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【1751】 | RE:「シナサイ」の世界 カンバチ (2019年04月17日 18時52分) |
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映画監督:宮崎駿の場合。 《P−1》 宮崎駿もまた、「母という病」を引きずった人だと言えるだろう。 母親が、長く病床にあって、甘えられたなかったというエピソードは、 『となりのトトロ』のような作品に昇華され、 一つの美談のように語られることも多いが、 渦中にいた当時は、きれいごとだけではすまないものがあったようだ。 宮崎は生来過敏な子供だった。 内気でひ弱で、運動も苦手な、おとなしいが、爆発すると手が付けられない。 『新しい服』が嫌いで、着替えるのに抵抗し、ひと騒動になったという。 好きだったのは本を読むことと、絵を描くことで、お小遣いのほとんどは本に費やしていたという。 その小遣いは、潤沢に与えられていたようだ。 というのも、宮崎の実家は、当時、非常に裕福だった。 父親は町工場を営んでいたが、戦時で、戦闘機の製造の仕事を請け負うようになり、 工場には、千人を超える働き手を抱えるまでになっていた。 二千坪もある別荘を持ち、 桧皮葺(ひわだぶき)の屋敷には滝や噴水があり、 父親は貴重品となっていたガソリンで走る車を乗り回していた。 のちに、宮崎は、戦争で多くの人が犠牲になっているときに、 自分たち家族が軍需工場の利益で、ぬくぬくと暮らしていたことに、 強い罪悪感を抱くようになる。 ことに、その思いを強くさせたのは、 4才の時に襲った宇都宮大空襲の記憶だった。 宮崎の一家が、空襲を避けようと車に乗り込んだとき、 子供連れの女性が、 『乗せてください』 と駆け寄ってきたのを振り切るように、車は走りだしていた。 どうして、誰も、助けてあげて、と言わなかったのかと、 宮崎は悔やむ気持ちを語っている。 |
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【1755】 |
どうなんよ (2019年04月18日 00時19分) |
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これは 【1751】 に対する返信です。 | |||
カンパチさん 昔々 ピワで 色々やってもた という意識は ありますか? いかな りゆうがあったとしても! ここでスルースキル発動けwww |
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