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【64】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月18日 08時33分)

【あとがき】


冒頭に書いたように戦前にカシメの親方をしていた祖父は
私が十歳の初秋に亡くなった。

その年の夏休みのことである。

通っていた小学校で窃盗事件が発覚した。
事件は六年生を筆頭に七、八人がタバコ店から
ホープやハイライトのカートンを盗み出していた。

グループは「見張り」「盗み」「渡し」「自転車で逃走」という役割分担化され
手口が明らかに万引きの域を超えていた。

しかも、盗んだタバコはグループを仕切っていた中学生を通じてパチンコ店の景品として
現金化されていた、というから、
いわば組織犯罪である。
所轄の警察が補導から、踏み込んだ「捜査」に乗り出した。

二学期が始まったある日、私は担任教諭から放課後、職員室に来るよう言われた。
行ってみると、今度は教頭室へと移された。

そこには刑事とおぼしき男が二人いた。

小学四年にして私はピンと来た。

摘発されたメンバーが全員、私と同じく「ほいと」の出身だったからである。
あとで分かったことだが、刑事の一人は公安警備の人間だった。

実際、私の友人の兄は高校生ながら、
熱心な解放運動者でもあった。

警察はこの事件をきっかけに「ほいと」から
不穏分子をあぶりだそうとしていたのだ。

刑事は口調こそ子供相手の柔らかい物腰だったが、いろいろと尋問した。

「○○を知っているか」
「どのくらい親しいか」
「家に行ったことはあるか」
「そこの家族からどんな話を聞いたか」

私の出自が「ほいと」であることは担任の教諭からもたらされたものに違いない。
つまり、私は窃盗事件に無関係なのに警察に「売られた」のである。

個人情報もへったくれ、もない時代であった。

貧富の差は今とは比べ物にならず、
毎月の給食費も持ってこられないものが、
どのクラスにも二、三人はいた。
徴収日になるとその少女の瞳が哀しく濡れていたのを思い出す。

踏まれたものの痛みは、踏んだものには分からない。

私は出自だけを理由に刑事から聴取された日の屈辱を今も忘れない。

今回、大西政寛の生涯を書くにあたって
脳裏をかすめたのはその日の屈辱の感覚だった。

絵を描くのに夢中になっていた大西に、
もし、教諭がその才能を伸ばす道を与えてやっていたら、
悪魔のキューピーになっただろうか。

「脳病院の絵の先生にでもなるか」と嘲笑された瞬間に大西は人間として成長してゆく柔らかな幹葉を
ザックリと切り取られてしまったのではないか。

結果、大西は即日退学となり、
以後の人生を己の肉体だけを武器に生きる道を選ぶ。

それはまた、虚弱で自虐な人生を送ってきた私の永遠の憧憬でもあるのだ。

本稿はネットという文字だけの世界であえて、文字を読めずに生き、
破滅していった男のことを書いてみたいとの思いで書き始めた。
当初は30枚ほどで完結する予定だったが、
資料を漁っているうち、長尺な分量となった。


結びにあたって、気持ちよく時間を提供していただいた皆様に
この場を借りてお礼申し上げます。

平成二十六年 二月
                                             野歩the犬

 〜 参考文献 〜

笠原和夫    「仁義なき戦い取材調査録集成」
笠原和夫    「破滅の美学」
飯干晃一    「仁義なき戦い〜死闘編〜」
本堂淳一郎   「広島ヤクザ伝」
美能幸三    「極道ひとり旅」
広島県警二十年史
中国新聞社
【63】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月17日 17時24分)

【エピローグ】

大西政寛の潜伏先を警察に密告したのは、
ほかならぬ山村辰雄だった、というのが定説である。

あまりにも詳細な内部事情、
なにより、家主が留守だった、ということ。
さらに、捜査員が踏み込む直前まで家の中にいた
福山市での騎手の殺人未遂事件で
大西とともに指名手配中だった
山村組組員一人も呼び出されていた。

