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【54】

RE:THE  LAST  OF ...  評価

のほSEIL☆ (2023年06月28日 16時28分)

お〜う、すーさんでねーの

もう、ヨッパかいの

蒸し暑いけん、ロック氷をぶちこんだ
チューハイでものまんとやれんわい

ついでに得意のお好み焼いてくれや

>儂にしたら98歳の爺ちゃんが書いてる事←儂らの親父世代やねw

親父が生きとれば今年で106じゃわい
俺が17んとき、死んだがの

被爆の直撃死ではなかったが
肝臓、すい臓、なんもかも、ボロボロになっとった。

そんで、大西の話は前にも書いたが
カシメだった爺さんからよく聞いた。

七十、鼻たれ

たしかに百歳時代では笑えん話か

けんどよ、わしゃ、長生きはしとうない
ウマい酒飲んで、好きなこと書いて
が、できんようなったら、終わりで

楽しみもなく老いていくなんざ、まっぴらだ。

花のニッパチ、
相撲なら麒麟児、北の湖
野球ならバカ畑、落合入道、
西鉄の左殺し、永射は、はよ死んだよな

お〜う、これで
タケちゃんとスーさんから足跡もろうて
悔いはないわい

こういうことを考えとると
タビの兄弟分に顔向けできんけん
儂はこのへんで墓じまいせなならん

そんで、堅気になるよぉ〜

      て、また来てね(はーと)
【53】

RE:THE  LAST  OF ...  評価

す一す一す (2023年06月27日 16時38分)

おはよーのほちゃん('◇')ゞ
儂が思うに
年取り過ぎwww
儂にしたら98歳の爺ちゃんが書いてる事←儂らの親父世代やねw
何が
キミをそうさせてるの?
儂らはまだ50やで('◇')ゞ
病は気から
やで
頑張れよ
花の28www
外れていても
そう遠くないw
マジでのほさん
気持爺www
アホにも程がある
70はまだ
鼻垂れ小僧やで
悟りなさい
怒るでしかし('◇')ゞ
【52】

血染めの黙字録  評価

のほSEIL☆ (2023年06月27日 14時28分)

(十)

闇市に人が群がり、愚連隊、朝鮮人らが
戦勝特権を振り回して横暴を働く
総アウトローの街と化した呉に大西は帰ってきた。

カシメ業で鍛えた体力が支えか、戦傷は負わなかったが
ただ、ひとつ異名なことがあった。

出征当時の肩書きと同じ二等兵のまま、だったのである。

一般に初年兵は徴兵されると
一年間を経過すると一等兵に昇格する。
しかし、大西は足掛け四年の兵役を
経過しても二等兵のまま帰国した。

軍人勅諭が覚えられないペナルティだったのか、
入隊当時と同じく上官への暴力があったのか、
真偽は闇の中である。

さらに大西には悪魔のキューピー、と
怖れられた「ならでは」の噂があった。

大陸で捕虜の首斬り役を買ってでていた、
というものである。

これも真偽のほどはわからない。

しかし、そのことを尋ねてみた人への
大西の答えだけは伝わっている。

大西は顔色ひとつ変えず、
つぶやくように言ったという。

「首を斬らされるもんは、斬られるもんより、
 根性がいるけんのう」

二等兵のまま、復員した軍隊生活の
「無明の闇」を垣間見せる一言であった

復員した大西は改めて呉の隣町、
阿賀の土岡組・土岡博から盃をうけ、若衆となった。


大西が土岡組に戻ったそのころ、
呉一帯は「山手」とよばれる、これも
被差別地区出身の愚連隊がゴロゴロしていた。
土岡は戦前からの生粋の「博徒」であり、
行儀作法を知らないチンピラは相手にしない。

