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【28】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時04分)

【無差別攻撃】

鳴海清の死体発見までの間、
事態は平穏だったわけではない。

警察の厳重な抗争防止の警戒網をかいくぐって、
山口組は一方的に松田組を攻め立てていた。

八月十七日夜。

首領(ドン)狙撃以来、初めて火の手があがった。

午後八時三十分ごろ、
大阪市住吉区の公衆浴場「大黒温泉」で
近くに住む松田組系村田組若頭補佐、朝見義男が
入浴をすませて外へ出ようとしたところ
入り口のノレンの間から二人の男に狙撃された。

38口径弾は朝見義男の右胸に命中、
朝見義男は脱衣場を走りぬけて逃げようとしたが、
浴場に通じる廊下で力尽きて倒れた。

朝見義男が撃たれたのは同行していた
妻と子供らがいる女性脱衣場にむかって

「先に出るぞ」

と声をかけてゾウリを取り出したところだったが、
そこにはちょうど入浴に来ていた女子高生と母親がいた。

ノレンの外に居た二人組の男はこの母娘に

「危ないよって、今は入ったらあかん。
 ちよっと、どいときや」

と言って巻き添えを防ぎながらいきなり、
発砲したあと、近くに停めていた
濃紺のセリカで逃走した。

撃たれた朝見義男は右肺を貫通され、
翌十八日、死亡した。

それから半月後の九月二日午後十時ごろ、
和歌山市内の松田組系西田組、
西田善夫組長宅に白いセドリックが乗り付けられ、
車内から二丁の拳銃が轟然と火を噴いた。

門柱に椅子を出して張り番をしていた
組員二人は立ち上がって逃げようとしたが、
弾丸が次々と命中した。

セドリックはタイヤをきしらせて逃走した。

あっというまの出来事だった。

組員二人は背中や腰に計五発の銃弾を浴び、
即死に近かった。

九月十八日、その後、鳴海清と判明する腐乱死体が
六甲山中で発見された翌日の午後八時すぎ、
大阪市阿倍野区の「マンション・ヒグチ」前の路上で、このマンションに住む大日本正義団組員に
背後から一人の男が近づいてきて、
四メートルの至近距離から拳銃を発砲した。

現場は阿倍野区の繁華街のど真ん中で、
道路を隔てた前には寿司屋があり、
店の主人はスシを握りながら窓越しに
発砲の閃光を見、銃声を聞いた。

撃たれた男は脇腹から右胸に貫通銃創を負ったが、
皮一枚で内臓損傷をまぬがれた。

九月二十日、
兵庫県警は六甲山の腐乱死体を鳴海清と発表。

二十一日の朝刊各紙はいっせいに

「鳴海は殺されていた」

と大見出しで報じた。

例の<大阪壁新聞>の主役、
夕刊各紙は警察が断定していないうちから
連日、天地もひっくり返すほどの展開をしていたから

「六甲の死体、やはり鳴海」

と大見得をきっていた。

山口組の攻撃はとまらない。

三日後の九月二十四日、
舞台は再び白昼の和歌山へ飛ぶ。

午前十一時三十分、
松田組傘下の杉田組、杉田寛一組長が事務所前で
至近距離から拳銃弾二発を撃ちこまれ、翌日死亡。

山口組はわずか一月余りの間に松田組側に
死者四、負傷一の損害を与えた。
【27】

RE:血風クロニクル  評価

こぱんだ (2014年06月09日 18時32分)



     血の部屋
    _______
   |┃≡     |
   |┃≡     |
ガラッ|┃      |
   |┃≡●  ●  | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
   |┃( ΘωΘ) |< こんにちは!! |
   | E二    )  | \_______/  
   |┃ | | |  |
   |┃(__)_)  |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


のほ代表ー!! 元気ですか^^ 

再開になってました><  ブレイクタイムに・・と思ってたのですが・・大丈夫でしょうか

もし。。アレでしたら言って下さいね><

また後で、やって来ますのでね





遅くなりましたが^^  お墓のあとが続いて・・良かったな。。。と思っております

息抜きにでも・・向こうにお茶飲みに来て下さいね^^



ではでは。。。執筆頑張って下さいです!!


