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【248】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月10日 12時41分)

【検問カード】

酒井宅で替え玉にされた男の葬儀が
営まれていた二十三日午後、
唐津署の捜査本部はにわかに活気づいていた。

小倉北署高田派出所へ出された
清美の弟のレンタカー盗難届に基づいて
県下各署の検問カードを点検したところ、
盗難にあったとされるコロナマークIIと
同一ナンバーの車を星賀港での事件が起きる
一時間前の二十一日午後十一時四十分ごろ、
唐津署管内でチェックしていることが
判明したからである。

チェックのきっかけは、
たまたまこの日の夜十時ごろ、
佐賀市内で発生した「病院荒し」の
事件がきっかけだった。

この病院を狙った窃盗事件は
警察庁指定「広域十二号」犯の犯行で
佐賀市内では一月九日夜にも
「病院荒し」が発生していたため
佐賀県警では事件発生と同時に
県下各署で検問を実施していた。

検問場所は東松浦郡浜玉町淵の上にある
レストラン付近の国道202号線。

福岡県境から一・五キロ、
唐津寄りの地点である。

検問が始まったのは午後十時半ごろだったが、
「広域十二号」犯が県外に逃走する懼れがあったため
実施されたのは上り線が主体で
下り線はナンバーチェックだけだった。

検問が始まってから一時間十分が
過ぎた午後十一時四十分すぎ、
福岡方面から時速六十キロほどのスピードで
唐津方面に向かうコロナマークIIがチェックされた。

チェックを始めて二十七台目だった。

このマークIIを運転していたのが中村豊子で
トランクに替え玉の死体を乗せて星賀港に向かう
酒井のスカイラインを追尾しているときだった。

検問カードの総点検で捜査本部は色めき立った。

高田派出所への盗難届によって
酒井の身内が借りていたレンタカーが
星賀港での加害車両と推測される車と
同じ車種のコロナマークIIで
そのキーの行方を巡る疑惑が浮上したこと自体、
捜査上、大きな進展だが、
これだけでは酒井の周辺人物と
現場を「点」で結ぶ状況証拠でしかない。

しかし、レンタカーのナンバーチェックは
時間や場所からしてこの車が
犯行に使われたことを裏付ける重要な資料となる。

いわば捜査が「点」から「線」へと
大きく前進したことを意味する。

レンタカーは誰が運転し、同乗者がいたのかどうか。

そのレンタカーを借り出した清美の弟や
「借り出させた」酒井の妻の清美は
この事件にどう、からんでいるのか。

二十三日午後、佐賀県警察本部で開かれた
佐賀、福岡、長崎各県警の合同捜査会議では
レンタカーを巡って数々の疑惑が報告された。

捜査の網は確実に絞られていった。
【247】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月10日 12時38分)



【事件のキー】

レンタカー会社の営業所へ裏付け捜査に向かったのは
小倉北署の刑事一課警部補の満島吉次と
唐津署刑事課の古賀健一だった。

満島らが営業所長から清美とその弟からの
電話内容を詳しく聞いていたころ、
清美の弟は再び高田派出所を訪れていた。

盗難届けの受理証明書をもらうためである。

派出所では二人の巡査が応対した。

しかし、弟の説明は相変わらず要領を得ない。

そればかりか、前夜はレンタカーのキーについて
「付いていたようだ」と言っていたのに
今度は「付いていなかった」と
前言を撤回したのである。

すでにマークIIが海底に投棄されていることを
知らない弟は清美、豊子の言われるまま、
前言を訂正したのだが、
これが二人の巡査だけでなく、
捜査本部の疑惑を招く結果となった。