彼らは独自に組看板をあげ、
数にものを言わせて闇市をのし歩いて
勝手にカスリをとったり、賭場に出入りした。

「ボンクラは相手にするな」と
土岡博が無視していることにつけこみ
愚連隊たちは肩で風を切り出した。

なかでも、表向きは土建業看板の
「桑原組」の舎弟、小原馨は戦闘的だった。

「お〜う、岡土がどしたん、ない。
いつでも相手になるど」

この挑発は土岡博の弟・正三と
大西を刺激した。

「なんぼ、親分がこらえい、いうて、
このまま黙っとられるかい」


昭和二十一年八月十四日。

裸電球の下での盆踊り大会に村の人たちは、
やっと取り戻した平和な開放感にひたっていた。

カチ割りの氷やスイカが売られ、太鼓と唄に、
浴衣やモンペ姿の踊る輪が広がった。

酒を飲みながら盆踊りの差配に満足げな
表情の小原馨に若者が走り寄った。

「ヤバイ、岡土の連中じゃ。
道具もっちょるど。
今夜のところはひとまず逃げい」

その囁きが終わるや否や
「おい、小原」とドスの利いた声がした。

土岡正三を中心にした五人の男の中に
日本刀を下げた大西が立っていた。

「桑原はどこにおるんない」

「知らん」

「お前ら、最近ごちゃごちゃ、うるさいんじゃ。
 馨もいうとる口じゃろう。桑原なら殺るところじゃが、
 お前なら腕一本でええわい、覚悟せい」

正三の言葉に若者が小原の左腕をねじあげた。

「マサ、やれい!」

大西が日本刀の鞘を払い、つま先が地面を蹴った。

「馨、許せい!」

言い放った大西は真っ向から小原の肩口を斬りさげた。
血しぶきを中心に支えを失った小原が左によろけ、
主を失った腕をつかんだ若者も逆へと飛んだ。

「うおっ!」と叫んだ小原は右手で
肩の傷口をおさえて崩れ落ちた。
声を聞いて、小原の弟分が駆けつけた。

「おう、ええところに来た。
小原一人じゃなんじゃ。
お前も一蓮托生じゃ、往生せい」


大西の眉間は縦に立っていた。
今度は右腕をねじ上げられた男に
大西はまたも語気、鋭く言った。

「許せい!」

小原の血糊を振り切るように白刃を振り下ろすと、
またしても一刀両断、男の右腕は飛んだ。

のどかな盆踊り会場は一瞬にして
惨劇の修羅場となった。

大西は無言のまま、刀の血糊も拭わずに鞘に収めると、
土岡が二人を病院に運ぶ指示をしているのを
聞くでもなく、すい、と背を向けて
人だかりを避けるように、闇の中に消えた。
【51】

血染めの黙字録  評価

のほSEIL☆ (2023年06月27日 14時11分)

(九)

土岡組の組員として極道稼業を歩み始めた大西だったが、
時代の荒波に抗うことはできなかった。

昭和十八年。

二十歳になった大西は徴兵で広島第五師団、
歩兵衛科部隊に入隊した。

カシメ時代の癖そのままに、ガニ股、
肩をゆすって営門をくぐる大西の姿を見て
見送りに来た母・すずよと土岡組の面々は
「あの歩き方じゃ、危ない」と案じた。

果たして、入隊初日、班長から咎められた大西は
「なんぞ?どうしたあ?」と尻上がりの、
つっけんどんな口調でくってかかり
班長をいきなり側溝に叩き込むという、
無鉄砲ぶりを発揮した。

入営式で隊長が父兄を集めて

「息子さんたちの性格、癖を言ってくれ」

と問われたすずよは

「小学校は出たが、字は名前しか読めない。
バカじゃないが、お国のためになるか、
と言われればバカに近い。
丁寧に教えてくれたら働く子だから、
どうか戦地の土を踏ませてください」

と、頼んだという。

翌年、大西は召集令状によって中国大陸に出征する。

当日、すずよは広島駅にチョコレートと
みかんを持って見送りに行き、
軍事列車に向かって「政寛、政寛」と呼びかけたが、
中尉の隊長が気づき窓を開けてやることはなかった。

