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【238】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月27日 11時57分)

【発覚の驚愕】

証拠になる遺留品を次々に海岸線に捨てたあと、
二人は犯行前に隠れ家として借りていた
福岡市西区愛宕のマンション
「パール岡本」に立ち寄った。

午前二時を回っていた。

寝静まったマンション横の暗がりにマークIIを止め
エレベーターで502号室へ。

部屋に入った豊子は急いで右手の親指や左の手のひら、
さらに右そでに付いた男の血をふきとり、
酒井はズボンとシャツを着替えて手を洗った。

時間にしてほんの二、三分。

豊子は

「社長はここにいた方が安全。私一人で帰ります」

と部屋を出ようとしたが
酒井は「俺も一緒に帰る」と聞かず、
二人でマンションを出た。

北九州市小倉北区の北九州道路
紫川インターまで来た時、酒井は

「レンタカーがあると犯行がばれるので海に捨てる」

と切り出した。

うまくスカイラインを落せなかった今となっては
レンタカーは最大の証拠品である。
絶対に処分しなくてはならない。

酒井が「ここから海へ落とす」と言ったのは、
国道199号を通って小倉北区西港の
板櫃川河口まで来たときである。

豊子が車を降りた。

見守っていると、再び「ガタン」と音がして
マークIIが星賀港と同様、
岸壁の縁石にひっかかって停まっていた。

走ってきた酒井は

「また、失敗した。別の車を使わなくては …」

とあわてている。

一刻も早く次の行動に移らなければならないのに
タクシーを拾える場所ではない。

電話ボックスもなかった。

二人は一キロほど歩いて
西鉄戸畑線の日明西口電停に出た。

酒井は公衆電話を見つけると自宅の清美に電話した。

午前三時半だった。

自宅でじりじりとしていた清美は電話にとびついた。

受話器から聞こえてくるの
はまぎれもなく夫の声である。

「唐津署から電話がありましたよ。
 あなたが事故で死んだ、という連絡でした」

清美の話に酒井は愕然とした。

もう、事件が発覚している。

計画では星賀港に落とした車から
替え玉の死体が見つかるのは数日後と考えていた。

その間に今後の逃亡生活について
新たな計画を練るつもりだった。
それが現場から北九州に戻る
途中に死体が発見されている。

どうしてこんなに早く発覚したのか。

酒井は星賀港でスカイラインを海に落とした直後
岸壁の向こうに車のライトが見えたことを思い出した。

あの車が発見したのか。

きっとそうだ。

そして、逃走の途中、すれ違った
パトカーは星賀港の住人からの
通報で現場に向かっていたのだろう。

当時はパトカーに停止を求められないよう祈るだけで
ほかのことを考える余裕のなかった酒井だったが、
清美の話を聞いてこれまでの出来事が一本の線に結ばれ
自分たちが急速に追いつめられているのを感じた。
【237】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月27日 11時54分)

