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【48】

やくざ学  評価

野歩the犬 (2014年07月05日 12時01分)

終戦直後の広島、呉で
「悪魔のキューピー」の名で売った
大西政寛のことを、後年、母のすずよ、は
「立派な極道を持って、誇りに思うちょります」
と、語っていたという。

一般的に「極道=やくざ」であるが、
私は大西のように自己破滅していった男には
「アウトロー」といった呼び名を贈りたい。

しかし、アウトローたちが組織化してゆけば、
現代では「暴力団」扱いとなる。


そもそも「やくざ」の定義とは何ぞや?となる。

「やくざ」は数字の「八」「九」「三」を足すと
 ちょうど「二十」

つまり、花札博打でいうところの「ブタ役」
いわゆる「ドボン」となることから
「まともな稼業が出来ない人間のクズ」を指している。

簡単にいうと博打で飯を食っている「博徒」のことだ。

戦後、警察からひとくくりに
「暴力団」として呼ばれている大概の
「○○組(会)」「●●一家」などは
戦前からの博徒の組か、
テキヤ=香具師(やし)のいずれかに辿り着く。
【47】

おことわり  評価

野歩the犬 (2014年07月05日 11時59分)

■次回作を取材中につき、更新がてら落ちトピ
 から掘り出した「やくざ学」を加筆して、
 つながせていただきます。

のほ
【46】

RE:★☆〜ブレイクタイム〜☆★  評価

ゆさみん (2014年06月26日 00時54分)

のほさん、ども♪

丁寧な返信ありがとうございます。

>今や講談師、野歩沢虎造を名乗っております!

「旅ゆけば〜♪」
虎造ですか。
さすが昭和のヒトですね(笑)

やはり書き方は苦心されていたようですね。
さらりと図書館通いのことを書いていますが、いやはや脱帽であります。

>それとクレジットですね。
>なかなかピタリとくるものがない。

クレジットについては、毎回良く考えているなあ、と感心していました。
これもご苦労様でした。

>はっきりいってヤクザ専門誌なんてのは、あまり読みません

うわ。
ヤクザ専門誌って今でもあるんだ。
昔、小さな個性的な書店に暴走族雑誌の横に入れ墨の表紙のそれらしき本があって、すごいなあ、と思ったことありますが、今でもあるんですね。

あぁ、その横に「さぶ」など置いてありましたが・・・

>そこで笠原ばりに、全体を引いたパノラマ群像にしたんですが
>まあ、時系列を確認してゆくのが難儀で・・・

笠原氏も、仁義なき戦い執筆時は、抗争年表を書いていましたね。
しかし新聞のマイクロコピーまで確認されるとは、半端じゃないです。
すごい。

>現在、次回作を取材中です。
>今後もよろしくお願いします

ひえ〜。
また次のアイデアもあるんだ・・・
期待してますね〜。

【追記】
実は、この小説を全てワープロに貼り付けて、原文をそこなわないように、改行部分を整えて、通常の小説の状態に加工して、それをプリントアウト。職場の仲間に回覧なぞしようかな、と考えています♪
【45】

★☆〜ブレイクタイム〜☆★  評価

野歩the犬 (2014年06月24日 12時22分)

あらためまして
ゆさみんさま、こんにちは。

>のほ節は相変わらずで、今回も楽しませていただきました。

ははは♪ 今や講談師、野歩沢虎造を名乗っております!

ありがたき、お言葉
しかと頂戴仕りました♪


>よってケータイ小説のような、改行の多いわかりやすい書き方が多くなる。

正直、一番苦労してるのは、そこですね。
私は原稿をワードに書いているんですが
これをコピペして貼り付けると、改行が当初とずれてくるんですね。
1レスは「全角1600文字のスペース」でしょ。

なかなか、当初のイメージ通りに収まらんのです。
そこで、添削して、表現を簡潔にしたり
言い回しをかえたりするんです。
とくにセリフ部分は改行スペースが多くなるんで
頭が痛いですねぇ

それとクレジットですね。
なかなかピタリとくるものがない。
その点、大西政寛伝はドラマが豊富でポンポン浮かんだ。
今回は「とってつけ」が多かったです。

>今回は、のほさんは重厚さを保ちながら、間にあまり私情を挟まず・・・

いろんな資料から切り貼りするんですが
はっきりいってヤクザ専門誌なんてのは、あまり読みません
どうしても、内部事情が中心で、しかもヒロイズム的な表現が多い。
参考程度ですね。「反社会的な集団」がええカッコしても
反発を招くだけですし。

