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【298】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月28日 16時48分)

【27】

「本船は悪天候のため、しばらく出航を見合わせます。
 お見送りの方はどうぞお帰りください」

桟橋の拡声器が繰り返しアナウンスしている。

船から投げられた色とりどりの
紙テープの端を握っていた岸壁の人々は
名残惜しそうにテープを手から離し、
手を振って桟橋から離れていった。

洞爺丸は左右に揺れ始めていた。

風が強くなって防波堤の中でも波がさわぎ始めていた。

気分が悪い、と言って節子は横になった。

青白い顔をしている。

船が遅れると母親を待たせることが
勇にとっては気になったが、
節子がもう船酔いし始めているのがもっと心配だった。

ほとんど満員になった前部三等船室の女性客や
子どもの中には嘔吐しているものがいた。

他人が吐くのを見るとこちらも
そういう気分になることを知っている勇は
節子が眠ってくれればいいが、と思った。

「先生、こんなことなら
  麻雀でも持ってくるんでしたね」

隣の学生たちは屈託がなかった。

「出ないのなら、こんな空気が悪いところに
  詰め込まれているより
 船から下りて、せめてお茶でも飲みたいね」

淵上助教授のひと言に学生の何人かが立ち上がり
船室を出ていったが、じきに戻ってきた。

「タラップを外しているので降りられないそうです」

「しかも、いつ、出るんだと聞いても
  わからない、の一点張りですよ」


近藤平市は船長室にこもって
天気図の分析をやり直していた。

台風を出し抜くことができなかったからには
それをやり過ごすしかない。

そいつがまっすぐこっちへやって来るとして、
函館を通過するのは何時になるだろう。

テーブルの上にはつい今しがた
無線室から届けられた午後三時に
中央気象台から打電されてきた台風警報があった。

「台マリ 968 日本海北緯38.2度、東経137.1度
 北東55ノット、中心より20海里以内40ノット以上
 最大70ノット、北日本海特に警戒を要す」

中心示度も速度も変っていない。

いぜん、勢力も衰えていないのだ。
しかも確実にこちらの方角に狙いをつけている。

船長室の気圧は984ミリバールに降下し、
風速は20メートルに達しようとしていた。

電文に示された台風の位置は
佐渡の西からやや北へ寄った日本海上である。

近藤船長は海図の上に指を広げて距離を測ってみた。
やはり正午のニュースを聞いて予測した通り、
午後四時半ごろに津軽海峡へ来る。

「あと一時間と少しだ。しかし、行けば行けた、のだ」

つい愚痴がでた。

だが、船長は首を振り、海図に眼を戻した。
今の問題はそれがいつ、
頭上に来るか、ということなのだ。

答えは簡単だった。

午後四時半に津軽海峡の中央へ来る台風は
時速110キロで進めば五時に函館へ到着する。

もし、そいつが正確に函館を襲うなら
五時ごろ、ここは台風の眼に入って
いったん空はきれいに晴れ上がり、風もなぐ。

そのあと風は東から西へと変り、
しばらく吹き返しがくるが
まもなくおさまってくるだろう。

「このスピードなら来るのが早ければ、
  行ってしまうのも早い。
 吹き返しの時間は長くない。 
  六時半には出航できるだろう」

船長はひとりごとを言った。
【297】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月26日 16時57分)


