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【98】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月18日 15時33分)

【檄 /後段】

銘記せよ!

実はこの昭和四十五年(注:四十四年の誤記)
十月二十一日といふ日は、
自衛隊にとっては悲劇の日だった。

創立以来二十年に亙って憲法改正を
待ちこがれてきた自衛隊にとって、
決定的にその希望が裏切られ、
憲法改正は政治的プログラムから除外され、
相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、
非議会主義的方法の可能性を
晴れ晴れと払拭した日だった。

論理的に正に、この日を堺にして、
それまで憲法の私生児であった自衛隊は
「護憲の軍隊」として認知されたのである。
これ以上のパラドックスがあろうか。

われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。
われわれが夢見ていたやうに、
もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、
どうしてこの事態を無視しえよう。

自らを否定するものを守るとは、
何たる論理的矛盾であろう。

男であれば男の矜りがどうしてこれを容認できよう。
我慢に我慢を重ねても、
守るべき最後の一線をこえれば、
決然起ちあがるのが男であり武士である。

われわれはひたすら耳をすました。

しかし、自衛隊のどこからも
「自らを否定する憲法を守れ」
といふ屈辱的な命令に対する、
男子の声は聞こえては来なかった。

かくなる上は自らの力を自覚して、
国の論理の歪みを正すほかに
道はないことがわかっているのに、
自衛隊は声を奪われたカナリヤのやうに
黙ったままだった。

われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。

諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。

しかし、諸官に与へられる任務は、
悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。

シヴィリアン・コントロールが
民主的軍隊の本姿である、といふ。

しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、
軍政に関する財政上のコントロールである。

日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、
変節なき政治家に操られ、党利党略に
理用されることではない。

この上、政治家のうれしがらせに乗り、
より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする
自衛隊は魂が腐ったのか。

武士の魂はどこへ行ったのだ。

魂の死んだ巨大な武器庫になって、
どこへ行かうとするのか。

繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばわりした
繊維業者もあったのに
国家百年の大計かかはる核停止条約は、
あたかもかつての五・五・三の不平等条約の
再現であることが明らかであるにもかかはらず、
抗議して腹を切るジェネラル一人、
自衛隊からは出なかった。

沖縄返還とは何か?

本土の防衛とは何か?

アメリカは真の日本の自主的軍隊が
日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。

あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、
自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであろう。

われわれは四年待った。
最後の一年は熱烈に待った。
もう、待てぬ。

自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。

しかしあと三十分待たう。
共に起って義のために死ぬのだ。

日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。

生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。
生命以上の価値なくして何の軍隊だ。

今こそわれわれは生命以上の価値の所存を
諸君の目に見せてやる。

それは自由でも民主主義でもない。

日本だ。

われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。

これを骨抜きにしてしまった憲法に
体をぶつけて死ぬやつはいないのか。

もしいれば、今からでも共に起ち、共に死なう。

われわれは至純の魂を持つ諸君が、
一個の男子、武士として甦へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

(原文かなづかいママ、ふりがな、筆者)
【97】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月18日 15時18分)

【檄 /中段】

自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。
自衛隊は国軍たりえず、
健軍の本義を与へられず、
警察の物理的に巨大なものとしての
地位しか与へられず、
その忠誠の対象も明確にされなかった。

われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。
自衛隊が目ざめる時こそ、
日本が目ざめる時だと信じた。

自衛隊が自ら目ざめることなしに、
この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。

憲法改正によって自衛隊が健軍の本義に立ち、
真の国軍となる日のために、
国民として微力の限りを尽くすこと以上に
大いなる責務はない、と信じた。

四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、
その翌年には楯の会を結成した。

楯の会の根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、
自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために命を捨てようといふ決心にあった。

憲法改正がもはや議会制度でむづかしければ、
治安出動の前衛となって命を捨て、
国軍の礎たらんとした。

国体を守るのは軍隊であり、
政体を守るのは警察である。

政体を警察力を以って守りきれない段階に来て、
はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、
軍は健軍の本義を回復するであろう。

日本の軍隊の本義とは
「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」
ことにしか存在しないのである。

