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返信元の記事
【144】

仁義の墓場

野歩the犬 (2014年01月05日 03時38分)


 群れをはぐれた、野良犬一匹…

     どうせ、裏道、見限るからは

            仁義無用で書いてみる・・・


 隠居爺の暇つぶしです。
 ネタ枯れしたら、落とします。

 読み捨て御免でお願いします。

※P-woldの利用規約は遵守ください。

■ 144件の投稿があります。
15  14  13  12  11  10  9  8  7  6  5  4  3  2  1 
【144】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年05月15日 13時11分)

■諸般の事情により、いったん閉鎖することにいたしました。

続編につきましては、近々
   
 地方トピの「広島県」に移設する予定です。


 これまでご愛読いただいた方々に

  改めて御礼申し上げます。

 野歩the犬
【143】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年05月12日 17時32分)

【復讐の絵図】

七月十六日。

京都府警捜査本部はひき続き、首領(ドン)狙撃の舞台となった「ベラミ」の関係者から事件前後の聞き込みを進めていたが、
田岡一雄に異常な関心を寄せていたホステスの存在を聞きだした。

二十九歳のホステスで
前年の十月に「ベラミ」に採用され、
以前は大阪で勤めていた。
鳴海清が「ベラミ」に姿を見せはじめた時期と一致する。

このホステスは田岡一雄組長が現れると、
興奮した口調で
「どの人が田岡さん?」と、
伸び上がって見つめ、教えてもらうと

「あのステッキを持っている人が田岡さんね」

と、ほかのホステスにも念を押していたというのである。

そして、この女の身元を丹念に洗っていくと、
彼女が大日本正義団・吉田芳幸会長の愛人であることが判明した。

彼女は「ベラミ」から南へ七百メートルのマンションに住んでいたが
二十二歳の同じ「ベラミ」のホステスを同居させていた。

念のため、この女も調べるとやはり、
大日本正義団幹部の女とわかった。

つまり、大日本正義団は田岡一雄がひいきにしている「ベラミ」にひそかに二人の女を送り込み、
行動をじっくり観察させ、逐一報告させていたことになる。

この女たちの情報によって
田岡一雄組長の行動パターンが把握されると、
逐次、女たちは姿を消し、
そののち本格的に鳴海清が常連客として「ベラミ」
に通うようになる。

「ベラミ」の経理を洗いあげてゆくと、
鳴海清はその年の四月二十二日から
七月十日までの間に三十九回も客として訪れ、
ホステスのチップを含めて
百四万七千円を使っている。

ほぼ、一日おきに三万円近くを落していく上客。

しかも、ホステスの一部では彼がヤクザであることは感づかれている。

逆な見方をすれば、
これが山口組の情報網にひっかからなかったのが
不思議なぐらいである。

そこには「まさか、首領(ドン)を直に狙うヤツなどいない」という
山口組側の慢心と油断があったに違いない。

いずれにしろ、この密偵としてのホステスの存在や
鳴海清の「ベラミ」での散財ぶりから、
田岡一雄狙撃は大日本正義団の
組織ぐるみの犯行と断定されることになる。

前会長、吉田芳弘の遺骨をしゃぶった男たち、
執念の復讐劇の「絵図」が次第にあぶりだされていた。
【142】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年05月12日 17時28分)

【先制摘発】

山口組三代目・田岡一雄が神戸の自宅に戻ったタイミングを逃さず
翌、七月十五日朝、警察庁は一都二府、二十二県の警察に
暴力団の一斉摘発を指示した。

兵庫県警は田岡一雄組長宅、
若頭・山本健一の山健組事務所など五十四ヶ所、
京都府警は大阪府警の協力を得て、松田組組長、樫忠義の自宅、
大日本正義団の事務所、鳴海清の自宅など七ヶ所を捜索した。

「田岡御殿」と呼ばれる灘区篠原本町の田岡一雄組長宅には
組員三十人が泊まりこんでおり
「銃刀法違反容疑」での捜索令状を手にした捜査員が
邸内をくまなく捜索したが凶器の押収はなかった。

田岡一雄は二階北側の十二畳の部屋にふとんを敷いて寝ていた。

収穫のない捜索にあって、
山健組傘下の健竜会事務所の壁に
「団結、報復、沈黙」との会則が貼られているのが不気味であった。

京都府警が捜索した大阪市西成区天下茶屋の
大日本正義団事務所はシャッターが下ろされ
中には電話番の組員三人がいるだけで、
ここからも何もでてこなかった。

山口組の標的目標とされている吉田芳幸会長以下幹部、
十数人は風を食らって逃亡し、所在はつかめない。

鳴海清の自宅からは本人の数次旅券が発見され
海外逃亡説は一応、消えた。

その夜、大阪府警マル暴に情報あり。

「山口組は幹部会で直系の百団体からそれぞれ十人編成の戦闘団を組織するように命じ、すでに三班が行動を開始した」 ――――

大阪府警はライフル銃隊に、警戒待機を命じ
山口組戦闘団を確認次第、凶器準備集合罪で急襲する方針を決定した。

兵庫県警は警備先の警察官には防弾チョッキを着用させ
拳銃使用許可を通達した。

松田組は報復に燃える山口組に包囲されている、
といえたが組事務所前には装甲車、ガス銃、盾をもった
機動隊が厳重な警備体制を敷いている。


炎天下に、風のない暑い夜に、
捜査陣と山口組探索班による
「鳴海探し」のデッドヒートが続いていた。
【141】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年05月12日 17時35分)

【臨戦態勢】
 

 首領(ドン) 狙撃犯が割れたことによって
戦争の扉はまさに開かれんとしていた。

山口組三代目・田岡一雄組長が入院している
関西労災病院、
山口組襲撃班に狙われるおそれのある松田組組長、樫忠義の自宅や事務所、
大日本正義団事務所、菅谷組関係先などに
兵庫県警、大阪府警の機動隊、装甲車、パトカーが
二十四時間の警戒態勢で臨んだ。

十四日になって、兵庫県警は
田岡一雄組長が入院している関西労災病院には
一般の入院患者、通院患者がいて、人の出入りが多く
チェックが困難なうえ、
もし、再度の襲撃事件が発生すれば
一般市民に巻き添え被害が発生しかねない、
との見方から田岡一雄組長に退院を勧告した。

事実、関西労災病院には
「おまえらは暴力団の親玉をかくまう気か」
「いつまでも山口組の病院をやるんならダイナマイトをぶちこんだる」
という、いやがらせや抗議の電話が殺到していた。

病院側では協議して、田岡一雄の負傷後の経過が安定しているとみて
文子夫人ら付き添いの幹部と相談
「一般の人に迷惑をかけたくない」と田岡一雄は即座に同意した。

午後七時
兵庫県警は関西労災病院周辺の警備を強化、正面周辺道路に盾を持った
機動隊百人を配備した。

午後九時十五分
一般の見舞い客が帰ったあと、田岡一雄組長は五階の特別病室から
ストレッチャーに乗って玄関口へ降りてきた。

薄い水色のガウンを着てタオルケットに包まれ
額にはタオルが当ててあった。

両脇を屈強な組員に支えられて六十五歳の田岡一雄組長は玄関前の黒いキャディラックに乗り込んだ。

主治医の中山英男外科部長、文子夫人、大平組組長、松浦一男が従った。

このキャディラックの前後を山口組の大型外車二台、
さらにその前後をパトカー二台がはさみ、関西労災病院を出発した。

午後十時五分
キャディラックは神戸市灘区の田岡一雄邸に到着した。
ここでも防弾チョッキ、盾、ガス銃を持った機動隊三十人が警戒し
組員五十人が玄関前に出迎えた。

病院の玄関同様、テレビライトが照らし出し、カメラのストロボが光った。

「おんどりゃ、どかんかい!」

「親分のからだに悪い、ひかりを消さんか!」

組員たちは押しかけた報道陣に罵声を浴びせた。

病院では見送りに出た金子仁一郎院長を記者たちがとりまいていた。

「ケガの状態はよくなっていますね。高血圧は持病なので血圧は不安定です。
 普通では、退院は無理なのですが、こんな状況ですからね。
 今後は主治医が自宅で田岡さんを診察します」

この夜、兵庫県警と大阪府警は集まった情報を精査した。
これを総合すると以下のようになる。

■山口組は狙撃犯の鳴海清を警察に先がけて捕らえ「処刑」する方針

■鳴海清以外の山口組の報復目標は以下の三人

 松田組組長         樫忠義(四十歳)
  松田組系村田組組長  村田岩三(五十一歳)
  大日本正義団会長  吉田芳幸(三十五歳)=射殺された吉田芳弘の実弟

兵庫県警は抗争事件発生時には拳銃使用を認める決定を下した。

「マークすべきは細田組組長・細田利明、それに直参の若衆」
羽根組組長、羽根恒夫!」

二人とも「ベラミ」で田岡一雄のお供をしていながら、首領(ドンを)狙われた責任者であった。
【140】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年05月12日 17時04分)

【首領(ドン)を撃った男】

鳴海清。

昭和二十七年八月十五日、
東大阪市足代の青果商の二男、五女
七人兄妹の末っ子として生まれた。

東大阪市から西成の愛隣地区に移って萩之茶屋小学校、今宮中学へと進む。

「クラス一の弱虫だった」と
小学校時代の同級生の談話を
大阪読売新聞は報じている。

中学卒業と同時に東大阪市内の印刷工場に就職したが、二年で辞めている。
このころから、急速に不良じみてきて、
西成でぶらぶらし始めた。

「体つきはよくいえばスラリとしているが、まあ、きゃしゃ、やね。
 それでも女を連れると肩を揺すって、でかい顔して歩いとったよ」

十七歳になる一ヶ月前に自動車窃盗で西成署に補導され、保護観察処分。

その三ヵ月後に、西成区の喫茶店で客と口論し殴打、
打ちどころが悪かったのか相手を死亡させた。
この事件で一年半、浪速少年院に送られる。

「内向的ながら、逆上するとみさかいのつかない攻撃的な行動にでる」
と、当時の性格診断書にある。

甘いマスクで女にもてる優越感と
内面のひ弱な劣等感が複合した
コンプレックスを抱えていた、とみる向きもある。

大日本正義団が結成されたのは昭和四十六年だから
鳴海清、十九歳のときである。

鳴海は少年院を出ると大日本正義団の使い走りや、
その斡旋でスナックのバーテンをするようになる。

二十二歳で一つ年下の女性と結婚、
同時に吉田芳弘会長から正式に盃をうけ
大日本正義団組員となった。

吉田芳弘会長が射殺される一ヶ月前の
昭和五十一年九月五日
鳴海は自転車で西成区内を通行中、タクシーと接触、
逆上してタクシー運転手を殴ったうえ、
かけつけた西成署員にも乱暴して逮捕された。

十二月、大阪地裁で暴行傷害、公務執行妨害の罪で
懲役一年六月、執行猶予三年の判決を受ける。

このとき、取調べにあたった西成署の暴力係捜査員が
供述調書をとる際
「おまえ、なんでまた、ヤクザなんかになったんや」
と、大日本正義団に入った動機を聞くと、
鳴海は胸を反らしていった。

「そりゃ、パリッとした背広着て、
肩で風切って歩けるさかいや」
【139】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年05月10日 17時48分)

【狙撃手、割れる】

田岡一雄狙撃の現場「ベラミ」では
京都府警捜査四課の捜査員が
目撃者の話から犯人像を組み立てていた。

犯人は身長170センチ、中肉、面長で白シャツ、
紺のヤッケに白いスラックス。

前年の十月から「ベラミ」に姿を見せ、
その年四月の終わりごろから
足しげく通っていた男だった。

好奇心を顔いっぱい露わにしたホステスたちは
知っていることなら何でも洗いざらいに喋った。

キムラと名乗り、男前だった。

「どんな、お仕事?と聞くと『うるさい!身元調べみたいなことを聞くな』
と、言わはったんえ。
顔に似合わずこわい感じで、とっつきが悪う、おわした」

「髪は?」

「五分刈りどす。左手の小指があらしまへんどした」

「ヤクザだね」

「あの人なら肩から背中に天女の刺青があったわ」

つい、口を滑らせたホステスがいた。

「情婦です」と白状したようなもんである。

捜査員が執拗に尋問すると、
この女はベソをかきながら、
幾度かキムラに誘われて寝たことを白状した。

犯人割り出しの決め手となったのは
グラスに残っていた指紋と
「ベラミ」近くの路上に落ちていた
ヤッケのポケットにあった
壊れたサングラスの指紋からであった。

京都府警から送られてきた指紋は
大阪府警の指紋カードと照合された。

七月十三日、照会指紋が照合した。

指紋番号57877(左)  98898(右)

それは大日本正義団組員、鳴海清の指紋だった。

カードには「性格は粗暴で短気」とあった。

マスコミにかぎつけられる前に鳴海清をつかまえたい、
と大阪府警捜査四課の刑事たちは
大阪市西成区萩之茶屋の鳴海の自宅をはじめ、
めぼしい立ち回り先に踏み込んだが、
その姿は発見できなかった。

この異変を記者たちが感づかないわけがなかった。

七月十四日

京都府警の捜査本部は
山口組三代目・田岡一雄狙撃犯人は
鳴海清と断定し、発表した。
【138】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年05月12日 17時05分)

【6万分の1の奇跡】

午後十一時
兵庫県警機動隊六百人が神戸市生田区の
山口組本部事務所、
灘区篠原本町の田岡一雄宅など十三ヶ所の非常配備についた。

山口組若頭・山本健一は肝硬変で入院中の
豊中市内の病院からパジャマ姿のまま、
あたふたと関西労災病院にやってきた。

このころから、組員多数がつめかけ、
病院前は報道陣とでごったがえした。

兵庫県警、大阪府警、京都府警のパトカー、
計二十台の赤色回転灯で
病院の白壁が夜目にも赤く彩られた。

田岡一雄組長は搬送されるや、待ち受けていた
中山英男外科部長の執刀で四十分にわたる
手術と手当てをうけた。

弾丸は田岡一雄の首の後部右下から
左上にかけての貫通銃創であったと、
中山外科部長は発表した。

弾丸の射入孔は一・五センチ、
射出孔は一・三センチである。

全治二、三週間である、という発表だった。

「頸を撃ち抜かれて、そんなに軽いのですか?」

当然のように記者団から疑問の声があがった。

「ええ、幸い頸部の筋肉部分だったからです。もう、1センチでも弾道が
 内側にずれていたら大動脈や神経系統をやられて即死だったと思われます」

この説明に記者団から「うおっ」と
感嘆ともため息ともつかぬ声があがった。

後にこの銃弾コースは撃たれた銃弾の口径、距離、角度からして
法医学上「6万分の1の奇跡」であったことが判明する。

「強運も強運。こんな運の強い男は見たことがない」
と、兵庫県警の捜査幹部は漏らしたが、
これは偽りのない感想であろう。

翌日の社会面に「不死身の三代目」の見出しをとった新聞もあった。

手術を終えた田岡一雄は駆けつけた組幹部たちに
「こんなに見舞いにきてくれたら、わしのほうが気をつかう」
と軽口を叩くぐらいに元気で、文子夫人、
長男の満氏に付き添われ五〇六号室に入った。

いっぽう「ベラミ」で流れ弾に当たった二人の医師は
救急車で自分たちの「安井病院」に搬送され、手術をうけた。

安井浩副院長の右肩からは比較的楽に弾丸が摘出され、
三週間の軽傷であった。

津島信則神経科医長は出血がひどく
五時間に及ぶ大手術のすえ、弾丸は摘出され、
二ヶ月の重傷ですんだことに関係者は安堵した。

手術の終わりと同時に夜は明けた。
【137】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年05月09日 20時14分)

【激 震】

騒然とする店内の人垣をかき分け、
細田利夫と羽根恒夫は首領(ドン)のところに舞い戻ってきた。

「大丈夫ですかっ!」

「うん、心配はいらん」

なんという気丈さか、と細田利明は感じいった。

救急車は到着した。

しかし、細田はとっさに京都の病院へ行くよりは
田岡一雄が心筋梗塞で治療を受けている関西労災病院に
入ってもらったほうが身辺警護上、安全だと判断した。

三代目専用のキャディラックは「ベラミ」の前に駐車してあった。

「尼崎の労災病院に行きます」

「そうしよう」

田岡一雄は負傷した頸をハンカチで押さえたまま、
羽根恒夫に支えられていたが自力で歩いて、
キャディラックの後部座席に乗り込んだ。

午後九時三十分
黒のキャディラックは猛然とスタートし、
夜の京都の町を名神高速道路京都南インターチェンジに向かった。

午後九時四十分
新聞記者たちが「ベラミ」につめかけてきた。

「撃たれたお医者さんの安井病院といえばトラさん(蜷川虎三・前京都府知事)の主治医の病院じゃないか」

そのうち「べラミ」のホステスの中に、
山口組三代目の顔をよく知っている女がいて、
田岡一雄組長が負傷した事実を伝えた。

「なにっ!首領(ドン)が撃たれた!」

記者たちは店内の電話にとびついた。

午後十時十分

兵庫県警暴力対策一課(情報) 同二課(山口組専従)
の電話がいっせいに鳴り始めた。

「田岡一雄組長が撃たれたってほんとうですか?」

「えっ、どこで」

「京都のクラブ・ベラミで、ですよ」

「いつ?」

「つい、さっき」

「ちょっと待ってくれよ」

暴力対策二課はたちまち大騒ぎとなった。

「ほんとうか?」

「早く京都府警に問い合わせろ!」

兵庫県警は京都府警を呼び出した。
だが、要領を得ない。

「ベラミ」で発砲事件があったことは事実らしい。


「田岡一雄が撃たれたとなると、尼崎の労災病院にはいる可能性が高いな」

「時間的に考えて、田岡のクルマがまだ名神高速道路を走っているかもしれん
パトカーを尼崎インターにはりつけて、キャディラックがこないか
監視させろ。別に関西労災病院にもパトカーをやれ」

指令がだされた。

記者たちが暴対一、二課に殺到してきた。

「いったい、どうなってるんですか!」

「ちよっと待ってくれ!こっちも確認の最中だから」

捜査員らはいらいらした。

午後十時三十分、尼崎インターに張り付いていた兵庫県警のパトカーが
黒いキャディラックを発見した。

「どうしたんか」

「親分が撃たれた。早く病院にいかな、ならんのや」

「よし」

いかなる事情があるにせよ、
ことは人命にかかわっている。

兵庫県警パトカーは赤色回転灯を点滅させ、
サイレンを鳴らしてキャディラックを関西労災病院へと誘導した。

午後十時四十分、キャディラックは病院の救急搬送口へ滑り込んだ。

「田岡一雄が撃たれたのは事実らしいな」

パトカーからの無線を傍受していた
暴対一、二課の連中は事件の大きさに緊張した。

捜査員の一斉非常呼集がかけられた。

午後十時四十六分
京都府警本部から正式に兵庫県警本部に
「広域暴力団山口組三代目、田岡一雄組長撃たれる」の報が伝えられた。

兵庫県警本部は直ちに県下各署に
「A1号配備」を命じた。

暴力団抗争にともなう「最大警備体制」である。
【136】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年05月10日 15時59分)

【京都 ナイトクラブ・ベラミ】

昭和五十三年七月十一日

あの吉田芳弘射殺から一年十か月が経っていた。

京都は前線の通過で夕刻から激しい雨であった。

不気味な稲妻とともに雷鳴が轟き、
京都タワーや二条城が
青白い閃光を浴びて夜空に浮かび上がった。

京阪三条駅前のナイトクラブ「べラミ」は
夏枯れと悪天候で客入りは四分どころ、であった。

午後九時二十五分
雨があがったころ、この夜のショーであった「ルークール」によるリンボーダンスが終わり、拍手が起こった。

ステージの下手寄り、二列目のテーブルに山口組三代目・田岡一雄組長がいた。
この日、太秦の京都撮影所に招かれた田岡一雄は
側近を引き連れ、「ベラミ」を訪れていた。

彼は心臓疾患を抱えていたから
アルコールは口にせず、オレンジジュースで
リンボーダンスのショーを楽しんでいた。

奥のテーブルにいた若い男がこのとき、
いきなり立ちあがった。

男は一歩踏み出すようにすると
コルト38口径の拳銃を抜き
両手で構えると腰を落とし、田岡一雄めがけて、
二発の銃弾を発射した。

「うっ」

思わず、田岡一雄は頸を押さえた。

田岡一雄の右奥に座っていた京都市左京区「安井病院」の安井浩副院長は右肩に銃弾が当たり、
もう一発は同席していた津島信則神経科医長の右背中から腹部に達する銃創を与えた。

二人の医師が倒れたのを見て、一人のホステスは驚きのあまり失神した。

安井浩副院長らは新任の医師歓迎会の二次会として
「ベラミ」に居合わせていたのである。

撃った男は拳銃を握ったまま
「どけ、どけ!」とわめいて入り口から逃げた。

このとき護衛の一人、羽根恒夫はそろそろ引き揚げる時間だと、フロントで清算を頼み、
田岡一雄組長宅への連絡のため、
受話器を握っている最中だった。

羽根恒夫は異変に気づいて
首領(ドン)のテーブルに駈け戻った。

首領(ドン)を撃った男とすれ違いになったのはまさに皮肉なことであった。

田岡一雄のお供をしていたのは若頭補佐・細田利明、
仲田組組長仲田喜志登弘田組組長弘田武志、
それに羽根恒夫の四人だった。

三代目、首領(ドン)が撃たれた!

「追え、追えっ!」

血相を変えた細田利明と羽根恒夫は男を追ったが、
狙撃犯の姿は闇の中へ消えていた。

頸を撃たれながら田岡一雄はしっかりしていた。

自らハンカチで出血を抑えて、
青くなって飛んで来た「ベラミ」のママ、山本千代子に
「わしは大丈夫や。隣の撃たれた人をはよう、病院に運んであげにゃ」
と、落ち着いて指示した。

「べラミ」の中は騒然としている。

「救急車を呼べ!」

「早くあかりをつけろ!」

客たちの怒鳴る声が交錯した。

フロントの男が舌をもつれさせながら110番の受令者にむかって叫んだ

「こちらは三条の『ベラミ』ですが、いま、人が撃たれました!
救急車をお願いします!」

「ベラミ」と道を隔てた真向かいに松原署三条大橋東派出所がある。
客待ちをしていたタクシーの運転手が事件に気づいて派出所に駆け込んできた。

「あの店の中で」

息せき切って立番中の森田寛巡査に叫んだ。

「発砲騒ぎがあったらしいおすえ!」

「えっ!」

森田巡査は本署に急報すると警棒を握り締めて「ベラミ」へ走った。

救急車とパトカーのサイレンが早くも周辺にこだましていた。
【135】

★☆〜ブレイクタイム〜☆★  評価

野歩the犬 (2014年05月09日 17時05分)


やはり、失敗した・・・
誰か一人に絞らんとおもしろくないね〜
群像劇にしようとやたら膨らませすぎた。



■れおさん

おてまえ、恐縮です♪


■パッチン編集長

なんせ、女が絡んでないから
官能シーンはないんだなぁ、これが・・・(つд`) 


■こっぱんだぁぁああ!

プレミアム焙じ茶の差し入れはありがたいが…墓石は盗むな!
【134】

RE:仁義の墓場  評価

こぱんだ (2014年05月03日 20時37分)

  代
   表
   ぉ
    ぉ
    ぉ
   ! !    /
ヽ\   /
  ゜●  ● 旦~~
。(>Д<)っ 
゜(つ  / ゜。
  | (⌒)`
  し,⌒               ドダドダ!!


お疲れ様です!   ほ、ほ、ほうじ茶ぁああー!   どうぞ(^^)

プレミアムですね♪

ふた息いれて下さいです!
reoちゃんに乗っかり♪reoちゃんお許しを♪




のほ代表ー!こんばんは。元気にしてますか(^^)

私は、最近ピワドに書き込む気力が低下してまして。。。
少し、へばり気味なのですが…
でも!今日は墓場に遊びに来ました(^^)

少ししたら…いつもの調子に戻ると思うので。。。
そしたら、軍曹にもお茶かけたり出来るかな(^^)



代表ぉーーー!スゴイですね。。
いえ、血とかドンパチとか…正直言いますと
ちょっと苦手なので(^^)アレですけど…
応援してます!!!

フレーフレー☆のほ幹事長ーッ


あ!そうそう。。
前にチラッと見たんですけど…
虹ちゃんのピストルも凄かったですね〜
驚きましたよ(^^)



ではでは!この辺で。。。
レスなどは、お気遣いなくです(^^)



パッチンさん、編集長だったんですねー♪


失礼しました☆
【133】

皆さんこんばんは  評価

パチンシュタイン (2014年04月30日 23時52分)

OLG出版社のパッチンです(キリッ)

>のほ幹事長…じゃなくて野歩the犬さん
こちらのお部屋は女性ファンが多いですね(羨)

>資料の検証に
>つ、疲れるぅぅぅぅ・・・・
立証するのに資料を調査されたんでしょうね。
大変だったでしょう、執筆活動お疲れ様です。
もう少し官能的であれば、「赤タガワ賞」受賞間違い無しでしたね^^;

次回の原稿はいつ出来るのでしょうか!?
締切遅れないで下さいね(ウソです)
体調第一です、ゆっくりして下さい。

皆さんでは、仁義りんちょ♪
【132】

RE:仁義の墓場  評価

reochan (2014年04月30日 23時33分)


お疲れ〜



お茶でも入れますね

  ∧_∧
 (´・ω・) _。_ トポトポ
 / つ つc(__ア,,
 しーJ    旦~


一息入れんさい♪
【131】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月30日 17時07分)

【流血のバランス】

昭和五十年九月
「ジュテーム事件」から一月あまりがたったころ
山口組三代目・田岡一雄は佐々木組、佐々木道雄組長をつかまえて
「ゴルフばっかり、やっとってええんか」
という含蓄の深い言葉をかけた、という情報が兵庫県警に入った。


兵庫県警は大日本正義団、吉田芳弘会長射殺事件をうけ、
この首領(ドン)の言葉や幹部連中の叱責を殺人教唆にならないか、と検討したが
実質を確定できないことや、
仮に確定できても
「ゴルフばっかり、やっとってええんか」
というひと言だけではどうにもならない、
とサジを投げた。

それどころではなく、佐々木組による吉田芳弘会長射殺がはっきりし、
関係者を逮捕しても警察の手はついに佐々木組長に及ぶことはなかった。

逮捕された者たちはこの社会の掟通り、
組長の指示によるものではないと頑として
否認したのである。

いずれにしろ「ジュテーム事件」から一年二ヶ月後に報復は決行された。

山口組内部の反応はさまざまだったが
「これで五分五分だ」というのが大方の見方だった。

つまり、これまでの山口組側の損害、死者四、重傷一と
大日本正義団、吉田芳弘会長の死は
その重みにおいて匹敵するという意味であった。

「背中からではなく、せめて正面から撃てなかったか」という声もあったが
これは、傍観者の言葉であり、この事自体が山口組にとって
「他人事」という空気のあった証拠でもあった。

松田組はこの報復に当然のことながら激昂した。

事件三日後の十月六日、
吉田芳弘会長の遺体は平野区の火葬場で荼毘に付された。

大阪府警の情報では大日本正義団組員は
会長の遺骨をしゃぶって報復を誓ったという。

翌七日、再三の大阪府警の中止勧告を無視して
松田組は吉田芳弘の組葬を西成区の「太子ホテル」で強行した。

広島、九州などから反山口組の組員七百人が集まった。

大阪府警は新大阪駅や大阪国際空港で検問を実施、
さらに会場前では機動隊が出動して、参列者のボディチェックを行った。

「何するんか、なんも持っちょらん!」

「なんや、はよ、通さんかい!」

バスから降りようとする黒い一団に
西成署の指揮官がハンドスピーカーで
「一人もおろすな!とじこめろ!」
と命令、警官隊がバスの出口に殺到するとついに乱闘が始まった。

抗争事件の真っ只中での組葬は単に殺された者を弔うだけでなく
報復への「鬨(とき)の声」に似ている。

また、参列の友誼団体からは多額の香典が集まる。
いわば、戦争のための軍資金集めでもある。

警察が躍起になって組葬を中止させようとするのは、そのためでもある。

山口組側からみれば、大日本正義団、吉田芳弘会長を射殺したことによって
ようやく相討ちとなった。流血のバランスはとれたのである。

当然、仲裁人が出てきて、山口組と松田組に和解が打診された。

松田組の答えは「ノー」であった。

いぜんとして山口組が松田組、樫忠義組長の謝罪を
要求したからだといわれている。


和解は成立せず、山口組と松田組は睨みあったまま、
しばらくの時をおくるのである。


―――――――――――――――――ー


◆前半終了・・・・

       書くんじゃ、なかった・・・・・・

 資料の検証に
        つ、疲れるぅぅぅぅ・・・・


書き溜めも底をついたので
               しばし、休筆します。


のほ
【130】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月29日 11時32分)

【大日本正義団】

こうした時に大阪キタに進出して金ヅルをつかもうとした
佐々木組系徳元組が松田組系の溝口組と衝突を起こし、
山菱の代紋をひけらかした徳元組に対して
溝口組は萎縮するどころか、猛烈な反撃にでた。

溝口組が徳元組に対して完膚なきまでの攻撃を引き起こした裏には
「山口組なにするものぞ」といった軽侮の念すら、感じられた。

それだけ、山口組の内部不統一はこの社会で知れ渡っていた。

だからこそ、松田組は大反撃に出たのである。

松田組は賭博一本でメシを食ってきた博徒組織としては「名門」であり
先代の松田重義は各地の親分衆と盃を交わしたこの稼業の重鎮でもあった。

松田重義は山口組のような膨張主義はとらずに
松田組モンロー主義を守ってきた男だったが、
昭和四十二年に引退、跡目を樫忠義が継いだ。

ここにきて、二代目・松田組もピラミッド体制をとりはじめ
傘下に村田組、溝口組、石田組、瀬田組など七組があり
村田組傘下に大日本正義団などの三次団体があって、
これらを加えると松田組は傘下二十団体、三百人となる。

大阪府警捜査四課は「これではマンモスと狼の戦いだ」と評した。

では、なぜ松田組はマンモスに戦いを挑んだのか。

繰り返すようだが、ヤクザは暴力を売り物としている。
相手の暴力の前で手も足もでないとなれば、
売り物なしのお手上げとなり
組織の存亡にかかわってしまう。

だから、どんな強力な相手であれ、
目には目を、歯には歯を、
で対抗しなければならない。

しかも相手の山口組は近頃、少しおかしい。
内輪もめばかりしている。

「山菱なんか、見かけ倒しだ!」というのが
当時のヤクザ社会でもちきりの話だった。

これが松田組の戦意をかきたてたのだろう

とりわけ、松田組には大日本正義団という戦力があった。

大日本正義団は昭和四十四年、吉田芳弘によって結成された。

吉田芳弘は元々松田組内、村田組の若頭であった。

一時、松田組の後継候補にも挙がったことがある実力者だったが
松田組二代目を樫忠義が就任すると、自ら大日本正義団を結成した。

吉田芳弘は賭博一本の松田組の方針には不満で、
自分が組を持つと西成を徘徊しているチンピラを片っ端から誘い込み
覚せい剤、売春、競輪、競馬のノミ行為、債権取立て、
あらゆる黒い勢力に手を広げた。

西成は暴力団事務所がひしめく無法地帯である。

その中で黒いダボシャツ、坊主頭の大日本正義団組員は
刺青をはだけて闊歩した。

暴力団とて、スーツを着て礼儀正しい言葉遣いで市民生活に溶け込み
資金源も企業舎弟や倒産整理などに知能化しつつある時に
大日本正義団は愚連隊への逆戻りの感があった。

もともと、喧嘩が三度のメシより好きというチンピラたちを集めた急拵えの組織だったから、このルーズさは仕方なかった。

しかし、彼らはほかの組織との
ドッグファイトでは負けたことがない乱暴者ぞろいだったから、
西成の暴力団も大日本正義団には一目おいて
松田組内部における吉田芳弘の地位は
三次団体の組長にもかかわらず
傘下各組の組長を凌駕せんばかりとなった。

「ジュテーム事件」後、松田組の当面の相手は
徳元組の上部団体、佐々木組だった。

いわば、松田組の大局観は局地戦であり、
その先頭に立っていたのが
大日本正義団だったのだ。
【129】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月29日 11時29分)

【潮流と苦悩】

山口組系ということであれば一万一千人はたしかに山口組系組員であるが
純然たる山口組組員を名乗れるのは田岡一雄一人にすぎない。

いってみれば山口組とは田岡一雄経営するフランチャイズチェーンであり
その組織は多角的安全保障のネットワークであった。

反山口組の組織にとって、山口組の脅威とはチェーンの一店と戦争となれば
連鎖反応的に山口組の全加盟店を敵に回すという「大量動員」に対する恐怖であった。

昭和三十年代、山口組三代目・田岡一雄は
神戸港船内荷役を牛耳る
全国港湾荷役振興会と神戸芸能社という二本の巨大な資金源を獲得していた。

田岡一雄は傘下各組が各地に遠征する費用として
この莫大な資金を惜しみなく投じた。

この資金力こそが、
山口組の全国制覇への原動力だった。

だが、警察庁の第一次頂上作戦で兵庫県警は
この二つの資金源に迫り
これを山口組から断ち切ることに成功した。

さらにこの時期、三代目・田岡一雄は心筋梗塞で
長期入院を余儀なくされていた。

「もう、一息で山口組を潰せる」

警察庁、兵庫県警は固唾をのんで彼らの動向をうかがった。

しかし、山口組は潰れなかった。

その理由は先に述べたように山口組という組織の特異性にあった。

それが偽装にせよ、首都暴力団は警察の猛攻の前に次々と解散を声明し、
神戸でも山口組と並ぶ古豪・本多会は解体した。

しかし、山口組だけは絶対に解散を宣言しなかった。

病床にあろうとも山口組とは田岡一雄、たった一人のものだからである。

兵庫県警、大阪府警をはじめ全国の警察が山口組系各組を追い詰めて解散させた例はいくらでもある。

だが、結果として山口組解体には少しもつながらなかった。

山口組とは多節足動物であった。
五百本の足があれば、傘下の五十や六十の団体が解散したところで
山口組は平気で歩いていけるのである。

田岡一雄が「解散」を宣言しないかぎり、
たとえ行動不能に陥ろうとも「山口組」の名は残る。
こうして山口組は生き残った。

だが、さすがに山口組の体質は変わっていた。

往時の資金力は失せ、財政を支えるためには、傘下の組織から償還のない負債が割り当てられるようになった。
つまり「上納金」である。

高度経済成長期には山口組傘下団体もそのおこぼれにあずかって収入増を続けていたため、
しのいでいられたが、山健組・山本健一組長が若頭に就任した直後に日本はオイルショック不況に陥った。

これはヤクザ社会においても大きな打撃であった。

組の財政を預かる山本健一が
山口組フランチャイズを維持するために金集めに
口やかましくなったことは、これはもう、当然というしかなかった。

しかも彼の若頭就任が五対四という際どい支持であったとすれば
山口組の運営がギスギスとしたものになったことは十分に想像がつく。

このころから山口組傘下団体がほうぼうで
他の組織との摩擦が多くなり
時には同士討ちまで引き起こしたのは、
山本健一若頭の強引な政策の結果というより、
各組とも不況のあおりで収入が激減し、
他の縄張りに侵入せざるを得なくなっていたからだった。
【128】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月29日 11時26分)

【山口組の構造】

大日本正義団吉田芳弘会長射殺は暴力団の本質をあますところなく世間に暴露した事件となった。

ここまでの「大阪抗争」をおさらいしてみると次のようになる。

まず、徳元組組員に賭場を荒らされた溝口組が豊中の喫茶店「ジュテーム」で
徳元組組員三人を射殺したことから戦争は始まった。

賭場を荒らされるということは、
縄張りを侵されることであり
ヤクザ社会の典型的な抗争パターンである。

小さな組同士の紛争ならいざ知らず、
この徳元組にも溝口組にも上部団体があった。

徳元組の上部は佐々木組であり、
さらにその上には山口組である。

いっぽう溝口組は松田組傘下である。

この下部組織同士の紛争で仲直りは成立しなかった。

それどころか、交渉が決裂すると
山口組側は溝口組の上部団体、
松田組組長・樫忠義の自宅を銃撃した。

松田組側は即座に反撃し、
神戸の山口組本部事務所に銃口をむけた。

つまり、子供の喧嘩を親が買ったことになった。

もっとも、これは理由のないことではない。

山口組というのは当時傘下五百団体、
構成員一万一千人であった。

これを単純計算してみると
山口組を構成する一団体当たりの組員は二十二人となる。
なかには七、八十人を擁する組もあれば、
逆に七、八人という組だってあるのだ。

これらの組が親、子、孫といった上下関係、
いわばピラミッドの従属関係を結んでいるのが山口組の実態であった。

このピラミッドの頂点に立つのが
首領(ドン)の田岡一雄であり、
その下に若頭、九人の若頭補佐がいて
最高幹部会を開き、
組の運営や統制を行う。

さらに幹部ではないが、ほかに田岡一雄の直系の子分が約七十人いる。

これらの子分たちは若頭の山本健一が山健組組長であるように、
それぞれが自前の組の組長である。

奇妙なことだが、こういう観点に立てば、
山口組とはたった一人になってしまう。

つまりは首領(ドン)田岡一雄組長だけなのだ。
【127】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月29日 11時26分)

【密 告】

大阪府警捜査四課はただちに捜査を開始した。

瞬時の出来事とはいえ、白昼、繁華街が舞台であり、目撃者は多かった。
クルマで移動していた吉田芳弘会長を待ち伏せしていたのだから、
襲撃した男たちもクルマを使っていたに違いなかった。

