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【8】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時16分)

【暴 発】

和解はまさに実現しようとしていた九月二日、
午後四時四十五分ごろ
グレーのコロナマークIIが
大阪市住吉区我孫子の
松田組組長・樫忠義の自宅前に近づいた。

樫忠義組長宅には大阪府警のパトカーが駐車し、
玄関前には五人の警察官がいて、
このマークIIの運転手を
職務質問しようとしたところ、
後部右側の窓が開き、中の男が
組長宅めがけて拳銃二発を発射。
一発が組長宅のトイレの窓ガラスに当たった。

急発進したマークIIをパトカーが追跡したが
ふりきられてしまう。

大阪府警は緊急配備し、
午後六時五十分ごろ堺市の検問所で
乗客二人のタクシーを止めて職務質問した。

うち、一人が38口径拳銃を
持っていたので緊急逮捕した。
もう一人は検問直前に拳銃を
窓から道路に投げ捨てており、この拳銃も押収された。

これまでの抗争で山口組は死者三、負傷一、
おまけに山口組本部事務所も銃撃されている。

いくら樫忠義組長が謝罪するにせよ、
戦闘のバランスはとれていない。

警察が警戒中とはいえ、
拳銃の二、三発も撃ち込まなければ
どうにも格好がつかない、
というのが「ヤクザの平衡感覚」であった。

撃ったのは山口組系中西組組員、羽根恒夫であった。

この一件で山口組最高幹部会は
「度胸と根性のある男」と羽根の論功を讃え、
いきなり直系若衆にひきあげ、子分一人もいない
異例の羽根組組長を名乗らせているから、
ヤクザ社会とは子供じみた側面を秘めている。

樫忠義組長も、そうした意味合いは承知していた。

自宅が銃撃されたとはいえ、
ヤクザの儀式みたいなもので実害はない。

彼は全松田組傘下の組織に「終戦」の通達を出した。

だが、この通達は届くのにヒマがかかりすぎた。

翌三日、早朝五時半ごろ羽根恒夫が
所属していた大阪市南区の中西組事務所に
白のマークIIとオレンジのセリカ二台が近づき、
車から降りた二人の男が組事務所前にいた
中西組組員に拳銃を発砲した。

二十三歳の中西組組員は脇腹から胸にかけ、
二発の銃弾を浴び、一時間後に死亡した。

襲撃したのはまたしても
松田組傘下の大日本正義団だった。

この知らせが届くと神戸の山口組本部事務所や
田岡一雄組長宅には車百台、五百人が集結し、
周辺は異様な雰囲気となった。

「和解が決まったのに殺すとはなにごとか」

山口組はいっぺんに態度を硬化させた。

和解話は吹っ飛んだ。
【7】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時14分)

【仲裁工作】

「ジュテーム事件」後、
約一ヶ月不気味な沈黙が続いた。

三人を殺された徳元組の上部団体、
山口組系佐々木組と
溝口組の上部団体・松田組との間で
この決着をどうつけるか、
水面下で話し合いが続けられていた。

大阪府警に入った情報では松田組側は謝罪し、
死者一人につき弔慰金一千万円を提案したが、
佐々木組側は

「いまどき、交通事故の強制保険でも一千万円だ。
 話にならん。一億円よこせ」

と主張して物別れになった、という。

八月二十三日午後十一時四十分、
大阪市東住吉区の松田組系村田組事務所に
拳銃二発が撃ち込まれた。

村田組組長は「ジュテーム事件」での
交渉の松田組側の主席代表だったから、
この発砲事件は和平交渉を山口組側が蹴る、
という意思表示だった。

この発砲に松田組側は激怒した。

一時間後、松田組の戦闘部隊・大日本正義団組員が
神戸、山口組本部事務所に車で乗りつけ、
警戒中のパトカー越しに拳銃五発を乱射した。

これによって、松田組側は今回の戦いは
末端の組同士の争いではないことを
山口組に通告したことになった。

こうなると次は山口組側である。

一週間後の三十日午前八時四十五分ごろ、
大阪市淀川区の松田組系瀬田組組長宅を
三人のヒットマンが襲い、
玄関を護衛していた若い組員が腹部を撃たれて
二週間の傷を負った。

やられたら、やりかえす。

抗争のエスカレートに警察が
介入してくるのは目に見えている。

関西ヤクザの親睦団体である「関西懇親会」が
本格的に第三者仲裁に乗り出した。

和解の条件は整いつつあった。

松田組の樫忠義組長は
お互いの非をあげつらうことはやめて、指を詰めて
山口組に謝罪するという条件を思い切って
呑む決意を固めた。

山口組も「関西懇親会」の仲裁を了承した。
【6】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時53分)

