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【118】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月30日 09時17分)

【エピローグ】

古賀ら三人は死んだ二人の胴体を並べて
仰向けに直し、上に制服をかけた。

午後零時二十五分、
三人は益田総監を連れて廊下に出た。

吉松一佐を確認して総監を引き渡し、
日本刀も提出した。

三人はその場で警察官に現行犯逮捕された。

「七生報国」の鉢巻をした三人が
警官から両腕を抱えられ
正面玄関からパトカーに乗せられると
「あとの二人はどうした!」と怒鳴る声があがった。

十分後、益田総監が玄関に姿を現した。
歓声はなかったが、
自衛官から安堵のどよめきが起こった。

総監は包帯をした手をちょっと挙げて応えてから、
中曽根防衛庁長官への報告に向かうため、
車に乗りこんだ。

バルコニーの前にいる徳岡孝夫には
事件がどういう形で終わったのか
まだ、分からなかった。

「自害だ」
「自害したぞ」と叫ぶ声がしたが、半信半疑だった。

やがて「発表します」という声がして、
報道陣は一階左側の部屋に入るのを許された。

小学校の教室ほどの部屋は立錐の余地もなかった。

「東部方面総監部防衛副長、吉松一佐です」
との自己紹介に続いて事件の経過が報告された。

吉松一佐はまるで上官に報告するように
一部始終を大声で語った。

しかし、切腹した、介錯した、と聞いても
徳岡はなお、信じられなかった。

記者の一人が大声で叫ぶように聞いた。

「つまり、首は胴を離れたんですか」

「はい、首は胴を離れました」

一佐はオウム返しに叫んだ。

部屋は沈黙に陥った。

もはや、聞くべきことはなにもなかった。

徳岡は外へ出た。

自衛官も三々五々、散っていくところだった。
NHKの伊達記者の姿はついぞ、
見つけることはできなかった。

頭を垂れてとぼとぼ正門の坂にかかっていた徳岡孝夫は
そこで信じられないものを見た。

下り坂の手前あたりの空き地で
数人の職員がバレーボールをしていた。

まだ、昼休みの時間らしい。
女性四、五人に混じって男も一人、二人いた。

それは平和な、平和な日本の、
これ以上は平和であり得ない
素晴らしい光景だった。

吐き気がした。


サンデー毎日編集部に戻り、
自分のデスクに座った徳岡はパイプに火をつけた。

僅々三時間ほどの間に起こった出来事に打ちのめされ、モノを言う気力もなかった。

編集部の同僚も、とんでもない事件を見てしまった者への配慮だろう。

誰も声をかけなかった。

やがて強いインクの匂いをたてて
刷りたての朝刊の早版が届いた。

一面にぶち抜きで
「三島由紀夫が割腹自決」の大見出し。

社会面は「狂気の白刃 楯の会 自衛隊乱入」

快晴だった一日が暮れ、夕闇が東京に下りた。

徳岡孝夫はペンをとり原稿用紙に書き始めた。

「私は三島をほめに来たのではない。
 彼を葬りに来たのだ。
 今は彼をそっと埋めておこう。
 『狂気』とラク印を押されたために、
 三島の死はおそらく、
 かえって永続的な効果を持ったに違いない。
 何年、いや、きっと何十年のちに、にも・・・・」


(憂陽の刃・完)
【117】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月27日 13時00分)

