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【198】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月09日 14時09分)

【突 入】

大谷昭宏はふっと足をとめた。

タン、タン、タン ……  乾いた音だ。

銃声ではないか?

彼は銀行北口に面した道路向かい側の歩道にいた。

音は銀行の内部で起きた。

車道に並んでいる機動隊員が一瞬、
けげんな表情を浮かべた。

隊員の一人が北口に走り寄り、
腹這いになって五十センチほど開いた
シャッターのすき間に頭を突っ込んだ。

息を詰めて見守る大谷の視界から
その隊員の姿がスルリと消えた。

あっ、中に入った!


瞬間、一隊の機動隊が腰の拳銃を
引き抜いて北口へ殺到した。

もう一隊は回れ右して歩道側に向かい阻止線を張った。

隙間なく並んだ楯と腰だめした
警杖が見事な一線となっている。
 




「突入やあっ ! 」






大谷はハンディトーキーに口をつけて絶叫した。

「ABC」のハンディには
四つの声がもつれて飛び込んできた。

大谷、山本、渡辺、千原である。

声が重なりながら「突入」ははっきりと聞きとれた。

続いて「銃声三発」

  これは千原の声だった。

弾かれたように瓜谷と河井が飛び出し、
コーヒーを飲んでいた落合と四ノ宮、谷本が
カップを放り出すようにして続いた。

府警キャップの黒川は店の前に停めた車で
仮眠していた加茂と藤本を叩き起こし、
蔵楽はハンディをひきつけた。

「至急、至急、本社各車両、
 仮眠中のもの、
 全員起こせ、すぐだ!
 起こせ!」


社会部でテレビ番をしていた松原は
おやっ、と腰を浮かせた。

画像が突然揺れだした。

揺れが停止した画面では銀行の玄関口に
殺到する警官隊の姿が映し出されていた。


「やったぁ ! 」


ソファの池尻が跳ね起き

「みんな、起こせ!」と怒鳴った。

松原と坪井が同時に電話に飛びついた。


同じ画面の揺れは住吉署にいた半沢も目にしていた。
一瞬おいて、署内にどっと歓声が沸いた。

現場では報道陣と機動隊が激しくぶつかっていた。

わずかのスキを見つけて
銀行の玄関口にたどり着こうとする
記者やカメラマンを楯と警杖が押し返していた。

この日は日曜で夕刊はないのだが、
そんなことを考えているものは誰一人としていない。

決定的瞬間の現場に一センチでも
近づこうとするのは彼らの本能のようなものだ。

山本が目をつけていた老警官は姿を消している。

ままよ、彼は腕組みして体を斜めに構え、
楯に向って体当たりしたが
ひとたまりもなく、ひっくり返された。

瓜谷は突進していったカメラマンが
残していった脚立に立って状況を眺めた。

いたるところで報道陣と警官隊がぶつかっている。
ジュラルミンの楯の地面を打つ音が
ガンガン響いている。
いや、それよりも銀行内部で
すさまじい音が起きている。

金属音、物の倒れる音、突入は成功したのか。

人質は大丈夫か。犯人は射殺されたのか。


大谷は現場で機動隊とのもみあいの中にいた。

突然、首にかけたハンディに
張りのある声が流れてきた。

「機動隊より各局、犯人、梅川、射殺!」
【197】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月07日 12時19分)

