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【168】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月20日 16時41分)

【孤 闘】

二課担当の中徹は夕方からほとんど動かずに
警察の多重無線車のそばに立っていた。

夜が更けるにつれ、
中徹はここに張り付いていいのだろうか、
と不安を覚え始めた。

警察の捜査本部が銀行内に移り、
体制が充実してくると
多重無線車の周囲は閑散としてきた。

車内には捜査一課員と機動捜査隊員
合わせて四、五人がいるだけとなり
銀行の指揮所からやってくる
連絡員も疎遠になってきた。

中は暗い路上に立って足元から
襲ってくる寒さと闘っていた。

事件の進展はないはずだが、
銀行を包囲した機動隊の周辺を
テレビスタッフがせわしげに動くのが見えた。

ライトに照らし出された銀行を背景にして
リポーターが何かをしゃべっている。

中は不安な気持ちをふり払うように
自分に言いきかせた。

ここだけはぽっかりと
事件から取り残されたように暗いけど
事件の本筋はそんな投光器の前でなんか、
つかめるもんか!

多重無線車では府警本部が各署と連絡をとって
猟銃所持者を入念にチェックしているようだった。

警察はもちろん、
犯人が誰か突き止めようと躍起になっている。

片言でも漏れてこないか・・・・

まだ十人ほどの記者が車にとりついている。

午前零時を過ぎると無線車の周囲は
ほとんど人がいなくなった。

車内での猟銃所持者のチェックは中断されたままで
銀行周囲の動きが慌ただしくなっている。

もう、ここにいてもネタはとれないのか …

最後に残っていた二、三人の記者も走り去った。

中は自分だけが事件から
取り残された気がして急激に心細くなった。

たまに通りがかる捜査員に声をかけても
あんた、こんなところで何しとるんや …と
物問いたげな顔をされた。

しかし、中はその心細さに耐え、
寒さをまぎらわそうとまた、車の周りを歩きだした。

突然、無線車への出入りが激しくなった。

一人、二人、音もなく走ってきて車の中へ消えた。

中の見知った捜査一課の刑事がいた。

「なんや」

声をかけたが、顔がきつい。

ひと言も返事がない。

中はそばの乗用車の陰に隠れた。

なんか、あったんだ・・・・  胸が早打ちした。

三人の黒い影が足早に近づいてきた。

「国鉄多治見駅前 …」

「職質 …」

「共犯をつかまえた」

断片的なささやきが聞こえた。

犯人の共犯がつかまったのか?
それならすぐ、身元が割れる。

中は全身がカーッと燃えてくるのがわかった。

夜目に透かして腕時計を見ると午前零時五十分。

最終版の締め切りまで一時間もない。

中はしゃがみこんでハンディを口元に引き寄せ
「ABC」を呼んだ。

「こちら中です。
 全員に無線機の音量を絞るよう伝えてください」

「ABC」で受けたのは河井である。

中のひそめた声で河井は
彼が重要なことを伝えようとしているのを察知した。

「こちらゲンポン、全員音量を落せ。
 緊急時以外、発信をやめよ」

六台のハンディに河井がリレーした。

「ABC」の店内も緊張感に包まれた。

そこへ中の抑えた、それでいてちょっと
はやった声が流れてきた。

「犯人の共犯が国鉄多治見駅前で、
 職務質問で捕まったらしい。
 至急確認頼む。こちらはこのまま、
 あとの情報を探る」
【167】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月19日 16時12分)

【深 謀】

夜が深くなってきた。

銀行の周囲でなんとか情報をつかもうと
かぎ回る記者の間から
「冷えるなぁ」という声が何度も口をついて出た。

記者たちがわずかな情報でも、と苦戦している最中、
警察もそれ以上の苦戦を強いられていた。

警察は初動捜査の失敗で犠牲者を何人も出しながら
たった一人の犯人に思うようにあしらわれ
人質多数が生命の危機にさらされていた。

これ以上の犠牲者を出さないためには一刻も早く
犯人が立てこもっている一階の現場に
突入しなければならない。
しかもそれは安全かつ、確実な方法しか許されない。

午後八時、特別捜査本部が
多重無線車から銀行三階の
女子更衣室へと移された。

畳四畳を敷いて作られたその特捜本部で
吉田六郎本部長はその機会を狙っていた。

これより前の午後六時四十五分、
捜査一課特殊班員が
行内に気付かれないよう二時間がかりで
手動式のドリルを使い
東側シャッターに直径三センチほどの、
のぞき穴を開けていた。