福山での事件、さらに高日神社での射殺事件で
山村にとって、大西は使いようのないコマになってしまっていたのであろう。

大西政寛の遺体を引き取ったすずよ、は初子とともに泣きくれた。
身内だけの通夜といっても訪れる人はほんの僅かで、それは葬儀にしても同じだった。

対照的に殉職した二警官の葬儀は密葬、呉市警察葬とも盛大で、
特に本通り九丁目の本願寺会館で行われた警察葬には連合軍の将校らも参列した。

広島刑務所で、大西政寛の死を聞いた
美能幸三は号泣した。

泣き尽くしたあと、どういうわけか咽喉にラムネの玉が詰まったような感覚になった。
唾液以外はなにも咽喉を通っていかない。

美能はそれで断食を決行した。
不自由な身であれば、喪に服すにはそれしか方法がなかった。

青タン狩りで初めてその姿を見てシビれた瞬間、
吉浦拘置所で血をすすりあって兄弟の盃を交わしたこと
逃亡先で「辛抱せい」と言って初めて見せた涙

短いながら、濃密な思い出が大西の面影とともに彼の網膜で揺れた。

喪明けと決めていた三週間がたち、美能の眼は真っ赤に充血していた。
頬はこけ、足元がふらついた。

美能は鏡の中の自分の変貌した顔を見ながら、用心深く水をすすった。
咽喉のラムネ玉はとれていて、冷たい水の感覚が食道を伝ってゆく。

一口、二口・・・すると胃壁の水位が上がっているのと比例するように
眼の充血がとれて、白くなっていくのが見えた。

彼は水の威力に感心しながら、生きている自分を実感し、
自分が生きている限り、大西も心の中で行き続けると思った。

四十九日も過ぎて、気がぬけたようにぼんやりしていた母・すずよのもとへ
山村辰雄の顧問格だった、谷岡千代松が訪ねてきた。

昔かたぎのヤクザであった谷岡は大西への一部始終をみていて、さすがに許せず
すずよ、に山村から金をとれ、と示俊した。

すずよは血相を変えて山村に迫った。

「政寛はイヌされちょる。噂は聞かんでもなかったけん、ことが分かった以上
 イヌしたもんは親でも子でも先に命を貰いまっせ。
 山村さん、あんたの命は貰いますけん」

山村は夫人と二人で涙ながらにすずよ、の前に手をついた。

「葬儀にも行けんで、なんの世話もできんかったのは
 悪いと思うとるじゃけん。
 それより、あんたも大木にすがっているほうが、
 なんぼか楽じゃろう」

山村がそう言って提示したのは一時金四万円と月一万円の仕送りだった。

すずよ、は結局それをのんだが、ほとぼりが冷めた半年で仕送りも途絶えた。

晩年のすずよ、は生活保護を受けて一人で生活しながら
縁側に何組もの花札をまき、訪ねてくる人はまるで
花びらのなかに埋まっているように見えた、という。

「まあちゃんが好きじゃったけん、いつもこうして遊んでいます」

「いつじゃったかのう。
  カシメの仲間で訪ねていったことがあるんよ。
 すずよさん、マサの若いときのことを話すと
  キリッとして言うたもんじゃ」


「政寛はあたしにはできすぎた子じゃった。
 立派な極道で誇りにしとります」

大西政寛の墓は生まれ故郷、広の西山へと続く
「ほいと谷」手前の小高い丘にある。



仁義の墓場・大西政寛伝

(完)
【62】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月17日 16時54分)

【射 殺】

こたつのふとん、が払われた瞬間、いきなり
ガン、ガン、ガン!と三発の銃声が鳴った。

銃口の先にいた鞆井刑事が吹っ飛ぶように倒れた。

這い出てきた大西政寛は、こたつやぐらを捜査陣に投げつけた。

数田係長が飛びかかる。

同時に大西のローレル45口径と
コルト38口径の二丁拳銃が火を噴いた。

鮮血に染まった数田係長のロイド眼鏡が、
スローモーションのように宙をゆっくりと舞う。

またも三発の銃弾を浴びた数田係長は崩れるように倒れた。

大西が背を丸めて敏捷に裏側のガラス窓に突進する。

川相刑事がその背中に向けて引き金を引いた。

銃声は一発だけだった。

大西はそのまま、突進してガラス窓を突き破った。
そして、裏庭へと飛び降りたが、
それは落ちたというべき状態だった。
這い上がろうとしていた大西に配備されていた警官たちが飛びかかり
手錠をかけようとしたが、もはや、その必要はなかった。

