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【88】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月05日 16時04分)

【無 命】

昭和31年(1956年)六月五日午前一時ごろ、
刑期満了で出所したばかりの花形敬が
宇田川町を石井と飲み歩いていると、
たまたま刑務所で一緒だった王宗信という
中国人に声をかけられた。

「おい、花形」

「てめぇ、花形とはなんだ。ナカとシャバとじゃ、違うぞ」

いうなり、花形は一発で王を殴り倒す。

脳震盪を起こした王は動かなくなった。

「やばいぞ」

石井は花形を引き立ててその場から逃げた。

しかし、まもなくパンチで切れた唇を
ハンカチで押さえた王が
警官と捜し歩いているところに出くわし、
花形は逮捕される。

この傷害事件の裁判の係争中、
安藤組は地元の武田組と一触即発の危機を迎える。

昭和32(1957年)3月10日午前零時ごろ、
安藤組組員二人が酔っ払って
武田組配下の屋台を壊したのをきっかけだった。

二人はすぐに武田組の事務所に連行される。

これを知った安藤は宇田川町のバー「地下街」で
花形、石井らと相談してことを穏便に解決しようと
幹部一人を武田組に謝罪に出向かせた。

ところが、この幹部がなかなか、戻ってこない。

後にわかることだが、彼も武田方に監禁されて
暴行を受けていたのである。

午前一時ごろ、安藤らが待機していた
「地下街」に武田組配下の二人連れが顔をのぞかせた。

これを石井が武田組側の偵察と見咎め、
奥まった席に連れ込む。

「武田組とのもめごとが片付くまでここにいてもらいたい」

安藤はいざというときの取引材料にしようと、
二人にビールを勧めながら言った。

夜が明けたころ、やっと幹部らが帰ってきたため、
安藤も武田組の配下二人を解放、
両勢力の衝突は回避された。

ところが四月四日になって、
花形敬は単身、武田方に乗り込んでゆく。

監禁されていた者たちが残していった衣類を返せ、
というのが表立った理由だったが、
寸前のケンカがうやむやになったのが
面白くなかったのであろう。

相手が衣類の返還に応じないとみるや、
いきなりその男の横っ面を張り飛ばして引き揚げた。

その夜、自宅のアパートで
新婚間もない妻と寝ていた石井は、花形に起こされた。

「どうしたんだい?」

尋ねた石井に花形は鼻息荒く
「いま、武田のところに一人でいってきた」という。

「で、やられちゃったのか」

「バカ、なんで俺がやられなくちゃいけねぇんだ。
 武田の親父、震えてたよ」

石井はあわてて起き出した。

せっかく、武田組との揉め事が
丸くおさまりそうになっているのに、
寝た子を起こすようなものではないか。

この騒動は結局、安藤昇が調停に奔走し、
手打ちとなったが、
一人不機嫌な花形は武田の実子分を
渋谷駅裏の飲み屋街で殴り倒した。

昏倒した相手はしばらく路上に伸びていたが、
気が戻ると「覚えてやがれ」と捨てゼリフを残して逃げ出した。

「覚えてやがれ、って何をおぼえていりゃいいんだ。来やがったら、また一発よ」

この世界では弱い者はまず、殺されない。

自ら恃むものほど命を落しやすい。

しかし、正真正銘こわいもの知らずの花形は、
そのことに気づかぬまま、だった。
【87】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月05日 15時59分)

【力道山】

本多氏の著書の中で花形敬とプロレスラー・力道山とのエピソードがある。

最初の出会いは力道山がバーの用心棒をしていた
昭和30年(1950年)暮れ、となっているが、
その時期、花形は宇都宮刑務所で服役中であり、
また、力道山自身もレスラーとして人気絶頂のころであるから、おそらくプロレス興行が
本格化する前の昭和28年前後ではあるまいか。

昭和27年(1952年)ごろから、
宇田川町の区画整理が始まり、
拡幅された道路沿いはビルの建設ラッシュとなった。
多くは一階に喫茶店、バー、クラブなどの
飲食業が入り、経営者は安藤組に「みかじめ」を納めるのが半ば強制的なしきたりになっていた。