【内 紛】

神戸に本拠を置く三代目・山口組が
膨張政策をとりはじめたのは
昭和三十年代初めだった。

ことに昭和三十五年夏、
大阪最大の愚連隊組織
「明友会」を殲滅させ、
富裕な領土を奪って以降、
三代目・田岡一雄の
全国制覇の野望は燃え上がった。

若頭・地道行雄の指揮のもと、
山陰、四国、九州、南紀、
北陸、伊勢、中京と
疾風怒涛の進攻で地方を征圧していった。

田岡一雄の戦争指導は

「農村をもって都市を包囲する」

という毛沢東の戦略に似ていた。

地方に進攻し、制圧することによって
首都・東京に圧力をかけようというのである。

しかし、この進撃もさすがに世論の猛烈な反発に遭い、
警察もこれを放置しておくはずがなかった。

昭和三十九年から警察庁指導の下に
全国の警察は暴力団に対する大攻勢にでる。

従来の末端の枝葉を払うだけでなく、
組織の組長たちを狙い打ちするところから、
この暴力団壊滅作戦は「頂上作戦」とも呼ばれた。

警察は山口組の豊富な資金源であった
神戸港船内荷役を牛耳る「全港振」と
芸能プロダクション「神戸芸能社」に対し、
あらゆる法律を駆使して潰した。

そのさなか、の昭和四十年十月、
三代目・田岡一雄は
心筋梗塞に襲われ、倒れた。


さすがの山口組も気息えんえんとなり、
組内は混乱し、解散や脱退を
余儀なくされた地方組織が相次いだ。

さらに昭和四十三年、
若頭に起用された梶原清晴がわずか三年後、
鹿児島で磯釣り中に事故水死してしまう。

昭和四十七年、山口組最高幹部会は
後継の若頭選出にあたって
若頭補佐九人を対象に異例の選挙を行った。

五対四という僅差で新たな若頭の座についたのは
山本健一だった。

山本健一は「ヤマケン」の名で
知られる組内きっての武闘派であった。

組の重鎮、菅谷政雄が推した、
山本広が敗れたことで
組内のパワーバランスは微妙なものとなった。

いわば主流派と反主流派の対立が
表面化することになった。
以後、地方の山口組系団体同士が
小競り合いを起こし始めた。

「ジュテーム事件」前の六月には、
山口組直系菅谷組内、石田組と
山口組直系加茂田組内中山連合の間に
発砲事件があり、その二週間後にも
菅谷組内藤島組と加茂田組内新竜会が
発砲事件を起こしている。

山口組系同士でもイザコザが絶えず、
争っているのだから
この超大国が一致団結して
やってくるわけがない、
と松田組はタカをくくっていたのである。
【5】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時50分)

【山菱の衝撃】


「ジュテーム」事件は残酷な手口と
殺傷数の多さで世間を驚かせた。
しかし、その衝撃は実は
ヤクザ社会や警察の方が大きかった。

それは「山菱」が狙われた、という事実だった。

菱形の代紋で「山菱」と呼ばれる
三代目・山口組は当時、田岡一雄組長の統率下、
全国に四百九十七団体、一万一千人を擁する
全国最大、最強の組織であった。

いかに末端の組とはいえ、共通した
代紋バッジで統一され山口組の
安全保障の傘の下にいるのである。

こうした「山口組の威光」をせせら笑うような
大胆不敵な殺戮が静かな住宅地の一角で
起こったのだから、法の裏側の社会では、
まさに驚天動地の出来事であった。

なぜ、山口組系組員らが
松田組襲撃班に襲われ、殲滅的な打撃を受けたのか。

負傷した徳元組組員らから事情を聴いた
大阪府警捜査四課は八月二十六日、
溝口、徳元の両組事務所のほか、
大阪市北区南扇町の地下スナック「ナポレオン」と
北区曽根崎上一丁目のスナック「ヒット」を捜索した。

すると驚くべきことに都心の
オフィス街ビルの中に賭場を発見した。

「ナポレオン」は大阪キタの中心地から
東へ歩いて十分、九階建てのビルにあり、
化粧品販売や出版関係の会社が
テナントとして入居している。

松田組系溝口組はこの地下を
昭和四十八年三月に契約し、
スナック「ナポレオン」としてオープンした。
当初はワンフロアであったが、次々と改造した。

大阪府警捜査四課が調べたところ、
店内は約二十席ほどの広さで正面左側に
スチール製のドアがあり、
その奥は蛍光灯があかあかとつく
三十畳敷きの細長い賭場になっていた。