       (⌒)
     のほ (~) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    (・ω・)() < うむ! 悪くないな♪ |
   { ̄ ̄ ̄ ̄}  \__________/
   {~ ̄ __}
   {~ ̄ __}
   {____}
    ┗━━┛



失礼しまするる〜〜〜☆
 
 
 
【26】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時01分)

【天女の遺体】

「ベラミ事件」から二ヶ月がたった。

昭和五十三年九月十七日は日曜日だった。

彼岸の入りまで一週間となったのに、
日中の最高気温が二十五度以下に下がったのは、
わずかに三日間だけで、夏の名残は濃い。

だが、さすがに標高九百三十二メートルの
六甲山には秋風が吹き、ススキの穂が揺れていた。

午後一時半ごろ、地元のハイカー六人が
六甲山頂付近の瑞宝寺谷で沢歩きを楽しんでいた。

山頂付近ドライブウェイから二百メートル下、
梅雨時の鉄砲水を防ぐコンクリートの、
えん堤が築かれ、周囲は雑木林だった。

一行は沢の底の方で人形のようなものが
横たわっているのを見つけた。

異様な臭気がする・・・・

「死体だ!」

誰かが叫ぶと、一行は悲鳴をあげ、
逃げるように沢をよじ登り、
やっと山頂付近の公衆電話から110番した。

兵庫県警捜査一課と地元の有馬署の捜査員や
鑑識課員が案内をうけ、現場に到着したのは
午後七時、あたりはすでに暗くなっていた。

傾斜三十度の谷底で発見された死体はなかば、
白骨化し両手、両足首をガムテープで縛られ
顔も目と鼻、口をガムテープで
ぐるぐる巻きにされていた。

肉の残っているのは肩と尻で刺青らしいものが見える。

黄色い縦じまのパジャマと
茶色の腹巻をつけ、履物はない。

「刺青のある死体!」

田岡一雄狙撃犯、鳴海清は背中に
天女の刺青があると公開手配されている。

「死体は鳴海ではないか」
 
マスコミは色めきたった。


兵庫県警捜査本部が

「死体は指名手配中の大日本正義団組員、
 鳴海清である」

と発表したのは発見から三日後の九月二十日であった。

これは死体の腐乱状態がひどかったこともあるが

「鳴海であって欲しくない」

という警察の面子が
否定的な見解になっていたことが否めない。

死体は発見の翌日の十八日、
神戸大学医学部で解剖されたが
前歯下四本が脱落しており、
手の指の爪は右三本を残して全てはがされていた。
足の指の爪も右足はすべてはがされていた。

ここから鳴海清は壮絶なリンチを
うけたのではないか、との推測がたった。

解剖の結果、わかったのは以下である。

◆死後三〜四週間
◆身長百七十センチ前後
◆年齢三十歳以下
◆血液型B型
◆胃の内容物は米飯と菜っ葉類
◆左手小指は第二関節から脱落
◆肋骨と背骨の一部に傷がある
◆パジャマのルミノール反応では背中と脇腹付近の出血が特に強い

死体が鳴海清であるという決め手は
やはり刺青であった。

腐敗した皮膚表面の刺青は肉眼では識別困難だったが、
赤外線撮影し残った皮膚部分の構図を
識別することに成功した。

写真を見た刑事たちから「おっ」と声があがった。

豊満な美女が舞い、その周りには
花とも雲ともつかぬ模様が踊っていたからだ。

捜査本部は大阪、西成区に出向き、
鳴海の刺青を手がけた彫り師を見つけ出した。

彫り師は

「鳴海は色白できれいな肌をしとったから、
 こら、エエ肌に巡りあえた思うて、
 心魂傾けて彫った傑作の一つと自負できるもんや。
 昭和四十七年(鳴海、当時十九歳)から
 一年がかりで彫ったのでよく覚えている。
 これは鳴海清の刺青だ」

