■ 3,117件の投稿があります。 |
【1224】 |
てぃ〜だ♪ (2014年10月23日 10時04分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
説明どうも って >都合の悪い記事を後ろに追いやるための、多レスか ん? 都合悪けりゃ消すでしょ 多レスしたところでページめくれば記事出てくるし |
|||
【1222】 |
鈴木建設社長 (2014年10月23日 09時17分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
(^_^)/おはよー、皆様方 今日も元気だ、ご飯が旨い 爽やかな朝です 朝から気分がめいるよね ゴメンな 人の振り見て我がふり直せだね けど 朝からこんなレス書けるなんてどんな生活してるんだろ… そろそろ、イキマス お前なんか勝手に行ってこいってか(^^; だね(^^; ごめんなさいごめんなさいごめんなさ(^^; |
|||
【1221】 |
改行まみれ (2014年10月23日 07時30分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
今日はこの辺にしておきます。 引き続き 孤独 について 多方面から考察してみたいと思います。 相手の心理面を知る事が出来れば 何か新しい発見や解決方法が 見つかるかもしれない 可能性が低くとも 相手を理解したいと言う気持ちが大切だと信じて…… |
|||
【1220】 |
改行まみれ (2014年10月23日 07時24分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
仲間が居る人はなんて幸せで 恵まれているんだろう…… 自分の味方になってくれる人が居る 自分の話を聞いてくれる人が居る 自分を思いやる人が居る それだけで救われる。 孤独な人は誰も助けてくれない 誰も味方になってくれない 誰も話を聞いてくれない 誰も思いやってくれない それだけで充分に人を恨む理由になるかもしれない 何故なら自分を肯定してくれる人が 一人も居ないのだから…… 何かを話せば否定的な意見が出て 忌み嫌われ多数の力で捩じ込まれ 孤独は増幅し歪んだ憎悪はより邪悪になり 喜びと幸せを見失っていく悪循環…… |
|||
【1219】 |
改行まみれ (2014年10月23日 07時10分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
「出来ればやめたかった。でもやめられなかった。他に何の喜びも幸せもなかったのだ」 この言葉がすべてを語っている。 他に喜びと幸せを見つけられると良いのですが…… 誰かの支えや仲間や友達が居ないと 難しいでしょうね…… そう言う人が居ればこんな事しないですもね…… 孤独って言うのはすべてにおいて 厄介ですね……社会的にも… 深く考えてしまう問題です…… |
|||
【1218】 |
改行まみれ (2014年10月23日 06時59分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
ピワのニルセンはあなたの隣に居るかもしれない。 孤独とは時に人を狂わせ 間違えた喜びと幸せを手に入れてしまうのだろう…… あなたがそうならない事を切に願います 孤独で不幸せな 魂の殺人鬼さんへ |
|||
【1217】 |
改行まみれ (2014年10月23日 07時11分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
英国では刑○所に入る前に、10分間だけ希望する人間との談話が許されているが、ニルセンは逮捕時から自分を取材にきて非常に親しい間柄になった、 犯罪ジャーナリストのブライアン・マスターズを面会人に選んだ。 (筆者注:マスターズがニルセンへのインタビューなどを元に執筆した、この事件を題材にした著書『KILLING FOR COMPANY』(寂しいから殺した)は、 世界中でベストセラーとなった。日本では『死 体 と暮すひとりの部屋』というタイトルで販売されている) ニルセンはマスターズに、以下のような事をカミングアウトしている。 「ブライアン、あなたにだけは本当の事を言おう。本当は私は人 殺 しをするのが楽しかったんだ。 もし65歳まで捕まらなければ、100人くらい殺していたかもしれない」 「いや、それはインタビューをしてて薄々気がついてたよ。問題はなぜ、キミが 人 殺しに幸せを見出せたか、ということさ」 するとニルセンはこう答えたという。 「それを解き明かすのが犯罪ジャーナリストであるあなたの仕事だろう」 そこで面会時間がタイムアップとなり、ニルセンはワームウッド・スクラブズ刑務所に入った。 2003年、ニルセンは獄中で書き上げた手記を自伝として出版しようとして差し止められ、この件が「事件について反省していない」とみなされ、 2006年、当時の内務大臣が「デニス・ニルセンの量刑を仮釈放権無しの終身刑に変更する」との決定を下した。 余談だが2005年某新聞が「デニス・ニルセンが仮釈放権を申請した場合、認めるべきか?」というアンケートを行ったが、アンケート回答者の80%以上が 「認めるべきではない」と回答したという。 かくして2008年11月に発生するはずだった仮釈放の権利は消滅した。もっとも当のニルセン本人は、どっちにしろ申請する意思はなかったようである。 (筆者注:ニルセンは自伝について『売り上げは犯罪被害にあった人を支援する団体に全額寄付するつもりだったのに』と憤慨してるという) 彼は獄中で書いた手記に、あの狂気の連続 殺 人についてこう記している。 「出来ればやめたかった。でもやめられなかった。他に何の喜びも幸せもなかったのだ」 |