国のねぢ曲がった大本を正すという使命のため、
われわれは少数乍(なが)ら訓練を受け、
挺身しようとしていたのである。

しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に
何が起こったか。

総理大臣の訪米前の大詰めともいふべきこのデモは、
圧倒的な警察力の下に不発に終わった。

その状況を新宿で見て、
私は「これで憲法は変わらない」と痛恨した。

その日に何が起こったか。
政府は極左勢力の限界を見極め、
戒厳令にも等しい警察の規制に対する
一般民衆の反応を見極め、
敢えて「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、
事態を収拾しうる自信を得たのである。

治安出動は不用になった。

政府は政体維持のためには、
何ら憲法と抵触しない警察力だけで
乗り切る自信を得、国の根本問題に対して
頬っかぶりをつづける自信を得た。

これで、左派勢力には
憲法護持の飴玉をしゃぶらせつづけ、
名を捨てて実をとる方策を固め、
自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。

名を捨てて、実をとる!

政治家にとってはそれでよかろう。
しかし、自衛隊にとっては致命傷であることに、
政治家は気づかない筈はない。

そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、
うれしがらせとごまかしがはじまった。
【96】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月18日 15時14分)

【檄  /前段】

われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、
いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。

その恩義に報いるに、
このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。

かへりみれば、私は四年、学生は三年、
隊内で準自衛官としての待遇を受け、
一片の打算もない教育を受け、
又われわれも心から自衛隊を愛し、
もはや隊の柵外の日本にはない
「真の日本」をここに夢み、
ここでこそ終戦後つひに知らなかった男の涙を知った。

ここで流したわれわれの汗は純一であり、
憂国の精神を相共にする同志として
共に富士の原野を馳駆(ちく)した。

このことに一点の疑ひもない。

われわれにとって自衛隊は故郷であり、
生ぬるい現代日本で凛冽(りんれつ)の気で
呼吸できる唯一の場所であった。

教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。

しかもなほ、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。

たとへ強弁と云われようとも、
自衛隊を愛するが故であると断言する。

われわれは戦後の日本が、
経済的繁栄にうつつを抜かし、
国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、
本を正さずして末に走り、
その場しのぎと偽善に陥り、
自らの魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。

政治は矛盾の糊塗、自己の保身、
権力欲、偽善にのみ捧げられ、
国家百年の大計は外国に委ね、
敗戦の汚辱は払拭されずにただ、ごまかされ、
日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを、
歯噛みしながら見ていなければならなかった。

われわれは今や自衛隊にのみ、
真の日本、真の日本人、
真の武士の魂が残されているのを夢見た。

しかも法理論的には、
自衛隊は違憲であることは明白であり、
国の根本問題である防衛が、
御都合主義の法的解釈によってごまかされ、
軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、
道義の頽廃の根本原因をなして来ているのを見た。

もっとも名誉を重んずべき軍が、
もっとも悪質の欺瞞の下に放置されてきたのである。
【95】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月18日 15時41分)