その疑惑とはこうである。

もし、キーが付いていない車を盗むとしたら
エンジンを直結させるか、牽引するしかない。

しかし、エンジンを直結するとしてもマークIIの場合
キーを抜くとハンドルはロックされる。

では、他の車両を使って牽引したのか。

酒井宅は新興住宅地で近くに大型スーパーもある。
そんな人目につく場所で牽引や
積載してレンタカーを盗むものがいるだろうか。

結局、高田派出所の巡査二人は
盗難届証明書を発行せず、
清美の弟の二度目の届出内容を小倉北署に報告した。

清美の弟はその足でレンタカーの営業所を訪れた。

刑事一課の満島らは営業所長から
事情聴取を続けていたが、
車を借り出した当の本人が現れたことを知って
三メートル離れた更衣室に身を潜めた。

そしてカウンターをはさんでやりとりする
二人の会話に耳をそばだてた。

「キーはどうしていたの」

「車に付けたままです」

「あなたは唐津に車で行かなかったのですか」

「タクシーで行きました」

「だったら、家に出入りするとき、
 車があったかどうかわかったのでは …」

「葬儀の準備やらで、バタバタして
 姉さん(清美)は気付かなかったと思います」

「酒井さんが借金のカタに暴力団か
 誰かに車を渡したのではないですか」

「そうじゃないと思います。
 もう一度、よく姉に確かめてみます」

このとき清美の弟は営業所長から延長料金として
二万二千五百円を請求されたが

「今、持ち合わせがないので、
 夕方、必ず持ってきます」

と言って帰宅した。

満島らの捜査結果は直ちに
唐津署の捜査本部に伝えられた。
ことにキーの行方が
最大の疑惑として浮かび上がった。

この疑惑はこの日午後六時ごろ、清美の弟が

「祭壇の後片付けをしていたら見つかった」

とキーを提出したことで一層、深まった。
【246】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月10日 14時43分)

【盗難届】

高田派出所は国鉄南小倉駅から
南へ一キロの県道沿いにある。

清美の弟は当直の派出所員に

「姉に頼まれてナンバー 
 <北九州 55  わ 3●1> の
 コロナマークIIを借りたが
 二十一日午後五時から二十三日午前二時にかけて
 小倉北区熊谷一丁目の路上で盗まれた」

と届け出た。

だが、警察官から盗まれた状況を詳しく聞かれても

「キーは付けたままだと思う」

「最後に誰が乗ったのかは分からない」

とあやふやなことしか答えられない。

警察官から「よく調べて、朝方にも出直してください」と言われ、
いったん引き揚げることになった。

その朝が明けた小倉北署二階、刑事課。

三課長(窃盗担当)の松原秀雄は席に着くと、
管内の各派出所から毎朝九時前に
上がってくる盗難届けをチェックしていた。

高田派出所からの通報記録を目にしたとき、
松原はハッとした。

星賀港の事件での被害者とされている
酒井の身内からの車両盗難届けだったからだ。

松原は急いでその記録を隣の
刑事一課長の石橋照展に渡した。

石橋が記録を受け取ったのと刑事一課の電話に
有力情報が飛び込んできたのはほぼ同時だった。

情報は小倉北区美萩野の
レンタカー会社からもたらされた。

この会社の営業所長は出勤して間もない
午前九時前、部下が取り次いだ電話に出た。

かけてきたのは酒井の妻の清美である。

始めのうち

「新聞でご存知と思いますが …」

と切り出した女の話に状況がよくのみこめなかったが、
盗難状況をあれこれ聞くうち、
電話の相手は星賀港での
変死事件の被害者の妻と分かった。

清美に代わって電話口にでた弟に営業所長は

「警察に正式な盗難届けを出し、
 受理証明書をもらってきてください」

と言ったあと、キーの所在や
盗まれた時間などを聞いた。

相手の返事は

「キーは付いたままだったみたい」

「気がついたのは夜中だったので」

と曖昧な返事ばかりである。

そのとき、すでに営業所長の手元には
星賀港の事件の続報が掲載されている
朝刊が届けられていた。

見出しは「脱サラ社長の不審死 他殺の線強まる」とある。



■二十二日未明、北九州市小倉北区熊谷一の五の十三、
酒井水産社長、酒井隆さん(四二)が
佐賀県東松浦郡肥前町星賀港岸壁わきの
海中に沈んだ乗用車から死体で見つかった事件は
頭に鈍器で殴られたような傷があったことから
他殺の疑いが強まり、唐津署は酒井さんの足どり捜査や
関係者からの事情聴取を進めている。