【狙 撃】

■午前八時二十分

のぞき穴から再度、報告が入った。

梅川は行員ととり換えていた服装をすっかり元に戻し、
支店長席に座り直した、という。

この報告を聞いた木口調査官には
梅川の真意が図りかねたが
今をおいてチャンスがないのは確かだった。

梅川がまた、気まぐれを演じる前に今こそ、突入だ

■八時三十分

松原警部を先頭にした六人の狙撃隊は
再び足音を殺して西側通用口を
ほふくして通路に入った。

■八時三十五分

のぞき穴から見張っていた
捜査員からのメモが松原の手元に渡った。

「両手で新聞を広げ、読む。
 猟銃、拳銃とも机
 ウトウト、首を落とす」

見張りに立っている営業係長と目があった。

垂らした右手のひらが小さく

「GO !」

と前後に振られた。

六人は音もなくバリケードの端々にとりつくと、
素早く散開した。

松原はキャビネットの陰からのぞき見た。

確かに梅川自身が自分で新聞を読んでいた。

しかも背後に立っていた女子行員が梅川に命じられて
湯呑み茶碗を持ってポットのある隅へと歩き出した。




  ―――― 梅川と人質の間の壁が消えた ―――





■八時四十一分

「伏せろ ! 」

の大声が行内に響いた。

ハッとして頭をあげる梅川。

右手で拳銃をつかみ、撃鉄を起こそうとあせる。

六、七メートルの距離から
六つの拳銃が一斉に火を噴いた。

いや、厳密には一斉ではない。

三人が「1」「2」の「2」の呼吸で発射し、
残る三人が「2」「3」の「3」で発射と、
引き金を引くタイミングに
コンマ何秒かのズレがあった。

仮に第一弾がターゲットを外したり、
致命傷を与えることができなくても
第二弾で確実に狙撃するという二段構えの射撃だった。

梅川の右首付近から鮮血が糸筋のように噴き出した。

「殺●ぞ …」

梅川はうめきながらドゥッと
支店長席のイスから崩れ落ちた。

床に落ちた梅川はすでに絶命したかのようだった。

人質の叫びと泣き声の中で突入隊は
梅川の顔面に白いハンカチをかぶせ手を合わせた。

と、梅川が「ウ ―― ン」とうなり声をあげた。

「まだ、息があるぞ !」

松原が叫んだ。
【196】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月07日 12時14分)

【急 変】

狙撃隊長の松原和彦警部は裸足になり、
そっと下へおりていった。

松原を含む六人の狙撃隊員が西側通用口前に集結した。

すでに夜は明けていた。

六人の終結を見てガレージに待機していた
四十人の私服捜査員が毛布を持って身構えた。

突入と同時に人質の女子行員に毛布を投げかけ、
一刻も早く銀行外へ連れ出すのが彼らの任務だった。

このとき、銀行内部で異変が起きた。

梅川が突入の気配を察したのか、
突然、人質全員に

「うしろを向け」

と怒鳴って、行員を梅川に背をむけて座らせた。
さらに男子行員(一九)を呼びつけて言った。

「どや、これ、着てみい」

梅川は自分のジャケット、帽子、
サングラスを行員に付けさせ
さらに散弾を抜き取った猟銃を片手に持たせ、
支店長席に座らせた。

そして自分は行員のワイシャツに着替えると
射殺した警官から奪った拳銃を手にして
行員の列に分け入り

「どうや。この格好で人質の解放やいうて、
 表へ出るんや。
 うまいこと、逃げられるやろ」

と言った。

狙撃隊が忍び込んでくるのを同時に目にした
営業係長は血の凍る思いがした。

営業係長は先頭の松原警部と目が合うと、
懸命の思いを込めて
頭を小さく横に振った。

松原警部は営業係長の表情が
尋常でないことを見てとった。

「ダメだ !」

と言っているのは明らかだった。

松原は後続の隊員を手で制して
音もなく後退し、通用口の外へ出た。

のぞき穴からの報告がすぐにもたらされた。

身代わり工作の一件を知った松原は
背筋に冷たいものが走るのを感じた。

やがて、松原にも特捜本部にも
落胆と困惑が押し寄せてきた。

服装を取り替えた梅川が
大勢の行員の中にまぎれこんでしまっては
もはや、狙撃は絶望的ではないか。

しかし、ツキとは不思議なものだった。
【195】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月07日 12時11分)

【好機到来】

■午前五時十四分

梅川から伊藤管理官に電話が入った。

「七時十五分なのに、なんで朝刊を差し入れんのや」

伊藤が「まだ、五時すぎやないか」と言うと、梅川は
「おれが間違えた」と一方的に切った。

二時間も勘違いしている ――――

確実に疲労の度が濃い。
  
伊藤は特捜本部に連絡した。

■午前六時過ぎ

のぞき穴からまた報告が届いた。

梅川は先に差し入れた
シェービングクリームとカミソリ、
置き鏡を持ち出し
男子行員にポットの湯を運ばせて
支店長席にふんぞりかえり
ひげを剃っているという。

梅川の手が銃から離れている。

突入のチャンスがありそうだ。

■六時五十七分

朝食が運び込まれた。

早朝にステーキの用意が整うわけがない。

特捜本部は銀行側が用意した、
おにぎり二十個、スパゲティ三皿、
みそ汁十二杯、トースト三切れ、きつねうどん一杯
バター一本、あられ三袋、
アイスクリーム二十五個、メロン五個を差し入れた。