【プロローグ】

昭和四十五年(1970年)二月、
立春を迎えたばかりというのに、
妙に春めいた暖かい午後、
東京都大田区南馬込の三島由紀夫邸を
一人の男子高校生が訪れた。

その高校生は紹介状もなしにいきなり訪問し
「ぜひ、先生に会いたい」
と言い、門前で三時間余りも粘っていた。

執筆中だった三島は
「頭がおかしいんだろう。追っ払え」と
不機嫌そうな口調で家政婦に命じたが、
家政婦はすでに少年に同情している。

礼儀正しいし、決して頭がおかしいようには見えない。
少しでいいから、会ってやってはどうか、と頼んだ。

三島由紀夫はそれでは外出の前に五分間だけ会うから
玄関前に待たせておくよう、言った。

外出の身支度をすませ、玄関に出るとその高校生は
イスに背筋を伸ばして座っていて、
尋常にお辞儀をした。

あす、郷里に帰らねばならない。
手紙を出したが、お返事がもらえなかったので、
伺った、という。

挙動に不審なところはない。
済んだ目をして三島を見据え、
頬は紅潮している。

文学の話か、と聞くと、違うと答える。

三島はやきもきしながら、
こちらは忙しいんだ、聞きたいことがあるなら
一番聞きたいことを一つだけ聞け、と促した。

少年は三島由紀夫を正面から見据えて口を開いた。

「一番、聞きたいことはですね・・・・・
 先生はいつ、死ぬんですか?」

このときの模様を三島はその年の九月、
つまり自決する二ヶ月前に発表したエッセイ
「独楽(こま)」の中で

「この質問は私の肺腑を刺し、
 やがて傷口が化膿した」と綴っている。

三島は前年の六月、
最後の戯曲「癩王のテラス」を書いていた。

壮大な大寺院が完成した日に、
それを築かせた王が
盲目になって死を迎える話である。

戯曲の幕切れ近く王は

「いそげ、ああ死はそこに迫っている。
 死の早駆けの蹄の音がさだかに聞こえる」

 と叫んでいた。
【94】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月14日 14時49分)

【あとがき】

当たり前だが、拘置所(警察の留置場ではない)に
勾留された経験のある人は少ないと思う。

私は過去一回だけ、
期限いっぱいの二十日間、打たれた経験があるが、
拘置所に勾留された人間に
氏名というものは存在しない。

拘置所というのは未決囚だけなので、
全員が独居房に入れられ、番号で呼ばれる。

(ちなみに私の番号は256番であった。
 こういう数字は嫌でも一生、忘れないものである)

朝の巡回点呼も看守長が巡回してくると、
正座して自分の番号で返事する。

面会時も番号制であり、面会者は控え室で番号を待つ。


ところが花形敬のときは、
番号ではなく名前で呼ばれた、という。

そのアナウンスがあると、百人からの面会人から
なんともいえないどよめきの声があがったらしい。

なぜ、花形敬だけを拘置所が特別扱いしたのか
にわかには信じがたい話だが、
彼の「スター性」を物語るエピソードとして興味深い。

安藤昇が逮捕されて以来、稲川一家は政界の黒幕、
児玉誉士夫の後ろ盾を経て急速に力をつける。

町井一家も「東声会」と名を改め
日韓の闇の橋渡しへと進む。

政界や財界のはらわたにくらいつくのが
戦後ヤクザの常道となった。

愚連隊からの脱却を図ろうとした安藤にとって
素手一本のケンカに男の誇りを貫こうとした花形敬は
もはや、時代遅れの「古疵」でしかなかった。

花形敬の死を安藤昇は獄中で聞いた。

昭和三十九年(1964年)出獄した安藤は組を解散、
自身は翌年、松竹と専属契約を結び、
自叙伝「血と掟」の映画化をきっかけに
俳優〜プロデューサーへの道を歩む。

花形敬を語る人の中には

「ステゴロの帝王、なんて呼ばれているが、
 そんなに強くはなかった。
 ただ、短気で度胸が座っていただけ」

と、評する向きもある。

しかし、経済成長期とともに
ヤクザ稼業に見切りをつけ
銀幕のスターとなった安藤昇より、
私は焼け跡を己の腕一本でのし歩いた花形敬の
異端の「スター性」に魅かれてしまうのである。
【93】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2015年03月21日 10時13分)

【落 日】

横井英樹襲撃事件で逮捕された安藤昇は
十二月二十五日、東京地裁で懲役八年の
判決を言い渡される。

襲撃謀議の中心にいなかった花形敬は殺人未遂幇助で
二年六ヶ月となり、翌日、保釈申請が認められ、
夜を渋谷のネオン街で過ごした。

安藤昇という司令塔を失った安藤組はもはや、
終戦直後の愚連隊に逆戻りしていた。

昭和三十四年(1959年)六月、
花形敬はバーの経営者から満席を理由に
入店を断られると立て看板を叩き割り
駆けつけた警官に殴りかかって
公務執行妨害の現行犯で逮捕される。