<中略>

また、その後の調べで酒井さんが乗っていた
ニッサンスカイラインは酒井水産の
女子従業員のものと分かったが、
後部に追突されたらしい傷跡には
黒っぽい塗料が付着しており、
転落現場の岸壁にはコロナマークIIの
ものらしい尾灯片やスリップ痕が残っていた。



レンタカー会社の営業所長からの
電話内容を部下から報告を受けた
刑事一課長の石橋は直ちに捜査員を営業所に走らせた。

石橋はこのとき「事件の解決は間近だ」と確信した。

有力情報は小倉北署へ派遣されていた捜査員を通じて
唐津署の捜査本部へと伝えられた。
【245】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月03日 13時25分)

【濡れ衣】

佐賀県警の鑑識班が加害車両の
割り出しを急いでいた
二十二日午後八時すぎ、
北九州市小倉北区熊谷町の酒井隆宅では
通夜の準備が進んでいた。

遺体は解剖中ということでまだ戻っておらず
葬儀社の社員や親族が右往左往するなかで
レンタカーのマークIIの所在を巡って
騒ぎがもちあがっていた。

発端は唐津署での事情聴取を終えて
帰ってきた酒井の兄、勲が

「中村さん(豊子)が疲れているので、家まで送る。
 レンタカーは何処ね」

と切り出したことから始まった。

レンタカーのマークIIは酒井の指示で
清美が実弟に頼み小倉北区美萩野の営業所で
二十一日午後六時から
二十四時間契約で借りていた。

清美は酒井からこのマークIIを星賀港で
スカイラインを突き落とすのに使ったあと、
小倉北区板櫃川河口岸壁に
捨てたことを聞かされていた。

困った清美はとっさに

「家の前に止めていたけど・・・」

と、とりつくろった。

しかし、勲の長男が外へ出て捜し始め、
どこにも見当たらない、という。

二人のやりとりをそばで聞いていた豊子が
清美に「盗まれたことにしなさい」と
耳うちして入れ知恵した。

豊子は酒井がレンタカーを捨てたあと、
立ち寄ったスナックで
「レンタカーは盗まれたことにしろ」と
指示されていたからである。

見つからないレンタカーをあきらめた勲は
別の車で豊子を門司区の実家に送り、
清美も通夜の慌ただしさにまぎれて
ウソの盗難話を切り出せないでいた。

その間にレンタカーの盗難の話は弔問客の間に広まり、
騒ぎは大きくなっていった。
通夜に集った親族らが手分けして捜し始めた。

そのころ、レンタカーを借りた名義人である
清美の実弟は解剖を終えた遺体に付き添い、
他の身内二人と車で小倉に向かっていた。

もちろん、自分が借りたレンタカーのことで
騒ぎがもちあがっていることは知らない。

日付が変わった二十三日午前零時半、
遺体と一緒に酒井宅に帰りついた清美の弟は
たちまち、周囲から消えた
レンタカーについて問い詰められる。

「どこにおいたんかね」

「あんたのことだから、
 買い物に行って駐車場に置いたのを忘れて
 タクシーで帰ったのでは」

清美の弟は驚いた。

まったく身に覚えのないことである。
驚くとともに、おかしい、と思った。

酒井の死後、いくらも時間が経っていない。

清美にすれば気が動転して他のことなど
考える余裕などないはずだ。

それがしきりにレンタカーの
ことばかり、気にしている。

なぜなのか。

清美の弟は疑惑と同時に不安な気持ちにかられてきた。

レンタカーのマークIIは金策に行くという
豊子のために借りてやっただけでなく、
契約時間を過ぎても返しにこないことを
レンタカー会社からの問い合わせで知り、
二十二日午後六時まで時間の延長を頼んでいた。