川相刑事が放ったニューナンブ38口径の一発は
大西の左脇下から心臓へ抜け、即死状態だった。

大西政寛、二十七歳。

おしゃれでダンディだった悪魔のキューピー、
最期の服装は生涯で初めて着ることになった
大学生の制服姿だった。

大西から至近距離で撃たれた鞆井刑事は即死。
数田係長も搬送された病院でまもなく息を引き取った。



そうじゃ。昭和二十五(一九五〇)年、一月十八日、
 雨上がりの寒い朝じゃった。爺さんの古い友達の家に
夜明け方、刑事が何人もで、やってきたそうじゃ。

「おはよう、おはよう、寒いけん、お茶、飲ませい」いうての。
言うてるのが、友達が懇意にしとる部長刑事じゃったそうな

「なんかい、お前らこがいに早く」
そう聞いたら、それが悪魔のキューピーが死んだ知らせやったらしいわい。

「ほいで大西を撃った川相刑事いうんかいな。
一発撃ったら、弾が出んようになったらしいんよ。
指に力を込めて引けども、引けども二発目も三発目も出んのじゃ。
故障じゃ、思うたようじゃけんど、なんの
一発目を引いたあと引き金から指を離さんから、
引き金が戻っておらんだけじゃった、いうての。
臨場感いうか、わしゃ、ほんまじゃろう、思うた」

「それと、あとで聞いた話じゃけんど、
  大西は二丁拳銃で七、八発は撃っとろう。
 もの凄い銃声じゃった、思うわな。
 ほいで、大西が隠れとった家の犬、
  秋田と土佐を掛け合わせた、いう
 耳のぱっと立った大きな犬がの、
  腰が抜けたようになって
 一週間も縁の下から出てこんようになったらしいよ  
 これもほんまじゃろう、思う」

「こうして大西の短い生涯をたどってみると、
  なんよのう。
 最期は死に場所を探しとったようにも思えてのう。
 守ちゃんとは敵対してしまうし、
  一緒に死んでやる、いうとった美能さんは 
  長期刑で塀の中じゃ。
 土岡博さん、山村さん、
  いうバックボーンも全て失ったんじゃ。
 いくら大西が一人で生きてきた、
  いうてもヤクザとして、これはさみしかろうが。
 大西が学生服姿で逃亡しようと、
  していたところからみて
 関西への高飛び説があってのう。
 県外へ出るのを極度に嫌っていた大西じゃけん、
  もう、なるようになれ
 いう心境じゃったんじゃ、なかろうか。
 撃ったのは本能じゃろう。
  撃たれるのも覚悟のうえじゃ。
 悪い言い方すれば父の万之助、兄の隆寛、
  生後三日目で死んだ我が子
 みんな死んで、自分も死ねば、悪魔的な血も絶たれ  る、思うたんかもしれんのう」


大西政寛の遺体を呉署に引き取りにいったのは、
母のすずよ、だった。

遺体はすでに頭部から腹部まで二つ割にして
解剖したあとがあり
まるでしつけ糸のように乱暴に縫い合わせてあった。

これがあのキューピー人形のような優しい顔立ちをした我が子の政寛か。

すずよ、は泣くことも忘れて我が目を疑った。
【61】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月17日 13時26分)