【怨念の風】

星賀港から地区の住人や釣り人に
運よく姿を見られることなく
間一髪、逃げ出した酒井は北九州市に向け、
レンタカーのコロナマークIIをフルスピードで走らせた。

助手席では豊子が顔をひきつらせている。

二人はひと言もしゃべらなかった。

一秒でも早く、
一メートルでも遠く
現場から離れよう。

二人の胸の中はこの思いだけだった。

マークIIが現場から急発進した直後、
海に突き落としたスカイラインが釣り人に発見され、
唐津署が動き出したことを二人は
もちろん、まだ知らない。

逃げることに夢中な酒井は運転も乱暴になり、
岸壁だけでなくあちこちに
犯行の足跡を残してゆく。

二十二日午前零時四十分、
岸壁から一キロほどの県道わきの住人は
トイレに起きたとき、車が何かに
ぶつかるような音を聞いた。

翌朝、住人が玄関前に出てみると
拡幅工事のため、道路わきに
置いてあった作業用の
コンクリートブロックと
赤色標識灯がはじき飛ばされていた。

路面にはくっきりと急ブレーキをかけた
タイヤ痕が残っていた。

ブロックをはじき飛ばし、さらに逃走を続けた酒井に
このあと肝をつぶすようなことが起きた。

前方からパトカーが赤色灯を回し
サイレンを鳴らしながら走ってきたのである。

星賀港に向かうパトカーだった。

豊子はパトカーを見て

「もうダメ、犯行がわかってしまう」

と一瞬、観念した。

マークIIは星賀港の岸壁で
後部をスカイラインにぶつけて
海に落とした際、トランクが壊れて
ふたが開いたままになっていた。

酒井もそれに気付いていた。

だが、車をとめてふたを閉める時間すら惜しかった。

少しでも遠くへ現場から離れたい、
という一心でハンドルにしがみついていた。

もし、パトカーに停止を命じられたら
犯行を隠し通せないだろう。

だが、パトカーはマークIIの
異常に気付かず通り過ぎてしまう。

酒井は豊子に

「こっちへ引き返してこないか、後ろを見とけ」

と命じた。しかし、開いたトランクが
邪魔になって後方の視界は見えない。

パトカーをやり過ごしたあと、
酒井は狂ったようにアクセルを踏み込んだ。

唐津市内に入った。

ここからは市街地で検問の恐れがある。

酒井はやっとガソリンスタンド横にマークIIをとめ
急いでコードとロープを使い
なんとかトランクのふたを閉めた。

再びマークIIは深夜の道を疾走した。

福岡県糸島郡二丈町まで来た。

ここは星賀港のある肥前町と酒井が男を殴りつけた
福岡市西区今津のほぼ中間付近にあたる。

玄界灘に沿って東西に国道202号が走り、
海岸線は起伏に富み、
ところどころに崖がそそりたっている。

酒井はこの二丈町で遺留品を処分した。

まず後部座席に積んでいた男の衣類を入れた
黄色いプラスチックの箱と金属バットを
高さ七メートルの崖から海岸線に向かって捨てた。

約一キロ走ったとき、
酒井は「まだ、あった」と車を止め
運転席と助手席の間にはさまれていた
男のメリヤスのシャツを海岸に向かって投げ捨てた。

強い風にあおられ、シャツは道路まで舞い戻ってきた。

酒井はそれを見た瞬間、
替え玉にされた男の怨念を見たような気がした。
【236】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月27日 11時50分)