字が読めない大西は一年間の教練の中で
ついに「軍人勅諭」を一行も
覚えないまま大陸へと旅立った。

昭和二十年八月六日、午前八時十四分。
一瞬の閃光の後、広島の上空に
巨大なキノコ雲が出現した。


二十キロ離れた呉でも焼け残った民家の
窓ガラスが激しく揺れた。
人類初の「核」は一瞬にして
多くの人たちの命を奪い
また、生き残った人たちの人生を大きく狂わせてゆく。


八月十五日、終戦。

原爆投下直後

「広島には以後七十年、一木、一草も生えない」

といわれていたが秋風が立つころには
どこから、どう集まってきたのか
焼けトタンのバラックや掘っ立て小屋が立つようになる。

生き残った人たちの生命力はたくましく、
また、刹那的であった。
明日のことなど、考えない。
いかにして、今日を食いつなぐか、に必死だった。

そんなひっ迫な食料事情の中で
軍港・呉だけは特殊事情があった。

膨大な量の軍の隠退蔵物資が
闇市に溢れ出したのである。
米、砂糖、乾パン、食料油、缶詰などの食料や
軍服、下着、反物などの衣料、
タバコも豊富だった。

人々は闇市に群がり、金のあるものは買い、
ないものは盗んだ。人心は荒廃し、
略奪や強盗、放火、詐欺が横行した。

全市民がアウトローと化した呉に
大西政寛は復員した。

終戦から八ヶ月後の昭和二十一年三月だった。
【50】

血染めの黙字録  評価

のほSEIL☆ (2023年06月16日 17時16分)

(八)

十七歳になると大西は拳銃を手に入れた。

読み書きのできない大西にとって、
力こそが、自己主張の表現だった。

しかし、無手勝流に生きるためには、
肉体だけでは、限界がある。

大西はその力を武器に求めた。

幼いころは石、やがて刃物。

問答無用で相手を制圧する武器のいきつく先は拳銃である。

戦前の軍港・呉では金さえ、払えば
闇ルートで拳銃を手に入れることは
さほど、難しいことではなかった。

酒・タバコはやらず、遊びといえばもっぱら、
花札博打一辺倒だった大西にとって
拳銃はコンプレックスの代弁者であり無二の友人であった。

戦争への道をひた走る世相。

無学の大西にとって、全ての不条理を
吹き飛ばしてくれるのは仕事帰りに
土蔵の壁に向けて発射する銃声音だったのか。

ドイツ製、モーゼル二号。

オートマティックになる前の弾倉式拳銃との出会いが
大西の後の人生を大きく左右することになる

究極の武器を手にいれてからの大西は
以前にまして、喧嘩好きとなりカシメ仲間で
揉め事があると真っ先に駆けつけた。

相手が「かたぎ」だろうが、懐から素早く
拳銃をとりだすと銃口を突きつけた。

「逃げなや。逃げたら撃つけん」

ドギモを抜かれた相手は恐怖心から、
思わずあとずさりする。

大西は足元へパーンと一発、威嚇射撃をして
「逃げるから、撃ったんじゃ」と涼しく言う。

蒼白になった相手が必死で命乞いをすると、
器用に拳銃をクルリと回し、
銃把で頭をゴツンと殴りつけるのだった。

そのころ、大西の身内に辛苦が襲う。
大阪へ奉公に出ていた兄・隆寛が肺結核に感染、
母・すずよの許にもどってきた。

すずよ、も連れ合いと別れ、独り身となった直後であった。
すずよは保養地で養生させるため、
隆寛を別府の温泉病院に入院させた。

療養費を稼ぐため、すずよ、は
満州へ出稼ぎ芸者となる。

大西も話を聞いて、兄の入院費を援助したが、
母が満州に渡ったことは知らされていなかった。

出稼ぎ芸者が何を意味するものか。
母としては、当然息子たちには知られたくない。

読み書きのできない大西にとって、
すべて、風の便りである。

冷えた、孤独な大西の心に暖かく響いたのが
隣町、阿賀の博徒、土岡組からの博奕遊びの誘いだった。

カシメ仕事帰りに賭場に寄ると、親分が
「政やん、よう、きた」と迎える。

そのころ、政党政治は崩壊し「大政翼賛会」が発足。
任侠道組織も「日本協力団」として大同団結を
図る動きが活発化していたがその風潮に
反対していたのが、土岡組だった。

