニクル  評価

reochan (2014年11月21日 02時25分)



こんばんわー♪

突然すいません


安藤昇って、見たコトあるんだけど、どこだっけ・・


って思ってたら、


今、見てる「網走番外地」に出てた

これは、前にも見てたんだけど、とってもインパクトあったから、すっごく覚えてる


すいません 健さんのファンなもんで^^;


若い健さんは、子どもっぽくて、カワイイ♪

失礼しました。

読んだら、削除して下さいー
【103】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月21日 13時10分)

【決起前夜】


十一月二十四日日午後、三島由紀夫はサンデー毎日の
徳岡孝夫とNHKの伊達宗克に電話、
さらに新潮社の担当編集者に
翌日朝の原稿の受け渡し時間を連絡する。

一同はパレスホテルをチェックアウトし、
午後四時、新橋駅近くの料亭で生死訣別の宴を張った。

仲間と別れた森田は新宿西口公園近くの
お茶漬け屋で夜食をとり、
深夜バーのレジをしていた女友だちを電話で呼び出して
人通りの絶えた道を並んで歩き、
午前一時ごろ、下宿に帰り着いた。

小賀正義、古賀浩靖、小川正洋の三人は
新宿区戸塚の小賀の下宿に泊まった。

一度は死ぬ覚悟を決めていながら、
三島隊長の命令で生き残ることになった三人である。

いかにして、二人をきれいさっぱりと死なせるか、
が最大の課題だった。

リハーサルは繰り返していても、
本番ではどんな展開になるかもしれぬ。

介錯の役は臨機応変に決めよう、と申し合わせた。

それから三人は各自の家族あてに手紙を書き、
三人そろって銭湯に行った。

三島由紀夫は自宅に戻ると、
机の引き出しからすでに書き上げていた
「豊饒の海」(ほうじょうのうみ)の
連載最終回の原稿を取り出すと、
その末尾に二行、書き足した。



「豊饒の海」完。
昭和四十五年十一月二十五日


 ―――――ー―ー―ー


それから生き残る三隊員への命令書を三通書いて、
それぞれに一万円札を三枚ずつ入れた。
逮捕、勾留されて裁判を待つ間の
身の回り品を買う準備金と思われた。

午後十時を回ったころ、三島は同じ敷地内にある別棟の両親に別れを告げに行った。

母は結婚式に出席していて不在で、
父親だけが茶の間にいた。

まもなく帰ってきた母は

「あら、今ごろ来るのは珍しいわね。もう仕事はすんだの」

と三島に声をかけた。

「うん、今夜はすっかり疲れてしまった。早く寝たいんだよ」

「早くお休みなさい。疲れていそうね。横になるのがなによりよ」

「うん、そうする。お休みなさい」

立ち上がった息子に父親が声をかけた。

「健康を考えて少し自制したほうがいいぞ」

書斎に戻った三島はなお、
親しい友人数人に別れの手紙を書いた。

整理が終わった机の上のメモ用紙に一筆の走り書きが残っていた。

「人生は短いが私は永遠に生きたい」
【102】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2015年03月21日 10時47分)

【行動計画/後段】

■10月2日

五名が銀座の中華料理店に集合。
三島が行動案を提示した。

「十一月二十五日に市ヶ谷谷駐屯地の
 ヘリポートで楯の会の訓練を行う。
 三島と小賀は車で日本刀を
 トランクに入れて持ち込む。
 決起行動が正確に報道されるよう、
 記者二名をパレスホテルに待たせておき、
 車に同乗させ駐屯地に同行させる。
 三十二連隊の隊舎前で駐車し、
 記者二人を待たせておいて五名で連隊長を拘束する」

■10月はじめ

古賀は死ぬ前に故郷の山河を見ておきたい、
として三島に北海道への帰郷を申し出る。
三島は「旅費の半分を出させてくれ」と一万円を渡す。

■10月19日

帰郷した古賀を含む全員が
半蔵門の東条会館で
楯の会の制服姿で記念撮影。

五名の集合写真と各自の一枚ずつ。

■11月3日

五名が六本木のサウナに集合。

三島が
「生きて人質を護衛し、
 無事に連れ戻す任務も誰かがやらなければならない。
 その任務を古賀、小賀、小川の三人に頼む。
 森田は介錯をさっぱりとやってくれ。
 あまり苦しめるな」と言う。

