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【148】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月05日 08時37分)

【即 射】

山上は丸本の案内で比冶谷町の旅館街へと向った。

全送電の最終日、旅館の軒灯が
淡く浮かび上がっていた。

「丸やん、あっこじゃな。わしが入っていくけん。
 丸やんは裏へ回ってくれい。
 もし、逃げおったら、そんときゃ、頼むけん。
 ま、ヨネもテルもわしが断食で出たときゃ、
 丸やんらと面倒みてくれた仲じゃ。
 手荒なことにはならんじゃろう」

時刻は八時を回っていた。

丸本は裏口へと向った。

表の戸が開くと同時に
「ヨネ、動くな」という山上の低い声が響いた。

中からは「キャッ」という女の声がしたが、
山口芳徳だけがいる気配だった。

「ヨネ、お前のう、指詰めて親分に断りせい。
 それが筋いうもんじゃろう」

「ちょっと待ってくれい」

「おう、指詰めるんなら、待とう」

即座に山上の覆いかぶせる声がする。

静寂な時が流れた。寒さが身にしみる。

山上が山口をうながして、
ちょっと体の向きを変えた瞬間だった。

山口が座布団の下に手を滑らせた。

「パン!」

短いが鋭い銃声がしじまを破った。
菅重雄の時と同様、ほんの一瞬の出来事だった。

「もう、いったけえ」

すい、と暗闇に姿を現せた山上は丸本と自分に
呟くように頷いてみせた。

「また、しばらく逃げるけえ」

「気ぃ、つけいよ」

丸本が声をかけた時、
山上はすでに小柄な体を丸めるようにして
闇の中へ走り去っていった。

それから三十分と経たず、丸本は広島東署に出頭した。

中国新聞一月七日付けの記事によれば事件はこう、報じられている。

■五日午後八時ごろ、広島市稲荷町の福吉旅館前で
広島県安芸郡坂本村、丸本繁喜(二〇)は
下井留一氏の殺人容疑者として指名手配中の
広島市曙町、村戸春一方に同居の
山口芳徳君(二一)と会い、
やにわにピストル三発を発射、
銃弾は山口君の左胸部と右ひじから第一関節に、
他の一発は臀部から大腿部を貫通。
山口君は直ちに段原町の吉崎病院に収容、
治療中であるが危篤状態。
犯行の丸本はその足で八時半ごろ東署へ自首した。
原因はヤクザ仲間の怨恨とみられている。


  ―――――――――――――――――ー


しかし、自首した丸本が犯行に使用された
山上の拳銃を持っていない以上、警察としても
立件不能と判断せざるを得なかった。



翌八日付けの記事は「身替り自首か」となっている。



■五日午後八時半ごろ、広島市曙町の村戸春一方、
山口芳徳君(二一)を射殺したとして、
広島東署に自首した丸本繁喜(二〇)について、
同署では真相を取り調べ中であったが、
事実と相違点が多く、事件当時、山口君は
市内比冶谷町の吉川輝男さん方の奥三畳間で
村戸春一の内縁の妻と雑談仲、突然一人の男が侵入し、やにわに拳銃を発砲され、
三ヶ所に貫通銃創をうけたもので、
丸本繁喜はヤクザ仲間の身替り自首とみられ、
同署では別の観点から犯人の捜査に乗り出した。
なお、入院仲の山口君は六日午後二時、
出血多量で死亡、七日朝、同署で解剖に付された。




初報と続報では事件の発生地に相違点がみられ、警察の混乱ぶりがうかがえる。

丸本繁喜は翌、九日、広島東署から釈放された。
【147】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月03日 12時44分)

