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【38】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時38分)

【敗北宣言】

山口組の一方的な「抗争終結記者会見」に対し、
十一月二十二日、大阪府警捜査四課長宛に松田組が
「抗争終結誓約書」を郵送してきた。

差出人は二代目松田組組長、
松田組幹部一同となっており、
捜査四課が松田組に確認したところ
発送の事実を認めた。

誓約書の内容は以下である。


前略

先般山口組におきまして抗争事件について
終止符を打つ旨の発表が行われました。
当組におきましても、世間様をお騒がせいたし、
そのお怒りの程重々身に滲み、
深く反省いたしておるところでございます。
つきましてはこのまま当組が
なんらの意思表示もせず、
沈黙を守っておりますれば、
何かと誤解を招くおそれがある
との判断に到りました。

そこで当組内の意思統一を計った結果、
今後山口組同様、抗争状態を終結する事に決定、
この趣旨を翼下全組員に対し、徹底させました。
この証としまして、ここに
右抗争終結を固く誓約いたします。

直ちに御課(捜査四課)に直接出頭いたしまして、
この間の謝罪と誓約を申し上げるのが
本意でありますが、種々に事情があり、
誠に勝手ではありますが郵送させていただきます。

                    敬具

昭和五十三年十一月吉日


二代目松田組組長
松田組幹部一同



山口組の終結宣言が「勝利宣言」とすれば、
これはまさに松田組の「敗北宣言」だった。

両組は「和解=手打ち」という
ヤクザ社会の慣習を破って
それぞれに終結宣言をだして
四年越しの大阪戦争をやっと終わらせた。

大阪府警に入った情報では、
山口組が抗争終結宣言を出したあと、
松田組ではひんぱんに幹部会をひらき、
対応策を協議してきた。

樫忠義組長は一貫して抗争を
終結させる意向だったが、
一部幹部からは

「山口組にやられっぱなしで
 おめおめと引き下がるわけにはゆかない」

という強硬意見がでて、紛糾した。

もし、このままで抗争を終わらせるようなら
松田組から離脱するとほのめかした幹部もいたが
樫忠義組長は

「こういう状況になったのだから、
 離れたいものは離れてよい」

と発言し、この抗争終結宣言にこぎつけたといわれる。

大阪府警はこの松田組の文書を対山口組への
「敗北宣言」と認定した。
【37】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時36分)

【分 析/ 後】

実際、この戦争当初、山口組内部の
不統一は目を覆うばかりだった。

若頭、山本健一を頂点とする
執行部の派閥争いが絶えず、
松田組への反転攻勢も大日本正義団会長、
吉田芳弘の暗殺で相殺、という
暗黙の雰囲気で片付けようとしていた。

だが、突如首領(ドン)が狙撃されるにおよんで、
ポスト田岡をにらんだ権力闘争は
消し飛んでしまったのだ。

若頭、山本健一はこの機を逃さず
松田組に容赦なき戦いを挑む。

そして、この五十日の戦いを通じて
彼は山口組内に強固な指導力を確立しようとした。

ところが、山本健一にも泣き所があった。

それは恐喝や拳銃不法所持など五件の併合罪で
大阪高裁に控訴中の二審判決が
十一月二十八日に下されることになっていて、
控訴棄却で収監されることが予想されていたのである。

