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【11】 | RE:≪マリー・ルイーゼ≫ CamPaTi (2018年05月06日 23時05分) |
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『シャーデンフロイデ』 私たちが「人間性」と呼んでいるものの正体は一体何なのだろうか。 これが、私を長い間悩ませてきた問題です。 そもそも私たちが、普段「人間性」という言葉を使うときにイメージしているものは何か。 例えば、仲間や家族を助けることや、正義を行うこと、 倫理に即して行動すること、そして誰かを愛することなどが、 この言葉が指し示すものの具体的な姿でしょう。 良いもののように思われます。 多分、それは素敵なものでしょう。 多くの人はこの「人間性」なるものを、 無条件に良いもの、人間だけが持つ望ましい特徴ととらえているようです。 でも、本当に「良い」ものなのでしょうか。 ひとたび、「人間性」と誰かが口にするとき、それに対して疑念を抱くことは許されません。 少なくとも、無言の圧力、抵抗感は必ずと言っていいほど生じます。 疑問を口にすればたちどころに、あなたには人間性がないのか。 あなたは、人間のやさしさに触れたことがないのかですか。 愛されたことがないのですか。 そうやって反論されるでしょう。 私は、「愛」という言葉で表される何かが包含している、 絶望的なまでの閉塞感を、そこに嗅ぎ取ってしまうのです。 よくよく考えてみれば、人間らしい特性には、残酷な側面も結構あるのです。 大量殺戮ができる兵器なんて、他のどの生物が嬉々として創造するでしょうか。 しかも、同じ種の生物を標的にして。 「人間性」は特に称賛されるべきものでも、美しいものでも何でもありません。 ただのホモ・サピエンスの特徴だ。 それが、冷静に思考した末の結論であっても、 そんなことを人々の前で言おうものなら、 あなたは頭がおかしいのではないか、と眉をひそめられてしまう。 人間性に対する疑念を表明するとたちまちのうちに、 そんなことを考える個体はエラーであり、 排除すべきだというアラートが人々の脳内になり響く。 誰かが音頭を取ったわけもないのに、 その言説を許すまいとする圧倒的な空気が生まれる。 そこに全体主義的な何かを感じることさえあります。 当然のことながら、反・人間性の旗幟を鮮明にすることは人間の世界ではタブーなのです。 ですが、私はここで、長らく苦しんできたこの問題に、一定の解決を与えることを試みようと思いました。 人間性、とされているものをもう一度、 裏側から覗いてみたらそこに何が見えるのか。 敢えてそれを、皆さんと共有してみたいのです。 そうすることで、もしかしたら、私と同じように感じてきた人たちに、何かを受け取ってもらえるかもしれない。 この閉塞感に、息をするくらいの穴はあけられるのではないか、 と思いました。 巷間の「正義」を目にした時、 こんな非合理性をどうして人間は珍重するのだろう、 とずっと思ってきました。 もっと合理的に振舞えばいいのに、と解決のつかない気持ちに苛まれました。 |
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