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【34】

ステゴロの帝王の壮烈な最期   花形 敬  評価

のほSEIL☆ (2023年04月02日 09時01分)

その日、三人の刺客は夜九時ごろ車を走らせ
アパート付近で花形の帰りを待ち伏せしていた。

同じころ、花形は青山の組事務所を出ると
新宿へ立ち寄っている。

大胆にも東声会支部の筋向いにあるクラブで
友人と一緒に飲んでいたのだ。

閉店前に切り上げ、友人と別れた花形は
自ら黒塗りのセドリックを運転して
川崎の自宅アパートに向かった。

助手席には三歳になる娘の土産に買った
フランス人形が置いてあった。

その花形の帰りを待ち受けていた
三人の刺客は夜を回っても帰ってこない
ターゲットにしびれを切らしていた。

「ヤツは今日、帰ってこないのでは …」

一人が不安そうにつぶやいた。

まさにその時、車のエンジン音が聞こえてきた。
花形の運転するセドリックだった。

「ヤツだ!」

三人に緊張が走る。 

セドリックはアパートの
約三百メートル手前に停まった。

男たちが身を潜めている目の前である。

ヘッドライトが消え、フランス人形が入った箱を
小脇に抱えた花形が降りてきた。

「よっしゃ、行くぞ!」

男の手には柳刃包丁が握りしめられていた。

車のドアにカギをかけている花形の背後から
刺客たちは忍び寄り、両側から花形をはさみこんだ。

「花形さんですか?」

「そうだ」

男たちは同時に左右から花形を襲った。

一人が拳銃を花形の脇腹に突き立て、
リーダー格の男が柳刃包丁を突き立て、えぐった。

不意を突かれた衝撃と激痛に花形は一瞬、
わが身に何が起きたのか分からなかった。

それでも全身の力を奮い起こして
刺客の体を振り払った。

ステゴロ一本で天下無敵の強さを誇った
花形の根性は凄まじかった。

だが刺客たちはひるまず、
なお攻撃の手を緩めなかった。
包丁を握りなおすと再び、
体ごと花形に突進しその胸をえぐった。

かつて花形は内輪もめから拳銃で撃たれ、
手と腹に二発、被弾したことがあった。

傷は左手の中指と薬指の間、
さらに左腰を貫通する重傷だった。

だが花形はその日のうちに病院から抜け出し
明け方まで酒をあおり、さらに女を抱いていた。

なおかつ安藤昇に呼び出され、
昼過ぎに事務所に顔を出している。

このときの逸話が凄まじい。

安藤との会話の途中、花形のズボンの裾から
何かが、ポロリと落ちた。

床で乾いた音を響かせたのは
もちろん花形を襲った銃弾である。

そんな不死身を誇った花形だけに、
彼は生への望みをあきらめなかった。

刺客から逃れようとアパートへ向かって二百メートル、
死力を尽くして走ったのだ。

しかし、そこで力尽きてしまった。

初めて相手に背を向けたとき、ステゴロの帝王は
その生涯に幕を降ろしたのである。

(了)
【33】

ステゴロの帝王の壮烈な最期   花形 敬  評価

のほSEIL☆ (2023年03月19日 08時07分)

戦後、東京・渋谷を本拠にして
既存のヤクザ組織と渡り合った愚連隊組織が
セイガクヤクザ・安藤昇率いる安藤組であった。


その中でひときわ光を放ち、
伝説として語り継がれるのが
大幹部・花形敬である。

中学、高校時代からケンカに明け暮れ、番長を張った。

花形がケンカをする際の賭けは
「勝つか、負けるか」ではなく
「相手が一発で沈むか、二発か」
とぃつたもので、その腰の入ったパンチ力は
並外れたものだった。

一八〇センチ近い体躯。

ラグビーで鍛えた分厚い胸板と剛腕は
当時、暴力団の用心棒をしていた
力道山さえ怖れさせたといい、
なにより長さ10センチ以上の
無数の傷痕が残る顔は
どんなにケンカ慣れした者でも
初対面で震えあがらせた。