【26】

洞爺丸の船首と船尾の係船索は全て外された。
車両甲板に架けられた可動橋が
上がれば出航準備完了だ。
しかし、その可動橋が上がろうとしない。

「可動橋を上げろ!なぜ、上げないんだ」

山田二等航海士は桟橋にむかって怒鳴った。

思いがけない返事がきた。

「停電だ。上げられない」

船尾から走って戻ってきた
操舵手の報告を聞いて、さすがの近藤船長も
ブリッジの床板を踏み鳴らしたい気持ちにかられた。

しかし、白髪をいだいた彼の頭は
決断を求めて素早く回転し始めた。

時計は午後三時十分を指している。

すでに出航時間はギリギリの限度まで
遅れてしまっていた。

いま、出航したとしても当初の予定より、
ずっと海峡の真ん中寄りで
台風に出会うことを覚悟しなければならない。

なにしろ相手はこちらが失った三十分の間に
50キロ以上、海峡へ近付いてきているはずなのだ。

このうえ、いつになるかわからない
停電の復旧を待って出航するのは愚かである。

自分の読みがご破算になったことを彼は悟った。

やめるべきだ、と思った。

それはこの時点でのもっとも正しい決断だった。

近藤船長の顔から厳しさが消え、
いつもの穏やかでもの静かな表情が戻ってきた。

「よろしい。出航配置解除。本船はテケミする」

「はい、本船テケミ!」

操舵手は復唱して再びブリッジを走り出た。

船首の一等航海士、船尾の二等航海士と
順に伝えて桟橋へ叫んだ。

「テケミ!」

桟橋の係員たちは一様にいぶかしそうな表情になった。

たったいま、可動橋が上がり始めたところだった。

「可動橋は離れたぞ」

下で叫んでいる。

操舵手は上から叫び返した。

「しようがねえよ。テケミと決まったんだ」

たしかに天候険悪を理由に船長が
出航見合わせを言い渡した以上、
いま、かりに可動橋が上がったことを
操舵手がブリッジに報告しても

「それでは出る」

と船長が決定を覆すはずはなかった。

この日の午後、風雨が強くなるにつれ、
函館市内ではいたるところで停電事故が起きていた。

それを修復するために幹線の送電も
短い時間ではあったが、断続的に止められた。

函館桟橋での停電は午後三時九分から
十一分までのわずか二分間であった。

そして、その二分間が洞爺丸の運命を変えた。

もし、この停電がなく、可動橋が
上がっていれば洞爺丸はそのまま出航し
その後の現実の台風の動きからみて
難航はしたであろうがおそらく
無事に青森へ着いたはずだからである。

ともかくも、洞爺丸は台風との闘いを
もう少し先へのばすために
再び係船索で岸壁につながれた。
【296】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月26日 16時54分)

【25】

近藤船長はブリッジに上がった。

出航十分前である。

細かい雨が吹き付けてくる窓を通して、
こちらへ向かってくる第十一青函丸の船影が見えた。

もう、防波堤の内側に入っているが、
着岸までに十分か十五分はかかるだろう。

近藤船長の表情に少しばかり、苛立ちの色が見えた。

引き返してくる船の乗客を洞爺丸に
移乗させることを近藤船長は了承していた。

洞爺丸の定時出航までに移乗は終わるだろう、
と思ったからだった。
しかし、第十一青函丸がまだ、あそこにいるのでは
こちらの出航を遅らせねばならない。

台風に出会うまでにできるだけ
陸奥湾に近付いておくためには
たとえ一分でも無駄にしたくなかった。

乗客や見送りの人たちに出航を知らせる
ドラを鳴らせないまま
洞爺丸はじっと第一岸壁に待っていた。

定刻の午後二時四十分が過ぎた。

二時四十八分、ようやく第十一青函丸は
第二岸壁に着岸した。

「このまま、乗り換えますか。
  それとも海が荒れていることだし
 夜か、明朝の船にしますか」

第十一青函丸から降りてきた米軍の将校に
桟橋の外務担当助役は英語で聞いた。

「我々を乗せて帰国するための飛行機が
  東京で待っている。
 それを逃したい、と思うものはこの中にはいないよ」

将校は答え、兵士やその家族に
洞爺丸への移乗を指示した。
日本人乗客を含め、百七十六人全員が
乗り換えを終えた。

洞爺丸の給仕は下部遊歩甲板にある
三等イス席に米軍客を案内した。

そのためにイス席にいた日本人乗客は
再び荷物をまとめて畳敷きの雑居室に
移らなければならなかった。


ドラが鳴った。


だが、このとき車両甲板の後部開口では
可動橋がかけ直され、すでに積んでいた
貨車を降ろす作業が始まっていた。

米軍客の荷物車と寝台車を新たに積む
スペースを作るためである。

乗客の移乗は終わって、タラップは外されたはずなのに
発航合図のブザーが桟橋から来ないことに
近藤船長はいっそう、いらいらした。

もう三時をすぎている。

そこへ発着担当の桟橋助役が顔をだした。

「どうしたんだ」

近藤船長はいつになく厳しい声で聞いた。

「はい。米軍客を乗せるからには荷物と寝台車を
 積まないわけにはいかないので …」

「だめだ!この急いでいるときに
 荷物車はともかく寝台車など積んでいられない」

ブリッジの士官や操舵手たちが
びっくりするような大声だった。

「操舵手、船尾に行って寝台車は積まない、
 と二等航海士に伝えなさい」

操舵手は船尾に走って山田二等航海士にそれを伝えた。
桟橋助役は船を降り、運航司令室に電話した。

「寝台車は積まない、といっているんだがね」

「船長がそういうなら仕方ないな」

貨物車は積み込みを終えていたので
ちょうど入れ換え作業を中止すればよかった。

桟橋助役は発航合図のブザーへと駆け寄った。
【295】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月26日 16時49分)