この時点で五名自決が二名に変わった。

■11月10日

三島を除く四名が市ヶ谷駐屯地内を下見し、
その結果を三島に報告。

■11月12日

新宿のスナックで森田が小川に介錯を依頼、
小川が承諾。

■11月14日

五名が六本木サウナで「檄」を検討。

三島は記念写真と「檄」を行動当日、
NHKとサンデー毎日の両記者に
渡す予定であると告げる。

■11月19日

五名が新宿のサウナに集合。

行動の細部について時間の割り振りをした。

人質をとってから自衛隊員を
集合させるまでが二十分、
三島の演説が三十分。

他の四名の名乗りが各五分、
楯の会残余隊員への訓示五分、
そのあと楯の会解散を宣言し
天皇陛下万歳を三唱する。

■11月21日

三島の命をうけた森田が三島の著書を
届ける口実で市ヶ谷駐屯地を訪れ、
人質にする予定だった三十二連隊長が
当日不在であることを知る。

銀座の中華料理店で
一同がそろった席で報告し、
協議のすえ拘束の対象を
東部方面総監に変更することが決まる。

三島は総監部に電話し、
二十五日午前十一時に
総監と面会する約束をとりつける。

■11月22日

三島を除く四名は三島からもらった四千円で
人質を縛るロープ、バリケードを築くための針金、
ペンチ、要求項目を書いて垂れ幕にするキャラコ布、
着付け用のブランデー、水筒などを購入。

■11月23〜24日

五名がパレスホテルの客室に会し、
総監拘束の演習を八回、繰り返す。
【101】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2015年03月21日 10時43分)

【行動計画/前段】

昭和四十五年(1970年)十一月二十五日、
楯の会隊長三島由紀夫以下、隊員五人が
自衛隊東部方面総監部に乱入、
益田兼利総監を人質にとり、
自衛隊員に憲法改正のための決起を呼びかけ、
三島と隊員一名が割腹自決したいわゆる
「三島事件」の行動計画については、
一審での検察側冒頭陳述によると
以下の経過をたどっている。

■3月1日
三島由紀夫が楯の会隊員三十人を率い、
28日まで陸上自衛隊富士学校
滝が原分屯地に体験入隊

■4月5日
帝国ホテルのコーヒーショップで
三島が小賀正義に会い、最後まで
行動を共にする意思の有無を打診

■4月10日ごろ
三島邸に小川正洋を呼び、同様の打診。
この段階で小賀、小川が行動を承諾

■5月中旬

三島は自宅に森田必勝、小賀、小川を招き
計画の具体策の協議に入る

■6月13日

上記四名がホテルオークラの客室に集合。
三島は自衛隊の弾薬庫を占拠、
または東部方面総監を拘束して人質とし、
自衛隊員を集合させ主張を訴え、
決起する者があれば共に国会を占拠して
憲法改正を議決させると主張したが、
森田らは兵力が不十分であるとして、反対。

三島は対案として楯の会結成二周年
パレードを十一月に市ヶ谷駐屯地内で行い、
東部方面総監に観閲してもらい、
その場で拘束を実行すると主張

■6月21日

四名が山の上ホテルの客室に集合、
人質計画を確認。武器の日本刀は
三島が搬入することとし、自動車の購入を決める。

■7月11日

小賀が三島から渡された金でコロナの中古車を購入。

■7月下旬〜8月上旬

四名はホテルニューオータニのプールに集まり、
行動参加者に新たに古賀浩靖を加えることを決める。

■9月1日

森田と小賀は古賀(小賀をチビコガ、
古賀をフルコガと呼んで区別した)を
新宿のスナックに誘い
小賀が「三島先生と生死をともにできるか」と質問。

古賀は楯の会入隊以来、日本を覚醒させるため、
生命を捨てる覚悟をしていたので別に驚かなかった。

森田が「市ヶ谷駐屯地内で行動する」と言い、
古賀は「お願いします」と参加を志願した。

■9月9日

古賀は銀座のレストランで三島に会い、
十一月二十五日の行動案の詳細、
三島自決の予定を打ち明けられ、参加を誓った。
三島は「ここまでくれば、地獄の三丁目だよ」
と言った。

■9月25日

五名が新宿のサウナに集合。
楯の会十一月例会には自衛隊関係者を
近親者に持つ隊員は参加させないことなど、
召集方法を変更。
【100】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月18日 15時35分)