そうしたビルの一角に
「純情」というキャバレーがオープンした。

安藤組への挨拶がない、
ということで開店の当日出向いたのが、花形敬である。

マネージャーに経営者を呼ばせたところ
出てきたのが力道山だった。

「何の用だ」

「てめえに用じゃない。ここのオヤジに用があるんだ」

「この店の用心棒は俺だから、話があれば聞こう」

「ここをどこだと、思ってるんだ。
てめえみてぇな野郎に用心棒がつとまるか」

花形に野郎呼ばわりされて
力道山がこぶしを震わせ、顔面が朱に染まった。

その鼻先に花形は疵だらけの顔を寄せ、
細い眼を光らせる。

数秒のにらみあいが続く

「中に入って飲まないか」

折れて出たのは力道山だった。

店内には取り巻きのプロレスラーが
とぐろを巻いていた。
花形は彼らのテーブルをひっくり返し、
翌日の午後三時に銀座・資生堂のパーラーで
話をつけることを一方的に申し渡して引き揚げた。

当日の定刻少し前に、東富士をはじめとする
元力士のプロレスラー五人がパーラーにやってきた。

「昨夜は失礼いたしました」

東富士が花形敬の前に座った。

「力道はどうしたんだい?」

「それが・・・・」

東富士が口ごもり、汗をぬぐいながら

「どうしても・・・行く必要はない、と…」

「よし、わかった!」

そのとたん、五人のプロレスラーの脇腹に
拳銃の冷たい銃口がぴったりと押し付けられた。
彼らは反射的に両手をさし上げた。

「手を下ろすんだ。お前さんたちがヘタな真似をしなき ゃ、音は出さねぇ・・・・
 力道が来るまで、身体をかしてもらうぜ。
 わかったかい」

さすがのレスラーたちも、まさか銀座のど真ん中で
拳銃をつきつけられるとは予想だ、にしていなかった。
東富士が再度、使いとなり力道山が
「今後、いっさい用心棒をしない」と詫びをいれ、
決着する。

力道山はその後、安藤組には一目おいて
付き合いを始めるが、
ある夜、赤坂のナイトクラブで
花形敬らの一行と席を同じくした。

そのころの力道山は人気絶頂であったが、
安藤組の一人がからみだした。

力道山は酒癖が悪く、飲んだら
気が短くなることで知られていた。

爆発寸前の怒りを抑えていた
力道山が花形に耳打ちした。

「敬さん、もし、おれがこの男と
 ケンカしたらどっちにつく?」

「おれ、どっちにもつかないよ」

その返事を聞いたとたん、
力道山の頭突きが男の顔面に炸裂し、
男はフロアに昏倒した。

力だけだったら、プロレスラーの力道山が
花形にかなわない道理はない。

しかし、どんなことがあっても
相手を屈服させずにおかない意思力を
ケンカの場における度胸で量る、とすれば
花形敬は超一流の度胸の持ち主だった。

スポーツの格闘技とケンカは別物である。
前者は肉体と技で後者を上回り、
後者は闘志で前者を上回る。

初対面のときから、力道山は花形敬に
「呑まれてしまっていた」のであろう。
【86】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月03日 11時46分)

【服 役】

花形敬が宇都宮刑務所に収監されたとき、
傷害罪で一足早く、入所していた弟分の飯島四郎は
ちょうど刑務所内でケンカ沙汰を起こし、
懲罰のため独居房に入れられていた。