【急 襲】

数田警部補は腕時計を見た。
針が午前三時を指した。決行時間である。

「こんばんは。こんばんは」

数田警部補は玄関のガラス戸を叩いた。
犬がまた激しく吠えはじめた。
雨脚は強くなるばかりである。

部屋の明かりはつかない。

「こんばんは!こんばんは!」

ようやく、玄関の電球が灯り、
岩城の妻・とし子が玄関口まで出てきた。

いち早く、六人の捜査員が裏の出入り口、
濡れ縁、トイレの窓下、崖下の通用路を固めた。

「警察じゃが、大西がおるでしょう」

「大西さんはおらんですよ」

「いや、おらんはずはない。おるはずじゃが」

「誰がそのようなことをいうたのじゃろ。絶対におらんですよ」

「逮捕状を持ってきとるのじゃから、戸を開けてくれんかの」

数田警部補の後ろに六人の刑事が息をこらしていた。
みな、雨に打たれている。

戸が開いた。

「一応、家宅捜索させてもらうから」

数田警部補を先頭に七人の捜査員が
どかどかと室内にあがりこんだ。

二人は四畳半の台所へ。
数田警部補らは六畳間へ。

誰もいない。

奥の間に人の気配がある。
中央にこたつがあり、誰か寝ているらしいが、
暗くてわからない。

「おい、電燈をつけてくれい」

数田警部補は傍らの鞆井(ともい)清刑事に命じた。
鞆井刑事がこたつに足をかけ、
六十ワットの電球をつけた。

こたつには左側に女中が子供二人と寝ていた。
こたつをはさんで右側にも布団があるが、
頭からすっぽりとかぶっているので
誰が寝ているのかわからない。

「撃ってくるかもしれん。用心してかかれ」

数田警部補が押し殺した声で言い、
鞆井刑事と川相(かわあい)刑事らが姿勢を低く構え
さっと、ふとんめくった。

緊張の一瞬だった。

寝ていたのは山村組組員で、大西ではなかった。

「おらんぞ。手分けして捜すんじゃ。押入れの上の天井もじゃ。気いつけいよ」

刑事たちは室内に散った。

戸を開ける音、同時にひれ伏す音が響く。

犬は家の中の動きを察知し、
一層、激しく吠えはじめた。

「二階の階段も注意せい」

やがて、二階からドタドタと足音が響いてくる。

「おらん。逃げた形跡もない」

「押入れも異常なしじゃ」

「外は固めておるんじゃろうな」

「外へは逃げられん」

家人らは玄関脇の部屋の隅で寒さと事の成り行きに震えていた。
家主の岩城義一は留守でいない。

一階の全ての部屋を捜索した刑事たちも
奥の間の数田係長の元へ集まってきていた。

「やっぱり、おらんか」

数田係長は逮捕状を手に迷っていた。

いない以上は引き揚げるしかないが、
内部密告と思える情報だけに
まだ、捜し方がたりないのかもしれない。

「どうしますか」

刑事たちの眼が問いかけてくる。

そのときだった。

鞆井刑事は冷えた体とは裏腹につま先に暖かさを感じた。
堀ごたつの中を確認していなかったことに気づいた。

大西がいない、という先入観があって、
それまでの用心深さが欠けていたのかもしれない。

ふとん、の端を握った手が頭上を払うように振られた。

部屋の明かりがこたつの中に差し込まれた。

そこには二丁拳銃を両こめかみに当て、
眉間をギリギリと立てた
悪魔のキューピーの姿があった。
【60】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月17日 15時48分)

【密 告】

昭和二十五年一月六日付け中国新聞は社会面に二段組で事件の一報を伝えた、
見出しは【拳銃で射殺、口論の意趣ばらしから】である。

以下、本文

―――――――――――――――――――――――――――――――

四日午後五時四十分ごろ、呉市和庄通り四丁目の高日神社付近で、同町人夫
大西輝吉君(二二)が二十七、八歳くらいの男と口論、輝吉君はピストルで後頭部を撃たれてこん倒、共済病院に収容されたが、五日朝三時、絶命した。
呉署は直ちに現場検証を行い、関係者らの供述により容疑者として
阿賀町海岸通りの大西政寛を指名手配した。
犯行の原因は、同日昼、本通り五丁目を両名が仲間数名と歩いていたが、すれ違ったときにささいなことから口論した意趣ばらしらしい。
なお、容疑者、大西政寛は昨年十一月、福山競馬場で発生した騎手殺人未遂容疑者の一名として手配中のもの


大昔の記事とあって、冗漫な表現ではあるが、事件の重大性を伝えている。

それにしても、事故保釈中に指名手配をうけ、さらに射殺事件を起こせばどうなるか
大西も十分に承知のことであろうし、また、この事件にその愚を冒すほどの要因はない。
あるとすれば、悪魔のキューピーが本当の悪魔に魅入られたうえに
自らの狂気が自暴自棄を起こしていたとしか、考えられない。