現場周辺の不審車の徹底した聞き込みによって、犯行の二十分前、
現場付近に「福島ナンバー」のクルマが停まり、
後部座席から二人の男が降りていたことが判明した。

さすがにナンバープレートまでは判明しなかったが、
捜査本部は「これはレンタカーに違いない」とにらんだ。

捜査員たちは大阪のレンタカー会社をシラミつぶしに洗った。

その結果、大阪市東区東和町の日産観光大阪支社に「福島55れ・413」という
ナンバーのチェリー・セダンのレンタカーがあることが判った。

さらにこのチェリーを借りた男は山口組系佐々木組の組員だとわかった。

まさにドンピシャであった。

この組員は犯行前日の十月二日に借り、四日には別人が返している。
しかも、この男は九月二十八日にも同じように借りていた。

捜査四課は執拗にこの男を内偵した。

これだけでは逮捕できないからである。
すると、男が八月末に改造拳銃をちらつかせたことをつかみ、
十一月十四日、拳銃不法所持の容疑で逮捕した。

いわゆる別件逮捕である。

これとは別に密告情報もあった。

事件の二週間後の十月十六日昼すぎ、捜査本部の電話が鳴った。

「おい、日本橋で吉田を撃ったやつを教えたろか」
というダミ声の男だった。

「あれはな、佐々木組の中の入江組と片岡組の二人組や。
一人は大阪の極道やが、もう一人は奄美大島の出身のやっちゃ」

さらに二日後には同じ声で
「警察はぼやぼやしとるな。もうちょい、くわしいはなし、したろか。
 一人の男の名前は北中ちゅうんじゃ」
と、名指しまでしてきた。

佐々木組系入江組にはたしかに北中政美という男がいた。

捜査四課はこの男が三年前に堺市で知人を殴り、三日間のケガをさせた事実をつかみ、逮捕状をとった。これも別件容疑である。

十一月十八日、北中正美は潜伏先の高松市内で逮捕された。

現在では事件の全容は以下のように判明している。

「ジュテーム事件」以来、一周忌が過ぎても
佐々木組になんの動きもないので
九月五日の山口組定例幹部会で佐々木組長は、
若頭・山本健一らから
「それで、極道といえるか」と罵られた。

このあたりから、松田組系大日本正義団の吉田芳弘会長に的を絞った報復計画が練られた、というのだ。

四人の男が襲撃班に選ばれ、一人が指揮兼見届け役、一人が襲撃車の運転、
二人がヒットマンとなり、スミス&ウェッソン38口径拳銃二丁が渡された。

六甲山中で試射訓練が行われ、メンバーは九月中旬から吉田芳弘会長の行動を監視し、十月三日、ついに射殺に成功した。

ヤクザ社会は「鉄の団結」などというが、実態はまさに絵空事である。

襲撃班は犯行を密告され、
最期は潜伏先までも事情通によって
警察にさされたのであった。
【126】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月26日 11時09分)

【報 復】

山口組の「不戦宣言」から丸一年。

昭和五十一年十月三日、日曜日の大阪は秋晴れだった。

松田組系大日本正義団会長の吉田芳弘は
韓国人女性ら三人を市内見物のために案内していた。

護衛の運転する黒塗りのクラウンで
吉田芳弘は午前十時に西成区の愛人宅を出て、
三人と落ち合い、十一時にミナミのふぐ料理店で昼食をとった。

午後零時五十分、
吉田は浪速区日本橋の「やまと無線」前でクラウンを停めさせ、
お土産として電気シェーバー三個と
ホットカーラー一個、計二万七千円の買い物をした。

買い物を済ませた吉田がクラウンに連れの客たちを乗せようとドアの横に立ち、
手をあげたとき、二人の男が近づいた。

午後一時十五分ごろであった。

実は吉田芳弘ら五人が「やまと無線」に入ったころ、
この二人の男は左隣の電器店の入り口に立っていた。

「何かお探しですか?」

女性店員が出てきて、彼らに声をかけたが、
男たちは振り向きもしなかった。
店員二人は顔を見合わせて奥に引っ込んだが、
男たちはそこから立ち去らなかった。

あきらかに彼らは吉田芳弘を待ち伏せしていたのだ。

一人は茶色のジャンパー、
一人はハイネックのセーターに紺色のジャケット

二人は無言で吉田芳弘会長の背後、
三メートルにしのび寄ると、
同時に拳銃を引き抜き、計五発を連続発射した。

拳銃弾五発は吉田芳弘の背中、腰に全弾が命中、
うち二弾は胸部を貫通した。

吉田芳弘は歩道の縁石をまたぐようにあおむけに倒れた。

日曜日、買い物客でにぎわう商店街のど真ん中で起こった射殺劇に人々は悲鳴をあげて逃げまどった。

確実に吉田芳弘が倒れたのを見たとたん、
二人の狙撃手は商店街の中を走って逃げ出した。

吉田会長の護衛役だった西辻秀和は、
ブローニング22口径拳銃をとりだし追跡した。

男たちは商店街から左へ折れた。

俊足の西辻は距離、数メートルまで近づき、
走りながら拳銃一発を撃ったが命中せず、
流れ弾は駐車中のクルマに穴を開けた。

人々を押しのけるように彼らは走っていたから、
巻き添えの犠牲者がでなかったのは奇跡に近い。

二人の男はさらに二十メートル先の「佐久間病院」前で左右にわかれた。

西辻秀和は左に逃げた男を追い、
続けざまに発砲したが当たらず、
それらの流れ弾は三十メートル先のビル三階の窓ガラスを破った。

護衛の西辻秀和はついに吉田芳弘会長を狙撃した男たちを見失ってしまった。

吉田芳弘はパトカーで西区の救急病院に運ばれたが、
十五分後に出血多量で死んだ。

ほぼ、即死に近い状態だった。
【125】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月26日 11時00分)

【迷 走】

九月五日、大阪で開かれた西日本管区警察局長会議に出席した浅沼清太郎警察庁長官は
第三次暴力団頂上作戦を号令した。

「白昼、暴力団組員が市街地で発砲するなどは法秩序への挑戦である。
 三十年代後半、四十年代半ばに続いて
今回を第三次とする頂上作戦を全国的に実施、
幹部級の検挙、資金源の取り締まりに全力を挙げる」

会見が開かれるや、
山口組三代目、田岡一雄の反応は素早かった。

兵庫県警情報によるとこの日の午後
、山口組本部事務所で若頭・山本健一以下
直系組長七十人が参集して、幹部会が開かれた。

席上、山本健一は「今後、山口組側からいっさいの抗争をしかけてはならない。
また、一連の松田組との抗争の報復をしてはならない」と通達した。

田岡一雄は出席しなかったので、山本健一は
「これは田岡組長の意思である」と、
改めて首領(ドン)の決定であることを断り
この「不戦宣言」を代理伝達した格好となった。

山口組は傘下約五百団体、一万一千人
松田組は二十団体、三百人。

まるでマンモスと狼が闘っているにもかかわらず、
実際の戦闘は対等どころか損害では
死者四と山口組側の方が大きい。

往年の山口組の破壊力はどこへいってしまったのか。

さらに、ここにきての一方的な「不戦宣言」はなにを意味するのか。

兵庫、大阪の両警察はこの情報を慎重に分析した。

すると山口組内部で一つの見方が生まれていることが分かった。

それは警察の徹底した封鎖によって
一日に百万以上の水揚げがあった松田組の十数か所の賭場は開けなくなっており、
彼らの資金はいまや枯渇している、というのだ。

なるほど、これでは無駄な流血をせずとも
放っておけば、松田組は自ら潰れる、
という結論である。

九月五日の山口組の「不戦宣言」はこうした状況を踏まえてのうえのことだ、
というのが警察の観測だった。

だが、十月に入ると兵庫県警は意外な情報を入手した。

「松田組を放っておくとはなにごとか。山口組は四人の犠牲まで出したんだ
 なんとしても、報復しなければ、山菱の威光にかかわる」

タカ派の発言が強くなり、
幹部百人から一人百万、合計一億円の軍資金を
集め、同時に三十組から召集した戦闘団が準備された、というのである。

そうなると先の「不戦宣言」という情報はウソなのか。

いったい、山口組は戦争をする気があるのか、
ないのか。曖昧となってきた。

実はこのとき、山口内部である「粛清人事」が行われていたのである。

若頭補佐であった穏健派の菅谷政雄が松田組といつまでも争う愚を説き、自ら和解工作に奔走したが、実を結ばなかった。

主流の強硬派、若頭・山本健一はこれを「組の決定なしで独断専行した」との理由づけで、
菅谷政雄を若頭補佐から若衆に降格した。

首領(ドン)田岡一雄は長期入院中であり、
ポスト田岡の思惑を巡り、
内部の権力構造は極めて流動的であった。

つまり、よそと戦争するまえに内なる戦いが優先されていた、というのが
「不戦宣言」の一面でもあったのだ。
【122】

★☆〜ブレイクタイム〜☆★  評価

野歩the犬 (2014年04月25日 09時19分)

■ さんはな さん
 
   腰痛のところ 御来訪  どうも。  

    パチ屋で演出画面
 

    デジカメでしつこく撮って

  モニタールームの兄ちゃんから
  
    注意された 前科は

    私もありますよ(笑)


    今後もよろしくおねがいします。

 


 


 
【121】

RE:仁義の墓場  評価

さんさんはなはな (2014年04月24日 20時30分)

のほさん

お久しぶりです。

いつも書き込み楽しませてもらっています。

ありがとうございますありがとうございますありがとうございます。(*´ω`*)







すーさん


誰が昔ヤクザやねんっ。(笑)


いや…………確かに…………そんな人達と

大した変わらなかった様な気もす…………





のほさんと俺が一緒って…………(笑)



流石に無いです。(笑)



俺は構わないけど


のほさんが可哀想…………


だって…………

ダダスベリエロホモキモシモな上に

パチンコ屋で写真撮るなって怒られる様な奴と一緒だなんて……………………(笑) 


  



のほさん

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。








腰痛で苦しんでスマホより。(笑)







【120】

★☆〜ブレイクタイム〜☆★  評価

野歩the犬 (2014年04月24日 19時51分)

■すーさん

 自宅のノートPCの調子悪くてうまく
    
   編集できてないこと、まずお詫びします

  ごめんなさいごめんなさいごめんなさい

  (なんか知らんが挿入が無茶クチャになるわいの)


 いらっしゃあ〜い♪

  消さんといてや。

   すーさんの「性懲りもなく」のトピ
  
   隠れファンやったんやでぇ〜

  ええ、娘さんもって

    すーさんも家族大事にして

   酔っぱでも、お好み焼いて





 あ、俺、さんはなさんとちゃうで。

   怒られるわいの、これだけは  ^^), 

     そんなとこ、

   ホンマ、好きやねん♪


  


   
【119】

RE:仁義の墓場  評価

す-す-す (2014年04月24日 19時31分)

のぼちゃん、ひさしぶり(^^;

ボキです。アホです。

のぼちゃんは、さんはなさんですか?

素朴な疑問です(^^;

そんな気がしてならないです(^^;

ちゃうよね?

のぼちゃん

凄すぎる

なんで



ヤーさんやねん

尊敬する

けど

ボキより年下やで

一個だけ

しっとうか(^^;

関係ないな

即消します

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい
【118】

★☆〜ブレイクタイム〜☆★  評価

野歩the犬 (2014年04月24日 19時30分)

 ■ れお さん

 返レス遅れてすいません。

  今、ハードに落としていた「あ・うん」再度

  観ていたところ。

 元々、純子ファンなんですが、この作品の

   健さん、いい味だしてますね♪

 それと「単騎、千里を走る」

    DVDに焼いてるんですが

   まだ、観てない…(さーせん)

  現地スタッフとの別れの思い入れだけは
    
   NHKの特番で感じてましたが・・・・


   今度、ゆっくり、観ますね♪
【117】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月23日 17時45分)

【暴 発】

和解はまさに実現しようとしていた九月二日、
午後四時四十五分ごろ
グレーのコロナマークIIが大阪市住吉区我孫子の松田組組長・樫忠義の自宅前に近づいた。

樫忠義組長宅には大阪府警のパトカーが駐車し、
玄関前には五人の警察官がいて、
このマークIIの運転手を職務質問しようとしたところ、後部右側の窓が開き、
中の男が組長宅めがけて拳銃二発を発射。
一発が組長宅のトイレの窓ガラスに当たった。

急発進したマークIIをパトカーが追跡したが
ふりきられてしまう。

大阪府警は緊急配備し、
午後六時五十分ごろ堺市の検問所で
乗客二人のタクシーを止めて職務質問した。

うち、一人が38口径拳銃をもっていたので緊急逮捕した。
もう一人は検問直前に拳銃を窓から道路に投げ捨てており、この拳銃も押収された。

これまでの抗争で山口組は死者三、負傷一、
おまけに山口組本部事務所も銃撃されている。

いくら樫忠義組長が謝罪するにせよ、
戦闘のバランスはとれていない。

警察が警戒中とはいえ、拳銃の二、三発も撃ち込まなければどうにも格好がつかない、
というのが「ヤクザの平衡感覚」であった。

撃ったのは山口組系中西組組員、羽根恒夫であった。

この一件で山口組最高幹部会は
「度胸と根性のある男」と羽根の論功を讃え、
いきなり直系若衆にひきあげ、
子分一人もいない異例の羽根組組長を名乗らせているから、ヤクザ社会とは子供じみた側面を秘めている。

樫忠義組長も、そうした意味合いは承知していた。

自宅が銃撃されたとはいえ、ヤクザの儀式みたいなもので実害はない。

彼は全松田組傘下の組織に「終戦」の通達を出した。

だが、この通達は届くのにヒマがかかりすぎた。

翌三日、早朝五時半ごろ羽根恒夫が所属していた大阪市南区の中西組事務所に
白のマークIIとオレンジのセリカ二台が近づき、
車から降りた二人の男が組事務所前にいた中西組組員に拳銃を発砲した。

二十三歳の中西組組員は脇腹から胸にかけ、
二発の銃弾を浴び、一時間後に死亡した。

襲撃したのはまたしても
松田組傘下の大日本正義団だった。

この知らせが届くと神戸の山口組本部事務所や田岡一雄組長宅には車百台、五百人が集結し、周辺は異様な雰囲気となった。

「和解が決まったのに殺すとはなにごとか」

山口組はいっぺんに態度を硬化させた。

和解話は吹っ飛んだ。
【116】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月23日 17時25分)

【仲裁工作】

「ジュテーム事件」後、
約一ヶ月不気味な沈黙が続いた。

三人を殺された徳元組の上部団体・山口組系佐々木組と
溝口組の上部団体・松田組との間で
この決着をどうつけるか、
水面下で話し合いが続けられていた。

大阪府警に入った情報では松田組側は謝罪し、
死者一人につき弔慰金一千万円を提案したが、
佐々木組側は「いまどき、交通事故の強制保険でも一千万円だ。
話にならん。一億円よこせ」と主張して物別れになった、という。

八月二十三日午後十一時四十分、
大阪市東住吉区の松田組系村田組事務所に
拳銃二発が撃ち込まれた。

村田組組長は「ジュテーム事件」での交渉の松田組側の主席代表だったから、
この発砲事件は和平交渉を山口組側が蹴る、
という意思表示だった。

この発砲に松田組側は激怒した。

一時間後、松田組の戦闘部隊・大日本正義団組員が
神戸、山口組本部事務所に車で乗りつけ、
警戒中のパトカー越しに拳銃五発を乱射した。

これによって、松田組側は今回の戦いは末端の組同士の争いではないことを
山口組に通告したことになった。

こうなると次は山口組側である。

一週間後の三十日午前八時四十五分ごろ、
大阪市淀川区の松田組系瀬田組組長宅を
三人のヒットマンが襲い、
玄関を護衛していた若い組員が腹部を撃たれて
二週間の傷を負った。

やられたら、やりかえす。

抗争のエスカレートに警察が介入してくるのは目に見えている。

関西ヤクザの親睦団体である「関西懇親会」が
本格的に第三者仲裁に乗り出した。

和解の条件は整いつつあった。

松田組の樫忠義組長は
お互いの非をあげつらうことはやめて、指を詰めて
山口組に謝罪するという条件を思い切って呑む決意を固めた。

山口組も「関西懇親会」の仲裁を了承した。
【115】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月23日 17時15分)

【内 紛】

神戸に本拠を置く三代目・山口組が
膨張政策をとりはじめたのは
昭和三十年代初めだった。

ことに昭和三十五年夏、
大阪最大の愚連隊組織「明友会」を殲滅させ、
富裕な領土を奪って以降、
三代目・田岡一雄の全国制覇の野望は燃え上がった。

若頭・地道行雄の指揮のもと、
山陰、四国、九州、南紀、北陸、伊勢、中京と
疾風怒涛の進攻で地方を征圧していった。

田岡一雄の戦争指導は
「農村をもって都市を包囲する」という
毛沢東の戦略に似ていた。

地方に進攻し、制圧することによって
首都・東京に圧力をかけようというのである。

しかし、この進撃もさすがに世論の猛烈な反発に遭い、
警察もこれを放置しておくはずがなかった。

昭和三十九年から警察庁指導の下に全国の警察は暴力団に対する大攻勢にでる。

従来の末端の枝葉を払うだけでなく、
組織の組長たちを狙い打ちするところから、
この暴力団壊滅作戦は「頂上作戦」とも呼ばれた。

警察は山口組の豊富な資金源であった神戸港船内荷役を牛耳る「全港振」と
芸能プロダクション「神戸芸能社」に対し、
あらゆる法律を駆使して潰した。

そのさなか、の昭和四十年十月、
三代目・田岡一雄は
心筋梗塞に襲われ、倒れた。


さすがの山口組も気息えんえんとなり、
組内は混乱し、解散や脱退を余儀なくされた地方組織が相次いだ。

さらに昭和四十三年、
若頭に起用された梶原清晴がわずか三年後、
鹿児島で磯釣り中に事故水死してしまう。

昭和四十七年、山口組最高幹部会は
後継の若頭選出にあたって
若頭補佐九人を対象に異例の選挙を行った。
五対四という僅差で新たな若頭の座についたのは
山本健一だった。

山本健一は「ヤマケン」の名で知られる組内きっての武闘派であった。

組の重鎮、菅谷政雄が推した、山本広が敗れたことで
組内のパワーバランスは微妙なものとなった。

いわば主流派と反主流派の対立が
表面化することになった。
以後、地方の山口組系団体同士が小競り合いを起こし始めた。

「ジュテーム事件」前の六月には、
山口組直系菅谷組内、石田組と
山口組直系加茂田組内中山連合の間に発砲事件があり、
その二週間後にも菅谷組内藤島組と
加茂田組内新竜会が発砲事件を起こしている。

山口組系同士でもイザコザが絶えず、
争っているのだから
この超大国が一致団結してやってくるわけがない、
と松田組はタカをくくっていたのである。
【114】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月22日 17時21分)

【山菱の衝撃】


「ジュテーム」事件は残酷な手口と殺傷数の多さで世間を驚かせた。
しかし、その衝撃は実はヤクザ社会や警察の方が大きかった。

それは「山菱」が狙われた、という事実だった。

菱形の代紋で「山菱」と呼ばれる三代目・山口組は当時、
田岡一雄組長の統率下、全国に四百九十七団体、一万一千人を擁する
全国最大、最強の組織であった。

いかに末端の組とはいえ、共通した代紋バッジで統一され山口組の安全保障の傘の下にいるのである。

こうした「山口組の威光」をせせら笑うような大胆不敵な殺戮が
静かな住宅地の一角で起こったのだから、
法の裏側の社会では、まさに驚天動地の出来事であった。

なぜ、山口組系組員らが松田組襲撃班に襲われ、殲滅的な打撃を受けたのか。

負傷した徳元組組員らから事情を聴いた大阪府警捜査四課は八月二十六日、
溝口、徳元の両組事務所のほか、大阪市北区南扇町の地下スナック「ナポレオン」と北区曽根崎上一丁目のスナック「ヒット」を捜索した。

すると驚くべきことに都心のオフィス街ビルの中に賭場を発見した。

「ナポレオン」は大阪キタの中心地から東へ歩いて十分、九階建てのビルにあり、化粧品販売や出版関係の会社がテナントとして入居している。

松田組系溝口組はこの地下を昭和四十八年三月に契約し、スナック「ナポレオン」としてオープンした。当初はワンフロアであったが、次々と改造した。

大阪府警捜査四課が調べたところ、店内は約二十席ほどの広さで正面左側にスチール製のドアがあり、その奥は蛍光灯があかあかとつく三十畳敷きの細長い賭場になっていた。

「ヒット」も奥に畳敷きの広い賭場があり、当時はまだ珍しい監視モニターまで設置されていた。

賭場のもつれは「ナポレオン」で起こった。

「ジュテーム事件」の二週間ほど前から、徳元組組員がこの賭場に再三出入りし、勝つと金を掴んで帰るが、負けるとその借金まで返さない。
催促すると拳銃をちらつかせるという「賭場荒らし」を繰り返していた。

徳元組の本拠は神戸だが、大阪、ことに人口が増えている郊外の豊中に目をつけ、
新規の縄張りを求めて溝口組の眼の前でノミ行為に手を出したりしていた。

この揺さぶりに溝口組は危機感を持った。

溝口組にとって、徳元組は賭場のガンであり、
領土に侵入してくる黒い勢力であった。

賭場で徳元組組員が人もなげに拳銃をちらつかせたり、
百円玉一個を放り投げて「これでバクチをさせろ」と挑発するのは、
溝口組を潰す野望の表れだ、と溝口組はみた。

七月二十四日夜、このくすぶり続けた対立感情は頂点に達した。

その夜「ナポレオン」の賭場に現れた徳元組組員は溝口組組員から
「この賭場荒らしめ!」
「帰れ!」
と罵られ、追い返された。

そして、このイザコザに決着をつける、ということで
翌二十五日深夜、溝口組若頭・溝口政弘は徳元組組員がたむろする「ジュテーム」に呼び出されたのである。

溝口組は危機と焦燥を感じた。
溝口政弘は監禁され、一命が危うくなるかもしれない。
断固、徳元組を討つべきだ。
溝口組理事長・溝口弘美は決断し、上部団体、松田組の指示を仰ぎ
松田組は五人のヒットマンを飛ばした。

これが「ジュテーム事件」の真相であった。

ヤクザは暴力が売り物である。
力比べで一歩後退すれば敵はつけあがってきて、
しまいには領土全てを奪われてしまう。

それにこの稼業ではちゃんと仲裁人という機能がある。
売られた喧嘩は買ったのだ、という実績があとあとまでモノをいって
組織の存立を守ることも不可能ではない。

松田組としてもヤクザの超大国・山口組の報復を考えなかったわけではない。
しかし、このころの山口組では内部で権力闘争が絶えず
統制力が弱まっている、という見方が、ヤクザ社会に広まっていた。

「山菱、怖るるに足らず!」

松田〜溝口組連合の決断は山口組本家を揺るがせた
【113】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月22日 17時14分)

【電撃作戦】

昭和五十年七月二十五日。

熱帯夜続きの大阪はこの日も
午後十一時を回ってなお、蒸し暑い夜だった。

豊中市の閑静な住宅街。
白い清楚な鉄筋四階建てのマンション一階に
喫茶店「ジュテーム」があった。

店内には六人の男たちが、ねばっていた。

経営者の三十二歳の女性はバーテンダーをとっくに帰してしまい、
一人残されていることを後悔していた。

彼らは入ってきたときから一目でわかるヤクザたちであったからだ。

六人は山口組の三次団体「徳元組」組員だった。
本拠は神戸市兵庫区内にあり、ノミ行為や債権取立てをシノギとしている。

午後十一時五十五分、三人の男が入ってきて六人と合流した。
新たな三人は徳元組組員一人と溝口組組員二人である。

溝口組というのは、松田組の傘下にあり、西成区やキタに賭場を開いていた。

この年三月、病気がちだった溝口雅雄組長が
組事務所をキタから自宅のある豊中市内に移したばかりだった。

つまりこの夜「ジュテーム」の店内は
溝口組組員二人を七人の徳元組組員が
ぐるりと取り囲んだ構図となった。

彼らはしばらく声を殺して押し問答を続けた。

経営者の女性がコーヒーを入れながら漏れ聞いた話ではどうやら賭博のいざこざがある様子だった。

日付が変わった午前零時すぎ
「ジュテーム」の電話が鳴った。

彼女はその電話を溝口組の溝口正弘にとりついだ。

二言、三言、のやりとりがあり
「よし、わかった」と彼は大声で返事した。

二十六日午前零時半ごろ、
かれらが話し合いを始めて三十五分後に急停車する車の音がして、
いきなり五人の男たちが「ジュテーム」の店内になだれこんだ。

これが溝口組の上部団体、松田組襲撃班だった。

先頭の三人がいきなり拳銃をぬき、構えたのを見て、
経営者の女性はとっさに厨房に逃げ込んだ。

襲撃班は徳元組の一人を狙い、
それをかばおうとして立ち上がった仲間たちへ
残忍な一斉射撃を開始した。

銃声とともに怒号と悲鳴があがった。

「た、助けてくれ!」

床に血だらけになって転がる男めがけて
さらに拳銃弾は撃ち込まれた。

徳元組組員のうち三人は
襲撃班に体当たりする勢いで入り口から表へ飛び出した。

「一人も逃がすな!」

襲撃班は拳銃を手に店外の周辺を走り回った。

深夜の住宅地で通行人がなく、
誤射事件がなかったのは幸いだった。

十分後、襲撃班は車に乗って逃げ「ジュテーム」での惨劇は終わった。

急報を受けたパトカーに続いて
大阪府警捜査四課(マル暴)や
所轄の豊中署の捜査員のほかに
防弾チョッキを着た機動隊も出動。
新御堂筋や中央環状線を重点検問し、
現場付近の捜索には警察犬も駆り出された。

「ジュテーム」の店内は血の海で椅子やテーブルは
ひっくり返り、三人の男がうつ伏せになって絶命していた。

殺された三人のうち一人は腹部に四発を撃ち込まれ、三発が貫通。
一人は背後から撃たれた一発が心臓を貫く必殺弾となっていた。
もう一人は胸と背中に一発ずつでいずれも貫通していた。

負傷の一人は流れ弾を首に二発、あびていたが
傷は浅く、二週間の軽傷であった。

死者の体内に残った弾丸や室内の弾痕を調べると
38口径九発、32口径三発、22口径二発、不発弾一発が発見され
三種類の拳銃から少なくとも十四発が発射されたことが分かった。

「ジュテーム事件」の二十二日後の八月十七日、
豊中署の捜査本部は張り込み中の溝口組組員の愛人宅に現れた溝口組幹部ら三人を逮捕。

続いて襲撃の実行犯四人が豊中署に出頭して、
この事件は一応解決となった。

五人の襲撃班が使用した拳銃は
スミス&ウエッソン社製38口径拳銃ら三挺は真正で
残る二挺はモデルガンの改造銃と判明した。
【112】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年04月22日 17時07分)

危なかった・・・・

急性気管支炎と診断されたのが四日前

朝イチで血液検査の結果を聞きにいったら
CRPが+7.86もありやがった。

肺炎⇒入院の一歩手前。
追加の抗生物質をどっさり渡される。

朝夕⇒錠剤小2、大1
昼 ⇒カプセル2
就寝前⇒錠剤大1
睡眠時の気道拡張シール

このほかに平時から朝、夕に粉末各1
夜と就寝時に錠剤3、飲んでるから、
もうほとんど管理能力無しのクスリ漬け。


おまけに来週は持病の定期診断ときてやがる。

なるようになれ、だ。

じゃ、アップ開始、と。

(いったい、なに、やってんだ、俺)
【111】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年04月20日 14時39分)

網走番外地の主題歌をくちずさんでいるうちに
全共闘世代が当時のヒット曲を「革命ソング」の
替え歌にしいてたことを思い出した。

あの時代、地方の中学生の私にとっては
新宿騒乱も安田講堂の陥落も
首都、東京の出来事であって
現実感は乏しかった。

最初は大学経営の正常化を掲げていた
六、七歳年上の、若者たちがいつしか
「革命」を叫んでいる

その「革命」の先になにがあるのか、
さっぱり、理解できなかった。

ただ、地方にいても、
「革命を煽っている時代」の熱気だけは感じていた。


やがて
「われわれはあしたのジョーである」
との言葉を残し、「よど号」は北朝鮮へ飛び、
残された赤軍派は京浜安保共闘と合体
連合赤軍として「総括」の名のもとに
自己破滅してゆく。


「全共闘グラフィティ」という本を見つけ出した。

当時の「詠み人しらず」の替え歌が載っている。
ちょっとおもしろいので転載してみた。
【110】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年04月20日 14時37分)

■元歌 「網走外地」 /  高倉健

はるか〜、はるか彼方にゃ 機動隊
黒や銀のヘルメット
石をはがします 投げてまぁす〜
その名も日大全共闘

ポリにぃ〜、ポリに追われし全共闘
デモすりゃ、殴られパクられてぇ〜
どうせ、おいらの行く先は
その名も東京警視庁

追われぇ〜、追われこの身を明大に
かばってくれた可愛い娘
聞かせ、やりたや ヤケ総括
今のブントにゃ、ままならぬ

ドスを〜、ドスを片手に殴りこみ
革マル殺って、男泣き
どうせ解放の行く先は
その名も東京拘置所よ


■元歌 「唐獅子牡丹」 / 高倉健

組織と個人を 秤にかけりゃ
組織が重たい 左翼の世界
やがて革命来る それまでは
意地で支える 思想性
流れ流れの  亡命政権

黒を白だと 言わせることも
しょせんタタミじゃ 死ねないことも
百も承知の ゲバルト稼業
なんでいまさら 悔いはない
セクトがからんだ 内ゲバ出入り


■元歌 「人形の家」 / 弘田美枝子

顔も変わるほど
あなたに殴られるなんて
とても信じられない
ゲバが終えた今も
ほこりにまみれた 人形みたい
パクられて ひきずられて
捨てられた サツのかたすみ
私は思わず ニャロメ!と叫んだ

顔もみたくないほど
生徒に嫌われるなんて
とても信じられない
封鎖が去った今も
ほこりにまみれた 人形みたい
けなされて 捨てられて
忘れられた 教室のかたすみ
私は生徒をサツにあずけた



■元歌 「恋の季節」 / ピンキーとキラーズ

忘れられないの ゲバルトが好きよ
青いヘルかぶり ポリを見てたわ
私はひとりで 大きな石ころを
砕いて投げたの ポリをめがけて
  ゲバは〜 私のゲバは〜
  空を染めて〜 燃えたよ〜
死ぬまでゲバ棒 離しはしないと
あの人はいった ゲバの季節よ


■元歌 「困っちゃうな」 / 山本リンダ

こまっちゃうな  三派に誘われて
どうしよう  まだまだ早いかしら
うれしいような こわいような
どきどきしちゃう 私のむね
総評に聞いたら なんにもいわずに ねむっているだけ
こまっちゃうな  三派に誘われて


■元歌 「新宿ブルース」 / 扇 ひろ子

デモに激しく 飛ぶ石も
防石ネットにゃ かなやせぬ
夜の新宿 全学連
催涙弾にも 泣きやせぬ

あんな男と 思っても
忘れることが できないの
路地にひそんで 鋭い眼
私服以外にゃ 見えやせぬ

西に逃げても だめだから
東に逃げて  みただけさ
どうせ相手は 第四機
検察庁まで  行くだけさ

生きてゆくのも 私だけ
死んでゆくのも 私だけ
夜の新宿    騒乱罪
いつか一度を待ちましょう
【109】

RE:仁義の墓場  評価

reochan (2014年04月16日 17時59分)

そっか・・・

男性と女性とでは、まるっきり真逆。

NO.1 あ・うん  ← 健さんの魅力全開で、何度も三田。

NO.2 単騎、千里を走る ← 中国の子どもとの話

NO.3 遙かなる山の呼び声

NO。4 昭和残侠伝・唐獅子牡丹

     池部良と・・

     あっしはまだ、幸太郎親分にほんとのお詫びをしちゃいねぇ。
     せめて、顔向けの出来る男にしておくんなさい!
    うぅ 花田秀治郎・・ちゅてき♪ (目がはあと


  何本目かに、若山富三郎と健さんが出てるのを見て

  若山富三郎の刀さばきのすごさに、息を呑みました。
  確かに、素人のあたしでも、刀使い、健さん、へたくそ・・

  当時、映画館で見られた人が羨ましいなー

  今日、コレ書くのに、久しぶりにようつべで健さんに会いました〜♪

  のほさん、映画と映画制作会社の内側、詳しいねー

  
 そんなこと知って、映画見たら、ヤだ〜 あははは


 でも、教えてくれて。ムリヤリ健さんの人気映画ランキング出してくれて、ありがとう〜

 以外と、や・さ・し・いぃんやねー

 嬉しかったでーす♪


  
【108】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年04月16日 11時39分)


れおさん、のリクエスト(?) にお答えしようと
「高倉健・任侠映画ベストテン」なるものを
アップしようとしたんですが・・・・・・

正直、健さんの仁侠映画って
どれも似たりよったりなんすよね。

つーか、東映の「任侠映画」そのものが
コテコテ路線ですからね。

>ってことは、のほさんも健さんの任侠シリーズ全て
 見てるんだwwwww


健さんファンのれおさん、には申し訳ないんですが
さーせん・・・そんなに観てないです

正直、高倉健という役者は、
そんなに演技がうまい役者と思えんのですよ

ヤクザをやらせたら、
まず鶴田浩二には絶対かないっこない!

高倉健。

朴訥で抑揚のない口調、
感情を表にださず、沈思黙考な演技。

80過ぎても30のころと、ちーとも、変わらん!

まあ、そこが健さんファンにとっちゃ、
魅力なんでしょうがね。


東映が任侠路線に舵をきった60年代初め、
とりあえず鶴田浩二を主役にした「人生劇場 飛車角」がヒットしたんで
鶴田を軸にするとして、他に誰かおらんか・・・と。

というのも当時、東映の俳優組合というのが
会社のヤクザ映画方針に反対していて、
組合の委員長だった
中村(のちの萬屋)錦之助らが出演拒否してたんですね。

で、制作サイドが目をつけたのが、
当時、東撮(東映東京撮影所)で
ニューフェイス採用されながら
美空ひばり映画なんかの脇役で
イマイチ、うだつがあがらなかった、高倉健。

とりあえずスチールを撮ってみんべ
と、京都に呼んで着流し姿で長ドス持たせて
写真撮ったんだがこれがまるで
ボクサーがバッターボックスにはいっているようで
まったくサマになってない!


「日本侠客伝」のホンはあがって、
封切り日も決まっている。

みかねた錦之助が「一本だけなら」
の条件で出演をひきうけ
なんとかクランクイン。

当初「どうなる?」と制作現場が不安げだった
この第一作が
高倉健の「目つきがいい!」と大ヒット!

元々、健さんの眼というのは
黒目が上に寄っている俗に言う「三白眼」。

どうしても下から睨みつけるようになっちゃうから、
普通の芝居じゃ、ギスギスしちゃってキャラが活きてなかった。

ところがこの「三白眼」が殴りこみシーンに
ドンピシャ、はまっちゃった。

「お命、いただきます!」と上目遣いで長ドス抜くたび
スクリーンに「健さん!」の声がかかる。

「演技の上手さより眼つきの悪さ」
で売れた役者は健さんぐらいのもんでしょう♪
【107】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年04月16日 11時42分)

【高倉健出演作品ベストテン】

で、任侠映画というカテゴリーをとっぱらって
のほ、が選んだ健さん出演作品のベストテンは以下。


(1) 網走番外地

「遥ぅか〜遥か、かなたのオホーツク〜♪」
 チンピラが流れ着いた最果ての刑務所からの脱走劇。
 モノクロの低予算作品を
  シリーズ化までヒットさせたのは
 健さんならでは!
 発禁扱いとなった主題歌が、また、いいんだなぁ♪

(2) 八甲田山

ヤクザより軍人役がハマる健さんの真骨頂

(3) 侠骨一代

任侠映画路線が確立する前、
戦前の底辺社会を生き抜く男をコミカルに演じてます。

(4) 幸せの黄色いハンカチ

名作にして、主演男優賞総ナメ。入れないわけにはいかんでしょ

(5) 緋牡丹博徒花札勝負

「親分さんにはなんの恨みつらみはござんせんが、
渡世の義理でお命いただきに参りました。ドスを抜いておくんなせえ」

こんなクサイセリフが似合うのは
健さん以外にいませんね

(6) 日本侠客伝・花と龍

マッチョな体はヤクザよりゴンゾが似合ってます

(7) 宮本武蔵・巌流島の決闘
 
 


吉川英治の原作に読み照らすと、
健さんの小次郎はなかなかいい♪

テレビ朝日の特番ドラマ、ありゃひどい
キムタク武蔵はしょうがないとして、
あとのキャスティング
むちゃくちゃやったね。

(8) 昭和残侠伝・血染めの唐獅子

「せ〜なで泣いてぇ〜る、唐獅子ぼぉ〜たぁ〜ん♪」

映画館をでるときは完全になりきってました♪

(9) 居酒屋兆治

大原麗子、きれいですね♪⇒健さんカンケーネー?

(10) あ・うん

富司純子(藤純子)の復帰作。
任侠映画時代のヒロインとの
「忍び恋」は味があります。

次点 駅 STASION

   名作だけど、
   健さん本人の魅力という点では惜しくも次点

番外 ゴルゴ13

原作者・さいとう たかおが
「デューク東郷は高倉健をモデルに描いたと」
いうから敬意を表して(←実は観てない!