「今日、花形敬が入ったぞ」

担当看守に教えられて、
飯島は隣の房へ格子越しにささやいた。

「花形敬というのが入ってるはずだから、どこにいるか、聞いてくれ」

小菅の拘置所から送られてきた受刑者は
必ず初日は独居房に入れられる。

房から房へと伝言が送られて、
花形は飯島の房から五つ先にいることがわかった。

飯島は二週間の懲罰があけて、
作業場で花形と顔を合わせた。

「敬さん、ここへくりゃ大丈夫だから任しといて、仕事なんかしなくていいから」

作業は幼稚園児用の写生板を作りだったが、
仕上げの担当だった飯島は
昼休みがくると花形の机の下に
一日のノルマ分をこっそり置いてやった。

そのうち看守を抱きこんで、
花形を作業が楽な集計係りへと回した。

やがて飯島は刑期が終わりに近かったので、
福島県内のダム工事現場に送られる。

洗濯場で働いていると、
食事はム所に比べると格段にいいし、
石鹸などのもらい物も多い。
清潔な下着やジャンパーの着用ができる、
という特典もあった。

暖房のない刑務所は冬になると
歯の根が合わないほど冷え込むので
この「余禄」はばかにならない。

ここでも飯島は自分の後釜に花形を入れるよう、
刑務官に根回しした。

翌30年(1955年)石井も
傷害で六ヶ月の刑を受け、
花形敬と同じ宇都宮刑務所に服役する。

たまたま花形と石井は同じ棟に収容され、石井は二階、
花形は階下の出入り口に近い房に入っていた。

階段を下りてきた石井が初めて花形の姿を認めたとき、
彼は声をかけようとしてやめた。

花形は石井に気づきながら
すっと横を向いたからである。


渋谷での花形を見ている石井には、
花形の真面目な服役ぶりが誇張ではなく、驚きだった。

あの手がつけられない暴れものが
ケンカ沙汰ひとつ、おこさず
黙々と「つとめ」をこなしていた。

刑務所内での作業のあと、
二級印をつけた模範囚の花形は
いつも机に向かって本を読んでいた。

俗に言う「ションベン刑」を終えた石井は
花形よりひと足先に出所する。

手が付けられないくらい暴れているときの花形と、
真面目に机に向かっている花形のどちらが本当の姿なのか
石井にはついに分からないまま、であった。
【85】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月03日 11時41分)

【下 獄】

昭和27年(1952年)安藤組は宇田川町に
「東興行」の看板をあげる。
いわゆる安藤組が公然化されたのである。

安藤は「東興行」と
「安藤組」のいずれの頭文字ともとれる
「A」を浮き彫りにしたバッジを300個用意させたが、それでも足りなかった。

一説では花形と三崎の対立が引き金といわれている。

石井、花形らの分派を始め、
膨張する集団には組織的な統制が不可欠であり、
特に花形のように身内の序列を無視して
憚らない人間にはなおのこと、
タガをはめておく必要を感じたのだろう。

また、安藤組が組織として旗揚げしたことは
外部にむけての示威を意識したことはいうまでもない。

それは当然組織の武装化への第一歩であった。

安藤は金が入るたびに御殿場の米軍基地に出かけては武器を集めた。
最終的に50挺を超える拳銃は
殺傷力の高い45口径に統一した。

型をそろえておけば弾の仕入れが面倒でなく、
いざというとき、
組員が相互に弾倉や弾を融通し合える利点がある、
という安藤らしい合理性だった。

さらに散弾銃、ライフル、
カービン銃なども買い込んだ。

その年、花形敬は初めての懲役を経験する
傷害致死事件を引き起こす。

五月七日午後十一時ごろ、
花形敬が仲間の佐藤昭二と
宇田川町のサロン「新世紀」前を通りかかると
日系ロシア人の通称「ジム」という男が
飲食代を巡って「新世紀」の経営者を
足蹴にしている場面に出くわした。

ジムというのはどこの組織にも属さない一匹狼で、
キャッチ・バーを経営している札付きのワルだった。

日ごろから目障りな男だけに、二人は割って入った。

だが、ジムは引き下がらない。
佐藤が足払いを掛けて投げ倒し、
花形が蹴飛ばして引き揚げた。

激昂したジムは自宅に戻るや、
情婦の女ヤクザと日本刀を持ち出して
再び宇田川町へ出る。

日付が変わった午前一時ごろ、
二人は花形と佐藤と出くわす。

ジムはいきなり、日本刀の鞘を払って斬りかかった。

佐藤がジムの両腕を押さえていると、
情婦がハンドバッグをさぐるような手つきをした。

とっさにピストルを出そうとしていると判断した花形は彼女を殴り倒した。

前後して、佐藤がジムを路上に押さえつけ、
花形は日本刀を持っているジムの右手を踏みつけて左足で頭を蹴り上げた。

このケガが原因でジムは破傷風にかかり
十二日後に死亡する。

花形と佐藤は東京地裁で懲役三年の判決を言い渡され「正当防衛」を理由に控訴する。

しかし、実際には情婦はピストルを所持していなかったため、この主張は退けられ
昭和28年(1953年)九月十六日、控訴は棄却された。

花形はこの傷害致死事件の一審判決後の保釈中にも
脅迫事件を起こしており、
29年(1954年)二月九日、宇都宮刑務所に下獄する。
【84】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月02日 14時38分)