のぞき穴からの監視は続いている。

梅川はしきりに何か喋りながら
メロンをたいらげていったが
行員たちで差し入れを口にするものは
ほとんどいなかった。

■午前七時三十分

特捜本部に吉報が届いた。

梅川の指示で現金を配って回った
営業係長がトイレに立ち
西側通用口に身を潜めていた捜査員に

「今回はチャンスがあるかもしれない。
 合図を送ります」

と早口で告げ、さっと戻ったという。

事件発生以来、警察側に初めて
巡ってきたチャンスだった。

■七時五十分

伊藤管理官が差し入れの読売、朝日の
朝刊を持って一階への階段を下りていった。

途中のステップに新聞を置くため
かがみこんだ伊藤の目が
バリケードの間から、かろうじて見通せる
階下の隅に立っていた営業係長と目が合った。

営業係長が梅川に気付かれないよう、
一瞬、目配せした。

■午前八時

ツキは完全に警察側に回ってきた。

人質の見張り役が交代し、
見張り位置に営業係長が立った。

その位置は突入隊が忍び込む
西側通用口とつながる通路から
一直線に見通しの効く絶好のポジションだった。

その報告を受けるや、
三階の特捜本部の吉田六郎本部長は座り直した。

刑事部長の新田は「突入します」と進言しようとして
自分のノドがカラカラに乾いているのに気付いた。

狙撃隊長の松原和彦警部が呼び込まれた。

吉田は松原の肩を叩き

「頼むぞ」

それだけを言った。
【194】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月06日 16時04分)

【困 憊】

事件発生から二回目の朝刊が刷りあがったあと、
支店長ら四人の遺体が運び出され、
その寒々とした光景が消えると、
現場は再び静寂に包まれてしまった。

機動隊員の一部は夜明け前の最も冷え込む外気の中で
コンクリートの路面に腰を下ろし
両ひざを抱えて眠り込んでいた。

立ち番中の隊員の中には立ったまま居眠りをし、
左手に構えた楯を思わず手放してしまうのか、
ときどき路面に倒れる鋭い金属音が
冴えかかった夜気を切り裂いた。

ハッとした緊張が戻り、
しばらくするとまた睡魔が襲ってきた。

持ち場を動くことができない記者やカメラマンも
どす黒い疲れをにじませて電柱にもたれたり、
しゃがみこんで目をつぶっている。

誰もが雑巾のように疲れ果てていた。

「ABC」では残った記者たちが
カウンターに両手を投げ出し
その上に頭を乗せて目を閉じていた。

工藤と交代して午前三時すぎに本社から
前線デスクとしてやってきた
瓜谷修二は丸イスの下の幅一メートルに満たない通路に
段ボール箱を持ち込み、毛布を張り、
ひざを抱えて体をねじこんだ。

ガサゴソという音に気付いた四ノ宮が見下ろして

「なんですか、そりゃあ」

と言うと

「これ、ぬくうて、楽やで」

と瓜谷が言った。

「まるで犬の寝床ですなぁ」

四ノ宮は笑いながら、
なるほどあれなら眠れそうだ、と思った。

銀行三階の女子更衣室を転用した特捜本部でも
疲れの色が濃かった。

四枚の畳の上に置かれた座卓の周りには
吉田六郎府警本部長を取り囲む形で
新田刑事部長、三井警備部長、
友清刑事庶務課長、坂本捜査一課長、
木村警備一課長、
木口捜査一課調査官、伊藤管理官が並んでいた。