おりょ?
こうしてみると意外となんでも演れるでねーの?

さすがは文化勲章受賞俳優だけのことありますな。
【106】

★☆〜ブレイクタイム〜☆★  評価

野歩the犬 (2014年04月15日 08時55分)

■虹ちゃ〜ん

こんな隠居部屋に
毎度AAあんがと〜♪


>  お祝いにコルトを差し入れします〜〜

ぶはは!

ピワド広しといえど、
チャカでドンパチお祝いされるのは
わし、ぐらいじゃろう。

それにしても最近AA  
腕、あげたなぁ〜♪(←大木こだま風

ちょい休んで
また、なんかアップするからよろしくな〜

それと…
OLGへのマメな顔出し、加速は陰から感謝してるはず。

まあ、あいつのことやから
戻ってきたとたん
揉ませろ、とか、な●させろとか、
言いかねんが、てけとーに
あしらいながら
ねぎらってくやってくれや。

ま、長い秘書歴やから、慣れとろーがの

おれは墓場の中からあいつが
往生するよう
念仏唱えとるけえ ^^)ゞ

夕べは酔いが回ってなに
書いたか、おぼえとらんじゃったもんで
ちいと、編集したわい。

あまり、問題発言はなかったようじゃがの(笑
【104】

祝100  評価

虹ん子 (2014年04月13日 23時58分)


      r 、_r─────‐へ、
      r->' ゜r「 ̄ ̄ ̄Π __|ー:────────-‐┐
    厂 ̄  .{|| <二:||  |___________| ドギュ――……‥ ン
   ,/  ゝ ノV__r_|」  」───┴─┘          
   /`○、  _ 。 __)**&&,厂                | ̄ ̄ ̄|
  ,/   >"  `Y"て `Y´ ̄                 | 祝 |
  /   l   ゝ--:一'                   |   |
 |    l                          | 一 |
 |    l                          | ○ |
 L_____|                          | ○ |
                                |   |
                                |____|
 



幹事長〜〜、夜桜銀次・伝の終了および、100トピおめでとう〜〜☆



  夜桜銀次の画像、ググりました〜 見事な刺青だったなんですね!



  お祝いにコルトを差し入れします〜〜

  うん? 持ってるからいいって? まぁ、そう言わずに(・∀・)





  リアルISOで、今年は花見にも行けなかったのね。

  夜桜AA見ながら寝酒してもらえて良かった♪



  ぢゃぁ、今回はコルトで遊びながら寝酒をあおってね〜〜






れおちゃん、お久〜〜〜


  れおちゃんが健さんに憧れて、DVD46個も観たとは意外だったよぉ。

  寡黙で男らしい男が好みなんかな?







書き逃げにて、返レスは気になさらずにね!


 
【101】

RE:仁義の墓場  評価

reochan (2014年04月13日 21時20分)

のほさん こんばんはー♪

>山口組のDVDがショップにない・・

そうなんですか。知りませんでした。

2年前、健さんに憧れて、あたしの地域にある2件の

レンタルビデオショップは、見事に健さんのヤクザものはA店。その他の健さんのDVDはB店と、振り分けられていました。

2店舗に置かれてるDVD(VHF含む)は全て見ました。46個。

その中に、今エクセル表確認したら、「山口組三代目襲名」ってのがありました。

見てるんだろうけど、当時は毎日健さんのやくざもん見てたから、どれがどれだか分かんない^^;

他の役者さんのヤクザもんも、いっぱいあったわ。

やくざもんのDVDも、他は知りませんが、あんましリアルじゃなくて、健さんの魅力を中心に描いているから、そんなに怖くなかった・・

のほさんの、紹介された2作が、よっぽどリアルで怖かった――――つ!

【100】達成!
 

    /':´: : :ヽ :.`ヽ、 
      / . :  : : .  :.ヽ   
.     /,:: ,' /:! 、 i : :.`ヾ!  
.     }':/:i !:i',::.i ;,!:',"i  
     /: /: :iht,i ',,!i ;イ:`':ヽ  
     ",,'〃-弋‐、ハ:/レ`木:、;V!  
      ヽ!/`<でjl` ソ´イJ}`y〉;}h  
       N :ゝ`      ´/リ:/  
      V : :≧  `    ∠;':i'  
       ヾ:,ミ、  ̄´ ,イ"/'/   おめでとう
       `\:,i> _イ〃/'"    
         ,-y   ド、      
        / ヽ/スrヽ/`ヽ、 
      r_'"  // //`ヾ  `ヽ 
    /. :`ー-/ '/レク`ヽ ,-´:`\ 
    /:::. : ::| "/ヽ`l! : : :::ヽ 
.  く_:.: : : :"i {;Y;} レ:: : : :::i 
   ! i"ヽ、:: :"i ヽ/ !:: : :;,-─r' 
.  i:| ',`ヽ;: :〉}{ ィ:: /イ,  ハ 
   |    ' /:::/ ハ ヽ::! ,' ;' | 
   |     ゞ:/ /||ト、ヽ/ ′' , |
   !    /::/ / ハ `  /,'   ,' i
【100】

100トピ御礼  評価

野歩the犬 (2014年05月05日 09時31分)

昨年冬、忘れかけていたものを見つけ出した体験を機会に年明けに立ち上げたトピもなんとか【100】までこぎつけました。

談話室にあって交流が目的ではなく、
書きたいことを残しておきたい、
という爺の自己満足からのスタートでしたが
思いがけない方々との出会いや反応をいただき
部屋主として望外の喜びを味わっています。

わずか100トピではございますが、これまでにご訪問、また応援していただいた
方々のお名前を列記させていただきます。

★順次、追加する予定ですので、レス付けはご遠慮ください
万一、漏れありましたら、お知らせください

TAKERUさま
reochanさま   
こぱんだ さま
虎55号 さま
拳治郎 さま
石川土ザ衛門 さま
ゆさみん さま
みなみん さま
てぃ〜だ♪さま
rosa♪  さま
虹ん子  さま
赤SC待ち さま
すーすーす さま 
さんさんはなはな さま
パチンシュタイン さま
【99】

夜桜銀次・伝  評価

野歩the犬 (2014年04月13日 19時51分)

あとがき

悪魔のキューピー・大西政寛に続いて
とりあげた夜桜銀次、こと平尾国人。

二人に共通しているのは
最期は一匹狼になって破滅したことである。

ヤクザ社会とは、まともな生活ができないものたちの運命共同体である。

だからこそ、「盃」によって親→子、兄→弟といった現実の血縁より
はるかに上下が厳しい擬制家族制度によって結ばれている。

この従属関係は組織を運営していくためと同時に
組織の親、同士が「盃外交」を行うことによって
他国との戦争の抑止力として利用される。

昭和三十年代、全国制覇を掲げた三代目・山口組は
地方を征圧することによって、大都市へ圧力をかける戦術をとった。

大国、山口組の傘下に入ることによって地方の小組織は自らの
縄張りを維持し、地方同士での無駄な衝突を回避した。

山口組の「知略」は旧来のヤクザ社会の地図を塗り替えた。

アウトローの集団というものが真のアウトローたる
「一匹狼」になった瞬間、野垂れ死にするほかないのである。

夜桜銀次はある意味、当時の山口組にとって重宝な「鉄砲玉」であった。

凶暴で命知らずな性格はほっておいても、いつか
必ず戦争の口実を作り出してくれる。

事実、銀次は一人で仕掛けた恐喝事件をもとに暗殺されてしまう。

群れを離れたヤクザほどあわれな末路はない。

そして、そういう男に限って彼らは言う

「あいつは、ええ極道やった」と。




夜桜銀次をモデルにした映画に東映の
「山口組外伝・九州進攻作戦」(山下耕作監督 / 菅原文太主演)がある。

文太が孤高の一匹狼ぶりを好演しているが
現在の暴対法によって「山口組」を
タイトルに盛り込んだ作品は
ソフト化(DVD)が禁止されている。

残念な限りである。
【98】

夜桜銀次・伝  評価

野歩the犬 (2014年04月13日 19時43分)

【一斉検挙】

八日午前七時、国鉄・博多駅前には福岡県警の制服、
私服警官二百五十八人が厳重な警戒態勢を敷いていた。

集団で駅頭に降りてくる黒づくめの男たち一人ひとりに
ボディチェックが行われる。

「なんや、なんや、わしら、なんも持っとらんわい!」

男たちは声を荒げなげら、迎えのバスに乗り込んだ。

警察側としても葬儀の参列という理由だけでは検挙するわけにもいかない。

神戸・山口組をはじめとして、四国・九州の各地から集まってきた葬儀参列者の群れは昼までに三百人を数え、福岡市・中洲周辺の旅館に分散投宿した。

今夜にでも市街戦が始まる・・・福岡市内は異様な緊迫状態に包まれた。

午後二時、福岡市・東中洲の路上で職務質問を受けた
山口組系中西組組員の背広内ポケットから拳銃一丁が発見される。

福岡県警はこれをもって凶器準備集合罪を適用し、一斉検挙の方針を固めた。

博多の旅館内で総指揮官・山本健一は大島一家ら敵方の動向を探っていたが
いっこうに動いている気配はない。

歓楽街に人影はなく、それがかえって不気味であった。

陽が落ちた。
いぜん、双方の動きはない。
どちらも相手の出方をじりじりとうかがっているような緊迫が続いていた。

夜に入った。八時ごろ、突然、旅館の明かりが消えた。

「殴りこみか!」

「懐中電灯ないんか!」

「ローソク持ってこさせろ!」

漆黒の闇の中で怒号が飛び交い、旅館内はパニックとなった。

これは全く偶然の停電事故だったが、
福岡県警はこのおよそ十分間の混乱に乗じて一気に動き出した。

停電が復旧すると、武装警官六百人が令状を手に西中洲の伊豆組事務所や
旅館を包囲し家宅捜索を行った。

拳銃十三挺、カービン銃二挺、猟銃七挺、日本刀八振り、匕首十五本が押収された。

福岡県警本部は山本健一、伊豆健児以下百五人を逮捕。
これによって九州を二派に分けた抗争は硬直状態に陥った。

この日、警察の警戒網をくぐって逃走した石井一郎も
二月十九日、宮崎県・延岡市で逮捕され、両派の抗争は回避されることとなった。

九州のヤクザ社会を震撼させた「夜桜銀次暗殺事件」

実は犯人は意外なところにいた。

銀次を暗殺したのは炭鉱経営者・松岡福利に依頼された久留米の鳥巣組の二人だった。

銀次は殺害される数日前、いつものように松岡をたずね
「十六日朝までに百万円を用立てろ」と期限つきで強要していた。

これまでに、再三、恐喝をうけていた松岡はついに銀次の殺害を企てた。

鳥巣組に五十万円を渡し「銀次を消してくれ」と依頼、
二人の刺客が銀次のアパートへ飛んだ。

決行の日は銀次が百万円を無心した期限当日であった。

用心深い銀次が暗殺者二人を招きいれたのは
「松岡の使いばい」との声だったから、と判明した。

抗争のたびにその名を売ってきた「夜桜銀次」

  最期に拳銃(チャカ)を向けてきた二人の男の請負金額は
      わずか、五万円だったと、伝えられている。



仁義の墓場  夜桜銀次・伝 
(完)
【97】

夜桜銀次・伝  評価

野歩the犬 (2014年04月11日 11時36分)

【進攻開始】

夜桜銀次、暗殺――

その急報は伊豆組・組長、伊豆健児からときを移さず
別府の石井組、神戸の山口組にもたらされた。

銀次の兄貴分だった石井一郎は
「一発も撃たずに死んだ銀次がかわいそうや」
と男泣きに泣いた。

銀次はなぜ、殺されたのか。

犯人は誰なのか。

石井組と山口組は騒然と色めきたった。

石井一郎は子分十人を連れて福岡入りし、
事情究明に乗り出した。

神戸・山口組も事件の翌日には若頭補佐・山本広を福岡に派遣した。

伊豆、石井、山本の三人は情報収集に奔走した。

銀次の妻からも話を聞いた。

だが、犯人の目星はようとして、分からない。

ただ、関係者の間では暗黙のうちに
「狙ったのは、宮本組ではないか・・・」との
予測があった。

宮本組とは銀次が賭場荒らしをした
反山口組系組織だった。

その夜、石井一郎は山本広を別府の石井組本拠、
料亭「新都」に招き、協議していた。

席上、部屋の電話が鳴った。

電話は福岡の伊豆からだった。

石井はウンウン、と受話器に耳を当てていたが
「なんやて!」と叫ぶや、表情が変わった。

石井の険悪な表情から大事が汲み取れ、
座は一瞬にして緊張した。

石井は受話器を置くと山本広に顔をむけ
「博多で伊豆が狙われた。
 捕虜(とりこ)にして吐かせたら、
 そいつは大島のところのものらしい」

「――大島の」

大島一家は北九州に本拠を置き、
銀次が賭場を荒らした宮本組の上部組織である。

大島一家ら、九州の地元ヤクザは普段から
伊豆、石井に対し
「なぜ、タビ(神戸・山口組)の盃をもらわな、ならんのか」と牽制し、確執が絶えなかった。

「やっぱり・・・・」

石井にしては、線がつながったのである。

夜桜銀次事件は直後に発生した
伊豆健児暗殺未遂事件をへて
思わぬ方向に拡大した。

山口組系伊豆・石井組対
地元、大島一家、宮本組が激しく対立したのだ。

二月六日、両派の調停が行われたが
伊豆・石井連合は仲裁人に対し、調停を拒否。
九州は二派に分かれて、決戦に臨むことになった。

本家・山口組は夜桜銀次の葬儀に出席する名目で動員をかけた。

翌七日夜、
国鉄神戸駅は黒背広の異様な男たちでごったがえした。

率いるのは三十六歳の若頭補佐・山本健一。

急行「霧島」に本家・若衆百七十人を従えて乗り込んだ。

山陽本線の三宮、明石、加古川、姫路と各駅から
黒づくめの男たちが続々と乗り込んでくる。

後続の列車を含め総勢三百人の精鋭が
博多へ、博多へと向かった。
【96】

夜桜銀次・伝  評価

野歩the犬 (2014年04月10日 17時10分)

【夜桜、散る】

その年が暮れた。

昭和三十七年一月十六日朝、
銀次はふとんの中で悪寒がしていた。


酒とバクチに夜を徹する身体は
悪性の風邪を背負い込んでいたのだ。

その日、銀次は縁筋の放免祝いに
出席する予定があったが、
それも億劫なほど全身がだるかった。

当時、銀次は通わせていたホステスと縁を切り、
自分のアパートに妻を呼んでいた。

「あなた、だいじょうぶ?お医者さんを呼びましょうか?」

銀次の火照った額に手をあてた妻が
心配そうに声をかけた。

咳き込みながら、もの憂く頭を振って、銀次は言った。

「それより、お前がおれの代わりに放免祝いに行ってこい。
 一日、寝てれば、治るさ」

銀次は再びふとんにもぐりこんだ。

十時少し前だった。

妻は銀次の代理として
放免祝いに出席するための身支度をはじめた。

「どうもからだが、だるい。途中、アンマの家に寄ってくれ。
 すぐ、くるように、だ」

「ええ、すぐ、くるようにいいますから」

妻は出て行った。 

 
銀次の運命はここで変わったのだ。

アンマがすぐ、来ることを期待していた銀次は
全身のだるさから、ふとんから出ることなく、
部屋の内鍵をかけておかなかったのである。

あれほど、用心深く、細心にいつも自分で何度も
部屋の施錠を点検していた銀次にとっては
まさに、一生の不覚となってしまう。

銀次の妻がアパートを出ていくのとすれ違うようにして
二人の暗殺者が無言で銀次の部屋に入っていった。

まもなく銀次の部屋から四発の銃声が聞こえた。

夜桜銀次こと、
平尾国人は血の海となったベッドの上で息絶えていた。

銃弾はレバノンスピル社製の45口径弾で
至近距離から発射されていた。

銀次は大口径弾によって
左顎、喉、胸をえぐられていた。

粉砕された左ひじの下の枕の下には
愛用のコルトが、安全装置がかけられたまま
のぞいていた。
【95】

夜桜銀次・伝  評価

野歩the犬 (2014年04月10日 17時05分)

【放 蕩】

夜桜銀次が九州へ舞い戻ったのは
「金づる」を持っていたからであった。

銀次はかつて福岡県嘉穂郡二瀬町の炭鉱経営者、
松岡福利に七千万円の融資の口を利いてやったことがあった。

融資先の銀行応接室で支店長と向かい合った
銀次の背広には「山菱」の代紋がきらめいていた。

ゆったりとした口調で融資の話を切り出すと、
組んだ足のズボンのすそ、を指先でたくった。

くるぶしから「夜桜」の彫り物がのぞく。

汗をぬぐいながら、
支店長は融資の書類にハンコをついた。

松岡から融資額の一割、
七百万円を受け取っていた銀次は
九州に戻るや、たびたび、松岡の許を訪ね、
そのたびに二十万、三十万と金をせびりとった。

銀次は福岡市博多区祇園町のアパート三階の一室を
借り、その夜から酒と女とバクチに明け暮れた。

密林の猛獣のように夜行性で凶暴で、
用心深い銀次は、昼間はアパートに逼塞し
街にネオンが灯るとふらりと外へでかけていった。

福岡入りして一月もたたないうちに銀次は
地元の反山口組系が開く賭場に現れ
因縁をつけ、賭場の責任者を殴打したうえ、
二丁拳銃で威嚇射撃した。

背広の襟に光る「山菱」の代紋。

地元ヤクザにとって
銀次は神戸・山口組の鉄砲玉として映った。

銀次を殺れば、
山口組はそれを口実に九州に進攻してくるであろう。

銀次の動向を九州のヤクザたちは注意深く
見張っていた。
【94】

夜桜銀次・伝  評価

野歩the犬 (2014年04月09日 17時12分)

【殲 滅〜後編】

警察との交渉が終わったのは午前五時直前だった。

時計の針が五時を告げると加茂田重政は
「解散!」と叫んだ。

これがブロックサインであった。

襲撃隊は四班に分かれて
警戒線の内側で分散配置されていた。

第一次襲撃隊、十二人が車五台に分乗してスタートした。

この十二人は丸腰だった。
下手に武器を懐にしのばせていようものなら
どこで、警戒網にひっかかるかわからない。

彼らはミナミのキャバレー「キング」の飯場に寄り、
武器を補給した。

時間差でスタートした二次、三次、四次襲撃隊も
あちこちで武装すると
有楽荘へフルスピードで突っ走った。

午前六時。

木造二階建てアパート「有楽荘」に到着したのは
五人だった。

鍵穴に拳銃が撃ち込まれ、
抜刀した二人が室内になだれこんだ。

狭い四畳半一間の室内には
明友会の五人がひそんでいた。

逃げ場を失ってひしめきあう真っ只中に
斬りこみ隊の白刃がうなりをあげた。

芋刺しにされた男たちの鮮血は天井板を染め、
ふとんも畳も血の海となった。

一人が窓枠に足をかけて踏み出そうとした。

「逃がさん!」

拳銃が火を噴き、
拝み斬りに日本刀がうちおろされた。

襲撃はわずか三分たらずで終わった。

「引け!みんなバラバラになって引き揚げろ!」

目指す宗福泰、韓建造の二人の姿は
発見できなかったが、この電撃的な襲撃は
明友会の息の根を止めるに十分な効果があった。

八月二十三日、
大阪で孤立無援となった明友会会長・姜昌興は
夜桜銀次の兄貴分である別府・石井組に窓口を求め、
改めて山口組若頭・地道行雄に全面降伏を申し入れた。

「青い城事件」発生から二週間で明友会は壊滅した。

姜昌興会長以下、明友会最高幹部七人は
有馬温泉・御所坊旅館の会場に桐箱を持って訪れた。

箱の中には七人の小指の第一関節から切断した
断指を入れた七個のガラスびんが入っていた。

山口組は明友会を全面降伏に追い込み、
ついに大阪を制圧した。

しかし、この事件での山口組系組織の逮捕者は
加茂田重政以下、百二十人。

最高刑十二年、服役年数は延べ、
計二百年以上となる出血をともなった。

石井組からの客分として
戦闘に参加していた夜桜銀次は
殺人未遂で指名手配を受けた。

この世界では、戦闘に参加した客分は
安全に逃がしてやる責任がある。

昭和三十六年十月

銀次は福岡市の山口組舎弟、
伊豆健児の許に預けられた。
【93】

夜桜銀次・伝  評価

野歩the犬 (2014年04月10日 12時57分)

【殲 滅〜前編】

姜昌興は配下の説得さえできず、
自ら和睦の機会を放棄せざるを得なかった。

八月十八日、
それまで完全に姿を消していた明友会の組員たちが続々とミナミに集結した。

「このシマはわいらのもんや」

明友会の本拠、キャバレー「ユニバース」の前で彼らは怒号をあげた。

夜桜銀次ら襲撃班が警察の追及をうけている間隙をついて反転攻勢にでようという算段であった。

これに立ち上がったのが西成区の
山口組直系・加茂田組だった。

加茂田組の本拠は神戸であったが
「明友会逆襲」の報に組長・加茂田重政は
数十人の組員を引き連れ、大阪に乗り込んだ。

西成区に情報網を張り巡らしていた加茂田組は
大阪入りするや、数日で明友会幹部、
宗福泰、韓建造のアジトを割り出した。

この二人こそ「青い城事件」の現場にいた張本人であり、西成区でにらみ合っている
加茂田組としては、ふだんからの仇敵であった。

加茂田重政は二人のアジト、
東大阪市布施のアパート「有楽荘」襲撃を即断した。

二十日午前二時

事態が急迫していることを察知した西成署は
加茂田組事務所周辺に非常線を張り、包囲した。

午前四時

西成署は加茂田組に対し解散命令を出し
「集結を続けると凶器準備集合罪を適用する」と通告してきた。

「親分、これではどうしようもないやないか」

早く襲撃をかけないとせっかく突き止めた明友会幹部が逃走する怖れもある。

加茂田重政は意を決した。

「わしが加茂田や。ケンカの態勢は解こう。
だからそっちも警戒を解いてもらいたい」

時刻はすでに四時半を回っていた。

真夏の空は白々と明け染めていた。
【92】

夜桜銀次・伝  評価

野歩the犬 (2014年04月07日 17時11分)

【人間狩り】

明友会襲撃班は鎖を解き放たれた猟犬のように、一斉に街へ飛び出していった。

千日前。道頓堀。

大劇裏。河原町。

明友会の出入りしていたところはもちろん、
大阪市内、いたるところに眼を光らせて歩いた。

明友会側も事前に情報をキャッチしいたとみえ、
いちはやく盛り場から姿を消している。

襲撃班は一般の民家や路地裏もくまなく探索した。

朝鮮人らしい男とみれば、
通行人だろうが構わずいきなり取り囲み、
ワイシャツを引き破る。

胸や背中に生首やドクロの刺青があれば、
明友会の証しだ。

刺青があれば「幹部はどこや!」と
耳や鼻をそぐ、凄絶なリンチを仕掛ける。
抵抗すればドスが脇腹を切り裂いた。

友誼団体から続々と集まってくる情報をもとに
襲撃班は西に東に飛び回った。

明友会幹部のアジトは容赦なく襲撃された。

八月十三日早朝、明友会幹部、潜伏先の情報がもたらされた。

中川組組員と夜桜銀次が西成区のアパートへ飛んだ。

「出てこい!」

中川組組員が拳銃を入り口に構え、
部屋の前で怒鳴った。

返事がない。

ドアは鍵がかけられ、
部屋の中にはバリケードが築かれていた。

体当たりしたぐらいではドアは開きそうもない。

「手をかけんから、出てこい!」

「出ていったらハチの巣やろ」

初めて、部屋の中からわめき声がした。

「出てこんのか!」

「・・・・・・・」

「そんなら、出るようにしてやるで!」

中川組組員は侵入を強行しようとドアの鍵穴に
銃口を向けて、一発撃ちこんだ。

破壊した鍵穴から内部を覗こうとした瞬間、
「バーン」と音がしてドアの上部のすりガラスが破られ、そこからヌッと竹ぼうきの柄が突き出された。

一瞬、猟銃の銃身に見えた中川組組員が身を伏せると、
夜桜銀次がほうきの柄をつかんで抜き取り、
破れた窓から二、三発室内にむけて
威嚇発砲した。

とたんに室内が騒然として窓側から激しい物音がした。

「裏の班に連絡しろ!」

アパート裏に待機していた別の一班がすかさず包囲する

銀次は中川組組員の肩に足をかけ、
高窓から室内の様子をさぐった。

逃げ遅れた男が一人、
ドアの内側にピタリとへばりついている。
パジャマ姿で、肩で息をしていた。

窓が高いので相手からは死角になっている。

銀次はその破れ窓からコルト38口径を差し込むと
間髪入れず二発の弾丸を撃ちこんだ。

「ギャッ!」という悲鳴とともに
ドタリと鈍く倒れこむ音が聞こえた。

襲撃班が行動を開始してわずか四日目。

明友会会長・姜昌興は山口組直系、柳川組に
「身柄の保護を条件に全面的に謝罪したい」と申し入れしてきた。

山口組・地道行雄はこの時期を待っていた。

「よし、わかった。詫びを入れるというなら至急、神戸へ連れてこい。
 話のつごうによっては他の者には指一本ふれさせぬよう、身柄は保証しよう。
 若頭の職責にかけても、わいが話をつけてやる」

解決の機運は高まったかにみえた。

しかし、追い込まれた明友会では、
すでに姜昌興一人の力では抑えがきかなくなっていた。

一部の幹部が猛然と反発した。

「そら、全面降伏やないか。
 なんぼ、会長の言葉とはいえ、
 わいらは承服できまへんで。
 殺された連中はどうなりますねん」

 「そうや、明友会はまだ、潰されてはおらんのや」

配下は続々と立ち上がり徹底抗戦を主張した。

姜昌興は肩を落し、困惑しきった。

そこには配下、千人の大部隊を率いて大阪を制圧していた栄光の面影はなかった。
【91】

夜桜銀次・伝  評価

野歩the犬 (2014年04月07日 01時04分)

【宣戦布告】

明友会会長姜昌興は、配下の若者が暴発して起こした「青い城事件」に苦りきっていた。

姜は全国の地方で展開されている山口組の行動力を熟知していた。

「ひとたび、三代目、田岡一雄の号令が下れば、山口組は疾風迅雷の戦争を仕掛けてくる」

姜昌興はただちに仲裁人を通じ、中川組に対し謝罪を申し入れた。

「明友会が誠意をみせるというなら、話に乗ってもよい」

中川猪三郎の答えで事態は収拾に向かうと思われた。

八月十一日、仲裁人・諏訪組組長、諏訪健治は中川組事務所を訪ねた。

応対したのは中川組幹部・市川芳正である。

まず、諏訪が口をきった。

「すでに明友会の意向はお宅の組長にも伝えてある。どや、ここはひとつ
 仲裁をわしに任せてくれんか」

悠長な物言いに市川が硬い口調で答えた。

「明友会がうちに謝罪をしたいそうですが、諏訪さん、それはどういう謝罪ですか」

謝罪といってもヤクザの社会ではいろんな方法がある。
口頭での詫びか指を詰めるのか、いったいどうなのだ、という反問である。

諏訪は一瞬、たじろいだがすぐに平静を装って言った。

「明友会会長が頭を下げて中川組に謝罪するということだ」

「それだけの謝罪で?」

「じゃあ、どうしろというんだ」

諏訪は気色ばんだ。

市川がひざを乗り出した。

「諏訪さん、あんたはなんら謝罪の方法も講じないでこの仲裁を引き受けてきたのか」

頭を下げられてすむことなら、中川組はそれでもいい。
しかし、山口組本家に対する中川組の面目はどうしてくれるのだ、
という言外の含みがある。

「なんやと!」

同席していた諏訪の若者がいきりたって叫んだ

「そんなにこの仲裁が不服ならその場で相手をやってしまえばよかったやないか!」

市川は諏訪の若者を睨みつけて一喝した

「三ン下!お前の出る幕やないわい!」

「諏訪さん、この返事は改めていたします。お引取りください」

仲裁を蹴った中川組は明友会に対し事実上の宣戦布告をした。

こうなった以上、在阪の山口組友誼団体はもはや、
黙ってみているわけにはいかなくなった。

その夜、南区「山水苑旅館」二階の大部屋で戦闘部隊が密かに結成された。

ヤクザ抗争史上で名高い明友会襲撃部隊。
それは巧妙な采配のもとに仕組まれた恐るべき戦闘班であった。

構成人員は約四十人。中川組と富士会を核弾頭として
一班、三〜四人からなる混成襲撃班が十数組、編成された。

各班はいずれも初対面同士、名も知らぬ者同士が組み合わされた。
こうしておけば、たとえ誰かが検挙されたとしても、共犯は曖昧模糊となる

「ええか!明友会のやつらは一人残らず生かしておくな!
特に会長の姜昌興、幹部の宗福泰、韓建造は草の根を分けても捜しだせ!」

壁に貼られた三人の顔写真をうっすらと笑みを浮かべて見つめる男がいた。

「チャンギ」と呼ばれた男・・・あの、夜桜銀次であった。
【90】

★☆〜ブレイクタイム〜☆★  評価

野歩the犬 (2014年04月07日 00時50分)


おお!  こりゃ意外なお客さま
 
 虹ん子ちゃんではねーの!


   見事な「夜桜」のAAありがとう

          ございます♪


  リアルISOにて、今年はとうとう、
       花見もいけなんだ。


  つーかさ。こっちは咲いたと思ったら

    すーぐ、寒さがもどって雨風強くなり

    あっというまに散った気がするんだけど。


  今夜は虹ちゃんのAA見ながら

        寝酒を一杯あおるとします

  のほ
【89】

夜桜  評価

虹ん子 (2014年04月06日 22時54分)




 +     ゜  . +            . . .゜ .゜。゜ 。 ,゜.。゜. ゜.
   . .   ゜  . o    ゜  。  .  , . .o 。 * .゜ + 。☆ ゜。。.
             .  。          。  *。,   。. o ゜, 。*,
  ゜  o   .  。   .  .   ,  . , o 。゜. ,゜ 。 + 。 。
 ゜ ,   , 。 .   +     ゜   。  。゜ . ゜。, ☆ * 。゜. o.゜
    (⌒)                . 。 ゜  ゜ , 。. o 。 。 . 。 .
   (⌒※⌒)   (⌒)        。  . .゜o 。   . 。 .. ☆ . 
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  (⌒※ (⌒※⌒) )(⌒※⌒)  (ヾゞYノ       ゞヾゞヾソ
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\\(⌒(⌒※⌒)⌒)WfjwvrwfywWwwfvv|i| wvvVwfjwy wWvyrjfwWwwyWjrf/iili ノiliWfwjWf从从从
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幹事長〜〜〜、執筆、お疲れさま☆



執筆途中にお邪魔かもしれませんが、挿絵の差し入れに来ました〜(・∀・)


続きを楽しみにしています!



ミッツさんはお元気でしょうか。幹事長もISO全開と思いますが、ご自愛のほどを。



それでは失礼いたします♪


 
【88】

夜桜銀次・伝  評価

野歩the犬 (2014年04月04日 17時14分)

【戦争の構図】

駐車場に車を入れ「青い城」の店内に入った田岡一雄の秘書・織田譲二は、一瞬にして
色を失った。

織田はたまたま、客として来ていた顔見知りに
「うちの親分を頼む」と叫ぶや争いの渦に飛び込んだ。

とにかく、こいつらを連れ出さねばならない。

衣服をズタズタにされながら、織田は明友会の連中を店の外へと押しまくった。

五分後、騒ぎを聞きつけた山口組系の若衆が助っ人に駆けつけてきた。
ほとんど同じく、五台のパトカーが「青い城」に到着した。

けたたましいサイレン音に、一瞬、両者の争いはとまった。

すかさず、織田は田岡一雄と田端義雄を店外へ連れ出し、近くの料亭へ待避させた。
現場にいた明友会、山口組の応援部隊は警察によって一斉検挙された。

「青い城事件」はその夜のうちに山口組系列組織に衝撃として伝播した。

とくに組長・中川猪三郎が明友会の連中に殴打された中川組では組員たちがいきりたった。

中川組に事件の第一報が入ったのは午前一時ごろであった。

当直の組員が駆けつけると、中川猪三郎は「青い城」からキャバレー「キング」に運ばれ
濡れタオルを額にあてソファに体を横たえ、うめき声をあげていた。

「―――親分!」

組員たちは無念の表情でこぶしをふるわせた。

このままでは、中川組はヤクザ社会の笑いものになる。
深夜から早朝にかけて「キング」には在阪の山口組系団体が続々と見舞いに参集してきた。

中川組同様、怒り心頭だったのは開店祝いに三代目・田岡らを招いた富士会だった。

「明友会撃つべし!」

両派幹部の意思は決定した。

これに対し他の在阪支援団体は山口組の出方を待っていた。

当時の山口組若衆頭は地道行雄であった。

地道は三代目・田岡一雄から全幅の信頼を寄せられていた。

数々の抗争の指揮をとり、その都度、精鋭の戦闘部隊で地方を征圧
山口組の全国制覇を着々と進める策謀家でもあった。

「青い城事件」の翌日、田岡一雄は横浜で開催される全国港湾振興会議に出席するため
上京したが、その際、地道に対し「あまり、ことを荒立てぬように」と言い残していた。

地道には三代目の深謀が読めていた。

明友会はいまだ、山口組が制圧していない大阪にあっては脅威の暴力団であった。

明友会は昭和二十八年、在日朝鮮人の居住区であった鶴橋の国際マーケットを根城に
結成された。

首領は甲山五郎こと姜昌興。彼らは次第に勢力を拡大し、
昭和三十二年には大阪一の歓楽街、ミナミにその凶暴な姿を見せ始めた。

姜昌興の直系の部下は六十人ほどだったが、三十五年には群小愚連隊を吸収して
「明友連合会」を組織。
在日ヤクザとして配下、千人の大部隊となった。
彼らはドクロや生首の異様な刺青をした胸をはだけ、
ミナミの歓楽街を我が物顔でのし歩いた。

山口組も大阪には直系の中川組、富士会、柳川組、安原会、
加茂田組など二千人を擁していたが、ことミナミに関しては明友会の勢力が優勢であった。

明友会は特にキタから進出してきた富士会、柳川組に対抗意識を燃やしていた。
「青い城事件」は偶発的とはいえ、こうした背景が引き金となっていた。

山口組の地道行雄は柳川組・柳川次郎組長に
「今回の事件には深入りするな」とクギを刺した。

正面衝突を避け、明友会が早く詫びを入れてくるのを待つということで
和解の時期を模索していた。

端的にいうと直接行動は中川組と富士会にメンツをもたせて戦わせ
本家・山口組は機会をみて、有利な和解に乗り出そうという、
いかにも策士・地道らしい作戦だった。
【87】

夜桜銀次・伝  評価

野歩the犬 (2014年04月03日 22時14分)

【青い城事件】

昭和三十四年、別府抗争による殺人未遂で指名手配を受けていた
夜桜銀次は石井一郎の兄弟分である
山口組、山本健一預かりの「客分」として神戸に流れてきた。

ヤクザとしては珍しく妻と幼い娘を連れての「凶状旅」であった。

銀次は妻子を神戸市内のアパートに居住させ、
大阪の賭場へ遊びに出かける毎日を過ごしていた。

山口組の組員は銀次のことを「銀ちゃん」を転倒させ「チャンギ」と呼んだ。

銀次は賭場に出かけても関西バクチの「手本引」の張り方が分からず
よく、負けた。負けると、自分がタビの者でカモにされていると思い込み
賭場の貸元に「金を貸せ」と要求し、断られるといきなり、二丁拳銃を発射
「賭場荒らし」の評判が立っていた。

そんな銀次を待ちかねていたように、大阪で山口組抗争史に残る一大事件が勃発する。

昭和三十五年八月、大阪。
山口組三代目・田岡一雄は歌手の田端義雄を伴って
友誼団体・富士会が経営するキャバレーの開店祝いに顔を出した。
日付も変わろうとしていたころ、田岡は田端義雄をねぎらうべく
「みんなで、めしでも食おうか」と誘った。
深夜でもあり、一般の飲食店は閉店時刻をまわっていた。

「ミナミのサパークラブにしよか」。

田岡ら一行は二台の車に分乗してミナミの「青い城」へとむかった。

深夜にもかかわらず、店内はにぎわっていた。
田岡らが入り口でためらっていると、支配人が最前列に席を作って案内した。

入り口付近では気づかなかったが、奥へと進むと店内の異様な空気が伝わってきた。
そこには地元「明友会」幹部六、七人が声高に騒がしく飲み
周囲のひんしゅくを買っていたのだった。

彼らは「青い城」に十時ごろからやって来て、大騒ぎをしていた。
「他の客の迷惑になる」と店側が南署に連絡して刑事四人がきたが、
結局、騒がしいだけで事件として連行するほどの理由もなく、
注意して引き揚げた直後だった。