許より、大西は無学である。
反体制とか左翼といった思想など、分かるはずもない。
しかし、世論の言いなりになることに胡散臭さを感じ、
日ごとに我が物顔になってゆく軍人たちが疎ましかった。

大西の反骨精神は、一本気な「土岡組」に魅せられてゆく。

昭和十六年十二月八日、日米開戦。

仕事よりもすっかり賭場通いが目立つようになった大西を
向井組親分、向井信一が呼びつけた。

「仕事を選ぶか、男を選ぶか、どっちにしよるんない」

大西はひと呼吸して向井にはっきりと言った。
「土岡の盃をもらいますけん」

背中には蛇をくわえた鷹、右肩に般若の彫り物。
十八歳の大西はカシメの足を洗って、博徒となった。
【49】

血染めの黙字録  評価

のほSEIL☆ (2023年06月16日 17時13分)


(七)

昭和十四年、大西が十六歳の夏、
その名が知れる事件が起きた。

それまでの大西の凶行はカシメの組中でのことだった。

気の荒い連中の集まりみたいな組織だから、
大西に限らず喧嘩や刃傷事件も珍しくはなかった。

大概のケガなら、組中で話しがつき、
警察が動くこともなかった。

だが、今回はちょっとワケが違った。

カシメが早くあがった、午後二時過ぎ、
大西は一人で街の食堂で刺身をあてに
ビールを飲んでいた。

日米開戦二年前、そのころは軍港・呉の繁華街は
たえず我が物顔で闊歩する海軍軍人の姿があった。

大西の近くの席にいた海軍水兵が
椅子を蹴って立ち上がると大西へ詰め寄ってきた。

「貴様、銃後の守りが叫ばれているときに、
 子供のくせに昼間から酒を飲むとは何事だ!」

潮焼けした顔、胸板の厚い大男だった。

「なんじゃい」

大西は一瞬、ひるんだが、睨み返した
その眉間はすでに立っていた。

胸ぐらを掴まれそうになった大西は
素早く身を翻して外に出た。

ギリギリと眉間を立てたまま、
大西はスタスタと足早に歩き、
三軒ほど先のなじみの小料理屋の板場に入ると、
タライの中から刺身包丁を二本ぬき、
またスタスタと食堂へと戻った。

水兵は大西が飲み残したビールを
自分の席に持ちだし、飲んでいた。

大西の眉間の縦じわがさらに深くなる。

両手に刺身包丁をぶら下げた大西はスイ、
と横から近づきいきなり水兵の脇腹に
刺身包丁をズブッと突き刺した。

「ぎゃっ!」という悲鳴をあげて
大男が椅子から転げ落ち、
夏用の白い軍服が鮮血に染まった。

大西の狂気は血をみて、ますます沸騰した。

水兵の襟首をつかんで引き起こすや、
片耳をスパッと斬りおとした。

一瞬の出来事だった。

「た、助けてくれぇぇえ!」

血まみれの水兵が食堂の入り口にたどりついたとき、
もう、大西の姿はなかった。

白昼、繁華街での軍人刺傷。
大事件である。

店主の目撃から、大西の犯行であることはすぐ、割れる。

しかし、不思議なことに警察も呉の鎮守府も
動く気配はなかった。

向井組が裏から手を回したのか、
刺された軍人、本人に表ざたにできない
問題でもあったのか、

大西の凶行の噂だけが、呉の街を
さざ波のように駆け抜けていった。
【48】

血染めの黙字録  評価

のほSEIL☆ (2023年06月07日 11時39分)


(六)