何枚もの毛布が運び込まれ

「少し、休みましょう」

という声はでたが、だれもがあぐらをかき、
壁にもたれたままで
毛布に手をかける者はいなかった。

特捜本部では事件の解決には
強行突入しか道はない、という考えは決まっていた。

前夜、午前零時を期した突入さえ
一度は決定されていたのである。

そのときは梅川が直前に人質の行員を背後にも
楯として配置するという
巧妙な作戦をとったため、チャンスを失った。

あれからすでに三十時間近い時が経過している。

その間、突入隊員を常時待機させ、
梅川の一分のスキを見つけようと
全神経をはりつめてきた。

■午前三時二十五分

二階の支店次長席に女子行員を通じて伊藤管理官あての電話がはいった。

「朝刊とビタミン剤」の要求だった。
伊藤は二階へOKの返事を出した。

■午前四時過ぎ

シャッターの、のぞき穴から様子をうかがっていた
捜査員からの報告がもたらされた。

人質がラジオ体操をやらされている、という。

カウンターの内側で女子行員は梅川と対面し、
さながら梅川の号令で
「一、二」と手足を振るように体操を始め、
男子行員はなんと壁にむかって
逆立ちをさせられている、という。

木口はその報告を聞いてこれまでの梅川の
鬼気迫る雰囲気とは違うものがある、と感じた。

■午前五時十分

梅川が直接電話をかけてきた。

「朝食パーティを開くから豪勢なやつを差し入れろ」

とステーキやメロンを要求し電話を切ると、
猟銃を一発ぶっ放した。

「どないしたんや、今の音は」

木口の問いかけに、梅川は

「なあーに、眠気覚ましの一発よ」

と嘲笑うように答えた。

やっぱりあいつも疲れているんだ。
チャンスが生まれるかもしれない。

そんな期待が三階の首脳部に芽生え始めていた。
【193】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月06日 16時25分)

【遺 族】

救急車を見送った木口調査官がただちに
十回目のレクをやりたい、と各社に伝えた。

レクの内容がなんであるかはだれもがすぐにわかった。

しんと鎮まった冷気の中で木口の声はよく通った。

「それでは、死亡者のお名前を申し上げる」

として、支店長ら二人の銀行員、
殉職した二警官の名前と年齢が発表された。

「状況。犯人は午前二時三分に
 今から遺体を搬出する、と連絡してきた。
 遺体はいったん二階に移し、
 現在住吉署へ移送、安置する」

木口の声はだんだんにくぐもり、
やがて眼鏡の内側にそっと人差し指を入れた。

木口が人前で見せる初めての涙であった。

質問もなくレクは四分で終った。

住吉署に二昼夜待機していた半沢公男に
やっと出番が回ってきた。

半沢は四ノ宮からの連絡で署の玄関に走り出た。

前後して一、二階にいた
二十人ほどの署員が全員表へ出た。

私語するものはなく、自然と玄関前に列ができた。

やがて北側から赤色灯が見え、
次々に救急車が到着した。

先頭車がとまるのが合図であったかのように
号令もないまま、署員は一斉に敬礼した。

白手袋が夜目に鮮やかで、
半沢も粛としたものに打たれ、自然と頭が下がった。

四人の遺体は署三階の講堂に安置された。

検視の間にマイクロバスが到着して、
十数人の遺族が署に入った。

遺体との対面の場は立ち入り禁止である。

半沢は救急車を追ってきた津田と
応援に駆けつけた府庁詰めの
水野と三人で対面が終るのを待った。

遺族との会見、というのは
何度経験しても気が重いものだ。

悲しみでズタズタになっている
遺族の胸中を語らせるほど酷なものはない。

三十分の対面が終ると一階の副署長席の前で
遺族との会見場が設けられた。

容赦なく浴びせられるテレビライトと、
取り巻く記者団。

「ご主人が亡くなられたと、
 いつ、お知りになりましたか」

「いまのご心境は」

「犯人への気持ちは」

次々に周囲から投げかけられる質問に水野は

「愚問だなぁ」

と思いながら、自分にしても
それ以上の質問が出せないもどかしさを感じていた。

支店長の妻はそんな記者団の質問にじっと顔を伏せ
ただひと言

「ほんとうに悲しいです」

と答えた。

付き添っていた大学生の長男は犯人への思いを聞かれ

「あいつは狂っている」

と挑むようなまなざしで吐き捨てた。

巡査の父親は二年前、警部補で勇退したOBで

「警察官は身命をなげうって市民を守るのが本務だ。
 お前、よう、やった、と言ってやりました」

と気丈に語った。

遺族たちの言葉や様子をメモにとりながら
水野は支店長の妻が

「ほんとうに悲しいです」

と言ったひと言がいつまでも
耳の奥にあるのを感じていた。
【192】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月06日 15時53分)