戦争の結末を和解に委ねていたら、
後始末をしないうちに刑務所入りとなり
若頭の職から去らねばならない。

そこでこの社会では例のない
「勝利宣言」をして抗争の終息を計った。

さらに第三の見方。

それは首都、東京から山口組を
睨んでいる警察庁の圧力である。

警察庁はこの年の年末をメドとして
「対山口組80日決戦」を全国の警察に指示していた。

このまま、松田組との戦闘状態を続けていれば、
警察はこれを好機と山口組内部に
容赦ない逮捕と捜査を強行するだろう。

山口組は警察が本腰を入れてやってくる前に
やむなく砦に戻らねばならない。

しかし、その前に無言で撤退するのも癪である。

かくて、山本健一は松田組に対し
「勝ち鬨」の声をあげて
自らの勝利を確認した、
ということになる。

そして最後の第四の見方。

それは山口組に対する世論の目だ。

その視線は警察よりももっと冷たく、
刺すように彼らの行動を監視していた。

暴力団とは法の裏側に生きる「公衆の敵」である。

山口組は調子に乗りすぎた。

銭湯で発砲し、繁華街で発砲し、
路上で発砲し、松田組組員を殺傷してきた。

このまま、末端の組織のコントロールがきかなくなり
一般市民を巻き添えに殺したときはどうなるか。

それは山口組といえども
最も怖ろしい危惧であった。

声明文の中に空疎な美辞麗句とはいえ、
彼らがいまだ口にしたことのない
「ご心痛、ご迷惑」とか「謝罪」とか、
ポーズであるにせよ
なぜ、かれらがポーズをとらざるを得なかったのかに、
山口組の本音が垣間見えるのである。
【36】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時34分)

【分 析/ 前】

なぜ、山口組がこんな会見を開いたのか。

兵庫県警をはじめ警察当局は分析した。

第一にこれは山口組の勝利宣言ではないか、
という見方だ。

山口組対松田組の大阪戦争は四年越しのことだが
昭和五十三年七月十一日夜、
京都のナイトクラブ「ベラミ」で
首領(ドン)が狙撃されて以来、
この五十日間に山口組襲撃班は
一方的に松田組を無差別攻撃し、
死者七、重傷一、軽傷一を与えた。

松田組はやられっぱなしだった。

首領(ドン)を狙い撃った犯人、
鳴海清もすでに死亡している。

記者会見で山本健一は鳴海清を殺害したのは
山口組ではない、と述べている。

鳴海清の殺害犯は不明であったが、
彼の死によって最大の報復対象は
すでにこの世に存在しない。

鳴海清に加えるに松田組側、六人の死者。

これは田岡一雄組長の負傷と
十分釣り合いがとれるダメージであった。

いわば、この世界の
「流血のバランスシート」の上では
山口組は赤字を解消してお釣りがでた。

上に上がっていた山口組の秤の皿は、
これらの死体を積んで完全に下にさがった

本来ならここで調停がでてきて、
和解となるところである。

松田組はすでにリングの
マットに沈んでいる。

仲裁人というレフェリーが
山口組の腕をあげるところである。

ところが、松田組をノックアウトした山口組は
まるで勢いが余ったように
自ら勝利の腕を高々と上げた。

それではなぜ、山口組が従来の
ヤクザ社会の慣習を破って
はやばやと勝利を宣言したか。

そこに第二の見方が出てくる。


三年越しの「大阪戦争」に対する
山口組の抗争終結宣言。

そこには山口組内部の
お家事情が絡んでいるとの見方だ。
【35】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時32分)

【一問一答】

小田秀臣のブリーフィングが終わると記者たちとの一問一答となった。

ここに、山口組の考え方が色濃く反映されているので抜粋する



【質問】
    
この終結宣言は下部組織にも徹底してあるか


◆山本健一  

下部組織も従わせる。
本日をもって全国に抗争を中止させるよう命令した

【質問】 
   
田岡組長はこれまでも「報復はするな」と言ってきたそうだが、なぜ、もっと早く終結できなかったのか

◆山本健一  

あなたたちのこととして、考えてみてほしい。
お父さんが襲われて、長男に報復するなといった。
長男はぐっと我慢してもほかの親族が、
どんなことをするか分からんでしょう 

◆小田秀臣  

ここは公式の場だ。
ここで「抗争を終結する」と公言したのだから、
当組の考えを信じていだくしかない。
ただ、山口組も組織だ。
どこかの国の警察でも(その警察官が)
女子大生を襲ったりするのだから
とにかく前向きの姿勢で取り組む。
違反者は処分する。
    