階下の様子が少しずつ分かり始めた。

バリケードが築かれていないロビー西側の通用門は
犯人の死角になっていることも分かってきた。

午後九時、それまで集まってくる情報に
黙って耳を傾けていた
吉田本部長が口を開いた。

「今から一時間半以内にどのようにすれば
 犯人を逮捕でき、
 人質を救出できるか最善の方法を考えよう」

静かな口調だが有無を言わさぬ響きがあった。

幹部たちはまず説得の可能性について話し合ったが
これはすぐに無理だと結論した。

犯人は警官の姿を見たら人質を殺害する
と伝えてきているし、
実際、警官が顔をのぞかせると、
威嚇発射している。

到底、説得できる状況ではない。

強行突入しかない、と誰もが考えた。

問題はいつ、どのようにして突入するか、であった。

第二機動隊訓練指導担当、
松原和彦警部が呼び込まれた。

松原はピストル射撃の指導官であり、
ハイジャック対策に設けた特殊部隊の隊員であった。

強行突入といっても、
猟銃と拳銃を持っている犯人を制圧するためには
狙撃逮捕しかない、というのが幹部たちの結論だった。

松原警部は自分が垣間見た現場の状況を想定して
三階でひそかに突入訓練に入った。

松原をリーダーとする七人の突入隊は右手に
38口径ニューナンブ回転弾倉式拳銃を持ち
鉄製のヘルメット、濃紺の戦闘服。
足元はわずかな音も消すため、
綿の靴下しかはいていない。

突入時間は午前零時と決められた。

突入時間が迫ってくるにつれ、
特捜本部の緊張が高まった。

その緊張の中へ一つの情報がとび込んできた。

シャッターの、のぞき穴から最終的に
犯人と人質の位置を確認していた捜査員が
「犯人は人質を背後にも回した」と伝えてきた。

松原警部は聞くなり、のぞき穴へ駆け下りていった。

報告の通りだった。

追い討ちをかけるようにもう一つの悲観報告が届いた。

通用口からほふく前進していた捜査員が
犯人に気付かれたというのである。

捜査員が近づくと見張り役に立たされていた人質行員が
「警官が入ってきた」と大声で知らせてしまったのだ。

犯人への恐怖が忠誠心に変わりつつあった。

喰らいついたら離れないマムシの異名をもつ
坂本房敏捜査一課長が松原警部に問いかけた。

「どうや、いけるか」

松原警部はしばらく考え込んだ。

「できません。前に並んだ人質の間は通せても、
 後ろの人質に当てない、という自信はありません」

狙撃隊長のこの一言で突入計画は挫折したが、
吉田六郎本部長は悲観していなかった。

むしろ、勇気ある回答だと感じ入り
一条の光明を見た思いだった。
【166】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月19日 16時04分)