武器を持たない素手ゴロ最強の男として
知られた花形だが「強い者は殺される」
というヤクザ界のご多分に漏れず
花形は壮絶な最期を遂げる。


三人の刺客に襲われ、三十三歳の生涯を閉じたのは
昭和三十八年九月二十七日のことだった、

事の発端は二週間前の夜七時過ぎのこと
渋谷宇田川町の一角で安藤組組員と地元組織が
ちょっとしたイザコザから乱闘となった。

その場は東声会組員が仲裁し、
収まったものの仲裁の仕方で
今度は安藤組と東声会の間で揉めてしまった。

結果、安藤組組員の一人が東声会の組員を
刃物でメッタ斬りにしてしまう。

当事者の安藤組組員は
花形敬に事件を報告して自首した。

当時、花形は安藤組長はじめ、幹部がことごとく
服役中だったため、組の留守を預かる
組長代理に押し上げられていた。

花形自身も東洋郵船社長襲撃事件の
公訴棄却で下獄し、一年六か月の刑期を終えて、
渋谷に帰ってきたばかりであった。

もはや、安藤組に昔日の面影が
なくなっていた時期である。

一方、やられた側にすれば、
やられっ放しではメンツが丸つぶれとなる。

それはヤクザ社会でメシが
食えなくなることを意味するからだ。

報復となれば相手のトップを狙うのは
戦国時代の当時の当時のヤクザ界では当然であった。

ヒットマンは花形に狙いを定め、
その行動をピッタリとマークして
渋谷を引き払って引っ越したばかりの
川崎市二子玉川の河川敷に近い
花形のアパートを突き止めた。
【32】

チャカで通ればチャカで死ぬ  夜桜銀次  評価

のほSEIL☆ (2023年03月08日 19時36分)