田岡一雄、舎弟の中川組組長・中川猪三郎、田端義雄の三人が席に着くや
明友会の連中は不敵な笑みを浮かべてテーブルに近寄ってきた。

明らかに喧嘩を売る顔つきであった。

「よう、バタやん(田端義雄)やないか。一曲、歌ってくれんか」

「わいら、バタやんのファンや。どや、歌ってくれへんか」

ねっとりと絡む口調である。

中川がとりなすように仲に割って入った

「田端はんは、今夜は遊びにきてはるんや。勘弁してやってくれんか。な」

「引っ込んどれい!」
中川はいきなり、明友会の一人によって弾き飛ばされた。

「引っ込んでろ、とはなんや!おまえら、誰にものいうとるんや!
 こちらのお方は山口組の・・・」
語気鋭い中川の返事をみなまで聞かず、明友会の連中はわめきたてた

「田端がなんや!山口組がなんぼのもんじゃ!」

興奮した明友会の連中はいきなり中川の顔面を殴りつけ、強烈な頭突きをくらわせた。

店内は騒然となった。

山口組・三代目、田岡一雄は素早く田端義雄を背中にかばい、
大手を広げて立ちふさがった。
【86】

夜桜銀次・伝  評価

野歩the犬 (2014年04月02日 17時23分)

【別府抗争】

夜桜銀次こと本名、平尾国人は昭和四年(一九二九年)  大分県庄内町に生まれた。

昭和二十七年、二十三歳にして、別府・石井組の石井一郎の舎弟となる。

石井は元々、「山川」姓の在日朝鮮人である。

夜桜銀次の素性や、極道の世界に足を踏み入れた経過については不明である。

銀次の名前がその世界で知れ渡ったのは昭和三十二年の「別府抗争」であった。

まず「別府抗争」に至る経過を説明しておこう。

戦前〜終戦直後まで、永く別府に君臨していたのは
井田栄作を組長とする井田組であった。

井田は観光温泉地・別府で興行によって財を成し、別府露天商組合理事長
大分県興行組合理事長を経て、別府商工会議所議員、さらには別府市議会議員となった。

いわば、別府の裏の首領(ドン)であった。

別府は関西汽船による神戸や四国・松山、八幡浜、宇和島などの
瀬戸内海航路の起点でもあった。

戦後まもなく神戸・小西豊勝はこの航路船内で船員、乗客を相手に賭場を開き
勢力を伸ばし、別府に上陸、小西組を結成した。

昭和二十四年十一月、小西組の特攻隊四人は井田栄作を襲撃、重傷を負わせた。

小西組が別府の覇権を奪ったかにみえた矢先、当時の団体等規制令の適用にあい
一時、神戸への撤退を余儀なくされる。

しかし、昭和二十七年、小西組特攻隊の一人だった石井一郎が出所すると
石井は九州のテキヤの頭領であった村上義一の盃を受け石井組を結成。

再度、別府の覇権を奪うべく、井田組に挑戦した。

大分県内の愚連隊を糾合した石井組は昭和三十一年夏、
それまで井田組が独占してきた興行界に介入、
大相撲・玉の海一行の地方巡業の勧進元を引き受けた。

翌、昭和三十二年、別府温泉観光産業博覧会の興行権を巡り
市議・井田栄作率いる井田組と石井組は全面戦争に突入する。

先制の一撃は井田組から放たれた。

二月二十七日、井田組の刺客が石井一郎を拳銃で襲撃、重傷を負わせる。
石井組は直ちに報復を開始、この襲撃事件に関与した市議・堀泰二郎を刺殺した。

この襲撃隊に加わっていたのが、夜桜銀次であった。

四月八日早朝、石井組組員十六人が井田組長宅を強襲、
井田は事前に情報をキャッチし不在であったが、
石井組組員は拳銃、猟銃を乱射した。

別府市内には石井、井田両陣営を応援するヤクザが三百人近く集結
市内のあちこちで、流血の衝突を繰り返し、市民を震え上がらせた。


四日後、別府署に保護を願い出た井田栄作は市議会議員等の公職全てを辞任。

ここに井田組王国であった別府は石井一郎の手に簒奪される。

ちなみに、この「別府抗争」をきっかけとして刑法に「凶器準備集合罪」が追加された。
この抗争以前にヤクザの動員集結を取り締まる条文はなかった。

「別府抗争」がいかに血で血を洗う激しいものであったかが、想像できる。

昭和三十三年、石井一郎は三十二歳の若さで
神戸・山口組の田岡一雄から直(じき)盃を受け舎弟となる。

全国制覇を目論む山口組は九州への橋頭堡をつかんだ。
【85】

夜桜銀次・伝  評価

野歩the犬 (2014年04月01日 22時27分)

拳銃(チャカ)で通れば

       拳銃(チャカ)で死ぬ ―――


 
   あいつの名はたしか・・・・

            ・・・・夜桜銀次


【プロローグ】


玄界灘を渡る風は冷たい。

九州・博多に冬の訪れを告げる北風は
舗道に枯れ葉をまき、路地裏へと吹き寄せる。

昭和三十六年
(一九六一年) 十一月。

一人の若い殺し屋が夜ごと、
歓楽街・中洲の路地をさすらっていた。

身長一七〇センチ
長めの五分刈り
青白い頬。あごのラインが剃刀のように尖っていた。

通り名を「夜桜銀次」という。

手首から背中、足首に至る全身を
「夜桜」の彫り物で飾り
黒のスーツにトレンチコートの襟を立て
路地裏のバーのドアを開ける。

必ず入り口に面したカウンターの奥に用心深く腰をおろす。

蓮っ葉な女が近づいてくる。

それを撥ね付けるように、刺すような一瞥で女を立ち去らせ
黙って「ウィンストン」をくわえる。
差し出されたライターの火にも反応せず、
一人ゆっくりと紫煙をくゆらせる。

バーテンにジョニ赤の瓶を封印のまま、運ばせ
最初の一杯を一気にあおる。

咽喉を焼くアルコールの痛みに、ちょっと顔をしかめ
それが銀次の男っぷりを、一層引き立てた。

女とだべったり、抱き寄せたりすることはおろか
笑顔さえも見せない。

いつもカウンターの片隅で、死に神のように
ウイスキーグラスの琥珀色を見つめ、
ものの、三十分と座ってはいなかった。

黙って立ち上がると、ピンと真新しい一万円札を無造作に置いて
釣り銭も受け取らずに立ち去った。

「だれね、いまん、客」

「よう、わからんとよ。ばってん、あたい、あん男に惚れたばい」

「あたしも一回で、よかぁ。あげん男にしてほしかぁ」

金は切れる。男前もいい。
硬質で無口なところが、かえって頼りがいがありそうに見える。

銀次はたちまちにして、中洲の蝶たちの噂となる。

十日もたたぬうちに銀次は自分のアパートに二人の女を交替で通わせた。

夜はネオン街を飲み歩き、
払暁から夕方にかけて、銀次は鍵をかけたアパートにこもったまま
女を抱いていた。

情事の間も銀次は愛用のコルト38口径を枕の下にひそませ
決して自分からは熱い坩堝にとびこむことはなかった。

いつも冷酷なほど冴えた眼で女を見つめ
周囲の物音に鋭く耳をとがらせながら、女の肌をいたぶる。

銀次の全身を彩る夜桜の彫り物が、女をより放縦にさせた。

不機嫌なときは容赦なく女の横っつらを張り、
欲しいときは、いきなり衣服を引き裂くように丸裸にして転がした。

全身の夜桜に象徴される粟立つ戦慄が、いつか快楽のうめきとなって
女はすれかわっていくのだった。
【84】

隠語学  評価

野歩the犬 (2014年03月24日 16時29分)

「隠語」とは、一般社会の人たちに内部事情をのぞかれると困る
非合法な業界に生きる者たちが集団の存続と安全を守る目的で
外部の社会との間に言葉の障壁を作り、
集団内相互の情報、取引をスムーズにさせるために生み出した。

従って、隠語はその成り立ちから
博徒やテキヤが多く使用してきた。

こうした隠語は、その発生の起源については、ほとんど不明であり
日常語を逆さまにした「転倒語」をはじめ、文字から派生した「分解語」
「変読」「連想」などに分類され、中には全く意味不明のものもある。

また「パクル⇒盗む、捕まる」「バラス⇒漏らす、殺す」
「ズラカル⇒逃げる、遁走することから、トンズラ」などのように、
すでに一般人の日常用語として浸透しているものや
「ヤバイ⇒危ない」などのように、本来は「隠語」であったものが
現在では「広辞苑」に掲載され
さらに「やばくない?」というように
若い世代が全く別の意味として、流用しているものもある。

今回はこうした「隠語」について、まとめてみた。

■転倒語

ビタ(旅)   ナシ(品)  ショバ(場所)  ズキサカ(盃)  チャクトウ(到着)
ルビー(ビール)  メンチョウ(帳面、ノート)  ジク(くじ、抽選) ギサ(詐欺)
ワデン(でんわ)  セイガク(学生)  シャゲイ(芸者) ブンシン(新聞)
モンタン(反物、呉服)  ワユビ(ゆびわ)  ドヤ(宿)  ネタ(材料、種)
スリク(薬) ジョキン(近所) バコト(言葉) チマ(街)

<転倒からの派生語>

ヤサ(刀が鞘に収まることの転倒〜人間もねぐらに戻る⇒住居、隠れ家)

キス(好き〜好物)⇒酒⇒キスグレ(泥酔)
キスバ⇒酒場

※ヒーコー、シーメーなど、
テレビ業界人の多くがこの転倒語でお遊びをしているのはご承知の通り。


■省略語

バイ(商売)  サツ(警察)  ナシ(話)  ダチ(友達、仲間)  リツ(法律)
ガサ(さがす〜さが〜転倒して「がさ」と省略⇒家宅捜索)
カマル(捕まる)

■変読語

シャ   (者  被害者⇒ガイシャ)   
ガン   (眼 ⇒ガンつけ)  ガンスイ(涙)
マエ   (前 ⇒前科)

■分解語

ロハ    (タダ⇒只の字を上下に分解)
ヤギ    (八木⇒米)
グニヤ   (質屋⇒七を分解して五と二、グとニに変節)
スイチョウ (酒⇒水鳥から酉になりサンズイをつけて酒)


■形容語

トロ    (油)
ナガバコ  (長箱⇒汽車)
アカ    (血、太陽、火〜アカウマ⇒放火)
ザンブハ  (銭湯)
モク    (タバコ)
アオバレ  (晴天)
スイバレ  (雨天)
ハクスイ    (雪)
マルテキ  (貨幣)
アオタモノ (野菜)
ブルを噛む (怖がる、驚く)

シャリ   (仏教用語の梵語「舎利→お釈迦様の骨→尊い五穀」⇒めし〜銀シャリが白米、長シャリがうどん、角シャリは餅)
【83】

隠語学  評価

野歩the犬 (2014年03月24日 16時29分)

【博徒、極道隠語】
 
ヤッパ、ドス   (刃物、ヤッパは主に匕首、ドスは日本刀)
ゴロ       (喧嘩、ヤーゴロ⇒刃傷、ステゴロ⇒素手の殴り合い)
チャカ      (弾倉の回転する音から⇒拳銃、主に関西用語)
ハジキ      (引き金を引くことから⇒拳銃、主に関東用語)
レンコン     (弾倉の形状から   ⇒拳銃)
ギョク、マメ   (弾丸)
カスリ      (かすりとることから ⇒上納金)
ミカジメ     (仕切り、監督)
エンコ      (手、指)
イロ       (情婦)
道場         (賭場)
テラ       (賭場の揚がり)
ガセ       (別人、偽者)     
ヨセバ      (江戸時代の刑場が人足寄場と呼ばれたことから)
ツトメ      (服役)
オトシマエ    (解決、決着)
シケ       (失敗〜シケコム⇒失敗して逃げる)
ヒク       (酒などを呑む⇒キスヒク)
アヤをつける   (因縁をつける)
ハイダシ     (恐喝、ゆすり)
金筋       (筋金入りの極道もの)
コマス      (だます、口説く〜スケコマシ⇒女たらし)
タレコミ     (密告)
シケ張り     (見張り)
バシタ      (女房)
ポン友      (朋友の中国語読み〜親友)
ヒザクラ     (警察)
マッポ      (巡査)
オヤヒネ     (警察署長)
チョットコイ   (拘留20日)
カリムシ     (留置所)
蒸される     (留置される)
ウタウ      (自供する)
団子食うとる   (金品をとる、賄賂を要求する刑事)
枕を買わせる   (客に胴元の資金を出させ、テラの配分もあると匂わせ
         勝負で殺してしまい、差し引き、持ち出しにさせる)
【82】

隠語学  評価

野歩the犬 (2014年03月24日 16時30分)

【興行・テキヤ隠語】

コロビ       (露店)
荷物        (芸人)
ノリ        (汽車賃、足代)
ビラ        (宣伝)
ハナ        (祝儀)
ネット       (出演料)
チョーフ      (配分)
フケ        (不況)
トモ        (原価)
ナキ        (愚痴)
イレコミ      (開場)     バレ    (終演)
ヒン        (銭)
オシン       (給金)
トヤ        (休日)
タカマチ      (祭日)
ヨウラン      (洋服)
マンゴロウ     (吸殻)
テッカリ      (マッチ、電燈)
カケアイ      (契約)
先乗り       (下見、宿の部屋割り)
木戸をつく     (拒絶する)
トッポイ      (大きい、広い)
ハクイ       (感じいい、ウケがいい)
トントン      (ごまかす)
テラス       (さばく)
タロウ       (田舎者)




面白い隠語をご存知の方、お知らせください。
順次、追加いたします♪
【81】

やくざ学  評価

野歩the犬 (2014年03月14日 22時01分)

大西政寛のことを、後年、母のすずよ、は
「立派な極道を持って、誇りに思うちょります」
と、語っていたという。

一般的に「極道=やくざ」であるが、私は
大西のように自己破滅していった男には
「アウトロー」といった呼び名を贈りたい。

しかし、アウトローたちが組織化してゆけば、
現代では「暴力団」扱いとなる。


そもそも「やくざ」の定義とは何ぞや?となる。

「やくざ」は数字の「八」「九」「三」を足すとちょうど「二十」
つまり、花札博打でいうところの「ブタ役」いわゆる「ドボン」となることから
「まともな稼業が出来ない人間のクズ」を指している。

簡単にいうと博打で飯を食っている「博徒」のことだ。

戦後、警察からひとくくりに「暴力団」として呼ばれている大概の
「○○組(会)」「●●一家」などは戦前からの博徒の組か、テキヤ=香具師(やし)の
いずれかに辿り着く。


やくざ、の始祖は幡随院 長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)
というのが定説になっている。

十六世紀、室町幕府の衰退によって世は群雄割拠の戦国時代となる。
あっちでドンパチ、こっちでドンパチ
本能寺の変など「仁義なき戦い」の元祖といえる。
秀吉亡きあと、満を持していた家康の登場で戦国時代は終わる。

それまで戦場を疾駆してきた武士たちも官僚に転進せねばならない。
剣の時代は去り、法律とそろばんの時代がやってきたのだ。

この時代にあぶれたのが徳川譜代の臣である旗本と諸国浪人である。
豊臣方の落ち武者、宮本武蔵はもちろん、
徳川家の戦闘部隊として強兵ぶりを誇った旗本も大半は邪魔者扱いとなった。

安い禄に甘んじて無為徒食の道に追い込まれてしまう。
主家を失った浪人に至ってはいっそう、惨めである。
自暴自棄になった一部の旗本は新興都市・江戸で乱暴狼藉を働き
「旗本奴」を名乗った。

「将軍(うえさま)をとりまく老臣どもは大名に機嫌をとられ、
武士(もののふ)の心をわすれておる」

彼らの欲求不満は異装束となった。
月代(さかやき⇒ちょんまげの地肌)を剃らず、蓬髪となった。
髭で顔を埋め、浅黄木綿に派手な動物の絵を染め抜いた
小袖の上に真紅の袴を着けるという異様ないでたちで、街を練り歩いた。

これが後に「彫り物」の原点と観るむきもある。

ちなみにやくざの世界では
褒め言葉としての「刺青」(いれずみ)
という表現は使わない。
「刺青」は刑罰の一種であるから、
誉めるときは「いい傷ですねぇ♪」という。

「旗本奴」は刀の柄に白いシュロを巻きつけた
「白柄組」や「神宜組」などと名乗り
徒党を組み、うっぷん晴らしに町人をいじめ、
無理難題をふっかけ喧嘩を生き甲斐にした。

このあたりは終戦直後の不良三国人となんら、変わらない。

こうした「旗本奴」に対抗して
町人の保護を自ら買ってでたのが「町奴」である。

「強きをくじき、弱きを助ける」という任侠道精神はこれが原点である。
【80】

やくざ学  評価

野歩the犬 (2014年03月14日 22時08分)

その「町奴」の頭領が幡随院 長兵衛であった。

長兵衛は肥前・唐津(佐賀県)の浪人の子で本名は塚本伊太郎。
江戸・浅草で人夫口入れ業(土木工事の周旋)をしていた山脇惣左衛門の娘を女房として口入れ業を継いだ。
戦国時代の戦闘部隊として活躍した旗本も泰平の時代となると家来を飼うのも無駄となる。
しかし、幕府は江戸の土木工事に戦時の出兵と同じように
郎党を差し出すように旗本に命じた。
そこで長兵衛のような口入れ業が栄えたのであった。
別名「人足回し」という口入れ業は周旋手数料をとるだけでなく
人足たちを長屋に詰め込み、賄いをし、労働賃金のアタマをはね、博打を打たせて
「テラ銭」をとった。これが、博徒、つまり「やくざ」の始まりである。

では、なぜ博徒が江戸で力をつけたか。
日本では江戸・徳川三百年の鎖国時代に商品経済〜貨幣経済が発達したからである。
博徒は金が動き、人足などが集まる都市に発生した。
こうした江戸経済の落し子は各地に広がってゆく。
国定忠治を生んだ上州は蚕糸の生産地であり、
清水次郎長を生んだ駿河の名物はお茶であり清水港の廻船業が盛んだった。
つまり、地方でも貨幣経済を促進する名物があれば、博徒は必ず発生した。

幕末になると、いよいよ博徒の勢力は強くなった。
貨幣経済が発達してくると実質的な権力を握るのは商人である。
商人への富の集中は汚職政治を産み、領主の搾取によって全国で百姓一揆が広まった。
そうした悪政時代に博徒は着々と勢力を蓄えていった。
貨幣経済の発達は働かなくても食える人種を作り出したのである。

明治維新後、博打が厳しく取り締まれるようになってからしばらくは
博徒は自らを「無職渡世人(ぶしょくとせいにん)」と名乗った。

関東大震災〜世界恐慌を経て
世情が閉塞した昭和の初めになって
「俺たちゃ、しょせんヤクザもんだ」
と名乗りだした。

つまり「極道=ヤクザ」という言葉が普及したのはまだ、百年ほどに過ぎない。
【79】

やくざ学  評価

野歩the犬 (2014年03月14日 21時52分)

一方、神農道(テキヤ)の始祖は
大阪・夏の陣の前、豊臣方の浪人たちが
資金稼ぎに香具などを売って歩いたのが始まり、
と言われている。

それで香具師(やし)と呼ぶのだという。

やがて豊臣方の敗色が濃厚となると敗残兵たちは味方の刀、槍すらも収奪して売り歩いた。

こうした「野ぶせり」と呼ばれる人々の源は日本古来の「やまたか」と呼ばれる
移動民族か朝鮮半島の渡来人であった、という。

神農は「商い」を業としているのでその戒律は博徒より厳しい。
三戒律というのがある。
すなわち
「売(バイ)うるな」
「タレこむな」
「バシタとるな」である。

「売うるな」とは商品だけを仕入れて持ち逃げ、横流しを禁じるもの

「タレこむな」は仲間内のトラブルは官憲に訴えず、解決すること

「バシタとるな」はテキヤはしょっちゅう、タビして歩いているので他人の女房に手をだすな、という意味である。

この戒律があるため、盃事においても博徒より神農の方が重厚なものとなる。

「天照大神」「八幡大菩薩」「春日大明神」の三神の軸を飾り
伝来の日本刀などを相続するのは、儀式を宗教的に昇華させることにより
契りを深める、という狙いがあるが、現代ではテキヤは露天商組合という
堅気の正業であり、そうした神事を見ることはほとんどない。

博徒とテキヤの結びつきは主にテキヤが方々を旅して
各地の賭場に客として金を落してゆくことから、始まっている。

また、縁日や露店の縄張り争いではふだん、
肉体労働をしているテキヤの方が遥かに強かった。


終戦直後の闇市などの運営はテキヤが行い、
その治安を守るのが博徒として結びつきが強まり、
合併して現在の暴力団という組織化した例も少なくない。
【78】

やくざ学  評価

野歩the犬 (2014年03月17日 14時20分)

【明治時代の博徒一家構成】



 (貸元、代貸、出方の下だからこう呼ぶ)
                                ↓
貸元親分――代貸―――出方―――三下――――中番
           ↓          (二階席)
本出方                                       |
                      ↓                   梯子番
                     助出方        (鉄砲玉)
                                             |
                      下足番――木戸番
                       |
                                            客 引――客送
                       |
                                            見張り番

◆親分は客への挨拶程度で賭場にはほとんど顔を出さない

◆代貸は若い衆を引き連れて賭場を統括し、直接指揮をとる
 手入れなどの際の全ての責任者となる

◆出方は賭場の中盆をやる⇒本出方は手本引き、丁半
             助出方は
客が集まるまでのコイコイ、バッタ、アトサキなど
【77】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年03月14日 21時43分)

【予定地】
【76】

RE:仁義の墓場  評価

rosa♪ (2014年03月04日 21時27分)

☆野歩the犬さん

こんばんは^^



うちにお祝いにきて下さって、ありがとうございました^^

嬉しいサプラ〜イズでした♪




>さーせん・・・なんのことやら、こっちがさっぱり、わかりませぬ!


ああ、助かります^^;

OLGさんには1度(1回ではない)と臨時トピさんに1度お邪魔しました。

さぞ変な人だと思われただろうとか・・・汗




>貝印の顔剃り用の一枚刃ですな。

ソレですよ〜


>>結構グッサリ切ってしまい、跡が残っています。

>ひぇぇぇぇええええええええええええ!
>剃刀で跡が残るってどんだけ、深く切ったんすかぁああ?

薬指の第一関節をグッサリでした。


糸鋸は中指の爪の横を指先から縦に、でした。

彫刻刀では左手の指を数か所。




>ま、ママさんって・・・・極妻?


ええ、そうですね。
一般的にそう言われてる人だと思います。
















「極普通の妻」ですがww




私より妹の方が凄いですよ。

野菜スライスする道具、分かります?

それを買った初日に自分の指の先、爪も含め斜めに半分近く飛ばしちゃったんですよ><


今はほぼ元に戻ってます(驚

人間って凄いですねっ!

この子、もう一本の指も割った食器で少しチップしちゃってるんですよ。

怖いですね〜



>>そんなことで映画での残虐シーンでも、刃物系は格別怖いんです。

>いや、おかし――し!そっちが遥かに、こえ――――し!


機関銃とかよりもナイフの方が身近で怖いじゃないですか?

横溝正史さんの本とか、怯えながら読んでました
(なら、読むなよ、って思いますけど)




 
>「私、失敗しませんから」ってドSの女外科医師ぃ〜〜?


医師ではないですけど(汗

医者に行っても、やることは同じだな、って思うことで自分で出来ることはやっちゃいます^^;
抗生物質持ってます(笑





>ご相談ですが・・・・
>ママのハトロン紙になってもいいっすか♪


ハトロン紙w

ハトロンでもリトマスでもお願いします!




って実際のところ、それはどんな事なんざんしょ?




>>この縦の棒をどこに入れるんじゃ?
ソコじゃなくてこっちに入れいんだけど!みたいな・・・笑

>ま・・・ママ・・・・
>もう・・・映倫、通らないと思います・・・・




・・・・・・・


@@;




マジで自分のカキコを見直して、一時驚いて膨らんだ胸も・・・





安堵してペッタンコに戻りました^^;





>とりあえず、次回は軽〜い読み物アップしますんでよろしく♪


は〜い、楽しみにしてますね♪
【75】

★☆〜ブレイクタイム〜☆★  評価

野歩the犬 (2014年03月03日 15時26分)

■rosa♪さん

レスありがとうございます♪

>皆様にはご迷惑をお掛けしてすみませんでした(滝汗

さーせん・・・なんのことやら、こっちがさっぱり、わかりませぬ!

>当時は今のような「ガード付きカミソリ」というのは、なかったと思います。

貝印の顔剃り用の一枚刃ですな。

>結構グッサリ切ってしまい、跡が残っています。

ひぇぇぇぇええええええええええええ!
剃刀で跡が残るってどんだけ、深く切ったんすかぁああ?

>それと図工で糸鋸を使った時に、自分の指を切ってしまいました><

い、糸のこぎりぃぃぃぃいいいいいいいいいいい?
ゆ、指がねぇぇぇぇえええええええええええええええ!
エンコじゃぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!

>彫刻刀で指を彫ったこともありました(涙

でたぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああ!
指にもんもん、見たことねぇぇぇぇえええええええええええええええええ!


>って、もう宜しいでしょうか?(笑

ま、ママさんって・・・・極妻?

>そんなことで映画での残虐シーンでも、刃物系は格別怖いんです。

いや、おかし――し!そっちが遥かに、こえ――――し!

>そのくせ、ちょっとしたことだと自分でメス入れて、排膿させたり取ったりしますw

ぬぁぁああああ!  
「私、失敗しませんから」ってドSの女外科医師ぃ〜〜?

お・・・OLGの主のケ●の剃毛、お願いできませんか(ひそひそ)


>あ〜、その文章力に惚れてしまいました。
ご迷惑でしょうけど・・・(笑

ご相談ですが・・・・
ママのハトロン紙になってもいいっすか♪

>今度映画でそういうシーンの時にガン見@@しますね!

@@・・・し、視姦プレイもありっすか!


>この (,,´д`) がこんなにピッタリ合う文章も素晴らしい(爆

ぶはは!どんな褒め方じゃわい!

>この縦の棒をどこに入れるんじゃ?
ソコじゃなくてこっちに入れいんだけど!みたいな・・・笑

ま・・・ママ・・・・
もう・・・映倫、通らないと思います・・・・


>また次回作を待っていますね〜

あざぁ〜っす♪
ネタは仕込んでいるんですが、ちとISOにて、執筆の暇がないんです。
とりあえず、次回は軽〜い読み物アップしますんでよろしく♪
【74】

RE:仁義の墓場  評価

rosa♪ (2014年02月28日 21時25分)

☆野歩the犬さん
 
 
>唄部屋の主さんですよね。以前、OLGでお会いしてませんでしたっけ(←勘違いならごめんなさい)
 
 
覚えていらっしゃる方がいるとは・・・汗
 
あの訳ワカメな人は、ワタクシでございます〜
 
皆様にはご迷惑をお掛けしてすみませんでした(滝汗
 
 



>なんせ、私も体験してない戦前〜終戦直後のことですから
>参考文献からの孫引きが大半ですよ(汗

そこが凄いと思いますよ(って上からか?)
 
今の時代のことを書こうとしても、空気感まで相手に伝わる文章ってなかなか書けません(私だけかも?)
 
 


>板前とかならともかく、普通、誰でも苦手でしょ(笑
 
 
私は小さい時に母の鏡台の引き出しをいじっていて、カミソリで指を切ってしまったことがあります。
当時は今のような「ガード付きカミソリ」というのは、なかったと思います。
 
結構グッサリ切ってしまい、跡が残っています。
 
 
それと図工で糸鋸を使った時に、自分の指を切ってしまいました><
 
 

彫刻刀で指を彫ったこともありました(涙



あとはですね・・・・・
 
 
って、もう宜しいでしょうか?(笑
 
 
そんなことで映画での残虐シーンでも、刃物系は格別怖いんです。
 
 

 
 
 
 
でも観ますけど^^;
 
 
汗が出ます・・・
 
 
そのくせ、ちょっとしたことだと自分でメス入れて、排膿させたり取ったりしますw
 
 


>関国光の国宝・日本刀を観たことがあるんですが
>その鮫刃紋たるや、今にも勝手に動き出して、
>首をはねられるのではないか・・・という迫力がありました。
 
 
あ〜、その文章力に惚れてしまいました。
 
ご迷惑でしょうけど・・・(笑
 
 


>ちなみに、やくざの喧嘩ってのは、現代でも必殺弾としての道具は
>チャカより匕首だそうです。
 
 
ゲゲッ!
 
リアルで怖いんですけど〜
 
 


>引き金に深く指がかかっていたら、相手も気が動転している証拠で、まず当たらない。
>拝むように銃底を支えて、指が浅くかかっていたら、
>度胸が座っている証拠でそんな鉄砲玉に出会ったら、一目散に逃げる!

 
 
なるほど・・・
今度映画でそういうシーンの時にガン見@@しますね!

 
 
 
 

>大西政寛の生涯を書いて、これほど「女性陣」からレス、もらうとは
>思わなんだ。


だって凄く魅力的ではないですか!
 
「悪魔のキューピー」ってだけで、胸ドッキューーン!ですよ〜
 
 
 
初子さんとの出会いや結婚までの経緯が気になりますね^^
 
 
 
>※AAなんて、からっきし、ダメな爺いが必死になって
> やってみました  (,,´д`)
 
 
ああ、わかります〜
 
この (,,´д`) がこんなにピッタリ合う文章も素晴らしい(爆
 
 
 
この縦の棒がどこに繋がってるんじゃ?
 
ソコじゃなくてこっちに繋げたいんだけど!みたいな・・・笑
 
 
ご苦労さまでした。
 
 
 
また次回作を待っていますね〜
【72】

RE:仁義の墓場  評価

reochan (2014年02月24日 00時07分)


みなみんちゃん、ばんわー♪

勝手に挨拶して、ごめんなさい!

お爺ちゃんって、優しいよね。

みなみんちゃんのこと、心から大切に思ってたんだね。

ゥちの爺ちゃんも、誰よりもぼー(孫)のこと、

可愛かったみたい。

ごめんネ~、ヨコヨコ♪

良かったら、これからもヨロ~♪(* ̄∇ ̄)ノ
【71】

RE:仁義の墓場  評価

みなみん (2014年02月23日 23時46分)

野歩the犬様♪


レスありがとうございます(*^_^*)


大西政寛氏、まさに男前な感じですね♪

奥さまを大切にするところも、
     カッコいいです・:*(〃∇〃人)*:


あたしの祖父もカラダいっぱいに絵が描いてある人でした…
子供心に、怖くて変な絵だなぁ〜と思ってましたがw

あたしにはとても優しい祖父でした。

しかも「人様に迷惑を掛けるんぢゃない」が口癖だたんだけど…
たぶん、祖父は迷惑掛けてたみたいです(爆)


悪魔のキューピーも、とても優しい人だったんだと思います(*^_^*)



野歩さま♪

次回作、無理せずゆっくり書いてくださいな(*^_^*)
【70】

★☆〜ブレイクタイム〜☆★  評価

野歩the犬 (2014年02月23日 15時20分)


■みなみんさま

>ゆさみん姉さんのお部屋で声を掛けていただいてたので、あつかましくお邪魔しました・:*(〃∇〃人)*:

こんなむさ苦しい爺部屋へようこそ♪

>それから、ずっと連載楽しみにしていました♪
光栄に存じます。

>大袈裟でなくて涙を堪えるの必死でしたw
ぬ?泣けましたか?

>落ち着いてからまた読みだすんだけど涙が出てきて、電車内なのでホント困りましたよ!
嗚呼…そのシーンをエピローグに使いたかった・・・

>大西政寛が、その人生の中に僅かでも幸せな日々があったコトを願いたいと読みながら思いました。

まーちゃんも墓場の下で喜んでいることでしょう・・・

>あたし…
すっかり悪魔のキューピーのファンになってますね(*´艸`)

大西の男っぷりの良さは有名だったようですよ。
とにかく着流しのカッコよさには、まっちゃんもシビレタらしいっす。
筒先なんとか・・・っていう、わざと寸詰まりの仕立てで
大島の帯締めて、すそさばき良く、チャリチャリ(雪駄)を鳴らす。

もてたんでしょうねぇ〜♪

>機会があれば次回作を楽しみにしています。

激励、あざっす♪

大西ほどのドラマティックなネタはなかなかありませんが
暇見て、また裏道ネタ、書くつもりです。
今後もよろしくお願いします!

■れおさま

ご丁寧な読後レス、ありがとうございます。

>☆本文のことじゃなくて、ごめんなさい。ー男の子2人を戦争で失う・・

これは私の祖父のことですね。

>「カシメ業」で、相当の腕と、並み居る海千山千の強者を束ねる
人間的魅力、人の先頭に立って導いていく指導者だったんですね。

これはですね。もう、向井組の親父さんが、あってのことです。
本文からは、はしょりましたが、大西も復員して山村組の客分になったときも
向井さんには当時、珍しいケーキなんかを手土産に挨拶に行ったそうです。
大西が生涯「親」と仰いだのは、向井さんただ、一人なんです。

>ご両親のご苦労(看護)を見てこられ、のほさんも、ご両親を大切になさって下さいね。♪

ハハ…さすがに二人ともシャバにはいませんよ。
親父は高校三年のときに、持病の心臓病でぽっくり。
おふくろも逝って、かれこれ、二十年になります。

>どうやってレスを割り込むのん?←れおの勘違いなら、許してネ♪

れおさんのレスの前に【65】を予定地としてアップしてたんですよ。
そこを編集しただけです。

>小説のタッチは、若々しい、&力強いんだもん!←これも失礼!

そりゃ、どうも♪

>色んな伝統的職業が姿消してるんですね。

ですねぇ・・・
子供のときに映画館の看板師の仕事を一日中、観ていて飽きなかったなぁ。
【69】

★☆〜ブレイクタイム〜☆★  評価

野歩the犬 (2014年02月23日 15時19分)

■rosa♪さん

こちらで失礼いたします。
唄部屋の主さんですよね。以前、OLGでお会いしてませんでしたっけ(←勘違いならごめんなさい)

>早く続きが読みたい!って思いながら^^;
最高の褒め言葉として、ありがたく頂戴いたします。

>空気感や風景、人物像が浮かぶ作品でした。

なんせ、私も体験してない戦前〜終戦直後のことですから
参考文献からの孫引きが大半ですよ(汗

>実は私は刃物が苦手なんですよ(笑
板前とかならともかく、普通、誰でも苦手でしょ(笑

>私が小さい時に、親戚の家にライフルと日本刀がありました。
キタ――――ッ!
で、でいりじゃ―――――――――っ!

>ライフルは見た目さほど怖くはなかったけれど、日本刀って独特の怖さがありますね。

関国光の国宝・日本刀を観たことがあるんですが
その鮫刃紋たるや、今にも勝手に動き出して、
首をはねられるのではないか・・・という迫力がありました。

ちなみに、やくざの喧嘩ってのは、現代でも必殺弾としての道具は
チャカより匕首だそうです。
チャカはあくまで喧嘩相手の事務所の外からめくら撃ちして逃げる、という
デモンストレーションなんすね。

45口径なんて大型は実際、発射の反動が大きいから
動いているものを狙うとなると、5メートル離れたら
なかなか、当たらん、ものらしいです。

そんで、至近距離から銃口を向けられたら、まず引き金の指を見るんだ、と。

引き金に深く指がかかっていたら、相手も気が動転している証拠で、まず当たらない。
拝むように銃底を支えて、指が浅くかかっていたら、
度胸が座っている証拠でそんな鉄砲玉に出会ったら、一目散に逃げる!

だ、そ〜ですぞ・・・


しかし、なんだな。
大西政寛の生涯を書いて、これほど「女性陣」からレス、もらうとは
思わなんだ。

お〜う、こりゃ、望外じゃわい。
【68】

RE:仁義の墓場  評価

みなみん (2014年02月21日 23時45分)

野歩the犬様♪


はじめまして(*´∇`)ノ 
       みなみんです♪

ゆさみん姉さんのお部屋で声を掛けていただいてたので、あつかましくお邪魔しました・:*(〃∇〃人)*:


最初ココを見た時に、なんてスゴイ人が居るんだろうと衝撃を受けました!

それから、ずっと連載楽しみにしていました♪

ココのとこ何かと忙しくしていて、
実は、最終話は今日ようやく出勤途中の電車の中で読ませていただきました。

大袈裟でなくて涙を堪えるの必死でしたw

泣きそうになったら読むのを止めてw

落ち着いてからまた読みだすんだけど涙が出てきて、電車内なのでホント困りましたよ!


今の私たちには計り知れない激動の時代を儚くも精いっぱい生きた大西政寛の人生…

どんな気持ちで生きたのか想像するだけで、

とても切なくなりました…
 
大きなお世話だけどw
大西政寛が、その人生の中に僅かでも幸せな日々があったコトを願いたいと読みながら思いました。


あははw

あたし…
すっかり悪魔のキューピーのファンになってますね(*´艸`)



楽しみに読んでいますとお伝えしたくて…

以前から、お邪魔しようかと思いつつ…

なかなか、きっかけもなく…




ゆさみん姉さんの部屋を借りてカキコしようかと思ったのですが、せっかくなので思い切ってお邪魔しました(*^_^*)


野歩the犬様♪

改めて!