呉署は捜査本部を設置し、大西政寛の逮捕に全力を挙げた。
大西が絶えず拳銃を身にしているうえ、凶暴な性格とあって、捜査員全員が
拳銃所持で聞き込みに散った。

事件が発生して十日が過ぎたが、大西の行方はようとして、知れない。
捜査員の中には「県外に高飛びしたのではないか」との見方も流れた。

そんな中で大西をよく知る呉署捜査係長
数田(かずた)理喜夫警部補だけは断言した。

「いいんや。大西はまだ呉市内に潜伏しとる。間違いない」

数田警部補は読み書きができず、県外を極度に嫌った大西の性格を熟知していた。

一月十七日の夜、一人の捜査員からとびきりの情報がもたらされた。

大西政寛が呉市東鹿田町の山村組相談役・岩城義一の家に潜んでいるというのだ。

「確実か」

「間違いありません」

なおも聞き込みすると、大西は明日にでも高飛びするつもりで
変装用の大学生の制服を準備していることがわかった。

内部のものにしか知りえない情報である。
捜査陣は色めき、ただちに捜査会議が開かれた。

張り込みで出発時に逮捕するか、急襲して逮捕するかが、問題になった。

呉市は呉港を抱いて三方を山に囲まれている。
呉駅から市街を眺めて正面が灰ヶ峰、左が鉢巻山、右が休山となり
それぞれの山麓が市の中心街を抱く形になっている。

山麓にある高台の家は坂道の細い路地続きで車も入れない。
当然ながら、路地は迷路のように入り組んでいる

東鹿田の岩城義一宅は休山の山麓、高台の女学校の崖下にあり
もし、拳銃をぶっぱなされて抵抗、逃走されると周囲は細い路地伝いに
山越えで阿賀から広までの逃走も可能だった。

結論は夜明けを待たずに急襲と決まった。

非常呼集がかけられ、刑事十三人、制服警官二十七人が呼び出された。

午後十時過ぎから肌を刺すような氷雨が降り出した。

レインコートに身を包んだ数田警部補が陣頭指揮をとり、
日付が変わった十八日午前一時半、捜査陣は行動を開始した。

制服警官九人が一班を編成し、三班で岩城宅を完全に包囲する。

「大西が発砲してくる可能性が高いけん、油断ないよう」

午前二時半、逮捕状を手にした数田警部補ら十三人の刑事は
岩城宅の玄関に向かった。

雨足が激しい。

軒下で飼われていた土佐と秋田を掛け合わせた大型犬が激しく吠えだした。
【59】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月15日 17時35分)