八月には屋台でのトラブルが元で
安藤組員と進攻愚連隊が衝突
暴行容疑で組員十人が逮捕される。

十一月には保釈中の花形敬が
子分の出所祝いに十数人を引き連れ
キャバレーに押しかけ「飲み代を貸せ」と強要、
またまた、渋谷署に放り込まれる。

昭和三十五年(1960年)十月、
横井事件の控訴棄却で
花形が刑期を終えて出てきたとき、
渋谷にかつての安藤組の威光はなかった。

絶頂期には五百人といわれた組員も
五十人を割っていた。

稲川一家、町井一家の双方がにらみをきかす中で
安藤組の組長代理に押し上げられた花形敬は、
往時を知る人が不審がるほど変わっていった。

絶対に下げたことのない頭を街の旦那衆の前に垂れ、
酒を飲んで暴れることもなくなった。

昭和三十八年(1963年)安藤組組員が
町井組組員とケンカになり、
相手の顔と腹をめった斬りに
するという事件が起きる。

町井組の報復の対象は
安藤組を現に代表する花形敬となる。

花形は難を避けるため、渋谷を引き払って、
二子多摩川のアパートの一室にこっそりと居を移した。

九月二十七日午後十一時すぎ、
アパートの手前、三百メートルの道路わきに
運転してきた車をとめ、ドアを開いて降り立った
花形は、それに並ぶように駐車していた
トラックの陰から現れた二人に両側からはさまれた。

「花形さんですか」

「そうだ」

次の瞬間、二人は同時に左右から
刺身包丁を花形の脇腹に突きたてて、えぐった。

花形はアパートに向かって二百メートルほど走ったが、
力尽きて昏倒し、その場で絶命した。

生涯で初めて敵に背中を向けたとき、
花形敬の三十三年の生涯は終わった。

ヤクザのケンカは勝ったときほど、後始末が難しい。

「花形に金さえあれば殺されずにすんだかもしれない」

と、語る人が多い。

戦後の焼け跡を己の拳だけで
のしあがってきた花形敬には、
安藤組という組織を守ってゆく「経営マインド」など、
欠片も持ち合わせていなかった。

闇市マーケットに代わって渋谷にビルが立ち並んだとき
花形敬の時代は終わってしまっていたのである。


(ステゴロ無頼・完)
【92】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月14日 13時20分)

【斜 陽】

花形と石井のあいだに和解が成立して間もなく、
威勢を誇った安藤組は思いがけないつまずきから、
にわかに落ち目に転じる。

きっかけは安藤昇による昭和三十三年(1958年)の
東洋郵船社長、横井英樹襲撃事件であった。

そのころ、安藤組は「四九の日」に開帳する
賭場の揚がりを資金源としていた。
「四九の日」とは毎月四日、九日、十四日、
二十四日、二十九日のことで、
都内や箱根の旅館を借り切って
賭場を開帳していたことから呼ばれた。

安藤は客を開拓するのに頭を使った。

戦前の博徒ヤクザが金回りのいい
旦那衆を相手にしていたのに対し
戦後派の安藤は会社社長や医者、弁護士ら
固い職種に目をつけた。

競馬場の特観席に通い、
懐の暖かそうな紳士に狙いをつけ、
まずはキャバレーのつきあいから始める。

気心が知れたところで麻雀卓を囲み、
やがて相手のオフィスや店舗に
二千円程度の手土産持参で挨拶に伺う。

それで来てくれなかったら三千円、
だめなら五千円と手土産を高額にする。

五回通って、こなかった者は一人もいなかった、という。

彼らは立場上、賭博に手を染めていることを
吹聴しないという安心感がある。

それでも安藤は手入れを防ぐのに細心の注意を払い
客には当日まで賭場の開帳場所を知らせず、
車で迎えにゆき
さらに別の車に乗り継がせるという慎重さだった。

賭場では組員が客の「男芸者」となって
徹底したサービスにつとめ、
月に一度は若い衆を常連のもとへ差し向けて
トラブルの解決などの御用聞きをさせた。

当初は一晩二百万円からのテラ銭が上がる盛況だった。

しかし、組は膨張するばかりのうえ、
花形初め、幹部連中には
安藤のような「才覚」が全くなかった。

安藤は資金繰りに四苦八苦するようになる。

そこへ持ち込まれたのが、賭場に出入りしていた
三栄物産社長からの債権取立て話だった。

取立て相手の横井英樹はのちに
「乗っ取り屋」として名をはせ、
昭和五十七年(1982年)のホテルニュージャパン火災では
スプリンクラーなどの消化設備の不備から
宿泊客、33人の死者を出し、
業務上過失致死で禁錮三年の実刑に
服したことで知られるが、
当時は老舗百貨店「白木屋」の
株の買占めに走っていた。