と証言した。

死体の腹巻の中には現金三十万円のほかに
お守り袋があり、中には三輪車に乗っている
男児とうまれたての女児の写真が入っていた。

「このお守りはあの人が肌身離さず持っていました」

と内妻はむせび泣いた。

さらにお守りの中には銀紙に包まれた灰が入っていた。

内妻は

「かねがね、このお守りの中には
 会長の分身が入っている」

と聞かされていた。

会長の分身、つまり射殺された
吉田芳弘の遺灰の一部と推定された。

これらを総合して捜査本部は
ついに警察の手で捕捉できなかった口惜しさを
ありありと浮かべながら
「死体は鳴海清」と発表したのだった。
【25】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年06月07日 12時57分)

【挑戦状】

八月十三日、大阪の夕刊紙「新大阪新聞」と「大阪日日新聞」の二社に手紙が郵送されてきた。

文面は以下である。



「田岡 まだ、お前は己れの非に気がつかないのか・・・・・
 もう少し頭のすづしい男だと思っていた。でもみそこなった様だ。
 日本一の親分とかいわれ、己れ自身その覚が多少なりとあれば、王者の
 かんろくというものを知るべきだ。長期にわたり世間様にめいわくをかけ、
 尊い人の命をぎせいにし、その上にほこり高き己れ自身がさらし、
 真の日本一か・・・・・
 日本一の親分なら恥を知る者だ。
 それを知らぬかぎりしょせん、くすぼりの成り上がりでしかない。
 このまま、己れの力を過信すれば、その過信がお前のすべてのものを
 ほろぼす事に成る。それは天罰だ。かならず思い知らされるときがくるぞ。

                   大日本正義団  鳴海清

以上文面を八月十二日付けにて田岡一雄身典(親展?)に送付した」

=原文のまま

新大阪新聞社は便箋二枚に書かれたこの手紙を大阪府警本部に提出し、
府警の鑑定の結果、鳴海清の指紋二つが検出された。
また、筆跡も過去の鳴海清の供述調書の署名と一致する。
手紙は本人が書いたことが、これでほぼ間違いなくなった。

この手紙は西成郵便局の消印で、八月十一日午後八時〜十時ごろだから
集配時間を考えると、この日の夕刻に西成区内のポストに投げ込まれたことになる。

鳴海清はわざわざ、この手紙を投函するために
西成区内に現れたということになる。

手紙の内容は繰り返し読んでも、よく意味がわからない。

文中にある「くすぼり」とは「くすぶっている」というチンピラの蔑称だが
とにかく、田岡一雄を名指した挑戦状、
もしくは脅迫状といった印象をうける。

この手紙を書いた鳴海清の意図はなにか。

大阪に住んだ経験のある人なら誰でも知っていることだが、
梅田の地下街の柱などに刷りたての幾種類かの夕刊紙が貼り付けられて
PRのため立ち読みをさせている。

目を剥かんばかりの大見出しで帰宅途中のサラリーマンや
雑多の人々が群がって、この壁新聞を読む。

鳴海は大阪の夕刊紙がちょっとしたガセ情報にも飛びついて、
センセーショナルな「見出し合戦」をやることを知っていた。

なにより彼が引き起こした首領(ドン)狙撃は、
連日トップ記事扱いになっていた。

「自分の主張を多くの人に見せ付けたい」

鳴海清は撃ちもらした田岡一雄組長に手紙を送りつけると同時に
夕刊紙の大手、二社にこの手紙のコピーを郵送したのだ。

彼の意図はまんまと当たった。

新大阪新聞は全段ぶち抜きで「鳴海、山口組に挑戦状」と報じた。

大阪日日新聞はというと、どうせイタズラだろうというデスクの
ボーンヘッドでこのネタをボツにしてしまった。

いずれにしろ鳴海が書いた手紙は、一社がすかさずとりあげたことで
効果はあった。

大胆不敵に大阪市内に出没した鳴海清。

法の権威にかけて彼を捕まえようとする警察と
自らの手で処刑せんとする山口組は歯噛みした。

しかし、鳴海の行方はよう、として知れない。
【24】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時56分)