【振り子】

花形と石井が罰金を払って
渋谷署から釈放されたのは、
クリスマスイブの夜だった。

「石井よ、今から三崎のところへ行って20万ばかり、巻き上げようじゃないか」

いきなり、花形がもちかけた。

「敬さん、そりゃよした方がいいよ」

三崎というのは安藤の舎弟では最古参の一人で、
安藤から譲られたバーの経営をしている。
しかも、その店には、
花形と石井の双方の女が働いていた。

なにかと恩義のある先輩を脅すのは、いかにもまずい。

「かまわねえよ。あの野郎、
 ゼニばかり残しやがって――」

花形がいったん言い出したら石井には止められない。
仕方なく三崎が経営するバーへ同行した。

「おい、三崎いるか」

花形はボーイに向かって先輩を呼び捨てにした。

不機嫌そうに出てきた三崎にむかって、
花形は横柄な口をたたく。

「おい、ゼニ貸せ」

「ゼニなんかないよ」

「何をこの野郎。しこたま儲けやがって、
 ないわけねぇだろう」

三崎は我慢していたが、後輩に野郎呼ばわりされて
頭に血がのぼった。

「よおし、てめえの料簡がわかった。そういう考えなら 上等だぞ」

三崎は血相を変えて表へ駆け出した。

ステゴロでは到底かなわないから、
自宅に道具をとりにいくつもりだったらしい。

「大変なことになった」石井にはそう見えた。

花形の動きは俊敏だった。
なんせ、元ラグビーのフォワードである。
あっというまに三崎に追いつくと
襟首をつかんで振り回した。

三崎は電柱にしがみついて
「勘弁してよ」と泣きをいれる。

「てめぇ、ケンカもできねえのか」

花形の怒りに火がついた。
駆けつけたのがバーで働いている花形の女である。

「あんた、なにやってるの、やめてちょうだい!」

女にとっては、相手は安藤組内では花形の先輩であり、自分にとっては店のマスターである。
この場合は三崎の側につかなければならない。

ところが花形はすがりつく女の下腹部を蹴り飛ばした。
道路に伸びた女を介抱したのは石井である。

「敬さん、いくらなんでも、ひどいじゃないか」

失禁している女に花形が気づいて、
その夜の騒ぎはなんとかおさまった。

年が明けて再び石井と花形が旅館で
札遊びをしているところへ
バー勤めを終えたそれぞれの女が
連れ立って迎えにきた。

「待ってろ」といわれて二人は階下にいたが、
バクチだけになかなか終わらない。

「女同士でやってましょうか」

二人が花札を繰り始めてしばらくすると、
またしてもガサ入れをくった。

今度はお互いの女同士が賭博の
現行犯で渋谷署にしょっぴかれる。

「ブタ箱に入っちゃったもんはしょうがねえじゃないか」
と石井がなだめても、
あれだけ暴力をふるった花形が
毛布を買い込んで差し入れに通う。

果ては「女を出せ、俺を代わりに入れろ!」
とわめきだす。

刑事が「そう、ムリいうな」となだめると、
花形は「大事にしとけよ」と言った。

石井にはますます、
花形の人間性がわからなくなってゆく。 
【83】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年10月31日 16時51分)

【分派】

花形敬の安藤組加入の話は、
またたくまに暗黒街を駆け抜けた。

安藤の古い兄弟分は
「あんな凄ぇのを舎弟にしたら、
 安ちゃん、お前の身が持たないぞ。
 だいいち、あれだけの暴れん坊を
 押さえきれないだろう」
と忠告した。

安藤の花形評は本多氏の著書によると以下である。

「ケンカの強さといったら、
 当時の渋谷じゃ、かなうものがなかった。
 強いっていうか、短気でいったん、
 おっぱじめたら、もう、誰もとめられない。
 誰彼かまわず、ぶっとばす。
 とにかく酒癖が悪いから、飲んで暴れだしたら
 相手が親分クラスでも怖いものなし、なんだから。
 それでいて、シラフのときは
 柄にない繊細な字を書く。
 丁寧で印刷されたようなうまい字だった。
 細かい神経があるんだろうな。
 向こう見ずの図太い神経と繊細さが交錯していて、
 ときどきそのバランスがー崩れるんだろう。
 だけど俺が『おい』といえば、わかるんだから
 あれは酔いに便乗して、やってたんじゃないかな」