感動を、ありがとうございました。


機会があれば次回作を楽しみにしています。


本当に
ありがとうございました(u_u*)


乱文失礼しました(。・"・)
【67】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月21日 17時05分)

■れおさま

ご丁寧な読後レス、ありがとうございます。

>一番心に刺さりましたね。

私の幼なじみに業界人がおりまして
そいつの組では四割が在日、三割が被差別地区出身だとか。

また、気がむいたら
なにかカキコするかもしれません。
今後もよろしくお願いします。

のほ
【66】

RE:仁義の墓場  評価

reochan (2014年02月17日 22時22分)

こんばんは。

読ませて頂きました。ありがとうございました。

「あとがき」って、普通、関係者への感謝の思い、

等だから、軽い気持ちで読みがちですが、

一番心に刺さりましたね。


とりあえず、お礼までと思いまして。

トリイソ。
【65】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月21日 17時51分)

【大西政寛関係相関図】


■呉                       ■阿賀町
 【山村組】                     【土岡組】
    |―――――――   海生逸一(実業家)    ―――――――|
山村辰雄━(後見)谷岡千代松    土岡正三――――土岡 博――  ×
                                                              
佐々木哲彦 \           (造反)――――――――ーーーー↑
        ――客分(若頭格) ― 大西政寛→×小原馨→×桑原秀夫    
  |      ―ーーー―――(舎弟)――|    (腕を斬る)  (刺殺)
                                                                  
美能 幸三   ―――(回り兄弟) ―――    波谷守之
|                                狙撃
|                                                                 
|                                                                ↑                                                 
|―――――――――――――――――――――――――――――――――


※AAなんて、からっきし、ダメな爺いが必死になって
 やってみました  (,,´д`)
【64】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月18日 08時33分)

【あとがき】


冒頭に書いたように戦前にカシメの親方をしていた祖父は
私が十歳の初秋に亡くなった。

その年の夏休みのことである。

通っていた小学校で窃盗事件が発覚した。
事件は六年生を筆頭に七、八人がタバコ店から
ホープやハイライトのカートンを盗み出していた。

グループは「見張り」「盗み」「渡し」「自転車で逃走」という役割分担化され
手口が明らかに万引きの域を超えていた。

しかも、盗んだタバコはグループを仕切っていた中学生を通じてパチンコ店の景品として
現金化されていた、というから、
いわば組織犯罪である。
所轄の警察が補導から、踏み込んだ「捜査」に乗り出した。

二学期が始まったある日、私は担任教諭から放課後、職員室に来るよう言われた。
行ってみると、今度は教頭室へと移された。

そこには刑事とおぼしき男が二人いた。

小学四年にして私はピンと来た。

摘発されたメンバーが全員、私と同じく「ほいと」の出身だったからである。
あとで分かったことだが、刑事の一人は公安警備の人間だった。

実際、私の友人の兄は高校生ながら、
熱心な解放運動者でもあった。

警察はこの事件をきっかけに「ほいと」から
不穏分子をあぶりだそうとしていたのだ。

刑事は口調こそ子供相手の柔らかい物腰だったが、いろいろと尋問した。

「○○を知っているか」
「どのくらい親しいか」
「家に行ったことはあるか」
「そこの家族からどんな話を聞いたか」

私の出自が「ほいと」であることは担任の教諭からもたらされたものに違いない。
つまり、私は窃盗事件に無関係なのに警察に「売られた」のである。

個人情報もへったくれ、もない時代であった。

貧富の差は今とは比べ物にならず、
毎月の給食費も持ってこられないものが、
どのクラスにも二、三人はいた。
徴収日になるとその少女の瞳が哀しく濡れていたのを思い出す。

踏まれたものの痛みは、踏んだものには分からない。

私は出自だけを理由に刑事から聴取された日の屈辱を今も忘れない。

今回、大西政寛の生涯を書くにあたって
脳裏をかすめたのはその日の屈辱の感覚だった。

絵を描くのに夢中になっていた大西に、
もし、教諭がその才能を伸ばす道を与えてやっていたら、
悪魔のキューピーになっただろうか。

「脳病院の絵の先生にでもなるか」と嘲笑された瞬間に大西は人間として成長してゆく柔らかな幹葉を
ザックリと切り取られてしまったのではないか。

結果、大西は即日退学となり、
以後の人生を己の肉体だけを武器に生きる道を選ぶ。

それはまた、虚弱で自虐な人生を送ってきた私の永遠の憧憬でもあるのだ。

本稿はネットという文字だけの世界であえて、文字を読めずに生き、
破滅していった男のことを書いてみたいとの思いで書き始めた。
当初は30枚ほどで完結する予定だったが、
資料を漁っているうち、長尺な分量となった。


結びにあたって、気持ちよく時間を提供していただいた皆様に
この場を借りてお礼申し上げます。

平成二十六年 二月
                                             野歩the犬

 〜 参考文献 〜

笠原和夫    「仁義なき戦い取材調査録集成」
笠原和夫    「破滅の美学」
飯干晃一    「仁義なき戦い〜死闘編〜」
本堂淳一郎   「広島ヤクザ伝」
美能幸三    「極道ひとり旅」
広島県警二十年史
中国新聞社
【63】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月17日 17時24分)

【エピローグ】

大西政寛の潜伏先を警察に密告したのは、
ほかならぬ山村辰雄だった、というのが定説である。

あまりにも詳細な内部事情、
なにより、家主が留守だった、ということ。
さらに、捜査員が踏み込む直前まで家の中にいた
福山市での騎手の殺人未遂事件で
大西とともに指名手配中だった
山村組組員一人も呼び出されていた。

福山での事件、さらに高日神社での射殺事件で
山村にとって、大西は使いようのないコマになってしまっていたのであろう。

大西政寛の遺体を引き取ったすずよ、は初子とともに泣きくれた。
身内だけの通夜といっても訪れる人はほんの僅かで、それは葬儀にしても同じだった。

対照的に殉職した二警官の葬儀は密葬、呉市警察葬とも盛大で、
特に本通り九丁目の本願寺会館で行われた警察葬には連合軍の将校らも参列した。

広島刑務所で、大西政寛の死を聞いた
美能幸三は号泣した。

泣き尽くしたあと、どういうわけか咽喉にラムネの玉が詰まったような感覚になった。
唾液以外はなにも咽喉を通っていかない。

美能はそれで断食を決行した。
不自由な身であれば、喪に服すにはそれしか方法がなかった。

青タン狩りで初めてその姿を見てシビれた瞬間、
吉浦拘置所で血をすすりあって兄弟の盃を交わしたこと
逃亡先で「辛抱せい」と言って初めて見せた涙

短いながら、濃密な思い出が大西の面影とともに彼の網膜で揺れた。

喪明けと決めていた三週間がたち、美能の眼は真っ赤に充血していた。
頬はこけ、足元がふらついた。

美能は鏡の中の自分の変貌した顔を見ながら、用心深く水をすすった。
咽喉のラムネ玉はとれていて、冷たい水の感覚が食道を伝ってゆく。

一口、二口・・・すると胃壁の水位が上がっているのと比例するように
眼の充血がとれて、白くなっていくのが見えた。

彼は水の威力に感心しながら、生きている自分を実感し、
自分が生きている限り、大西も心の中で行き続けると思った。

四十九日も過ぎて、気がぬけたようにぼんやりしていた母・すずよのもとへ
山村辰雄の顧問格だった、谷岡千代松が訪ねてきた。

昔かたぎのヤクザであった谷岡は大西への一部始終をみていて、さすがに許せず
すずよ、に山村から金をとれ、と示俊した。

すずよは血相を変えて山村に迫った。

「政寛はイヌされちょる。噂は聞かんでもなかったけん、ことが分かった以上
 イヌしたもんは親でも子でも先に命を貰いまっせ。
 山村さん、あんたの命は貰いますけん」

山村は夫人と二人で涙ながらにすずよ、の前に手をついた。

「葬儀にも行けんで、なんの世話もできんかったのは
 悪いと思うとるじゃけん。
 それより、あんたも大木にすがっているほうが、
 なんぼか楽じゃろう」

山村がそう言って提示したのは一時金四万円と月一万円の仕送りだった。

すずよ、は結局それをのんだが、ほとぼりが冷めた半年で仕送りも途絶えた。

晩年のすずよ、は生活保護を受けて一人で生活しながら
縁側に何組もの花札をまき、訪ねてくる人はまるで
花びらのなかに埋まっているように見えた、という。

「まあちゃんが好きじゃったけん、いつもこうして遊んでいます」

「いつじゃったかのう。
  カシメの仲間で訪ねていったことがあるんよ。
 すずよさん、マサの若いときのことを話すと
  キリッとして言うたもんじゃ」


「政寛はあたしにはできすぎた子じゃった。
 立派な極道で誇りにしとります」

大西政寛の墓は生まれ故郷、広の西山へと続く
「ほいと谷」手前の小高い丘にある。



仁義の墓場・大西政寛伝

(完)
【62】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月17日 16時54分)

【射 殺】

こたつのふとん、が払われた瞬間、いきなり
ガン、ガン、ガン!と三発の銃声が鳴った。

銃口の先にいた鞆井刑事が吹っ飛ぶように倒れた。

這い出てきた大西政寛は、こたつやぐらを捜査陣に投げつけた。

数田係長が飛びかかる。

同時に大西のローレル45口径と
コルト38口径の二丁拳銃が火を噴いた。

鮮血に染まった数田係長のロイド眼鏡が、
スローモーションのように宙をゆっくりと舞う。

またも三発の銃弾を浴びた数田係長は崩れるように倒れた。

大西が背を丸めて敏捷に裏側のガラス窓に突進する。

川相刑事がその背中に向けて引き金を引いた。

銃声は一発だけだった。

大西はそのまま、突進してガラス窓を突き破った。
そして、裏庭へと飛び降りたが、
それは落ちたというべき状態だった。
這い上がろうとしていた大西に配備されていた警官たちが飛びかかり
手錠をかけようとしたが、もはや、その必要はなかった。

川相刑事が放ったニューナンブ38口径の一発は
大西の左脇下から心臓へ抜け、即死状態だった。

大西政寛、二十七歳。

おしゃれでダンディだった悪魔のキューピー、
最期の服装は生涯で初めて着ることになった
大学生の制服姿だった。

大西から至近距離で撃たれた鞆井刑事は即死。
数田係長も搬送された病院でまもなく息を引き取った。



そうじゃ。昭和二十五(一九五〇)年、一月十八日、
 雨上がりの寒い朝じゃった。爺さんの古い友達の家に
夜明け方、刑事が何人もで、やってきたそうじゃ。

「おはよう、おはよう、寒いけん、お茶、飲ませい」いうての。
言うてるのが、友達が懇意にしとる部長刑事じゃったそうな

「なんかい、お前らこがいに早く」
そう聞いたら、それが悪魔のキューピーが死んだ知らせやったらしいわい。

「ほいで大西を撃った川相刑事いうんかいな。
一発撃ったら、弾が出んようになったらしいんよ。
指に力を込めて引けども、引けども二発目も三発目も出んのじゃ。
故障じゃ、思うたようじゃけんど、なんの
一発目を引いたあと引き金から指を離さんから、
引き金が戻っておらんだけじゃった、いうての。
臨場感いうか、わしゃ、ほんまじゃろう、思うた」

「それと、あとで聞いた話じゃけんど、
  大西は二丁拳銃で七、八発は撃っとろう。
 もの凄い銃声じゃった、思うわな。
 ほいで、大西が隠れとった家の犬、
  秋田と土佐を掛け合わせた、いう
 耳のぱっと立った大きな犬がの、
  腰が抜けたようになって
 一週間も縁の下から出てこんようになったらしいよ  
 これもほんまじゃろう、思う」

「こうして大西の短い生涯をたどってみると、
  なんよのう。
 最期は死に場所を探しとったようにも思えてのう。
 守ちゃんとは敵対してしまうし、
  一緒に死んでやる、いうとった美能さんは 
  長期刑で塀の中じゃ。
 土岡博さん、山村さん、
  いうバックボーンも全て失ったんじゃ。
 いくら大西が一人で生きてきた、
  いうてもヤクザとして、これはさみしかろうが。
 大西が学生服姿で逃亡しようと、
  していたところからみて
 関西への高飛び説があってのう。
 県外へ出るのを極度に嫌っていた大西じゃけん、
  もう、なるようになれ
 いう心境じゃったんじゃ、なかろうか。
 撃ったのは本能じゃろう。
  撃たれるのも覚悟のうえじゃ。
 悪い言い方すれば父の万之助、兄の隆寛、
  生後三日目で死んだ我が子
 みんな死んで、自分も死ねば、悪魔的な血も絶たれ  る、思うたんかもしれんのう」


大西政寛の遺体を呉署に引き取りにいったのは、
母のすずよ、だった。

遺体はすでに頭部から腹部まで二つ割にして
解剖したあとがあり
まるでしつけ糸のように乱暴に縫い合わせてあった。

これがあのキューピー人形のような優しい顔立ちをした我が子の政寛か。

すずよ、は泣くことも忘れて我が目を疑った。
【61】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月17日 13時26分)

【急 襲】

数田警部補は腕時計を見た。
針が午前三時を指した。決行時間である。

「こんばんは。こんばんは」

数田警部補は玄関のガラス戸を叩いた。
犬がまた激しく吠えはじめた。
雨脚は強くなるばかりである。

部屋の明かりはつかない。

「こんばんは!こんばんは!」

ようやく、玄関の電球が灯り、
岩城の妻・とし子が玄関口まで出てきた。

いち早く、六人の捜査員が裏の出入り口、
濡れ縁、トイレの窓下、崖下の通用路を固めた。

「警察じゃが、大西がおるでしょう」

「大西さんはおらんですよ」

「いや、おらんはずはない。おるはずじゃが」

「誰がそのようなことをいうたのじゃろ。絶対におらんですよ」

「逮捕状を持ってきとるのじゃから、戸を開けてくれんかの」

数田警部補の後ろに六人の刑事が息をこらしていた。
みな、雨に打たれている。

戸が開いた。

「一応、家宅捜索させてもらうから」

数田警部補を先頭に七人の捜査員が
どかどかと室内にあがりこんだ。

二人は四畳半の台所へ。
数田警部補らは六畳間へ。

誰もいない。

奥の間に人の気配がある。
中央にこたつがあり、誰か寝ているらしいが、
暗くてわからない。

「おい、電燈をつけてくれい」

数田警部補は傍らの鞆井(ともい)清刑事に命じた。
鞆井刑事がこたつに足をかけ、
六十ワットの電球をつけた。

こたつには左側に女中が子供二人と寝ていた。
こたつをはさんで右側にも布団があるが、
頭からすっぽりとかぶっているので
誰が寝ているのかわからない。

「撃ってくるかもしれん。用心してかかれ」

数田警部補が押し殺した声で言い、
鞆井刑事と川相(かわあい)刑事らが姿勢を低く構え
さっと、ふとんめくった。

緊張の一瞬だった。

寝ていたのは山村組組員で、大西ではなかった。

「おらんぞ。手分けして捜すんじゃ。押入れの上の天井もじゃ。気いつけいよ」

刑事たちは室内に散った。

戸を開ける音、同時にひれ伏す音が響く。

犬は家の中の動きを察知し、
一層、激しく吠えはじめた。

「二階の階段も注意せい」

やがて、二階からドタドタと足音が響いてくる。

「おらん。逃げた形跡もない」

「押入れも異常なしじゃ」

「外は固めておるんじゃろうな」

「外へは逃げられん」

家人らは玄関脇の部屋の隅で寒さと事の成り行きに震えていた。
家主の岩城義一は留守でいない。

一階の全ての部屋を捜索した刑事たちも
奥の間の数田係長の元へ集まってきていた。

「やっぱり、おらんか」

数田係長は逮捕状を手に迷っていた。

いない以上は引き揚げるしかないが、
内部密告と思える情報だけに
まだ、捜し方がたりないのかもしれない。

「どうしますか」

刑事たちの眼が問いかけてくる。

そのときだった。

鞆井刑事は冷えた体とは裏腹につま先に暖かさを感じた。
堀ごたつの中を確認していなかったことに気づいた。

大西がいない、という先入観があって、
それまでの用心深さが欠けていたのかもしれない。

ふとん、の端を握った手が頭上を払うように振られた。

部屋の明かりがこたつの中に差し込まれた。

そこには二丁拳銃を両こめかみに当て、
眉間をギリギリと立てた
悪魔のキューピーの姿があった。
【60】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月17日 15時48分)

【密 告】

昭和二十五年一月六日付け中国新聞は社会面に二段組で事件の一報を伝えた、
見出しは【拳銃で射殺、口論の意趣ばらしから】である。

以下、本文

―――――――――――――――――――――――――――――――

四日午後五時四十分ごろ、呉市和庄通り四丁目の高日神社付近で、同町人夫
大西輝吉君(二二)が二十七、八歳くらいの男と口論、輝吉君はピストルで後頭部を撃たれてこん倒、共済病院に収容されたが、五日朝三時、絶命した。
呉署は直ちに現場検証を行い、関係者らの供述により容疑者として
阿賀町海岸通りの大西政寛を指名手配した。
犯行の原因は、同日昼、本通り五丁目を両名が仲間数名と歩いていたが、すれ違ったときにささいなことから口論した意趣ばらしらしい。
なお、容疑者、大西政寛は昨年十一月、福山競馬場で発生した騎手殺人未遂容疑者の一名として手配中のもの


大昔の記事とあって、冗漫な表現ではあるが、事件の重大性を伝えている。

それにしても、事故保釈中に指名手配をうけ、さらに射殺事件を起こせばどうなるか
大西も十分に承知のことであろうし、また、この事件にその愚を冒すほどの要因はない。
あるとすれば、悪魔のキューピーが本当の悪魔に魅入られたうえに
自らの狂気が自暴自棄を起こしていたとしか、考えられない。

呉署は捜査本部を設置し、大西政寛の逮捕に全力を挙げた。
大西が絶えず拳銃を身にしているうえ、凶暴な性格とあって、捜査員全員が
拳銃所持で聞き込みに散った。

事件が発生して十日が過ぎたが、大西の行方はようとして、知れない。
捜査員の中には「県外に高飛びしたのではないか」との見方も流れた。

そんな中で大西をよく知る呉署捜査係長
数田(かずた)理喜夫警部補だけは断言した。

「いいんや。大西はまだ呉市内に潜伏しとる。間違いない」

数田警部補は読み書きができず、県外を極度に嫌った大西の性格を熟知していた。

一月十七日の夜、一人の捜査員からとびきりの情報がもたらされた。

大西政寛が呉市東鹿田町の山村組相談役・岩城義一の家に潜んでいるというのだ。

「確実か」

「間違いありません」

なおも聞き込みすると、大西は明日にでも高飛びするつもりで
変装用の大学生の制服を準備していることがわかった。

内部のものにしか知りえない情報である。
捜査陣は色めき、ただちに捜査会議が開かれた。

張り込みで出発時に逮捕するか、急襲して逮捕するかが、問題になった。

呉市は呉港を抱いて三方を山に囲まれている。
呉駅から市街を眺めて正面が灰ヶ峰、左が鉢巻山、右が休山となり
それぞれの山麓が市の中心街を抱く形になっている。

山麓にある高台の家は坂道の細い路地続きで車も入れない。
当然ながら、路地は迷路のように入り組んでいる

東鹿田の岩城義一宅は休山の山麓、高台の女学校の崖下にあり
もし、拳銃をぶっぱなされて抵抗、逃走されると周囲は細い路地伝いに
山越えで阿賀から広までの逃走も可能だった。

結論は夜明けを待たずに急襲と決まった。

非常呼集がかけられ、刑事十三人、制服警官二十七人が呼び出された。

午後十時過ぎから肌を刺すような氷雨が降り出した。

レインコートに身を包んだ数田警部補が陣頭指揮をとり、
日付が変わった十八日午前一時半、捜査陣は行動を開始した。

制服警官九人が一班を編成し、三班で岩城宅を完全に包囲する。

「大西が発砲してくる可能性が高いけん、油断ないよう」

午前二時半、逮捕状を手にした数田警部補ら十三人の刑事は
岩城宅の玄関に向かった。

雨足が激しい。

軒下で飼われていた土佐と秋田を掛け合わせた大型犬が激しく吠えだした。
【59】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月15日 17時35分)

【惨 劇】

昭和二十五年、一月四日。

戦後四年目の年も明け、
ようやく晴れ着姿の女性もポツポツと見え、
華やいだ正月の街中だった。

呉市中通りを抜け、
本通りへ出た大西正寛と妻の初子は、
五丁目付近まで歩いてきたところで、
酒の入った土木作業員ら数人とすれ違った。

初子は小柄で色白の美女。

並んで歩いている大西は顔だけ見れば
キューピー人形のような坊ちゃん顔である。

酔った男たちは嫉妬の裏返しから
「ヒョ、ヒョ」と卑しい口笛で二人を冷やかした。

図に乗って一人の男が言った。

「この女は進駐軍のパンパン(街娼)じゃろうが」

日頃から女房だけは大事にしていた大西だった。

売春婦と言われてたちまち怒りが表情に出た。

眼光が鋭くなって寄せた眉間の間から額へ
すっと縦しわが走った。

「なにい」

短いが相手の腹に響く声を聞いて、
まともに受け答えができる男は呉にはいなかったが、
彼らは不運なことに大西を見たことがなかった。

しかし、名前だけは耳にしていたから、
不運は倍加したというべきだろう。

大西夫婦についていた山村組の若者が
大西の顔色をうかがうまでもなく
前へ出て、男を睨みつけて言った。

「わりゃぁ、誰にもの、言うとるん、じゃい」

しかし、彼らは大西をなめきっていた。

「ほうじゃきに、言うとるけん、
  わしゃ、山村組の大西じゃ。
 名前聞いて、風邪ひくな」

一人が前に出て、啖呵を切った。

彼は大西輝吉という二十二歳の青年で、
同姓ということもあって、
こともあろうに本人の前で
悪魔のキューピーの名を騙ってしまったのである。

仲間たちも同じだった。
その啖呵に調子づき、下駄を手に大西たち三人に向かってきた。

初子は必死になって大西の袖を離さなかった。
離せば大西がどうなるか、わかっている。

「こらえて、うちと逃げて」

見物人の輪も出来始めていた。

大西は初子に引きずられるように、
その輪の中へと消えたが
縦に立った眉間は元に戻らなかった。

すぐに山村組の若衆が手分けして
大西を騙った男を割り出した。

その日の夕方五時半ごろ、和庄本町、
高日神社の境内に大西輝吉は連行されてきた。

彼は次第に自分がどのような立場に置かれているのがわかってきていた。

彼を連れてきた若い衆の態度と物言いから、
自分が騙った男が眼の前にいる大西正寛本人と察しがついたからである。

しかし、彼にはまだ、虚勢がいくぶんなりと、残っていた。

「さっきのことは、こらえて、つかあさい。悪いことした、思うちょるけんね」

「なにい」

大西の眉間がさらに深く立ち
眼が虎のように底光りした。

呉の極道の誰もが怖れた表情だった。

彼は夕闇の中で愛想笑いをこわばらせ、
土下座もいとわぬほど頭を下げようとしたが
反射的に体をひねって逃げようとした。

大西が腹巻から拳銃を取り出すのが
視線に入ったからだった。

「この、クサリ外道!」

大西は逃げる相手に向かって冷たく
愛用のコルト45口径の拳銃の引き金を引いた。

銃声が境内に轟き、男の後頭部に穴が空き
脳漿とともに頭蓋は砕け散った。
【58】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月14日 16時48分)

【暴 走】

波谷守之とは対立し、美能幸三とも
塀の中と外で別れることになった大西政寛は
呉を離れて福山にいることが多くなった。

山村辰雄への疑念や不信は決定的になっていた。
土岡博襲撃のすべては大西が描いた絵図、という噂を耳にし、
それがどこから出たかが分かれば、呉にいたくない、のは当然だった。

山村は会えば「まあちゃん」と猫なで声で呼びかけるが、
波谷守之が狙っているのを怖れてか、あまり姿は見せなくなっている。
もちろん、大西本人をも避けたがっているのは、山村の態度でわかった。

わしは騙されていたのか、と大西は初めて確信した。

金で釣られて、太っ腹な親分と思い込み、
土岡博を裏切ったばかりか
可愛い弟分の美能幸三を窮地に追い込んでしまった。

しかも、山村は飛んだ美能を責めて、
あげく、逃亡に土岡組に奔った男をつけさせ
阿賀を通るという不審な行動をとらせた。

それが「全財産をやる」と断言した親分のとる道だろうか。

金で釣り、自分の保身に執着し、子分の命は粗末にする。
自分が信頼しきっていた親分とは、そんな人間だったのか。

美能幸三の破門と自首という、和解(手打ち)の条件も胸に重く詰まっていた。

それは石コロを飲み込んだように大西の臓腑を刺激した。

加算刑となれば、もう、幸三はいつ帰ってこられるか、わからない。

一年、一月も不自由を我慢できない大西にとって、
臓腑の石コロをかつて体験した戦地の行軍のように感じたのかもしれない。

石コロがゴロゴロ、ゴロゴロ・・・・
臓腑で鳴る虚無と苛立ちをまぎらすために、
大西は福山で競馬場に通いだした。

勝負となれば負けたくない大西にとって、札ならイカサマ、競馬は八百長であった。

誰がどう仕組み、失敗したのかは分からない。

昭和二十四年十一月二十六日、最終レースが終わった午後五時半ごろ
大西は騎手を呼び出し、割り木で顔面、頭部をめった打ちにした。

福山署はこれを殺人未遂事件として捜査を始める。

大西の逃げい、逃げいがまた始まる。

読み書きのできない大西は極度に広島県を出るのを嫌った。
土地勘のある尾道、三原に「つて」を頼り、
年の瀬には密かに初子のいる呉へと舞い戻った。

母・すずよを交えて久しぶりの団欒のときをすごしたのだろうか。

しかし、昭和二十五年が明けたばかりの一月四日、
悪魔のキューピーは破滅への扉を自らの手で開ける。
【57】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年04月03日 09時07分)

【手打ち】

阿賀町の自宅で静養しながら
警察の聴取を受けていた土岡博は狙撃手を
「見たこともない、知らん男だ」と突っぱねていた。

土岡は撃たれながらも、ヤクザの世界の筋を通したのである。

しかし、波谷守之にはポツンと言った。

「幸三が持っちょった、拳銃はマサのじゃった」

大西の裏切り、相手と認めたひと言だった。

波谷守之は大西が阿賀へ死にに、来ると考えていた。
「明日、来る」との約束は果たされず、何日かが、過ぎていた。

「そうよ。そうじゃろう。
守ちゃんは先に山村の家へ
死にに、行っちょるんやけんね。
 そう、思うて当然じゃ。

結局は山村さんの優柔不断、美能さんへの
 余りに人間味のない態度に大西も疑問を持ち始めとるから
 死にに、いくことなんぞ、ありっこない。
 誰が誰のため、なんのためか、
わかりゃせんごと、なっとるんよ」

その間、山村は土岡組の若い衆の事件に弁護士を世話をしたり、
差し入れを繰り返しながら
「全ての絵図は大西、一人が描いたもの」と流していた。

さらに、山村、土岡、共通の資金源であった海生(かいおい)逸一にも頼み込んで
和解(手打ち)の算段に走り回った。

条件が整ったのは事件から二週間後の十月十一日だった。

「美能幸三の破門と自首」。

仲裁人・吉岡清五郎に付き添われ美能幸三は広島東署に出頭した。

広島地検の担当検事は被害者・土岡博の供述調書を読んで聞かせた。

「わたくしは、美能幸三から恨まれるようなことをとした覚えはありません。
 こりは、はっきり言って、山村辰雄がケツを掻いて(そそのかせて)
 やらしたものです」

検事は山村辰雄の命令だったという、自供を得ようと迫った。

美能幸三は関係がない、と頑強に言い張った。

「よーし、お前がそういうなら、完全に唄う(自供する)まで、蒸して
 蒸しちゃげる」

検事が怒号すると
「おう、ほいじゃ、勝手に蒸せい」と美能幸三は毒づいた。

「前に十二年、打たれとるよのう。あれを勤めてやるわい。
 すぐ、手続きとってくれい。こっちゃ、十二年の間に、裁判をやりゃ
 それで、いいんじゃけん」

十月十八日、広島刑務所に放り込まれた美能幸三は
のち、昭和二十六年二月、土岡博襲撃事件で懲役八年の判決が下る。

「合計、二十年よ。
山村さん、全財産、やってええ、よのう」



二年後の昭和二十六年九月
日本が敗戦国としてサンフランシスコ講和会議に参加、
講和条約の恩赦で昭和三十四年に仮釈放されるまで
美能幸三は約十年間を獄中で暮らすこととなった。
【56】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月14日 16時47分)

【 罠 】

大西政寛が訪ねてきた数日後、
山村辰雄が美能幸三の潜伏先に顔を出した。

「お前、のう、当分、いかりゃせんど。阿賀の町いうたら、警察でいっぱいじゃ」

山村はいまいましげな顔つきをした。

「そこでのう。考えたんじゃが、お前、いっときのう、体をかわしとけいや」

案内人は誰が来るのかと思っていたら、
意外にも山本信二がきた。

山本というのは佐々木哲彦との内輪げんかのもつれから
「土岡の麦飯の方が性にあっとる」と言って
土岡組に奔(はし)った男である。

美能幸三はぎょっとした。
  
いよいよ、土岡組からお迎えが来たのか。

「おい、支度せいや」

美能は山本の様子を油断なく観察した。
親分に売られたのか、と覚悟した。
しかし、彼はそんな気配も見せず、
とぼけて聞いてみた。

「支度いうて、なんの支度ない」

「実はなんよのう。山村がわしを呼んで、
こんな、をどこかへ行かすところはないかというじゃけん。
わしゃ、ない言うたんじゃ。
どこでもええけん、言うて聞かんのじゃ。
ほいじゃけん、三原じゃったら、言うたらのう、
おう、そこでええ言うことになり、
しようがなく引き受けたんよ」

トラックでの逃走路は阿賀を通らねば三原へは行けない。
これは罠に違いない、と美能は直感した。

山村は自分を土岡組に引き渡すに違いない。
しかし、ここで臆病風を吹かせてなるものか。

ようし、行ったれ、と思った。

「おう、わかった。ただし、ちいと時間をくれいや」

山本をいったん、帰すと美能は大急ぎで大西政寛に連絡をとった。

駆けつけた大西は計画を始めて知り、顔色を変えた。

「幸三、親分は焦りすぎちょる。辛抱せい。
もし、お前が死ねば、すぐ、わしも死ぬけん。
途中の阿賀で土岡が襲うてきたら、
かまわん、山本を一番先に撃ち殺して逃げい」

美能はうなずくしか、なかった。

大西の眉間は縦に立っていたが、
美能を見つめる眼だけは慈と悲に満ちていた。

そして、ここでも、これが大西政寛と美能幸三のこの世の別れとなった。

翌日、山本がトラックを乗りつけた。
月のない九月の夜は漆黒のように暗かった。

美能幸三はトラックの荷台の中で拳銃を握り締めて身を潜めていた。
息を凝らすなか、トラックは土岡組の地元、阿賀町を通過した。

しかし、三原市に着くと山本は
知り合いの家に行く前に拳銃を預からせてくれ
と、言い出した。

「やはり、罠だ」

押し問答のすえ、美能幸三は夜陰にまぎれて逃げ出した。

そのまま、一晩中、歩きとおして尾道へたどりついた。
【55】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月11日 23時57分)


【悪魔の涙】

波谷守之が山村辰雄の自宅へ単身、乗り込んだとき、
山村は美能幸三の隠れ家にいた。

三十分ほどの時間差だった。

山村が戻り、大西は事の次第を話すと山村は顔色を変えた。

「まあちゃん、それで、どうして守之を生かして帰したんない」

「ほかの者じゃったら生かして帰さんけん、守之じゃ可愛いけんのう。
 あいつは生かしといたら、必ず男になるけん」

大西もさすがに山村の言葉にむっときたのだろう。
そう、答えると山村はそれには耳を貸さずに言った。

「それより、いずれ、幸三の隠れ家を移さにゃ、いけんのう。
 守之も狙っとるけんの」

三日ほどして、美能幸三は潜伏先を移された。

ぽつんと一人でいると、後悔と寂寥感が募った。

山村は波谷が乗り込んできたことで、自身もどこかに逃げたのか
姿は見せなかった。

そのかわり、山村の意をくんだ、と思われる者が顔を出した。
究極のところ、残酷にも言葉は常にひとつだった。

「お前のう、命を捨ててくれんか。死んでくれんか」

「死んでくれ、言うて、死ぬ場所、こしらえてくれるんか」

美能にも意地がある。憤然として聞くと、相手は身を交わして言うのだ。

「そりゃ、兄弟に言うてくれ。兄貴やったら、ちゃんとしてくれるわい」

死ぬということは土岡博を再度襲撃して、
トドメを刺すということを意味していた。

土岡は事件の翌日には阿賀に戻り、自宅で静養している。
それを襲うことは無謀に等しい。
たとえ、成功したとしても、殺されて当然である。

しかし、なぜ、誰のためにそこまでしなければならないのか。
かりに狙撃犯が邪魔だから死んでくれ、と言われても
彼にはそれで、命を投げ出すいわれ、はなにひとつない。

美能幸三は逃げたい、と思った。

そういう美能を訪ねてきたのが大西だった。

「なかなか、顔を出さんで、すまんのう。
 親分は焦っちょるし、時間がとれんのじゃ」

眉間は立たずに曇っているのが大西の苦悩を表していた。

このころの山村は土岡博の再襲撃を企む一方で
土岡組の懐柔策にも手を回していた。
しかも、その方便は山村の知らないところで、
大西が絵図を描いた、というものだった。

大西の中で次第に、山村へ対する猜疑心が深まっていた。

苦悩を内に、それでも美能幸三の顔を見ると、大西の表情はゆるんだ。
波谷と同様の可愛い弟分であり、
波谷と辛い別れをしただけに心を開いて当然だった。

美能幸三は大西の眼をみて、言った。

「兄やん、わしのう、死んでくれ言われてものう、死にきれんじゃがのう」

大西はじっと美能を見つめた。笑顔がまた、曇ってゆく。

「幸三、ほんじゃ、どうしたらいい」

「兄やん、わしゃ、逃げたい。辛抱してくれ兄貴、
 尽くしたんじゃけん、やるだけ、やったんじゃけん」

大西は覗き込むように美能を見つめてきた。

「すまんのう、幸三。ほいでもここまできたんじゃけん。
 ここから辛抱せいや。お前が死んだら一緒に行くけん。
 必ずわしも死んじゃるけんのう」

大西のキューピー人形のような大きくて円い眼が潤んできたと思うと、
瞬きもせずに涙が頬を伝わりだした。
【54】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月10日 21時28分)

【別 れ】

「ほうじゃのう。そんときの大西の気持ち、ゆうんは
 本人以外、分からんよ、のう。
因縁のあや、いうんか、のう。
自分がやらないかん、土岡の刺客を舎弟の美能がつとめ
その報復に乗り込んできたんが、小さいときから可愛がってきた
守之じゃ。
極道社会ならではの、理不尽な巡りあわせよ、のう。
しかし、考えようによっては、これほど<筋>を通してきた弟分を二人もって
大西は嬉しかったんじゃあ、あるまいか」


波谷は、右手を腹巻の中に入れ、道具をしっかりと握り締めた。
囲んだ者たちも、隠れた手が微妙に動く。

波谷は全員を睨み回しながら言った。

「どうして、うちの親分を撃ったか、わけを聞かせい!」

数秒の沈黙が流れた。波谷は腹に力を込めて低く言った。

「あんたら、わしを撃つんなら、撃ちないよ。
 その代わり、一発だけ、わしも撃たして貰うぜ」

波谷は覚悟を決めてきたのだ。山村を殺れないばかりか、なにもせずに
殺られることはない。二人や三人は道連れにしてやる。

その思いが普段は無口な波谷にタンカを切らせていた。
張り詰めた空気の中で誰もがぴくりとも動かない。

「どうない」

波谷は道具を握り締めたまま、改めて大西の眼を見つめると、意を決したように言った。

「みんな、うちの親分には、可愛がって貰うたんじゃろう。
 それが、いったい、どんなつもり、ない」

大西が土岡を裏切っていることは、二階にあがって初めてわかったことだった。
波谷は大西への視線を動かさず、続けて言いたい放題、ののしった。

「山村は本当におらんのじゃ。喧嘩してもなんじゃけん
 今夜のところは、のう」

最年長の顧問・谷岡千代松が間合いをはかったように、口を開き
大西がゆっくりとうなずいた。張り詰めていた空気が緩んだ。

大西が先に階段を下り、波谷がそれに続く。
あとを数人がついてきた。

生きて帰ろうと思わなかった暗い路地を波谷は大西と肩を並べて歩いた。
言いたいことはあったが、言葉にならなかった。
それより、山村を殺れなかった口惜しさが募った。

大西にしてもあり余る感情は言葉にならなかったのだろう。
なにを言っても弁解になるし、死ぬ覚悟できた波谷の行動を誉めてやりたくとも
相反する立場がそれを許さなかった。

お互いの想念が絡み合うように歩きながら、
二人はやがて、灯りがともる電車通りへと出た。

「守之・・・」   大西がぽつりと言った。

「守之、幸三をどう思うとるんじゃ。会うたらどうすんない」

「そりゃ、兄やん、山村が一番じゃが、美能と会えるもんなら訪ねていかにゃ
しようがないじゃない。それより、兄やん、山村じゃ」

波谷はずっとこらえていたものを吐き出すように言った。
義兄弟とはいえ、やはり親の仇だった。会えば勝負するまでである。

大西がじっと波谷の眼を見た。

「わかった守之。なんも、持って帰らす土産はないけん、今夜のところは
 帰っちょけ。あした、わしが阿賀へ行って話しするけんのう」

「ほんな、そうします。明日、来てくんないよ」

波谷は大西の眼をしばらく見返してから、
くるりと背を向けると電車通りを横切って行った。

それがこの世での大西政寛と波谷守之の別れになった。


昭和二十四年、九月二十七日。


大西政寛、美能幸三、波谷守之。

        それぞれの男たちの長い一日が暮れていった。
【53】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月10日 21時25分)