横井は三栄物産社長から三千万円を借りていたが、
資産の全てを他人名義に書き換えていた。
その取立てが安藤にもちこまれたのである。

引き受けた安藤は六月十一日午後四時ごろ
「銀座警察」こと浦上一家顧問、
熊谷成雄と二人で横井英樹のいる
東洋郵船本社に押しかけた。

応接室で総務部長同席して応対した横井だったが、
まともにとりあわない。

それどころか安藤に向かって
「金を借りて返さないですむ方法を教えてやるから、
 出直して来い」
という始末だった。

逆上した安藤は渋谷の事務所にとって返すと、
幹部を呼びつけ、横井狙撃を命じる。

午後七時二十分ごろ、安藤の指令を受けた幹部は
東洋郵船社長室に乱入、
来客と面談中だった横井に
「お前が社長か」と確認して32口径弾を発射した。

弾丸は左わきから心臓の下をわずかにそれて
左肺、肝臓に達する重傷だった。

事件後、安藤は愛人を連れて逃亡、
三十四日後に箱根温泉で逮捕される。

この事件をきっかけに警視庁は渋谷、上野、浅草に
「暴力団取締本部」を設置して、
徹底した取り締まりに乗り出した。

結果、安藤と実行犯だけでなく、
花形、石井ら七人も逮捕される。

組長以下、めぼしい幹部をあらかた、
引っ張られた安藤組はにわかに弱体化して、
それまで彼らの天下であった渋谷には空白地帯が生じ、
これを狙って新たな組織同士の衝突が繰り返された。
【91】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月13日 15時27分)

【和 解】

石井が花形から呼び出された場所は渋谷駅に近い山手線高架下の児童公園だった。
出かけようとする石井に妻の美代子は泣きながら言った。

「あんた、何か持っていくつもりなの?
 持っていったら殺されるわ。
 お願い。素手で行ってちょうだい」

公園に着くと花形はすでに待ち受けていて、
拳銃二丁を地面にほうりだした。

「おれはてめぇと違って、
 若い衆なんか使って命はとらない。
 サシで勝負しよう。さぁ、好きな方をとれ」

取れば殺されると思う石井は手を出さない。

石井が突っ立ったままでいると、花形が促した。

「なぜ、とらないんだ」

二人を遠巻きにして、組の連中が見ている。

石井は一瞬、手を伸ばしかけて思いとどまった。

「取ったら、負けるのがわかってるから、
 おれはとらねぇ。好きなようにしてくれ」

それまで低かった花形の声が、
石井の言葉を聞いてにわかに高くなった。

「好きなようにしろ?
 おい、石井、おれが好きなようにしたら、
 お前を本当に殺す。
 そのことを一番よく知っているのは、
 お前じゃないか。
 てめえ、そんなに殺されたいのか。
 なんで、謝ってくれないんだ。
 おれの聞きたかったのは、
 そういうセリフじゃねぇ!」

石井は思わず「助かった!」と心の中で叫んだ。

「これが後ろから木刀で闇討ちくわせたくらいのことだ ったら、おれも謝る。
 だけど、一家内で命を狙ったんだ。
 謝ってカタのつく問題じゃない。
 そう思うから、おれは覚悟してきた。
 好きなようにしてくれ、といったのは、
 そういう意味だったんだ。
 謝ったら、本当に許してくれるのか。
 それなら、この通り謝る。敬さん、おれが悪かった」

石井が頭を深々と下げたとたん、
花形は駆け寄って行って、
石井の両手を傷が癒えたばかりの
大きな手で包み込み、固く握り締めた。

「よく言ってくれた。石井よ、おれはうれしい。
 よし、保釈祝いをやろう。
 ほんとのことをいうと、お前を祝ってやりたい連中も
 おれの手前があって言い出せないでいるんだ。
 おれがやる分には誰も文句はあるまい。
 さあ、行こうぜ」