夜桜銀次、暗殺 ―――

その報は伊豆組・伊豆健児組長から
ときを移さず別府・石井組、
神戸・山口組へともたらされた。

銀次の兄貴分だった石井一郎は

「一発も撃たずに死んだ銀次がかわいそうだ」

と男泣きに泣いた。

銀次はなぜ、殺されたのか。

犯人は誰なのか。

石井組と山口組は色めき立った。

石井一郎は組員十人を引き連れて福岡入り。
神戸・山口組も若頭補佐・山本広を派遣した。

伊豆、石井、山本広の三人は情報収集したが
犯人の目星は分からない。

しかし、そのさなか、伊豆が北九州に本拠を置く
大島一家、宮本組組員から狙撃される事件が発生。

かつて銀次が賭場荒らしをしたのも
宮本組系組織の賭場だったことから、
石井は、銀次暗殺が
宮本組の犯行と確信する。


二月六日、両派の調停が行われたが、
山口組直参の伊豆・石井連合は
仲裁人に対し調停を拒否、
九州は二派に分かれて決戦することとなった。


ここに本家・山口組は九州侵攻を決定。

翌七日夜、銀次の葬儀参列を名目に
三十六歳の若頭補佐・山本健一率いる
三百人の精鋭が博多へと向かった。

八日午前七時、国鉄博多駅前には
福岡県警の制服、私服警官二百六十人が
厳戒態勢を敷いていた。

集団で駅頭に降りてくる黒づくめの男たち、
一人ひとりにボディチェックが行われる。

「なんや、なんや、わしら、なんも、持っとらんわい!」

男たちは声を荒げながら迎えのバスに乗り込んだ。

拳銃や刃物の武器類は密かに女たちによって
博多へ運び込まれ、男たちは丸腰である。

山口組の一行は福岡市中洲・春吉の
旅館四軒に分散投宿。

市内は異様な緊迫状態に包まれた。

夜八時、山口組の行動開始直前、
突然旅館の明かりが消えた。

「殴りこみか!」

「懐中電灯ないんか!」

「ローソク持ってこさせろ!」

漆黒の闇の中で怒号が飛び交い、
山口組戦闘団はパニックとなった。

これは変電所の事故による全く、偶然の停電だったが
福岡県警はこのおよそ十分間の
混乱に乗じて一気に動き出した。

停電が復旧すると武装警官六百人が
凶器準備集合罪の令状を手に
西中洲の伊豆組事務所や
旅館を包囲して家宅捜索を行った。

拳銃十三挺、カービン銃二挺、
日本刀七振、匕首十五本が押収された。

福岡県警は山本健一、伊豆健児以下百五人を逮捕。

逃走した石井一郎も二月十九日、
宮崎県延岡市内で逮捕され
九州を二分した抗争は回避されることになった。



九州のヤクザ社会を震撼させた夜桜銀次暗殺事件 ――

実は犯人は意外なところにいた。

銀次を暗殺したのは炭鉱経営者から依頼された
久留米市・鳥巣組の二人だった。

銀次は暗殺される数日前、炭鉱経営者を訪ね
「十六日まで朝までに百万円持ってこい」と強要していた。

炭鉱経営者はついに鳥巣組に五十万円を渡し、
「銀次を殺してくれ」と依頼、
二人の刺客が銀次のアパートへ飛んだ。

決行の日は銀次が百万円を無心した期限当日だった。

用心深い銀次が暗殺者二人を招き入れたのは

「使いのもんばい」

との声だったから、と判明した。

抗争のたびにその名を売ってきた「夜桜銀次」。

最期に拳銃(チャカ)を向けてきた二人の男の
請負額はわずかに五万円だった、と伝えられている。


(了)
【31】

チャカで通ればチャカで死ぬ  夜桜銀次  評価

のほSEIL☆ (2023年02月25日 13時06分)

銀次が二人のヒットマンによって射殺されたのは
昭和三十七年一月十六日のことである。

その日、銀次は仲間の放免祝いに出る予定だったが
朝からふとんの中で悪寒がしていた。

酒とバクチに夜を徹するからだは
悪性の風邪を背負い込んでいたのだ。

当時、銀次は通わせていたホステスと縁を切り、
自分のアパートに妻を呼んでいた。

「あなた、大丈夫? 
 お医者さんを呼びましょうか?」

銀次の火照った額に手をあてた妻が
心配そうに声をかけた。

咳き込みながら、もの憂く
頭を振って銀次は言った。

「それより、お前が俺の代わりに放免祝いに行ってこい。
 一日、寝てれば治るさ」

銀次は再びベッドのふとんにもぐりこんだ。

十時すこし前だった。

妻は銀次の代理として放免祝いに
出席する身支度をはじめた。

「どうも、からだがだるい。
 途中、アンマの家に寄ってくれ。
 すぐ、来るようにだ」

「ええ、すぐ来るように言いますから」

妻は出て行った。

銀次の運命はここで変わったのだ。

マッサージ師がすぐ、来ることを期待していた銀次は
全身のだるさから、ふとんから出ることなく
部屋の内カギをかけなかったのである。

ふだん、用心深く細心に何度も部屋の
施錠を点検していた銀次にとっては
まさに一生の不覚となってしまう。

銀次の妻がアパートを出てゆくのとすれ違うように
二人のヒットマンが部屋に入っていった。

まもなく、銀次の部屋から
四発の銃声が聞こえた。



夜桜銀次こと、平尾国人は血の海となった
ベッドの上で息絶えていた。

銃弾はレバンスピル社製の45口径弾で
至近距離から発射されていた。

銀次は大口径弾によって
左あご、のど、胸をえぐられ
ほぼ即死の状態だった。


粉砕された左ひじの下の枕からは
愛用のコルトが安全装置が
かけられたまま、のぞいていた。
【30】

チャカで通ればチャカで死ぬ  夜桜銀次   評価

のほSEIL☆ (2023年02月23日 10時12分)