【24】

急行「まりも」は午後二時八分の
定刻に函館駅に着いた。

二等車から降り佐渡味噌販売会社社長の村川九一郎は
ちょっと空を見上げて何かつぶやき、
プラットフォームを桟橋へ向かって歩き出した。

国鉄札幌総支配人一行の出迎えには川上のほかに
青函局運輸部長の中沢定晴が来ていた。

総支配人たちはそのまま洞爺丸の一等船室の客になるが
青函局長の高見忠雄だけはひと足遅れて、
その夜の連絡船で上京する予定だった。

「君、この様子じゃ、船は揺れるだろう。
 船酔いしないにはどうすればいいのかね」

局長の一人から中沢は尋ねられた。

これには妙薬がないので彼は冗談で返した。

「ウイスキーでも飲まれたらどうですか。
 どちらの酔いかわからなくなりますよ」

総支配人たちは一様に笑った。

三等車の乗客たちは先を争うように
汽車から降りると、荷物を抱えて
桟橋までの長い通路を駆け始めた。

少しでも客室のいい場所を占めたいために
いつも起きる光景だった。

通路を駆ける人々の耳に
長く大きな汽笛が二度、聞こえた。

出航三十分前を知らせる洞爺丸の汽笛だった。

それを聞きながら青山妙子は
いちばん後ろをのろのろと歩いていた。

彼女には船の席など、どうでもよかった。
どうせ、そこには長くいるつもりなどないのだから。

改札口で乗船票に年齢を記入するとき、
彼女はちょっとためらったあとで
二十六歳と書いた。本当は二十八歳だった。

乗船した妙子は後部三等船室に入った。
隅のほうはもう一杯だったので、
客室の大部屋の真ん中まで入り
荷物を置き、寄りかかった。

ひどく疲れた、と思った。

一等サロンの入り口で近藤船長は
総支配人一行を出迎え、ていねいに挨拶した。

それを横目で見ながら一等船室に入った村川九一郎は
さっさと風呂をあびて、ゆかたに着がえた。
いかにも旅慣れたふるまいだった。

車両甲板では柄の長い金槌を手にした水手たちが
荒天準備のために忙しく立ち働いていた。

海が荒れて船が揺れそうになるときは、
積んでいる貨車がレールの上を動き出さないために、
締め具の数を増やさなければならない。

また、後部開口から車両甲板に水が入ると
機関室やボイラー室に浸水するおそれがあるので
甲板の換気口や非常脱出口も閉めておく必要がある。

「台風が来るってのに、
  出さなくてもよさそうなもんだがな」

「早くやれよ。今日のチーフオフィサーはうるそいぞ」

スタンバイが解かれ、船が航路に乗ったあとで
一等航海士が船内の荒天準備の見回りをする。

そんなとき、水野一等航海士は換気口ひとつ、
閉め忘れがあっても厳しくやり直させることで
よく知られている士官だった。

閉まっていることを確かめるために換気口や
脱出口をひとつずつ叩いてゆく金槌の音が
車両甲板に響き渡った。
【294】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月26日 16時44分)

【23】

船長は旅客と積荷に対して崇高な義務を負っている。

そのためには運航に際しての安全性に
十分考慮する必要があり出航の可否を
決めることもその配慮に含まれる。
つまり、出航の可否を決定するのは
船長の義務の大きさに見合って
与えられた権限なのだ、という考え方が支配的だった。