>特に、暴力団をピラミッドやフランチャイズチェーンに例えた説明はホントにわかりやすい。

山口組のピラミッド構造はすぐに浮かんだんですが
フランチャイズの例えは
当時のとある新聞連載記事からの「パクリ」ですよ ^^);

ジャーナリストはこういう表現に関しては
やっぱ、プロですね。
「これは使える!」と思いました♪

>最後の締め方も印象に残るもので、あとがきとあわせて、暴力団抗争の虚しさと悲しさを感じてしまいました。

当初は鳴海清を主役にしたものにしようかと思ったんですが
首領(ドン)を撃った男・・・じゃ、
それこそヤクザ礼賛になっちゃうし
調べてみると、もう禁止ワードの連発でとても書けそうにないんです。
殺された経緯も、今や憶測だらけで捌きようがないし。

そこで笠原ばりに、全体を引いたパノラマ群像にしたんですが
まあ、時系列を確認してゆくのが難儀で・・・
裏をとるのは、新聞のマイクロコピーなもんで
図書館には相当、通いました。

>本当に、ご苦労様でした。

ありがとうございます。
現在、次回作を取材中です。
今後もよろしくお願いします

のほ
【44】

RE:血風クロニクル  評価

野歩the犬 (2014年06月22日 21時46分)

■ゆさみん さま

 ご訪問いただき、恐縮です。

 ゆさみんさまのお部屋は最近、熊楠さんと
 高尚なレスの応酬なので
 なかなか敷居が高くて・・・


 ちょっとバタついておりまして

 きちんとした御礼のレスは近日中に
 いたしますので
 ご勘弁を


のほ
【43】

素敵な作品をありがとうございます  評価

ゆさみん (2014年06月22日 17時28分)

こんにちは。

お久しぶりです、のほさん。映画部屋を細々と続けているゆさみんです。
完結おめでとうございます。

のほ節は相変わらずで、今回も楽しませていただきました。


しかし、前回の作品も思ったのですが、掲示板での書き方をよく考えているなあ、と感心してしまいます。

ネット上の小説というのは思いのほか難しいと思います。
とくに重厚な大河的な作品は、なかなか読者はついていくのが難しい。

よってケータイ小説のような、改行の多いわかりやすい書き方が多くなる。

でも、そうすると表面的で軽い作品となりやすい。

今回は、のほさんは重厚さを保ちながら、間にあまり私情を挟まず、事件の時間軸に沿った説明と会話など入れて、話の展開を早くし、しかもわかりやすい説明を間に入れて書き上げていますね。

特に、暴力団をピラミッドやフランチャイズチェーンに例えた説明はホントにわかりやすい。
うまいなあ。

最後の締め方も印象に残るもので、あとがきとあわせて、暴力団抗争の虚しさと悲しさを感じてしまいました。(ううむ、こうして書いたとたん薄っぺらな表現に思えてきます。言葉になかなか出来ないのがもどかしい)

本当に、ご苦労様でした。

とっても面白かったです♪
【42】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年06月22日 14時11分)

【あとがき】


昭和五十年七月から五十三年十一月にいたる
三年七ヶ月にわたった
山口組対松田組の「大阪戦争」。

血で血を洗ったこの戦争の結果は
日本のアウトロー社会の地殻変動を
起こしかねないほどの衝撃的な事件であった。

この大阪戦争を契機として
山口組は地滑り的に衰退に向かってゆく。

戦いの果てに山口組には何も利益もなく、
五十六年七月に首領(ドン)田岡一雄は病死、翌年二月、
あとを追うように若頭、山本健一も死亡する。

山口組を多節足動物に例えたが、
それは田岡一雄という、
類希なカリスマが君臨していたからこそ、
のたとえであり、
カリスマを失った山口組は平衡感覚を失い、
進むべき方向感覚さえ、喪失してしまう。