【極 限】

時計の針を行内に戻す。

営業時間の午後三時を過ぎても事件を知らない
取引先からの電話が行内に次々とかかってきた。

梅川は行員の何人かを指名して
電話の応対にあたらせたが
その態度は尊大だった。

気に食わない態度を見せた女子行員の
髪をつかんで床を引きずりまわしたり
胸に銃口を押し付け「撃つぞ」と脅したりした。

そのたびに女子行員らは

「助けてください、助けてください」

と両手を合わせて哀願した。

梅川は自分の優位を誇り、銃の脅威を確かめるように
ときどき、行員の顔や肩スレスレに威嚇発射した。

そのつど「キャ――!」という女子行員の悲鳴が
シャッターを通して外の報道陣の耳にまで聞こえた。

中の様子をうかがおうとする警官の姿が
チラチラ見え隠れするたびに

「近寄らないでください」

「近づくと私たちが殺されま――す!」

と、叫び声をあげ、梅川に警察の動きを
積極的に知らせさえ、した。

午後四時四十五分、
梅川が支店長席の電話から自ら110番を回した。

「俺は犯人や。責任者と代われ」と指示、

通信司令室の管理官が出ると

「もう、四人死んどる。
 警官が入ってくると死者が増えるぞ」

と一方的に言い捨てた。

密室で展開される惨劇のクライマックスが訪れたのは
午後四時四十五分ごろだった。

梅川が金のありかや、金庫の構造を聞いていた
男性行員(四五)の返事があいまいだったため
「落ち着きすぎて生意気や」と発砲。

行員は素早く身をよじり、
心臓を撃ち抜かれるのは避けたが
右肩が骨まで見えるほど砕かれた。

鮮血の床でうめき声が響く。

十分後、出血で眠くなるのをこらえながら
死んだふりをしている行員を見た梅川は
持っていたナイフを別の行員に渡して
「首を刺してとどめを刺せ」と命じた。

機転を利かせた行員が
「もう、死んでます」と弱々しくつぶやくと
梅川は我が意を得たり、
とばかりにほくそ笑んで命令した。

「そんなら耳を切れ。死人の耳を切る。
ソドムの市の儀式をするんや」

「切れません、切れません」

命令を受けた行員は泣きながら訴えたが、梅川は

「人間は極限状態になれば、
 命惜しさになんでもするんや」

と冷たく言い放ち

「お前も死にたいのか」と銃口を向けた。

異様に静まり返る行内。

ナイフを渡された行員はひざまずき、涙を流して
「すまん、すまん」とつぶやきながら
倒れている行員の左耳の上半分をそぎとった。

このあとも梅川は人質たちに
屈辱的な行為を強要し続けた。

女子行員たちのトイレの使用を聞き入れず
カウンターの陰で用を足せ、と言い
警察から差し入れられたカップラーメンを作らせたり
新聞を自分の傍らで声をあげて
読ませるのも女子行員に命じた。

さらに自分と体つきの似た若い行員を選び出し
自分の上衣を着せ、帽子をかぶらせ
影武者に仕立て上げた。

恐怖にひきつった表情で
行内を行ったり来たりさせられる
身代わり行員の姿を梅川は
歪んだ笑みを浮かべながら眺めた。
【165】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月19日 16時00分)


