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【268】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年05月03日 12時23分)

【1月27日付け夕刊】


■早版 一面
        酒井社長殺し

       妻と女子社員に逮捕状

   保険金目当て自供  レンタカー、小倉西港に捨てた



■最終版 一面
        酒井社長殺し

        妻と愛人が自供

     中年男、加え凶行  保険金狙う

(いずれも小倉北署へ出頭する愛人の豊子、
   葬儀で弔問客に対応する妻、清美の写真入り)



【1月28日付け朝刊】

■一面  
        愛人の社員逮捕

      共謀の夫に逮捕状 妻は供述得られず

□社会面
      中村夫婦、推理小説もどき

        七年前に蒸発偽装

       豊子、ひそかに連絡とる

※前日夕刊で写真まで掲載した妻、清美は
  供述が得られず逮捕が見送られたため
 「清美さん」と呼称を戻す。



【1月28日付け夕刊】

■早版

      妻、清美さんから再聴取

         捜索のレンタカー発見

■最終版

        妻、清美 共謀認める

           夕刻にも逮捕



【1月29日付け朝刊】


■早版一面

       「社長殺し」死体は別人

    酒井首謀の替え玉殺人 妻、愛人が全面自供

         被害者は福岡市の男

        酒井? 下関で列車自殺

□社会面
       別人手配の連続ミス 供述デタラメづくめ


■中版一面
        「社長殺し」は替え玉だった

        首謀・酒井 発覚後に自殺

         妻、愛人が全面自供


□社会面
        「この女らはしぶとい」声震える捜査幹部
          会見中「酒井自殺」飛び込む

       「まさか」遺骨なき被害者の妻、泣き崩れる


■最終版一面
        「社長殺し」死体は替え玉

      酒井が偽装、発覚後に自殺 妻、愛人が全面自供
     豊子の夫、無関係   酒井、警察へ自供遺書
            指紋照合怠る



□社会面
        どんでん返し 捜査陣真っ青
 
                 替え玉死体、一週間気付かず

          冷血男   酒井死のワナ

      「むごい」  遺骨なき被害者の妻 
               警察に怒り、花束突き返す




金は人を狂わせ、人は人に狂わせられる。

初動捜査のミスと妻、愛人を巧みに操って
生き延びを図った酒井隆。

一時は警察とマスコミを手玉にとったかに見えた男の精算はやはり、自らの命しかなかったのである。
【267】

酒井の遺書  評価

野歩the犬 (2015年05月01日 17時21分)

■酒井の遺書・全文 

 (かな遣いママ、一部伏せ字、地名は当時の表記)



佐賀、福岡両県警本部長殿

星賀港の殺人事件については
大変御迷惑をおかけいたしましたが、
全て私の計画のもとに、私自身が実行した事であり、
家内、中村さん、○○君
(注:清美の実弟)には関係ない事で、
私自身、家内、中村さんの猛反対をおしきり、実行後、
強行に口裏を合わせるようにおしつけて
おった次第ですので、
このままゆるしてやってください。

といった所でゆるせる事でもないでしょうが、
いつわりのない本当の事を書きとめますので、
前述の者達えはなにぶん、御寛大なる
処置を切に御願いいたします。

特に○○君については本当に何も知らない事で、
私が家内にレンタカーを借りてもらうように指示し、
それを家内が動けないものだから、
○○夫妻にたのんだだけの事です。

永くなりますので本題え入ります。

動機としては私の放漫経営から膨大な借金を作り、
高利の金を借りるようになり、
仕事がうまく行ってる時は、まわしまわしで、
どうにか、やりくりをして来たのですが、
ご承知の通り冷夏と不景気のダブルパンチで
最悪の状態となり、金利すら
払えなくなってしまいました。

しかも、気がついた時には
四億近い借金になってしまい、
金利だけでも月五百万はなくてはならなくなり、
それを作る為、又高利の金を借りることになり、
しかも私には元々、財産がある訳でもなく、
担保の変りに自分の身体をかけて生命保険に入り、
それを担保変わりに借りる以外に方法がなかったのです。