※この年一月、東京の警察官が職務中に女子大生を殺害した事件を逆手にとっての発言


◆山本健一   

何も山口組はいい子になろうとは思っていないが、
吐いたツバはのまない。(声明は)絶対に守る

【質問】
     
松田組系組員殺傷の責任は

◆山本健一
   
犯罪ということになるとこれは警察の仕事だ。
組としてどうこう処分することは考えていない。
警察にお任せする。

【質問】
     
松田組との和解は

◆山本健一  

抗争終結宣言を出したのだから、
そんなものは関係ない。
松田組の樫忠義組長が(山口組)本家に来る必要もなし、こっちも何の条件も出していない。

「抗争をしてはならない」

という田岡一雄組長の意思を明らかにするため、
山口組独自で抗争終結を決めたので、
松田組も相手がなければ抗争できんでしょう。
あんた、空気にむかってケンカできんでしょう。
これをもって抗争は全て終結です。

【質問】     

あなたたちはやめる気でも、松田組が抗争を続けたらどうするか

◆小田秀臣   

組員には松田組を無視せよと言ってある


【質問】     

和解の手打ちはないと言うが、
樫忠義組長が謝罪したいと言って来たらどうするか

◆山本健一   

相手を無視するわけやないが、
過ぎ去ったことだ。問題外のことや

【質問】     

どうして松田組と手打ちをしないのか


◆小田秀臣   


仲裁を立ててもすぐ、抗争が再開した例がある。
山口組はそんなことは超越している。

【質問】

    
鳴海清を殺したのは山口組か

◆山本健一   

パジャマ姿で死んでおったのだから、
よほど懇意な者がやったんだろう。
ぜったいに山口組ではない。

【質問】     

山口組は解散しないのか

◆山本健一   

われわれは各家庭の環境からのはみだし者だ。
そこを考えてもらいたい。組がなくなったら、
はみだし者はどうなる?
なくすとすれば国の政策を検討していただきたい。
組は必要だ。やましいことはいっさい、ないから、
組の解散はぜったいにない。


【質問】
     
なぜ、記者会見をしたのか

◆山本健一
 
  
山口組は抗争を「やめろ、やめろ」と
言っているのに、みなさんは「やれ、やれ」
と言っているのと違うか、と記事に書いている。
そうではないことをみなさんに
知ってもらいたかったからだ。

(会見終了後に)


◆小田秀臣

   
田岡組長は元気ですが、なんせ声が出ないんでね。
それできょうはみなさんに失礼したわけですわ
【34】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時29分)

【終結宣言】

昭和五十三年十一月一日、
神戸市灘区の山口組三代目、田岡一雄組長宅
通称「田岡御殿」で前代未聞の記者会見が行われた。

出席したのは若頭、山本健一、若頭補佐、山本広、
同じく小田秀臣の三人である。

八十人の新聞、放送の記者、カメラマンが
七十畳敷きの大広間に案内された。

床の間には三本の掛け軸、文楽人形、
象牙の置物金色の山菱の代紋や
田岡一雄の名を彫った巨石があった。

白いビニールに覆われたテーブルには会見者の名札と
水差しまで用意万端であった。

定刻の午後三時を三分ほど遅れて

「前、ごめん、ちょっとあけてや」

と若頭、山本健一が現れ、二人が続いた。

たちまちフラッシュが閃き、
一斉にテレビカメラのライトがついた。

「えー、本日は遠路ご多忙のところ、
 わさわざ多数ご参集いただき・・・」

と、山本健一が挨拶し、声明文を読み上げた。

以下、全文である。


《声明文》

昭和五十年七月、大阪豊中市に於いての
抗争事件惹起より、一連の不祥事が偶発いたし、
市民各位様に多大なご心痛、
ご迷惑を及ぼしましたること、当組の本意に非ず、
誠に不徳の致すところとは申しながらも、
尚、現状をこのまま、放置することによって、
将来、益々の抗争による益なき事態が
偶発する可能性を憂慮いたすと同時に、
ひいては社会の治安に係わる
重大な過失を犯す結果を生ぜしめ、
尚これ以上のご迷惑を世間様に及ぼし、
かつ、当組織綱領の教示をおのずから
冒涜するものである、と考慮いたし、
ここに当組独自の判断により
一連の抗争事件を終止徹底いたすべく、
本声明文の公表をもって、
抗争終結の宣言をいたすものであります。