「ヒット」も奥に畳敷きの広い賭場があり、
当時はまだ珍しい監視モニターまで設置されていた。

賭場のもつれは「ナポレオン」で起こった。

「ジュテーム事件」の二週間ほど前から、
徳元組組員がこの賭場に再三出入りし、
勝つと金を掴んで帰るが、負けると
その借金まで返さない。
催促すると拳銃をちらつかせるという
「賭場荒らし」を繰り返していた。

徳元組の本拠は神戸だが、大阪、ことに
人口が増えている郊外の豊中に目をつけ、
新規の縄張りを求めて溝口組の眼の前で
ノミ行為に手を出したりしていた。

この揺さぶりに溝口組は危機感を持った。

賭場で徳元組組員が人もなげに
拳銃をちらつかせたり、
百円玉一個を放り投げて
「これでバクチをさせろ」と挑発するのは、
溝口組を潰す野望の表れだ、と溝口組はみた。

七月二十四日夜、
このくすぶり続けた対立感情は頂点に達した。

その夜「ナポレオン」の賭場に現れた
徳元組組員は溝口組組員から
「この賭場荒らしめ!」 「帰れ!」
と罵られ、追い返された。

そして、このイザコザに決着をつける、
ということで翌二十五日深夜、
溝口組若頭・溝口政弘は徳元組組員がたむろする
「ジュテーム」に呼び出されたのである。

溝口組は危機と焦燥を感じた。

溝口政弘は監禁され、一命が危うくなるかもしれない。
断固、徳元組を討つべきだ。
溝口組理事長・溝口弘美は決断し、
上部団体、松田組の指示を仰ぎ
松田組は五人のヒットマンを飛ばした。

これが「ジュテーム事件」の真相であった。

ヤクザは暴力が売り物である。
力比べで一歩後退すれば敵はつけあがってきて、
しまいには領土全てを奪われてしまう。

それにこの稼業ではちゃんと仲裁人という機能がある。
売られた喧嘩は買ったのだ、
という実績があとあとまでモノをいって
組織の存立を守ることも不可能ではない。

松田組としてもヤクザの超大国・山口組の報復を考えなかったわけではない。
しかし、このころの山口組では内部で権力闘争が絶えず
統制力が弱まっている、という見方が、
ヤクザ社会に広まっていた。

「山菱、怖るるに足らず!」

松田〜溝口組連合の決断は山口組本家を揺るがせた
【4】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年06月07日 11時39分)