【自 決】

総監室でそれから何が起こったか、は
益田総監や古賀浩靖被告の
公判廷での証言によって知ることができる。

手足を縛られたままの益田総監は
午後零時十五分ごろ、
演説を終えた三島がバルコニーから
戻ってくるのを見た。

古賀は三島が楯の会の制服のボタンを外して
上着を脱ぎながら、誰に言うともなく
「仕方がなかったんだ」と呟くのを聞いた。

それから三島は益田総監に向って

「恨みはありません。
 自衛隊を天皇にお返しするためです」と言った。

上着を脱ぐと下は裸だった。

縛られている総監から約三メートルの床の上に
バルコニーの方を向いて正座し、短刀を握った。
左後方には森田必勝が立って
長刀を大上段に振りかぶった。

三島はズボンを押し下げて腹を出し、
「ウォーッ」と大声を発した。
まるで腹内の空気を全て出してしまうかのような気合だった。

次の瞬間、短刀をヘソの左下に突き立てた。

それから右へ真一文字に引き回した。

切腹は、介錯人がいる場合は
薄く掻き切るのが作法だが、
三島は力まかせに割腹した。

鍛えぬいた腹筋は突きたてられた刃を
反動で押し戻した。

上半身がバネ仕掛けのように跳ねあがった。

剣道五段の森田が一撃目を打ち漏らしたのは
このためである。

血しぶきが飛んだが、
刃は三島の右肩に深く斬りこんだだけだった。

「森田さん、もう一太刀!」

見ている古賀が叱咤した。

森田必勝は再び振りかぶって斬った。

今度は命中したが、首はなお、落ちなかった。
頚動脈をいきなり離断された三島の心臓は
総監室の天井近くまで鮮血を吹き上げた。
二拍目からは、もうその圧力はない。

「浩ちゃん、代わってくれ」

古賀が刀を受け取って、三島の首を切断した。

続いて森田が制服を脱いで裸になり、正座した。

猿ぐつわを外されていた益田総監は
「やめなさい」と二、三度叫んだが無駄だった。

「小賀、たのむ」

しかし、小賀は行動開始から一貫して、
益田総監の監視役をしている。

長刀は古賀が受け取り、森田の左後方に立った。
すでに床は血の海である。

森田は短刀を腹に突きたて
「まだまだ」と言いながら引き回した。

引き終わって「よし」。

その声に古賀が大上段から打ち下ろした。

今度は一刀両断だった。
総監室に再び鮮血の噴水があがった。
鮮やかな介錯だった。

「君たち、おまいりしなさい」

総監が言った。

生き残った三人の若者は三島、森田の首を並べて
床の上に立てた。

「私にも冥福を祈らせてくれ」
と言って総監は正座して瞑目合掌した。

三人は黙って泣いていた。

「もっと、思い切り泣け」と総監は言った。
【116】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月27日 12時53分)

【猜 疑】

演説のメモをとりながら徳岡孝夫は

「三島さんのボディビルや剣道はこのためだったんだ」

と、直感していた。

「畢生(ひっせい)の雄叫びをあげるときに
 マイクやスピーカーなどという
 西洋文明の発明品を使うことを三島は拒否した。
 それはちょうど明治九年十月に
 熊本鎮台を襲った新風連がふだんから
 電線の下をくぐるのをいさぎよし、とせず、
 洋服を着た人に出会ったときは
 塩でわが身を清めたように」

(サンデー毎日「その朝、死に場所に呼ばれた本誌記者」より)


演説が終わり「天皇陛下、万歳!」を叫んだ
三島由紀夫がバルコニーの縁から消えると
それを合図にしたように建物の前に待機していた
数十人の警察機動隊が玄関から中へとなだれこんだ。
再び一人の若い自衛官が
垂れ幕に飛びつこうとしたが、制服警官が

「証拠保全のため、必要ですから」
と厳しく制した。

徳岡は三島由紀夫の言う
「この挙」がどんな形で終わるのか見届けたかったが、
総監室に近づく手段はない。

手紙、遺影と思われる写真、檄、演説・・・・
それらから判断して、考えられるのは三島の死である。

だが、また一方では彼は最も自殺しそうにない人間だった。

若々しく健康であり、家族に恵まれ、
才能があって世界に知られ
現に作品は広く読まれ、友人は多く、
住む家とおそらく相当の財産を持っている。

世の中に彼以上に自殺しそうにない人は
少ないように思われた。

徳岡は三年半前に初めて三島邸を訪ねたときのことを思い出していた。

それは三島が極秘に陸上自衛隊に
体験入隊した直後だった。

編集長の命で単独インタビューに向った徳岡は
コロニアル様式の三島の邸宅玄関に
赤い三輪車を見たのである。

息子に三輪車を買ってやる父親が自殺するだろうか。

三島は手紙の中にも演説でも、一度として
「これから死ぬ」とは明言していない。

死ぬんだろうか?

まさか?