【妻】

唐津署の中原が酒井隆の名刺に
刷り込まれている電話番号を回したのは
午前三時に近かった。

呼び出し音が数回したあと、すぐに女性が出た。

酒井の妻の清美である。

「もしもし、酒井さんのお宅ですか」

「はい、そうですが …」

「こちらは佐賀県の唐津警察署ですが、奥さんですか」

「はい …」

「奥さんは中村さんという方が所有している
 赤の日産スカイラインを知っていますか」

「主人が乗って出ています」

清美は酒井からあらかじめ言われていたままに答えた。
冷静に応対したつもりだったが

「夫と中村さんはとうとう殺人を決行したに違いない」

と思うと受話器を持つ手が小刻みに震えた。

「佐賀県の星賀港というところで
 事故を起こしたようです。
 ご主人は家を出る時、どんな服装でしたか」

しばらく沈黙したままの清美に
たたみかける質問だった。

「茶色のコールテンジャンパーを着ていました」

清美は酒井が指示した言葉を
思い出しながらゆっくりとしゃべった。

「黒か紺のブレザーを着ており、
 ポケットに名刺がたくさんありました。 
 お気の毒ですがご主人は亡くなられました。
 すぐ唐津署まできてください」

電話を切ったあと清美の頭はしばらく混乱していた。

酒井は「遺体には茶色のジャンパーを着せておく」と言ったはずだ。

だが、今の警察からの連絡では
「黒か紺のブレザーを着ている」という。

事前の話と違う。

ひょっとしたら、夫は誰かを身代わりにして
殺すようなことはせず、
計画を変更して自殺したのではないか。

そうだとすると、殺人という恐ろしい行為に
誰も手を染めずにすんだことになる。

それにしても、一緒だったはずの
豊子はどうしたのだろうか。

清美は気持ちの整理がつかず、
酒井か豊子のどちらかが
連絡してくるのをじりじりとしながら待った。

このころ、星賀港の現場では交通課長の田中らが
車内から見つかった死体の顔が
ひどく傷んでいることに気づいた。

「死体の顔の傷は車が海中に転落しただけでは
 生じないほどのひどいものである」

という報告が唐津署に届き、
刑事課員の出動が要請された。

署内は一段とあわただしくなった。
【235】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月27日 12時23分)

【当 直】

佐賀県警唐津署は佐賀市の北西五十キロ、
唐津市と事故現場の星賀港の中間に位置している。

管轄は東松浦郡北部、一市五町と
県下十署の中で一番広い。

署員、百四十人。

風光明媚な土地柄、
凶悪事件の発生は少なく
おだやかな観光地――というのが
地元住民の自慢である。

一月二十一日から二十二日未明にかけても
唐津署管内では目立った事件、
事故は発生していなかった。

この夜当直副主任だった警備課係長の中原重幸は
午前一時すぎ、無線の声か飛び交う
あわただしい動きに仮眠室で目を覚ました。

当直室の無線受信機から
パトカー乗務員の報告が次々と流れてくる。

「星賀港に車が転落」

「一人が死んでいる模様」

「状況から当て逃げ事故と思われる」

星賀港の岸壁には二種類の車の塗料片のほか、
テールランプのカバーの破片も散乱していた。

ところが海中から引き揚げられたのは
スカイラインだけである。

パトカー乗務員は

「車に何かぶつかる音がしたあと急発進の音を聞いた」

という住人の聞き込みから
当て逃げ事故と直感したのだった。

当直主任の警備課長、稲富峰男は無線の内容を
帰宅していた交通課長の田中喜久治に電話で連絡した。

田中は迎えにきたパトカーで直接、星賀港へ向かった。

死亡事故の場合は時間、場所を問わず
交通課長自ら現場で捜査の指揮をとる。

自宅を出たのが午前一時半、
現場に到着したのは二時ごろだった。

ちょうど岸壁では地区の住人たちが、
海中に沈んだ車をクレーンで
引き揚げようと懸命の作業をしていた。

やがて岸壁に車が引き揚げられ、
田中交通課長の指揮のもと、
新たな報告が唐津署に入った。

車内に男の死体があり、
上着のポケットの名刺入れから
「酒井隆」の名刺四十枚が見つかった。

「事故車両のナンバーは【北九州 56  な 9●】
 確認、照会されたし」

小倉北署からまもなく回答がきた。

ナンバーによると車の所有者は
北九州市門司区原町別院九の一
「中村 豊子」

当直副主任の中原が
これらの資料をもとに
酒井の名刺にあった電話番号をダイヤルした。
【234】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 12時58分)