【惨 劇】

昭和二十五年、一月四日。

戦後四年目の年も明け、
ようやく晴れ着姿の女性もポツポツと見え、
華やいだ正月の街中だった。

呉市中通りを抜け、
本通りへ出た大西正寛と妻の初子は、
五丁目付近まで歩いてきたところで、
酒の入った土木作業員ら数人とすれ違った。

初子は小柄で色白の美女。

並んで歩いている大西は顔だけ見れば
キューピー人形のような坊ちゃん顔である。

酔った男たちは嫉妬の裏返しから
「ヒョ、ヒョ」と卑しい口笛で二人を冷やかした。

図に乗って一人の男が言った。

「この女は進駐軍のパンパン(街娼)じゃろうが」

日頃から女房だけは大事にしていた大西だった。

売春婦と言われてたちまち怒りが表情に出た。

眼光が鋭くなって寄せた眉間の間から額へ
すっと縦しわが走った。

「なにい」

短いが相手の腹に響く声を聞いて、
まともに受け答えができる男は呉にはいなかったが、
彼らは不運なことに大西を見たことがなかった。

しかし、名前だけは耳にしていたから、
不運は倍加したというべきだろう。

大西夫婦についていた山村組の若者が
大西の顔色をうかがうまでもなく
前へ出て、男を睨みつけて言った。

「わりゃぁ、誰にもの、言うとるん、じゃい」

しかし、彼らは大西をなめきっていた。

「ほうじゃきに、言うとるけん、
  わしゃ、山村組の大西じゃ。
 名前聞いて、風邪ひくな」

一人が前に出て、啖呵を切った。

彼は大西輝吉という二十二歳の青年で、
同姓ということもあって、
こともあろうに本人の前で
悪魔のキューピーの名を騙ってしまったのである。

仲間たちも同じだった。
その啖呵に調子づき、下駄を手に大西たち三人に向かってきた。

初子は必死になって大西の袖を離さなかった。
離せば大西がどうなるか、わかっている。

「こらえて、うちと逃げて」

見物人の輪も出来始めていた。

大西は初子に引きずられるように、
その輪の中へと消えたが
縦に立った眉間は元に戻らなかった。

すぐに山村組の若衆が手分けして
大西を騙った男を割り出した。

その日の夕方五時半ごろ、和庄本町、
高日神社の境内に大西輝吉は連行されてきた。

彼は次第に自分がどのような立場に置かれているのがわかってきていた。

彼を連れてきた若い衆の態度と物言いから、
自分が騙った男が眼の前にいる大西正寛本人と察しがついたからである。

しかし、彼にはまだ、虚勢がいくぶんなりと、残っていた。

「さっきのことは、こらえて、つかあさい。悪いことした、思うちょるけんね」

「なにい」

大西の眉間がさらに深く立ち
眼が虎のように底光りした。

呉の極道の誰もが怖れた表情だった。

彼は夕闇の中で愛想笑いをこわばらせ、
土下座もいとわぬほど頭を下げようとしたが
反射的に体をひねって逃げようとした。

大西が腹巻から拳銃を取り出すのが
視線に入ったからだった。

「この、クサリ外道!」

大西は逃げる相手に向かって冷たく
愛用のコルト45口径の拳銃の引き金を引いた。

銃声が境内に轟き、男の後頭部に穴が空き
脳漿とともに頭蓋は砕け散った。
【58】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月14日 16時48分)

【暴 走】

波谷守之とは対立し、美能幸三とも
塀の中と外で別れることになった大西政寛は
呉を離れて福山にいることが多くなった。

山村辰雄への疑念や不信は決定的になっていた。
土岡博襲撃のすべては大西が描いた絵図、という噂を耳にし、
それがどこから出たかが分かれば、呉にいたくない、のは当然だった。

山村は会えば「まあちゃん」と猫なで声で呼びかけるが、
波谷守之が狙っているのを怖れてか、あまり姿は見せなくなっている。
もちろん、大西本人をも避けたがっているのは、山村の態度でわかった。

わしは騙されていたのか、と大西は初めて確信した。

金で釣られて、太っ腹な親分と思い込み、
土岡博を裏切ったばかりか
可愛い弟分の美能幸三を窮地に追い込んでしまった。

しかも、山村は飛んだ美能を責めて、
あげく、逃亡に土岡組に奔った男をつけさせ
阿賀を通るという不審な行動をとらせた。

それが「全財産をやる」と断言した親分のとる道だろうか。

金で釣り、自分の保身に執着し、子分の命は粗末にする。
自分が信頼しきっていた親分とは、そんな人間だったのか。

美能幸三の破門と自首という、和解(手打ち)の条件も胸に重く詰まっていた。

それは石コロを飲み込んだように大西の臓腑を刺激した。

加算刑となれば、もう、幸三はいつ帰ってこられるか、わからない。

一年、一月も不自由を我慢できない大西にとって、
臓腑の石コロをかつて体験した戦地の行軍のように感じたのかもしれない。

石コロがゴロゴロ、ゴロゴロ・・・・
臓腑で鳴る虚無と苛立ちをまぎらすために、
大西は福山で競馬場に通いだした。

勝負となれば負けたくない大西にとって、札ならイカサマ、競馬は八百長であった。

誰がどう仕組み、失敗したのかは分からない。

昭和二十四年十一月二十六日、最終レースが終わった午後五時半ごろ
大西は騎手を呼び出し、割り木で顔面、頭部をめった打ちにした。

福山署はこれを殺人未遂事件として捜査を始める。

大西の逃げい、逃げいがまた始まる。

読み書きのできない大西は極度に広島県を出るのを嫌った。
土地勘のある尾道、三原に「つて」を頼り、
年の瀬には密かに初子のいる呉へと舞い戻った。

母・すずよを交えて久しぶりの団欒のときをすごしたのだろうか。

しかし、昭和二十五年が明けたばかりの一月四日、
悪魔のキューピーは破滅への扉を自らの手で開ける。
【57】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年04月03日 09時07分)

【手打ち】

阿賀町の自宅で静養しながら
警察の聴取を受けていた土岡博は狙撃手を
「見たこともない、知らん男だ」と突っぱねていた。

土岡は撃たれながらも、ヤクザの世界の筋を通したのである。

しかし、波谷守之にはポツンと言った。

「幸三が持っちょった、拳銃はマサのじゃった」

大西の裏切り、相手と認めたひと言だった。

波谷守之は大西が阿賀へ死にに、来ると考えていた。
「明日、来る」との約束は果たされず、何日かが、過ぎていた。

「そうよ。そうじゃろう。
守ちゃんは先に山村の家へ
死にに、行っちょるんやけんね。
 そう、思うて当然じゃ。

結局は山村さんの優柔不断、美能さんへの
 余りに人間味のない態度に大西も疑問を持ち始めとるから
 死にに、いくことなんぞ、ありっこない。
 誰が誰のため、なんのためか、
わかりゃせんごと、なっとるんよ」