だが、この考え方が国鉄の上層部にまで
支持されていたか、というと
必ずしもそうではなかった。

むしろ一部には船長の独断で欠航するのはけしからん、
せっかく立派な船を作ってやったのに
欠航が多すぎるではないか、という声すらあった。

そして、そういう意見を出すのは
大概が現場を知らない管理職たちだった。

同じ天候でも航海が可能かどうかの
判断は船長によっても違いがある。

実際、同じ時刻に函館と青森を出航する予定の
二隻の連絡船の一方は欠航したのに、
もう一方は無事、相手港に着く、
という現実も起こっていた。

欠航を決めた船長が処罰を受けるわけではないが
そのたびに日ごろ、口うるさい管理職は
船員法第九条を持ち出して言うのだった。



「船長は航海の準備が終わったときには、
  遅滞なく出航しなければならない、
 と書いてあるじゃないか。
  いいかげんな欠航は船長の職務怠慢だよ」


たしかにこれは微妙でやっかいな問題だった。

怠けるつもりで欠航する船長はいないが、
運航を管理する陸上の管理職にとっては、
船長の独断で旅客や貨物が滞るのが愉快ではない。

といって、管理者側に正確無比な天候の変化を
見通す能力があるわけではないから、結局のところ
出航の可否には口出しができない。

そんな堂々めぐりのあげく、
悪天候時には船を出航させるか否か、
という重要な決定権は船長にある、
という不文律ができあがったのだ。

管理者にとっては苦々しく、
船長にとっては誇らしい暗黙のルールだった。

「それでは、ちょっと私は迎えに行ってきます」

さしさわりのない世間話のあと、
川上海務課長は船長室のソファから立ち上がった。

東京での全国国鉄管理局局長会議に出席する
国鉄札幌総支配人・浅井政治、
青函管理局長、高見忠雄ら
一行を乗せた急行が到着する時間だった。
【293】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月26日 16時40分)

【22】

「どうもおかしな台風です。
  こんなに足の速いやつには
  会ったことがありません」

洞爺丸の船長室を訪ねてきた青函局、
海務課長の川上静夫は言った。

川上は近藤の後輩にあたり以前は
連絡船の船長をしていたが
現在は陸にあがって配船や運航を
監督するポストに就いている。
日曜日なのに出勤したのは台風の影響で
ダイヤが気になったからだ。

近藤船長は川上には丁寧な口調で言った。

「110キロというスピードは聞いたことがありません。
 それに中心示度が下がっています。
 こっちに来るにつれ、発達するとは、ね。
 ほんとうにおかしな台風だ」

おかしい、と言いながら、この口ぶりだと
近藤船長は出航するつもりでいる、と川上は感じた。

船長はメモを手にしていた。

ついさっき、津軽海峡をこっちに向かっている
大雪丸から打電された海峡状況を知らせる電報だった。

「風向 東、風速20メートル
 天候 曇り 波六、うねり六
 視界二十キロ、二十分遅れ」

大雪丸はこの朝十時に青森を出て、
午後二時半、函館に着くことになっている。
電文は海峡がますます荒れてきていることを
知らせるのに十分だった。

二十分の遅れは海峡をぬけ、
函館へ近付いてから速度を
上げることで回復できるが、海峡の中で
そんなに遅れているということは
かなり、揺られている証拠である。

しかし、同型の大雪丸が航海を続けているからには
少なくとも今はまだ、洞爺丸の出航に無理はない。

出よう、と近藤船長は腹を決めていた。

こういう場合、陸にいる側の立場としては
なんとか洞爺丸に出航してもらいたい。

桟橋に足止めをくう乗客たちの
不満対応に追われるからだ。

船長、洞爺丸とあなたの操船技術をもってすれば
多少のシケでも大丈夫です、出てくださいよ、と
拝みたい気持ちになる。
だからこそ、川上も船長室に上がってきたのだった。

しかし、陸の側から船長に船を出してくれ、
と申し入れるのはこの業界ではタブーである。

また、逆に危険だから出航を見合わせてほしい、
というのも禁句である。

それは近藤船長が川上の先輩だからではなく、
船の出航には船長が絶対的な権限を持っていて
周囲から口をはさむことはできない、
とする長い伝統と習慣の裏打ちでもあった。

むろん、船長にはあらかじめ定められた
運航ダイヤに従う義務がある。
しかし、天候が悪化したとき、
ダイヤ通りに出航するかどうかは
青函航路では常に船長の判断に委ねられてきた。
その習慣の背景に特に明確な法律的根拠があったわけではない。