【鳴海、現る】

「ベラミ事件」からちょうど一ヶ月がたった
八月十一日。
大阪は相変わらず、うだるような暑さが続いていた。

午後七時を少し回ったばかりとあって
西成区のスナック「はるみ」には
まだ誰も客はいなかった。

三十六歳のママ矢野喜代子は
カウンターの奥で所在なげに座っていた。

ドアの外は西成特有の猥雑な
夏の夜の騒音が満ちていた。

ギーッときしむ音をたてながら、ドアが開いた。

「いらっしゃい」

矢野喜代子の口から反射的に言葉がとんで出たが、
入ってきた客を見るなり、
彼女の表情は硬く凍りついた。

目を細くして、青白い顔をした男は
まぎれもなく鳴海清だった。

「鳴海さん!」

彼女はそのあと絶句した。

一ヶ月前、京都のクラブ「ベラミ」で
首領(ドン)を撃った男が
ふらりと店に現れたのだから、無理もない。

事件以後、マスコミはこぞってこの男を写真入りで、
でかでかと書きたて
全国に指名手配した警察と
「処刑」を目的にした山口組捜索班の
必死の追及が続いている最中である。


大日本正義団事務所のすぐ近く、
顔を知っている者がウジャウジャいるという、
この西成に鳴海清は大胆不敵にも姿を見せたのだった。

「あんた、いったい、どうしたの!」

矢野喜代子はようやく声が出た。

「うん」

鳴海は店の中をジロリと一瞥した。

「相変わらず、しけとるなあ」

「あんた、こんなところへ来て、危なくはないの!」

「へっ!」

鳴海は嘲るような口調で嘯いた。

「なにが危ないんや。
 俺はいつでも正々堂々としとるで」

鳴海は矢野喜代子の顔をしげしげと見つめた。

「鳴海さん、飲むの?」

狙撃事件を起こす以前、
鳴海は足しげく通う常連だった。

「いや、酒はいらん」

鳴海は手をふると

「実は頼みがあるんや」ときりだした。

「なに?」

「鶴見橋の近くに俺が借りてるアパートがある」

鳴海は口早に説明を始めた。

大阪市西成区鶴見橋二丁目、
地下鉄四つ橋線花園町駅近くのアパート「山水園」。

住宅密集地の木造アパート二階の一室を
鳴海は前年の六月から借りていた。

四畳半、三畳、台所で家賃は月、一万六千円。

「家賃を八月分は払うとらんよって、
 代わりにオバハン、払うてくれんか」

封筒に入れた現金を渡された
矢野喜代子が承諾すると
鳴海清は

「ほな、またな」

とチラリと笑みを浮かべ
別段警戒するまでもなく、
そのまま、外へ出ていってしまった。

のちの警察の調べで鳴海は
匿われていた忠誠会組員の車で
西成に現れていたことがわかった。

その日、鳴海はさらに驚くべきことを
起こしていたことが判明する
【23】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時54分)

【復讐の絵図】

七月十六日。

京都府警捜査本部はひき続き、
首領(ドン)狙撃の舞台となった
「ベラミ」の関係者から事件前後の
聞き込みを進めていたが、
田岡一雄に異常な関心を寄せていた
ホステスの存在を聞きだした。