【タレコミ】

元旦から降って沸いた再度の村上組の道場荒らし。

しかも堅気の人間を射殺するという非道ぶりに
さすがの岡敏夫も村上組への敵意をむき出しにした。

一人歩きが好きな岡も
ボディガードをつけるようになる。

組の幹部たちも当番以外でも道場に
詰めることが多くなった。

正月気分はとっくに吹き飛んでいる。
と、いって、なぜ村上組が、
というわだかまりは残っている。

「なんで、叔父さんたちが三人揃って
 あげいなことを、したんじゃろうか」

「考えられんけん、のう」

「しかし、村戸の叔父貴にしても
 狙わにゃいけんのは、事実じゃ」

「そうじゃ、殺らな、殺られるけん」

若い衆たちは首をかしげながら、
結論はそこに行き着く。
一寸先が闇なのは極道の世界の常である。

そして村戸春一の襲撃事件以後、
岡があまり道場に顔を出さなくなったため、
たびたび忍び込んでは彼らの会話に
白目を光らせていたのが山上光冶である。

村上正明を殺れないなら、村戸 ――― 。

山上はそう決心していたのだろう。

まして岡の激怒ぶりを耳にすれば、
どうせ先のない身である。

二度も命を救ってくれた岡へ
一度は恩返しをしてから、
と考えて当然だった。

山上は夜ごと、村戸の匂いをかぎまわった。

もちろん、村上正明同様、
村戸春一の足取りもぷっつりと途絶えている。

山上は道場の炊事場でひっそりと
うずくまることが多くなった。
客の出入りする道場では思わぬ
タレコミがもたらせられるからである。

事件から四日後の一月五日夜、
山上はその情報をつかむ。

丸本繁喜をこっそり訪ねてきた男に気づいた山上は
二人の会話に耳を澄ませた。

「ヨネやテルが戻っとる、
 いうんは、本当じゃ、いうんか」

「間違いない」

「村戸はおらんのじゃな、その旅館には」

「姿は見えんじゃった」

ヨネとテル、というのは村戸が道場に乱入した際、
引き連れていた岡組から預かっていた
山口芳徳と吉川輝夫のことである。

やがて男が消えると丸本は何やら
道具を用意して出かけるようだった。

「丸やん、どこへ行くんや」

潜んでいた山上の声に丸本が驚いて立ち止まった。
山上はその驚き方で丸本が
拳銃を隠し持っていることを確信した。

「どこへ、いうて、どこへも行きゃせんわい」

「ほうか、じゃけん、わしゃ聴いたで」

「なに、聴いたんかいのう」

「丸やん、わしゃ、のう。
 右向いても左向いても何人もとっとるけん
 先は死ぬか、一生ム所しか、ないんじゃ。
 丸やんにやらせるわけにゃ、いかん
 おるのはヨネとテル、言うたな」

「ほんま、聴いとったんか」

「ああ、ほんまじゃ。
 丸やんに撃たすわけにゃいかんのじゃ、けんな」

「そうはいかん」

「まず、指詰めさすわい。
 それで親分に詫び入れさせりゃ、よかろうが。
 わしが言うてみるけん、丸やん、一緒に行こう」

そこまで言われては丸本も山上を止められなかった。
【146】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月02日 13時43分)

【宣戦布告】

昭和二十三年(1948年)元旦、
広島はまばゆいばかりの新年の朝を迎えた。

一瞬の光爆から二年三ヶ月、
広島市の復興は目に見えて進んでいた。

まだ、バラック小屋は多かったが、被爆直後、
辛くも残った六千余りの建物が五万戸に達していた。

中国電力もこの年の正月五日間は
全送電を市民にプレゼントし
各戸に明るい灯がともった。

岡敏夫の道場に新年のほろ酔い客が
姿を見せ始めたのは昼過ぎで
手本引きが始まったのが午後一時ごろだった。

この日は柳橋の岡の本家で新年無礼講の宴が張られる。
そこへ出席する前に丸本繁喜は道場へ寄った。
組の面々がしばらく留守になるめ、胴師や客に一言、
挨拶しておこう、としたのである。

二階の客は十人足らずだった。

「みなさん、明けましておめでとうございます。
 本年も旧年に倍増のお引き立て、
 よろしくお願いします。
 本日は親分宅で寄り合いがありますんで、
 失礼させてもらいますけ、
 なにとぞゆっくり遊んでいってくださいますよう」

「おめでとうさん」

「こちらこそ、お願いします」

丸本が道場を背にしたのが二時五十分ごろだった。

入れ替わるように道場にやってきたのが
村上組の村戸春一だった。

村戸は三時すぎには岡道場に
当番がいなくなることを熟知していた。

配下七、八人のうち二人を見張りに残し、
村戸は二階にあがってきた。

「岡、おるか、岡を出せい」

「皆さんは親分宅でお祝いがあるけ、おらんですきに」

「なにい、わしが来たいうに、おらんのかい」

「柳橋のほうへ行けばおるんや、ないですか」

「なにい、気に入らんこと吐かすやっちゃな。
 行くか、行かんかは勝手じゃ」

客たちの受け答えに村戸は苛立ちをつのらせた。

「なにが岡道場ない。わしらのシマで堂々と
 博打やりおって、
 一発、見舞うてやるわい」

村戸はぶら下げていた拳銃にツバを吐きながら
引き金に指をかけ天井にむけた。

ガ――ン!