【ドキュメント】

河井の話が終わらないうちに散っていった記者たちの
聞き込み情報が「ABC」の玄関先に陣取った
河井のハンディに飛び込んできた。

「人質の女子行員は十二人らしい」

「何人かは制服を脱がされている」

「犯人は行員を見張りにたて、
 何人かを自分の周りに並ばせている」

情報は素早く原稿用紙に写しとられ
小椋へとリレーされ、
小椋がつなぎっ放しにしている電話で
本社へと伝達された。

射殺された警官二人の名前を聞き込んできたのは
一課担当の桝野恵次と二課担当の中徹である。

この段階では一級の情報だ ――

ハンディで交信して他社と混信しては
大変だから二人は直接
「ABC」に戻って河井に耳打ちした。

警部補の住所から泉佐野通信部の記者が
「ウラとり」に走った。

玄関の表戸を叩くと高校生らしい男の子が
戸を半開きにして顔をのぞかせた。
かすかに女性のすすり泣きが聞こえる。

やっぱり、そうか。

「さっき、警察から電話があり、
 撃たれたのは親父らしいと言ってきました。
 それを聞くなり母は倒れ、
 うちにいるのはその母と姉だけです」

男の子はそれだけ言うと戸を閉めた。

午後八時三十分、
木口調査官による二回目のレクが行われた。

「被害者は四名ぐらい。うち、二名は警察官」

と述べ、初めて警官二人の名前が明らかにされた。

桝野と中の聞き込み情報は的中していた。
しかし、調査官は慎重だった。

この二警官の生死は未確認だといい、
残り二人の行員についてはノーコメントだった。

そして

◆警官の拳銃が奪われたと思われる

◆一部の行員が脱衣させられている

と行内の状況に触れ、
警察としてはあとでどんな批判を受けようとも
人質の生命救出を最大の目的としているので
くれぐれも報道関係者の協力をお願いしたい、

と締めくくった。

やはりレクでは新しい情報は得られない。

桝野や中がつかんできた物の追認の場でしかなかった。

本社からの応援が増強され、
前線デスクは小椋から
社会部次長の工藤貫一へと引き継がれた。

河井の前任の府警サブキャップをしていた
加茂紀夫も加わった。

前線はこれで二十人を超す陣容となったが

「勝負はこれからだ――」

全員が強く感じていた。



本社社会部に朝刊七版が刷り上ってきた。

大阪本社管内の高知、愛媛、島根といった
遠隔地に配達される「早版」である。

目を通していた社会部長の黒田清が
ドキュメントの欄を見るなり
険しい表情になった。

「なんや、これ。四十行ほどしかあらへんやないか」

担当デスクも気になっていたのか、
いち早くとんできた。

「そうなんですわ。全く動きがないもんで」
と弁解した。

「アホ!そんなドキュメントがあるかい。
 動きがないんと違う。
 こちらに動きがわからんだけや。
 わからんかったら、別の方法とらんかい」

と、どやしつけた。

周囲がそんなムチャな …と
言いたげに沈黙している中で
黒田だけが大声を張り上げた。

「動きがないというても、
 われわれは動いてるやないか。
 それを書け!」

虚をつかれたような沈黙が続くなか、
追いうちの声が続く。

「おれがこうして怒鳴ったことも、
 現場で誰かが転んだことも
 みんな、書いてみい。
 なにもせんより、よっぽどマシや!」

部長命令でドキュメント班が拡大された。

黒田は考えていた。

ああ …また、えらいな責任背負うてしもうた。

なんや、こんな新聞作って、
と編集局長からこっぴどく叱られへんやろか。

いや、それより読者にソッポ向かれるんと違うんか。

だが、すでに記者たちを乗せた紙面は走り出していた。
【164】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月18日 14時34分)

【レ ク】

読売前線本部の喫茶店「ABC」には
タバコの煙がたちこめていた。

社会部長の黒田清から前線指揮を命じられた
次長の小椋瞳は自分が苛立っているのがよく分かった。

たった今、全員で手分けして早版用の原稿を仕上げ、
電話で本社へ送ったばかりだが
この事件には分からないことが多すぎるのだ。

死者は何人いるのか。  警察官だけか。  
銀行員もか。   その名前は?   人質は何人で、犯人は今、何を要求し、
行内はどうなっているのか。

小椋の前にあるアルミの灰皿には
吸殻が山となっていた。

「レクはまだかいな」

小椋は誰にともなくそう言って、
また吸殻を灰皿に押し付けた。

大阪府警本部は銀行東側50メートルの市道に停めた
多重無線車に特別捜査本部を設けていた。

「ABC」の入り口で指令係りとなっていた
府警サブキャップ、河井洋のハンディに
「間もなく、レクが始まる」との声がとびこんできた。

「よっしゃ、行こ。ほんなら小椋はん、
 ちょっと頼んます」

河井はハンディを小椋の方へ押しやると
立ち上がり記者二人が続いた。

事件発生から三時間後の午後五時三十五分、
第一回目のレクが始まった。
多重無線車のすぐ近くの分離帯に
木口信和捜査一課調査官が立った。

「では、みなさん、よろしいか。始めますよ。
 発生日時、午後二時三十分ごろ、
 場所、住吉区万代東・・・」

木口調査官は一語、一語、区切るようにして
ゆっくりメモを読み上げていった。
内容は次のようなものだった。

◆犯人は銀行北側玄関から侵入、
 入るなり天井に向けて猟銃を発射。
 そのあと赤いナップザックをカウンターに放り投げ
「十秒以内に五千万円を入れろ」と要求
◆犯人はカウンターそばの行員と口論となり一発、
 発射。直後駆けつけた警官二人に二発撃つ
◆犯人の年齢は二十五歳ぐらい、身長165センチ、
 サングラス、黒っぽいジャンパー
◆妊娠を理由に釈放された女性客の証言では人質は
 撃たれた行員を含め三十七名の模様
◆犯人は行員にメモを持たせ二階に行かせた。
 メモには「警察官が姿を見せれば行員を一人ずつ殺害 する」と書いてあった。
 犯人は今のところ具体的な要求は出していない。

木口調査官はメモから顔をあげ、
「それじゃ」と分離帯を下りた。

「待ってくださいよ。死者がいるでしょ、何人ですか」

「名前は?」

報道陣から同時に質問が飛び、
調査官はたちまちもみくちゃになったが
「わかっているのは、それだけや」と首をふりながら
多重無線車の中に消えていった。

メモを終えた河井らは
「これはえらいこっちゃ」と思った。

警察はデータを伏せている。

調査官はいろいろ発表したかに見えるが
この程度の内容なら各社ともすでにつかんでいる。
死者は数人いるはずだし、
行内の様子はもっとひどいことになっているはずだ。

調査官の口ぶりからすると警察のガードは固い。

というより、警察自身、
十分に事態をつかみきれていないのではないのか。

通常の殺人や強盗なら記者も捜査員と同じように
聞き込みに回り、時と場合によっては
警察より先に有力情報をつかむことすらある。

だが、この事件は違う。

事件は密室の中で起こっている。
今、あの厚い壁の中で起きている事態は
その密室の中にいる犯人と人質にしか分からない。

調査官のレクを頼りにしていては大変なことになる。

河井は自分に言い聞かすように
集めた記者全員に言った。

「この現場には七百人を超す警察官がいる。
 本部の腕利きの捜査員も所轄署のベテラン刑事も
 根こそぎ集まっている。
 彼らから正確な情報を一つ一つ、
 拾い集めてくるんや。それを組み立てていく以外に
 ここでは取材の方法がない。
 事件記者の普段の蓄積にモノを言わすしかないぞ!」