【搬 出】

時計の針は午前二時を回っていた。

銀行西口を張っていた大谷の前を
ゆっくりと二台の救急車が通り抜けていった。

救急車は非常階段に向けて後部の搬入ドアを開けると
白衣の隊員が担架を持って二階にむかった。

重傷者はもう残っていないはずだが・・・・

行内でどんな変化があったのか。
大谷は表情を引き締めて
ハンディのプッシュボタンを押した。

「ABC」の四ノ宮のハンディにも
車の中で河井が抱いていたハンディにも
山本、津田、大谷の声がもつれて
同時にとびこんできた。

「こちらゲンポン、交信している。
 山長さん一本にしぼる。
 ヤマチョウさん、どうぞ」

ゲンポンに座った四ノ宮の丁寧で
颯爽とした第一声だった。

大谷と津田は沈黙し、
先輩格の山本の状況説明が流れてきた。

加茂は毛布を放り投げて四ノ宮の横へ駆け寄り
河井は車内から跳ね起きて、飛び出した。

「二階の動きがあわただしい」

「担架が下りてくる」

二階といえば特捜本部だ。

なにが起こったのか。
河井は走りながらハンディで加茂を呼び出し
「だれか救急車を追わせろ」と叫んだ。
   
「了解」
  
応じた加茂は四ノ宮に
「津田君に追っかけるよう伝えてくれ」とリレーした。

西口周辺の報道陣の動きが
がぜん、あわただしくなった。

テレビのカメラマンがやぐらの上に這い上がり
照らし出されたライトの中で
アナウンサーがせきを切ったように喋り始めた。

救急車の並んだ西口の正面には山本と大谷が、
サイドには藤本と渡辺が位置を占め、
毛ほどの動きも見逃すまいと目をこらした。

津田は駐車場に向って走っている。

担架が下りてきた。

救急隊員は脇に立ち、
前後の握り棒は捜査員が持っている。

負傷者の搬送とは明らかに役割が逆になっている。

担架には頭の上まですっぽりと毛布がかけられている。

間違いない。   遺体だ。

「二時三十三分、遺体搬出!」

大谷が山本に代わって四ノ宮に伝え、続けて

「検視のため住吉署に向うと思われる。
 至急、手配頼む」

と吹き込んだ。

担架を真横に見る位置にいた藤本は
犠牲者が誰であるか、
銀行員か、警察官か、
なにか手掛かりはないかと注視した。

一体目は鮮やかなオレンジ色の毛布に包まれていた。

二体目はライトブルーの毛布であった。

その毛布の上端から片腕が突き出ていた。

空をつかむ、という表現そのままであった。

毛布で隠そうとしても硬直して隠せないその腕は
犠牲者の無念さをグサリと見る者の
胸に訴えているようだった。

藤本はかじかむ指先でやっとハンディの
プッシュボタンを押すと叫んだ、

「毛布から左腕が突き出ている!」

七分おいてまた二つの担架が運び出された。

その一つから黒の短靴をはいた片足がのぞいていた。

遺体を納めた救急車は赤色回転灯をつけ
寝静まった街へ走り出し
津田を乗せた車がその後ろについた。
【191】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月03日 16時23分)

【交 代】

大阪城と向かい合った府警本部の
二階にある狭い記者ボックスで
事件発生以来ずっと一人で取り残されていた
四ノ宮泰雄は砂をかむような思いで
三十数時間を過ごしていた。