そういう花形を身内に抱えてはらはら、したことはないのだろうか。

「それはないですね。あのころは僕ら自体が
 ムチャクチャやってたから。
 とにかく、ケンカして相手を
 潰してしまわなければメ シにならない。
 シマ内の渋谷はもちろん、
 新宿でもどこでもケンカの種をまいておいて
 花形らが押しかけていって、バーッと潰しちゃう。
 俺たちはいろんなことやったけど、
 悪いことやってる意識はないわけよ。
 相手にしているのがヤクザ者だから、
 悪いヤツをやっつけている意識でね」

 
つまるところ、賭場の揚りで飯を食ってきた戦前の博徒組織と違って、愚連隊がギャング化したような
「安藤組」にとっては、花形敬のような
ハチャメチャな男は敵に回せば
これほど厄介な男はいない。
裏を返せば身内にとり込めばたいへん、
頼りになるコマだった。

ヤクザ稼業から、その後俳優業に転身した
安藤ならではの計算高い思慮があったのだ。

花形が安藤組に加入した翌年の昭和26年(1951年)、番頭役を任されていた旅館の一室で
仲間数人とヒロポン注射を打っていた石井は
安藤に現場を押さえられ、木刀で制裁をうけ、
旅館から追放されてしまう。

それからの石井は安藤が出没する渋谷の宇田川町を避け、大和田町に入り浸る。
これをきっかけに安藤組は次第に
「大和田派」「宇田川派」に分かれていった。

安藤は先の小粋なバー経営のほか、
洋品店を開いたりしていたため、身なりにうるさく、
取り巻きには背広を着用させ、自身は高級スーツで靴は顔が映るぐらいピカピカに磨かせていた。
親分がそうだから、舎弟たちも見よう見真似で垢抜けた服装を心掛けるようになる。

そこへいくと石井ら大和田町に集まってくる連中は
テキヤの若い衆とか闇タバコの売人とかが多いから
シャツのすそをズボンの外に出し、下駄履き、
鉢巻に爪楊枝をくわえるといった
愚連隊の風采が目立つ。

町自体が宇田川のように洒落たバー、カフェ、レストランなどほとんどなく、一杯飲み屋や食堂ばかりである。

元々、石井の肌には気取らない
大和田町の方が性に合っており、
石井は地元の小さな組と渡りをつけて
新規に開店するパチンコ店の景品買いを始める。

石井の勢力はたちまち百人を超える勢力となった。

その年の暮れに石井はヒロポン買いをしていた
組仲間のマーケットの飲み屋で
花形敬と札遊びをしているところを
所轄に踏み込まれ、二人そろって、
渋谷署に放り込まれた。
【82】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年10月31日 13時43分)

【花形加入】

昭和25年(1950年)夏、
安藤昇は鎌倉海岸でカキ氷屋を開業、
その儲けで渋谷にバー「アトム」を開店させる。

店内改造のため、大工や作業員の手配を
担当したのが石井である。

「アトム」は周りに数十軒あった
キャッチ・バーと違い、
粋好みの安藤が設計から室内装飾にまで
細かく注文しただけに渋谷には珍しい
洒落た雰囲気の店だった。

石井は「アトム」の二階に寝泊りする代わりに
昼前に店内の掃除が終わらせ、
営業時間の午後四時前には店を出て、
閉店までを外で時間を潰さねばならなかった。

夜明け前にやっと、店に戻り、
布団に潜り込んでいると、
午前9時ごろには安藤と物資の取引をしている
日系二世たちからの電話が鳴り始める。
いつも寝不足でふらふらしていた石井は
安藤の眼をかすめてヒロポンを打ち、
女遊びにふけっていた。