河井の話が終わらないうちに記者たちは
猟犬のように散っていった。
【163】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月18日 13時07分)

【前 線】

覆面パトカー追尾のおかげで規制線を突破し、
現場に入ったのはいいが
大谷たちが銀行にあまりに近づいてしまったので
機動隊の警部が

「犯人がどこへ向けて撃つかわからん。
 命の保障はせんぞ」

と語気鋭く言い寄ってきた。

とりあえず少し引き下がることにして
岸本が路上に残り、
大谷と織田は周辺の聞き込みに走った。

交差点北東角のスポーツ用品店にとびこんだ織田は
店員に電話を借り、本社に大量の応援と
ハンディトーキーを要請した。
現場の記者同士が連絡を取り合えなければ
どうしようもないと思ったからである。

大谷はなんとか情報をとれないものか、
と顔見知りの刑事を捜した。
ちょうど住吉署担当時代、
過激派事件で付き合ったことのある
警備課の刑事が通りがかった。うしろから

「おっ、久しぶり、えらいこっちゃねぇ」

と声をかけると、気がついた相手はこわばった表情を少しゆるめて

「おう、いま、どないしとるねん」と応じた。

すかさず
「それより、今、あの中はどないなっとるんや」
と探りを入れると刑事の表情が引き締まった。

「三〇〇が二人、いかれとる。
 もう動かんから、あかんのと違うか」

サンビャクとは警察暗号で警察官のことである。

大谷は弾かれたようにスポーツ用品店に
引き返すと社会部に電話を入れた。

「警官二人死亡、ほぼ間違いなし」

ヤマチョウこと、山本長彦は現場に着くなり、
丸い顔を振って周囲の状況を目に入れた。
府警ボックスで襲われた眠気はとうに吹き飛んでいた。

山長の任務は取材用の前線本部を設置することだった。
現場に近く、適当なスペースがあり
電話や連絡の便もいいという
難しい条件を満たさなければならない。

山長は銀行から北へ三十メートルの
喫茶店「ABC」のドアを
突き飛ばす勢いでとび込んだ。

細長い店内はカウンター式になっていて
丸イスが十脚ほど並んでいた。
少し狭いかな、と思ったがこの際は一刻も惜しい。

「後主人、読売ですけど、取材に使いたいんで
 しばらく電話を貸してもらえませんか」

五十四歳の経営者はこの騒ぎでは商売にならない、
と思ったのか

「ま、よろしゅうおまっしゃろ」と応諾した。

山長が「ABC」にゲンポンと呼ぶ
現地本部を設置したころ、
二課担当の中徹(なかとおる)らは交差点北側にある
マンション建設現場のプレハブ事務所の
二階に上がっていた。

見張っていると東側シャッターの隙間をくぐって
中年の婦人が一人出てきた。

「きっと人質の一人やで」

言うなり、中徹は階段を駆け下りた。
だが、寸前、数人の警察官が婦人を取り囲んで
パトカーに乗せてしまった。
この婦人は妊娠を理由に解放された主婦だった。

この時点で行内の様子を聞きだせる
最高の取材対象だったが、
警察がそんな素晴らしい素材を渡すはずもなかった。

彼らは仕方なく分散して
パトカーの陰に隠れ、警察無線に聞き耳をたてた。

少しずつ事件の輪郭がわかってきた。

しかし、なんとしても犯人が襲ってきたときの
行内の様子を知りたい。

いら立つ中徹の目に一人の女性の姿が映った。
その女性は銀行の方を見つめながら
気がかりな表情をしていた。

ひょっとして行員の家族ではなかろうか・・・・
銀行のことが探り出せるかもしれない。

中はその女性に声をかけた。
すると「私、今、その銀行から逃げてきたんです」
と言うではないか。
この女性は梅川が猟銃をぶっ放した直後に
銀行から飛び出し、自転車で警ら中の警察官に
事件を知らせた当事者だった。

「それで・・・」

中と岸本ら三人が女性を取り囲んだ瞬間、
数人の捜査員が走り寄ってきて
パトカーの中へ連れ込んでしまった。

またしてもだ。

野球に例えるなら満塁のチャンスを二度も逃した。
【162】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月18日 12時46分)