これら保険料だけで月に百万近い支払いを
していたのですから、
今さらながら無理な事は重々分かります。

昨年十二月以降はそれらの取り立てが厳しく、
私は仕事にかこつけて家に居ない方が多く、
病弱な家内が一つ一つことわるのを見るにしのびなく、
又後半は暴力団関係が再三家に来るようになり、
どうする事も出来なくなってしまい、
前述の生命保険があるので
私が死ぬ事が一番良い事だと判断し、
対税務対策、又私のいなくなった後の借金の
いざこざをなくす為、
受取人名義を妻えもどした訳です。

(↓)
【266】

酒井の遺書  評価

野歩the犬 (2015年05月01日 17時18分)

こざかしい事とお笑い下さるかも分かりませんが、
四億近い借金がある以上、
自殺ではどうにもならないから、
何とか業務中の事故死に
もって行こうと真剣に考えました。

この間は信じてくれと御願いしても
無理かも分かりませんが、
本当に私自身が死ぬつもりで方法その他を考え、
初めて妻え相談し、賛同をえようと思ったのですが、
猛反対を受け、もう一度最初がはだかだったのだから、
一から出直せばと、何度も引き止められたのですが、
借金を払い、なおかつ、今まで通り
酒井水産(九月と十一月に不渡り)を
維持して行く上においては、
私が事故で死ぬ以外に方法はなかったのです。

給料も未払い続きなのに、
社員は皆良くやってくれたし、
何とかもう一度、たて直す為には
自分がまいた種ではあり、
私が責任をとるのは当たりまえの事であり、
私が死ぬ事を決心しました。

色々取沙汰されているようですが、
私の借金の中で一番大きいのは中村さんで、
もちろん中村さん自身よりも
外の人から借りてもらっているのが
ほとんどという事も分かっています。

金額にして七千万くらいになるかも分かりません。

かれこれ、四年になりますが、
最初は投資のつもりがだんだん金額が大きくなり、
引くにひけなくなってしまったのです。

不渡りを出した段階で車、その他会社の権利当を
暴力団がおさえると云いだしたので、
急ぎ中村水産え変更し、
中村豊子名義で車も変えてしまいました。

この段かいで初めて中村さんえ
この話をしたのですが、
やはり猛反対で、何の為にこれだけ
力を入れて来たのかと
強く反対されました。

年が明けてすぐ実行するつもりでしたが、
保険金受取人の変更手続きをすませ、
保険証書がかえって来るまで待ってからと、
のびのびになってしまったのです。

その間、相変わらず取立てはきびしく、
十二月中旬以降は家で寝ることも出きず、
昼間もあまり人前に出れない状態で、
別にすることもなく、
(実際に自分が死ぬ事で金が入って来ると、
 あんかんとしていました)

たまたま以前に行っていた競ていに、
何の気なしに行ったのですが、
どこの誰とも分からない人が数かぎりなくいるし、
気がるに話しかけて来る。

この時、今になって考えれば
本当に申し訳ない事ですが、
死ぬ気になればなんだって出来る。

これは私の身勝手で意味をはきちがえている事は
重々分かっていますが、
その時はとっさにそう感じたのです。

この中の誰かが私の身変わりになれば、
なにもかもうまく行く

(こんなことを書けばお腹だちは
 ごもっともですが、おゆるしください)

そう直感し実行することを考え、
家内と中村さんに相談したのですが、
そんな恐ろしい事を、と笑って相手にしてくれません。

再三再四、強行にくどいたのですが、全然反応はなく、
私自身、私が死ぬか、この事を実行するか、
二つに一つだと言ったのですが、
うてあってもらえません。

(↓)
【265】

酒井の遺書  評価

野歩the犬 (2015年05月01日 17時14分)

私自身、一月十五日までには死のうと
思っていたのですが、
延び延びになっていたので、
いささかあせってはいました。

どちらにしても時間がないので、
この恐ろしい計画を実行した場合、
後、私がどうするのか、どこに逃げるのか、
その事を考え、一月十五日、
私の名前でアパートを借りれば
すぐに分かるので、長女が高校を出て
福岡の専門学校に行くのを利用して
娘のアパートを探しに行くという事で福岡え行き、
室見(注:福岡市西区室見)のパール岡本を
中村豊子名義でかりてもらいました。