【浮 上】

転落事故の話は周辺の住家に次々と広がった。

酒井が替え玉にしたてた男を
岸壁から突き落とした現場は
あまりにも集落に近すぎた。

星賀地区の住家は約百戸。

丘から下った海沿いの狭い平地
にぎっしりと軒が並び、
その家並みが切れたところが岸壁になっている。

深夜で人通りがなかったとはいえ、
酒井は家並みの目と鼻の先で犯行に及んでいた。

それだけに酒井がレンタカーのマークIIを使って
スカイラインを突き落とした音を
何人もの住人が聞いていた。

近所の主婦は

「車がブロックをこするようなゴトゴトという音」

を聞いたあと「ドーン」という衝突音と
車の急発進の音も聞いていた。

連絡を受けた家では夫が岸壁に向かい、
妻や子供たちが隣人を起こすため走り回った。

松尾が数分後に現場に引き返したとき、
車は波に揺られて傾きを増し
間もなく、前輪がもやい網から外れて
ゆっくりと沈み始めた。

岸壁にはすでに
三十人以上が集まっていた。

その中にドライブ帰りに近くのスナックで食事をし、
騒ぎを聞いて駆けつけた肥前町の建設作業員がいた。

海面から海底までは二、三メートルぐらいしかないのか
沈んでいる車体が見える。

作業員は服を着たまま海中に飛び込んだ。

しかし、水圧のためドアは開かない。
海水は身を切るほどに冷たい。やむなく陸にあがった。

そのとき、近くに住むクレーン船会社の
従業員が駆けつけてきた。

すぐ船に乗り移り、ロープを海中に
垂らして車体にひっかけた。

ロープを甲板のウインチにつなぎ
ゆっくりと巻き上げる。

車体が海面に姿を見せ始めた。

運転席の窓からハンドルに
もたれかかるようにしている男の姿が見えた。

顔も手も動かない。

ゆっくりと岸壁に下ろす。

赤いスカイラインだった。

時計は午前二時に近かった。
【233】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 12時47分)

【発 覚】

星賀港は肥前町の西端、というより
佐賀県の西端に位置している。

岸壁に立つとすぐ近くに長崎県の鷹島が見える。

唐津市から車で約一時間。

漁船のほか、中、小型の貨物船、
タンカーも出入りする。
L字型の岸壁の端が、鷹島とを結ぶ
フェリーの発着場である。

酒井はかつてこのフェリーに乗って鷹島に渡り、
ハマチの買い付けを行っていた。
捜査でいうところの【前足】がある。

星賀港を選んだのは酒井なりの計算だった。

酒井と豊子が星賀港から逃走を始めた直後、
唐津・東松浦広域市町村圏組合の消防士、
松尾誠ら二人は軽乗用車で岸壁沿いの道を走り、
星賀地区の家並みに近づいていた。

酒井がスカイラインを岸壁から
突き落とした直後に見たのは
この軽乗用車のライトだった。

松尾はこの夜、知人とともにフェリーの桟橋付近で
二時間ほど夜釣りをして帰る途中だった。

釣果はゼロ。
  
冷え込みがきつく他に釣り人の姿はなかった。

前方の暗闇に二筋の光があるのに、
助手席の松尾が気付いた。

「おやっ、船が着いているな」

松尾は一瞬、こう思ったあと、視線をすぐ沖に向けた。
車は岸壁に向かって七百メートルほど進んだ。

海上の二筋の光もどんどん近づいてくる。

まもなく、車は急カーブを切って
星賀地区の家並みに方向を変えようとした。

そのとき、松尾はおかしなことに気付いた。

二筋の光を発しているはずの船の影、
形がみえてこないのだ。

船というよりは車のようなものが
海上に浮いているように見える。

岸壁の照明灯は弱く、ぼんやりと暗い。

松尾は以前、釣り仲間から

「星賀港のあたりは深夜になると
 慣れないドライバーだと岸壁から落ちる危険がある」

と聞かされていたことを思い出し、
とっさに運転していた知人に車を止めさせた。

松尾の予感は的中していた。

照明灯と月明かりに透かしてみると、
五メートルほど離れたところに
停泊中のクレーン船から岸壁まで伸びたもやい網に
前輪をひっかけた車が海面から浮いていた。

岸壁から海面までの高さは二メートル。

車はもやい網の真ん中にひっかかって、
左側に傾きはじめている。
フロントガラスが割れて中に人影が見えた。

男か女かわからない。

松尾が「おーい、おーい」と大声をあげた。

「うーん、うーん」とうめき声が聞こえてきた。
耳を澄まさないとわからないほどの
かすかな声だったが、
松尾ら二人ははっきりと耳にした。

「おーい、車から出てこんねぇ〜」

松尾が叫ぶ。

二人は手助けを頼むため、
付近のまだ明かりのついている
家にむかって走り出した。
【232】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 12時54分)