石井がいちはやく、安藤組に参加したのに対し
花形敬はまだ誰の庇護もうけず、
おのれの腕力と胆力だけを頼りに
渋谷を我が物顔でのし歩いていた。

すでに花形敬の名は界隈で知らぬものはなく、
通りを歩けばバーや飲食店から
「寄っていってください」と声がかかる。

金はなくとも、飲み食いには困らないのである。

やがて石井は安藤が乗っ取った旅館の番頭をまかせられる。バーの住み込み暮らしから、
解放され、主気取りである。

こうなると、さすがの花形敬も黙ってはいなかった。

まもなく石井の居所をかぎつけた花形が
酔っ払って姿を現す。

「おい、石井、てめえ、こんなところにいやがったのか」

石井が不快を殺して応対していると、
花形は言いたい放題、やりたい放題である

「久しぶりに会ったというのに、愛想がないじゃないか。
何か冷蔵庫の中のものを食わせろ」

「だめだよ。あそこに入っているのは、お客さんに出す売り物なんだから」

「うるせえ」

花形はそういうなり冷蔵庫から当時はまだ貴重なハムを
一本丸ごと取り出すと大口を開けてかぶりつく。

「敬さんよ、俺は安藤昇のれっきとした舎弟なんだぜ。
 俺はあんたと古い友だちだから我慢するとしても、
 ほかの連中が見たら、ただじゃすまなくなるから、
 止してくれないか」

そんな脅しとも哀願ともつかぬセリフに
聞く耳を持つ花形ではない。

「バカ野郎!それがどうした、
 安藤でも誰でも呼んでこい。
 やってやろうじゃないか」

どうしようもないのである。

「おーい、石井、泊めろ」

酔っ払っては、押しかける花形に石井は
ホトホト手を焼いていた。

そんなある日、安藤昇が
旅館の一室で石井ら舎弟と
お茶を飲んでいた。

そこに花形は廊下を足音荒くやってきて、
いきなり乱暴に襖を開いた。

「石井、この野郎、こんなところで何やってるんだ」

その場の中心にいるのが安藤であるのを察しながら、
わざと無視して居丈高な物言いである。

石井はあわてて、安藤に花形を紹介した。
花形は軽く会釈しただけで石井にからみはじめる。

「お前、俺と相談なしに安藤さんの舎弟になりやがって。お前だけじゃない
 昔のつきあいがある連中、みんな、そうだ。
 この野郎、いったいどうしてくれるんだ。
 俺だってさびしいぞ」

そう言われれば、花形を煙たがっている石井にも
心情が理解できる。
今や渋谷の街で花形を見かけたヤクザは
かかわりを怖れてさっさと道を開ける。

わさわざ、寄ってくる物好きはいない。
突っ張っている分にはそれで満足なのだが、
遊び歩くとき仲間がいなくてはつまらないのである。

なにぶん、花形敬もまだ二十歳であった。

石井はどの道、同じ渋谷にいて花形とつきあわないわけにはいかないのだから
舎弟に加えるよう、安藤に頼んだ。

「ああ、いいだろう」

左頬に15センチの傷をもつ安藤昇。
心と顔に無数の疵を持つ花形敬。

アナログ時計が時を刻むようにして
戦後の渋谷を牛耳る二人の男が結ばれた。
【81】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2015年04月12日 09時47分)

【安藤組】

アプレゲール(戦後派)のセイガクやくざの
典型として名を売った安藤昇が
銀座や新宿を徘徊し始めたのは
昭和21年(1946)年の初めである。

ちょうど花形敬と石井福造が顔を会わせたころで
安藤昇は法政大学予科の一年であった。

安藤昇は大正15年(1926年)新宿東大久保の
平凡な会社員の長男に生まれたが、
中学時代から不良グループのリーダーとなり、
二度にわたり、少年院に送られた。

昭和18年(1943年)予科練に志願し、
三重海軍航空隊に入隊、一年半の訓練期間を経て、
本土決戦用の「伏龍特攻隊」に配属された直後、
終戦を迎える。

明日をも知れない命を拾った安藤は
新宿で中学時代の不良仲間と再会すると、
愚連隊や朝鮮人を相手にケンカ三昧にあけくれ
「セイガクやくざ」として知られるようになる。