ボックスで事件を最初にキャッチし、
社会部にホットラインで

「銀行強盗らしいよ」

と最初に通報したのは俺だったし、
そのあといち早く三菱銀行北畠支店の
二階に電話を入れて
発生時の様子を聞きだしたのも俺だ。

ところが社会部への電話連絡などに追われているうちに
八人の仲間は次々と現場へ飛び出してゆき、
自然の成り行きで留守番役に回ってしまった。

四ノ宮は駆け出しの神戸支局時代から

「事件記者というものは場数を踏めば
 踏むほど強くなるもんだ」

と先輩から口酸っぱく言い聞かされていた。

そう言われるまでもなく、
記者であれば現場を踏みたい。
まして、この事件は彼のちょうど
十年の記者生活の中でも
初めて経験する凄まじいものだ。

留守番役とはいえ、府警本部でキャッチした情報を
社会部や前線本部に逐一伝え、
その他の発生ものを警戒しながら、
それでも四ノ宮は「バスに乗り遅れた」
という無念な思いをしていた。

二十八日午前二時前、
やっと交代要員がボックスに戻ってきた。

この夜の泊まり番で四ノ宮とはコンビで
二課、知能犯担当の中徹だった。

「寒いですよ。現場の張り込みも大変ですわ」

中はバレンチノの広いえりを立てて、
部屋に入っても身震いを続けている。

「寒いぐらい、ええわ」

四ノ宮は毛皮が裏打ちされたコートをひっかけると階段を駆け下りた。

「やっと出番がきた」

彼はそれだけで十分満足だった。

四ノ宮がボックスを飛び出したとき、
前線本部では朝刊の締め切りが過ぎて
前線の一時縮小が検討されていた。

二晩ぶっ通しに張り番をした記者も多い。
長期戦に備えて仮眠する必要があった。

二十八日は日曜日なので夕刊はない。
デスクの工藤と府警キャップの黒川、
サブの河井は相談して
残留組と一時帰社組に陣容を二分することを決めた。

工藤は日曜の夜が本社の泊まりデスクに
予定されていたのでいったん引き揚げることにした。

居残るのは黒川、河井と府警詰めの
山本、枡野、蔵楽、津田、谷本に
遊軍の加茂、大谷ら十五人。
これに中と交代の四ノ宮が加わる。

工藤ら十五人が引き揚げ、
山本、大谷らが現場の張り番に出向くと
「ABC」の店内はにわかに
ガランとした雰囲気になった。

四ノ宮が「ABC」に着いたとき、
店内には黒川、加茂、蔵楽の三人がいるだけだった。

完徹で記者の配置に目配りしていた河井は
待機している車の後部座席で仮眠していた。

といっても、ハンディトーキーを耳元に置いており、
神経も張り詰めていて目を閉じても眠れずにいた。

加茂はカウンターの奥の止まり木で
本社から届けられた毛布にくるまり壁にもたれている。

四ノ宮は「ああ、みんな、くたくたなんだなあ」と思い
入り口に近いカウンターに置かれたハンディの前に座った。

ついさっきまで、河井や蔵楽が
「ゲンポン、ゲンポン」と出先の記者たちと
緊迫した交信を続けていたホットコーナーである。


その場所に座った四ノ宮を待っていたかのように事態は動き出した。
【190】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月03日 16時27分)