【電撃作戦】

昭和五十年七月二十五日。

熱帯夜続きの大阪はこの日も
午後十一時を回ってなお、蒸し暑い夜だった。

豊中市の閑静な住宅街。
白い清楚な鉄筋四階建てのマンション一階に
喫茶店「ジュテーム」があった。

店内には六人の男たちが、ねばっていた。

経営者の三十二歳の女性はバーテンダーをとっくに帰してしまい、
一人残されていることを後悔していた。

彼らは入ってきたときから一目でわかるヤクザたちであったからだ。

六人は山口組の三次団体「徳元組」組員だった。
本拠は神戸市兵庫区内にあり、ノミ行為や債権取立てをシノギとしている。

午後十一時五十五分、三人の男が入ってきて六人と合流した。
新たな三人は徳元組組員一人と溝口組組員二人である。

溝口組というのは、松田組の傘下にあり、西成区やキタに賭場を開いていた。

この年三月、病気がちだった溝口雅雄組長が
組事務所をキタから自宅のある豊中市内に移したばかりだった。

つまりこの夜「ジュテーム」の店内は
溝口組組員二人を七人の徳元組組員が
ぐるりと取り囲んだ構図となった。

彼らはしばらく声を殺して押し問答を続けた。

経営者の女性がコーヒーを入れながら漏れ聞いた話ではどうやら賭博のいざこざがある様子だった。

日付が変わった午前零時すぎ
「ジュテーム」の電話が鳴った。

彼女はその電話を溝口組の溝口正弘にとりついだ。

二言、三言、のやりとりがあり
「よし、わかった」と彼は大声で返事した。

二十六日午前零時半ごろ、
かれらが話し合いを始めて三十五分後に急停車する車の音がして、
いきなり五人の男たちが「ジュテーム」の店内になだれこんだ。

これが溝口組の上部団体、松田組襲撃班だった。

先頭の三人がいきなり拳銃をぬき、構えたのを見て、
経営者の女性はとっさに厨房に逃げ込んだ。

襲撃班は徳元組の一人を狙い、
それをかばおうとして立ち上がった仲間たちへ
残忍な一斉射撃を開始した。

銃声とともに怒号と悲鳴があがった。

「た、助けてくれ!」

床に血だらけになって転がる男めがけて
さらに拳銃弾は撃ち込まれた。

徳元組組員のうち三人は
襲撃班に体当たりする勢いで入り口から表へ飛び出した。

「一人も逃がすな!」

襲撃班は拳銃を手に店外の周辺を走り回った。

深夜の住宅地で通行人がなく、
誤射事件がなかったのは幸いだった。

十分後、襲撃班は車に乗って逃げ「ジュテーム」での惨劇は終わった。

急報を受けたパトカーに続いて
大阪府警捜査四課(マル暴)や
所轄の豊中署の捜査員のほかに
防弾チョッキを着た機動隊も出動。
新御堂筋や中央環状線を重点検問し、
現場付近の捜索には警察犬も駆り出された。

「ジュテーム」の店内は血の海で椅子やテーブルは
ひっくり返り、三人の男がうつ伏せになって絶命していた。

殺された三人のうち一人は腹部に四発を撃ち込まれ、三発が貫通。
一人は背後から撃たれた一発が心臓を貫く必殺弾となっていた。
もう一人は胸と背中に一発ずつでいずれも貫通していた。

負傷の一人は流れ弾を首に二発、あびていたが
傷は浅く、二週間の軽傷であった。

死者の体内に残った弾丸や室内の弾痕を調べると
38口径九発、32口径三発、22口径二発、不発弾一発が発見され
三種類の拳銃から少なくとも十四発が発射されたことが分かった。

「ジュテーム事件」の二十二日後の八月十七日、
豊中署の捜査本部は張り込み中の溝口組組員の愛人宅に現れた溝口組幹部ら三人を逮捕。

続いて襲撃の実行犯四人が豊中署に出頭して、
この事件は一応解決となった。

五人の襲撃班が使用した拳銃は
スミス&ウエッソン社製38口径拳銃ら三挺は真正で
残る二挺はモデルガンの改造銃と判明した。
【3】

【おことわり】  評価

野歩the犬 (2014年06月20日 16時24分)

前トピの「凶犬たちの挽歌」が連載中断しましたので、
初回から再掲載してまいります。ご了承ください。
【2】

★☆〜復活御礼〜☆★  評価

野歩the犬 (2015年05月15日 12時15分)

「仁義の墓場」時代からご訪問、また応援していただいた
方々のお名前です

★順次、追加する予定ですので、レス付けはご遠慮ください
万一、漏れありましたら、お知らせください

TAKERUさま
reochanさま   
こぱんだ さま
虎55号 さま
拳治郎 さま
五右衛門座衛門 さま
ゆさみん さま
みなみん さま
てぃ〜だ♪さま
rosa♪  さま
虹ん子  さま
赤SC待ち さま
すーすーす さま 
さんさんはなはな さま
パチンシュタイン さま
パクチー(☆∀☆)  さま
ツカンポ  さま
珍台マニア さま
きょんきょん   さま
SRO魂    さま
【1】

目  次  評価

野歩the犬 (2015年05月03日 12時37分)

【ト ピ】       【タイトル】       【時代背景】

■仁義の墓場    大西政寛伝(全47回)   大正12年〜昭和25年
(2014年
5月15日落ち)

                    夜桜銀次伝(全13回)   昭和36年〜37年


■血風クロニクル  凶犬たちの挽歌(全38回)
         〜山口組VS松田組大阪戦争〜  昭和50年〜53年


          喧嘩屋 一代 (全7回)   大正12年〜昭和9年
            〜小千鳥伝〜

          狂犬  伝説 (全3回)      昭和21年〜昭和31年
           〜石川力夫伝〜

          ステゴロ無頼(全20回)    昭和20年〜38年
            〜花形 敬伝〜

           憂陽の刃(全19回)     昭和45年
            〜三島事件〜

           ジギリ狼(全29回)     昭和21年〜昭和23年
            〜山上光冶伝〜


                      ソドムの市(全63回) 
       〜三菱銀行猟銃強盗人質監禁事件〜      昭和54年

             逃葬者(全40回)
        〜保険金替え玉殺人事件〜       昭和56年
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