例えば、船員法第十一条は次のように規定している。



「船長は … 荷物の船荷、及び旅客の
  乗り込みの時から荷物の陸揚げ、
  及び上陸の時まで、自己の指揮する
  船舶を去ってはならない」



これは船長の在船義務、と呼ばれる有名な条文規定で
最後の乗客が上陸するまで船を離れられないのだから、
事故が起きたとき、船長は船と運命をともにすることを
義務付けられている、と拡大解釈することもできた。
【292】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月25日 16時41分)

【21】

ちょうどそのころ、函館桟橋では
午後二時四十分発、上り四便、
洞爺丸の改札が始まっていた。

原田勇と利尻昆布の袋を手に提げた節子は
真っ先に改札口に並んで乗船票を受け取った。

乗船票には甲片と乙片があって、
どちらにも住所、氏名、年齢、職業を書く。

甲片は桟橋に残り、乙片が船の事務長に渡される。

節子は原田節子、といつものように勇の姓を書いた。

台風が近づいている、と周りの乗客が話している。

勇はそれで初めて、台風の接近を知った。

そうすると来たときより、もっと揺れるかもしれない。
今の話し声が節子に聞こえていなければいいが、と勇は思った。

北海道学芸大学函館分校の助教授、渕上満男は
八人の美術学生と一緒に勇や節子の後ろに並んでいた。

東京美術学校(現・東京芸大)出身の渕上は四十九歳。

この時期に関西旅行を計画したのは、
奈良・正倉院が秋に所蔵品を天日干しにする風景を
学生たちに見せてやりたい、と思ったからだった。

京都では桂離宮を訪ねる予定で、
半年も前から文部省に見学許可を申請していた。

「先生、台風が来るそうですね。
  船は揺れないでしょうか」

連絡船に乗るのは初めてだ、という学生が聞いた。
助教授は笑顔で答えた。

「私の計算ではわれわれの乗った汽車が
  青森を出たあとで
  台風は奥羽地方を通り過ぎるはずだよ」

若い学生たちをあずかる彼は
前日から台風の動向を気にしていた。

今朝の新聞とラジオの情報では
鹿児島に上陸した台風15号は
日本海側に接近したあと、
三陸沖に抜ける見通しだった。

奥羽地方に来るとしても、夜になってからのことで
彼らが乗る予定の急行「北斗」が
午後八時五分に青森を出たあとだろう。

連絡船に乗っているうちは大丈夫だ、と思った。

正午のニュースを聞き漏らした彼は
台風のスピードが速くなり、
しかも進路が北寄りになっていることを知らなかった。

改札口を通って船内に入った渕上と学生たちは
前部三等室の畳席に陣どった。
その近くに原田勇と節子も並んで腰をおろしていた。

洞爺丸の客室は三層構造である。

ブリッジ下に船長室や士官室があり、
その下が上部遊歩甲板で中央に
一、二等客室、二等寝台、食堂、浴室などがある。

一等定員は六十九、二等寝台と雑居室は
合わせて二百二十四である。

さらにその下に三等イス席が百八十八ある。

この下は車両甲板で客車や貨車を積み込む
開口部があり、レールが敷かれている。
載炭口、換気口が開いている。

そして船底部に機関室やボイラー室があり、ここに
前部、中部、後部に分けて畳敷きの三等雑居室がある。
この甲板の収容人員がいちばん大きく定員は六百五十五。

渕上と学生たち、原田勇、節子が席をとったのは
三つに分けられた三等雑居室の船主側の部屋だった。

畳を敷いた床は船の喫水線より下にあって、
わずかに上の方に明りとりの丸窓がある。

天井には何本ものパイプが走っており、
必ずしも居心地のいい部屋ではない。
しかし、機関室とボイラー室は
中央より後ろ側にあるので
騒音に悩まされることは少ない。

それに船底に近いほうが揺れも少ない、
という利点もあった。
【291】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月25日 16時33分)