【恥 辱】

「面白かったでぇ」

昭和五十一年(1976年)秋、二十八歳の梅川昭美は
大阪市内の飲み屋で友人や客仲間を相手に得意げに話し始めた。

岡山の特別少年院を十七歳で仮出所した梅川は
一時、香川県引田町にある父親の郷里に引き取られ
少年院で取得した印刷技術をもとに
印刷工として働いたが一年ほどで
遠縁を頼って大阪に飛び出した。

保護司の下、十九歳で大阪市西成区の深夜喫茶に勤務。

ほどなく内縁の女と同棲を始める。
このころ、すでに右胸に赤い牡丹の刺青があるのを
アパートの住人が見ている。

翌年、成人となり保護観察処分を解除された梅川は
バーテン兼債権取立て業として、
ミナミのネオン街を漂いだす。

昭和四十八年(1973年)には住吉警察署から
銃砲所持の許可をとりクレー射撃に凝りだしていた。



梅川はその日、ミナミの「南街シネマ」で公開中の
イタリア映画「ソドムの市」を観た。

舞台はナチスが支配する
第二次大戦末期の北イタリアの都市。

傀儡政権の大統領ら四人のファシストグループが
多数の美少女、美男子を古びた館に監禁し、
歪んだ欲望と悪徳の限りを
尽くした上で虐殺するという、
人間の悪魔性と獣性を丸ごと
スクリーンに叩きつけた作品である。

過激な描写が問題となり欧米では上映禁止となった。

監督のピエル・パオロ・パゾリーニは
ファシズム批判を込めてメガホンをとったというが
殺人者としての過去を持つ梅川の関心は
嘔吐感なしに見られない血の狂宴にあり、
それを可能にした権力への
歪んだ憧れに、あったようだ。

五千万円の現金を狙って
三菱銀行北畠支店に踏み込んだ梅川が
行員と警官を立て続けに射殺し、
警官隊に包囲された時点で
逃れられぬ死を自覚したことは確かであろう。

権力や富とは無縁のうちに
貧しい三十年の生を送ってきた梅川の脳裏に
その瞬間、甦ったのがかつて陶酔した
「ソドムの市」の悪魔的シーンだったのか。

机やロッカーでバリケードを築いた店内は
誰も手をだせぬ彼の帝国であり、
人質は権力者が思うがまま、
に操れる「いけにえ」である。

しかも、その大半は銀行員という
富の世界に住むエリートたち。

梅川は大金奪取という計画が破綻するや、
無法の権力を存分に奮うことに魅せられた。


人質の点呼が終わると梅川は女子行員の一人を指差し、
倒れた警官の拳銃を取ってくるよう命じた。

女子行員の茶色のベストの背がギクッと伸び
救いを求めるように同僚の顔を見回す。

誰もが顔を伏せたままだった。

女子行員は泣きながら倒れた警官に近づいた。

床一面に流れた血に足がすくみ、一瞬立ち止まったが
あきらめたように血の海を避けて進み、
遺体が握り締めていた拳銃をもぎとって梅川に渡した。


「お前らソドムの市を知っとるか」

「この世の生き地獄のことや。
 その極致をお前らに見せたる」

黒光りする銃口を向けた梅川から女子行員に向って
非道な第一声が吐き出された。

「お前ら、全員、服を脱げ!」

泣き声とともに、その場にうずくまる女子行員たち。

それでも梅川は許さなかった。

「ナチやったら、もっとひどいんやぞ」

「俺は精神異常やない。
 道徳と善悪をわきまえんだけや」

屈辱の儀式が終わると梅川は
全裸の女子行員三人を傍らに置き
残りの人質は自分を中心に扇形に
並べた机の上に座らせた。

外からの狙撃に備えて人質たちを
弾よけにしたのである。
【161】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月16日 15時40分)