女性の方が安心するからと、
中村さんには了承してもらいました。

ひまを見て二度程ふとんその他を運び込み、
そちらで買ったのは中古の冷蔵庫(一、四〇〇〇)と
ガス台だけです。
電話は一月二十四日に設置しました。

この段階では中村さんも妻も、
うすうすは感じていたようですが、
もう何も云いませんでした。

ただ、私があまりにもごういんなので、
云わせるスキを与えなかったようです。

当初、車をどれにするか分からず、
又帰りの事を考え、取りあえずレンタカーを
前述のような状況のもとに借りさせておきました。

二十一日実行するつもりは
はっきりしてなかったのですが、
若松ボートえ昼すぎに中村さんと一緒に行き、
たしか四レースぐらいだったと思います。

中村さんは一度一緒に入ったのですが、
気分がすぐれずに、すぐに車にもどって
やすんでいたようです。

たしか、六レースぐらいの時に
中年の男性がはずれ券を
ひろってまわっているのに行き当たり、声をかけた所

「ワシが予想するけ、小ずかいをくれんね」

というので、これはもっけのさいわいと思い、
いくらかと聞くと、一万円くれ、そのかわり、
かならずもうけさせる、
と云うので、取あえず、五千円やり、
後は終ってから、と云う事で
最後までその通りに舟券を買ったのですが、
一度も当たらず、自分の百円券が二枚だけ当たり、
これは縁起ものだからと、一枚私にくれました。

この間、ボートの話ばかりで、
お互に名前も住所も知りません。

帰る時になって残りの五千円をくれ、
と云うので、負けたのにやれるか、と云うと、
明日からの唐津ボートでかならずもうけさせるから
一緒に行こうと、しつこく迫るので、
この時、これは丁度良い相手だと感じ
(不まじめで申し訳ありません)
どこから来たのかたずねた所、福岡というので、
とっさに私もうそをついて、
福岡だが、一緒に乗って帰らんね、
と云うと、それなら是非と、車に来たので、
私が運転し、その人が助手席で車を走らせました。

(↓)
【264】

酒井の遺書  評価

野歩the犬 (2015年05月01日 17時10分)

この時には五千円の話は全然出ず、
ボートの話ばかりをしていました。

私は小倉に一つだけ仕事があるから、と了承をとり、
熊谷町の家に行き、この時、
レンタカーのキーは私が持っていました。

中村さんにだまってレンタカーを
取って来てもらいました。

途中、八幡中央町の古仙で食事をしました。

たしかビールを二本飲んだと思います。
私も中村さんも車があるので
口をつけただけで飲んでいません。
中村さん自身はあまり食事も進まず、
下を向いたままでした。

三十分ぐらいで食事を終り、
六時半くらいに古仙を出たと思います。

八幡インターから高速に入り、御調べの通り、
クラテ(注:福岡県鞍手郡鞍手町のこと)
パーキングで、雪うさぎ(注:地元の銘菓)を
三個買い、家え電話を入れました。

高速に入って、その人はすぐに
いびきをかいて寝てしまいました。

いやな言葉ですが、どうしてやるかについては
何も考えていなかったのですが、
以前、魚の関係で前原(注;福岡県糸島郡前原町)から入ったたしか西ノ浦と思いますが、
人通りも少なくて良いんじゃないか、
と考え、そちらの方へ車を走らせていると・・・・
城へきとヒョウ識が出ていたので、
そちらの海岸え行った所、
アベックの車が一台いたので、
私が先に引返えしたのですが、
中村さんが砂浜えタイヤをのめりこませ、
動かなくなっていたので、
仕方なくそのアベック(まだ若い)
に手つだってもらったのですが、全然動かず、
仕方なく私が近くの家からロープを借りて来ました。

この時、その人は目をさましました。
どうにか車を引っぱってロープをかえし、
アベックもすぐに立ち去りましたが、
目をさましたので、どうすることもできず、
仕方なく、そこから一番奥の西ノ浦まで二台で行き、
その人には、仕事の都合で車を持って来てやっと、
一台を空き地に置き、この時も横に
アベックの車が一台おりました。