【偽装事故】

替え玉に仕立てあげた男にブレザーを着せたのは
当初の予定とは違う行動だった。

酒井は若松競艇場から誘い出した男を
スカイラインに乗せて自宅に寄った際
美容院から帰宅途中の清美と出くわし

「茶色のジャンパーを着せとくからな」

と耳うちしている。

遺体確認の際、警察から酒井の着衣の
特徴を尋ねられてもすぐ、答えられるよう
事前に手がかりを与えたわけだが、
それをブレザーに変更したのは

「ブレザーの方がいつも自分が
 着ていることを清美だけでなく、
 従業員もよく知っていたから」

だった。酒井死亡の一報が必ずしも
妻の清美に入るとも限らない。

酒井は焦っていたが、
とっさにそれだけのことを考える余裕があった。

殺害計画をなんとしても成功させねばならない。
そのことが酒井に恐怖心を忘れさせていた。

男が着ていた衣類は事前に
トランクに入れて用意していた
黄色いプラスチック製のパン箱に入れ、
マークIIの後部座席に運んだ。

着衣の着せ替えが終わると、
酒井は男の両脇を抱えて
スカイラインの運転席に座らせた。
ここでも豊子は男の両足を入れるのを手伝った。

酒井は運転席に替え玉を乗せると、
自分は助手席に乗り込み
身を乗り出すようにしてハンドルを操作しながら
下り坂の町道をゆっくりと星賀港に向かった。

スカイラインはオートマチックなので
アクセルを踏み込むだけで動くが、
死体を運転席に乗せての
「助手席からの運転」は
酒井にとっては一世一代の賭けのような
汗だくの出来事だった。

人が歩くほどのゆっくりとした
スピードで坂を下るスカイライン。

後ろを豊子のマークIIが追う。

星賀港に着いたのは日付が変わった
午前零時半ごろだった。

酒井は岸壁から二十メートル手前の
道路端にスカイラインを止め
豊子はその手前の曲がり角にマークIIを止めた。
あたりに人の気配はない。

マークIIを降りて近づいてきた豊子に
酒井は窓ガラス越しに
身振り手ぶりで「Uターンしろ」と合図した。

マークIIに戻った豊子は
いったん岸壁に出て、方向転換した。
岸壁に向かう酒井のスカイラインとすれ違った。

豊子は背後で「ガタン」と何かに車体がぶつかって
こすれるような音を聞いた。

酒井はスカイラインの助手席に乗り、
運転席で虫の息になっている
替え玉の男に身体を預けるようにしながら
必死になってハンドルとアクセルを操作した。

海に向かって走り、岸壁がフロントガラスの
視界から切れた直後
助手席から飛び降りた。

しかし、酒井がアクセルから
早く足を離したため、車は減速してしまい
前輪が岸壁から落ちただけで、
車体は途中でひっかかってしまった。

豊子が聞いたのはこのときの音だった。

まもなく酒井が豊子のところへ走ってきた。

「どけ!」

酒井は豊子をマークIIの助手席に乗せると
一気にバックし始めた。
マークIIの後部をスカイラインに当て、
海に突き落とすのだ。

タイヤをきしませながら
マークIIはスカイラインにむかってバックした。

ドーン、という衝突音。

助手席の豊子は身体をすくめ、怯えきっていた。

直後、酒井はいきなりスピードをあげて、
来た道を引き返し始めた。

岸壁の向こう端に車のライトが見えたからだった。
【231】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 12時38分)