下働きから四人一組の仕事に
入ってまもなくのある日。

大西は休憩時間に水飲み場に来ていた。

溶鉱炉のようなコークスの前では一時間も作業すると
暑さとのどの渇きは耐え難いものがある。

蛇口にすがりつくようにして、
水を飲んでいた大西の後ろに
組出入りの鳶職人がきた。

大西はまだ、見るからに子供である。

「おい、小僧、早く、せい」

男は水を飲むのに夢中になっている大西の頭を小突いた。

つんのめった大西が振り返ったとき、
もう、その眉間は縦に立っていた。

「なにすんない!」

言うが早いか大西はポケットから
折りたたみの小刀「肥後の守(ひごのかみ)」
をとりだすや、そのまま、男に突っ込んでいった。

「ぎゃぁあ!」という声で周囲が飛んできたから
大事には至らなかったが
大西のキレ癖は知れるところとなった。

昼飯時に自分の弁当を間違われて
とられそうになったときも
鋲焼箸を手に殴りかかった。

カシメ若衆の弁当というのは、組の賄い婦が、
一人ずつに持たせてくれるもので
美少年の大西の弁当箱は、
ほかのものより一回り大きかった。

大西はそれを恩義に感じて大切にしていたのだろう。

現場を見ていた兄貴分のボーシンも

「政寛いうんは、根性もんよのう。
ありゃあ、ええカシメになるわい」

と、なかば、感心するありさまだった。

大西は自分の体躯がカシメとしては、
小柄で非力なことを自覚していた。
そのため、とっさの対抗手段として、
耐えず「道具」を使っている。

あるとき、現場の都合で日ごろ
見かけない男が作業のメンバーに組み入れられた。

その男が現場の段取りの件で
自分のボーシンに横柄な口をきいた。

横にいた大西はボーシン、本人が言葉を返す前に
「きいた口ぬかすな」と短く言うや
ボーシンが持っていたエアーハンマーをひったくると
男の側頭部へむけ、ぶっ放した。

前頭部なら即死である。

「マサ、マサ」とかわいがっていたボーシン本人が
このときばかりは青ざめていた。
【47】

血染めの黙字録  評価

のほSEIL☆ (2023年06月07日 11時35分)


(五)

担任教師の冷やかしに反発してのこととはいえ、
額を三針縫わせるケガを負わせた
大西は即日退学処分となった。

大西の将来を母、すずよは案じた。

教師への傷害事件の噂が広まり、
すっかり札付きとなった息子である。
おまけに、読み書きができない、
とあっては簡単に奉公先も見つからない。

思い余ったすずよ、は当時、
連れ合っていた男に相談した。

男は岩国・錦帯橋で三人の男を
叩き斬ったことで山陽道に知られた
金筋の「博徒」であった。

「わしゃ、まあちゃんなら、
カシメがええ、思うんじゃがのう
 向井の組長さんとは賭場づきあいがあるけん、
頼んじゃろうで」

カシメとは、鉄骨現場で接合部分を
ボルトで締め付ける職人のことである。

現代ではロボットによる電気溶接が主流になっているが、
戦前の造船業に欠かせない専門職であり、
特に軍港・呉の花形職人であった。

ボルト満杯のカマスが札束の詰まった袋と同じ、
と言われるほど荒稼ぎができる時代であった。

大卒初任給が四十円の当時、
十六、七歳の職人で倍の
八十円を稼いだといわれる。

寡黙で熱中する性格。
気性の激しさもある意味、
カシメにむいているかもしれない。

男の紹介で大西はカシメ業「向井組」の門を叩く。

向井組は当時荒くれの配下若衆三百人、
ほかに博徒や旅人、興行師を抱え
呉一帯に一大勢力を持つ名門だった。

小学生にして気性の激しかった
大西にカシメの水は合っていた。

カシメはボーシンと呼ばれる
鋲打ちを頭に四人一組での作業で、
新入りはボルトをコークスで
焼く作業から覚えるが、
大西は一日中、熱い高炉の前で
狂ったようにボルトを焼いた。