轟音は威嚇であるはずだったが、
そのとき信じられないことが起こった。

村戸のほうへ向いて座っていた
客の一人がすっ飛んでいたのだ。

拳銃が暴発したのか、腕を天井に向けて振り上げる前に
途中で引き金を引いてしまったのか、
弾丸は天井に向わず、客の一人の心臓を
撃ち抜いてしまっていた。

銃声で数瞬、静まり返った道場内の空気が一変した。

「逃げろ!」

誰かの一声で村戸春一らは階段を駆け降りた。

「警察じゃ、柳橋(岡宅)にも知らせい!」

道場内は騒然となった。

急を知って驚いたのが丸本である。

「そんなことはない。わしゃ、たった今、
 のぞいて挨拶したばかりじゃが」

「はい、そん通りです。ほいでも、
 現実に起こったこつですけん」

祝い酒に手もつけず、丸本は道場に引き返した。
銃声に続いた警察の到着で
道場前は野次馬であふれていた。
人垣をかいくぐった丸本はその目で
階段近くに左胸を血で染めた
下井留吉の姿を見た。

被害者は岡の兄貴分の実弟で、堅気の客である。

しかも、村戸が連れてきた配下には
岡敏夫の若衆でありながら、不都合を起こして
村戸へ預けている者が含まれていた。

その預かりを率いて兄貴分に楯をつく。
それも誰もいないと知っている道場に行った。

岡は激怒した。

「やるんなら、うちもやる」

岡は初めて組員たちに向って
村上組への敵意を露わにした。
【145】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月03日 12時45分)

【潜 伏】

菅重雄射殺から半年を経た夏過ぎから
山上は広島市内へ戻り、
夜陰に乗じて岡敏夫の道場にひょっこり
顔を出すようになる。

道場は正面入り口を除いて
二メートル近い高さの板塀で囲まれていたが、
山上は身軽に勝手口の塀に飛びつき、
ひらりと中へ舞い降りた。

そして炊事場に人影を待ち、
安全かどうかを確かめてから声をかけた。

慎重な山上は変装の名人でもあった。

夏を過ぎて髪も伸びた山上は
前髪を垂らして口ひげも生やしていた。

さらに念を入れて眉も太く描いた。

「おい、そこにおるのは誰じゃ。
 わしじゃ、山上じゃ、入れてくれい」

勝手口で聞き覚えのある忍び声がして、
それが山上と思い、
鍵を開けた仲間が不審そうに聞く。

「誰じゃ、お前は。ほんまに、みっちゃんか」

「わからんじゃろう」

さすがに三白眼だけは隠しようもない。

「ほんまじゃ。お〜い、びっくりさせんときい」

原田、網野は獄中にあったが、
服部、丸本らの面々が代わる代わる仰天した。

山上は変装に自信をつけたのか、
大西と挨拶を交わした秋口から
塀を越す回数が多くなり、
徐々に昼間も人気が少ないと
道場に出入りするようになる。

しかし、山上は岡の本宅には絶対に近づかず
道場でも岡の気配を感じると姿を消した。

岡の方でも山上の義理堅い心中は
痛いほどわかっていた。

だからこそ、山上がついに山根町の
よし子宅に住みつき始めたと知っても
注意しないばかりか、情報提供までするようになる。

山上はよし子宅に地下室を設け、寝起きしていたが、
それは自然と警察の知るところとなる。

しかし暗黙の契約か、その情報はまた
岡のもとへ舞い戻る。

「山根町にガサ入れがある。
 山上はしばらく身をかわせ」

岡の指令で顔に煤を付けた若い衆が山上に付き添い
二人して山にこもると炭焼き小屋に身を隠した。

晩秋の山中は寒いが炭焼き小屋に火は欠かせず、
煮炊きの煙があがっても怪しまれない。

山上は若い者と十日ほどを山で過ごし、
夜には腕が鈍らないよう
拳銃の訓練にも励んだ。

このころの山上は仲間との会話の中で
二つの決意を語っている。

ひとつは抱き続けている村上正明への怨念であり
もうひとつは逮捕される場合の心構えだ。

「わしゃ、のう。正明が姿見せたら
 一番にいってやるけぇの。
 死ぬほどの目にあわされたんが二度じゃ。
 親父が駄目じゃ、いうから我慢しとるんじゃが、
 姿見せたら一番にいったる」