二十九歳のホステスで
前年の十月に「ベラミ」に採用され、
以前は大阪で勤めていた。
鳴海清が「ベラミ」に姿を見せはじめた
時期と一致する。

このホステスは田岡一雄組長が現れると、
興奮した口調で

「どの人が田岡さん?」

と、伸び上がって見つめ、教えてもらうと

「あのステッキを持っている人が田岡さんね」

と、ほかのホステスにも
念を押していたというのである。

そして、この女の身元を丹念に洗っていくと、
彼女が大日本正義団・吉田芳幸会長の
愛人であることが判明した。

彼女は「ベラミ」から南へ
七百メートルのマンションに住んでいたが
二十二歳の同じ「ベラミ」のホステスを
同居させていた。

念のため、この女も調べるとやはり、
大日本正義団幹部の女とわかった。

つまり、大日本正義団は田岡一雄がひいきにしている「ベラミ」にひそかに二人の女を送り込み、
行動をじっくり観察させ、
逐一報告させていたことになる。

この女たちの情報によって
田岡一雄組長の行動パターンが把握されると、
逐次、女たちは姿を消し、
そののち本格的に鳴海清が
常連客として「ベラミ」
に通うようになる。

「ベラミ」の経理を洗いあげてゆくと、
鳴海清はその年の四月二十二日から
七月十日までの間に三十九回も客として訪れ、
ホステスのチップを含めて
百四万七千円を使っている。

ほぼ、一日おきに三万円近くを落していく上客。

しかも、ホステスの一部では
彼がヤクザであることは感づかれている。

逆な見方をすれば、
これが山口組の情報網にひっかからなかったのが
不思議なぐらいである。

そこには

「まさか、首領(ドン)を直に狙うヤツなどいない」

という山口組側の慢心と油断があったに違いない。

いずれにしろ、この密偵としてのホステスの存在や
鳴海清の「ベラミ」での散財ぶりから、
田岡一雄狙撃は大日本正義団の
組織ぐるみの犯行と断定されることになる。

前会長、吉田芳弘の遺骨をしゃぶった男たち、
執念の復讐劇の「絵図」が次第にあぶりだされていた。
【22】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年06月07日 12時48分)

【先制摘発】

山口組三代目・田岡一雄が神戸の自宅に戻ったタイミングを逃さず
翌、七月十五日朝、
警察庁は一都二府、二十二県の警察に
暴力団の一斉摘発を指示した。

兵庫県警は田岡一雄組長宅、
若頭・山本健一の山健組事務所など五十四ヶ所、
京都府警は大阪府警の協力を得て、
松田組組長、樫忠義の自宅、
大日本正義団の事務所、
鳴海清の自宅など七ヶ所を捜索した。

「田岡御殿」と呼ばれる灘区篠原本町の
田岡一雄組長宅には
組員三十人が泊まりこんでおり
「銃刀法違反容疑」での捜索令状を手にした捜査員が
邸内をくまなく捜索したが凶器の押収はなかった。

田岡一雄は二階北側の十二畳の部屋に
ふとんを敷いて寝ていた。

収穫のない捜索にあって、
山健組傘下の健竜会事務所の壁に
「団結、報復、沈黙」との会則が貼られているのが不気味であった。

京都府警が捜索した大阪市西成区天下茶屋の
大日本正義団事務所はシャッターが下ろされ
中には電話番の組員三人がいるだけで、
ここからも何もでてこなかった。

山口組の標的目標とされている吉田芳幸会長以下幹部、
十数人は風を食らって逃亡し、所在はつかめない。

鳴海清の自宅からは本人の数次旅券が発見され
海外逃亡説は一応、消えた。

その夜、大阪府警マル暴に情報あり。

「山口組は幹部会で直系の百団体から
それぞれ十人編成の戦闘団を組織するように命じ、
すでに三班が行動を開始した」 ――――

大阪府警はライフル銃隊に、警戒待機を命じ
山口組戦闘団を確認次第、凶器準備集合罪で急襲する方針を決定した。

兵庫県警は警備先の警察官には
防弾チョッキを着用させ
拳銃使用許可を通達した。

松田組は報復に燃える山口組に包囲されている、
といえたが組事務所前には
装甲車、ガス銃、盾をもった
機動隊が厳重な警備体制を敷いている。


炎天下に、風のない暑い夜に、
捜査陣と山口組探索班による
「鳴海探し」のデッドヒートが続いていた。
【21】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時52分)