もし、盗まれたとなれば自分が
責任を負わされることになりかねない。

清美の弟は実家に帰った後、
再び通夜に現れた豊子を連れ出し、詰問した。

豊子の返事は

「門司の実家に置いていたところを盗まれた」

というものだった。

いよいよ不可思議だった。
清美は「自宅の前にあったところを盗まれた」と言っている。

全く相反する二人の言い分。

事前に盗難場所をどこにするかまで、
打ち合わせわしていなかった二人が
その場まかせでウソをついてしまったためだった。

合点がいかぬまま、清美の弟は親族の助言で
二十三日午前二時半ごろ、酒井宅から約三百メートルの
小倉北署高田派出所にマークIIの盗難届けを出した。
【244】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月03日 13時20分)

【鑑 識】

事件捜査で現場鑑識ほど重要なものはない。

犯人自身が気付かぬ遺留品が
事件解決の決め手となることが多いからだ。

そして、それは裁判上の物証となる。

星賀港でも入念な鑑識捜査が行われた。

酒井隆と中村豊子は一月二十二日午前零時三十分ごろ、
替え玉の男を乗せたまま岸壁に引っかかった
スカイラインの後部をレンタカーのマークIIで
追突させ、海中に突き落としたが、
その際、岸壁に二台の車の部品などが散乱した。

現場で採取されたのは後部のナンバープレートを
縁どっているモールティングのほか、
バックランプのレンズ、
テールランプの破片や塗料片などであった。

わずか数ミリの塗料片から二センチ大の
プラスチック片など合計百数十点にのぼった。

当初、当て逃げ死亡事故とみていた
唐津署交通課長の田中らはこうした採取物から

「スカイラインを突き落としたのは
 五十三年型のトヨタ系普通乗用車、
 それもコロナマークIIではないか」

との見当をつけた。

田中は裏付けのため、採取した部品の破片などを
佐賀県警鑑識課、科学調査官の
小池敏幸に分析を依頼した。

小池は鑑識畑三十年のベテラン。

さっそく技官や鑑識課員十数人と
加害車両の割り出しにかかった。

車種や型式を割り出すためには
塗料片を顕微鏡で拡大し
断層や色調を分析したり、
溶剤で塗料の種類を調べたりしてゆく。

国内の自動車メーカーが通産省(当時)に
届け出る部品などの型や種類は年間約八千件。

同じコロナでも八十種類もの型式があった。
特に塗装を何度も繰り返している
中古車の場合、塗料片の分析は慎重を極める。

しかし、星賀港での採取物には
捜査陣にとってお宝が含まれていた。

プラスチックのテールランプの破片にわずかながら、
型式番号が読み取れる破片がふくまれていたのだ。

二十三日午前、小池調査官は交通課長の田中に

「加害車両は五十三〜五十五年型のコロナマークII」

と報告した。

続いて小池らは鑑定データを基に
加害車両、マークIIの損傷予想図を制作、
これは福岡県警にも電送された。

その予想図は後日、北九州市小倉北区の海底から
引き揚げられたマークIIの損傷と
寸分も違わない正確なものだった。
【243】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月03日 13時17分)

【疑念の恐怖】

勲や従業員は妻の清美と愛人の豊子が遺体を
きっぱりと酒井であることを確認したことで
次第に自信がなくなっていった。

とくに遺体の腹部にあった盲腸の
手術痕が判断を狂わせた。

酒井には盲腸の手術痕があり、
それも右脇腹ではなく、
腹部の中央にある珍しいケースであることを
本人から聞いて知っていた。

遺体の手術痕も偶然、同じ位置にあったのである。

勲は後日、この時の模様を
知人に次のように語っている。

「暴力団らしい男が借金の取立てのため、
 隆を付けまわしていたのは知っていたし、
 債権のもつれでリンチを受けた
 可能性は否定できなかった。
 髪も水に浸かっているうち直毛のようになり、
 顔つきも変わったのでは、と考えたりした。
 それに遺体が隆ではないとすると、
 もっとほかのとんでもないことが
 背後に隠れているような気がして、
 遺体が隆であったほうがいい。
 そのほうが厄介なことにならない、
 と自分に言い聞かせてしまった」