「警察がのう、山上、出て来い、
 言うたら、いつでも出たる。
 山上、往生せい、言うたら、いつでも往生したる。
 でものう、騙して撃ちやがったら、
 みんな、やったる。
 弾のある限り撃ったる。そう覚悟しとるんじゃ」

山上にとって警察が出て来い、というのは
岡が手を引いて自首を命じるとき、と心得ていた。

それ以外に選ぶのは己の死――。

二度の死線をくぐり抜けた山上に迷いはなかった。
【144】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月30日 13時24分)

【一触即発】

逃亡生活が一月ほどたった
春先のある日、山上は呉市郊外、
吉浦の博徒・中本勝一の賭場をのぞいた。

山上はそこで「悪魔のキューピー」大西政寛と
初めて顔を合わす。

このとき大西政寛、二十四歳
    山上光冶 二十三歳


広島で射殺事件を起こした男が
呉線を頼って流れてきているらしい、
という噂は極道の幹部クラスなら
知っていた、であろうし
それが断食というジギリをかけた
山上光冶という男であることを
大西政寛が聞いていて当然である。

一方の山上にしても呉線をたどり歩けば
「悪魔のキューピー」の名は耳にしないはずはない。

二人の男の腕を斬り落とし、
呉の長老・久保健一を引退に追いこんで
売り出し中の男、大西政寛の名は先々で聞く。


この二人が賭場の些細な動作でもめた。

理由は判然としないが、
おそらく山上の三白眼が原因ではなかろうか。

殺気立った賭場で大西が山上の
にらみつけるような視線を不快に感じたのだろう。

「なんじゃい、お前は」

「なんじゃ、いうて、なんじゃい。
 わしになんか文句あるんか」

「なにい? ぬかすな、おどれ」

三白眼の山上の白目が光り、
大西の眉間が縦にすっと立った。

「大西、山上、やめい。
 ここをどこぞ思うとるんじゃ。
 わしの賭場ぞ。勝手な真似は許さん!」

親分の中本勝一が二人の名を呼んで怒鳴りつけた。

「おう、おどれが山上か」

「大西はお前か」

声が重なったとき、
ともにその両手は懐の中に差し入れられていた。

大西も山上も二丁拳銃である。


「馬鹿たれ、おのれら、やめんかい!
 わしの道場いうたら、わからんのか、
 この命知らずめが!」

この間二、三分。
怒鳴っただけで効き目なし、
と見た中本が体ごと割って入った。

「手を懐から出せい。馬鹿な真似したら承知せんど、
 死体が出たらどう、始末するんか、
 馬鹿もんどもが!」

中本勝一の一喝で二人は頷きあったが、
のちに大西は中本からきつく注意され
山上もまた、仲間を通じて岡の激怒を
伝えられ平蜘蛛となった。

このあと大西は市議会議員刺殺事件の
共謀犯として吉浦拘置所暮らしとなり
夏には割腹というジギリをかけて出所。

秋口には広島の岡道場に顔を出すようになり、
広島に舞い戻った山上と挨拶を交わしている。



断食と割腹――
 
ジギリを張り合った二人はこのあと
三年もたたぬうちに、共にこの世にはいない。
【143】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月30日 13時18分)