【20】

午後一時二十分、函館桟橋からは
第十一青函丸が青森へ向け定時に出航していた。

乗客は百七十六人。

貨車、寝台車など四十二両を積んでいた。

乗組員は九十人である。

第十一青函丸は客船として
ダイヤに組み込まれていたが、
どちらかといえば貨物船だった。

洞爺丸や羊蹄丸のように旅客を主とする船は
四十二両もの貨車を積載する構造にはなっていない。

ただ、二等、三等船室があったので、
占領期から進駐米軍だけは特別に乗せた。
そのため、この船は進駐軍船と呼ばれていた。

二年前、日米の講和条約が発効されてからは
空席があれば日本人も乗せたが、
いぜん、進駐軍優先でこの日も五十数人の
米軍人とその家族が乗っていた。

将兵たちは千歳の駐留部隊を除隊され、
待ちかねた帰国のために
家族とともに東京へ向かうところだった。

第十一青函丸が出航したころ、
函館港内の風は急に強くなって
風速は18メートルに達していた。

しかし、台風がやってくるまでにはまだ時間がある。

大丈夫だ、との予測からの定時出航だった。

だが、出航まもない午後一時二十七分に船舶気象通報は
津軽海峡の気象をつぎのように打電してきた。

「東の風、22メートル
 雨、視界六キロ、波浪六、うねり六」

海峡ではすでに風速20メートルを超えている。
波もうねりもかなり大きい。

そのまま港の外へ出て、津軽海峡に
首を突っ込みかけたところで
船は左右に大きく揺れ始めた。

危ない、と船長は判断した。

第十一青函丸は洞爺丸型の客船より小さい。

しかも車両を満載しているので
重心が高くなっているので揺れにも弱い。

もし、横波をくらって傾斜が大きくなったときに
積んでいる車両が横転したら、
そのまま船が横倒しになる危険があった。

午後一時五十三分、第十一青函丸船長は
桟橋の運航司令室にあてて、
函館港へ引き返す、と連絡した。
司令室は了解し、こう指示した。

「函館第二桟橋に着岸されたし。
 乗客は洞爺丸に移乗させる」
【290】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月25日 16時47分)

【19】

かついで来た米を売った原田勇と節子は
同じ駅前のマーケットの中のそば屋で
昼食をとることにした。

今日は勇の母親が来るので遅くならないうちに
青森へ帰らなければならない。

どこも見物しないで午後二時四十分の連絡船で
トンボ帰りするつもりだった。
その時間まで、勇の母に持たせてやる
みやげを買う用があるだけだ。

さっきから節子はマーケットの中を歩きながら
身欠き鯡にしようか、昆布とスルメと人参を細かく刻んで漬け込んだ松前漬にしようか、
と店の前に立ち止まっては
手にとって決めかねていた。