結論からいえば兄、勲の見立て通り、
遺体の陰にはとんでもない
黒い罠が仕掛けられていたのである。

唐津署の柔道場での遺体確認を
なんとか切り抜けた
清美は従業員らにむかって

「北九州に早く戻って葬儀の準備をするよう」
 
指示した。

清美、豊子、勲の三人は引き続き
唐津署で事情聴取を受けた。

この中で酒井のもとにしつこく
債権の取立てに来ていた暴力団の話が出た。

唐津署の調べは遺体の確認が終わったことで

「酒井を殺したのは誰だ」  に絞られた。

勲の長男と酒井水産の従業員二人は
ひと足早く、車で引き返す。

「遺体は清美の言うように
 本当に酒井だったのだろうか」

三人の疑念は消えない。

特に豊子の態度は解せない。

遺体確認の場で豊子はほとんど黙っていた。

泣き崩れることはおろか、
涙ひとつ見せず終始、落ちついていた。

一方の清美はうなだれ、肩を落とし
夫の急死に打ちしおれているように映った。

時々ハンカチを目に当てる。

勲が「しっかりするんだよ」と声をかけたほどである。
このとき、清美はうつむいて力なくうなずいている。

しかし、その実態は酒井と豊子の
凶行の果てに突然、見も知らぬ人物の
傷ついた遺体を見せられたことへの恐怖、
そして遺体確認という犯行の片棒を担いでしまった
自分の行為の恐ろしさ、これらの思いが
ごっちゃになって錯乱していたのである。

唐津署での三人への事情聴取は午後六時すぎに終わり
勲の運転する車でそろって酒井の自宅に向かう。

清美は終始、沈んだ表情で黙っていたが、
豊子は前夜からの疲労と一時的に緊張から解放された
安堵感で後部シートにもたれかかり
ぐっすりと寝込んでいた。

三人が北九州市小倉北区熊谷町の
自宅に着いたのは午後九時を回っていた。

すでに酒井の親族や知人が
集り葬儀の準備が進んでいた。

喪服に着替えるため、清美は奥の部屋へと入った。

豊子も着替えるため門司区の実家に向かった。

このころ、酒井宅の玄関わきの部屋では
唐津署で遺体を見た従業員ら
七、八人が集り、小声で話し合っていた。

遺体を見た従業員がみんなの意見を聞いているうち、
酒井以外の誰かが、酒井として殺された、
という疑念が次第に現実のものとして
全員の頭の中で組み立てられ始めていた。

酒井がその犯行に加わっている、いないは別にして
殺人事件の可能性は高い。

そうすればへたに騒ぐことはできない。

どこかにいる犯人が

「一人殺すも、二人殺すも同じこと」

として従業員にまで、手をだすかもしれない。

集った全員が遺体の疑問点には
沈黙を決め込むことにした。

異様な雰囲気の中で替え玉の遺体が到着し、
通夜が始まった。
【242】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月03日 13時12分)

【対 面】

やがて酒井水産の従業員二人も唐津署に駆けつけた。

この四人は清美の指示に従わず遺体と対面した。

遺体は星賀港から唐津署別館
二階の柔道場に運ばれていた。

二十二日午前二時からの遅番の当直副主任だった
警備係長の中原と交通課長の田中が
清美と親族、従業員ら六人を案内した。

全身リューマチに悩む清美は
階段の昇り降りが苦痛である。

痛みでゆっくりと上がったため、
柔道場に着くのが一番遅くなった。

遺体のそばで勲らがひと足早く確認を始めている。
上がり口のところでブーツを脱いでいた
清美のところに豊子が急いでやってきた。

「みんな、社長じゃないように言っています。
 早くきて」

清美は痛む足をひきずるようにして遺体に近づいた。

遺体は柔道場の中央に頭を北に向けて
仰向けに寝かされていた。
服装は胸にワンポイントのマークの着いた
長袖シャツにスラックス。
かたわらに「酒井水産」のネームが入った
紺色のブレザーがあった。

