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【30】

「もののふ」シリーズ(その2)  評価

ベンガル (2013年07月25日 00時10分)



 実は先日、お昼休みに健軍駐屯地を訪問した。別に仲間由紀恵のお兄さんに会いにいった訳ではない(笑)


 すると、12時ちょっと過ぎだったが、遠くから若い人の大きな掛け声が聞こえる。見ると、しっかりと隊列を組んだ新隊員と思しき集団が、教官と一緒に延々と走っているのだ。


 「もうご飯時なのに、まだ訓練してるのか?」


 その集団の中には女性自衛官もいた。気温は35度を超えている。迷彩服が汗でびっしょりになり、色が変わっているのが一目でわかる。ヘルメットから滴り落ちている汗の量が尋常じゃない。


 私も体力には自信があるが、私が今あれをやったら、多分倒れてしまってるだろう。


 それを、あんなに細くて小っちゃい女性自衛官が、男性自衛官に交じって、同じ訓練をしているのだ。


 ・・・本当に頭が下がる。


 その原点は、絶対にあってはならない事態に対する「備え」。そう、「想定外」や「万が一」が許されない組織の宿命。


 その真摯な姿勢は、見習うべきところがたくさんある。


 私はほんの一場面、本当にその一端を見たに過ぎないが、「日本に自衛隊がいてよかった」と改めて思った。


 昔は、自衛隊は、「存在して威容を示す」だけでよかった。でも今は違う。それでは国民は納得しない。行動して、結果を出すべき「実力集団」でなければならないのだ。


 そして、それを一番わかっているのが自衛隊という組織であり、自衛官自身なのだ。だからそこに「甘え」や「妥協」はない。それが「国家存亡の危機」に直結するのを知っているから。


 彼(彼女)らを見ていて、本当に胸が熱くなった。


 いつの時代でも、一生懸命頑張っている姿というものは、本当に輝いている。


 「ありがとう。また少し勇気をわけてもらいました」



【29】

神は存在した。  評価

ベンガル (2013年07月24日 23時29分)

 今月のパチ収支。
 
 7月 7日 −13500円
 7月19日 + 7500円
 7月20日 −15000円


 これまでの負債は21000円。今月の勝負もあと1日。とりあえず今のところ甘デジ以外打つつもりはないので、今月のプラス収支はちょっと厳しいかもしれない。


 まぁ、正直、連勝記録も、勝率もほとんど気にしていない。月トータルでのマイナスもやむなしと思っている。


 ただやっぱり、「よりどころ」ではある。「月単位でマイナスになったことがない」というのはやっぱり強みだし、自信にもなる。


 一度マイナスになってしまうと、それからズルズルと負けていってしまうのではないかという不安に駆られる。結局それも、詰まる所、昔のような「絶対的な自信」がないからだろう。


 でもよくよく考えてみれば、以前のようにほぼ毎日行っているならまだしも、月数回の実践で未だにマイナスになっていないのは、ある意味奇跡に近いかもしれない。


 月5回行ったとしても、2万回転に届かない。それくらいの試行ではなかなか確率は収束しない。


 「ボーダーちょい超え」くらいでは負けても不思議はないというか、負けて当たり前のレベルだ。


 そう考えると、月単位での「プラス」にこだわるのもまた滑稽な話。


 長い目で見て、ちゃんと収束してくれればそれでいいのだ。


 ちょっと言い訳がましくなったが、そういう思いから、今月はもう負けも覚悟している。


 まぁ本音は、「プラスにできる自信がない」ので、事前の負け報告ということで(笑)




 では最後に、昔の武勇伝を(笑)


 ときは平成10年5月。ゴールデンウイークに9日連続で終日勝負した。毎日期待値3万超えの台(ゴールデンウイークにもこんな台が存在したなんて、今ではちょっと考えられない)を打った。