五十九年六月、竹中正久が四代目を相続するが、
若頭補佐、山本広は六千人の配下を引き連れ
「一和会」を旗揚げし、山口組は事実上分裂。

翌六十年一月、一和会ヒットマンによって
竹中四代目が射殺されると
警察庁をして「ヤクザ抗争史上、最大にして最悪」といわしめた「山一抗争」が勃発する。

この抗争は大阪戦争同様、四年越しの流血を繰り返し、
双方で死者二十五人、重軽傷者六十六人、
逮捕者はざっと四百人にものぼった。

結果、一和会は山口組の猛攻の前に潰え、
組織の解散と山本広の引退で終結を迎える。

山本広は故・田岡一雄三代目、竹中四代目の仏壇にぬかづいて謝罪。

このけじめの焼香によって「骨肉の争い」に
完全なピリオドが打たれたのだった。

つまるところ大阪戦争当時、
すでに山口組という巨大なピラミッドは
いつのまにか中身が空洞化していたのである。

ヤクザの戦争は済んでしまえば
いつの世も、いかに戦争が空しいものかというものか、を教えてくれる。

六甲山で骸(むくろ)となって発見された鳴海清、
土砂降りの中、泥酔して逮捕された羽根恒夫。

こんな男たちの物語はもう、
挽歌(バラード)の中でしか
聞けない時代になってしまったのである。
【41】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年06月22日 20時56分)

【エピローグ】

羽根恒夫が曽根崎署に護送された
翌日の十一月二十八日午後、
大阪高裁で山口組若頭、山本健一に対する
控訴審判決が開かれた。

山本健一は病気を理由に出頭しなかったが、
裁判長は
「一審判決に事実誤認はなく、
日本最大の暴力団での被告の地位、
組織内外への影響力、犯罪の様態からみて、
病状などを考慮しても
刑は重すぎるとはいえない」

として、懲役三年六ヶ月の一審判決を支持し
控訴を棄却した。

十二月十三日。

この日はヤクザ社会の「事始」といって
正月にあたる日である。

午前十一時、田岡御殿の二階大広間に直系の組長、
約八十人が紋付羽織、はかまの正装で集まった。

組長代表挨拶は通常、若頭の役目だが、
山本健一の姿はなく、
舎弟頭の三木好美が行った。

「昭和五十三年度の思わぬ大事故は
 親分が狙撃をうけるということでした。
 この事実はわれわれ全組員の責任であると
 痛感しております。
 幸いにして、親分の傷も軽く後遺症もなく、
 ご健康を取り戻されたように見受けられます。
 今後、二度とこのような事故のないことを、
 この場におきまして全組員がそろって、
 お誓い申し上げます」



山口組三代目は深くうなずき、挨拶に立ちあがった。

そのひと言も聞き漏らすまいと
席は水を打った静けさとなった。

「本年もみなさんのお元気そうな顔をみることができ、 たいへんうれしく思います。
 これからも当組に対する試練は
 ますます厳しいものになっていくと思いますが、
 とくに組員一同、団結をモットーとして、
 揺るぎない前進と発展を期待するものであります」


それが、田岡一雄の山口組三代目としての最後の
「事始」の挨拶となった。


「6万分の1の奇跡」で死線をくぐり抜けた田岡一雄は
三年後の昭和五十六年七月二十三日午後七時三十一分、
入院先の尼崎市、関西労災病院で急性心不全で死亡した。

享年 六十八歳。


鳴海清から狙撃された当時、
田岡一雄は家族にむかって
こう言っていたという。



「しかし、ワシを狙うなんて、偉いやっちゃなあ。
 しかしなあ、
 自分が助かる気で撃つから失敗するんや。
 自分が死ぬ気で、ワシを撃ってくるんやったら
 もっと近くに寄って、もっと狙うて撃つべきやった」




凶犬たちの挽歌(完)
【40】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年06月20日 17時19分)

【末 路】

拳銃不法所持で大阪府警から
指名手配されていた羽根恒夫は
午後零時半、兵庫県警から大阪府警、
曽根崎署に護送された。

よれよれの羽根恒夫は曽根崎署の
玄関前に群がった報道陣に気弱い
照れたような笑みをみせた。

医師の診断で羽根恒夫は
アルコール依存症にかかっていることがわかった。

その後の調べで、
羽根恒夫は首領(ドン)狙撃事件以後、
名古屋の弘田組を頼っていったことが判明した。

弘田組、弘田武志組長も
「ベラミ」で山口組三代目のお付きの一人だった。

弘田組では十人の組員を選抜して
「十仁会」という戦闘団を組織していた。

羽根恒夫はこの十仁会を指揮して、
鳴海清の捜索や松田組、
樫忠義組長襲撃を計画したが、
警察の厳重な警戒で果たせず、
九月十八日夜、大日本正義団組員を尾行し
大阪市阿倍野区のマンション前で狙撃した。