最初に顔を見たのは勲である。

かがんで遺体の顔にかかっていた
白布をとり、のぞき込んだ。
目をそむけたくなるようなむごい表情である。

頭部は陥没し、目の付近は腫れあがって
鼻骨が潰れている。

勲は傷のひどさに驚きながら瞬間的に

「これは隆じゃない」

と思った。

そばにいた長男に声をかけた。

「これが隆か、違うじゃろう。のう、違うじゃろう」

長男ものぞきこんでやはり
叔父の酒井じゃないと感じた。

間もなく、そばに清美がやってきた。

警備係長の中原が後方にいた清美を呼んで

「顔に傷がありますが、ご主人かどうか、
 よく確かめてください」

と確認を促した。

ショールをかぶり、コートのえりを
立てながら清美が前に出る。

息をひそめる勲たち。

清美は体をフラフラさせて
床に崩れかかり、豊子に支えてもらいながら

「主人に間違いありません」

と言った。

しかし、遺体のそばにいた酒井水産の
従業員二人も勲親子と同様、
遺体を見て、酒井ではない、と感じる。

酒井は髪にパーマをかけ、あごひげも濃く、
剃りあとが青々としていたのに
遺体の髪は直毛でひげもパラパラとまばらだった。

さらに酒井は腕時計をしない習慣だったが
遺体の手首にはデジタル時計をはめている。

従業員らは髪の毛の具合や時計の不審な点について
ブツブツつぶやきながら盛んに首をかしげている。

豊子がこれを聞きつけた。

清美に顔を寄せて

「腕時計のことを聞いてるよ」

とささやいた。

立ち会っていた中原が従業員らの
疑問点について質した。

「御主人は腕時計をしていましたか」

ここで清美はうまく話しを合わせる。

「はい、四、五日前からしていました」

そして「パーマはかけていましたか」の問いに
豊子が「この一ヶ月はかけていなかったよね」と
清美に相槌を求めるように答えた。

清美と豊子のウソは続いた。

しかし、あまり長い間、遺体を勲らに見せておくと
新たな疑問が発見されそうである。

その場をとりつく演技もいつまで
通用するかわからない。

清美がすかさず

「すみませんが、毛布をかけてください」

と中原に声をかけた。

遺体のすぐわきにいた勲が清美の口調に
押されたかのように毛布を遺体にかぶせた。
【241】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月27日 12時10分)

【疑惑の波】

酒井水産の専務で酒井隆の実兄、
勲は二十二日午前三時すぎ、いつものように
小倉北区西港町の中央卸売市場に向かった。
八人の従業員も顔をそろえていた。

酒井水産は資金がなく、産地から買い付ける
本来の業務はストップしていたが
これまでの取引パイプを切らないようにするため、
他の業者が市場内で仕入れた魚介類を
よその市場に運ぶ仕事を細々と続けていた。