 何も根拠はないのだが、当時は本当に絶好調だったので、この9日間で50万以上勝てるだろうと思っていた。


 でも結果、9日間でトータルマイナス約2万。まさかマイナスになるとは夢にも思わなかった。


 いつも行ってる店だったし、怪しい店ではない。でも確率は気まぐれだから、こういうこともあるのだ。


 ただ、この頃はまだ、未熟というか若かったから、この結果には究極に納得できなかった。


 それ以降、5月は、平日の仕事帰りと土日全てパチンコに行った。そして、その甲斐あって、最終的に5月収支はプラス55万になった。


 終わってみれば、若干の不ヅキがあるものの、概ね期待値通りに収まった。そう、試行の幅はあれど、やっぱり確率というものはちゃんと収束するのだ。


 しかしここは本当に良心的な店だった。ほぼ「ジグマ」状態であったにもかかわらず、嫌な顔一つせず対応してくれ、そして、必ず優良台が存在した。


 私は「出禁」を2度喰らっているので、「排除したい客」に対する店側の対応は嫌というほど知っている。


 だから自分でも不思議だった。いつかはそれなりのアプローチをしてくるとずっと思っていたが、結局最後までそんなことはなかった。


 いやはや、このお店は本当に「神」でしたな。


 神は久留米の一番街に存在した。その名は「ダルマ」。隣の「太陽会館」と併せて、本当にお世話になった。合掌。



【28】

連勝記録が・・・  評価

ベンガル (2013年07月23日 01時03分)

 今月も早いものであと残り僅か。では久しぶりにパチ日記。先週の金・土の実践。


 7月19日金曜日。今月もあと今週と来週の土曜の2回しかパチンコに行けない。前回負けているので今月はマイナス。もしかしたら、十数年間続いていた、月単位でのプラス記録も今月で終わるかもしれない。


 明日は何としても勝ちたいので、今日は下見。3時間しかないが、何とかアテを見つけたいところ。最初の2軒は試し打ちしたくなるような台すらなかった。まぁでもこれが現状。


 移動に時間がかかり、もう10時前。半ばあきらめ気味で寄った最後の1軒。「おっ、もしかしたら・・・」ヘソは全体的に大きい。でも寄りとスルーはイマイチ。多少台毎にメリハリがあるので、探せば打てる台あるかも。


 で、ベルばらの甘発見。「おぉ、いい感じ」これはいけるのではないでしょうか。早速試し打ち。


 3000円で68回。よし、これでとりあえず明日の台は決まった。助かった。ここに来てよかった。


 で、保留消化を待って帰ろうとしていたら、変動中にばらシャッター完成から「激愛」。まさか・・・いやそんな筈はない。見た目派手だが、現在この予告、7連続ハズし中だし。


 でもこれが当たってしまった。「これって一応当たるんだな」現在午後10時20分。まぁスペック的に取りこぼしはないだろう。有難く頂戴しとくか。


 と思ったら、これが5連してくれた。最後の時短を消化すると、「ただいまの時間をもちまして遊戯終了です」のアナウンス。ここ40分閉店なんだ。よかった、危ないところだった。


 ・・・と思ったら、また保留でロング変動からベルばらリーチに発展してしまった。しかも白シャッター。ま、まずい。店員に聞くと「このリーチまでいいです」とのこと。でもできればハズれてほしい。・・・でもやっぱり当たってしまった。


 まさかこんな嬉しくない当たりを経験してしまうとは・・・


 で、後ろで見ていた店員さん、「予約しますか?」えっ、どゆこと?何と確変持越しできるとのこと。「まじっすか!?」これは嬉しい誤算。そう言えば、熊本に来てからよく予約台の札が置いてある台を見かけていたがこれだったのか。まさかこんなハッピーな結末になろうとは。


 しかも1回転目で電源落としてくれたから、明日朝一から丸々STを消化できる。


 興奮してなかなか寝付けなかったのは言うまでもない(笑)


 ・・・が、次の日。STも時短も何事もなくスルー。そしてそのままいきなりの600オーバー。まじっすか・・・


 終日粘って少し取り戻せたが、あの興奮してた自分は何だったんだろう・・・


 プラスがあまりにも遠く、ほぼ終日負けを減らすためだけの遊戯。しんどかったなぁ。


 結局、今月は相変わらずのマイナス。こりゃ本当に今月はマイナス濃厚だな(涙)
【27】

老婆心ではあるが・・・  評価

ベンガル (2013年07月18日 22時04分)

 最近気になること。


 今の若い人たち・・・


 いや、私の職場の若い人たちは、非常に真面目で何事にも一生懸命取り組んでいる(周りがどう捉えるか、捉えているかは知らない。でも私はそれを認めている)


 だが、それが故に、要領を得ないというか、損をしているというか、自分で自分を追い込んでしまっているんじゃないかと感じることがままある。


 例えば私に案件の報告や指導受けに来るときでも、一生懸命作成した資料を基に、「ここはこうなっておりまして・・・ここはこういう理由から・・・」と、非常に丁寧に説明してくれる。