【臨戦態勢】
 

 首領(ドン) 狙撃犯が割れたことによって
戦争の扉はまさに開かれんとしていた。

山口組三代目・田岡一雄組長が入院している
関西労災病院、山口組襲撃班に狙われる
おそれのある松田組組長、樫忠義の自宅や事務所、
大日本正義団事務所、菅谷組関係先などに
兵庫県警、大阪府警の機動隊、装甲車、パトカーが
二十四時間の警戒態勢で臨んだ。

十四日になって、兵庫県警は
田岡一雄組長が入院している関西労災病院には
一般の入院患者、通院患者がいて、人の出入りが多く
チェックが困難なうえ、
もし、再度の襲撃事件が発生すれば
一般市民に巻き添え被害が発生しかねない、
との見方から田岡一雄組長に退院を勧告した。

事実、関西労災病院には

「おまえらは暴力団の親玉をかくまう気か」

「いつまでも山口組の病院をやるんなら
 ダイナマイトをぶちこんだる」

という、いやがらせや抗議の電話が殺到していた。

病院側では協議して、田岡一雄の
負傷後の経過が安定しているとみて
文子夫人ら付き添いの幹部と相談

「一般の人に迷惑をかけたくない」

と田岡一雄は即座に同意した。

午後七時
兵庫県警は関西労災病院周辺の警備を強化、
正面周辺道路に盾を持った機動隊百人を配備した。

午後九時十五分
一般の見舞い客が帰ったあと、
田岡一雄組長は五階の特別病室から
ストレッチャーに乗って玄関口へ降りてきた。

薄い水色のガウンを着てタオルケットに包まれ
額にはタオルが当ててあった。

両脇を屈強な組員に支えられて
六十五歳の田岡一雄組長は玄関前の
黒いキャディラックに乗り込んだ。

主治医の中山英男外科部長、
文子夫人、大平組組長、松浦一男が従った。

このキャディラックの前後を山口組の大型外車二台、
さらにその前後をパトカー二台がはさみ、
関西労災病院を出発した。

午後十時五分
キャディラックは神戸市灘区の田岡一雄邸に到着した。
ここでも防弾チョッキ、盾、ガス銃を
持った機動隊三十人が警戒し
組員五十人が玄関前に出迎えた。

病院の玄関同様、テレビライトが照らし出し、
カメラのストロボが光った。

「おんどりゃ、どかんかい!」

「親分のからだに悪い、ひかりを消さんか!」

組員たちは押しかけた報道陣に罵声を浴びせた。

病院では見送りに出た金子仁一郎院長を
記者たちがとりまいていた。

「ケガの状態はよくなっていますね。
 高血圧は持病なので血圧は不安定です。
 普通では、退院は無理なのですが、
 こんな状況ですからね。
 今後は主治医が自宅で田岡さんを診察します」

この夜、兵庫県警と大阪府警は
集まった情報を精査した。
これを総合すると以下のようになる。

■山口組は狙撃犯の鳴海清を
 警察に先がけて捕らえ「処刑」する方針

■鳴海清以外の山口組の報復目標は以下の三人

 松田組組長         樫忠義(四十歳)
  松田組系村田組組長  村田岩三(五十一歳)
  大日本正義団会長  吉田芳幸(三十五歳)=射殺された吉田芳弘の実弟

兵庫県警は抗争事件発生時には
拳銃使用を認める決定を下した。

「マークすべきは細田組組長・細田利明、
 それに直参の若衆」
 羽根組組長、羽根恒夫!」

二人とも「ベラミ」で田岡一雄のお供をしていながら、首領(ドンを)狙われた責任者であった。
【20】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時49分)