【逃避行】

壮絶なジギリの果てに刑の執行停止をかちとった山上は
村上組・菅重雄を射殺したため再び逃亡生活を始める。

前年の警備員射殺からわずか十ヶ月しか経っていない。

そのときは直後に巡査射殺事件となったため、
十日で自首したが、
今度はヤクザ同士のケンカ殺人である。

岡敏夫としても、
山上が組に体を張ったことは理解しており、
山上自身も自首する気はなかった。

出頭すれば元の無期刑か死刑しかない。

しかし、警察も山上の犯行と分かっていても
必死で追う気配はなかった。

当時の警察は朝鮮連盟の闇市からの撤退や
広島市内の治安維持に関し、
岡敏夫には借りが積み重なっていた。

もちろん、岡が通訳を抱き込み、
MPを懐柔していた背景もある。

だからといって、山上が自由でいられたわけではない。

あくまで逃げ隠れして、行方が分からないことを
表向きの前提として逮捕しないのであり、
山上の逃亡生活に変わりはなかった。

山上は広島市内から姿を消し、
呉線一帯を周り歩くようになった。

呉沿線には岡敏夫と親交のある親分たちがいて、
山上はいわば一宿一飯の恩義にありつきながら、
旅かけをしていた。

岡が山上に逃亡を勧めたのは
二つの理由からだと思われる。

一つは刑期のことであり、
それは姪のよし子と無関係でありえない。

よし子の再婚話を高橋国穂から吹き込まれただけで
命がけのジギリをかけた山上である。

可愛い姪を思う気持ちにはほだされるし、
よし子もまた、山上と再会して、
塞ぎこんでいた日々から立ち直って
いきいきとしている。

逃亡がいつまで続けられるか未知数だが、
できる限り一緒にいられる時間は与えてやりたい。

もうひとつは山上の菅重雄射殺に対する
岡組内の反応だった。

岡自身、菅の「大物たれ」は日頃から
耳に入っており、愉快ではなかった。

そこへ「山上が菅を殺った」という報告を受け、
道場に駆けつけた岡は
幹部の面々から口をそろえて聞かされた。

「菅の叔父貴はいつか殺らんといけん、と思うとった。
 親父さん、
 それがわしら若い衆の本心じゃろう、と思う。
 それをみっちゃんが先にやったんじゃけん。
 今度なんかやったら、
 もう生きとれんみっちゃんが、やったんじゃ
 親父さん、その根性だけは誉めたって、くれい」

 岡の胸を打つ言葉だった。


菅重雄という名前さえ耳に入らなかったら、
たとえ山上でも相手が腹巻に手を入れただけで
いきなり射殺ということはしなかったはずだ。

「大物たれ」の菅がいつか、
岡自身に銃口を向ける、と思ったからこそ
光冶は威嚇ではなく、
狙いを外さす引き金を引いたに違いない。

光冶にはそれなりのことをしてやらな、いかん。

山上は人目を避けてよし子のもとへ行き、
一夜を過ごすと翌日には呉線沿いの
預かり先を頼って旅に出た。
【142】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月29日 12時44分)