【空騒ぎ】

午前零時が近づいてきたが現場には
なんの変化もなかった。

前線本部の「ABC」では行員名簿担当の蔵楽知昭が
電話で一面担当デスクと激しくやりあっていた。

さきに蔵楽が大阪市消防局から
入手してきた名簿では人質行員は十九人だった。

しかし、新田刑事部長の会見では
残りの人質は二十五人となっている。

六人も違うではないか、とデスクの大声が
受話器を通じて「ABC」の狭い室内にもれていた。

「そうガンガン言うたかて、
 名前までは全部確認できまへんのやから …」

そのとき河井のハンディに
切迫した声が飛び込んできた。

「突入!」

だれからの通報か確認する間をおかず、
居合わせた加茂、大谷、岸本が飛び出した。

「間違い、突入は間違い。 酔っ払いでした」

「間違いの件、了解」

ハンディを握った河井は続けてしっかり見張れ、
とつけ加えようとしてやめた。

言うまでもない。みんな必死なのだ。

加茂たちが帰ってきた。

一人の酔っ払いが交差点を突っ切って
シャッターのすき間から銀行へとびこもうとして
機動隊が束になって取り押さえた、という報告だった。


午前零時は静かに過ぎ、
事件は三日目に入った。

現場の前線本部にも本社の編集局にも
張り詰めた風船が音もなく
しぼむような気落ちがあった。

社会部長の黒田清は考えていた。

警察はやはり、射殺された行員の名前は
発表せんらしい。

だが、負傷行員がはっきり、言っている。

他社も朝刊で勝負してくるだろう。

最終版はズバリ、これでいこう。

もし、間違っていたら辞表を書こう。

黒田は整理部にゴーサインを送った。

「一面見出しは <射殺体は支店長と窓口係り>
 でいってください。
 朝刊はそれで終わりっ!」

大事なことを言うとき、
言葉遣いが丁寧になるというのも
彼の不思議な癖だった。

その丁寧な言葉で発生以来
二回目の朝刊も締め切られた。


二十八日午前零時二十六分、
現場では二度目の突入騒ぎが発生していた。

こんどの酔っ払いは果敢だった。
東口に体当たりする勢いで突進し、
下五十センチほど開いていたシャッターに手をかけた。

怒号をあげて機動隊員が押し包んだ。

酔っ払いと機動隊員、殺到する記者団が
ひとかたまりとなり
テレビライトが白昼の明るさに照らし出した。

道路端まで走って二度目の空騒ぎと知った黒川と河井は
ああ ……  これで突入のチャンスは先に延びた、と
呆然たる思いで立ち尽くした。
【189】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月03日 16時28分)

【女 神】

府警詰めOBで遊軍の岸本弘一は
河井の指示で突入時の予定稿づくりにとりかかった。

警官隊の配置やこれまでにつかんでいる行内の犯人、
人質の位置、状況などを事前に原稿にしておき、
○時○分、と空白にした部分に突入時間を投げ込めば
一報はとにかく間に合うわけだ。

同時に伝令役の平井が五人の張り番記者に
突入の警戒を伝えに走り、
社会部へ現場への増員の要請をした。


タフさを見込まれて突入班の筆頭に
指名されたヤマチョウ、
こと山本長彦は改めて銀行の周囲を
ひと回りして突破口を捜した。

なにしろ敵は楯を構えた機動隊である。
捜査員が行内に突入したとき、
楯の間をかいくぐって同時に飛び込むのは至難の業だ。

しかし、その瞬間の行内を実地に踏める
チャンスは絶対に逃したくない。

入念に見て歩くうちに東口前の一角に
所轄署の警備の一隊が詰めているのが目に留まった。

機動隊の<正規軍>ではない。

しかも白髪まじりの警官もチラホラいる。

ここや。
   

山本はニヤリとした。

「このオッサンには悪いが、
 突き飛ばして道路を一直線に渡れば
 東の玄関口に届く」

彼はさりげなく数メートル離れた位置に立って
白髪の警官を突き飛ばす機会が来るのを待っていた。

「よおっ! ヤマチョウ、 
 がんばっとるやないか!」

そのとき、ポンと肩を叩かれた山本が振り向くと
顔なじみの捜査員が立っていた。

「しんどいでんなぁ。もう、これ以上、もたんでぇ」

山本はおれももう、限界や、と匂わせて
突入の近いことを探ろうとした。

と、相手はその追及をかわそうとしてか、
意外にもポケットから二枚の
ポラロイド写真をとり出して見せた。

ひと目見て、山本はとびあがった。

「これ、 だれが … 」

相手はニヤッと笑った。

シャッターの、のぞき穴から
自分が撮ったもの、と無言で語っていた。

机の上に全裸で車座に座らせられている
女子行員が写っていた。

もう一枚は机の上に立たされ、
正面を向いている女子行員。

山本は思わず両手を合わせた。

「ちょっとだけ貸して、な。 なっ」

捜査員は首をふり、
大急ぎで写真をポケットにしまった。

「そら、あかんわ。
 同じ写真は二枚一組でこれと同じものが
 本部長の手元にあげてあるんや。
 万が一、新聞に出てみいや。
 ワシはクビやで。
 見るだけにして中の様子を知る参考にしてんか」

相手はそう言って逆に山本に手を合わせた。

ときとして気まぐれに大特ダネを与える女神は
愛すべきヤマチョウの前に姿を見せ、
一瞬のうちに消えた。
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