【替え玉工作】

凶行がいつごろ終わったのか、
豊子には正確な時間はわからなかった。

おそらく二十分以上は経っている気がした。

男をスカイラインに詰めると、
酒井は豊子を助手席に乗せ西ノ浦へと引き返した。

男を襲う前、置きっぱなしにした
マークIIに豊子を乗せかえるためである。

車中で二人は押し黙ったままだった。

酒井は男を殴った凶器のバットや
石、血のついた手袋を途中の杉林に捨てた。

西ノ浦の広場に着くと豊子にマークIIを運転させ、
自分はスカイラインのハンドルを握って出発した。

深夜の国道202号を、一路、星賀港に向かう。

途中、酒井はトランクから異様な
音がするのを聞いてギョッとした。

金属バットと石でめちゃめちゃに
殴って殺したはずの男が
トランクの中で逃げようとして暴れていたからである。

タオルと紐で首を絞めたうえ、
あれほどバットで殴りつけても
立ち上がって組み付いてきた男である。

酒井はその強靭な生命力に慄然としていた。

追尾するマークIIの豊子の表情も
すっかりこわばっていた。

「とうとう、やってしまった。
 このあと社長と自分はどうなるのだろうか」

そう思いながら一刻も早く現場を去りたい、
という気持ちでいっぱいだった。

どういうところをどう走って、どこへ行くのか

酒井のスカイラインを追尾するので精一杯だった。

仮死状態の男をトランクに詰めた
酒井のスカイラインは午後十一時半ごろ、
佐賀県唐津市の市街地を通って
東松浦郡肥前町の星賀港に着いた。

が、まもなくUターンして
一キロ離れた高台に向かった。

替え玉の男に自分の衣類を着せるためだった。

豊子のマークIIもこれを追う。

星賀港を避けたのは港の入り口付近にある
スナックにまだ灯がともっており
人の気配があったからだ。

着せ替え場所として選んだのは
星賀港から東へ一キロの農道だった。

南はミカン畑、北側は荒れ地。
民家はなく、物音ひとつしない。

酒井は車をバックで農道に入れるとライトを消した。
マークIIで追いついた豊子もライトを消す。

車から降り、ゆっくりと農道へと歩く豊子の目に
スカイラインのトランクから
ぐったりした男の両脇を抱えて
引きずり出す酒井の姿が映った。

男を道端に仰向けに寝かせ、後部座席から
グレーのポロシャツを持ち出した酒井は
豊子を見ると「着せ替えろ」と命じた。

言われるまま、豊子は男を横向きにして
とっくりセーター、シャツを頭から脱がせ、
ポロシャツを着せた。

この間、酒井は自分がはいていたカーキ色のズボン、
紺色のジョギングパンツを脱ぎ
豊子に男の腰を持ち上げさせて、
下半身の着替えを終えた。
さらに酒井が靴下と紺色のブレザーコートを着せた。

豊子が酒井から渡された
黒の革靴を履かせよう、としたとき
男の足が豊子を蹴るようにピクッと動いた。


「まだ、生きてる …」


豊子は全身の血が引いてゆくのを感じた。

あえぐように息を吸いこんだ。
からだが小刻みに震えていた。
【230】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 12時51分)