 そんなとき、私は決まってこう言う。


 「ごめん。説明はいいから先に結論を言って」と。


 一生懸命作ってくれた資料だ。わざわざ説明してくれなくても見れば理解できる。ほしいのは結論だ。


 もし結論が私の考えと同じならば、「よし、わかった」と言ってサインをして指導は終わり。


 そして私はそれから、一生懸命作ってくれた資料に目を通し、所要の手を加えてやればいい。


 その間、みんなはもう拘束されずに別の作業ができる。指導受けの時間を如何に局限できるかが、仕事の効率上、非常に重要だと思っている。


 まぁ最も、結論が私の考えと同じでも、そこに至る経緯、プロセス、理由が違う場合もままある。


 でもそれを手直ししてやるのが上司の仕事だ。何も問題ない。


 ただ、一生懸命なあまり、報告のための資料が膨大になることが多い。無駄とは言わないが、余計な作業で自ら首を絞めているように思う。地球にも優しくない。報告のための資料なんて必要最小限でいい。


 だが当然、結論が自己の考えと違えば、色んな質問、確認をする。


 「ここはどうなっているんだ?」「なぜこう思うんだ?」「こうなった場合の対応策は?」


 そういうときに、簡潔・的確に回答できるような「資料」を準備すればいい。多くはいらない。簡素で、かつ、的をしっかり押さえていればそれでいい。そしてそれが、そのまま報告用の資料となるのだ。


 何事も「結果」が大事。


 だが決して、それまでの「過程」はどうでもいいと言っている訳ではない。「過程」がしっかりしていないと「結果」なんて付いてこない。なので「過程」も非常に大事。でもやっぱり、いつの時代でも、社会においては「結果」を出してなんぼなのだ。


 あとは如何に効率的に「結果」を出すかだと思う。


 当然、人それぞれの考えがあるし、会社の方針によっても一概には言えないだろう。


 でも仕事がうまくいかず、それが私生活にまで影響してしまうことはよくあること。家族も含めて「充実」できるよう、会社、上司、そして自己の立場をよく分析して、少しでも「仕事の効率化」が図れるよう頑張ってもらいたいと思う。
【26】

転職以外にも・・・  評価

ベンガル (2013年07月17日 23時30分)

 職を2〜3回、短いスパンで転々とすると、「辞め癖」がついてその後の職も長続きしない。


 昔の私はまさにそれだった。本当に全く長続きしないのだ。


 当時、一番長く続いたのでも木工所の工員で8ヶ月。最短はラーメン屋の半日だ(笑)


 今の職はよく長続きしてるなと自分でも感心する。


 当時の福岡県の最低賃金は435円。16〜17歳で車の免許もない(当たり前だが)となれば、ほぼ最低賃金の職しかなかった。


 その中でも植木職と木工所はかなり時給がよかった。それが少しだけ長続きした要因の一つだろう。


 レストランやスーパーなどのバイトはほぼ間違いなく最低賃金だった。


 スーパーでは当初、惣菜コーナーで働いていた。ここではなぜかパートのママさん達に非常に受けがよく、すごく可愛がられた。


 2ヵ月くらい経った頃、営業部長に呼び出され、鮮魚コーナーにまわってくれと言われ、渋々承諾した。でも鮮魚の雰囲気は私には合わず、それから5日後に辞めてしまった。


 これは後から聞いた話だが、このときパートのママさん達が部長に猛抗議をしたらしい。


 ママさん達ももう60近くなっているだろう。元気にしているだろうか・・・


 高校を中退して次の年から定時制(夜間)の高校に通った。別に高卒の資格がほしかった訳ではない。


 職安(当時の職業安定所)に行っても、16〜7で免許もないとなると、当時でもなかなか職にはありつけなかった。


 でも、定時制に席を置いていると、学校がある程度職の面倒を見てくれる。一人では無理でも、学校の後ろ盾があれば職にありつけることも多かった。


 結局3年近く席を置いていたが、一度も進級することはなかった。


 しかし、高校を2回中退しているヤツもそうそうおらんだろ(笑)
【25】

転職の神様と職人  評価

ベンガル (2013年07月17日 23時01分)