尚、この間、市民各位様及び
治安維持に係わる関係当局各位様に対し、
深甚なる謝罪の意を表するものであります。

また、双方の多数の犠牲者に対し、
遺憾この上なく、慙愧に堪ええぬものであり、
衷心よりご冥福をお祈りいたしますと共に、
その遺族各位様に対し、
深くお詫び申し上げるものであります。

昭和五十三年十一月一日

                     以上

三代目山口組組長 田岡一雄
三代目山口組   組員一同

 ―−―ー―ー――――ー


任侠精神に陶酔したヤクザならではの
漢文調の文体に記者たちがメモをとるのに
難儀しているのを見ると
山本健一は

「えー、別に速記をとらなくても、
 後でコピーを差し上げます」

と、とってつけたような微笑外交でまるめこんだ。

このあと、若頭補佐の小田秀臣が
「抗争終結の経過報告」を読み上げた。

ブリーフィングというやつだが、
あまりに長文なので割愛する。

それにしても、この「声明文」とはなんだろうか。
当然、沸き起こってくる疑問である。

「多大なご心痛ご迷惑を及ぼし」

とか

「深甚なる謝罪の意」

とか、反省の色が美辞麗句として出てくるが、
肝心の抗争事件については

「一連の不祥事が偶発」とある。

偶発とは人の意思以外のところで
偶然に起きたことをさす。

抗争の意思があったから、
長期にわたる抗争に発展したのであり
山口組が抗争の責任を認めようとしない限り、
いくら謝罪の美辞麗句で
飾られてもしらじらしいばかりである。

この「声明文」を額面通りに受け取るなら
山口組の「抗争終結宣言」である。

ひと口にいえば

「もう、戦争はやめた、やめた」

であった。
【33】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時26分)

【迷 宮】

忠誠会というのは、昭和四十二年六月、
当時弱冠二十歳の大森忠昭が会長となって
結成された組織である。

本部事務所は神戸市生田区。

構成員は百人だが神戸・新開地や
播磨東部地方に縄張りをもち
賭博、闇金融、ノミ行為を資金源としていた。

昭和二十九年、新開地に勢力を持つ
谷崎組という組織があった。

やがて谷崎組は縄張り争いから山口組と衝突。

当時、山口組の尖兵だった山本健一は
谷崎組若頭の側頭部に拳銃弾を
撃ち込み重傷を負わせた。

この事件で谷崎組幹部だった大森忠義は
谷崎組を見限って新生会を旗揚げする。

新生会は少数精鋭主義を唱えて団結し、
当時向かうところ敵無し、
といわれた山口組に徹底抗戦した。

昭和三十三年には山口組系加茂田組、
小西組と戦って一歩も退かなかった。

山口組にとっては地元、神戸で
目の上のタンコブのような組織であった。

昭和四十二年五月、内部抗争で新生会は解散したが
大森忠義の長男、大森忠昭が
結成したのが忠誠会である。

だから忠誠会は山口組にとって
抗戦の歴史を持つ団体であり
反山口組同盟の関西二十日会の
リーダー格の団体であった。

「ベラミ事件」以後の鳴海清と
忠誠会の関係は以下のようになっている。

◆鳴海清は田岡一雄を狙撃、
 潜伏先として準備していた西成区のアパート
 「山水園」に逃げ込んだ。

後の捜索でこの部屋の洋服ダンスの引き出しから
38口径の空薬莢二個が発見されている。

◆大日本正義団会長、吉田芳幸は愛人を連れ、
 大阪市内のホテルを転々とし、
 首領(ドン)狙撃から三日後に
 新阪急ホテルで松田組の二次団体、
 瀬田組の瀬田栄機組長と会い、
 鳴海清を匿ってくれるよう頼んだ。

◆瀬田組長は翌日、電話で忠誠会理事長の
 野村智昌に頼み込み、七月十六日には、
 鳴海清は忠誠会幹事長、
 衣笠豊の案内で神戸市内のアパートに隠れ、
 二十日に吉田芳幸と愛人が落ち合った。