今度は一台で引きかえし、その時は中村さんが運転し、
その人が助手席に乗り、私が後ろにすわりましたが、
目をさましたので、どうすることも出来ません。

仕方なく私が砂浜にガソリンのポリ容器を
くくっていた小さいロープを忘れて来たし、
ロープをかしてくれた人にお礼の
お菓子を持って行くから、
もう一度砂浜へ行ってくれと中村さんえ指示し、
いきかけたのですが、中村さんは動ようしているのか、
一度道に迷いましたが、
なんとか元の場所につきました。

私もどうしていいか分からず、迷ったのですが、
意を決してロープで首を後ろからしめたのですが、
すごい抵抗にあい、又中村さんがやめて下さい、
やめて下さい、と止めるので、どうにもならず、
最初からつんでいた金属バットでなぐりました。
むちゅうだったので、この時の事は
あまりおぼえていません。

(↓)
【263】

酒井の遺書  評価

野歩the犬 (2015年05月01日 17時05分)


その間も中村さんが止めるので、中村さん自身も
何度かなぐられていると思います。
この時に一台、車が来ましたが、
海岸の方え行ったので、
気がついていないと思います。

その人は力が強いのと、その時は
意識がはっきりしていたので、
私一人の力ではトランクに入れる事が出来ず、
中村さんに手つだわせて、トランクに入れました。

その後、私が運転し、西ノ浦まで
レンタカーを取りに行き、
二〇二号線を唐津え向けて走りました。

私は手袋をしていたのですが、
血がついたので、その手袋は
西ノ浦に行くまでの間に捨てました。

車を落す場所としては、最初から私が死ぬ時でも
星賀港に予定していましたので、
問題なく星賀港まで走らせました。
途中、大部あばれているらしく、
すごい音がしていましたが、
私も恐かったので一度もトランクはあけていません。

先にレンタカーを星賀港におき
(この時も車とすれ違い)
私の洋服に着換えさせる為に、
貴署調査済みの農道え行きました。

ここも行き当たりばったりで、
少し入った所だから分からないだろうと
車をとめ、トランクを明けた所、
容器に入れていたガソリン
(最初から容器に半分くらいしか入っていない)
がほとんどこぼれていて、ふたも取れていました。

新聞に出ていたように、このガソリンは焼く為とか、
そんな大げさなものでなく、
以前の日曜日用(注;予備用の意味か)が
そのまま、残っていだけの事です。

油まみれだったのですが、一度トランクから出して
私が着ていた物全て着せました。

私は下着もつけず、その人のズボンをはいて、
その人を運転席にすわらせ、
私が助手席にすわり、下りだったので、
ハンドル操作だけで
現地へ行き(この時も一台、車とすれ違った)
ギアをドライブに入れて、
私は助手席から、飛び降りたのですが、
車が途中で引っかかり止ってしまい、
丁度この時前方にライトをつけた車が見えたので、
このままではどうにもならないと、
とっさにマークIIに乗り、
私が運転してバックでつき当て、
落ちるのお確認する事もせず、
急発進し、逃げましたが、カーブをまがりきれず、
ブロックに前部を当てましたが、そのまま逃げました。

(↓)
【262】

酒井の遺書  評価

野歩the犬 (2015年05月01日 17時25分)


トランクが開いたままだったので、気が気ではなく、
止まろうとは思いつつも気がせいたので、
そのままつっ走り、途中、山道でパトカーと逢った時は
だめかと思ったのですが、
気がつかなかったみたいだったので、
唐津の町中に入る前、たしか
スタンドの横で配線とロープで
何とかドアをしめて、検問にあう前に
唐津を逃げようと走りました。

途中、二〇二号線に来て、
その人のくつやシャツ、ジャンパーなどを
少しずつ海になげたのですが、
シャツは道路にもどってきたみたいです。
バットは高いガケから、だんがいの所えすてました。

途中パール岡本により、私は着がえて、
中村さんは少しついた血を落として、
レンタカーにもどりました。

私がはいていたその人のズボンは
藤崎(注;福岡市西区藤崎)
あたりの工事現場えセブンスター(封は切っていない)
と一緒に投げすてました。

高速の検問が気になったので、
途中、中村さんと運転を変り、
八幡インターからおり、
西港(注:北九州市小倉北区西港)で
キーをぬいて海え落しました。

以上がつつみかくさぬ本当の事です。

この後もう一度レンタカー(浅野、小倉興産前)を
かりるつもりで、中村さんと家内と
小倉興産前で落ち合ったのですが、
レンタカーがまだ営業していなかったので、
御調べの通り三人でタクシーに乗りました。