【処 分】

梅川昭美、人生最初の凶行の動機は
ただ「金欲しさ」だった。

問われるままに犯行の動機と周到な計画ぶりを
こと細かくに語る梅川の態度は終始、平然としていた。

泣きもわめきもしなかった。

二人のベテラン刑事は
これまでの殺人犯とは全く違う相手に戸惑った。

殺人犯が否認から自供へと
「落ちる」瞬間はほとんどの場合
劇的である。

ノドの渇きに水を求め、体を震わせ、
ときに調べの刑事に抱きついて泣き
自供の後は手を合わせて被害者への謝罪を口にする。

ところが目の前の少年は

「盗むのが難しいときは脅してでも、とる。
 脅して抵抗されたから、殺した」

と、傲然と言い放った。あげく

「他のやつらはぬくぬくと暮らし、
 なんでオレだけが貧乏して苦しまないかん?
 泥棒はオレのせいではない」

と言われ、二の句が継げなかった。

「こいつが成人したら、
 とてつもないことをやらかすな」

少年の将来を二人の刑事は暗い気持ちで思い描いた。

梅川逮捕、自供の報は遺族の耳に届き、署の玄関で

「犯人を出せ!」

と怒り叫ぶ声が調べ室まで筒抜けとなった。

梅川はその声を聞くや

「呼んでこい、勝負しちゃる!」

と、荒々しくイスを蹴った。

逮捕から二日後、梅川は警察から

「今後、身柄を拘束して十分な矯正教育が必要である」

との意見書を付けられて身柄を
広島地方検察庁に送られた。

広島地検から事件の送付を受けた
広島家庭裁判所は
広島少年鑑別所で梅川を検査し、
事件から一ヶ月後の
昭和三十九年(1964年)1月17日、
処分を「中等少年院送致」と決定した。

刑法では強盗殺人罪は

「死刑または無期懲役とする」

と定めている。

少年法では十八歳未満の場合

「死刑は無期刑に、無期刑は
 十年以上十五年未満の懲役、禁錮」

に、減刑(現行は最高二十年)されるが、
それでも金目当てに人を殺した罪は重い。

梅川が若妻殺しの事件を起こしたときの
年齢は十五歳と九ヶ月半だった。

十六歳に二ヵ月半を残していたことは
梅川にとって決定的な意味を持っていた。

当時の少年法の規定では
十六歳未満の犯罪は懲役などの刑罰を逃れ
教育的拘束といえる保護処分に
とどめられるからである。

(現行少年法では刑事処分可能年齢は
 十四歳以上に引き上げられている)

つまり、梅川の処分は
少年院送りにすぎないことは
逮捕当初からわかっていたのである。

抵抗や応戦に出会うと見境なく逆上し、
殺人の責任すら他へかぶせる。

調べ中の雑談で年配の刑事が神経痛の話をすると

「そんな痛いもんなら、もいでしまえや」

と言い放つ十五歳の少年。




十五年後、すでに警察を退職していた
取調べにあたった刑事は
自宅のテレビ中継が伝える
犯人の名を聞いてうなった。




   「とうとう、やったのう・・・・」
【160】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月16日 15時30分)

【凶 行】

広島県大竹市栄町、土建業の妻(二三)が
棟続きの義兄宅で惨殺死体で発見されたのは
昭和三十八年(1963年)十二月十六日
午後三時十五分だった。

義兄の妻が買い物から帰ってみると
留守番を頼んでいた土間で
血まみれになって倒れ、
居間の押入れから現金一万九千円のほか
株券十一枚、普通預金通帳が入った
手提げ金庫が奪われていた。