そんな節子の様子を勇は気配りの細かい、いい娘だと
微笑ましくながめていた。

「外で食う、そばこの汁、ほんとにうめえんだの」

節子が言った。

「ほんだな」

と答えて、勇は音を立てながら汁をすすった。

「この味だば、おら、真似できねえ。
 うちで作るそば、うまくねえもの」

「あはは。いまに上手になるべえ」

ふと、勇は昆布でだしをとると、
そばがうまくなる、
特に利尻でとれたものがいい、
と聞いたことを思い出した。

「どうだ、おめえ、かちゃさ、昆布っこ
 買っていがねえか」

「昆布っこ?」

「ほんだ。たしかな、そばのだしだば、
 利尻昆布が一番だと。
 ここのマーケットさ、あるべえ」

「ほんだの。そうすべし。
 帰ったら、すぐそれでだし、とって
 かちゃさ、くわしてくれら」

節子は浮き浮きした調子で言った。


午後零時五十六分、定刻より一分遅れて
羊蹄丸は青森桟橋に着岸した。

雨はあがり、風速は10メートル前後、
洞爺丸が出航していった早朝より
むしろ、おだやかになっていた。

しかし、船長の佐藤昌亮は船長室で
腕組みして気圧計をにらみつけていた。

目の前で針がどんどん落ちていきそうな気がしていた。
函館を出たときから、ふだんは
一時間おきに記録する気圧を
三十分おきにつけるように操舵手に言ってあった。

それでも佐藤船長は落ち着かず、
何度も自分の目で気圧計をのぞいていた。

洞爺丸の近藤船長と同じように、
台風が近づいてくる中での
午後の折り返し運航が気になったからだった。

航海中、気圧計はおそるべき降下を示していた。

函館を出た八時すぎに1004ミリバールあったのが
十時には1000ミリバールを割り込み、
今は998ミリバールである。

この四時間四十分ほどの間に
16ポイントも下がっている。

函館から青森へ向かえば進んでくる
台風に近づいていくことになるから
気圧の降下が大きくなるのは当然といえる。

それにしても航海中に16ミリバールも下がった、
といのは彼にしても初めての経験だった。

不気味な予感がした。

見かけの天候のおとなしさの裏側で
台風が猛烈なスピードで
こちらに向かってきつつある、ことは明らかである。

まもなく、そいつは仮面をかなぐり捨て、
激しい風の牙をむきだして襲ってくるだろう。

その時間がちょうど羊蹄丸が下り九便として
青森を出航する午後四時半ごろになりそうなのが、
佐藤船長をいっそう、神経質にさせた。

いつもなら、折り返しの出航時間までに
航海士たちを集めて得意の謡曲を
披露するところだが、今日ばかりは
とてもそんな余裕はない。

気圧計をにらみながら佐藤船長は
ともかくも、そいつの正体をはっきり見極めるまで
ここを動くまい、と思った。
【289】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月25日 12時45分)

【18】

台風15号がいま、ラジオが伝えた
午前九時の位置からまっすぐ時速110キロで来れば、
午後四時半前後には台風は津軽海峡へ来る。

この船長の判断はつい一時間ほど前、
成田予報官が暴風雨警報を出したものと同じ予測だった。

「四時半か。定時に出航して二時間ばかり、あとだな」

船長は天井へ目をやりながらつぶやいた。

函館〜青森間は下りは四時間半の航海だが、
上りは四時間四十分かかる。

出航して二時間後だと船はまだ
津軽海峡を航行している。

そんなところで台風とまともに
ぶつかったらどんなことになるだろう。

35メートルの風が吹き荒れ、
最大瞬間風速はもっと大きくなる。
船は木の葉のようにもまれることになるに違いない。

「しかし、やれないことはないだろう」

船長は海図に目を戻した。

かりにそのあたりで台風にぶつかったとしても、
津軽半島と下北半島にはさまれた
平館海峡の入り口は目と鼻の先だ。

その間だけを頑張ればいい。

そこを乗り切れば、平館海峡を抜けて
陸奥湾に入ることができる。

下北半島に抱きかかえられた陸奥湾に入ってしまえば
どちらからの風になっても、もう大丈夫だ。

自分の船とそれを走らせる技術に
近藤船長は絶対の自信をもっていた。

海峡から陸奥湾までの短い間を
突っ張りきれないことはないはずだ。

青函航路の習慣として連絡船は
25メートル以上の強風が吹くときは
出航をテケミ(天候険悪出航見合わせ、の略)
することになっている。

ただ、だからといってその風で
ただちに欠航となるわけではない。

離着岸にてまどったり、
乗客の船酔いがひどくなったりするので
少し、風が落ちるのを待つわけで、
近藤船長自身、35メートル前後の風に
海峡で吹かれたことは何度かあるのだ。

「それにしても四時半とはな」

確かに微妙なギリギリのところだった。

もう三十分早く、台風が来るならば、
あきらめてテケミする。

海峡の真ん中でそいつと
出くわそうとするのは愚かである。

逆にもう三十分遅くなるなら、楽に出航できる。

それだけ早く、陸奥湾に逃げ込めるからだ。

しかし ――― と船長は考えを振り出しにもどした。

四時半より早く台風が津軽海峡へ来ることはない。

110キロという時速がすでにありえない速度である。
それよりスピードが上がるとは、
とうてい考えられない。

つまり四時半に台風が海峡へ来る、
というのは最悪のケースに対する予測である。

事態はそれより悪くはならない。

常識外れの速度が途中で落ちれば、
来るのはもっと遅くなる。

それに海峡に向けて直進してくるか
どうかも分らないのだ。

ただひとつ、問題なのは台風が海峡の西側を通って、
航路が危険半円に入るときだが、
そうなれば風は南から吹く。

幸い洞爺丸は上り便だから、
まっすぐ風に向かって
船首を立てればよく、自然と
湾の入り口をとらえることができる。

「やれないことはない、な」

今度は断定する調子で船長は声にした。

どのケースになっても洞爺丸は
海上での台風との闘いに勝てる、と思った。

それは賭け、ではなく、読み、だった。
いつも慎重な彼は決して賭けはやらなかった。

近藤平市の行動原理は自らの気象見通しと
操船術の自身に裏打ちされていた。
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