そしてパール岡本前で降り、
二十六日までほとんど外に出ず、
アパートにおりました。
私の借金の為に、どなたかは分りませんが、
大変な事を仕出かし、
本当に申し訳なく思っております。

又、ことわりきれなかったとは云え、
中村さんを犯罪にまきこみ、
一生をだい無しにした事は
私が死ぬ事で解決する訳ではありませんが、
今の私に出来る事は死んで
お詫びする以外に方法はありません。

最後にもう一度、殺人者の私が
御願い出来るすじ合いではありませんが、
妻、中村、○○の御寛大なる御処置を
呉々も御願い致します。

そして一日も早く名前も分らない人ですが、
さがし当て、御めい福を御祈りして上げてください。

この方にも家族はいると思います。

何と御詫びして良いか分りませんが、
せめて私の命にかえて御詫びさせていただきます。

  昭和五十六年一月二十七日

                    酒井 隆

佐賀
福岡   両県警捜査本部長殿

追伸  私が一番気にしていたのは血液型です。
    私の血液型はAB型です。
【261】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月30日 17時20分)

【自 殺】

早版用の一面本記、社会面サイド記事作りで
殺気立っていた北九州市小倉北区の
読売新聞西部本社編集局で午後八時、
地方部デスクが大声を張り上げた。

「社会部さん、いま下関支局から入った連絡だと
 酒井が山陽本線新下関駅で
 飛び込み自殺したらしい !」

「なんだってぇ!」

「本当かぁ!」

どんでん返しに次ぐ意外な事件の結末に
編集局内は再び暗然となった。

酒井隆は午後七時四十二分、
国鉄山陽本線新下関駅六番ホームから
小郡発、下関行き下り普通列車に飛び込んだ。

スポーツシャツ、グレーのスラックスの酒井は
腹部を轢断され即死状態だった。

ホームにはピエール・カルダンの
コールテンジャケットと手提げバッグ、
靴がそろえて置かれ、ジャケットのポケットから
現金十一万百円入りの財布、
新下関〜岡山間の特急券が見つかった。

また、バッグには
「佐賀、福岡両県警本部長殿」と書かれた
便せん十四枚にわたる長文の遺書、運転免許証、
単行本「三菱商法」や清美の写真、電卓、パジャマ、
下着、ネクタイなど八十六点の遺留品があった。

酒井自殺の一報が小倉北署の
捜査本部に入ったのは午後九時十七分、
福岡県警捜査一課長の梶原らが、
清美の逮捕を発表するため
この日、二度目の会見をしている最中だった。

酒井を逮捕し、事件の真相解明を目指していた
捜査本部にとっては
最悪のシナリオが現実となった。

「会見の途中ですが、酒井らしい男が
 新下関駅で自殺したようで …」

差し入れられたメモに目を通した梶原は
会見を打ち切り、席を立った。

酒井の身元確認には佐賀県警捜査一課、
刑事指導官の塚本と山口県警捜査一課長の
永岡哲正らがあたった。

残されていた酒井の運転免許証や
酒井の実兄、勲の証言で
ほぼ、酒井とされていたが、捜査本部が
「死体は酒井隆」と公式発表したのは
自殺から六時間もたった
二十九日午前一時半だった。