許してもらったのは予想もしない有難さだったが、
石井は花形と酒席をともにすることにはためらいがあった。

花形は根っからの酒乱である。
今は機嫌が良くとも、酔いが回ったら
どうなるものか分からない。

石井は思い切って、正直な気持ちを口にした。

「いったん、許してくれても酒を飲むと、
 また怒りだすんじゃないのか。
 それだったら、おれはいやだ」

「いや、絶対に二度と蒸し返さない」

花形は石井を呼び出したときから、
命のやりとりは毛頭考えていなかった。

それはふだんから花形が頑なに
ステゴロを守り通したことで明らかといえた。
凶器を用いたケンカはいきつくところ、
殺し合いにならざるを得ない。

過去にも繰り返してきたように
暴力団というのは暴力が売り物である。
しかし、花形の暴力はステゴロという
ひとつの歯止めを、かけている点では
いささか異質ともいえた。

事実、花形はこの一件を全て水に流した。

「あれからだね。花形とおれが心から打ち解けたのは。
 今でもときどき、思うことがありますよ。
 あいつが生きていたら、
 きっと力になってくれていた、だろうに、ってね」

本多氏の著書で石井はこう、語っている。
【90】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月10日 16時59分)

【不死身伝説】

石井が花形敬の暗殺を企てたのは
この時が初めてではない。

そのころの安藤組は膨張に膨張を続け、
組員を名乗るもの同士が衝突して、
お互いに顔も名前も知らない、
ということが末端では珍しくなくなっていた。

しかも花形敬も二度の懲役を経験している。

この世界では、強いものが不在の間、
そのポストを空けて待っておこう、
などという悠長なことはまかり通らない。

花形、石井ら幹部たちはそれぞれに
準幹部クラスを従え、
彼らがまた、若い衆を擁して各派を形作っていた。

「敬さん、を殺っちまおうよ」

石井の許には再三、そういう囁きが届く。

長い間、花形の後塵を拝している石井も何度か、
花形抹殺の方法を相談したことがある。

そんなある日、当の本人が通りかかった。

「おい、おれを殺る相談か。
 いっておくけどハジキじゃ、おれは殺れないぜ。
 殺りたかったら、機関銃をもってこい、機関銃を」

話の中身を聞かれたはずもないのに、
花形はそう、言った。
花形の察しの良さに気勢はそがれて
話は立ち消えになったが、
現実に花形をマトに掛けた石井にとっては、
花形のそのときのセリフが耳の奥底から甦った。

殺った、と思った花形が生きて、自分を捜している。
その事実を聞いて、石井はまさに生きた心地がしなかった。

撃たれた当の花形は銃声を聞いて
飛び出してきたバーテンの肩を借りて
タクシーに乗り込み、渋谷区役所横の
外科病院に向かった。

花形の傷は左手の第二、第三指骨骨折と
左脇腹の盲貫銃創で全治四ヶ月で、
当然入院となった。

しかし、いったん病室に収まった花形は
看護婦の目を盗んで病院を抜け出し、
石井らが潜んでいそうな場所をさまよいだした。

あげく、石井らが見つからない、
となると朝鮮料理屋に入り込んで
コップ酒をあおりながら焼肉を三人前ほどたいらげ、
夜が白むころになると女を呼び寄せて
旅館に泊まりこんだ。

翌朝、事務所で事件の報告を受けた安藤は
花形を呼び寄せた。

「いったい、なにが、あったんだ」

「いや、ちょっと――」

左手に包帯をグルグルと
巻きつけた花形は何も語らない。

以下は本田氏の著書による安藤昇の述懐である。

「ハジキで撃たれたんだから、
 ふつう病院のベッドから動けないでしょう。
 それを花形は夜っぴいて歩き回ったあげく、
 酒くらって女を抱いてた。
 化け物だね。おれがいくら聞いても何も言わない。
 そのうち、やつのズボンのすそから
 弾がポロッと落ちてきた。
 考えられないでしょう。
 おれもいまだにワケがわからない。
 どういう、あんばいになってたのかね」