◆八月十日、加古川市内のマンションで
 衣笠豊が鳴海清に「俺の言う通りに手紙を書け」
 と命令。

田岡一雄、新大阪新聞社、大阪日日新聞社にあてた三通の手紙を書かせ、封筒の封印部分に
明瞭に鳴海清の指紋をつけさせた

◆八月十一日夜、手紙は西成区内のポストに投函された

◆八月十四日、手紙が大阪の夕刊紙に大きく掲載された

◆八月十七日、山口組報復の第一弾として、
 松田組幹部が大阪の銭湯で射殺された

◆九月十七日、六甲山中で鳴海清の死体が発見された

当初、警察、検察は犯人隠匿容疑で
逮捕した忠誠会組員の自供から

「衣笠豊が九月一日未明、鳴海清を殺害、
 六甲山中に遺棄した」

として三人を起訴したが、
衣笠豊は公判で一貫して犯行を否認。

鳴海清殺害を裏付ける凶器などの物証も発見されず
犯人不明のまま、公訴時効となっている。

そもそも、起訴状に殺害の動機として

「鳴海清が無断で西成区の自宅に帰るなどの
 身勝手な行動をもてあまし、
 また、衣笠豊が田岡一雄宛に挑戦状的な
 手紙を書かせたことが判明すれば、
 忠誠会の組織ぐるみの隠匿の事実が
 露見するのを怖れて殺害を共謀した」

とあるが、どう考えてもこれには
不自然な点が多すぎる。

鳴海清をもてあまして殺害するなら、
なにもリンチを加えるなどの余計な手数は必要ない。

また、衣笠豊が忠誠会の幹事長
というポストにあっては、
今さら「組織ぐるみの隠匿の発覚を怖れて」
などが理由になるはずもない。

その後鳴海清のリンチ現場を撮影したビデオが
山口組本家に送りつけられた、との噂も流れたが、
ホームビデオが開発、販売されたのは
1980年代に入ってからのことである。

鳴海清が殺害された昭和五十三年当時はテレビ局でさえ
ENGが導入されたばかりであり、デマの可能性が高い。

かくして首領(ドン)を撃った男の殺害犯は
永久に闇の中に逃げ切ったのである。
【32】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時21分)

【殺したのは誰だ】

こうした山口組の容赦なき報復戦の最中に
兵庫県警は鳴海清殺しの捜査を着々と進めていた。

鳴海清の遺体はミイラのようにガムテープで
ぐるぐる巻きにされていたが
、両手を後ろ手に縛っていたのは
一本の日本手拭いだった。

これが三木市内の小学校百周年記念に
五百本作られたうちの一本であることが分かった。

作ったのは三木市内に住む土地ブローカーの男で、
この男が反山口組同盟の関西二十日会に加盟する
忠誠会の親交があることをつきとめた兵庫県警は
収監した大日本正義団会長、
吉田芳幸の逃走経路の自供とつき合わせて
十月八日、忠誠会幹事長、
衣笠豊ら五人を鳴海清隠匿の疑いで逮捕した。

しかし、鳴海清を殺したのは誰か。

これは依然として解けぬ謎だった。

常識的な観点にたてば
首領(ドン)を狙撃した犯人である鳴海清は
山口組報復の第一目標であり、
山口組が処刑したとみるのが妥当な線である。

たが、これに異を唱えたのが県警の公安警備だった。

凄惨なリンチを加え、
死体を山中に無造作に捨てていたことから
過激派の「内ゲバ」を思わせる、という説である。

また、これが山口組の報復であるならば、
ついに実行したという誇示がなければならない。

そうした情報が兵庫県警のアンテナにいっさい、
響いてこなかったのである。


忠誠会組員五人の逮捕を発表した
兵庫県警捜査幹部は記者たちから

「いったい、この犯人隠匿が殺しと結びつくのか」

という質問をうけ

「いいですか。兵庫県警は鳴海清殺しの
 捜査をやっているんだ。
 犯人隠匿だけなら、ベラミ事件の
 捜査本部がある京都府警がやればいいんだ」

と言い切った。

この段階で兵庫県警は鳴海清殺しを
忠誠会の犯行一本に絞っていた。

また、この発言の裏には京都府警が
「一件落着」とばかりに
のんびりしていることへのあてつけと
大阪府警が兵庫県警へ連絡もなしに
田岡邸へ踏み込んで、細田利明を逮捕し、
羽根恒夫を指名手配した
「戦果」に対する鬱憤すら、感じさせた。