酒井は昭和五十年(1975年)長崎県下で
交通違反の検挙歴があったので、
長崎県警から保存指紋をとり寄せ、
照合したためである。

山口県長府署で深夜の会見に臨んだ塚本は

「今回ばかりは念には念を入れまして …」

と報道陣に苦しげな表情で語った。

唐津署に護送された妻の清美は
捜査員から酒井の自殺を聞かされ

「自分だけが死ぬなんて余りにも勝手すぎます。
 私が死にたかった …」

と、もらした。

中村豊子に酒井自殺が知らされたのは一ヵ月後である。

酒井に責任の全てを転嫁されるのを
防ぐためだったが、豊子も捜査員に

「社長は卑怯です」

と、だけ言い絶句した。

酒井の生存を最後に見たのは
潜伏先の福岡市西区のマンション
「パール岡本」の管理人の依頼で
五〇二号室のチャイム修理に訪れた電器店員だった。

一月二十五日午前九時ごろのことである。

「ドアをノックすると四十歳くらいで
 ボサボサ髪の男が出てきました。
 六畳の居間の電気コタツの上でノートのような
 ものを広げて何かを書いているようでした」

酒井はこの部屋にテレビを置き、
全国紙とスポーツ紙も購読していた。

二十五日までの捜査でレンタカーの
不自然な盗難疑惑などが報道されていることを知り、
覚悟の遺書を書き綴っていたのだろうか。

五〇二号室の新聞受けには
二十八日付け朝刊が差し込まれたまま、
になっていたことから、酒井は二十七日深夜、
この部屋を出た、と見られる。

妻の清美から「もう、自首して」と
電話があった夜である。

岡山行きの特急券を持っていたことから
高飛びを図ろうとしていた可能性が高い。

それが一転して死を選んだのは、
清美の替え玉自供を知って
逃げ切れない、と観念したからなのか。

新下関駅のホームに残されたバッグには
イヤホン付きのトランジスタラジオも入っていた。

(逃葬者/本編・完)
【260】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月30日 17時14分)

【編集局】

清美が替え玉殺人の核心に触れる
供述を続けていた午後四時ごろ、
読売新聞西部本社福岡総局の県警キャップ、
古市悟は廊下で出会った顔見知りの捜査員から

「佐賀の事件はどうも替え玉らしいね …」

と耳うちされた。

「替え玉?」
  
古市は初め、事情が飲み込めなかった。

発生以来、自社を含めて報道機関は連日、
この事件を大きくとりあげ
この日の朝刊でも

「社長殺し 愛人逮捕」 「共謀の夫に逮捕状」

と一面トップで報じている。

キツネにつままれた思いで

「と、いうと酒井が生きている … そんなバカな」

と聞き返した。

「それがどうも本当らしい。
 自分たちも信じられないんだよ」

捜査員も腑に落ちない顔つきである。

発生直後から何度か小倉北署へ応援に飛び、
豊子の逮捕で大詰めを迎えたこの日も
朝から府警詰め記者二人を
小倉へ出していた古市だったが、その二人からは
これまでに替え玉に関するなんの情報もない。

小倉北署詰めのキャップの高井信義や
サブの高倉泰隆も張り付いているはずだ。

古市は釈然としないまま、
とりあえず総局デスクの渡辺晶に一報した。

福岡総局と小倉の西部本社社会部を結ぶ
ホットラインでこの一報を受けた
朝刊デスクの田中豊英は仰天した。

話を聞いた社会部長の藤丸忠成は警察担当デスクで
この日の夕刊を担当した永松修に叫んだ。

「大至急、確認だ、古市と高井にウラをとらせろ!」

「東京、大阪の早版用に一報を作れ!
 それから遊軍、全員を呼び出せ!」

と怒鳴った。

小倉北署の高倉から

「記者クラブでもそんな話が出ている。
 捜査幹部は五時半に緊急記者会見をするというだけで
 ノーコメント、替え玉は間違えなさそうだ」

と連絡が入った。

編集局は騒然となった。

替え玉にされたのは誰だ?