大竹市にとっては六年ぶりの強盗殺人事件。

しかも被害者が新婚まもない若妻という凶悪事件に
広島県警は大竹署に特別捜査本部を設置した。

飯場の街とあって、
まず、労務者の洗い出しが焦点となった。

対象者は六百人を超えたが
聞き込みのなかで意外な目撃証言を得た。

「当日の午前十一時ごろ、
 自転車に乗った少年が被害者宅をのぞいていた」

というものである。

少年は道端にサイクリング車を止め、食い入るように
前方の民家の様子をうかがっていた。

ジャンパーにジーパン、ひさしの着いた作業帽、
なにより冬のさなかにサングラスをかけていたから
人目をひくのには十分だった。

事件発生から一週間後の十二月二十三日、
梅川昭美は大竹署に連行された。

一見、ひ弱な少年は

「なんで、こんなところに連れてきたんや」

と、刑事につっかかった。

ポリグラフにかけると陽性反応がでた。

調べ室で梅川と対座したのは
県警捜査一課のベテラン部長刑事二人だった。

犯行時と同じえりに黒い毛の付いた
ジャンパーを着た梅川は
最初は何を聞いても黙っていた。

「言わにゃ、言わんでもええ」

調べの二人に焦りはなかった。

すでに不良仲間の供述から
梅川が犯行を打ち明けていることは分かっていたし
山中に捨てられていた金庫も見つかっている。

あとは反抗的でふてくされた
梅川の心を解きほぐすだけだった。

ベテラン刑事は梅川の境遇に触れ

「お前もさびしかろう」

と語りかけた。

犯行を認めたのは午後のことである。

かつて三日間ほどアルバイトで
出入りしたことのある被害者宅に
目をつけたのが十二月十日ごろ。

作業員に支払う現金が置いてある場所は知っていた。

最初は盗みに入るだけの計画だったが
十一、十二日の下見で
いつも誰かが家にいることが分かると
「脅してでも」と切り出しナイフを用意した。

犯行当日は午前十時に家を出た。

人に顔を見られてはまずいと、
この夏海水浴場で買ったサングラスをかけた。
手袋をはめ、金庫を包む風呂敷も用意した。

梅川は左手でナイフを背後に隠し持ち、
表口からカツカツと中へ入っていった。

被害者の若妻は居間でテレビを観ていたが、
梅川は「大将はいますか」と声をかけて近づき、
いきなりナイフを右手に持ち替えてメッタ突きにした。

若妻は血まみれになりながらも、
押入れから手提げ金庫を奪い、
風呂敷に包んで持ち去ろうとする
梅川の足に必死にしがみついた。

しかし、梅川は金庫を抱えたもう一方の片手で
首を押さえ込み、ふりほどいた。

そして別棟の飯場からズボン一本を盗み、
返り血を浴びたジーパンと履き替えるという
冷酷で周到な手口を淡々と語った。
【159】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月13日 16時13分)

【履 歴】

梅川昭美は昭和二十三年(1948年)三月一日、
広島県大竹市で繊維工場に勤める
四十六歳の父と四十二歳の母の間に生まれた。

晩婚の両親にとっての男児の誕生は
ことのほか嬉しい授かり者だった。

幼い梅川を母親はちょっとした熱や下痢でも
頻繁に工場内の診療所へ連れて行った。

小学校時代、梅川がどういう子供であったか、
同級生や担任の教諭の印象は
「ひ弱でおとなしい」といった程度で総じて薄い。

父親は梅川が小学校に入学した年に
椎間板ヘルニアを患い
二年間の休職を経て、退職した。

生活苦はやがて家庭不和を引き起こし
昭和三十三年(1958年)梅川は父親に連れられ、
香川県引田町の実家に移った。

父子が大竹駅を発ったその時刻、
母はいつものように工場で黙々と働いていた。

父の実家に移った梅川は半年後、
大竹市の母のもとへ一人で戻ってきた。

梅川昭美、まだ、小学五年生。

帰郷後、易者へと転身した
父との生活が満たされなかった
というより、やはり母恋しさがあったのだろう。

独身寮の住み込み家政婦として
働いていた母は一人息子を迎え
寮の近くの農家の離れを借りて住んだが、
ほどなく管理人から寮の二間をあてがわれ、
そこへ落ち着いた。

しかし、生活苦に変わりはなかった。

息子を学校に送り出したあと、
母は寮に出向き炊事、洗濯、掃除に忙殺され
帰り支度にかかるのはいつも日が暮れてからだった。

夫と離婚した今はもう、
一人息子を自分で育てようと心に決めていたが、
日々の仕事でほとんどかまってやれない。

その不憫さを思ってか、
母は近所の子供が遊びにくると

「仲よう、遊んでやってなぁ」

と声をかけることを忘れなかった。

しかし、梅川はそんな母に暴力をふるうようになる。

小学生のときは口ごたえする程度だったが
中学に入ると小遣いはもとより、
テレビ、バイクなどを次々とせがむ。

受け入れられないと母を引きずりまわし、
ときに刃物を突きつけたりした。

この時期、梅川は外でも非行に走り出す。

喫煙や暴力で地元の警察に何度か補導されている。

進路相談で学校を訪れた母親は
「言うことを聞かんで困ります」とこぼした。

それでも
「一人っ子やし、父親がいない、
 と馬鹿にされてもいかんので
 高校だけは行かせてやりたい」と話していた。

昭和三十八年(1963年)
私立広島工業大学付属高校に進学した梅川は
急速に不良じみてくる。

八月〜九月にかけて岩国、広島市内で
三台のオートバイを窃盗。
わずか一学期で退学処分となる。

高校を中退した梅川は窃盗が常習化し、
ついに母親は子供のために
夫婦のよりを戻すことにし、
父親のもとへ息子を送ったが、
当の梅川は三日も経たずに大竹市へ舞い戻った。

住む家とてない梅川は
高校時代から「兄貴」として慕っていた
岩国市内の建設作業員方に身を寄せ
遊ぶ金に困ると父母から一万、二万と
小遣いをせびりに大竹市に現れた。

身長162センチ、体重46キロと
相変わらずひ弱な体格だったが
もはや、一目で不良少年とわかり、
なにかをやらかしそうな
危険な雰囲気を漂わせていた。

    果たして少年は事件を起こした。

      それも社会を震撼させる凶悪事件だった。
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