夜桜銀次 こと、
平尾国人は昭和四年、
大分県庄内町に生まれた。

昭和二十七年、二十三歳にして
愚連隊時代からのつきあいで
別府・石井組組長
石井一郎の舎弟となる。

昭和三十二年、石井組は別府温泉観光産業博覧会の
興行権を巡り、別府市議・井田栄作率いる
井田組と衝突、全面戦争となる。

市を二分する流血抗争の果て、
別府署に保護を願い出た井田栄作は
市議会議員はじめ全ての公職の辞職と
井田組の解散を宣言。


ここに井田王国であった別府は
石井組・石井一郎の手に簒奪される。


翌三十三年、石井一郎は三十二歳の若さで
神戸・山口組、田岡一雄の直盃を受け、直系若衆となる。

これを機に別府抗争で殺人未遂容疑の
指名手配を受けていた銀次は
山口組、山本健一預かりの客分として神戸に流れる・

そんな銀次を待ちかねていたかのように
三十五年八月、大阪で山口組と
在日系暴力団・明友会の抗争が勃発。

銀次はここでも山口組の
ヒットマンとして戦闘に参加、
再び殺人未遂で指名手配となる。

この世界では戦闘に参加した客分は
安全に逃がしてやらなければならない。


昭和三十六年十一月、銀次は福岡市の
山口組舎弟、伊豆健児の許に預けられた。

銀次は福岡市祇園町のアパートに落ち着くと
その夜から酒と女と博打に明け暮れる。

銀次のふところがいつも暖かいのは
筑豊に金づるを持っていたからであった。

炭鉱経営者に七千万の銀行融資の口利きを
したことがある銀次は一割の七百万を受け取り
さらに、二十万、三十万と金をせびりとっていた。

博多入りしてひと月もたたないうちに
銀次は地元の反山口組系が開く賭場に現れ
因縁をつけ、貸元を殴り、二丁拳銃を乱射した。・

背広の襟に光る「山菱」のバッジ。

九州根つきのヤクザたちにとって
銀次は神戸・山口組の鉄砲玉として映った。

銀次を殺れば、山口組はそれを口実に
九州に侵攻してくるであろう。

銀次の動向を九州のヤクザたちは
注意深く見張っていた。
【29】

チャカで通ればチャカで死ぬ  夜桜銀次  評価

のほSEIL☆ (2023年02月08日 10時55分)


朝鮮海峡を渡る風は冷たい。

九州・博多に冬の訪れを告げる北風は
舗道に枯れ葉をまき、路地裏へと吹き寄せる。

昭和三十六年、十一月。

一人の殺し屋が夜ごと、歓楽街・中洲の路地をさまよっていた。

身長一七〇センチ、長めの五分刈り。
青白い頬。 あごのラインが剃刀のように尖っていた。


通り名を「夜桜銀次」という。


手首から背中、足首にいたる全身を
「夜桜」の彫り物で飾り、黒のスーツに
トレンチコートの襟を立て
路地裏のバーのドアを開ける。

必ず入口に面したカウンターの奥に
用心深く腰を下ろす。

蓮っ葉な女が近づいてくる。

それを撥ねつけるように、刺すような一瞥で
女を立ち去らせ、黙ってウインストンをくわえる。

バーテンにジョニ赤のボトルを封印のまま運ばせ
最初の一杯を一気にあおる。

のどを焼くウイスキーの刺激にちょっと顔をしかめ、
それが銀次の男っぷりを一層、引き立てた。

女とだべったり、抱き寄せることはおろか、
笑顔さえ見せない。

いつもカウンターの隅で死神のように
ウイスキーグラスの琥珀色を見つめ、
ものの三十分と座っていなかった。

黙って立ち上がるとピンと真新しい一万円札を置いて
釣り銭も受け取らずに立ち去った。



「だれね、いまん、客」

「よう、わからんとよ。
  ばってん、あたい、
 あん男に惚れたばい」

「あたしも一回でよかぁ。
  あげん男にして、欲しかぁ」


金は切れる。男前もいい。

硬質で無口なところがかえって
頼りがいがあるように見える。

銀次はたちまちにして、
中洲の蝶たちの噂になる。


十日も経たずして、銀次は鍵をかけたアパートに
こもったまま、女を抱いていた。

情事の間も銀次は愛用のコルト38口径を
枕の下に潜ませ、決して自分から
熱い坩堝に飛び込むことはなかった。

いつも冷酷な冴えた眼で女を見つめ
周囲の物音に耳をとがらせながら、女の肌をいたぶる。

銀次の全身を彩る夜桜の刺青が
女をより放縦にさせた。

不機嫌なときは容赦なく女の横顔を張り、
欲しいときは、いきなり衣服を引き裂き
丸裸にして転がせた。

全身の夜桜に象徴される粟立つ戦慄が
いつしか快楽のうめきとなって、
女はすれかわっていくのだった。
【28】

RE:THE  LAST  OF ...  評価

のほSEIL☆ (2023年02月08日 11時05分)