【殴りこみ】

波谷(はたに)守之は阿賀で、その第一報を聞いた。

車で通りかかった土岡組の幹部が叫んだ

「守之、幸三が親分を撃ったど!」

走り去る車を見つめながら、波谷は呆然と立ち尽くしていた。
周囲の全てが色褪せ、やがて、暗黒の世界にひきずりこまれていく。

親分が殺された。
しかも殺ったのが、義兄弟分の美能幸三・・・
ほかのもんじゃなく、なんで、美能が・・・

二つのショックが同時に波谷の全身を駆け巡っていた。

親分が、なんで、美能が・・・・こうしては、いられない・・・

数瞬の間、凍りついたようになっていた心臓は
その反動のように全身に大量の血を送り出していた。

波谷はすぐさま土岡組の事務所に向かった。

親分が殺られたんなら、相手の親分を殺らな、しようがないじゃないか。

山村を殺って、親分と一緒に死んでやろうじゃないか。

事務所では組員全員が広島へ行く支度をしていた。

トラックが用意され、誰もが興奮を抑えきれぬように、慌しく動いていた。

「守之、お前も早う、支度せい」
「早う、親分のところへ行くんじゃ」

トラックのエンジン音を聞きながら、波谷は誰の声にも耳を貸さなかった。

「死んだ者のところへ行って、なんになるんじゃ。
 一番は仇を討つことじゃないか」

土岡博の生死は知らされておらず、波谷は親分が死んだものと思い込んでいた。

また、弾が急所を外れていた、と知ったとしても、思いは同じであったろう。

波谷守之は道具を腹巻へしっかりと差し込むと、
去ってゆくトラックを見向きもせずに地下足袋で
一歩一歩、踏みしめるように山村辰雄の自宅に向かって歩いた。

会えるか、会えんか、
とにかく姿をみて、一発撃てたらいい、
十九歳の波谷の思いはその一点だった。

覚悟という重しを乗せて、ヒタヒタと鳴る地下足袋の足音が目的地へと進む。

「山村、おるの、出せい!」

山村の家に入るなり、波谷は低く、叫んだ。

山村組もすでに土岡組の殴りこみに備える態勢を整えていた。

「誰じゃっ!」

ドドッと足音がして二階へ通じる階段の途中まで、数人の男が降りてきた。

「波谷守之です」

「一人か」

波谷は黙って相手を睨み返した。
そのとき、二階から声が降ってきた。

「守之、お前、来たんか。来る思うた。まあ、上がれい」

紛れもなく、大西政寛の声だった。

兄やんが、なんでここにおるんない、
という不審を抱きながら波谷は二階に上がった。

そこには大西を中心に七、八人の男がいた。

「山村を出せい」

波谷の言葉を大西がどんな思いで聞いたのか、想像に難くない。

このあと、大西はひと言も口を挟まないのだ。

「おらん、留守じゃ」

「おるじゃろう、出せい」

「おらん言うたら、おらん!」

全員が波谷を取り囲んだ。

静まりかえった部屋の空気が揺れ、畳をこするような足音が響く。

波谷守之は腹巻に手を差し入れ、道具をしっかりと握り締めた。
【52】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月10日 17時26分)

【非 道】

ヤクザの世界で喧嘩(でいり)はつきものである。

そして、互いに命を狙うヤクザの世界では
相手を傷つけるより殺すほうが、話がこじれない。
死んだものは生き返らないからである。

ヤクザの喧嘩とは一種の様式化された美学でもあるのだ。
一撃にして相手を倒す。そのあとに必ず仲裁が入る。

仲裁人は喧嘩の原因を双方から聴取し、理非曲直をただす。
喧嘩すべき理由があれば、この一撃はやむを得なかったことだと、
喧嘩の正当性が、この稼業では認められる。

裁定に服さない場合は仲裁人の顔に泥を塗ったということで、
仲裁人自身も敵に回すことに陥るので、
たいていはこの裁定に服し、平和は回復される。

攻撃を受けた側には相応の賠償金も支払われ、
仲裁人も利害にとらわれず
公平な裁きを期待されるのである。

山村辰雄は美能幸三を鉄砲玉として飛ばしたが、
土岡博は一命をとりとめた。
こうなると、事態はすっきりしない。

土岡博が復讐を呼号すれば、精鋭な土岡組の面々は山村辰雄の命を狙うことになる。
仲裁が入るスキもなく、喧嘩は全面戦争にエスカレートする可能性がある。

山村辰雄はそれを怖れたのである。
美能幸三が警察に自首したところで、喧嘩の解決にはならない。

土岡博が死ねば、首領を失った土岡組は統率力を欠き、
そのうち仲裁が出て事態は収束に向かうだろう。

だが、土岡博は生きている。これが危険な兆候なのだ。
ここは、早いところもう一度襲って、土岡博の息の根を止めねばならない。

「土岡博を殺れなかった責任をとって、もう一度狙え」
と山村辰雄は美能幸三に迫った。

しかし、美能幸三はヤクザの筋として、親分の命令に従っただけで
人を殺して楽しむ殺人鬼ではない。

土岡博を狙撃し、血にまみれた姿が脳裏にこびりついていた。

恩をうけたことさえあれ、なんの恨みもない土岡を
もう一度狙うなど、実際、二度とごめんだった。

最初は土岡博を殺れば、全財産をやると言い、今度はもう一度やって自決しろ、という。

美能幸三は山村辰雄の顔をつくづくと眺めた。

なにか、大切なものが欠けている。
それはヤクザとはいえ、親分、子分の間の信頼と誠実さであった。

極道というのは人間のクズだ。
だが、クズはクズなりに、極道は極道なりに、誇りもある。

それは筋を通すということだ。
無法はすれど、非道はせず、という誇りである。
美能幸三は山村辰雄に心から失望していた。

もし、時計の針が逆回転してくれるのであれば、
自分は二度と土岡博に向かって引き金は引かない。
土岡博が倒れ、いま、山村辰雄が眼の前にいることが夢であってほしい、と念じた。
【51】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月09日 13時59分)

【宣 告】

美能幸三は土岡博暗殺の鉄砲玉として「飛んだ」

身を寄せていた広島市「岡組」の道場(賭場)近くで土岡ら二人を狙撃した美能は
警察の手を逃れ、なんとか、知人の家に潜りこんだ。

「あっちに行った、あっちに行った」
という、警察官らの声を聞きながら、
心身ともに疲れきっていた美能はいつしか寝入っていた。

「ここへ来とったんか、兄弟」という男の声で目覚めた。
岡組の舎弟である。

「おう、すまんのう。おい、あれからどうなった」

「土岡か。すぐ、病院に運ばれたが医者は助からん、言いよったど。
 弾が、のう、腹から入って背骨のところで停まっとるわい。
 おそらく、今晩、もつか、もたんか、やど」

「ほうか」
美能はとりあえず、自分の役目は果たした、と思うと全身の力が抜けた。

「連れの男は顔にかすり傷じゃ。そりゃ、ええが
 服部武(後の山村組幹部)よのう。土岡の叔父貴に悪い、言うて
 指をつめたど」

美能は早くもヤクザ社会に複雑な渦が巻き起こっているのを感じた。

男の手引きで呉に戻ると、大西政寛が待っていた。

「幸三・・・」と、一声かけると大西は美能を隠れ家に案内した。

「お前のう、ここで、待っとれい。そのうち、親分が来るけん」

大西にしてみれば「よく、やってくれた」と言いたかった。
いわば、自分の身代わりを買ってでての襲撃である。

逮捕されればそれこそ長期刑はもちろん、死刑も覚悟しなければならない。

しかし、その報酬として山村は全財産をやる、と明言していた。
ここは、親分の山村にまず、第一にねぎらいの言葉をかけてもらうべきだ、
と大西は考えていた。

美能幸三が隠れ家に入ったことを聞かされながら
山村辰雄は、もうひとつの報告を苛立ちながら待っていた。

それは土岡博の死であり、さもなくば、危篤、絶望の報だった。
しかし、夜九時にを過ぎて入った報告は逆に山村を絶望の淵に追いやった。

土岡は一命をとりとめたばかりか、弾は急所を外れており摘出すれば
明日にでも、地元の阿賀に帰れる、という。

山村は電話器を叩きつけると、そのまま、美能の隠れ家へと急いだ。

心中は不安と怒りが交錯していた。
不安は土岡組の報復であり、怒りはその原因を作った狙撃者である。

山村が営々として描いてきた絵図は今や崩壊した。

山村は二階にあがるのももどかしく、開口一番、美能幸三に怒りをぶつけた。

「お前、へたをやってくれたのう。博は生きとるど。博は。
 なんで、お前はトドメをささんかったかい。
なんか、お前は、一発撃って、あとは見向きもせんで
逃げてきおったんか」

美能幸三にしてみれば、思いもかけない親分からの言葉だった。
ヤクザとして親分のために、なんの恨みもない人を殺るべく
精一杯の努力をしたのに、頭ごなしに罵られる。
こんな理不尽なことがあろうか。

「ま、なんにしても、お前がやったことじゃけん、お前が責任をとれよ」

美能は唇をかんだ。いったい、自分はなんのために土岡さんを撃ったのだろうか。
もう、思い出したくもない、白昼の狙撃現場が脳裏にちらついた。

「わかりました。警察に自首します」

すると、山村は美能の顔をのぞきこんで言った。

「それもええが、お前、それより、ずうっと男になれる方法を教えちゃろうか」

「・・・・」

「お前、岡のところの山上の話、知っとろうが」

山上というのは岡組の若者で対立する組織の二人を射殺し、
警察に追われ、自決した広島ヤクザの鑑といわれた男である。

「お前もそうせい、も、一遍、やってよ。
それで死んだらお前もええ男じゃったと言われるし、
ワシはワシでええ、若衆を連れたとほめられる。
お互いにええ、じゃないか」

美能幸三にすれば、思いもかけない、宣告であった。
【50】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月08日 17時28分)

【狙 撃】

昭和二十四年、九月二十七日。

ヒロポンでもうろうとしていた美能幸三は午前十時になって、やっと起き上がった。

ぶらぶらと広島駅前の岡道場(岡組の賭場)まで歩き、中に入ろうとしたところ
電車通りの方から土岡博が若者二人を連れて歩いてくるのに気づいた。

錯覚ではないか?と眼をこすってみた。

間違いなく、標的の土岡だった。
美能はとたんに動悸が打ちだした。

懐の拳銃に手を忍ばせたところで、急激な不安感に襲われた。

出かける前、岡組の知り合いが
「ちょっと、道具を見せてくれ」
といって弾を出したり入れたりしていたのを思い出したのである。
もし、32口径弾が下の方に入っていたら役には立たない。

拳銃を確認する間もなく、
土岡の方が美能に気づき、声をかけてきた。

「おう、幸三か。どうしたんない、お前。えらい痩せとるが」

動揺を隠して美能は聞いた。

「はあ。そりゃ、ま、なんですが。おじさん、今日はずーっと
 こっちにおられって、ですか」

「いやいや、これからすぐ下(しも)へ、くだるんじゃ。
 連れの者といっしょに駅におったんじゃが、
汽車がくるまでにまだ、だいぶ、間があって
退屈なけん、ちょっと寄りに来ただけじゃ」

「あ、ほう、ですか」

「そりゃ、ええが、お前いうとったるが、ポンだきゃ、やめな、つまらんど
 わしも打ちよって、えらい目に会うたんじゃけん。
ま、体には気ぃ、つけよ」

そう言うと、土岡博はさっさと賭場へと入っていった。

美能は土岡を見送ると、早速、賭場の向かい側の洋品店へ入った。

道具を改めて見ると、案の定、弾が混じっていたので32口径弾を上に装填し直した。
殺ったらすぐ逃げるための車を呼び、待たせていたが、土岡はなかなか出てこない。

そこへ岡組の舎弟分の男が来て、美能に言った。

「兄貴、あんた、どうしても、殺らなあかんの。
 ほうやったら、ワシにやらしてつかあさい」

美能は断り、代わりにその男を車に乗せ、「今から、土岡を殺るけん」
という、言づてを預けて、山村のところへ使いにやった

そして、すぐ近くの顔見知りの男の家から無断でコルトの38口径を持ち出した。

「よっしゃ、この二丁が、ありゃ」

美能幸三は、洋品店内で腹這いになり、
タンスの鏡越しに賭場の入り口を見張った。

まもなく、女が一人出てきた。

賭場の中に向かって「おらん、おらん」と言ったのがはっきりと聞こえた。

土岡は、やはり、美能を刺客として警戒していたのだ。

やがて男が一人でてきて、道路の左右を警戒するように走り回った。
直後に土岡が賭場から走りで出てきた。

美能幸三は飛び起き、両手に拳銃を持ち、土岡博を追いかけた。

「叔父さん、往生してくれい!」

声をかけるや、振り返った土岡ともう一人の男に向かって
二丁拳銃の引き金を引いた。

バン!と音がして二人はひっくりかえった。

土岡博は右手をあげ、拳銃を制止して
「おい、幸三、待て、話しゃ、わかる」と言った。

とどめを刺そうとしていた美能の胸が疼いた。

なんのためにこの人を殺すのか。

だが、もう後へは引けなかった。

土岡の連れの男は顔面、血だらけになりながら
美能幸三に向かってきた。

「往生せい!」

美能は再度、引き金を引いた。だが、弾は出なかった。
ガチャガチャと引き金をひけど、弾は一向に出てこない。

広島駅前の繁華街である。
早くも警官を乗せたトラックが走ってくるのが見えた。

美能幸三は万事休した。こうなれば逃げるほかない。
拳銃を投げ捨てるとヤジ馬にまぎれて全力で走り出した。
【49】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月07日 21時41分)

【刺 客】

山村辰雄が大西政寛を懐柔して土岡博を暗殺する、
という謀略は頓挫しかかったが、
大西の舎弟、美能幸三が刺客を買ってでるという、
思わぬ展開となった。

美能が大西から受け取ったモーゼルの
HSCオートマチック32口径の拳銃は
銃把がウォールナットの木で覆われ
グリップの下からマガジンが装填される。
装弾は八発である。

しかし、美能がこの銃を受け取ったとき、
弾倉には三弾しかなかった。

美能はこのうち、一弾を試射してみた。

弾丸には威力があったが、残りは二弾となった。
これでは心もとない。

美能幸三はあちこち、弾を探して歩いた。

しかし、コルトやブローニングに使う45口径弾や38口径弾はあるが、
32口径弾がなかなか、見つからなかった。

拳銃の口径というのは、銃口の直径のことである。

米英ではインチを単位にしているので
例えば45口径拳銃というのは
百分の四十五インチの口径となる。

1インチは約25.4ミリだから45口径とは
銃口の直径11.4ミリの大型拳銃のことである。

標準ライフルが7.7ミリ弾を使うから拳銃の弾丸がいかに大きいかが、わかる。

モーゼルHSC、32口径は銃口の直径は8ミリである。
この弾が手に入らなかったのだ。

22口径弾ならあったが、これは小さすぎる。

だが、捨てるのはもったいないと
弾倉の32口径弾の下に22口径弾を詰め込んだ。

しかし、二発の本物は大丈夫としても22口径弾が
まともに飛ぶとは思えなかった。

もうひとつ、美能幸三が気がかりだったのは、
身を寄せている広島の「岡組」でたいていの者が、
彼が土岡博を狙っていると知っていたことだった。

土岡博暗殺を美能幸三が引き受けると、
山村辰雄は言った。

「殺ってもらうとして、なんじゃ、
これから博のことを『荷物』いう暗号にせんかい。
そうすりゃ、なんじゃないか。

荷物をどこへ送ったじゃの、
あす、そっちへ着くけん、
言うときゃ、よかろうが。
のう、そう、思わんか」

メールはおろか、携帯電話もない時代である。


翌日から美能が身を寄せている広島の岡組事務所に、
山村から頻繁に電話がかかってくるようになった。

そのたびに美能はでかけるが、
なんせ、電話がかかってきてからでは、
いつも、土岡博をとり逃がした。

岡組の連中がこれに気づかないわけがなかった。

山村からは「やる気がないんか」と邪推した小言さえ伝わってくる。

美能はただでさえ、なんの恨み、つらみもない土岡暗殺という重い宿命を抱え込んで
ノイローゼ気味になり、ヒロポンを打ち始めた。
【48】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月07日 15時22分)


【因 果】

昭和二十四年七月も終わろうとしていた暑い夏の夜だった。

馴染みの女との逢引のため、呉に戻っていた美能幸三は山村組事務所に呼び出された。
事務所の二階で大西政寛は五人の男に声をひそめて話していた。

「あいつら、蚊帳(かや)を吊って寝とるんじゃ。ほいじゃけん、入ったらまず
 蚊帳の吊り手を斬れい。そうすりゃ、どこん人間がおるか分かろうが。
 そこを片っ端から斬って、斬って、斬りまくれい。
 ええな、やったら、すぐに舟に戻るんじゃ」

それは土岡博の暗殺計画だった。

大西の情報ではその夜、土岡博らは江田島・高須の海水浴場のバンガローで
一泊するという。
中には天井の四隅から蚊よけの蚊帳が吊ってある。
吊り手を斬ればふわっ、と落ちた蚊帳は
人の寝ている形を自然に浮かび上がらせるうえ、中の人間は身動きができなくなる。
そこをめった斬りにするという計画なのだ。

舟はエンジンの付いた漁船を手配済みで、奇襲をかけたあとはさっと引き揚げれば
犯人も分からない、という絵図である。

大西は一同に集合時間の念を押し、山村辰雄の自宅へ報告に向かった。
「幸三、お前はどうするんない」

大西の問いに断るかけにもいかず、その夜のあてもないことから美能はそのまま、事務所にとどまった。
しかし、集合時間になって戻ってきたのは一人だけだった。

山村辰雄は怒った。もちろん計画は中止である。
美能幸三は半ば、安堵の気持ちが強かったが、大西の表情は曇っていた。

山村は怒りながらも、大西と美能を自宅に誘った。
怒りを冷ますため、一風呂浴びると、床の間に座って二人へビールをすすめながら
ため息をついた。

「まあちゃん、これから、どうすりゃ、ええ」

大西としては残った三人でヤルと答えるほかなく、美能はそれを聞いて大西にやらせる訳にはいかない、という舞台だった。

美能の言葉尻に山村は飛びついた。

「ほうか、お前、やってくれるか。じゃがなんよ。
お前には前がおるんじゃけん、下手したら死刑じゃ。のう。
そう、思うたら、お前にはやらされんよう。
そうかいうて、ウチで博をヤルいうたら、お前しか、おらんけん、のう」

山村は一人、首をひねったり、眼をつぶったり、ため息をついたりしていたが
突然、大声をあげた。

「幸三、ワシャ、真面目に仕事やっとるんじゃが、
このワシが土岡を殺ったるいうんじゃ。助けてくれい、この通りじゃ」

山村は美能の手を握ってオイオイと泣き出した。
美能は四十七歳になる山村辰雄の田舎芝居になかば呆れながら、大西を見た。

たまりかねたように大西が言った。

「もし、これが死刑になったから、いうてヤクザなら仕方ないですよ。
 早い話が土岡を殺る、いうたところで必ずしも殺るとは限らんのですし。
反対に殺られるかもしれん。
ほいなら、死刑といっしょじゃないですか。同じ死ぬんですけん」

すると山村はそれまで、泣いていたとは思えない調子で
「ほうか、ほうか」と表情を緩めた。

「ほいじゃ、幸三、殺ってくれい。その代わりお前がもし、無期か二十年くらいの刑で出てきたときは、そのときはワシの全財産をみな、お前にやる。
 な、まあちゃん、これでどうじゃ」

山村の口利きで美能は大西の拳銃を貰うことになった。

モーゼルのHSCオートマチック、32口径、全長十五・七センチ
重さ、僅か六百グラムという、いかにも大西の好みらしい道具だった。
山村辰雄の策謀は頓挫しかける寸前でなんの因果か、
大西の舎弟、美能が引き受けることになった。

もちろん、美能は土岡博になんの恨みもない。

美能は拳銃の軽さとは裏腹に
後悔という重い心を抱いて運命の日へと向かう
【47】

RE:仁義の墓場  評価

五右衛門座衛門 (2014年02月06日 21時13分)

トントン・・・




スッ・・・




・・・様・・・




笑う犬様。(ポソっ




1読書として、1日ぐらい待つことは屁でもない旨、残して起きまする。。




では失礼しました・・・。





サッ。





・・・スッ。
【46】

〜インターミッション〜  評価

野歩the犬 (2014年02月06日 20時40分)


■ROM専のみなさま(←誰やねん!)

 自宅ノートPCが外付けHDを認識せず
 本日分のアップが、不能の状態です。


 一日、猶予をいただきます。

 悪しからず


 野歩THe犬 拝
【45】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月05日 21時38分)

【変 心】

「ほんまじゃのう。
 なんで大西が山村さんについてしまったんか。

 それが悪魔のキューピー、生涯の謎じゃけんの。

 しかしの、
 大西が金に執着しだしたことを見抜いたんは、
 ある意味
 山村さんの慧眼なんじゃ。

 考えてもみい。
 臭い飯を食わんためには警官も撃たな、
 いけんと言うとった大西じゃ。

 逃げい、逃げい、は一生つきまとうかもしれんのよ。
 そげいな時に頼りになるのは金じゃ。

 山村さんはそこをついた。

 いや、はしこい」

昭和二十四年六月ごろになると大西は山村組の「客分」として
すっかり呉に居ついてしまう。

山村辰雄は組事務所裏に一軒家を借り、
初子を招いて同居させた。

「これも人の噂じゃが、山村さんが大西を取り込んだ
 切り札に使ったんは
  うちに来れば、警察とも話をつける、
  と言うとったらしいんよ。

 まあ、山村さんは博徒の土岡組と違って
  市内のいろんな事業の理事をしとって
 警察にも顔が利いたんは確かじゃ。

  実際、それまで尾道やら、福山やら
  逃げまわっとった大西が居ついてしまうんじゃけん
  そうも、見えるわな」

大西は字が読めなかったため、
広島から出ることを極度に嫌った。

不自由な逃亡がひと段落して、心にはすっかり隙ができていた。

その時期、山村組の若頭、佐々木哲彦は市議会の議長選挙の裏工作のため
議員を拉致、監禁した事件で拘留された。

山村の差し金で冷や飯を食わされた
佐々木はふてくされ、
釈放されてからもヒロポンに溺れ、中毒が進んでいた。

今や大西は佐々木に代わって、山村組の若頭の地位にあった。

山村辰雄の策謀は仕上げに入った。


山村は大西にそれまでの親分である土岡博がいかにだらしないか、
腹黒く、山村謀殺を狙っているかを
涙と怒りの迫真の演技で、縷々説明した。

「大西にはのう、免疫がなかったんじゃ、と思う。
 カシメ時代の向井さん、
 守之の叔父さんの波谷さん、
 土岡博さん、
 みんな、心は、一本気で
 策謀家、みたいな人を知らんできた。

 大西は死ぬ一月前まで、山村さんを疑うて、
 なかったろう、思う」

それは悪魔のキューピーが本当の悪魔に魅入られたとき、といえようか。

大西政寛はついに、自分の親分である土岡博、抹殺のハラを固めてしまう。
【44】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月05日 17時11分)

【懐 柔】

「まあちゃん、ワシの金でよかったら、ええように使ってつかあさいよ」

山村辰雄は賭場で大西を見かけるたびに猫なで声で話しかけた。

大西は太っ腹なその言葉にコロリと騙された。

土岡組は戦前からの博徒として、組の戒律は厳しい。

自分の賭場の揚がりからのテラ(上納金)も繁盛すれば、するほど大きくなる。

それに比べてなんと鷹揚な親分だろうと大西は不思議に思った。

もちろん、山村が戦後の新興事業で大金をつかんだのは知っていた。

また、闇成金たちの金のばら撒き方も見ていたが、
僅か、二年足らずの顔なじみに博打で勝手に金を使えと言った人はいなかった。

山村はさらに親密な素振りを見せる。

「まあちゃん、呉へ来たら、わしの事務所にも寄ってくんない。
 駅のすぐ、近くじゃ、なにかと便利じゃけんね」

大西の逃亡生活を知っていてこその、殺し文句である。

ある日、誘われるままに大西はぶらりと山村組の事務所を訪ねた。

折から、昼飯どきだったが、大西が驚いたのは
若い衆がみな、白米を食べていたことだった。

土岡組では幹部でも麦飯である。

しかも、ここでは厳しい規律もなく、若い衆が自由にふるまっていた。

組織として、どちらがいいか、というより大西の眼には全てが新鮮に映った。

折悪しく、山村辰雄は不在だったが、そこは抜け目のない山村だった。

お詫びに、と山村の妻、邦香が大西の妻、初子に観劇の誘いをした。

「あんた、どげんなもんでしょう。広島の芝居やし、観たい気持ちはあるんけど」

初子へのなによりの気晴らしである。

自分は逃亡生活ゆえ、自宅に長居はできない。
母・すずよも旅興行にでている。

一人で寂しい思いをしている初子の慰めに、
と山村からの思いもかけない配慮だった。

「おう、行かしてもらえい。
山村の親分には、わしがあとからよう、礼を言うとくけん
姐さんによろしうな」

後日、改めて山村組を訪ねた大西を山村辰雄は歓待する。

土岡組と違ってここでは「マサ」よばわりする者はいない

若い衆は美能幸三の兄貴分、悪魔のキューピーを目の前にして礼の限りを尽くす。

初子からは「広島で姐さんに買い物までしてもらった」との連絡が入る

大西は事務所の居心地の良さについつい、何日かを過ごしてしまう。

将へは実弾、馬には歓心を買う。

山村の懐柔策はじわじわと大西に忍び寄ってくる。
【43】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月04日 17時30分)

【翳 り】

昭和二十三年の夏、大西政寛の妻・初子は男児を出産した。

しかし、わずか生後三日目でこの世を去る。

「原因は風邪やったんかい、のう。
  まだ、自宅で産婆がとりあげる、時代じゃ。
 病院も今みたいに設備は整ったらんけん、
  そういう話はようけ、あったんよ」

大西の落胆は大きかった。

前年は兄が死に、引き換えにさずかったと信じていた我が子も亡くす。

そのころから、大西の周囲に不穏な変化が起きていた。

呉に進出した「土岡組」と新興勢力「山村組」の間の微妙な確執である。

「山村組」の山村辰雄は事業での勢力拡大を狙っていた。
しかし、山村組には大西政寛を核とする土岡組のような戦闘力はなく連携する組織もない。

あるのは資金提供を受けた海生(かいおい)逸一の庇護と
戦後という時流に乗れそうな己への自負だけである。

誰になんと言われようと、
金のため、目的のためなら、頭を下げ、泣き落としすら厭わずその場を切り抜ける自信はあった。

いわばヤクザとしては「筋と力」で押してきた土岡組とは対極である。

一方の土岡組は戦前からの純粋な博徒組織であっただけに、
こうした微妙な時代推移に対して全く無防備だった。

さらに山村辰雄が小心で猜疑心が強いことも見落としていた。

摩擦は起こった。

呉と吉浦の間にある魚市場で土岡組がセリ人たちの手慰みにと盆(臨時の賭場)を開いたのである。

この魚市場の理事に山村は名を連ねていた。

山村としてみれば、市場に落ちる金をむざむざ、
土岡に掻っさらわれるようで面白くなかった。

力さえあれば、自分が手にしていい利権である。

山村の不満は鬱屈していった。

さらに海水浴場の利権でも当初は折半で合意していたボートや遊技場の数がいつのまにか土岡組が増やしていた。

力では対抗できない山村辰雄は鬱屈の捌け口を謀略に求めた。

なんとか、土岡組を弱体できないものか。

山村が眼をつけたのは、逃亡生活に疲れ始めていた大西政寛だった。

逃げい、逃げいのくらし。

希望の灯と思えた長男の生後、わずか三日目の死。

そして貯まりだした金銭への欲望。

それらは大西の男としての信念を少しずつ狂わせていた。

狡猾な山村は悪魔のキューピーの微妙な変化を見逃さなかったのである。
【42】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月04日 17時26分)

【逃 亡】

昭和二十三年が明けた。

呉に進出した土岡組はシャバに出た大西政寛を中心に博徒としての勢力を拡大し、
その名は、広島はもとより、
松山、下関まで響いていた。

大西の負けず嫌いはますます顕著になってゆく。

博打で負けることをまるで「博徒失格」でもあるように認めず、
いざとなったらイカサマ札を駆使し
相手が気づいたそぶりを見せるや、
眉間をかすかに立て

「なにい、わしの札、見たいんか」
と、凄まじい気魄で睨みとった。

喧嘩でも博打でも、こと勝負となると気が違ったようになるのは生来の負けず嫌いもあったが、
意識の底には出自や屈辱をバネに
全て己の力でのしあがってきた、
という熱き思いの塊があった。

睨みとられた相手は元を取り返すべく、
大西の賭場に乗り込む。
胴元の大西がイカサマ札は使わないから、
結果、大西の賭場は繁盛する。

賭場を荒らして、自分の賭場に呼び込む。
これが大西流の勢力拡大図だった。

貯まった金は一斗 (十八リットル) 缶に詰めて天井裏や、押入れに積み上げていた。

しかし、この絶頂も長くは続かなかった。

大西の保釈はあくまで「事故保釈」であり、傷が癒えれば、当然収監の手が伸びる。

つまり、大西の自由は「逃亡生活」と同じことだった。

「そのころ、爺ちゃんの博打仲間がおったんよ。
 その人が言いよったんやが、
 あるとき、夜に賭場帰りの大西に会ったそうじゃ。

 電車で帰らんかい、いうたらの
 大西は言うた、そうじゃ」

「電車ん中で警察におうたら、逃げられん。
 逃げられん、いうことは、
 わしゃ、撃たないけん、殺さな、いけんけん
 わしゃ、歩いて帰るんじゃ」

逃亡生活中の大西はいつも腹巻の中に
コルトとブローニングの二丁拳銃をのんでいた。


その年の一月、美能幸三は山村組の若者頭・佐々木哲彦の妻から進駐軍の闇物資を脅し取った男の足を匕首で刺す、という傷害事件を起こした。

山村辰雄から自首を勧められた美能は大西に相談した。

大西は傲然と言い放った。

「なにが悲しゅうて(刑務所)に行かにゃ、ならんのない」

「問題じゃない、逃げい、逃げい。
 それで、もし、捕まえにきたら、構わん。
 撃ち殺したれい」

さすがの美能幸三も驚いて二の句が告げなかった。

以来、美能は福井、松山、尼崎と昔の凶状持ちのような股旅に出る。

やっと、広島の岡組に預けられたのは昭和二十四年の二月であった。
【41】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月02日 20時49分)


【絶 頂】

昭和二十二年の年の瀬。

美能幸三は計算高い、山村辰雄の尽力によって保釈された。
その足で向かったのはもちろん、兄貴分である大西の許である。
美能はそこで、初めて大西の妻(おんな)を知る。

「これ、わしの、な。吉浦(拘置所)で、弟に、こんな(お前が)目、かけて、もろうたじゃろが」
大西は照れくさそうに紹介した。

小柄で顔の小さい色白の初子がいた。

「初子さん、いうんはよ。呉の中通りにあった、
森永コーヒー、いう喫茶店のウェートレスやった、らしいんよ。
爺さんなんか、大西が連れあって歩いとるの、見て
あ、あの娘、森永コーヒーの・・・いうて、すぐ分かったらしいど。
それだけ、街中では噂の別嬪やった、ゆうことよ」

大西はいつも初子に優しかった。

美能はちょっと気に障ることがあると眉間が立つ大西を知ってのことから、思い切って尋ねてみた。

「兄貴、あんた、どうしてそがいに初子さんに優しいんじゃ。
文句も言わんで。
 兄貴に、似合わんじゃろうが」

すると大西は怒りもせずに即答した。

「わしはのう、いつ、飛ぶか分からん。
いつ、死ぬかも知れん。
 だいたいが保釈中の身じゃ。

わしみたいなもんに連れおうてくれるん、いうんは
 死んだもんと一緒におるんも同じじゃ。

じゃけん、生きとる間はのう、
大事にしてやらな、あかんのじゃ。
ほうじゃ、なかったら、わしらん、ようなところへ、
嫁、誰がくるかい」

幼いときから周囲の愛情に飢えていた大西ならでは、の言葉だった。

そのとき、初子はすでに妊娠していた。

時を前後して大西の兄・隆寛は肺結核で他界。
それだけに血を分けた新しい命の誕生を心待ちにしていた。

それは母、すずよ、にしても同じだった。
長い看病生活から解放され、長男と引き換えのように孫ができた。

大西が腹を切って出てきたときは驚いたが、初子を可愛がり、
開いている賭場も繁盛し、胴元として安定した金も入ってくる。

大西は芝居好きな母、すずよのために「大西組興行部」という旅芝居組織をつくり
すずよ、を座長として、中国・四国を巡業興行させた。

大西親子にとっては生涯の絶頂期であった。
【40】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月01日 21時05分)


【保 釈】

「ヤルといったら必ずヤル」

悪魔のキューピー・大西政寛の名前が知れ渡ったのは「力」だけではない。

己の自由を束縛するものに対しては「身体を張れる性根」が畏怖されたのである。

吉浦拘置所で割腹し、病院に搬送された大西の意識は、
はっきりしており、治療中も呻きをこらえるふうだった、と伝えられている。

手術中に駆けつけた波谷守之はその傷を見て驚愕した。
ガーゼが埋めてあった腹は厚い皮が真一文字にべろりと開いていた。

二日後、改めて見舞いに来た波谷に大西はまだ、腹に力の入らない声で言った。

「おう、守之か。(美能)幸三いうやつをなぁ、なかで舎弟にしたけん
 生きのいいやつじゃ。負けるんじゃねえど」

あまりの傷の深さを見ていた波谷は改めて聞いた。

「兄やん、あんた、ほんまに死ぬ気じゃったんか」

大西はさらりと言った。

「死ぬ気じゃあるか。じゃきに痛かったのう。
 ほいで、必死になって抱えとったが、重いもんじゃのう」

自由を獲得するため、割腹し、飛び出した内臓を自ら抱える、という姿は想像するだに
鬼気迫る、凄まじいものがある。

「そういや、大西が緊急入院したあと輸血がいる、いうんで小原馨の奥さんが行っとるんじゃ。亭主を片腕にされとるんに、のう。まあ、逮捕されたんが馨の事件じゃ、いうても
恩讐を越えた、ええ、話じゃろうが」

大西は事故保釈として、自由の身になる。

「口でもの言わんで、厚い腹を横一文字に切る真似なんざできん。しかも、生きて出るために重い内蔵を抱えて、のう。並の強さじゃないけん。
生きとったら、おっとろしい男になった、思うの」

九月、美能幸三は懲役十二年の判決をうけ、広島刑務所に送られる。

兄貴分の大西との別れとなったかに思えたが、僥倖が舞い込む。

親分たる山村辰雄が「なかで、幸三が大西の舎弟になった」との話を聞きつけたのだ。
しかも、その大西自身がジギリをかけて保釈となった。

「悪魔のキューピーの舎弟がおれば、使い道はようけ、ある」と狡猾な山村は考えた。
終戦直後の刑務所はどこも受刑者であふれていた。トコロテン方式に誰かを押し出さなければ新しい受刑者が収容できない状態だった。

現在では信じられない話だが昭和二十二年十二月、広島地裁は山村辰雄が支払った五万円で、美能幸三を保釈した。

片方は壮絶なジギリで、片方は親分の打算で
大西と美能は運命の糸に操られるようにシャバで再会する。
【39】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月01日 17時16分)

【ジギリ】

ジギリをかける、張る、ともいう。  身体をはって、我を通すことを指す。

美能(みのう)幸三を舎弟にした大西政寛はシャバの波谷(はたに)守之の事を教えた。

「お前のう、わしには、実の弟のように可愛がっている守之、いうんがおる。
 まだ、十八じゃけん、生きとれば、あれは男になるど。お前の方が三つ上じゃ。
 守之に負けるなや」

中と外に弟分をもち、当初は上機嫌だった大西だが、次第に不自由な拘禁生活が辛くなり鬱屈してゆく。

前年の盆踊り大会で小原馨ら二人の腕を叩き斬った傷害罪は初犯とあって、すぐ保釈となった。しかし、今回は直接、手を下していないとはいえ、保釈中の事件である。

公判の経過からいって前の刑が加算され刑務所送りは必至である。

「わしは、出たいんじゃがのう」

美能は「兄貴、今度の刑が軽けりゃ、保釈はきくけん、もちいと、辛抱してつかいや」
となだめる毎日だった。

大西はカシメ時代から人に理のないことで、一度も頭を下げたことがなかった。
それは自分の自由を誰からも束縛されないためであった。

水飲み場でトビを刺したのも、威張ってビールを取り上げた水兵を刺したのも、
全て人に頭を下げず己の自由を守りたいからだった。

読み書きのできない大西にとって「力」こそが、我が身を守る全てだった。

しかも、今や賭場を仕切る親分でもある。
人の物を盗んだり、脅してたかったりしているボンクラや愚連隊ではない。

博打は職業(シノギ)であり、イカサマ札を使うのもシノギを守るためだった。

仲裁に入ったはずの喧嘩の巻き添えで受刑するのは「恥でしかない」と思っていた。

しかも、当時、結核で入院中の兄、隆寛の容態が悪化。母のすずよ、がつきっきりであった。妻にしてまもない、初子も気がかりだ。

大西はジギリを張る決心を固めた。

逮捕から二ヶ月ほどがたった暑い日、大西は美能のところに来た。

「おい、わしゃ、今日、出るけんの」

「保釈・・・決まったん、かいの」
驚いた美能の問いかけに返事せず、大西は話を続けた。

「出たら、なんか、言うとくことないか。先に出て待っちょるけん」

意味不明な言葉に呆然とする美能に背を向けた大西はそのまま、拘置所内の散髪室に向かった。

「おい、剃刀、貸せい」
鏡越しに男が見た、大西の眉間はすでにくっきりと立っていた。

大西は男がおろおろするのを尻目に散髪室にどっか、と腰を下ろすと
腹をむき出しにするや、いきなり剃刀を深く左腹に切りいれ、
そのまま、真一文字に二十センチほど切り裂いた。