その間、山村は土岡組の若い衆の事件に弁護士を世話をしたり、
差し入れを繰り返しながら
「全ての絵図は大西、一人が描いたもの」と流していた。

さらに、山村、土岡、共通の資金源であった海生(かいおい)逸一にも頼み込んで
和解(手打ち)の算段に走り回った。

条件が整ったのは事件から二週間後の十月十一日だった。

「美能幸三の破門と自首」。

仲裁人・吉岡清五郎に付き添われ美能幸三は広島東署に出頭した。

広島地検の担当検事は被害者・土岡博の供述調書を読んで聞かせた。

「わたくしは、美能幸三から恨まれるようなことをとした覚えはありません。
 こりは、はっきり言って、山村辰雄がケツを掻いて(そそのかせて)
 やらしたものです」

検事は山村辰雄の命令だったという、自供を得ようと迫った。

美能幸三は関係がない、と頑強に言い張った。

「よーし、お前がそういうなら、完全に唄う(自供する)まで、蒸して
 蒸しちゃげる」

検事が怒号すると
「おう、ほいじゃ、勝手に蒸せい」と美能幸三は毒づいた。

「前に十二年、打たれとるよのう。あれを勤めてやるわい。
 すぐ、手続きとってくれい。こっちゃ、十二年の間に、裁判をやりゃ
 それで、いいんじゃけん」

十月十八日、広島刑務所に放り込まれた美能幸三は
のち、昭和二十六年二月、土岡博襲撃事件で懲役八年の判決が下る。

「合計、二十年よ。
山村さん、全財産、やってええ、よのう」



二年後の昭和二十六年九月
日本が敗戦国としてサンフランシスコ講和会議に参加、
講和条約の恩赦で昭和三十四年に仮釈放されるまで
美能幸三は約十年間を獄中で暮らすこととなった。
【56】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月14日 16時47分)

【 罠 】

大西政寛が訪ねてきた数日後、
山村辰雄が美能幸三の潜伏先に顔を出した。

「お前、のう、当分、いかりゃせんど。阿賀の町いうたら、警察でいっぱいじゃ」

山村はいまいましげな顔つきをした。

「そこでのう。考えたんじゃが、お前、いっときのう、体をかわしとけいや」

案内人は誰が来るのかと思っていたら、
意外にも山本信二がきた。

山本というのは佐々木哲彦との内輪げんかのもつれから
「土岡の麦飯の方が性にあっとる」と言って
土岡組に奔(はし)った男である。

美能幸三はぎょっとした。
  
いよいよ、土岡組からお迎えが来たのか。

「おい、支度せいや」

美能は山本の様子を油断なく観察した。
親分に売られたのか、と覚悟した。
しかし、彼はそんな気配も見せず、
とぼけて聞いてみた。

「支度いうて、なんの支度ない」

「実はなんよのう。山村がわしを呼んで、
こんな、をどこかへ行かすところはないかというじゃけん。
わしゃ、ない言うたんじゃ。
どこでもええけん、言うて聞かんのじゃ。
ほいじゃけん、三原じゃったら、言うたらのう、
おう、そこでええ言うことになり、
しようがなく引き受けたんよ」

トラックでの逃走路は阿賀を通らねば三原へは行けない。
これは罠に違いない、と美能は直感した。

山村は自分を土岡組に引き渡すに違いない。
しかし、ここで臆病風を吹かせてなるものか。

ようし、行ったれ、と思った。

「おう、わかった。ただし、ちいと時間をくれいや」

山本をいったん、帰すと美能は大急ぎで大西政寛に連絡をとった。

駆けつけた大西は計画を始めて知り、顔色を変えた。

「幸三、親分は焦りすぎちょる。辛抱せい。
もし、お前が死ねば、すぐ、わしも死ぬけん。
途中の阿賀で土岡が襲うてきたら、
かまわん、山本を一番先に撃ち殺して逃げい」