市場の駐車場には酒井水産の保冷車があった。

星賀港から戻った酒井がレンタカーの
マークIIを板櫃川河口の岸壁から落すため
この保冷車を持ち出していたことなど、
誰も知るはずもなかった。

午前三時四十分、
セリ場に向かおうとしていた
勲のところに妻が長男の車で駆けつけた。

星賀港の事故の連絡だった。

「社長が海に落ちて死んだらしい」

と息せききって、伝える妻を見て、兄の勲は
酒井が自殺したと思った。

自宅にとって帰った勲は作業衣を着替えて
長男の運転する車で佐賀に向けて出発した。

事故が起こった星賀港へ行けばいいのか、
唐津署に行けばいいのか
二人ともわからず、とにかく車を走らせて
途中から妻に電話を入れ
新しい情報を得ることにした。

車の中で勲は

「隆は自殺したに違いない」

と確信めいたものを抱いていた。

酒井水産の経営が行き詰っている中で隆が

「自殺して保険金で借金を返そう。
 いい死に場所はないだろうか」

と冗談とも本気ともつかぬ口調で
言っているのを何度か聞いていた。

経営にしろ、遊びにしろ、
思い切ったことを平気でやる弟だった。

「あいつなら自殺もやりかねん」

運転席の長男も同じ見方だった。

「自分のやりたいようにやってきた
 叔父さんのことだから
 自分で決着をつけたのに違いない」

と考えていた。

九州自動車道、直方パーキングまで来たとき、
勲は自宅に電話を入れる。妻からは

「遺体は事故現場から唐津署に移すので、
 警察に向かったほうがいい」

との返事だった。

弟・隆の死は間違いないように思えた。
あとは少しでも早く遺体を確認して
別れを告げなければならない。

勲は運転を代わると重い気持ちで
アクセルを踏み込んだ。

冬の空が明けた午前七時、勲らが唐津署に到着した。

勲は着くとすぐに遺体との面会を申し入れた。

しかし、当直明けの署員は

「奥さんの清美さんが来るのをお待ちください。
 これは奥さんの希望ですから」

と断った。

     
妻の清美がまだ来てない?

勲は不審に思った。

一報はまず清美の許へ入っているはずだろう。
どうして、まだ着いてないんだ。

清美と豊子を乗せたタクシーが
唐津署に着いたのは五十分も後だった。

ここで勲らは二度目の不審を抱く。

なんと愛人の豊子が一緒じゃないか。

「豊子が生きている。いつも一緒で
 夫婦以上の仲と思えたのに
 隆は豊子を残して一人で死んだのだろうか」

生きているなら妻と愛人は
真っ先に駆けつけるべきじゃないか。
何をぐずぐずしていたんだ。

しかも会ったとたん、清美の口からは
信じられない言葉が出た。

「ここは私たちだけでいいから、
 みなさんすぐ帰ってお葬式の準備をしてちょうだい」

清美らにしてみれば、替え玉殺人が
ばれないようにするため
必死の思いだったに違いない。

だが「すぐに帰って」は
あまりにも不自然、不用意だった。
【240】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月27日 12時05分)