「ヒエ―――ッ!」

男の悲鳴で房内は大騒ぎになった。

「おい、お前の兄やんが腹、きったど!」

散髪室に飛び込んだ美能幸三が見たのは、血だまりの上であぐらをかき、
飛び出した内臓を必死になって受け抱えていた大西の姿だった。
【38】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月31日 17時27分)

【血の盃】

呉署に逮捕された美能(みのう)幸三は佐々木哲彦の申し出をのみ、一人で罪をかぶった。
証拠となる凶器の拳銃は「逃げる途中の川に捨てた」の一点ばりである。

逮捕から三日目、山村組組長、山村辰雄と山村の顧問、谷岡千代松が面会にきた。

二人は美能が一人で罪をかぶったことを誉めやかし、山村の若衆になることを勧めた。
新興の組織としては、生きのいい若者が一人でも多く欲しかったこともあるが、
なにより若者頭の佐々木らが逮捕、裁判となれば、金もかかる。

力の土岡組と違って、山村は「これからのヤクザは銭」という考えだった。

つまり、打算の上での勧誘だったが、山村の人物も知らず、
すでに覚悟を決めていた美能は、一匹狼から晴れてヤクザの世界に入れると思って頭を下げた。

「ならして、もらいますけん」

以後、三ヶ月余り、九月に懲役十二年の判決が下るまで美能は吉浦拘置所で過ごすことになった。

「まあ、美能もそんときは、まだ、山村さんのことわからんきに、若い者にしてもらう、いう返事したんじゃろうが、子供のころに博打打ちが雨の日に大島の着物にインバ羽織って女と相合傘しとるの見て、博打打ちになったら、あげいにええ格好できるんかいの、
思うたことある、言うとったから、一種の憧れみたいなもんがあったんじゃ、なかろうか」


吉浦拘置所で美能と大西が顔を合わせた瞬間の話は、今のところ、手持ちの資料のどこにも載っていない。

美能は「青タン狩り」の現場を目撃して、すでに悪魔のキューピーにシビれていたから、
出会った瞬間に挨拶したことは想像に難くない。

また、大西も「阿賀の二の舞を踏ませないため」に美能が一人で罪をかぶった噂は耳に入っていた。

当時、闇市でのかっぱらい、蔵品強盗が横行し、どこの警察署の留置所も拘置所も満杯であった。
闇成金は肥え太っていたが、まだまだ、今日を食いつなぐための犯罪者はあふれていた。

そのころ、大西には初子という女がおり、その初子の弟が微罪で美能の雑居房に入ってきた。

「おい、美能よ、お前んとこにおるの、わしの女房の弟なんじゃ。可愛がってくれよ」

憧れの悪魔のキューピーから眼をかけられた美能は興奮した。

なんの娯楽もなく満杯の拘置所では、しばしば、相撲での力自慢が始まった。

三人、四人と投げ飛ばす男を見た大西が美能に言った。

「おう、お前、いけい」

仕方なく出て行った美能は「おい、喧嘩でこい。わら、相撲強いかしらんが、喧嘩なら負けんど」とタンカをきり、男に組み付き、かみつき、ボコボコにした。

相手をひと睨みする大西は美能の度胸が気にいり、二人は次第に近づく。

風呂の順番は大西が一番、美能が二番である。

やがて裁判が始まる。
護送車などはなく、陣笠をかぶせられ、数珠つなぎとなって吉浦から呉まで、貨車護送である。

「これは見た人がおるんじゃ。
呉の駅前を繋がれて歩く美能さんが、隠し持っていたモクにパッと火を付けて前を歩いとる大西にやり、
自分も、もう一本つけて、うまそうに、吸うとったらしい。
看守は見て見ぬふりじゃったそうな」


七月、二人は兄弟盃を交わす。


「映画にもあったろうが、二人が腕切って、お互いの血、すすった、いうて。ありゃ本当じゃそうで。
それが兄弟分の盃じゃったいう、
のう。もう、ほんまもんの義兄弟じゃ」
【37】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月30日 17時38分)

【偶 発】

昭和二十二年五月、大西が逮捕されてまもなく、
呉では、山村組をめぐってもうひとつの殺人事件が起きた。

きっかけは、呉市、朝日町の遊郭で山村組の若衆と旅人(よそもの)
との間でささいな喧嘩であった。

旅人は一見してヤクザ風で一度は山村組の若衆に叩き出されたものの
翌日になって日本刀をもって仕返しにきた。

そこで、山村組の若衆の指、二本を斬りおとしたことによって騒ぎは大きくなった。

「タビのもんになめられておられるか!」

若者頭、佐々木の一言で十人ほどが、日本刀、拳銃の喧嘩支度を始めた。

この騒ぎを聞きつけたのがビリヤード場で遊んでいた、
復員兵上がりの愚連隊、美能(みのう)幸三である。

指を斬られた男というは、美能の遊び仲間であった。

野次馬気分で山村組の事務所をのぞくと、顔なじみの若者がいた。

「おう、今から、やり、いくけん、こんな(お前) 見に来いや」

美能は金魚のフンのような形で一行の後をついていった。

バラックの掘っ立て小屋のような酒場で日本刀の抜き身を下げた男がいた。

「どうなっとんの、かいの」
と聞くと、先発隊の二、三人は男に川へ落とされた、という。

「よーし、ワシがいっちやろう」と息巻く男がいたが
佐々木が「お前じゃ、相手にならんど」と、言う。

要は誰もが、怖気づいてしまっていたのである。

微妙な雰囲気を感じ取った美能が佐々木に言った。

「やられたんは、ワシの友達じゃけん、なんなら、ワシがいっちゃろうか。
 誰も、やらなんだら、山村の恥じゃろうが」

「こんな(お前)、道具、持っとるんか」

「持っとらんよう」

「ほいじゃ、ワシの道具貸すわい。ほいで、ワシがおびきだすけん、
 こんな、が撃てい」

「うむ。任しとけい」 美能は佐々木から軍用拳銃を受け取った。

バラックを一歩入ると、抜き身を下げた男が「また、来やがったか!」と斬りかかってきた。

美能は拳銃の引き金を引いた。カチッと音がしただけで弾は出なかった。
男は一瞬、ひるんだが、弾が出ないとみて再度、斬りかかった。

美能は再度、引き金を引いた。 「バン!」と音がして、男は大の字になって倒れた。

「やったど・・・」  美能が振り返った佐々木に告げると大声がした。

「MPが来るど! 逃げい、逃げい!」

美能や山村組の面々はクモの子を散らすように、逃げ出した。

翌日、街をぶらついていた美能は「ちょっと、来てくれんか」と刑事に声をかけられ
呉署に連行された。
そこにはすでに、佐々木ら山村組の面々がいた。

佐々木は美能に耳打ちした。

「実はのう、ケンカのきっかけになったヤツに自首させたところ、みんな、唄うてしもうて(自供して)この始末じゃ。阿賀の二の舞は踏みとうないけん、こんな、が一人でやった、というてくれんかいの」

この「阿賀の二の舞」というのが、大西たちの事件である。

美能は撃った手前もあり、これをきっかけに愚連隊からヤクザの世界に入れるとの期待から佐々木の要求を受け入れた。

押送された吉浦拘置所で美能幸三と大西政寛は運命的な出会いを果たす
【36】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月31日 17時38分)

【山村組】

悪魔のキューピー・大西政寛を核とした、土岡組が進出したころ、
呉では、もうひとつの新勢力が萌芽していた。

山村辰雄を親分とする「山村組」である。

山村辰雄は明治三十六年生まれ。

大正十一年、十七歳で呉の「小早川組」の盃を受け博徒になった。

昭和九年、三十歳で那香と結婚。
大阪の浪速造船所で職工として働きながら賭場出入りをしていたが、
昭和十九年、賭場のいざこざから大阪を追い出され、故郷の呉に帰郷。

終戦と同時に、先に土岡組に「青タン狩り」を依頼した海生逸一の資金援助を受けると
昭和二十一年三月、土木請負業「山村組」の看板を挙げた。

当初は進駐軍の依頼による材木運搬が中心だったが、
瀬戸内海の小島に投棄された弾薬処理の下請けでひと財産をあてる。

要は実業家を表看板とする戦後やくざの、走り、である。

若者頭は短気で「人斬り哲」の異名を持つ佐々木哲彦だったが
阿賀の土岡組と違って、いわば、
元気がいい若者たちを寄せ集めた「にわかヤクザ」であった。

すでに悪魔のキューピー、大西正寛の名前は轟いており、
呉のヤクザは阿賀、土岡組と聞くとシビれていた。
【35】

RE:仁義の墓場  評価

五右衛門座衛門 (2014年01月29日 19時39分)

れおさん

無事でした。
とんだ行き違いでしたね。失礼致した。

>この世で、果すべき使命がまだあるでごじゃるよ。(キッパリ!

やり残しは沢山ありますね。。


>眼精疲労って、そんな激痛走るの?

例えば長時間同じ画面を見続ける(仕事でのpc作業やゲームでもパチでも)と、目の奥が痛くなった事はありませんか?それが頭全体に拡がっていく感じですね。


>ありふれてますが。『 健康、第一 』!

その通りですな。
お心遣い、感謝します。


では・・・。
【34】

RE:仁義の墓場  評価

reochan (2014年01月29日 09時18分)

のほさん、五右衛門さん、おはよーでございます。←ココは丁寧に。♪


五右衛門さん、髄膜炎!!!
(
でなくて、良かったーーー!

この世で、果すべき使命がまだあるでごじゃるよ。(キッパリ!

眼精疲労って、そんな激痛走るの?

ココの書き物もコワイ。けど。激痛もコワーイ!

お二方、どうぞ御身を労られ、お健やかに過ごされますことを、

お祈りいたしておりまする。

↓の退院後、ぱちがどうの、虎がどうのは、

のほさんのことだよん♪(^-^)v


眼精疲労・・・

暫くは、カキコ止めて、ロム専されることを

切に。拙に。説に。( *・ω・)ノ

★追記

急用で途切れました。

2000文字・・携帯で・・!Σ( ̄□ ̄;)

お二方、似てる・・律儀なトコも。

首ながーーーーくして、待ってるでごじゃります♪


ありふれてますが。『 健康、第一 』!
【33】

RE:仁義の墓場  評価

五右衛門座衛門 (2014年01月28日 23時04分)

トントン・・・



スッ・・・



・・・様。



横綱・野歩号様。(ぽそっ


再びお邪魔致します。


八重洲ブックセンターで初動第1位を獲得したとのお噂である、この話題作品を拝読して参りました。

現在【6】まで一気読み中です。寝不足注意ですな。

感想は終末まで読み終えてからにさせて頂きますが、これからも一読書として楽しみにしております。

小生は見当違いも甚だしい認識でしたな。。
失礼致した。

この物語だけは定期購読致しまする。。
これは、気持ちばかりの購読料で御座る。

どうか取っておかれよ・・・

ソ・・・


( ^ ^ )/■  ←  おま◯じ◯う  いっぱいアルヨ♪




>おまぃ、どんどん、誰かに感化されとるぞ。

き、気のせいで御座る。、


>ンバッキャロウ!じゃぎ、ここは道場じゃねぇ!

そ、それは認めます。、


>髄膜炎のせいじゃね?
・・・いや、すまん。マジでお見舞い申し上げる。大事なくよかったな♪

脳の痛みとは怖いものだと文字通り痛感したで御座る。

省みると、恐らくは眼精疲労から来るものだと。医者には『ほぼ毎日スマホで個レスを練り練り2000文字以上書いてます』とは流石に言えなかったですがな。笑うに笑えない話で御座る。(無論、仕事もあいまっての事ではあるのだが)



>最後に言っておきたいことがある!

あい??去り際になんぞや?


>あほ、この!
もういっぺん、読み直せ!  ありゃ、MAXじゃわい!

本当ですか!?
スマホで遡るとマジでキツイので会社PCにて再確認致します。







PS・れのさん
入院してないし、パチもしてません。
一応、元気になりました。
悪しからずm(._.)m






それでは失礼致した。



サッ・・・




スッ・・・
【32】

RE:仁義の墓場  評価

reochan (2014年01月28日 20時00分)

オーレ、俺、俺 、れおです!(キリッ!( ̄▽ ̄)=3


ィヤッホー♪

のほさん!からの返信いただきー♪

じ、実は書いたものの、あまりの幼稚園児文ゆえ、
消しました。(>_<)

なのに。消したハズの・・

文章上手い人→沢山本読んでる→賢い人(れおの見立て

ただ、読んでますって、伝えたかったのと、

応援エール送りたかった。(#^.^#)

だけど、文章が恥ずかしくって消しました。( *・ω・)

五右衛門さんが、退院した日にぱちがどうとか、ありますが、

もう良くなったんですか?

    のほさんと会話出来て。

しぁーわせぇ。(ぼー♪(ノ´∀`*)
【31】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月28日 17時29分)

【逮 捕】

昭和二十二年五月二十二日の昼下がりだった。
大西政寛に左腕を斬り落とされ「隻腕」となった小原馨は市電交差点前のマーケットで
若者とコップ酒をあおっていた。

悪魔のキューピーの名前が売れると
「あの大西に斬られた男」としてまた、小原の名前も知れ渡っていた。

なにより大西自身が、弟分の波谷守之ら若衆に
「俺は、これから伸びる男の腕を斬った。
そいじゃけん、あいつらが向かってくるなら喧嘩もええじゃろうが
そうじゃなければ、お前らの先輩じゃ。
兄やん、兄やんいうて、たててやってくれ」と言っていた。

極道社会ならでは、の論理である。

事実、土岡組側では組長、土岡博の肝いりで小原を「舎弟に迎える」という動きがあった。

これにカチンときたのが小原の兄貴分であり、市議会議員に当選した桑原秀夫であった。

桑原は当時、三十六歳。
もう、愚連隊の頭領みたいな真似はできないが、これから議員として市内の利権を握っていくためには、小原を「黒い背景」として支配下においておきたかった。

マーケットを通りかかった桑原は小原の背後から「残った」右腕からコップをひったくった。

「おい、馨。お前、このごろ、生意気じゃのう」

「なんかい、兄貴かいの。なんですかい」

「なんですかい、ってあるかぁ。わりゃ、岡土の盃、もらうんか。
 馬鹿この、恥を知れ!」

「恥?なーんをいうんなら、兄貴、兄貴はもう議員先生じゃろうが。
 犬のケツかきよって、わしらに口出しせんで、つかぁさいよ」

「なに?おどりゃ、も、一遍いうてみい!」
桑原は店の流しにあった出刃包丁を握るや、小原の額を切りつけた。

「なにすんじゃい!」

双方、四、五人ずつが入り乱れての乱闘となる。
「兄貴、こらえてつかい!」
場を収めようと小原のとりまきが必死になって割り込んだ。

「馨!道、外しよったら、ただじゃ、すまんど」
荒い息で桑原が捨て台詞を吐いて、背をむけた。

病院で傷の手当を受けた小原はハラを決めた。
喧嘩(でいり)である。

自宅に戻り、十人ほどの若者を集めると匕首、日本刀の道具をそろえた。

噂を聞いてやってきたのが、大西だった。
すでにエンジンがかかっていたトラックは大西を乗せ、桑原の自宅に向かった。

午後五時すぎ、果たして桑原も喧嘩支度で待ち受けていた。
トラックから最初に降りた大西が、玄関に入った。

悪魔のキューピーの先陣に手榴弾を手にした桑原方もシビれて動けない。

大西は周囲をひとにらみすると、中に向かって声をあげた。

「秀やん、どうしたんない。なんで、馨とこんなことになったんや」
「秀やん、馨と話せい」

「おう、ほんなら、馨、あがってこい」
二階から桑原の声がした。

大西と小原が連れ立って二階にあがった。
桑原が三人の男を背に畳に座っていた。桑原が視線で「座れ」と合図した。

大西と小原があぐらを組んで、緊張の糸がゆるんだその、一瞬だった。
階段を駆け上がる音がしたかと思うと、
風のように部屋に飛び込んだ男が桑原に体当たりした。

男の匕首一突き、で桑原は絶命した。

「殺人、共謀共同正犯」。
小原ら二人の腕を斬り落とした傷害事件で保釈中の大西は
今度は小原の喧嘩仲裁に入りながら逮捕され、吉浦拘置所に送られた。
【30】

〜ブレイクタイム〜  評価

野歩the犬 (2014年01月28日 17時27分)



■風のゴンザさま

>しかしそんな小生の酔狂事はどうでも良い!(キリッ

おまぃ、どんどん、誰かに感化されとるぞ。

>仁と義を語らう部屋をここに見つけ申したのだから・・・。

いや、あの勝手にカキコしてるだけで、語り合う部屋じゃないど。

>この仁義部屋で少し鍛えては貰えぬだろうか!?

ンバッキャロウ!じゃぎ、ここは道場じゃねぇ!

>かの部屋では武士キャラを確立し損ねてしまい、丁度方向性を見失っておる。。

髄膜炎のせいじゃね?
・・・いや、すまん。マジでお見舞い申し上げる。大事なくよかったな♪

>時間がかかるやもしれませぬが、しかと読ませて頂きます。

うむ。相当スローリーな執筆だから、よろしくな。

最後に言っておきたいことがある!
>幹事長が、一時退院?の際にタクシーから直でホールにタイガー2甘を打ちに行った日記を覚えてます。どんだけww

あほ、この!
もういっぺん、読み直せ!  ありゃ、MAXじゃわい!


■オーレ、俺、俺、れお〜♪さま

>仁義部屋が、なにやら武士道部屋になってるよう・・
ではござらんか?

いや、あの・・・土ザ衛門が流れてきよってからに・・・

>仁義に反応するは、高倉健の影響にごじゃる。

に、任侠映画におじゃる丸が出るで、ごじゃるか・・

>のほさんの書き物は、リアリティー有りすぎ!

所詮、あっち、こっちからの孫引きですから。

>のほさんは、その時代のことは、いい伝えを元に書かれているんですよね?

まっちゃんは、カシメを引退してからも私が高校生のときまで、
鳶仕事をしていて、いろいろ昔話を聞かせてくれました。
週間実話かなんかの、フリーライターからも取材を受けたそうです。

>凄い文才!(ナニカクレ)←コワイから、イイにゃ♪

つーか、【28】でのセリフのやりとりなんて、誰も直に聞いたヤツおらんのじゃけん
一応、資料は参考にしたが、全くの、テケトーだ!
それより、一枚に1プロットを収めるのに往生しよる。

>ゆっくり。まったり。そして、ながーーくお願い♪(^-^)v

ありがたい♪ そのお言葉こそ、最高の励みになります♪

では・・・本編再開

ありゃ?  れれれ? れおさん、自消しした?
【29】

RE:仁義の墓場  評価

五右衛門座衛門 (2014年01月28日 10時46分)

野歩the犬様




トントン・・・





スッ・・・





失礼させて貰うで御座る。。






風の便りで、仁と義を語らう部屋が何処かにあると聞いてピワド中を探し回っておったでござる。

都道府県別
47都道府県+7エリア=54トピ
業界行政
8トピ

くまなく1ポチ及び斜め読み、という見当違いをしてしまいました・・・。

しかしそんな小生の酔狂事はどうでも良い!(キリッ

かいた汗は無駄にはならぬ。
仁と義を語らう部屋をここに見つけ申したのだから・・・。

改めて宜しくお願い申し上げまする。。




>なかなか酔狂なコテハンでござるな・・・

なあに、主の方こそ武骨なコテハンとお見受けし申した・・・


>ムハハ♪ ダブル衛門よ。まだまだOLGのROMが足りんぞ。
カチコチレスではピワドでザイルの右に出るもんはおらん!

うむ、敵うはずも無い事は承知しておる。
年齢も人生経験が違いすぎる!
この仁義部屋で少し鍛えては貰えぬだろうか!?
かの部屋では武士キャラを確立し損ねてしまい、丁度方向性を見失っておる。。



主が書き起こした仁義の読み物。
時間がかかるやもしれませぬが、しかと読ませて頂きます。



失礼致しました。
返信はくれぐれも御自身のペースで。


では。。









スッ・・・
【28】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月26日 22時25分)


【引 導】

悪魔のキューピーの賭場荒らしによって
「山手」にはすっかり人気(じんき)が飛んでいた。

大西は呉の中心部「中通り」に「大西組」としての道場(賭場)を開く。

青タン狩り以降、闇市では

「昔、楠木、今は乃木
 昔の仁吉、今は昭和の大西まぁちゃん」

という、まっちゃんが口ずさんだ囃子歌が誰彼となく広まっていた。

「なんせ、そのころの警察いうても、
武装解除されとるけん、警棒一本の丸腰じゃろう。
 愚連隊には手を焼いとってで。
 じゃけん、警官自体がボンクラには
 おなじ遊ぶんじゃったら、まあちゃん、みたいになりない、いうとったんは
 ほんとのことで」
 

昭和二十一年の年の瀬、大西政寛と土岡正三は
呉の古参博徒・久保健一が首領、「久保組」の花会に向かっていた。

二人が久保の家に入ると玄関先に各地の一家からの祝儀ビラが貼り出されていた。

字が読めない大西は代紋の形で「読み取り」土岡正三に言った。

「土岡組の、あれじゃろう、あげいに下じゃ」

土岡も怒気を含んだ声で答えた。

「お〜う、あないに下のほうじゃ」

大西が着ていたインバ(着物のコート)をさっと脱ぎ、足早に座敷に入った。

二人は不審げな表情で火鉢の前にいた久保健一の前に立った。

「阿賀の土岡いうたら、あげん、安く踏まれとるんか
 これじゃ、土岡も浮かばれんのう。
 久保さん、これ、どげん考えがあってのものじゃい。
 始末はどう、つけてくれるんかい!」

明らかな因縁であったが、すでに大西の眉間は縦に立っていた。

「なんで返事せんのじゃい。せんゆうことは、なにしてもええ、いうことかい!」

久保健一の周囲には何人かの若衆がいたが、悪魔のキューピーのあまりの剣幕に声をあげるものすら、いなかった。

「なんか、言わんかい!わしらぁ、恥かかされて黙っておれんのじゃ。
 喧嘩、売っちょるんじゃい!」

「なんも言わんのなら、やるまでじゃ!」

大西は久保健一があたっていた火鉢を抱え上げるや、いきなり若衆にむかって投げつけた。

炭火がとび、灰がもうもうと舞い上がった。
若衆たちはとっさに逃げたが、誰一人たちむかっていかない。

ただ、久保健一だけは泰然自若として座っていた。

「これじゃ、おえんのう」

畳が焦げる匂いの中、大西はインバをつかむとゆっくり背を向けた。

自分の若衆が誰一人として「悪魔のキューピー」に動かなかったことに久保は落胆した。

「俺はあの若僧一人と、命のやりとりはできん」と引退を決意する。

翌年の春、戦後初の全国総選挙に「足を洗った」久保は
呉市会議員として出馬した。

定数四十に百二十四人が立候補する乱戦だったが、三位当選。

そして、その選挙に土岡組と対立していた「桑原組」の桑原秀夫は三十九位で滑り込んだ。

大西の周りにまた因縁の糸が絡みだす
【27】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月25日 17時12分)

【進 出】

大西政寛を中心にした土岡組による呉の「青タン狩り」には、背景がある。
依頼主がいたのである。

土岡の地元、阿賀で戦前からガス荷役、土木の事業を請け負っていた「海生(かいおい)組」
の親方、海生逸一である。

海生は阿賀が戦火を免れたことを足場に終戦と同時に呉の興行界への進出を計画。
復興が始まっていた呉市内に映画館を二館、持っていたが、
愚連隊の青タンに手を焼いていた。
海生が持ちかけた話は土岡組にとっても「渡りに舟」だった。

当時、隠退蔵物資の闇取引による成金たちで、呉の賭場には現金が飛び交っていた。

「十八リットル缶に札いっぱい詰め込んでくる客やら、おってのう。
テラ(胴元)だけでも一晩、当時の金で何十万、てあったらしいんじゃ」

呉に土岡組看板の賭場を、持つ。
それは金のなる木を手に入れることになる。

「青タン狩り」はいわば、土岡組の「呉・進出」の旗揚げであった。

大西はかつてカシメで名を売った呉にいよいよ「悪魔のキューピー」の異名を背に
売り出していく。

まず、眼をつけたのが「山手」の賭場であった。
青タン狩りで機先を制している大西にとっては、蹴散らかす格好の舞台だった。

そのころの博打、といえば手本引である。
胴が一から六までの札を懐の中で繰り、カミシタ、と呼ばれる手ぬぐいの下に置く。
張り方はそれを推理して当てる、という単純なゲームだ。


配当はタテで十四割、中が六割、止まりが五分、ツノは総どりの保険の二割五分。

しかし、これが単純ゆえの「奥深さ」がある。
胴は最初に「六」を出し、次に小戻りの「五」また「五」飛んで「一」などと札を操る。
いわば「心理戦」だから、
胴の癖を見抜く推理、大きく張る度胸、場全体の張り駒の運など、全てがうまく噛み合わないと、なかなか勝てない。

元々、賭場というのは現代のパチンコに限らず、胴元は黙っていても金が落ちる仕組みになっているから、
いわば、張り方、客同士の金の取り合いである。

そこで必勝法として「イカサマ札」が使われる。

「大西はそのイカサマが強かった。うまい、んじゃないよ。強いんじゃ」

イカサマ札を使うときは、どうしても眼の色が変わったり、落ち着きがなくなる。
しかし、大西は冷静で態度や雰囲気が全く変わらなかった。

胴が「その札、見せてみい」と言おうもんなら
「う、もう一度いってみい」と下から睨みつける。

「ワシの札、見たいんか」と言った大西の眉間は縦に立ち
火鉢から火箸をつかむや、相手の眼を突き、殴る、蹴るのやりたい放題である。

大西が「山手」の賭場を制圧するのには二ヶ月もかからなかった。
【26】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月24日 16時47分)


【青タン狩り】


青タン。青タンを切るともいう。
映画館などに「顔パス」で入る無料入場をさす。

まっちゃんによれば
「おいっす、ちゅうてタダで入るじゃろう。
 ま、ボンクラども、青二才のタンカ、いう意味じゃなかろうか。
 呉の中通りに、運よく空襲でも焼けずにすんだ、映画館があったんよ。
 そこに山手の連中が当たり前のように青タンきりよったわい」

盆踊り事件から一月ほどたったころ、その映画館を会場として
素人のど自慢大会が開かれた。入場無料とあって、館内は満員の盛況であった。

その館内の一角で大声をあげて騒いでいる一団がいた。
「山手」の愚連隊であり、彼らは野次や奇声をあげ
会場を制圧した気分で浮かれていた。

「ほ〜う、あれで鐘一つかいのう」

「鐘鳴らすんが、早いんじゃ。もっとようけ歌わしたれい」

「山手」の仲間が鐘一つで退場すると野次り、「在」のものに三つ鳴ろうもんなら
騒ぎはひどくなる。

「お〜う、審査員、わしらをなめとんのか」

「おどれら、なんぼのもんじゃい!八百長か!」

司会者がたまりかねて制しても騒ぎは激しくなるばかりである。
しかし、そのとき奇妙なことが起きた。
騒いでいた一角から一人、二人と消えていき、野次も途切れ
声にもあきらかに戸惑いが感じられた。

客のほとんどはやっと司会者の声が届いて鎮まったと、思い込んでいたが
その裏では土岡組の一統による「青タン狩り」が行われていたのだ。

波谷守之ら若衆が客に気づかれないよう、一人、二人とひきぬいては
舞台裏の一角に連行。待っていたのが大西ら土岡組の幹部だった。

「調子に乗りおって、ええ加減にせんかい!」

「青タンも切るんじゃねえど!」

土岡正三が言うが早いか、殴り、蹴り
割り木を持った大西が身体をめった打ちにした。

このリンチを偶然、眼にした男がいた。
彼は会場の異変にすぐさま気づき、連れ出される者をみて、あとをつけていたのである。

そこにはパナマ帽の下で底光りする眼を光らせている大西がいた。

「あの男が噂の悪魔のキューピーに違いない」
目撃した男の全身に電流が走った。
トラック島から復員したばかりの元・零戦パイロット、美能幸三。
後に「仁義なき戦い」の原作となった獄中手記を書いた「広島戦争」の主役となる男。

そのとき、のちに舎弟関係になることなど、お互い知る由もなかった。
【25】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月24日 16時49分)

【白 刃】

呉の隣町が阿賀。
広、というのは阿賀の東へ一駅、空襲を免れた農村である。

娯楽のない時代。
裸電球の下での盆踊り大会に村の人たちは、やっと取り戻した平和な開放感にひたっていた。
カチ割りの氷やスイカが売られ、太鼓と唄に、浴衣やモンペ姿の踊る輪が広がった。

酒を飲みながら盆踊りの差配に満足げな表情の小原に若者が走り寄った。

「ヤバイ、岡土の連中じゃ。
道具もっちょるど。今夜のところはひとまず逃げい」

その囁きが終わるや否や「おい、小原」とドスの利いた声がした。
土岡正三を中心にした五人の男の中に日本刀を下げた大西が立っていた。

「桑原はどこにおるんない」

「知らん」

「お前ら、最近ごちゃごちゃ、うるさいんじゃ。馨もいうとる口じゃろう。
 桑原なら殺るところじゃが、お前なら腕一本でええわい、馨、覚悟せい」

正三の言葉に若者が小原の左腕をねじあげた。

「マサ、やれい!」
大西が日本刀の鞘を払い、つま先が地面を蹴った。

「馨、許せい!」

言い放った大西は真っ向から小原の肩口を斬りさげた。
血しぶきを中心に支えを失った小原が左によろけ、主を失った腕をつかんだ若者も
逆へと飛んだ。

「うおっ!」と叫んだ小原は右手で肩の傷口をおさえて崩れ落ちた。
声を聞いて、小原の弟分が駆けつけた。

「おう、ええところに来た。小原一人じゃなんじゃ。お前も一蓮托生じゃ
 往生せい」

小原もこの男も大西にとっては、愚連隊とはいえ、頭領格とあっては
ふだんは好感をもって、一目おく男だった。

しかし、すでに大西の眉間は縦に立っていた。
今度は右腕をねじ上げられた男に大西はまたも語気、鋭く言った。

「許せい!」

小原の血糊を振り切るように白刃を振り下ろすと、またしても一刀両断、
男の右腕は飛んだ。

のどかな盆踊り会場は一瞬にして惨劇の修羅場となった。


大西は無言のまま、刀の血糊も拭わずに鞘に収めると、
土岡が二人を病院に運ぶ指示をしているのを聞くでもなく、すい、
と背を向けて人だかりを避けるように、闇の中に消えた。

戦場の狂気をひきずっている、と片付けてはそれまでだが
生身の人間、二人の腕を斬り落とす胆力。



「その夜からよ。大西は悪魔のキューピーじゃ、いうての。
 呉の極道もんの間で売り出してゆくんじゃ」
【24】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月21日 21時36分)

【導火線】     


復員した大西は改めて呉の隣町、阿賀の土岡組・土岡博から盃をうけ、若衆となった。
土岡博は大西復員の知らせを聞くと
「マサが帰ってきた」と大喜びして、祝儀はもちろん、
賭場のカスリ(上納金)をまかせる手配、算段をした。

広島に修行に出ていた波谷守之も土岡の元にもどり、
「兄やん、兄やん」と大西を慕った。

「おう、お前、ええ若衆になったのう」
五年ぶりに再会した大西も十七歳にして骨っぽい男になっている守之の成長が嬉しかった。

大西が土岡組に戻ったそのころ、呉一帯は「山手」とよばれる、これも
被差別地区出身の愚連隊がゴロゴロしていた。
土岡は戦前からの生粋の「博徒」であり、行儀作法を知らないチンピラは相手にしない。

彼らは独自に組看板をあげ、数にものを言わせて闇市をのし歩いて
勝手にカスリをとったり、賭場に出入りした。

「ボンクラは相手にするな」と土岡博が無視していることにつけこみ
愚連隊たちは肩で風を切り出した。

なかでも、表向きは土建業看板の「桑原組」の舎弟、小原馨は戦闘的だった。
「お〜う、岡土がどしたん、ない。いつでも相手になるど」

この挑発は土岡博の弟・正三と大西を刺激した。
「なんぼ、親分がこらえい、いうて、このまま黙っとられるかい」


「昭和二十一年の八月十四日いうたら、ちょうど戦後丸一年よのう。
食うや、食わずの生活から少しはゆとりがでてきたころかいの。
広、で盆踊り大会をやることになったんじゃ。
なんせ、その櫓を組んだのが、ワシじゃけん、よう覚えとってで。

ほいで、その盆踊りを仕切ったのが、小原じゃ。
まだ、二十二、三。ちょうど大西と同じぐらいじゃった。
土岡の連中からすりゃ、この機会にヤキ入れちゃろう、狙うとったんじゃろな」

大西が「悪魔のキューピー」としてその名を轟かす夜がきた。
【23】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月21日 21時35分)

【無明の闇】

闇市に人が群がり、愚連隊や三国人が戦勝特権を振り回して
横暴を働く総アウトローの街と化した呉に大西は帰ってきた。

カシメ業で鍛えた体力が支えか、戦傷は負わなかった。
ただ、ひとつ異名なことがあった。

出征当時の肩書きと同じ二等兵のまま、だったのである。

一般に初年兵は徴兵されると一年間を経過すると一等兵に昇格する。
しかし、大西は足掛け四年の兵役を経過しても二等兵のまま帰国した。

軍人勅諭が覚えられないペナルティだったのか、
入隊当時と同じく上官への暴力があったのか、真偽は闇の中である。

戦場体験についても知る人はいない。
わずかに母・すずよに語った体験が残されている

「母ちゃんのう、戦争いうたら、まったく哀れなもんじゃ。
行軍の最中に一足でも遅れたら、もう、敵に捕まるか、野垂れ死にするだけじゃけん。
軍隊じゃのう、小便一丁、糞八丁いうて用足ししとるとそれだけ遅れるんじゃ。
ほいじゃけん、ピーピーでも道端にしゃがんだらしまいじゃけん
ズボンの尻、開けっ放しで垂れ流しで歩くんじゃ」

「水、いうても井戸は毒が入れられとるかもしれんけん、うかつに飲めん。
 豚の小便、ガーゼで漉して飲んだりするけん、
もう、ばい菌飲んどるのとおんなじじゃ」

弱った体力での徹夜行軍は死を招く。

「じゃけんど、死んだからいうて、敗走のあとを残さんために葬ることもでけん。
 死んだもんは、ヤマん中や谷底に放り込むしかないんじゃ。
普段は戦友じゃ、兄弟じゃ
 いうとっても、そうなったら石コロじゃけん。
石コロがゴロゴロ、ゴロゴロ行軍しとる
 もおんなじじゃ」

さらに大西には悪魔のキューピー、と怖れられた「ならでは」の噂があった。
大陸で捕虜の首斬り役を買ってでていた、というものである。

これも真偽のほどはわからない。
しかし、そのことを尋ねてみた人への大西の答えだけは伝わっている。
大西は顔色ひとつ変えず、つぶやくように言ったという。

「首を斬らされるもんは、斬られるもんより、根性がいるけんのう」

自分の自由を束縛するものを何より嫌い、
力で、武器で、反発し続けてきた大西。
二等兵のまま、復員した軍隊生活の「無明の闇」を垣間見せる一言であった。
【22】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月21日 21時33分)


〜★☆個レステタイム☆★〜

掛け持ちの身柄故、こちらで失礼いたします


■虹板・拳治郎さま

>あけましておめでとうございます^^  赤さんへのご祝辞、ありがとうございます!
お久しぶりですね。お元気そうでなによりです。

いや、かなりアルツが進んでおります・・・

>新トピ、おめでとうございます♪ お身体に気をつけてご無理なさらずで頑張って下さいませ^^

ハイヤ、知られてたぁぁああああ〜!
ゆっくり、隠居したかったのですが、なにかとむつかしゅうございます。


■五右衛門座衛門さま


>昨年末より、EX版のくっさん始め、皆様にお世話になっております五右衛門座衛門と申します。

なかなか酔狂なコテハンでござるな・・・

>凄く堅い文面になってしまいましたが汗、どうぞよろしくお願いしますm(._.)m

ムハハ♪ ダブル衛門よ。まだまだOLGのROMが足りんぞ。
カチコチレスではピワドでザイルの右に出るもんはおらん!