【殺 害】

突然、ウーン、ウーンと苦しそうなうめき声がした。

豊子が助手席を見ると、男の首にタオルが巻かれ、
右肩に白い紐が、掛っていた。

後部座席の酒井がタオルとひもで首を締め上げている。

次の瞬間、男は助手席のドアを開けて
車の外へ転がり出た。

酒井が飛び出し、あとを追う。

豊子が外へ出ると、男はスカイラインのそばで
うつ伏せになって倒れていた。

酒井の姿はない。

豊子は思わず、男の首に巻きついた
タオルと紐を外そうとした。

「どけ!」

いつの間にかそばに来た酒井が叫んだ。

野球の金属バットをふりかざした
酒井の姿を見たのと同時に
豊子は男の足元に突き飛ばされていた。

「やめて、やめて!」

豊子の絶叫が静まり返った松林に響いた。

酒井が男めがけて狂ったように
バットを打ち下ろしているのが
月明かりを通してわかった。

五回、六回 …

頭を叩く鈍い音。

突き飛ばされた豊子の右肩にも
容赦なくバットが当たった。

殴られた男も必死になって立ち上がると
酒井と共にもつれるようにして砂地に転がり込む。

酒井が再びバットを振り回す。

再度倒れた男に馬乗りになって首を絞めようとした。

男も必死になって抵抗した。

砂の斜面を転がりながら
逃げようとする男の体が豊子に当たり
今度は男と豊子がもつれ合いながら
松の根元にぶつかってとまった。

ここでも男はよろめきながら酒井に組みつこうとした。

酒井がフルスイングした一撃が
男の側頭部に当たった。

グシャッ という潰れた音がして
男は倒れ、動かなくなった。

酒井は西ノ浦の広場で拾って
後部座席に隠していた石を持ち出し
男の顔に何度も叩きつけた。

動かなくなった男の両脇を
背後から抱えて車まで引きずっていった。

「足を持て」

二人がかりで男はスカイラインの
トランクに積み込まれた。

べっとりと血にまみれた男の顔が一瞬、
月明かりに浮かび
豊子の足は震えが止まらなかった。
【229】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月12日 13時31分)

【砂の罠】

午後十時、二台の車は福岡市西区今津の
玄海国定公園の元寇防塁碑前にさしかかった。

周囲は松林の砂地。

ここで豊子のマークIIのタイヤが砂に埋まり、
立ち往生してしまうアクシデントが起きた。

松林に乗り入れた直後、Uターンしてきた
酒井のスカイラインを追尾しようと
急ハンドルを切った際、
タイヤが砂にめりこんでしまったのだ。

酒井は人気のない松林で男を殺害しようと乗り入れたが
カップルが乗った乗用車を見つけたので、
あわてて引き返してきていた。

酒井はスカイラインのトランクにあったひもを
マークIIの後部バンパーにかけて
引き揚げようとしたが、
すぐにひもは切れてしまった。

カップルもトラブルに気付き、
引き揚げ作業を手伝った。
しかし、タイヤは砂に深く埋まったままだった。

酒井は仕方なく一人でスカイラインを運転して
近くの民家からロープを借りてきて十分後、
なんとかマークIIを砂地から脱出させた。

このとき、酒井は作業を手伝ってくれたカップルに
お礼として九州自動車道の売店で買った
菓子箱三個のうち、二個をお礼として渡した。

この間、スカイラインの助手席に
乗っている男はどうしていたのか。

豊子はこのアクシデントの最中に、
男が車から降りてくる姿を見ていない。

スカイラインはマークIIを引き揚げる際、
エンジンをかなり噴かしており、
手伝ったカップルの話し声も聞こえたはずである。

にもかかわらず、
男はスカイラインに乗ったままだった。

男は鞍手サービスエリアで
酒井から渡されたジュースに入っていた
睡眠薬の効果で深い眠りに入っていたのである。

マークIIの引き揚げ作業に使った
ロープを民家に返したあと、豊子は再び
酒井のスカイラインを追尾して
福岡市西区西ノ浦の広場まで来た。

時計の針は午後十時を回っていた。

酒井はスカイラインのドアをゆっくりと開け
豊子のマークIIに近づいてきた。

「(スカイラインを) 運転せい」

言われるままに豊子はマークIIを降りて、
スカイラインに移った。

助手席の男はとっくりセーターに
カーディガンを羽織ったまま
首を前に傾けて、うつら、うつらしていた。

酒井が後部座席に乗り込んだ。

豊子は「ここで男をいよいよ殺すのか」
と思うと、鼓動が高まり、
ハンドルを握った手が汗ばんでいるのを感じた。

が、その広場では何事も起きなかった。

酒井が

「ロープを借りた家に
 土産を持ってゆくのを忘れたので戻れ」

と切り出したからだ。

一瞬、緊張から解放された豊子は
ホッとしながらアクセルを踏んだ。

しかし、それも束の間だった。

再び元寇防塁碑前に来たとき
酒井は急に「止めろ」と指示した。

スカイラインに乗り換えた西ノ浦から南へ四キロ、
国道202号から海側へ約三キロ入った地点である。

先ほどのカップルの姿はなく、
周囲に人影は全くなかった。

惨劇が始まったのはこの直後だった。
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