【アリバイ】

二人はタクシーを拾い、門司区原町の
豊子の実家に向かった。

豊子が犯行時に着ていた服を着替えるほかに
星賀港に転落させたスカイラインについて
警察から電話があったかどうか、
確かめるためでもあった。

清美をタクシーの中に待たせて
豊子が家の中に入ると母親が起きていて

「警察から電話があって、社長が亡くなったので
 電話してほしい、ということだったよ」

と心配そうに話した。

奥の部屋で着替えている間にも母親は

「会社の人からも電話があったよ。
 すぐ警察に電話したら」

とせかした。

だが、豊子は無言で家を出た。

タクシーの中にいた清美は
ラジオが午前四時の時報を告げたのを聞いた。

門司から小倉興産前までタクシーでとんぼ返りした
豊子と清美はここでアリバイ工作について話し合った。

男を若松競艇場から誘い出し、
酒井と二台の車に分乗して小倉を出発した
前日の二十一日のアリバイである。

「奥さん、二十一日に私が家にいなかったことは
 どういうふうにしたらいいでしょうかね」

「二人で篠栗さん(福岡県糟屋郡の霊場)に
 お参りすることにしていたけど、
 からだの具合が悪くなってやめたことにしたら」

「二十一日の午後二時ごろから
 奥さんのところにいたことにしてね。
 奥さんのところで事故を知ったことにしてください」

「夜は長女もいるけど、
 長女にもちゃんと言っておくから」

豊子は清美の機転に納得したのか、
その後も清美やその長女が
警察から事情聴取されてもアリバイ説明を
してくれるとすっかり安心したようだった。

二人がアリバイ工作の話を
しているところへ酒井がタクシーで乗りつけた。

三人は別のタクシーに乗り換え、
約五百メートル離れた
小倉北区堺町のスナックに向かった。

酒井と豊子が共同出資した店で
替え玉殺人を謀議したとされる場所である。

時刻は午前五時になろうとしていた。

合鍵でスナックの中に入った酒井は清美にまず、
北九州市八幡東区の清美の実弟宅に電話をかけさせた。

車で唐津まで送ってもらう
つもりだったが、弟は不在だった。

次に酒井の兄、勲宅へ。

電話口に出た勲の妻はすでに勲と長男が一緒に
唐津署に遺体確認のため出発したことを伝えた。

酒井はあわてた。

肉親が見れば本人でないことはすぐばれる。

酒井は清美に唐津署に電話を入れさせ

「今、博多から電話しています。
 義兄(にい)さんらが先に
 そちらに向かっていますが
 私たちが着くまで遺体の確認を待つよう、
 伝えてください」

といった内容のことを言わせた。

清美が唐津署から事故の一報を受けてから
すでに二時間以上が経っている。

酒井はこのあと豊子と清美に

「レンタカーは盗まれたことにしろ」

「二人ともきのうから一日中、家にいたことにしろ」

など、こまごまと指示した。

酒井は「男の腕時計が心配だ」とも言った。

腕時計はデジタル式で酒井が
服を着替えさせる際、
衣類とともに外そうしたが
なかなか外れなかったので
そのままにしていた。

とにかく酒井にとっては
まだまだ細かい打ち合わせを
しなければならないことがあったが
時間は刻一刻と経過してゆく。

タクシーもかれこれ三十分近く待たせたままだ。

「早く行かなくては」

という清美に酒井は

「死体は身内に見せるな。お前たち二人だけで見て、
 絶対に主人だと言い通せ」

と念を押し、三人でタクシーに乗り込んだ。

唐津へ向かう途中、酒井だけが
隠れ家の福岡市のマンションで降りた。

妻と愛人という奇妙な組み合わせを
乗せたタクシーは唐津署へひた走った。
【239】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月27日 12時00分)

【隠 滅】

清美から事件発覚を聞かされ、酒井は動転していた。

ただ一つの救いは警察が星賀港の海中から
見つかった死体を酒井と思っていることである。

あとは少しでも早く事後処理にかからねばならない。

酒井はこれまでの経過を詳しく
聞こうとする清美の声を遮って声を高めた。

「日明西口の電停近くにいるんだが
 タクシーがつかまらない」

「レンタカーはどうしたんですか」

「キズが付いたので処分する」

「レンタカーは事件には使わない、
 という約束だったでしょう」

清美がレンタカーにこだわったのは、
マークIIを清美の実弟夫婦に頼んで
レンタカー会社から借り出させていたからである。

実弟夫婦には今回の犯罪計画は
一片も打ち明けていない。

このままだと、実弟夫婦まで
共犯者と疑われるかもしれない。

清美はそのことをしきりに案じていたのだ。

一方、酒井は清美の弟のことなど、
つゆほども考えていなかった。

「詳しいことはあとで話す」

「九交タクシーに電話を入れて回してくれ」

「お前は四時までに小倉興産前に来い。
 そこで豊子が待っているから」

と一方的に指示した。

酒井が待ち合わせ場所に指定した「小倉興産」は
国鉄小倉駅裏の浅野町にある七階建てビルである。

清美との電話を切った酒井はかたわらの豊子に

「このまま小倉興産前へ行ってくれ。
 清美が待っているから」

と告げた。

日明西口電停と小倉興産ビルとの距離は約三キロ。

豊子は一人で歩き出した。

豊子の後ろ姿を見送っているところへ
清美が差しまわした九交タクシーがきた。

酒井はタクシーに飛び乗ると、
北九州卸売市場に向かった。

市場の駐車場には酒井水産の保冷車が置いてある。

タクシーを捨てた酒井は保冷車を運転して、
まっすぐマークIIがひっかかった
板櫃川の河口へ戻った。

星賀港と同じく、保冷車をバックさせ
後部をマークIIに当てて海中に落とした。

この夜二度目の転落音を聞いたとき、
酒井は全身から汗が噴出しているのを感じた。


小倉興産前路上で清美と合流した
豊子はその場でマークIIのキーと
レンタカー会社の借用書を清美に渡した。

マークIIのキーは酒井が板櫃川河口の
岸壁から車体を落そうとした際
車から引き抜き、豊子に預けていた。

清美に渡したのは酒井から

「清美に会ったらキーと借用書の
 指紋を消しておくよう伝えてくれ」

と言われていたからだった。

清美は受け取ったキーと
借用書をコートの内ポケットにしまった。

胸が高まり、殺人の経緯については
豊子に尋ねる余裕がなかった。
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