一年もすると大西は一人前のカシメ若衆となり
朝日町の遊郭に出入りするようになる。

可愛い人形のような顔立ちの少年が着流し、
半纏にソフト帽、といった、当時の伊達姿で
チャリチャリと雪駄をならす。

「あれが、退学になった大西か」

事件を知っている街の人は、
肩で風をきる大西の姿に
畏怖のまなざしを送った。

しかし、当の大西は周囲の眼はなにするものぞ。

すぐにカッとなる秘めた狂気に
カシメ若衆の連帯がうしろにあるとあって
ますます、不条理には身体でぶつかっていくようになる。

気の荒さが売りのカシメ現場に水を得た
大西の眉間は、たびたび
すっと、立つようになっていった。
【46】

RE:THE  LAST  OF ...  評価

のほSEIL☆ (2023年06月07日 16時48分)

うぉ〜い、
タケちゃんでねぇ〜の

足運び、すまんのう

最初の墓場の初訪問もタケちゃんやった。
最後の墓標にも足跡残し、冥利につきるわい。


聞いたぜよ♪

タイトルだけだと漫画の世界を連想したが
全然、違っとった。

コントラバス?のラップかいの

>メンヘラ?

平打ち麺の伸ばし棒か
よっぽどうす〜〜い面構えかと思ったぜ

年寄りにググる手間暇かけさすなや

まぁ、ゆうてよ
ピワが活況な時代は、参加者が一種の
熱病にかかっていたと思うわけよ

仕事から帰ったら、トリ覗かないと落ち着かん
レスを見つけたらその日のうちに
返レスしなきゃ落ち着かんとかね

悪く言うや、集団依存症とゆーかね

だから現況は逆にある意味
それぞれが自分の時間の貴重さに
気づいてるんじゃないかな

それにコロナで社会全体が
コミュニケーション不足を助長させ
人間関係をうざったいと思う年代を
ますます希薄にさせている、と感じるのは
ジジイの穿った見方かもしれんか、の


>お初の時から 
貴方の関連板を色々アラシてしまって
ほんとうに m(_ _)m すみませんでした。

そりゃ、誤解じゃわい

俺はタケちゃんから「荒らされた」という意識は
持ったことないで。

だって俺自身のレスに食いつかれたことは
ただの一度もないんじゃけん


>オルグの皆さんも たまにピワ見た時に
のほのジッちゃんのカキコがあるとホッとすると思うよー

正直、誰かのために書く、
という精神エネルギーがなくなっている。

まあ、旧友からのありがたい
アドバイスと思って頂戴しときます。

俺からも
ひとつ。

タケちゃんはなんといっても
トムジェリのアイコンが似合う思うんじゃが、のう。
【45】

RE:THE  LAST  OF ...  評価

Akanorenn (2023年06月03日 15時32分)


のほのジッちゃん へ♪



まずは↓ (^^)/ この曲ば聞いてみてねー

https://youtu.be/GTpD_CEpaWU

( なんか分からんけど色々と思いにふけられるような曲でしょ? )






アホな俺なりに最近、思うんやけど…
ピワも含めて数ある掲示板に書き込みしてる人ってさー
どこかしらメンヘラなんじゃないのかな? とね
そりゃー普段は元気に書き込みしててもさー
突如?メンヘラスイッチが入っちゃうと
住人さんとかの気持ちとか汲めないくらい
深い奥底に沈んじゃうんじゃないのかなー?

って 
アホな俺なりに考えちゃったりしてまふっw




まー 引退とか言わないでさー
また書きたくなったら書けばいいじゃーん!
オルグの皆さんも たまにピワ見た時に
のほのジッちゃんのカキコがあるとホッとすると思うよー





お初の時から 
貴方の関連板を色々アラシてしまって
ほんとうに m(_ _)m すみませんでした。






あ!
クイズへの解答は (*≧∀≦*) また次回で ( ←いつだよっwwwwww
 
 
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