|||
【1216】 |
改行まみれ (2014年10月23日 07時01分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
裁判:正常と異常の狭間で ニルセンの犯行が4年以上もバレなかった理由には、犠牲者の大部分が宿も身分証明もないホームレスだった点にある。 彼らはある日ひょっこりと現れ、ひょっこりと消えていく。いなくなっても誰も気にかけない。大部分がニックネームで呼び合って、本名は本人しか知らない。 そのような事もあり15人中9人は身元を確認する事が出来ず、ニルセンは立証可能な6件の殺人と2件の殺人未遂で起訴される事となった。 1983年10月24日、クルーム・ジョンソン判事を裁判長として、ニルセンの裁判は開始された。 ニルセンは連続殺人について警察で全面的に協力姿勢で自供しており、裁判では責任能力の有無が焦点となった。 弁護側の用意した精神科医の主張は検察側が用意した精神科医に論破されてしまった。 しかし、検察側の精神科医も、弁護側の精神科医の指摘に反論をする事が出来なかった。 ピーター・ジェイ警部も証人として「彼は穏やかな態度で、調書作成には全面的に協力してくれた」と証言した。 また、彼が親切心から部屋に泊めた若者達が弁護側証人となり、陪審団をさらに悩ませる事となった。 (もっとも、検察側が証拠として提出した鍋や凶器のネクタイなどは、陪審団を恐怖させることとなったが) 裁判を終え陪審団が評決に入る際、ジョンソン判事は 「私の見る限り被告は精神異常などではない、邪悪な魂を持った人間だと思う」 とかなり偏った「助言」を行っている。 にも関わらず、陪審団の意見は一致せず、ジョンソン判事は多数決評決を宣言した。 結局ニルセンは6件の殺人と2件の殺人未遂全て有罪となり、最低収容期間25年の終身刑判決が言い渡された。 (筆者注:このジョンソン判事の『助言』については『陪審員に先入観を持たせようとする個人感情が丸出しのあんな助言が許されるのか』と、 のちに相当な批判を受けたそうである。こういうところは、イギリスはアメリカとは違う、と思ってしまう) |
|||
【1215】 |
改行まみれ (2014年10月23日 07時02分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
転落:死体を友とした男 ニルセンは、これで殺人から足を洗い、まっとうに生きる気でいた。だが、そう思い殺人を止めたのはつかの間だった。 もはや殺人は常習となり、純粋に「生きる上での目的」となっていた。 気がつくと部屋の床下に、8人、9人とまた死体が増えている。そしてニルセンの解体の腕も上がってきた。 それに伴い、床下もいっぱいになり、12人目を殺害した時にはとうとう床に入りきらなくなり、解体した部分を台所の戸棚にしまい込んだ。 ある日、ニルセンは引越しをすることになった。 ニルセンは大家にとって、家賃を値上げしようとする度に抗議してくるうるさい賃借人であって、大家は以前からニルセンを追い出したがっていたのだ。 もちろん大家にしても自分のフラットで、ニルセンがこれだけの大量殺人を行っていたとは、もちろん知る訳がない。 不動産屋を通じて「1000ポンドを引越しの手数料として払うから、よそへ引っ越さないか」ともちかけると、ニルセンは快く応じた。 もちろん、引越し前に床下に隠した死体を焼却することは忘れなかった。 1981年9月、かくしてニルセンはマスウェル・ヒルのクランリー・ガーデン23番地のフラットの最上階の屋根裏部屋に引っ越してきた。 屋根裏部屋といっても1フロア全てが使われており、居間、衣服部屋、寝室、台所、トイレ&バスは全て独立して、男1人で住むには十分すぎる広さだった。 新しいフラットは、死体を燃やせる庭もなければ、床板をはがして死体を収納することもできなかった。 ニルセンは、今度こそ殺人と手を切り、ここで新しくやり直す決意をした。 実際にニルセンは親切心で若者たちを自分の家に泊め、翌日無事に送り出している。「あの時は間違いを起こさなくて本当に嬉しかった」と語っている。 しかし─────またも孤独に耐えられずルームメイトが欲しくなったニルセンは、ここに引っ越して半年もしないうちに再び殺人に手を染めた。 ジョン・ホーレットという少年が13人目の犠牲者となった。彼は以前もゲイバーでニルセンに認識があり、ニルセンも「近衛兵のジョン」と記憶していた。 パブで再びニルセンと知り合い、彼のフラットについてきたために命を落とす羽目になったのだ。 首を絞めても何度も息を吹き返し、ニルセンも激しい抵抗にあったという。最後は風呂の中に顔を突っ込んで溺死させた。 14人目の犠牲者、グレアム・アレンはニルセンが作ったオムレツを食べている時に殺された事から、ニルセンは「オムレツ・マン」と記憶していた。 犯行時のことはまるで憶えていないが、殺したのは間違いなく自分だと認めている。 ニルセンはアレンの死体を一旦バスルームに置いておき、その後細かく切断してトイレに少しづつ流していくという、非常に根気のいる作業を始めた。 冒頭に書いた、下水を詰まらせた大量の肉や骨の残骸は、このアレンのものである。 頭部は大きな鍋で頭蓋骨だけになるまで煮込んだ。 そして15人目の犠牲者がスティーブン・シンクレアだった。 シンクレアはニルセンの部屋で酒とドラッグを一緒に摂取し、気を失っているところをネクタイで殺害されたのだ。 |
|||
© P-WORLD