【抜き撃ち】

昭和二十二年(1947年)二月十八日夜、
村上組幹部で、これも岡敏夫の舎弟にあたる
菅重雄が岡道場に姿を現した。

菅重雄は村上組にいる岡の三人の舎弟の中で
岡組の面々から最も嫌われていた。

村上正明同様、酒乱の気があるうえ酔うと何かにつけて
「大物をたれる」(大口を叩く)
「虫のすかん、叔父貴」だったのだ。

しかも、岡組が親分を狙われた
報復に出るとあからさまに

「いつかは俺が岡をたおしたる」

と放言を吐いていた。

岡組組員にとっては自分たちの
「親分をヤル」と公言する菅に対し

「その前に殺ったろかい」

という気が
暗黙のうちに充満していた。


その夜、菅重雄は猿侯橋の方から
ちょっぴり目を充血させて道場に入ってきた。

菅が知っていたのかどうか、
この夜は岡敏夫をはじめ、
主だった幹部たちは会合のため
誰一人として道場にいなかった。

留守番は二軍の若い衆が三人ほどいただけだった。

「おう、岡はおるか」

菅は若い衆にアゴを突き出した。

「いえ、おらんです」

相手が菅と知り、さらに酒臭い息をかいで
ちょっと面倒なことになりそうな予感から
若い衆が緊張気味に答える。

「どこへ行ったんない」

菅としてはそのあと
「大物をたれる」チャンスと思ったのだろう。

しかし、そのとき、すでに山上が若い衆を
払いのけるようにして菅の前に出ていた。

山上はこのとき、山音町のよし子のもとへ
帰る前に道場に寄り、
魚の煮付けと茶漬けをかきこんでいるところだった。

「うちの親分を呼び捨てにするのは誰か、誰な、お前」

口の中に残った飯をのみ込んだ山上が
咽喉をごくりとさせながら聞く。

「そういうお前こそ、誰じゃ」

若い衆が「村上さんとこの菅さん」と
山上に伝える言葉に重ねるように
菅が横柄な物言いになり、
山上がすぐ、かぶせる。


「わしゃ、山上よ。お前か、菅、いうの」


それはほんの一瞬の出来事だった。

菅はどう思って腹巻の中へ手を入れたのだろうか。

警官射殺犯のうえ、壮絶なジギリで出所した
山上の名前で反射的に拳銃に手がいったとしても
撃つつもりだったのか、
脅しのつもりだったのかは不明だ。

しかし、同じ条件反射なら抜き撃ちの訓練をしている
山上にかなうはずもなかった。


「ガ――ン!」


至近距離からの凄まじい轟音と銃火の閃光で
若い衆が思わず耳を手で覆ったとき、
菅は腹巻の中の拳銃を握ったまま
後方へ素っ飛んでいた。

裸電球の下の黄色い光景が血で染まっていた。



     菅重雄は即死だった。
【141】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月29日 12時40分)


【二丁拳銃】

村上正明の突然の襲撃に岡組の一統は
誰もが首をかしげた。

村上正明はじめ、村上組の面々が直前まで
岡道場に顔を出していたからである。

親分を狙われた怒りは当然としても
原因は全くわからない。

岡敏夫は「追うな」と言い
「わしの舎弟じゃ」と理由にならない言葉のみである。

親分の命を狙った相手が怨念の村上正明と
知った山上光冶はすぐに岡に直訴する。

「親っさん、正明をとらしてつかぁさい」

ここでも岡は「光冶、われ、なに、言うんか」と、
とりあわない。

事件は襲われた岡組が恥として認めず、
村上組も不首尾を恥として伏せたため
公にはならなかったが、
事件は事実であり、現に村上正明の姿も
広島から消えていた。

山上は射撃訓練を再開した。

断食のジギリ中、夢の中に出てきた
山中のポプラ並木が標的だった。

山上は村上正明やリンチに加わった者の
顔を思い浮かべながら
コルト25口径とブローニング38口径の
二丁拳銃の引き金を引く。

小柄な山上は十分に腰を落とし、反動を全身で吸収する
「拝み撃ち」で正確な射撃に努めた。

轟音が山中にこだまし、
山上の復讐心はさらに煽られる。

しかし、山上が動く前に岡組の報復は
事件から一ヶ月後の十二月十三日に起こる。


原田昭三と網野光三郎の二人が
村上組、組員・原田倉吉を
映画館から連れ出し、二発の銃弾を浴びせた。

二人は死体をオート三輪で芋畑へと運び、
月明かりの下で芋づるのヤニと土で
全身、真っ黒になりながら埋めた。

しかし、その穴はあまりに浅すぎたのか、
西風で表土がさらわれ
頭部の髪と足先が地面に現れだし、
エサを求めていた野良犬によって掘り出されてしまう。

警察は原田、網野の二人を容疑者として
割り出したが、確証はつかめない。

結局、年が明けた昭和二十二年(1947年)一月、
MPの圧力によって二人は自首、七年の実刑となった。

こうなると村上組も黙っていない。

幹部の菅重雄は酒を飲むたびに吠えた。

「岡組がなんぼのもの、じゃい。
 わしがいつか倒したる。
 今にみとれい。いつか、わしがやったるけぇ」

そういう声は当然、岡組の耳に入る。

山上は常時、愛用の二丁拳銃の安全装置を外し、
肉切り包丁用の皮ケースにいれて首から吊るし、
片時も離さなくなっていた。
【140】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月26日 15時24分)