昭和22年(1947年)進駐軍のPX(酒保=軍専用の百貨店)勤務の下士官と知り合い、
タバコ、洋酒、食料品、衣類などの
闇物資の横流しで荒稼ぎを始める。

そのころの新宿は西口に安田組、
東口に尾津組、和田組が構え、
マーケットを広げていた。

さらに新宿二丁目方面には河野一家、
博徒の小金井一家があり、
こうしたヤクザ地図のはざまに
朝鮮、台湾の不良グループや愚連隊がひしめいていた。

戦時中、軍部、右翼と手を結んで国策に協力した
博徒たちは旧体制の崩壊とともに
鳴りをひそめざるを得なかったのに対し、
戦後いち早く闇市マーケットの経営に乗り出した
テキヤたちは、莫大な利益で勢力を拡大させていた。

商才にたけていた安藤は、
闇物資でひと山当てると銀座や新宿に比べ
盛り場の伝統をもたない渋谷に眼をつけた。

当時の渋谷は若者たちの遊び場にすぎなかったが
、安藤はここで不良学生を片っ端から誘い込み、
後に総勢500人という大組織「安藤組」を結成する。

トレードマークの左頬の15センチにわたる傷は
法政大学を中退した昭和23年(1948年)ごろ、
朝鮮人系ヤクザに斬りつけられた、といわれている。

国士舘を中退し、渋谷をのし歩いていた花形と石井。

先に安藤と知り合ったのは石井である。

道玄坂を不良仲間と歩いていると
上下揃いのスーツをパリッと着て、
ソフト帽をハスにかぶったヤクザ者を見かけた。

「ちょっと挨拶してみよう」

石井は連れにそういうと、男の前に踏み出た。

「こんにちは」と頭を下げると男は気軽に応じた。

「おお、お茶でも飲むか」

喫茶店に連れて行かれ、
石井は生まれて初めてコーヒーを口にした。
石井が話しのきっかけがつかめず、
連れとモジモジしていると、
男はゆったりとコーヒーを飲み終えると

「あとから飯でも食え」

と小遣い銭まで与えて立ち去った。

「すげぇな。いったい、どこの親分だろう」

今、売り出し中の安藤昇と知ったのは、
まもなくのことで、舎弟を通じて
「うちに来ないか」と誘われる。

石井はこれでいっぱしのヤクザになれると思うと
二つ返事で承諾した。

安藤組は旧来のヤクザ組織と違い、
親子の盃などという堅苦しい上下関係がなかった。

安藤昇をトップとしてあとは全て「弟分」である。

刺青を嫌い、指詰めなどの制裁はなく、
背広の着用を励行させた。

よくいえば自由闊達、悪くいえば
こんなルーズなヤクザ組織など
戦前は考えられなかった。

安藤は組員をぶらぶら遊ばせることはせず、
必ずシノギをもたせた。
ただし、ヒロポンなどの密売は厳禁だった。

アプレゲールの安藤にとってはヤクザ稼業も
時代に呼応したビジネス、といった考えだった。
【80】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2015年04月12日 09時45分)

【退学】

花形の呼び出しが何を意味するか、
覚悟を決めた石井は自分の配下、
一人を連れて境内に入った。

そこには大木の松の根元に大股を広げて座り、
外した眼鏡を右手にかざして
斜めに構えている花形敬がいた。

周囲には見知らぬ顔も混じえた十数人が固めている。

花形の眼が細くなり、
腹の底から搾り出すような怒号がとんだ。

「石井〜、てめえ、弱いものいじめばっかり、やってんじゃねえぞ!」

石井が連れてきた配下はすでに花形の迫力にぶるって
石井が口を開く前から
「勘弁してください」と泣き出す始末だった。

花形が本気になったときのケンカの現場を
何度も見てきた石井は
立ち向かっていこうとせず、ただ、黙っていた。

花形の取り巻きの一人は
学生どころか新宿のヤクザの下っ端で
塩酸の瓶のふたを開けて

「おい、石井、こいつをぶっかけてやろうか」

と言って、石井の前を行ったり来たりする。

どうなるのか予測もつかず、
なるようになれ、と石井が腹を据えた矢先、
「待て!」と大声がして境内の四方から
私服刑事が一斉に飛び出してきた。

学生たちは蜘蛛の子を散らすようにして逃げ出した。
助かった嬉しさで石井も懸命に走った。

ところが校舎の床下に隠れていた
石井のところに仲間がきて
「敬さん、捕まったよ」という。

花形に勝てないまでもNo.2の地位にいる石井である。

番長一人を残して逃げたとあってはしめしがつかない、
という気迫から石井は現場に戻り逮捕される。

連行された世田谷署の刑事部屋には
すでに花形敬がいた。

「おい、花形ってのはスゲぇなあ」

刑事の一人が石井に呆れた口調で話しかけた。

話によると一人だけ逃げ出さずに仁王立ちしているのがいたから
「花形はどこだ」といったら
「俺が花形だぁ!」と怒鳴り
「ドス、持ってるか」と聞いたら
「これだぁ!」と地べたに付き立てて、いたという。