【予 告】

昭和四十五年(1970年)十一月二十四日、
午後一時を少し回ったころだった。

サンデー毎日編集部に一本の電話が入った。

当日、火曜日は編集会議の定例日であり、
部員全員が顔をそろえ、翌週発行の特集記事、
対談企画、グラビアの写真選別などを行っていた。

アウトラインが決まり、
その週の担当デスクだった徳岡孝夫が
そろそろ会議を打ち切ろうとしていたころ、
留守番役の経理部の女性社員が会議室に顔を出した。

「徳岡さん、電話」

中座を断って席を立ち、
会議室を出てゆく徳岡に彼女は後ろから声をかけた。

「三島由紀夫さんからよ」

徳岡孝夫は三島由紀夫の数少ない
旧知のジャーナリストだった。

受話器をとると「三島です」と朗らかな声がした。

二ヶ月ほどまえにも三島の誘いをうけ、
銀座で飲んだ徳岡は

「おごってもらってばかりで、すみません。
 近いうちにお返しをさせてください」
と言った。

「いいんですよ。そんなこと気にしなくても」
気さくな返事のあと、三島は用件を切り出した。

「実はあす、十一時にあるところに来てほしいんです。
 ただ、このことはくれぐれも口外なさらないよう
 お願いします」

「いいですよ」

徳岡がいともあっさり、請け負ったので、
三島は拍子抜けしたように一息おいた。

「純粋に私ごとなんでね。恐縮ですが。
 しかし、女性週刊誌がとびつくような
 スキャンダルじゃありません。
 それだけは保証しておきます」

そこまで言うと三島は「フ、フ、フ…」と
受話器の向こうで含み笑いをした。

「おいで願う場所はあす、
 十時に編集部へ電話して指定します。
 あ、それから毎日新聞の腕章と
 できたらカメラを持ってきてください。
 それじゃ、あす、十時に」

電話はそこで切れた。

腕章とヘルメットは当時、学生運動の全盛期であり、
デモ取材の必需品であった。
しかし、カメラはともかく腕章を持って来いとは
妙な話だと、徳岡は思った。

デモ隊はなにかとマスコミを眼の仇にしているから、
身分をあかすようなものである。

会議室に戻ると、編集会議は雑談になっていた。

「それじゃ、仕事の割り振りはあとでするから」
と言って、徳岡は閉会を告げた。

部員たちが会議室を出ると、
徳岡は一人窓際で皇居の方を眺めていた
編集長に近づいて立ったまま低い声で報告した。

「三島由紀夫から妙な電話がありましてね。
 あす朝、腕章とカメラを持って
 どこかへ来てくれというんです。
 まあ、とにかく行ってきます」

「ふん、そうか」

編集長は短く答えた。

三島との秘密の約束を壊したくなくて
徳岡は同僚のデスクにはなにも喋らなかった。

格段の力も込めず三島が
「くれぐれも口外なさらないように」と言ったことに
かえって強く縛られるものを感じたからである。
【99】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月29日 17時48分)

【命令書】

小賀正義君

君は予の慫慂(しょうよう)により、
死を決して今回の行動に参加し、
参加に際しては、
予の命令に絶対服従を誓った。

依ってここに命令する。

君の任務は同志古賀浩靖君と共に人質を護送して
これを安全に引渡したるのち、
いさぎよく縛につき、
楯の会の精神を堂々と、
法廷に於いて陳述することである。

今回の事件は、楯の会隊長たる三島が、
計画、立案、命令し
学生長森田必勝が参画したものである。

三島の自刃は隊長としての責任上、当然のことなるも、
森田必勝(まさかつ)の自刃は、
自ら進んで楯の会会員及び
現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、
身自ら範を垂れて、青年の心意気を示さんとする
鬼神を哭かしむる凛冽の行為である。

三島はともあれ、
森田の精神を後世に向って恢弘(かいこう)せよ。

しかしひとたび同志たる上は、
たとひ生死相隔たるとも、
その志に於いて変りはない。

むしろ死は易く、生は難い。

敢えて命じて君を艱苦(かんく)の生に残すは
予としても忍び難いが、
今や楯の会の精神が正しく伝はるか否かは
君らの双肩にある。

あらゆる苦難に耐へ、忍び難きを忍び、
決して挫けることなく、初一念を貫いて、
皇国日本の再建に邁進(まいしん)せよ

                                            楯の会隊長
                                            三島由紀夫

昭和四十五年十一月
小賀 正義君


(原文かなづかいママ、ふりがな筆者)
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