「べラミ」で護衛の男たちが
拳銃を隠し持っていたことぐらい、
京都府警が捜査すべきじゃないか。

それを悠長に構えているから
あの憎たらしいトンビの大阪府警に
油揚げをさらわれるんだ。

兵庫県警捜査幹部の発言は

「これは京都府警の仕事の横取りではない」

と言外に大阪府警へのあてつけも含んでいた。

吉田芳幸を収監した大阪府警に鳴海清殺害事件まで
手をつけられてはたまらない―――と
兵庫県警が「見切り発車した」との説も流れた。

山口組の報復の嵐の影で
警察の足並みは全くそろっていなかった。
【31】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時14分)

【連 鎖】

鳴海清の惨殺体発見と前後して
始まった山口組の報復は、
いっこうに収まる気配はなかった。

大日本正義団会長、吉田芳幸が
岡山で身柄を確保された二日後の十月五日、
午前零時五十分ごろ、大阪市平野区のスナックに
松田組系村田組若頭、木村誠司が
二十一歳の女を連れて現れた。

このスナックは木村誠司の実妹が
九月三十日に開店したばかりだった。

店内には客が三人おり、
木村誠司はドアから一番手前の止まり木に、
連れの女性はその横に座った。

十五分後に黒っぽいスポーツジャージ姿の
男が入ってくるなり、
拳銃を三発、発射した。

一弾は木村誠司の右ひざを貫通、
連れの女性も腹部を抱えて、
止まり木からくずれ落ちた。

木村誠司は一ヶ月の重傷、
巻き添えとなった女性は幸いにも
二週間のかすり傷だった。

店内にいた三人の客が巻き添えに
ならなかったのは奇跡的だった。

報復はさらに続く。

十月八日午後一時二十分、
尼崎市戸ノ内町の松田組の三次団体、
石井組事務所前で石井勝彦組長ら
組員五人が立ち話をしていた。

石井勝彦組長はこの日、
上部団体である瀬田組事務所にあいさつに行って
帰ってきたばかりだった。

「山口組は松田組系ということだけで、
 無差別攻撃をやってきよる。
 事務所の前からでも通りが見えるように、
 ここにミラーを付けたらどうか」

石井勝彦組長が前の塀の具合を見ていた。

突然、二人の男が走ってくるのが見えた。

一人は紺色の戦闘服、一人は長髪で
スポーツシャツにジャンパー、
二人とも拳銃を構えていた。

「来たぞ、逃げろ!」

まさに言った口のそばからの襲撃に
石井勝彦組長らは泡を食って事務所の中に逃げ込んだ。

一人が逃げ遅れた。

襲ってきた二人は二メートルの至近距離から
交互に一発ずつ発砲、一弾は右大腿部に、
一弾は左の背中を貫通し、
撃たれた組員は血に染まって倒れた。

倒れた二十歳の組員にまたがるようにして
仁王立ちとなった襲撃班の一人は
両手で拳銃を握りなおすと、
とどめの二発を発射した。

右あごと脇腹に撃ちこまれた組員は
三十分後に死亡した。

近くの主婦は拳銃の音に驚いて、
二階の窓からこのとどめを刺す光景を目撃していた。

また、事務所近くの空き地で
壁を相手にキャッチボールをしていた
小学四年生の男児も銃声を聞き、
塀によじのぼって同じ光景を見ていた。


「撃った男たちが逃げたあと、
 事務所の中から人が出てきて、
 撃たれた男の人を露地にひきずっていった」

日曜日、白昼の惨劇の模様を
少年は警察にこう話した。
【30】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時12分)