推測するに、これが内臓を損傷させての
貫通銃創だったら、いくら花形とはいえ、
出血多量で死んでいたであろう。

おそらく発射された弾丸の入射角度が浅く、
脇腹にとどまっていたため、
何かの拍子で自然排出されたのではあるまいか。

いずれにしろ、そのままでは身内同士の
殺し合いになりかねない、
とのことで安藤が石井に三ヶ月の謹慎を申し渡して
この件は一応、落着する。

花形はろくすっぽ病院に通わず、
左手にすっぽり空いた穴を
若い衆に赤チンを塗らせてとうとう治してしまう。

花形のふるまいは尾ひれがついて広まり
「ヤツこそ不死身だ」として
人気はいよいよ高まってゆく。

自首した石井は裁判で懲役七年の求刑をうける。

傷害などの前科があるうえ、
今回は殺人未遂なので
保釈は無理だろうと覚悟していたが
意外にも保釈申請が認められる。

そのことは石井にとっては嬉しい誤算であったが、
果たしてシャバに戻ったその日に
彼は花形から呼び出しをうけることになる。
【89】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月10日 16時50分)

【謀 反】

昭和32年(1957)年四月、
花形敬は先の傷害罪での八ヶ月の刑が確定し、
長野刑務所に服役、これで生涯における
前科二犯目となった。

出所した花形は所帯をもった石井のアパートに
夜な夜な、酔っ払ってやってくるようになる。

六畳間の中央にあぐらをかいて
大仰にタバコをくわえ、
連れて来た若い衆にマッチを
すらせているうちはまだいいが
「酒を出せ」とわめいて
一升瓶からラッパ飲みするかと思えば
「美代子、おかゆを作れ」と、
石井の女房を呼び捨てにして、言いつける。

あまりに深夜の乱入が多いので、ドアに鍵をかけ、
夫婦で息を殺していると、
花形は土足でドアを蹴り破ってくる。

妻は完全なノイローゼになってしまった。

石井の花形への憎悪が日に日に募っていった
昭和33年(1958年)二月十七日深夜、
石井の配下の牧野昭二が理由もなく、
花形に殴られるという事件が起きる。

牧野は石井が花形に敵意を抱いていることを
知っていて、殴られるとその足で
石井のアパートに向かい
「敬さんを殺らせてくれ」と訴えた。

堪忍袋の緒が切れた石井は
ついに花形敬の抹殺を決意し、
ブローニング32口径拳銃を用意した。

かたわらから妻の美代子が尋ねた。

「あんた、敬さんを殺って、何年入ってるの」

「だいたい、十年ぐらいのもんだろう」

「お願い、私のことを思うなら、敬さんの下にいて我慢して」

「そんなこっちゃ、この世界では生きていけないんだ!」

夫を止められないと知って美代子は泣きじゃくった。

石井から拳銃を受け取った牧野は
花形が飲んでいたバーの前で張り込んだ。

午前三時すぎ、店から出てきた千鳥足の花形を尾行し、
すっかり灯の消えた宇田川町の飲み屋街で後ろから声をかけた。

「敬さん・・・」

青白い疵だらけの顔が振り向いた。

細い目は深い酔いで焦点が定まらないようだったが、
向けられた銃口にはすぐに気づいた。

「いったい、なんの真似だ、それは」

ドスの効いた低い声に動じた気配はない。
恐怖にかられたのは道具を
手にしていた牧野の方だった。

身体を正面に向けなおした花形が
一歩、一歩迫ってきたからである。

撃たなければ、殺される。
牧野は夢中で引き金をしぼった。
しかし、弾は花形をそれた。

「小僧〜、てめえにゃ、俺の命はとれないぞ!」

花形は逃げようともせず、
左手を広げて前へ突き出し、
なおも牧野との間隔を詰めにかかる。

後ずさりしながら、牧野は二発目を発射した。

弾は左手を射抜き、衝撃で花形の長身が半回転した。
三発目が左の腹部に命中。
さしもの花形もその場に崩れ落ちる。

「やりました!」

息せき切って石井の待つ食堂に駆け込んできた牧野を迎えて石井は叫んだ。

「やったか!」

これでやっと枕を高くして眠れる。
石井が安堵の胸をなで下ろしていると、
花形の動性を探らせていた若い衆が
血相を変えて現れた。

なんと、撃たれた花形は死んだどころか、
石井の居所を捜し求めて渋谷の街を
うろついているという。

天国から地獄とはこのことか。
石井は顔面から血の気が引くのをはっきりと感じた。
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