組員は一週間のケガだったが、
羽根恒夫は、殺った、
と思い込んみ勢い込んで報告したため、
のちに山口組中枢からバカにされる。

羽根恒夫がやけ酒に溺れて
アルコール依存症になったのは、
このあたりが原因だろうとされている。

かつて自らを「悪美(あくみ)」と名乗り、
他からもその名で呼ばれることを誇りにしていた
ワル気取りの男。

序列のやかましい山口組のなかで
異例のスピード出世をした男が、
雨の降る夜にとめどなく酒を浴び、
路上に倒れていたのだ。

ヤクザの哀れさがにじみでた末路であった。
【39】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年06月21日 08時44分)

【泥 酔】

松田組の敗北宣言が大阪府警捜査四課に
郵送された日から四日後
十一月二十六日は雨だった。

午後十一時ごろ、神戸市垂水区王塚台五丁目の路上で
泥酔した男がスナック前の路上に転がっていた。

通行人の連絡で派出所の警察官が現場に向かうと、
まだ若い男で長髪はバサバサ、不精ヒゲをはやし、
紺ジーンズのサファリルックの上下は泥だらけだった。

起こしてみてもグデングデンで
立っておれないほどで、
しゃべっていてもロレツが回らず
何を言っているのかわからない。

連絡で到着したパトカーが、
この男を玉津署に運び、泥酔者として保護した。

所持品を調べると現金二十二万円を持っていたので、
署員は驚きひょっとすると窃盗犯ではないか、
と事情を聞いたがひどい泥酔ぶりで話にもならない。

調べは翌朝ということで保護房に入れた。

午前零時ごろに男は

「わしは山口組の羽根や」とわめきだした。

翌二十七日午前六時、
玉津署は羽根をよく知っている
兵庫県警暴力対策二課の警部宅に電話した。

「早朝で申し訳ありませんが、羽根恒夫と名乗る男を泥酔保護しているので
 首実験、願いませんか」

電話を受けた警部も半信半疑ながら、
とりあえず玉津署に出向いた。

「これが羽根かなぁ」

警部はどう見てもこの男が羽根恒夫とは見えなかった。

松田組組長、樫忠義の邸宅に警戒の中、
拳銃弾を撃ちこみ、
その男気を買われて組員なしだが、
山口組の直系組長にひきあげられ
首領(ドン)の護衛兼、キャディラックの
運転手となった羽根恒夫は
もっとパリッとしたいい男だった。

「おまえ、羽根か」

警部は首を傾けて聞いた。

「そうや、羽根や」

頬はこけ、目は濁っている。

「羽根恒夫やったら、お前よりも。もっと男前や」

「あははははは」

男は力なく笑った。
まだ、酒が残っている。

「人間、落ち目になったら、あかんわ」

「お前、羽根やったら、住所、本籍地を言えるやろ」

警部が尋ねると男はスラスラと問われたことを答えた。
警部は顔色を変えた。

「おまえ、ホンマに羽根なんか?」

「なんべん言えばええねん。わしは羽根や」

警部がためつ、すがめつ、見ているうちに
ようやくこの男の輪郭のなかに
羽根恒夫を認めはじめたのだ。

さっそく、県警本部に連行して指紋を照合した。

間違いなく、この男は羽根組組長、
羽根恒夫、二十七歳だった。

兵庫県警暴対二課の取調室で
羽根恒夫は出された朝食に手も付けず
水ばかりをがぶ飲みしていた。

「いままで、どこにおったんか」

捜査員の質問に
「三重県におったよ」と答え

「刺青の仕上げに神戸に戻ったが、
 懲役をくえば五年は軽いので、
 つい、きのうは五年分ぐらいのんでしもうた。
 頭が痛い」

羽根恒夫の青い顔はなかなか、元に戻らなかった。
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