【急 転】

捜査というものはいったん、
流れをつかむと勢いがつく。

山口組本家への斬り込みに成功した
大阪府警に新たな情報が舞い込んだ。

「ベラミ事件」以来、鳴海清とともに姿を消し、
その安否がきづかわれていた大日本正義団会長、
吉田芳幸が岡山に潜伏している、というのである。

吉田芳幸は保釈中で裁判に出頭しないまま、
逃亡していたので収監状がでていた。

情報によれば吉田芳幸は
愛人とともに逃亡していたが、疲れて

「もう、警察に出頭したい」

と漏らしている、というのである。

ただちに捜査員が岡山へ飛んだ。

十月三日。

奇しくも吉田芳弘が射殺されて
ちょうど丸二年がたった日だった。

彼らは運よく、その日のうちに
岡山駅前のデパートで買い物をしていた愛人を発見。

彼女を尾行して岡山市本町の
マンションにたどりついた。

「警察のものだ。吉田か」

四人の捜査員が飛び込むと
吉田芳幸は足を投げ出してテレビを見ていた。

一瞬、ギクリとした表情をみせたが、警察と知って、
むしろ安堵の表情を浮かべた。

吉田芳幸、当時三十五歳。

大阪で山口組の報復の矢面にたち、
非業の死をとげた大日本正義団会長
吉田芳弘の実弟である。

首領(ドン)を撃った鳴海清が山口組幹部をもってして

「八つ裂きにしても飽き足らないが、
 ヤツに根性のあることだけは認めるよ」

と言わしめたのに対し、吉田芳幸については

「自分の兄の三回忌が近いというのに、
 女連れで逃げ回るとは、
 極道の風上にもおけん。言語道断な、やっちゃ」

と、この男の評判はヤクザ社会ですこぶる悪い。

しかし、この悪評も無理からぬところがあった。

吉田芳幸は兄、芳弘より三歳下の昭和十八年生まれ。

東大阪市の中学卒業後は生野区の
クリーニング店に就職、
その後は福島区の大阪中央卸売市場内の
青果店に勤めた。

兄・芳弘が極道一本道を進んだのに対し、
彼は額に汗する「堅気」であった。

昭和四十六年七月、兄、芳弘が
大日本正義団を結成したころ
芳幸は地元の東大阪市で「吉田工務店」を開業。
だが、オイルショックで四十八年にあえなく倒産する。

行き場を失った芳幸は三十一歳にして
兄、芳弘のところに転がり込む。

これが彼のその後の人生を狂わせる。

見よう見真似で「極道稼業」に入ってしまうのである。
この世界で西も東もわからないうちに、
兄の威光で芳幸に肩書きがついた。

「大日本正義団東大阪支部長」

兄から譲ってもらった配下は七人だった。

このころ、芳幸は背中に昇り龍の刺青を入れた。
もう、あともどりはできない。

そこに降ってわいたのが山口組との「大阪戦争」であり、兄の死だった。

極道歴、わずか四年でなんの勲章もないまま芳幸は
大日本正義団会長の座につく。

鳴海清が山口組の首領(ドン)田岡一雄を狙撃するや、
身の危険を感じた吉田芳幸は愛人とともに
大阪のホテルを転々とし、七月二十日ごろ、
鳴海清と合流。

以後三人は匿うことを引き受けた
忠誠会の案内によって神戸、加古川、
三木市内に潜伏させられる。

八月十日ごろ、鳴海清は

「田岡をもういっぺん狙う」

と隠れ家を飛び出す。

このあと、西成区に現れているのだ。

八月二十日ごろになって、
吉田芳幸と鳴海清の連絡は
ぷっつりと途絶えてしまう。

忠誠会の連中の様子がおかしい、
と感じた吉田芳幸は
いきあたりばったりに、岡山へ逃げ、
九月に入って岡山駅前のマンションを借り
愛人にキャバレー勤めをさせていた。

九月二十日、六甲山中で発見された
惨殺体は鳴海清と断定される。

この報道は吉田芳幸の心臓を凍りつかせた。

大日本正義団二代目会長という
「にわか肩書き」をつけさせられた男もまた、
哀れな末路をたどるしか、なかったのである。
【29】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時08分)