では、本編再開・・・
【21】

〜インターミッション〜  評価

野歩the犬 (2014年01月14日 21時50分)

なんとか、戦前編を書き終えた。

ご存知の方はいると思うが
「大西政寛」は
映画「仁義なき戦い」第一部で
梅宮辰夫が演じた「若杉寛」のモデルである。

しかし、映画の中では終戦直後がプロットのスタートであり、大西が戦前、
どんな生き方をした人物なのかは、描かれていない。
映画公開当時、私は「こいつが、あの大西か」と気づいたが
なにぶん、キャストが梅宮のおっさんとあっては「悪魔のキューピー」のイメージと落差があり、非常に違和感を覚えた。

(特に「仁義なき戦い」では死んでゆくものが多いので
主役の菅原文太、親分の金子信夫などの一部の役者をのぞくと
続編では死んだ役者が別の役回りで再登場する。これがヒジョーにややこしい)

それほど、まっちゃんや、古老たちは大西を
「キューピー人形のような、やさ男」と力説していた。

私が大西政寛の素顔の写真を見たのは二十年ほど前だった。
本堂淳一郎というライターによる「仁義なき戦い・外伝」という雑誌に掲載された大西の写真は、
まっちゃんたちから、聞いた通りに柔らかな眉、ぱっちりとした瞳の美男子だった。

しかし、その大きな瞳の底には確かに、憂いと狂気が同居していた。
「こいつが爺さんの下でカシメをしていた悪魔のキューピーか…」
いつしか、私は不思議な因縁にとらわれ、大西のことを書いてみたいと思い始めていた。

図書館で古い新聞のマイクロコピーなども集めてみた。

しかし、どれも大西の犯歴を伝えるだけで実像に迫る材料は乏しかった。

資料集めの情熱が冷めてしまった三年ほどまえ
一級の資料と出会った。

それは「仁義なき戦い」のシナリオを書いた脚本家、笠原和夫の「調査取材録集成」という本だった。

これには、今まで知らなかった大西政寛に関する膨大なメモが記載されていた。
とりわけ母・すずよから実際に聞き取りしたインタビューがあった。

どうやら笠原和夫は東映から正式なオファーがあったかは不明だが、
大西を主役にした映画のシナリオを考えていたふしが感じられた。


今回、談話室で隠居生活に入ったのをいい潮として
大西政寛のことを書いているわけだが、戦前編は大西一人を追いかけてきた。

ところが大西が文字通り「悪魔」となってゆく戦後編は人間関係が複雑で
ストラクチャー(相関関係)に難儀している。

大西の悪魔性に魅了されるもの、
利用しようとするもの
まさに複雑怪奇。

なるほど、映画にしにくいはずである。

プロのライターがシナリオ化できなかった代物だから
素人がさばけるワケがない。
といって、ここで投げ出しては、せっかく書き始めた苦労も水の泡である。

そんな次第で、しばし、休筆の時間をいただく。

ROMしていただいた方がいるか、いないか
うん、まずおらんな。

明日はちょっとパチってくる・・・
【20】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月14日 21時40分)


【荒 廃】

昭和二十年八月六日、午前八時十四分。
一瞬の閃光の後、広島の上空に巨大なキノコ雲が出現した。

その朝、軍の依頼でニュース映画フィルムを、ビルの地下倉庫へと運んでいた父は
背後から強烈な光を浴び、暗い階段にくっきりと映し出される自分の影を見た。

「走れ!」という、後ろからの大声で転がるように地下へと駆け下りる。
床にしゃがみこむと同時に地底から突き上げるような衝撃をうけ
頭上を爆風が襲った。

「ビルが直撃された」
そう、信じていた。

「外へ出たら機銃掃射だ」
同僚がささやく。しかし、不思議に飛行機の爆音は聞こえない。
不気味な静寂が続く。

父は一歩、一歩、階段を昇る。

その日は軍需物資を保管するビルを移転した初日だった。

夏の朝というのに、やたらと暗い・・・
階段を昇りきった。

のどを焼く熱風にせきこみながら、眼を凝らすと
直撃弾をくらって吹き飛んでいると思った
ビルには外壁がある・・・

ただ、窓という窓のガラスは残らず吹き飛び
つい先ほどまで看板文字を書いていたペンキ職人の
影も形もなかった。


父は走り出した。
走れど、走れど、我が家にたどりつけない。

見渡す限り、火の手と黒煙があがる焦土の中では
方向感覚がマヒしてしまっていたのである。

やっと、焼け残った板塀を頼りにたどりついた自宅とおぼしき場所には
くすぶる瓦と溶けたトタンがはりついていた。

妻、五歳と二歳になったばかりの息子二人の一片の遺骨も見いだせなかった。
私の仏壇に祀られているのは戒名すらない位牌のみである。

波谷守之は勤労奉仕先で難をのがれたが
一家の親たる、広島一の大侠客・渡辺長次郎も被爆死した。


二十キロ離れた呉でも焼け残った民家の窓ガラスが激しく揺れた。
人類初の「核」は一瞬にして多くの人たちの命を奪い
また、生き残った人たちの人生を大きく狂わせてゆく。


八月十五日、終戦。

原爆投下直後「広島には以後七十年、一木、一草も生えない」といわれていたが
秋風が立つころにはどこから、どう集まってきたのか焼けトタンのバラックや掘っ立て小屋が立つようになる。

生き残った人たちの生命力はたくましく、また、刹那的であった。
明日のことなど、考えない。
いかにして、今日を食いつなぐか、に必死だった。

そんなひっ迫な食料事情の中で軍港・呉だけは特殊事情があった。

膨大な量の軍の隠退蔵物資が闇市に溢れ出したのである。
米、砂糖、乾パン、食料油、缶詰などの食料や軍服、下着、反物などの衣料、
タバコも豊富だった。
人々は闇市に群がり、金のあるものは買い、ないものは盗んだ。
人心は荒廃し、略奪や強盗、放火、詐欺が横行した。

全市民がアウトローと化した呉に大西政寛は復員した。

終戦から八ヶ月後の昭和二十一年三月だった。
【19】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月12日 19時49分)



【出 征】

土岡組の組員として極道稼業を歩み始めた大西だったが、
時代の荒波に抗うことはできなかった。

昭和十八年。
二十歳になった大西は徴兵で広島第五師団、歩兵衛科部隊に入隊した。
カシメ時代の癖そのままに、ガニ股、肩をゆすって大西は営門をくぐった。

見送りに来た母・すずよと土岡組の面々は
「あの歩き方じゃ、危ない」と案じた。
果たして、入隊初日、班長から咎められた大西は
「なんぞ?どうしたあ?」と尻上がりの、つっけんどんな口調でくってかかり
班長をいきなり側溝に叩き込むという、無鉄砲ぶりを発揮した。

入営式で隊長が父兄を集めて
「息子さんたちの性格、癖を言ってくれ」と問われたすずよは
「小学校は出たが、字は名前しか読めない。
バカじゃないが、お国のためになるか、と言われればバカに近い。
丁寧に教えてくれたら働く子だから、どうか戦地の土を踏ませてください」
と、頼んだという。


「時代が時代と言ってみりゃしまいじゃが、我が子に戦地の土を踏ませてくれい、
言うんは、お国のために死に花、咲かせてくれい、言うんと同じじゃ。
おっかさんの本心も辛いもんじゃったろうのう」


古老の漏らした一言にまっちゃんは「じゃぎ」とうなずいた。


翌年、大西は召集令状によって中国大陸に出征する。
当日、すずよは広島駅にチョコレートとみかんを持って見送りに行き、
軍事列車に向かって「政寛、政寛」と呼びかけたが、中尉の隊長が気づき
窓を開けてやることはなかった。

字が読めない大西は一年間の教練の中でついに「軍人勅諭」を一行も覚えないまま
大陸へと旅立った。

昭和二十年三月。
大西が「守之、守之」と可愛がっていた波谷守之は尋常高等小学校を終了。
広島一の侠客・渡辺長次郎の盃を受けて若衆となる。

軍港・呉への空襲は激化し、広島の廃墟は五ヵ月後に迫っていた。
【18】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月12日 19時41分)

【 盃 】

究極の武器、拳銃を手にいれてからの大西は以前にまして、喧嘩好きとなる。
ホド仲間で揉め事があると真っ先に駆けつけた。

相手が「かたぎ」だろうが、懐から素早く拳銃をとりだすと銃口を突きつけた。

「逃げなや。逃げたら撃つけん」

ドギモを抜かれた相手は恐怖心から、思わずあとずさりする。
大西は足元へパーンと一発、威嚇射撃をして
「逃げるから、撃ったんじゃ」と涼しく言う。

蒼白になった相手が必死で命乞いをすると、器用に拳銃をクルリと回し、
銃把で頭をゴツンと殴りつけるのだった。

そのころ、大西の身内に辛苦が襲う。

大阪へ奉公に出ていた兄・隆寛が肺結核に感染、母・すずよの許にもどってきた。
すずよ、も連れ合いと別れ、独り身となった直後であった。
すずよは保養地で養生させるため、隆寛を別府の温泉病院に入院させた。

療養費を稼ぐため、すずよ、は満州へ出稼ぎ芸者となる。

大西も話を聞いて、兄の入院費を援助したが、
母が満州に渡ったことは知らされていなかった。
出稼ぎ芸者が何を意味するものか。母としては、当然息子たちには知られたくない。

読み書きのできない大西にとって、すべて、風の便りである。

冷えた、孤独な大西の心に暖かく響いたのが波谷組からの博打遊びの誘いだった。

カシメ仕事帰りに賭場に寄ると、親分が「政やん、よう、きた」と迎える。
若い衆も拳銃の一件や、呉での評判を聞いているから、一目おいてくれる。
さらに当時、尋常小学校四年生だった親分の甥っ子、守之が大西によく、なついた。

身内の愛に飢えていた大西も「守之、守之」と可愛がった。

波谷組への出入りが増えるうち、大西は兄弟分の「土岡組」とも知り合う。

そのころ、政党政治は崩壊し「大政翼賛会」が発足。
任侠道組織も「日本協力団」として大同団結を図る動きが活発化していた。
その風潮に反対していたのが、土岡組だった。

許より、大西は無学である。
反体制とか左翼といった思想など、分かるはずもない。
しかし、世論の言いなりになることに胡散臭さを感じ、
日ごとに我が物顔になってゆく軍人たちが疎ましかった。

大西の反骨精神は、一本気な「土岡組」に魅せられてゆく。

昭和十六年十二月八日、日米開戦。
仕事よりもすっかり賭場通いが目立つようになった大西を向井が呼びつけた。

「仕事を選ぶか、男を選ぶか、どっちにしよるんない」

大西はひと呼吸して向井にはっきりと言った。
「土岡の盃をもらいますけん」

背中には蛇をくわえた鷹、右肩に般若の彫り物。
十八歳の大西はカシメの足を洗って、博徒となった。
【17】

〜ブレイクタイム〜  評価

野歩the犬 (2014年01月12日 11時09分)

■バレンティンに記録を塗り替えられた男・・・55号さん

 隠居部屋への足運び
            恐縮です。

  ひとつだけ訂正(嘘の白状)いたします。


  実は・・・東京五輪のときは四年生でした。
  つい、御前さんに若づくりの嘘、つきますた


 ええ・・・55年生まれっす。 
   
  先輩は六年生でしたか・・・

   お互い、次回の東京五輪までは
     なんとか、シノイデイタイモノデスネ

 
【16】

RE:仁義の墓場  評価

虎55号 (2014年01月11日 23時47分)

 のほさん こんばんは♪

私は直感で分かったのですが・・・・・

>隠居爺の暇つぶしです

むむむ 若い若い若いですぞーーーー

東京オリンピックの時小学校1年

私なんか小学校6年でしたが・・・・・

皆さん 待っていますよ


  それでは・・・    削除OKです。
【15】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月11日 21時42分)

【モーゼル二号】

読み書きのできない大西にとって、力こそが、自己主張の表現だった。

しかし、無手勝流に生きるためには、肉体だけでは、限界がある。

大西はその力を武器に求めた。

幼いころは石、やがて刃物。

問答無用で相手を制圧する武器のいきつく先は拳銃である。

戦前の軍港・呉では金さえ、払えば闇ルートで拳銃を手に入れることは
さほど、難しいことではなかった。

酒・タバコはやらず、遊びといえばもっぱら、花札博打一辺倒だった大西にとって
拳銃はコンプレックスの代弁者であり無二の友人であった。

戦争への道をひた走る世相。

無学の大西にとって、全ての不条理を吹き飛ばしてくれるのは
仕事帰りに土蔵の壁に向けて発射する銃声音だったのか。

ドイツ製、モーゼル二号。

オートマティックになる前の弾倉式拳銃との出会いが
大西の後の人生を大きく左右することになる。

水兵刺傷事件からまもない、ある日。

向井組・向井信一は神戸から出稼ぎにきていたカシメ若衆と
地元の博徒との喧嘩の仲裁に立つことになった。

向井と双方の代表者数名ずつが料亭の一室で和解の席についた。

条件が整い、双方が納得し合ったその時、どこで耳にしたのか、大西が風のように現れ
向井の斜め後ろに素早く座ると、腹巻から拳銃をとりだし、ひざの前に置いた。

不意の乱入。
しかも和解の席でハジキを持ち出したことに
一座の驚きと非難の眼にさらされ、向井は気色ばんだ。

「マサ、なにしよんない!そげなもん、早くしまわんか!」

しかし、大西はキューピー人形のような目を動かすこともなく
涼しげに言い切った。

「親分、一人じゃぁ、聞いたもんじゃけん」

向井は二の句が継げなかった。

手打ちの作法を説いて拳銃をしまわせたが、この
命知らずの親分思いの若僧に相手の組長が一目、おいた。

「向井さん、ええ、若衆をつれてなさる」と苦笑いした親分は
クリクリとした眼を据えて、座っている少年に声をかけた。

「こんなぁ、わしのとこにも、遊びに寄んない」

呉の隣町、阿賀の博徒、波谷組の波谷乙一であった。
【13】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月11日 17時24分)


【軍人刺傷】

昭和十四年、大西が十六歳の夏、その名が知れる事件が起きた。

それまでの大西の凶行はカシメの組中でのことだった。
気の荒い連中の集まりみたいな組織だから、
大西に限らず喧嘩や刃傷事件も珍しくはなかった。

大概のケガなら、組中で話しがつき、警察が動くこともなかった。

だが、今回はちょっとワケが違った。

カシメが早くあがった、午後二時過ぎ、大西は一人で街の食堂で刺身をあてに
ビールを飲んでいた。

日米開戦二年前、そのころは軍港・呉の繁華街はたえず我が物顔で闊歩する海軍軍人の姿があった。

大西の近くの席にいた海軍水兵が椅子を蹴って立ち上がると大西へ詰め寄ってきた。

「貴様、銃後の守りが叫ばれているときに、
子供のくせに昼間から酒を飲むとは何事だ!」

潮焼けした顔、胸板の厚い大男だった。

「なんじゃい」
大西は一瞬、ひるんだが、睨み返したその眉間はすでに立っていた。

胸ぐらを掴まれそうになった大西は素早く身を翻して外に出た。
ギリギリと眉間を立てたまま、大西はスタスタと足早に歩き、三軒ほど先の
なじみの小料理屋の板場に入ると、タライの中から刺身包丁を二本ぬき、
またスタスタと食堂へと戻った。

水兵は大西が飲み残したビールを自分の席に持ちだし、飲んでいた。

大西の眉間の縦じわがさらに深くなる。

両手に刺身包丁をぶら下げた大西はすい、と横から近づきいきなり水兵の脇腹に刺身包丁をズブッと突き刺した。
「ぎゃっ!」という悲鳴をあげて大男が椅子から転げ落ち、
夏用の白い軍服が鮮血に染まった。

大西の狂気は血をみて、ますます沸騰した。
水兵の襟首をつかんで引き起こすや、片耳をスパッと斬りおとした。
一瞬の出来事だった。

「た、助けてくれぇぇえ!」
血まみれの水兵が食堂の入り口にたどりついたとき、もう、大西の姿はなかった。

白昼、繁華街での軍人刺傷。大事件である。
店主の目撃から、大西の犯行であることはすぐ、割れる。

しかし、不思議なことに警察も呉の鎮守府も動く気配はなかった。

向井組が裏から手を回したのか、
刺された軍人、本人に表ざたにできない問題でもあったのか、

大西の凶行の噂だけが、呉の街をさざ波のように駆け抜けていった。
【12】

〜ブレイクタイム〜  評価

野歩the犬 (2014年01月11日 11時14分)

ぬ? レレレのレス?

では、ご挨拶を。


■TAKERUさん

>毎日最低1ページは読みたいです。
出来れば2ページお願い致します。

さーせん・・・2ページ目標でスタートしたのですが、
ついつい、かまけてしまって。
のんびり、お付き合いください。

■reochanさん

>はじめまして。れおと申します。
はじめまして…かと♪

>『仁義』、高倉建のファンなので、アイコンに引き込まれてしまいました。よく見れば、違いました。

ほ〜ですか。しかし、
ケンさんは建設会社の社長ではなく「高倉健」ですぞ

あ、初対面で失礼しました!
お詫びに一曲、歌わせていただきます。

「せ〜なで、泣いてぇる、唐獅子ぼぉたぁ〜ん♪」
え?そっちじゃない?

では、改めて
「どうせ、おいらのいくぅ先は、その名も網走番外地〜♪」

↑どっちこっちない、古っ!

アイコンは「仁義なき戦い・広島死闘編」の山中役・北大路欣也です。
今はスマホのCMでたりしてますが、若いときは
かっけぇ――!



■こぱんださん

>コン・・コン・・  すみません^^ 少しおじゃまさせてもらってもいいでしょうか。。

来ると思うてわい・・・
ま、なんよ。
好き勝手に書きたいものを書くからには
いちおうバレバレでも、コテハンも変えんと、昔のお仲間には失礼と思ってな。

もちろん、あっちのコテハンは
トキがくるまで、大事にとってあるわい。

>まだまだ。寒い日が続きますもんね。  代表ーっ!・・・あ。じゃなかったです。
野歩The犬さんもお体お大事に。。。執筆、頑張って下さいです。  

お〜い、ミッツ、こぱんださんに鏡開きのぜんざいでも出さんかい・・・
って、・・・・こっぱんだぁぁぁぁあああああああ
熱い焙じ茶、入れて、かえらんかぁぁぁああああああああああい!
【11】

RE:仁義の墓場  評価

こぱんだ (2014年01月11日 09時51分)

コン・・コン・・  すみません^^ 少しおじゃまさせてもらってもいいでしょうか。。



野歩The犬さん、はじめまして。

私のとても、お世話になった大事な方にそっくりで・・・

ご挨拶したいしたい・・と思ってたのですが。書き物のジャマになったり。。アイコン怖いですしね・・・悩んでました

先ほど覗きましたら。。先客がいらっしゃったので^^  私も勇気を持って。



悪魔のキューピー辺りから、ムムッと思って読んでおります!

まだまだ。寒い日が続きますもんね。  代表ーっ!・・・あ。じゃなかったです。

野歩The犬さんもお体お大事に。。。執筆、頑張って下さいです。  

スルーでも全然いいのでお気になさらずにです^^





では・・この辺で☆   おじゃまいたしました 
【10】

RE:仁義の墓場  評価

reochan (2014年01月11日 06時27分)


はじめまして。れおと申します。

『仁義』、高倉建のファンなので、アイコンに引き込まれてしまいました。よく見れば、違いました。

読ませて頂いてます。

『読み捨て御免』とトピ文に書かれてるのに、ごめんなさい。
【9】

RE:仁義の墓場  評価

TAKERU (2014年01月11日 02時02分)

毎日最低1ページは読みたいです。

出来れば2ページお願い致します。
 
【8】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月10日 20時56分)


【道  具】

ホドに入ってまもなくのある日。

大西は休憩時間に水飲み場に来ていた。
溶鉱炉のようなコークスの前では一時間も作業すると
暑さとのどの渇きは耐え難いものがある。

蛇口にすがりつくようにして、水を飲んでいた大西の後ろに
組出入りの鳶職人がきた。

大西はまだ、見るからに子供である。

「おい、小僧、早く、せい」
男は水を飲むのに夢中になっている大西の頭を小突いた。

つんのめった大西が振り返ったとき、もう、その眉間は縦に立っていた。

「なにすんない!」

言うが早いか大西はポケットから折りたたみの小刀「肥後の守(ひごのかみ)」
をとりだすや、そのまま、男に突っ込んでいった。

「ぎゃぁあ!」という声で周囲が飛んできたから大事には至らなかったが
大西のキレ癖は知れるところとなった。

昼飯時に自分の弁当を間違われてとられそうになったときも
鋲焼箸を手に殴りかかった。

カシメ若衆の弁当というのは、組の賄い婦が、一人ずつに持たせてくれるもので
美少年の大西の弁当箱は、ほかのものより一回り大きかった。

大西はそれを恩義に感じて大切にしていたのだろう。

現場を見ていた兄貴分のボーシンも
「政寛いうんは、根性もんよのう。ありゃあ、ええカシメになるわい」
と、なかば、感心するありさまだった。

大西は自分の体躯がカシメとしては、小柄で非力なことを自覚していた。
そのため、とっさの対抗手段として、耐えず「道具」を使っている。

あるとき、現場の都合で日ごろのホドが組み替えられ
見かけない「とりつぎ」が付いた。

その男が現場の段取りの件で自分のボーシンに横柄な口をきいた。
横にいた大西はボーシン、本人が言葉を返す前に
「利いた口ぬかすな」と短く言うや
ボーシンが持っていたエアーハンマーをひったくると
男の側頭部へむけ、ぶっ放した。

前頭部なら即死である。

「政寛、政寛」とかわいがっていたボーシン本人が
このときばかりは青ざめていた。




「あんときゃ、たまがったのう。いきなり、ぶっ放したんじゃけん。
悲鳴を聞いて、爺さんと、ワシらがとんでいったときゃ、
こめかみから血の泡ふいて痙攣しとって、で。
あれからじゃわい、よそのホドもんは、大西にかかわるな、いうて、のう」

まっちゃんには、当時の様子がありありと蘇っているようだった。
【7】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月08日 21時19分)


【魔性の開花】

即日退学となった大西の将来を母・すずよは案じた。

教師への傷害事件の噂が広まり、すっかり札付きとなった息子である。
おまけに、読み書きができない、とあっては簡単に奉公先も見つからない。

思い余ったすずよ、は当時、連れ合っていた男に相談した。
男は当時、山陽道に名の売れた「博徒」であった。

若いときは飯場の用心棒を務め、岩国・錦帯橋のたもとで
四人を叩き斬ったという筋金入りである。

「わしゃ、まあちゃんなら、カシメがええ、思うんじゃがのう」

寡黙で熱中する性格。
気が短いのもある意味、カシメにむいているかもしれない。

「パッチン(花札博打)で向井組の親分をよう知っとるけん、
頼んでみるき、折をみて、まあちゃんを連れちゃってみないな」

すずよは改めて男に頭を下げた。

「話は聞いちょる。お母さん、まかせんですか」

面倒見のいいことで知られた向井信一は快諾した。

かくして、大西はカシメ若衆として向井組の半纏を着ることになった。

すずよの連れ合いの見立て通り、カシメ業は大西の肌に合っていた。
ガンガンと火が焚かれたコークスの前でボルトを焼くことに熱中し
一年もたつと、ヒトホドのメンバーに組み入れられた。

十四歳にして、遊郭に出入りするようになると大西の姿は呉の繁華街でもひときわ眼についた。

可愛い人形のような顔立ちの少年が着流しにソフト帽、
といった、当時の伊達姿でチャリチャリと雪駄をならす。

「あれが、退学になった大西か」

事件を知っている街の人は、
一人前のカシメとして肩で風をきる大西の姿に畏怖のまなざしを送った。

しかし、当の大西は周囲の眼はなにするものぞ。
すぐにカッとなる秘めた狂気にホドの連帯がうしろにあるとあって
ますます、不条理には身体でぶつかっていくようになる。

気の荒さが売りのカシメ現場に水を得た大西の眉間は、たびたび
すっと、立つようになっていった。
【6】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月06日 22時48分)

【即日退学】


昭和五年。

屈折した幼少期を過ごした大西は尋常小学校に入学した。
兄・隆寛はすでに三年に進級、クラスの委員長を務める秀才だったが
政寛は、対照的な異常性を発揮する。

教師のいうことに何一つ耳を傾けず、ひたすら、教科書のページにクレヨンを塗りたくっていた。

簡単にいうと、文字を覚えようとしなかった。

大西は生涯、自分の名前意外は文盲に近かったという。

しかし、色彩感覚には独特のものがあり、毎年、学校対抗の絵画コンクールでは
入賞する腕前だった。

極彩色を使った絵画は読み書きができないコンプレックスの裏返しであり
小さいときから、侮辱に対しては怒りを露に体でぶつかっていく
大西の気性、そのまま、であった。

時代さえ違えば、異能の天才画家として認められたかもしれない。

しかし、大西は自己に秘められた狂気をキャンバスではなく
暴力へと転化させる悲劇を生む。

事件は小学校高等科に進んでまもなく、起きた。

その日、高等科に進んでも相変わらず教室で絵を描いている大西の手元を覗き込んで
教師が言った。

「大西、おまえ、ペンキ屋にでもなるんか」

冷やかしと分かりながらも、邪魔されたくない大西は
「うん」と生返事しながら、クレヨンを動かし続けた。

嘲笑を浮かべた教師が続けた。

「ほいじゃが、ペンキ屋は字も書かな、ならんけん、お前にはおえんじゃろう。
お前、脳病院の絵の先生にでもなるか」

「脳病」という言葉が大西の屈折した心の闇に鋭利な刃物となって突き刺さった。

「なにぃ」

教師を睨み挙げた大西の眉間がギリギリと縦に立っていた。

次の瞬間、大西は文鎮をつかむと、力まかせに殴りかかった。
教師の額がパックリと割れ、鮮血が飛び散った。

教室は騒然となったが、大西の怒りは治まらない。
足払いをかけ、馬乗りになった教師にさらに殴りかかる。

学校中が大騒ぎになり、校長ら数人の職員が駆けつけ、
大西を押さえつけたとき、教師は三針を縫う傷を負っていた。

血にまみれた文鎮を手にした大西は即日退学を命じられた。
前年、祖母が他界し、再び母、すずよの元にひきとられた直後であった。

呼び出しを受け、学校に迎えにきた母・すずよ、を見つめた
大西政寛の眉間はやっと、素顔に戻っていた。
【5】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月06日 22時38分)

【ヨイヨイ】

睫毛が長く、ぱっちりとした瞳の優男。

しかし、いったん怒り出すと眉間が「縦に立ち」血の雨を降らす。

「ヤルといったら必ずヤル」

「一日、一回は血を見ないと晩飯がうまくない」


悪魔のキューピーは、いかにして生まれたのか。

ここではまず、大西政寛の生い立ちにふれてみよう。

大西は大正十二年、広島県・加茂郡広村小坪の海軍御用の雑貨商
「よろずや」を営む大西万之助と妻・すずよ、の間の二男として生まれた。

政寛が生まれたとき、父・万之助はすでに重度のモルヒネ中毒であった。
麻薬は大陸航路の船員から「よろずや」に借金のカタとしてもたらされた。

当時は鎮痛薬として市販されていたモルヒネも
常用すると、悲惨な禁断症状に襲われる。
それは自律神経の嵐とよばれ、くしゃみ、鼻水、よだれがとまらず
下痢と強烈な悪寒に震えだす。

「すずよ、後生じゃ。注射してくれんかいのう。頼むわい」

若いとき、大阪の病院で看護婦見習いの経験がある妻のすずよは
夫の哀願を断りきれなかった。
その場しのぎとわかっていても、モルヒネで元気を取り戻す夫の姿にほだされ
注射ダコの上に針を刺すことを繰り返す。

しかし、万之助の中毒症状が進み、五グラム瓶を十二時間おきに使い出せば
もはや「よろずや」の経営自体が傾きだしていた。

息子の中毒を知った姑は激怒し、注射に手を貸したすずよを罵り
ついに、大西家から追い出した。

すずよが去って一年後、まだ二歳の政寛の兄弟を残して父・万之助も重度の中毒患者のまま、この世を去った。

残された幼い兄弟は祖母がひきとることになった。
両親のいない幼子は町内の悪ガキどもの格好の餌食になる。
父の震えながら歩く禁断症状はすっかり評判になっていたからである。

「わりゃ、ヨイヨイの子じゃけんのう。ヨイヨイよっこらしょ、踊ってみい」

猿踊りの強要であり、最初は意味も分からず兄に従って真似していた政寛だったが
四、五歳になると、からかわれていることがわかり
石を手に猛然と殴りかかっていくようになった。

最初はあしらっていた悪ガキどもも、あまりの政寛の剣幕に
恐れをなして、兄弟への、からかいも止むことになる。

「ヨイヨイって、なんない?」

孫の疑問に祖母は狼狽しながら、諭すように言った。

「脳病じゃけん、あがいに、悪くいうもんとは違う」

幼い政寛のクリクリとした瞳に不安の色がよぎった。

「死んだ父が脳病ならば、自分にも脳病の血が流れているのだろうか」

悪魔のキューピー、狂気の芽生えは
その、不幸な境遇にあったのかもしれない。
【4】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月05日 21時07分)


【悪魔のキューピー】


昭和十年。

日中戦争が目前に迫り、いよいよ軍国主義が台頭し始めた時代

広島・呉にカシメ業を専門とする「向井組」は旗揚げした。

カシメは元々、軍・政府から造船を請け負う
大手の造船会社の孫請組織だったが
軍艦を中心に造船産業が活況となり、
カシメ専門の組織が必要となったのだ。

その新興「向井組」の小頭として祖父は迎え入れられた。
親方の向井信一は祖父より三歳年下だったが、
昔から祖父の腕を高く買っていて、
是非にと、頭を下げた。

祖父としても「ほいと」の出身でありながら、
厚遇してくれる向井の心意気はありがたいものだったに違いない。

当時、カシメの外着用の半纏は、それだけで
遊郭の玉代(宿泊代)はあっさりと、借してもらうだけの箔があった。

盆、暮れに新調される「向井組」と染め抜かれた
黒羽二重の「印半纏」は祖父にとって
カシメ一代の誇りであり、宝物であったのだ。


ボーシンから組の幹部に昇格した祖父が
ヒトホドを十ほど、束ねて、采配をふるっていた翌年、
一人の少年が母親に連れられて、向井組の門をたたいた。

中肉中背。
色白で端正な顔立ち。
なにより、クリクリとした眼が印象的で人形のように愛くるしかった。

この少年が、後に「悪魔のキューピー」と呼ばれ
広島中の極道が名前を聞いただけで震え上がる男になるとは、
誰もが予想だに、していない。

少年の名前は大西政寛。

「悪魔のキューピー」十三歳の夏だった。
【3】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月05日 21時06分)


【カシメ一代】


カシメ。

「交い締める(かいしめる)」の転訛。
鉄骨と鉄骨の接合部を熱したボルトやリベットで締め付ける職人のこと。

戦前、軍港だった呉の花形職業である。
電気溶接のない時代、軍艦はじめ造船業はカシメなしでは成り立たなかった。

特殊技能と強靭な肉体の双方が要求される危険作業のため、
報酬も高額で、当時はボルトをいれてある「かます」が
札束の詰まっている袋に見えた、といわれている。

カシメは四人一組のチームプレイで作業をする。
この四人が「一程(ひとほど)」⇒ヒトホドという単位で呼ばれる。

ヒトホドをたばねるのが「ボーシン」と呼ばれる鋲(びょう)⇒ボルト打ちで、その下に「ホド番」「とりつぎ」「あて番」の三人の若衆がつく。

作業はまず、「ホド番」が鉄の炉の中にボルトを突っ込み、焼く。
真っ赤に焼き上がったボルトを鋲火箸でつかむと現場へ投げ上げる。
軍艦なら二〜三十メートルはある梁の上へ
ボルトが冷めないうちに正確に投げる力とコントロールが要求される。

その力技たるや、カシメの現場を知っている古老に言わせると
「イチロー並のレーザービーム」らしい。

投げてきたボルトを受け取るのが「とりつぎ」で
シャベルのような、三角形の受け缶でボルトを受け取り
素早くボルト穴に差し込む。

反対側で「あて番」がエアーハンマーの圧力に負けないよう、
渾身の力で「あて板」でボルトを固定すると「ボーシン」がハンマーを打ち込む。

文字で説明すると冗漫になるが、焼けたボルトがヒューンと宙を舞い
梁の上で「カン!」とキャッチされ、ハンマーが「バリバリッ」と火花を散らす
この一連の作業に要する時間はわずか5秒。

ボルトが焼けすぎているとハンマーの圧力で先端は潰れる。
(これをベソをかく、という)
時間がかかって冷えてしまうと摩擦でボルトは穴を通らない。

「ホド番」のボルトの焼き加減と正確なコントロール
「とりつぎ」のキャッチング技術と敏捷性
「あて番」の呼吸と筋力
「ボーシン」のハンマー技術、全てが完璧でないとボルトのカシメは成功しない。

成功しないどころか、真っ赤に焼けたボルトを足場の悪い鉄骨の梁の上で操るのだから
危険極まりない、命がけの作業なのだ。
実際、カシメの体というのは二〜三針縫う火傷はざら、だったらしい。

さらにカシメはボルト一本単位の賃金となるから
稼ぎの良し悪しのすべては四人、ヒトホドの呼吸と連帯感にかかっている。

一日六時間、千〜千五百のボルトをカシメる。
ひと月、十五日の稼動で十五、六歳の少年でも
教員給与の二倍は稼いだ、という。

体を張って高額の収入を得るヒトホドの結束力は強く
日常生活でも四人は束になる。

喧嘩にしても一人が殴られれば、三人が出向いて殴り返す。
気の荒さが売りのような稼業だから、当時の呉の街ではカシメに喧嘩を売るものは
命知らずか、馬鹿か、といわれたらしい。

祖父は、カシメの「ボーシン」をつとめた顔役だった。
【2】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月05日 04時02分)

【囃子唄】


私の祖父は明治三十二年、広島県・山県郡、津久茂に五人兄弟の長男として生まれた。
「ほいと」と呼ばれる被差別地区の出身である。

だから、私にも「ほいと」の血が流れている。

父は四男二女、下から二番目の末弟である。
先天的な心臓疾患をかかえていた父は
徴兵をまぬがれ、戦前から戦中にかけては広島市内で軍需の仕事についていたらしい。

らしい、というのは、父が戦前のことについては
ほとんど語っていなかったから、知らないのである。
原爆で先妻と二人の息子を亡くしている。
私の母は後妻であった。

私が、ものごころ、ついたときには家族は
広島市内で通称、「原爆スラム」とよばれる一帯の長屋に住み、
父は映画などの興行の仕事をしていた。

兄二人を戦争で失い、被爆しながらも一命を拾った父は
中風(今でいう脳梗塞)を患い、半身が麻痺した祖父の面倒をみていた。
父が祖父をひきとったのは、すでに兄弟に養い手がなかったこともあるが
祖父が被差別民でありながら、体を張る「カシメ業」で
六人の子供を食わせた恩義に報いたかったからであろう。


そのころ、正月になると、きまって一升瓶を片手に祖父をたずねてくる
「まっちゃん」とよばれる男がいた。

歳は祖父より十歳ぐらい若かった。
小柄だが肩から上腕にかけてのつくりが
あきらかに違う体躯の男だった。

「まっちゃん」がくると祖父は実にうれしそうに顔をゆるませた。
まっちゃんは、大きな訛声で
「じゃぎ、のう!」と祖父と昔話をして、呑んだ。
やがて酔いが回ると、まっちゃんは、歌いだす。

「昔、楠木〜、今は乃木〜♪
 昔の仁吉〜、今は昭和の〜大西まぁちゃん〜♪」

祖父はいっそう、懐かしそうに目を細める。

「あの歌はなんない」と母に聞くと
「楠木いうんは、楠木正成、乃木は乃木希典さん、いうんよ。
どっちも天皇陛下によーく、お仕えんしゃったんよ」

「ふーん、にきちは、だれない?」

父がひきとって「吉良の仁吉ゆう、親分じゃ」

「なら、大西まぁちゃんも親分ない?」

そこまで聞くと、きまって父は
「そうじゃろうで」といったきり、眉をひそめた。

子供心にも、あまり、聞かせたくない名前なんだろうな、
という気配を察した。


昭和四十年九月、彼岸を前にした、残暑の朝
祖父は六十六歳でこの世を去った。

長屋暮らしから借家とはいえ、一軒家の座敷で
死に水をとったのが父の最期の親孝行であった。

通夜に訪れた、まっちゃん、を初めとする昔の仲間たちは
母手作りの質素な膳を前に手酌で、
祖父の現役時代の「カシメ業」の思い出話にひたっていた。

まっちゃんが、また、いつもの唄をくちずさむ。

「大西のぉ、ありゃ、はげしかったのぉ」

だれかが、相槌をうった。

父も、もう、話をさえぎることはなかった。
【1】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年01月05日 03時47分)


〜プロローグ〜


【一枚の半纏】


冬場に書き物をするときは、綿入れを着る。
昔でいうところの「どてら」である。
袖を通すと筆運びがしにくいので、肩にひっかけて原稿用紙にむかう。
ちょっとした「文士気分」が味わえる。

湯呑み茶碗の冷や酒がまわってきたら
こたつに丸くなり、綿入れがそのまま掛け布団になる、という算段だ。

最近は軽くて暖かいテクノロジー素材衣料のおかげで
綿入れにごぶさたしていた。

ところが、この冬の寒さはハンパない。

久しぶりに綿入れの重さが恋しくなった。

さて、どこにしまいこんだか。
クローゼットの衣装ケースをひっくり返す。

十年ほどまえ、通販で買った
背中に写楽絵がプリントされた綿入れがでてきた。
こいつを着て、正月二日の初パチで7万ほど抜いた
ゲンのいいやつだが、改めてみると、相当、悪趣味な代物だ。

はてさて、まともな綿入れはどこだ・・・

ここ数年、タンスの肥やしとなっているセーター類の下から
やっと見つけ出した。

ひっぱりだすと、ケースの底に黄ばんだ「和装紙」が見えた。

なんだっけ?

包装を解くと、かびくさい匂いが漂った。
半纏である。
黒襟に白文字で「向井組」と染め抜かれている。

思い出した。



戦前、広島・呉で「カシメ」仕事をしていた爺さんの形見である。




これは
今は姿を消した「カシメ業」の世界に伝説として残る
狂気の男の物語である。
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