酒井は捕まったのか、他に共犯は ―――

警察の発表次第ではどんな展開になるのか、
予想もつかない。

紙面のレイアウトを割り振りする整理部デスクからは

「いつになったら、原稿はくるんだ!」

と矢の催促である。

だが、定刻になっても会見は始まらない。

「まだなのか、警察はなにをしている!」

高倉に連絡をとった永松は思わず電話口で怒鳴った。

東京、大阪本社の早版の締めきり時間まで
あと、いくらもない。

ミステリー小説まがいの保険金犯罪では
前例のない意外で残忍な事件。

なんとか、早版から記事を叩き込まなければならない。

午後五時五十五分、定刻より二十五分遅れて
小倉北署三階会議室で記者会見が始まった。

前日「中村豊子を酒井社長殺人容疑で逮捕しました」
と自信にあふれた表情で発表した
県警捜査一課長の梶原成一と
小倉北署刑事官、河野悦三が苦渋の表情で席についた。

「発表します。  被害者は酒井水産社長、
 酒井隆ではなく、実は …」

発表文を読み上げるや、
五十人の報道陣から矢継ぎ早に質問が飛んだ。


「酒井の身柄は …」

「指紋照合は捜査のイロハ、それを怠ったのは …」

会見の途中で高倉は会議室を飛び出し、
本社に会見の内容を吹き込んだ。

同時刻、唐津署でも会見が開かれた。

「替え玉にされたのは酒井とは一面識もない
 福岡市西区 …」

「酒井の所在はつかめていない」

発表の内容が次々に電話で社会部に送られてくる。
それをひったくるようにホットラインで関連取材を
福岡総局に手配する永松。

次々に明るみに出る替え玉殺人の全容に
編集局は一段と緊迫した。
【259】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月30日 17時10分)

【完落ち】

次の瞬間、野口と武田は自分の耳を疑った。

清美が「実は主人は生きています」と
言い出したからだった。

思わず「そんなバカなことがあるか!」と
野口が一喝した。

武田も

「これだけ、子供のことを思って
 本当のことを言いなさい、
 と言っているのがわからないのか!」

と怒鳴った。

「待ってください。本当に死んだのは
 主人ではありません」

清美は哀願口調になった。

それでも武田は

「まだ、ウソを言うのか」と語気を強めた。

「とにかく聞いてください」

清美はそれだけ言うと、ポケットから
一枚の写真をとりだした。

清美はこの瞬間を予想してか、朝、家を出る時、
最近撮った酒井の写真をしのばせていた。

その写真は遺体の顔と似ても似つかぬ
一見して別人とわかる
酒井のスナップショットだった。

青ざめた野口は取り調べを中断して
四階の捜査本部に駆け上がった。

二十五日から小倉北署に詰めていた
佐賀県警捜査一課の刑事指導官、塚本三男に報告した。

「えっ!  まさか …」

声にならない動揺が走った。

「野口警部、酒井の所在を突きとめるんだ!」

刑事一課長、石橋の声に野口は
弾かれたように調べ室に戻った。

武田が清美の口から聞き出した
酒井の潜伏先のマンション
「パール岡本」と部屋の電話番号をメモにとっていた。

部屋に電話を入れるが応答はない。

捜査員がマンションへ飛ぶ。

塚本は焦った。

「酒井はどこへ行ったのだ」

「自殺しなければいいが …」

焦燥は最悪のシナリオを想像させ、
小倉北署は混乱した。

清美のどんでん返しの供述は塚本を通じて
唐津署の捜査本部にも至急報として伝えられた。

唐津署では前夜、小倉北署から護送されてきた
中村豊子の取調べ中だったが
予想もしなかった清美の供述に誰もが顔色を失った。

直ちに遺体から採取していた指紋を
警察庁に送って照合を依頼する。

遺体の主に前歴があり、照合はヒットした。

「福岡市西区、元建設作業員(四六)」

清美の替え玉供述が裏付けられたのは午後三時ごろ、
豊子が「完落ち」したのはそれから間もなくである。

「申し訳ありませんでした」

と涙も見せず、淡々と替え玉殺人の経過を供述し始めた。

豊子はそのときの心境を後の公判で

「もう、社長に逃げてもらいたいという
 気持ちはありませんでした。
 奥さんから『全てを話すのはもう少し待って欲しい』
 と、言われたので約束を守ったのです」

と述べている。

小倉北署では清美が替え玉殺人の計画から犯行の動機、
遺体確認までの経過を一気に自供していた。

野口が調書をとる間、清美の頬を伝って
涙がとめどなく流れた。

星賀港での事件の一報を聞いて以来、
周囲の目を絶えず気にして

「緊張の連続で何をしているのか
 自分でも分からない毎日。
 本当に主人が死んだ、という錯覚に陥っていた」

清美である。

その不安と緊張から解放されたためか、
野口の質問にもやっと素直に答え始めた。
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