 私は今の職に就く前に、覚えているだけでも13の職を経験した。


 ラーメン屋、鮮魚店、植木職人、塗装業etc・・・そして、整体師に弟子入りしたこともある。


 昭和63年、福岡県八女市に所在した「高橋正体院」


 師曰く、「オレがやっているのは整体ではなく正体。整えるんじゃなく、本来の正しい体に戻してるだけ」


 しかしこの男、本当にすごかった。


 まるで手品を見ているようだった。噂を聞きつけ、東京とかからでも受診に来ていた。自宅の一室を使っての診療。一回の処方3000円。30〜40分程度。


 電気刺激を与える機械が一台だけあったが、それを使うことはまずなく、ほとんどが手による処方。一日平均で客は15人くらいだっただろうか。


 客(客という表現が適切かどうかは別として)の症状は様々。軽度の方から歩くのが困難な方まで。


 一番圧巻だったのが、ヘルニアで自分で歩くことができず、肩を借りて来院してきた人が、30分程度の処方が終わると、何と普通に歩いて帰っていったのだ。

 
 これ、嘘のような真の話。


 ちょっとうつ伏せに寝てもらいたい。普通、膝を曲げても力を抜いた状態では、踵がお尻に付くことはないと思う。


 それが、師が処方すると踵がペタンとお尻に付くのだ。何とも違和感があるというか、魔法でもかけられたような不思議な感覚だった。


 月給3万だったが、この技術を身につけ、あとは資格さえ取ればウハウハだなと思っていた。


 でもそうそううまくはいかなかった。私はどうしてもその技術を身につけることができず、結局3ヶ月で断念してしまった。


 たしか私と同い年くらいの息子が居たと思うが、彼はちゃんと跡を継いだのだろうか。それとも、高橋正体院はもう存在しないのだろうか・・・
【24】

人として・・・  評価

ベンガル (2013年07月17日 22時32分)

 夏の甲子園の地区予選が始まった。といってもほとんど関心はない。


 ただ、熊本の大会での選手宣誓の様子をたまたまニュースで見かけ、その若々しさにちょっと嫉妬した。私にもあんな時代があったのだろうか・・・


 私は生まれてこの方、「部活」というものをやったことがない。高校も4ヶ月で退学になった。間違いなく、あんなに「活き活き」とはしていなかっただろう。


 もし今、あの頃に戻れるのであれば、やりたいこと、やり直したいことが山ほどある。


 ・・・でもまぁ、結果的に今の自分と大差ないとは思うのだが・・・




 一方、青森の高校球児が刃物男から女性を救ったとの報道があった。


 ボランティアで駐車場の誘導を実施していたときの出来事らしい。


 その勇気ある行動もさることながら、私がすごく印象に残ったのは、野球部の部長の言葉。


 「野球が強いだけではダメ。こういう活動を通じて『人として認めてもらう』ことが大事」


 私が10代の頃は、「人として認めてもらう」なんてことは微塵も考えたことがなかった。


 そういうことをしっかり教授してくれるリーダーがいて、そしてそれを実践する、行動が伴う。


 この野球部の「環境」が素晴らしいものであろうことは、想像に難くない。
【23】

「麺類大臣」の独り言  評価

ベンガル (2013年07月17日 22時19分)

 ダメだ。どうしても美味しいと思えるとんこつラーメンに出会えない。


 本当にもう私は、とんこつが合わない体になってしまったのだろうか・・・


 あれほど好きだった大龍、丸星、一蘭、大砲(個人的に好きだった順番)のラーメンも、もしかしたら今食べても、山岡家の特製味噌ほど美味しいとは思えないのかもしれない。


 平成15年に山岡家の特製味噌に出会って以来、ラーメン屋に行く2回に1回くらいの頻度で、山岡家をひいきにしてきた。


 山岡家に行ったときは100%特製味噌を食べてきた。それ以外のラーメンを食べたことは一度もない。


 山岡家に行くのは年間10回ではきかないから、もう軽く100回以上は特製味噌を食べていることになる。でも未だに飽きがこない。いつ食べても美味しいと思える。熊本では他に美味しいラーメン屋を見つけることができず、ここ最近ではずっと山岡家に行っている。


 そしてこの前、山岡家で初めて違うラーメンを食べた。期間限定の麻辣麺。写真があまりにも美味しそうだったので思わず頼んでしまった。


 そしたらこれがめちゃくちゃ美味かった。ラーメンを食べてこんなにも感動したのは超久しぶり。ついつい4日間連続で食べに行ってしまった(笑)