【首領(ドン)を撃った男】

鳴海清。

昭和二十七年八月十五日、
東大阪市足代の青果商の二男、五女
七人兄妹の末っ子として生まれた。

東大阪市から西成の愛隣地区に移って
萩之茶屋小学校、今宮中学へと進む。

「クラス一の弱虫だった」と
小学校時代の同級生の談話を
大阪読売新聞は報じている。

中学卒業と同時に東大阪市内の
印刷工場に就職したが、二年で辞めている。

このころから、急速に不良じみてきて、
西成でぶらぶらし始めた。

「体つきはよくいえばスラリとしているが、
 まあ、きゃしゃ、やね。
 それでも女を連れると肩を揺すって、
 でかい顔して歩いとったよ」

十七歳になる一ヶ月前に自動車窃盗で
西成署に補導され、保護観察処分。

その三ヵ月後に、西成区の喫茶店で客と口論し殴打、
打ちどころが悪かったのか相手を死亡させた。

この事件で一年半、浪速少年院に送られる。

「内向的ながら、逆上すると
 みさかいのつかない攻撃的な行動にでる」

と、当時の性格診断書にある。

甘いマスクで女にもてる優越感と
内面のひ弱な劣等感が複合した
コンプレックスを抱えていた、とみる向きもある。

大日本正義団が結成されたのは昭和四十六年だから
鳴海清、十九歳のときである。

鳴海は少年院を出ると大日本正義団の使い走りや、
その斡旋でスナックのバーテンをするようになる。

二十二歳で一つ年下の女性と結婚、
同時に吉田芳弘会長から正式に盃をうけ
大日本正義団組員となった。

吉田芳弘会長が射殺される一ヶ月前の
昭和五十一年九月五日
鳴海は自転車で西成区内を通行中、タクシーと接触、
逆上してタクシー運転手を殴ったうえ、
かけつけた西成署員にも乱暴して逮捕された。

十二月、大阪地裁で暴行傷害、公務執行妨害の罪で
懲役一年六月、執行猶予三年の判決を受ける。

このとき、取調べにあたった西成署の
暴力係捜査員が供述調書をとる際

「おまえ、なんでまた、ヤクザなんかになったんや」

と、大日本正義団に入った動機を聞くと、
鳴海は胸を反らしていった。

「そりゃ、パリッとした背広着て、
肩で風切って歩けるさかいや」
【19】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時47分)

【狙撃手、割れる】

田岡一雄狙撃の現場「ベラミ」では
京都府警捜査四課の捜査員が
目撃者の話から犯人像を組み立てていた。

犯人は身長170センチ、中肉、面長で白シャツ、
紺のヤッケに白いスラックス。

前年の十月から「ベラミ」に姿を見せ、
その年四月の終わりごろから
足しげく通っていた男だった。

好奇心を顔いっぱい露わにしたホステスたちは
知っていることなら何でも洗いざらいに喋った。

キムラと名乗り、男前だった。

「どんな、お仕事?と聞くと
 『うるさい!身元調べみたいなことを聞くな』
 と、言わはったんえ。
 顔に似合わずこわい感じで、
 とっつきが悪う、おわした」

「髪は?」

「五分刈りどす。左手の小指があらしまへんどした」

「ヤクザだね」

「あの人なら肩から背中に天女の刺青があったわ」

つい、口を滑らせたホステスがいた。

「情婦です」と白状したようなもんである。

捜査員が執拗に尋問すると、
この女はベソをかきながら、
幾度かキムラに誘われて寝たことを白状した。

犯人割り出しの決め手となったのは
グラスに残っていた指紋と
「ベラミ」近くの路上に落ちていた
ヤッケのポケットにあった
壊れたサングラスの指紋からであった。

京都府警から送られてきた指紋は
大阪府警の指紋カードと照合された。

七月十三日、照会指紋が照合した。

指紋番号57877(左)  98898(右)

それは大日本正義団組員、鳴海清の指紋だった。

カードには「性格は粗暴で短気」とあった。

マスコミにかぎつけられる前に
鳴海清をつかまえたい、
と大阪府警捜査四課の刑事たちは
大阪市西成区萩之茶屋の鳴海の自宅をはじめ、
めぼしい立ち回り先に踏み込んだが、
その姿は発見できなかった。

この異変を記者たちが感づかないわけがなかった。

七月十四日

京都府警の捜査本部は
山口組三代目・田岡一雄狙撃犯人は
鳴海清と断定し、発表した。
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