昨日、確定申告を初めてeーtaxで挑戦した。

去年、税務署でIDとパスワードの交付を
受けていたので、やってみるべぇと
PCに向かったのだが、医療費控除の
エクセルシートの使い方が分からず、
往生したが一件ずつ入力しても
手間はあまり変わらないことが分かって、
なんとかなった。

それよりもデータを一時保存しようとすると、
なぜかたびたび一瞬にして
消失してしまうのに参った。

よっぽど入力件数が多くないのであればお薦めしない。

最後に確認画面が出るし、
申請が受理される前に書類一式が
PDFで印刷できるのであまり問題ない。

とにかく混雑した窓口に行くことを考えれば、
こんな楽なことはない。

申告の結果、去年は900円の
還付があったが、今年はゼロ。

まあ、年金主体の生活者からこれ以上、
税金を取られたらたまったもんじゃない。


>初日にお連れしたの
タマシャモですよ…  
一応、高級鶏なんですけど

    そういう講釈は現場で垂れろ

だいたい、おまぃ

 「あ、のほさん、
   いい具合 火が入りました。
     このあたりがウマいですよ」

とか、一度でもオレの皿にとったことがあるか?
 
   次の接待では、もう少し年寄に
        気を使え、気を!

    それからなぁ …
 

     俺はブクロの乾杯を
     すぐに送ってやったのに
   おまいら、赤羽の盃事、いつまで待っても
    よこさんや、ないか

  そーゆー、ところやぞ
         そーゆー!

 
     ■じゃ、   連載 再開 …
【27】

RE:THE  LAST  OF ...  評価

五右衛門座衛門 (2023年02月03日 21時10分)

のほさん、ご覧の皆さま
お疲れ様でございます

月日が経つのは早いもので
年度末が見え隠れしているこの頃
年末の酒盛りが遠い昔のようです

季節の移ろいを感じる暇もない日々
目に見えぬニーズを逃さぬよう
時に聞いたふうな口を聞いたりして
虚勢を張りながらも嘘にはならぬよう
陰で知見を積み上げ
吐いた言葉に追いつくようにして
今日一日を精一杯生きる

そんな風にして過ごしている方もいらっしゃるのではないかと妄想してます

まさにワタクシ
必死にしがみつくように過ごしております

『太る』ヒマなど無いのです



…ん?



> 差しでじっくり飲む土座は想像以上に「太かった」


太るヒマなど…

恐らく老眼の影響
だいぶジジイですからね(ヲイ!

或いはブラッディメアリーのウォッカにベロベロに酔った

それぐらいしか要因を見つけられません


うん

きっとそうだ

そうに違いない(遠い目




> 土座にはなんだが、前日の軍鶏より堪能できた。

初日にお連れしたの
タマシャモですよ…  
一応、高級鶏なんですけど



ご馳走様でした!
文句言える立場に無いっすね苦笑

お招きした手前、
一銭たりとも出させてはならないなんて
思っちょりましたが
慰労のお気持ち
確かに受け取りました(謝意)






> 四分六で飲み交わし
>再会の契りを結んだ。

赤羽はもはや若者向けの観光地化されていて
特有の場末感はかなり薄まっています

正直に申し上げますと
あの立ち飲み屋でネタとしては出涸らしです

次回は池袋の深淵
ロサ会館周りをご案内します
【26】

RE:ASP酒場放浪記  評価

あぽけん(甘) (2023年01月27日 15時48分)

2023年も、早1月27日。

のほ主、遅ればせながら本年も宜しくお願い致します。

初のASPオフ会から、もう2ヶ月以上経過しました。

まさか、OLGのメンバーと対面してオフ会をする機会が来るとは思っていなかったので、昔話に花が咲き、かなり楽しい時間になりました。

ただ、いかんせ記憶装置が、電池の切れたバッテリーバックアップのファミコンカセット並みなので、スイーツ対決の詳細を覚えていないと言う、お恥ずかしい事態になってしまいまして、ペラ紙編集長のペラペラ加減全開で申し訳ないm(_ _)m

Qさんにも、お休みを取って参加して頂きまして、ありがとうございました。

ザエさんも、相変わらずの段取り丸投げしてしまい、ご苦労様でっした。

また、ASPオフ会的な感じで集まれるように願っております。

いつかは、赤ボスと赤羽で呑むのを最終目標に(笑)日々、頑張って乗り切っていきましょう!