署に連行しても「どうにでもしろぉ!」
と言うだけでふんぞり返っている。

「こんなのが中学生にいるのか、と思ってびっくりした」という。

刑事の話では渋谷の盛り場で
補導した国士舘中の一人から
「近々、花形が石井に呼び出しをかける」
という情報を得たので
数日前から張り込んでいた、という。

花形と石井は世田谷署に一晩留置されたが、
まだ中学生ということで釈放され、警視庁に調書をとられるため通った。

現代の感覚からすると、
たかが中学生のケンカに
所轄の刑事課が張り込む、
というのは非現実的だが、
当時は警察といっても
拳銃の携行が行き届かず、
武装した朝鮮人系ヤクザたちに手を焼いていた。

せいぜい、盛り場を徘徊している
不良少年を摘発するぐらいしか、
治安維持の術がなかったのである。

この一件が学校に知られ、
花形と石井は国士舘中学を退学になる。

二人はいよいよ渋谷で専業アウトローへの道を歩き始める。
【79】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年10月24日 11時31分)


【番長街道】

昭和23年(1948年)花形敬は千歳中学を
自主退学する。

校内での喫煙がばれての停学処分が
きっかけ、といわれているが
転校先が石井のいる国士舘中学とあっては、
その心境は十分に推測できる。

花形は内なる虎に追い立てられるように暴力の世界へとひた走る道を選んだのだ。

花形の転入で大いに迷惑したのが他ならぬ石井である。

裏山の一件で貫禄負けした石井は
番長の座を花形に譲り、
自分はNo.2の地位に甘んじなければならない。

その年の秋である。

石井は女学校の不良少女に声をかけられ、
花形と連れ立って学園祭にでかけた。

石井が目当ての女を捜しているうちに
花形が明大予科の三人連れにケンカを売られた。
花形はそのころ、すでに180センチを超える体格で、いやでも目立つ。

石井が花形に近寄ると花形はわざとらしく
「石井ちゃんはいいから。女の子でも見てなよ」と軽口をたたく。

取り囲んだ明大予科の三人が校庭の隅に花形を連れて行こうとした瞬間だった。

花形は両足を開いて腰を入れると上体をひねりこんで
身近な一人に右のパンチをとばした。

フック気味のパンチがスクリューして
アッパーカットとなり、
アゴにまともにくらった男は
この一発でひっくりかえった。

驚いた二人を花形はジャブで追い込むと、
左右のストレートですっとばした。

「大学生三人を相手に中学生の花形が
 やっつけるのに一分とかからなかった。
 何秒ですよ、ほんの何秒」

初めて目の当たりにした花形のパンチの破壊力に改めて石井はドギモをぬかれた。

たまたま、その場に居合わせた国士舘専門部の学生が花形にすり寄ってくる。

「とんでもない野郎だ」

長々と伸びている三人を足蹴にしようとして、
逆に花形に制される。

「もう、いいですよ」

このケンカで花形は国士舘での番長の座を
不動のものとすると
石井と連れ立って銀座、新宿、渋谷など
都心の盛り場を徘徊するようになる。

石井はいつも花形と行動をともにしていたが、
心から服従していたわけではない。

なにせ、花形より二歳年長である。

花形はそういう石井の心理状態を敏感に読みとって
何かにつけて、いびりにかかる。

「おい、石井、あんまりいじめるんじゃないぞ」

石井が殴り飛ばして頭を踏みつけている連中の前で凄んでみせたかと思うと翌日には
「どう?石井ちゃん」
と、猫なで声で話しかける。

石井は花形を張り倒したいところだが、
どうにも勝ち目がないので
グッとこらえなければならない。

石井の鬱憤は日に日につのり、
何かと周囲に絡むことになる。

そんなある日、石井は花形から学校近くの寺の境内に呼び出しをうける
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