 山岡家は濃い味好きにはたまらない。なぜ人気がない(盛況な店舗をまず見たことがない)のか不思議でならない。


 ・・・まぁでもたしかに万人受けする味ではないのかもしれない。


 客で待たされることもなく、ごちゃごちゃしてないので、私にとっては好都合なのだが(笑)


 あっ、そうそう、今週と先週の日曜(一応、一週間は日曜始まりなので)は、お昼に家族でジョリーパスタに行った。そして月曜の夜はウエストのうどん。その他、ここ2週間で山岡家5回。


 ・・・ってどんだけ麺類好きなんだ(笑)


 そういえば、私はちゃんぽんを食べるときはいつもリンガーハットに行っているのだが、何でも佐賀に「井手ちゃんぽん」なるものがあるらしい。みんな絶賛してるので、今度食べに行ってみよう。
【22】

安眠できる場所は・・・  評価

ベンガル (2013年07月17日 21時56分)

 前にも書いたが、特に独身時代は、パチンコに行くのに片道50km以上の遠征なんて当たり前だった。


 でも土曜日とかだと家まで帰るのが面倒臭くなる。なので車中泊することが多かった。


 大体は近場の公園の駐車場(今はどうかわからないが、昔は封鎖されない駐車場も結構あった)で一夜を過ごしていた。でもいつ頃からだろう、職質されることが非常に多くなった。


 で、またちょっと愚痴になってしまうが、あのふてぶてしい、人を見下した態度が気に入らなかった。大体、人にモノを尋ねるのに何でタメ口なんだ?


 「ここで何してんの?」


 私の返す言葉は決まっていた。


 「見りゃわかんだろ、寝てただけだろ」


 この言葉を何度言ったことか・・・


 でも一度だけ、まともな対応をしてくれた警官がいた。


 「すいませ〜ん、お休み中のところ大変申し訳ありません。多分、こちらの方ではないと思いますが、疲れてちょっと休憩中ですかね?」


 「はい、そうです」(思わず敬語(笑))


 「免許証見せていただけますか?」

 「ありがとうございます。あっ、自宅はそんなに遠くないんですね。ここに居たらまた職質を受けると思いますので、できれば自宅か、近くのちゃんとした所で休まれたほうがいいかと思いますが」


 「はい、わかりました」


 びっくりしたというか、何か拍子抜けした。まともな警官もいるんじゃん(笑)


 でも前にも書いたように、きっと巡り合わせなんだろう。後にも先にもこれ以外にはちょっと記憶にない。


 で、あまりにも職質の頻度が多くなってきたので、公園の駐車場は限界と判断。何か他にいい場所はないだろうか・・・


 そして行きついたのは「道の駅」


 ここはいい、すごくいい。トラックの運ちゃんとか他に休んでる人がたくさんいて、職質されることはまずない。なんでもっと早く気付かなかったのだろう。そしたらあんな嫌な思いをせずに済んだものを。


 皆さん、車中泊をするなら断然「道の駅」がオススメですよ。
【21】

ありふれた『今』を大事に・・・  評価

ベンガル (2013年07月14日 14時55分)

 あれは忘れもしない、平成11年12月30日の出来事。


 パチンコを終え帰宅すると、すぐに母が2階から降りてきてこう言った。


 「○○さん、亡くなったんだって」

 「いきなり何言ってんだよ」

 「お兄さんから電話があった」

 「!?」


 すぐさま折り返す。

 
 「今日の午後4時、心不全で亡くなった」


 心不全?どういうことだ?交通事故とかならわからなくもないが・・・




 実は○○はその年の10月に結婚したばかりだった。


 8月には婚前旅行で韓国に行き、二人でフルマラソンを走ってきたと言っていた。といってもアスリートのようにハードなトレーニングをしている訳ではなく、毎日軽くジョギングをしている程度。まだ28歳。体はどこも悪くない。というより健康そのものだ。


 なぜ心不全・・・



 その日の昼食後、奥さんに「ちょっと頭痛がするから横になっとく」と言ったあと、二度と起きることはなかったという。


 残念なことに、世界中の人々に「明日」という日が平等に訪れる訳ではない。いつかは自分の順番が来る。そしてそれは「いつ」かわからない。極論すれば、それは「今日」かもしれないのだ。


 だからこそ『今』というありふれた、当たり前の時間を精一杯、大事に生きていきたい。





 通夜のときの、終始泣き崩れていた奥さんの姿が今でも忘れられない。


 元日に届いた二人からの年賀状。


 そこには○○の字で「今年もよろしくお願いします」と書いてあった・・・
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