それでは、冬時期で空気も乾燥してますので、火の元には十分注意いたしましょう!!

元ASP編集長 あぽけん
【25】

ASP酒場放浪記  評価

のほSEIL☆ (2023年01月26日 12時10分)


そろそろ連載を再開せねば看板倒れになっちまう。

その前に今日は遅れに遅れた
昨秋の上京話をちと、書き残すことにする。

ASPのOB会と称しての、飲み会がメイン。
6年前に廃刊したペラ刊新聞社の編集幹部との初顔合わせだ。

初日の会場はあぽけん編集長が
現場直行しやすい足場として
ブクロになった。

今回の幹事は広告局長の土座。
一次会は軍鶏を食わせるという。

ホテルに迎えに来たのは土座と
昭和歌部屋でお世話になったQさん。
わざわざ、この日のために
休暇をとったというから義理堅い。

バスケ選手かと思わせる長身のOさんと
並んだ土座がえらく小柄に見える。
尤も、その土座より俺はひと回り小さい。

週末でにぎわう駅前へと向かう。
スマホで盛んに店へと連絡をとる土座を後方に
Qさんは饒舌だ。なんでも幼いころは
門司に住んだことがあるという。

後から合流予定だった編集長がすでに
会場で待っている、と土座が言う。

おう、そりゃ、よかった。

軍鶏屋に着いた。

すでに座敷はほぼ満席。
靴はレジ袋にいれて座敷に持ち上がるのがルールのようだ。

背筋を正して待っていた編集長は
ガテン系を想像していたギャップは大きく
眼鏡が似合う、中学校の社会科教師を思わせる
学究肌の色白男だった。

軍鶏の刺身に始まって、串モノが出て
メインの鍋に火が入る。

揚げ物好きの編集長はフライドポテトが止まらない。

話はもっぱらOLG時代にさかのぼった。

常連メンバーの動向予想に始まって
OLGならでは、ゴタゴタの思い出に盛り上がる。

私はオフ会というもの、二回目だが
大きな部屋の集まりでは不思議とこうなる。

思うに、荒れたときこそ、お互い本音で
マジレス交わすことになるので
それだけ、記憶が鮮明、ということなのではあるまいか。

過ぎてしまえば、みな美しい。

土座はなぜか、女性ゲストから
ヨコレスのうえ、刺されたことに苦笑いしている。

話に夢中な私はほとんど軍鶏鍋を味わう暇がないうちに
締めの親子丼にたどりついた。
しかし、鍋が煮詰まってしまったせいか
味が濃すぎて、せっかくの軍鶏の卵もワケわかめであった。


さて、二軒目は客引きの兄ちゃんの案内で
小料理屋、となった。

腹はそこそこ、くちている。
それでも、Qさんはおでんの盛り合わせを
綺麗にたいらげる男っぷりを見せてくれた。

ここで、翌日仕事の編集長とQさんとお別れ。

土座はホテルまで送るというので
行きつけのBARへ誘われた。

新宿でいえばゴールデン街のような
昭和レトロな横丁に構えたスタンドBARは10人で
満席のこじんまりした、私好み。

ほの暗い店内ではプロジェクターで
カサブランカ、などのオールドフィルムを流す趣向がある。

「落とすときはここに連れてくる」と土座。

なるほど、カウンターのカップルは
ここからホテルへと諒解ムードが漂う。

土座お薦めのブラッディマリーは
特製ペッパーが効いていて、カクテルというより
ひと口目はピザを飲んでいる味わい。

しかし、これがなかなかタバコに合う。

スモーカーならではの土座のチョイスだ。

差しでじっくり飲む土座は想像以上に「太かった」

じっさい、独り身だが年齢的には男盛り。
また、母親想いの一面が端々に感じられ、
私の機微を痛く刺激させた。

ジンライムを二杯重ねると夜も更けた。

久しぶりにいい相手といい酒が飲めた。
翌日は赤羽、と決めてホテルで別れる。

(続く)
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