【ジョーカー】

九月初め、たび重なる山口組の報復に歯がみしていた、
大阪府警捜査四課にある情報がもたらされた。

それは「ベラミ事件」の夜、
首領(ドン)護衛の男たちが拳銃を
ホステスに隠してくれるようにと、
手渡していた、という内容だった。

「ホントか!」

首領(ドン)狙撃事件は京都府警の管轄だが
、鳴海清の死体が発見されてからは
京都府警は「一件落着」とばかりにノンビリしている。

大阪府警捜査四課は情報を手に、京都へ飛んだ。
独自に「ベラミ事件」を再捜査しようというのである。

人目につかぬように二人の
ホステスが呼ばれて調べられた。

ホステスの供述を元に七月十一日夜、
「ベラミ」の店内で起きていたことが
明らかになってゆく。

午後八時過ぎ、鳴海清が「ベラミ」に入店した。

鳴海清が入店後十分ほどして
田岡一雄ら一行が「べラミ」に到着。

鳴海清は田岡一雄を確認すると、
いったん「べラミ」を出店
午後九時すぎ、再び「べラミ」に戻った。

(この間、狙撃に使った拳銃を用意したと思われる)

午後九時半すぎ、
リンボーダンスのショーが終わったころを見計らって
鳴海清が山口組三代目、田岡一雄を狙って撃った。

鳴海清は逃走した。

護衛役の細田組組長、細田利明は
血相を変えて、鳴海を追った。

続いて、異変を知った羽根組組長、
羽根恒夫も鳴海を追いかけたが、
いちはやく、鳴海に逃げ切られてしまう。

「ベラミ」のなかは騒然としていた。

ステージの上ではリンボーダンサーたちが
呆然として突っ立っている。

「あかりをつけろ!」

という怒号がとび、客の医師、二人が
流れ弾を浴びていることがわかり、
騒ぎはさらに大きくなった。

パトカーのサイレンの音に気づいた細田利明は、
羽根恒夫に言った。

「おまえ、それをどこかに隠せ」

羽根恒夫の手には細田利明から預かっていた
イタリア製25口径拳銃が握られていた。

ガレシーM9オートマチック、
銃把が白い護身用拳銃である。

羽根恒夫はとっさに三十三歳の
顔見知りのホステスを呼んだ

「なにか、紙袋でも持ってこい」

ホステスが紙袋を持ってくると、
その中に拳銃を入れて押し付けた。

「いいか。これをどこかに隠しておくんだ」

青い顔をしたホステスはうなずいて、
この紙袋を更衣室の自分のロッカーの中に隠した。

狙撃事件から二時間半が経過した午前零時ごろ、
ホステスたちは京都府警の捜査員から
「帰ってもいい」と言われた。

拳銃を預かったホステスは
羽根恒夫と特に親しい二十二歳のホステスを
こっそりと呼び、事の次第をうちあけた。

「私はあんなもの、
 預かる義理はあらへんえ。
 あんたが始末をつけよし」

二十二歳のホステスは拳銃入りの
紙袋を押し付けられた。

細田利明の持っていたこの一丁の厄介な拳銃は
細田利明→羽根恒夫→三十三歳ホステス→
二十二歳ホステス、へと転々とした。

いわば、トランプのババつかみのようなものとなった。

二十二歳のホステスは拳銃の入った紙袋を抱いて、
大勢の京都府警の捜査員たちをすり抜け、
警戒の警察官のわきを通って「べラミ」の外へ出た。

心臓が口から飛び出しそうに鼓動が鳴った。

彼女はその紙袋を自宅のアパートに持ち帰った。

八月に入って細田利明は

「俺の拳銃はどうした」

と羽根恒夫にたずね
拳銃を預かっているホステスの存在を知る。

八月七日、細田利明は彼女に連絡をとり正午ごろ、
国鉄山陽線西明石駅東側の路上で落ち合って、
拳銃を戻してもらった。

この全容をつかむと大阪府警捜査四課は小躍りした。

一気に山口組の中枢に斬り込める――

九月三十日、大阪府警は田岡一雄組長宅な
ど四ヶ所を銃刀法違反容疑で捜索
山口組若頭補佐、細田組組長、細田利明を逮捕、
羽根組組長、羽根恒夫を指名手配した。

問題の拳銃は細田組事務所の犬小屋下から発見された。
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