【夜 襲】

刑の執行停止で山上が出所してから二週間。

まるで山上の回復を待っていたかのように
事件は起こった。

その夜、猿侯橋にある岡道場は
珍しく賭場が荒れていた。

夜半に客同士のもめ事が起こって、殺気立ち、
親分の岡敏夫自ら、賭場に顔を出して仲裁に入り
客が納得して引き揚げたのが午前一時を回っていた。

岡は道場に泊まることになった。

当番は服部武と原田昭三であった。
二人は六畳の当番部屋に入り、
岡はその部屋近くに布団を敷かせて寝た。

当番は二人一組。
まして親分が寝ているとあって、一人は不寝番である。

しかし油断というか、睡魔が襲ったのか
服部と原田が飛び起きたのは
「バーン!」という一発の銃声が
道場に響いたときだった。

驚いた服部が襖を開けると、
寝ていた岡敏夫の上には
すでに村上正明が馬乗りになっていた。

村上の銃口は真っ直ぐ、
岡の額中央に向けられている。

のちに岡はそのときの状況を中国新聞記者に

「すぐに撃つのかと思って観念していたが、
 相手は勢いに乗って
 冥土への引導渡しの文句が長い。
 そのすきに拳銃を払いのけた」

と語っているが、実際はほんの一瞬だったと思われる。

「往生せいっ!」

村上正明が叫んで引き金を絞ったとき、
岡はとっさに首を縮めたのだろう。

銃弾は岡の五分分けの頭頂部の髪を焦がしながら
布団から畳へとめり込んでいた。

村上正明がもう一発と構えなおしたときが
服部が襖を開けた瞬間だった。

「なに、さらす――っ!」

服部の巨体が村上正明に体当たりして、
村上もろとも岡の上を
四、五メートル先まで宙を飛んだ。

同時に飛び出した原田は階段脇で見張りをしていた
村上組の若者に肩から突っ込んでいった。

ギャ――ッ!という叫び声が上がり、
二人はもつれながら階下へと転げ落ちる。

道場では素早く起き上がった村上を
服部が追うところだった。

「親分になに、さらすっ! 待てい!」

回り込んだ村上は一発、
発射しながらダダッと階段を駆け降り、
裏口から消えていった。

荒い息で服部と原田が岡の許へ戻った。

「親っさん、大丈夫でしたか」

「ああ、弾はかすったようじゃ。追わんでもええ」

「しかし、なんで村上の叔父貴が」

岡は無言だった。

誰にとっても村上組の襲撃は青天の霹靂だった。

この夜の銃声を境に広島は以後、
二十五年にわたる
抗争の歴史の幕が開いたのだった。
【139】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月26日 15時25分)

【垢落し】

「親父っさん、風呂じゃ、風呂じゃ、言うて、
 聞きゃあ、せん、のですけぇ。どげんしますか」

岡の自宅で再度、死の淵から生還した山上は
三日目になると今度は入浴することを切望した。

食欲が満たされると、
全身の痒みが我慢できなくなったのである。

「まだ、起きられるだけで、歩けんじゃろう」

「這うてでも、ゆく、言うとります」

「ほなら、大丈夫じゃろう。負うてやれ」

命じられたのは、またしても巨漢の服部武だった。

闇市から当時の岡の自宅まで一張羅の
毛皮着きの飛行服を血だらけにして以来で、
今度は全身が鱗のような皮膚と
垢まみれになった山上を背負うことになった。

その服部がいざ、山上を起こして担ごうとしたとき、
目を剥いたのは、その、あまりの軽さだった。

食べ物を採りだして三日目とはいえ、
山上はまだ、骨と皮の状態である。

「これじゃ、首ねっこ、
 つかんで下げた方が早いけんの」

山上が元気になっただけに、
服部が憎まれ口を叩けば
丸本と原田も口をそろえた。

「ほうじゃ。食わせい、食わせい、言うから
 親切にしたったら、
 わしら、親分にビンタ食うとるんぞ。
 もう、親切はこりごりじゃ」

しかし、若い彼らの心はきれいなものだった。

山上を風呂場に連れてゆくと、
その垢まみれの体をそっと
撫でるようにして流してやる。

石けんをつけると鱗のような肌が
二枚、三枚と剥がれ落ち
やがて赤く血のにじんだ素肌が見えてきた。

手足の指の間にも粘土のような垢が詰まっていて、
お湯につけるとそれがポロポロと落ち、
そこからも血がにじんだ。

まだらになった赤むけの肌は
ヨードチンキで消毒すると朝になると腫れ、
それがまた、二日もすると残った
鱗肌を落としていった。

山上は岡組の若いものたちによって、
まるで神話にある因幡のシロウサギのようにして、
手当てを受けた。

やがて岡の配慮で西村よし子が
見舞いの品を手に山上を訪ねてくる。

獄中で恋慕の情に悶えていた山上の胸中は
いかばかりであっただろうか。

親分、岡敏夫への誤解を恥じて、よし子に詫び
彼女の笑顔に接した山上は急激に体力を回復、
十日ほどで、一人で歩けるようになる。

そして木枯らしの夕映えの中に
再び、得意の低い口笛が流れるようになった。
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