美能はうなずくしか、なかった。

大西の眉間は縦に立っていたが、
美能を見つめる眼だけは慈と悲に満ちていた。

そして、ここでも、これが大西政寛と美能幸三のこの世の別れとなった。

翌日、山本がトラックを乗りつけた。
月のない九月の夜は漆黒のように暗かった。

美能幸三はトラックの荷台の中で拳銃を握り締めて身を潜めていた。
息を凝らすなか、トラックは土岡組の地元、阿賀町を通過した。

しかし、三原市に着くと山本は
知り合いの家に行く前に拳銃を預からせてくれ
と、言い出した。

「やはり、罠だ」

押し問答のすえ、美能幸三は夜陰にまぎれて逃げ出した。

そのまま、一晩中、歩きとおして尾道へたどりついた。
【55】

RE:仁義の墓場  評価

野歩the犬 (2014年02月11日 23時57分)


【悪魔の涙】

波谷守之が山村辰雄の自宅へ単身、乗り込んだとき、
山村は美能幸三の隠れ家にいた。

三十分ほどの時間差だった。

山村が戻り、大西は事の次第を話すと山村は顔色を変えた。

「まあちゃん、それで、どうして守之を生かして帰したんない」

「ほかの者じゃったら生かして帰さんけん、守之じゃ可愛いけんのう。
 あいつは生かしといたら、必ず男になるけん」

大西もさすがに山村の言葉にむっときたのだろう。
そう、答えると山村はそれには耳を貸さずに言った。

「それより、いずれ、幸三の隠れ家を移さにゃ、いけんのう。
 守之も狙っとるけんの」

三日ほどして、美能幸三は潜伏先を移された。

ぽつんと一人でいると、後悔と寂寥感が募った。

山村は波谷が乗り込んできたことで、自身もどこかに逃げたのか
姿は見せなかった。

そのかわり、山村の意をくんだ、と思われる者が顔を出した。
究極のところ、残酷にも言葉は常にひとつだった。

「お前のう、命を捨ててくれんか。死んでくれんか」

「死んでくれ、言うて、死ぬ場所、こしらえてくれるんか」

美能にも意地がある。憤然として聞くと、相手は身を交わして言うのだ。

「そりゃ、兄弟に言うてくれ。兄貴やったら、ちゃんとしてくれるわい」

死ぬということは土岡博を再度襲撃して、
トドメを刺すということを意味していた。

土岡は事件の翌日には阿賀に戻り、自宅で静養している。
それを襲うことは無謀に等しい。
たとえ、成功したとしても、殺されて当然である。

しかし、なぜ、誰のためにそこまでしなければならないのか。
かりに狙撃犯が邪魔だから死んでくれ、と言われても
彼にはそれで、命を投げ出すいわれ、はなにひとつない。

美能幸三は逃げたい、と思った。

そういう美能を訪ねてきたのが大西だった。

「なかなか、顔を出さんで、すまんのう。
 親分は焦っちょるし、時間がとれんのじゃ」

眉間は立たずに曇っているのが大西の苦悩を表していた。

このころの山村は土岡博の再襲撃を企む一方で
土岡組の懐柔策にも手を回していた。
しかも、その方便は山村の知らないところで、
大西が絵図を描いた、というものだった。

大西の中で次第に、山村へ対する猜疑心が深まっていた。

苦悩を内に、それでも美能幸三の顔を見ると、大西の表情はゆるんだ。
波谷と同様の可愛い弟分であり、
波谷と辛い別れをしただけに心を開いて当然だった。

美能幸三は大西の眼をみて、言った。

「兄やん、わしのう、死んでくれ言われてものう、死にきれんじゃがのう」

大西はじっと美能を見つめた。笑顔がまた、曇ってゆく。

「幸三、ほんじゃ、どうしたらいい」

「兄やん、わしゃ、逃げたい。辛抱してくれ兄貴、
 尽くしたんじゃけん、やるだけ、やったんじゃけん」

大西は覗き込むように美能を見つめてきた。

「すまんのう、幸三。ほいでもここまできたんじゃけん。
 ここから辛抱せいや。お前が死んだら一緒に行くけん。
 必ずわしも死んじゃるけんのう」

大西のキューピー人形のような大きくて円い眼が潤んできたと思うと、
瞬きもせずに涙が頬を伝わりだした。
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