急に空虚になったバルコニー上の空間を見上げながら
徳岡の脳裏に再び赤い三輪車が甦っていた。
【115】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月27日 12時47分)

【檄 演(二)】


・・・・・から・・・・れるのは、
シビリアンコントロールではないんだぞ。

・・・・・・・(聴取不能)
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・


それでだ、俺は四年待ったんだよ。
俺は四年待ったんだ。
自衛隊が立ち上がる日を

・・・・・・・(聴取不能)
・・・・・・・
・・・・・・・四年待ったんだ。

最後の三十分間だ。
最後の三十分間に・・・・ため、今待っているんだよ。

(ヤジ、さらに激しくなってくる)


諸君は武士だろう。
諸君は武士だろう。

武士ならば、自分を否定する憲法をどうして守るんだ。
どうして自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。

それがある限り、諸君というものは
永久に救われんのだぞ

(ヤジに混じって、笑い声)

諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略で、
諸君が合憲のごとく装っているが、
自衛隊は違憲なんだ。

自衛隊は違憲なんだ。
貴様たちは違憲なんだ。

憲法というものは、ついに自衛隊というものは、
憲法を守る軍隊になったのだということに、
どうして気がつかないんだ。
どうして、そこのところに気がつかんのだ。

俺は、諸君がそれを完全に断つ日を
待ちに待っていたんだ。

諸君が、そのなかでもただ小さい根性ばっかりに
固まって、片足突っ込んで
本当に日本のために立ち上がる時はないんだ。


・・・・・・・
・・・・・・・

(ヤジ 「そのためにわれわれの仲間を傷つけたのは、どうした訳だ」)

(三島、凄まじい気迫で)「抵抗したからだ!」

(「抵抗したとはなんだ」など、
 さまざまなヤジが浴びせられ騒然となる)

憲法のために、日本を骨無しにした憲法に
従ってきた、ということを知らないんだ。

諸君のなかに一人でも俺といっしょに
起つ奴はいないのか。
一人もいないんだな。

(「テメエ、それでも男かぁ――」とのヤジが飛び出し、 圧倒され気味)

よし、武というものはだ、
刀というものはなんだ。

・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・それでも男かぁっ!

それでも武士かぁっ!

まだ諸君は、憲法改正のために立ち上がらないということに、みきわめがついた。
これで自衛隊に対する夢はなくなったんだ。

(ヤジ猛然、「おりろ」「なんであんなものをのさばら せておくんだ」「おろせ、こんなもの」などの
 怒号に混じって、静めにかかる声も出る)

それではここで、オレは、天皇陛下万歳を叫ぶ。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

(三島、皇居に向かい)

天皇陛下、万歳!
【114】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月26日 15時24分)

【檄 演(一)】

時計の針がちょうど正午を回ったころ、
三島由紀夫はバルコニーの一段、高い縁に立った。

徳岡孝夫は持っていたカメラで撮影した。

50ミリの標準レンズだったため、
垂れ幕をからめた全景しか撮れなかったが、
それでも数コマ、シャッターを切った。

社旗をはためかせた新聞各社の車が
次々に庁舎前に乗りつけた。

上空にはすでに取材ヘリが接近し、
ローター音を響かせている。

徳岡はバルコニー正面の左前方に立って
垂れ幕の要求項目をメモした。



「日本は経済的繁栄にうつつを抜かして、
精神的には空っぽになってしまっているんだぞ。
それがわかるか!」



三島が声を張り上げた。


徳岡は頭上八メートルから聞こえてくる三島の演説の要点を筆記した。


■以下はフジテレビ報道局収録の
録音テープからの転写である


・・・・自民党というものはだ、警察権力をもっていかなるデモも
鎮圧できるという自信をもったからだ。


治安出動はいらなくなったんだ。
治安出動はいらなくなったんだ。
治安出動がいらなくなったので、すでに憲法改正が不可能になったのだ。

分かるかぁ、この理屈が!

(ヤジ  分からんぞ、何を言っている!)

諸君は去年の10.21からあと
諸君は去年の10.21からあとだ。
もはや、憲法を守る軍隊になってしまったんだ。

自衛隊が二十年間、血と涙で待った
憲法改正というものが、機会がないんだよ。

もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。
ついにはずされたんだ、それは。
どうしてそれに気づいてくれなかったんだ。

去年の10.21から一年間、
俺は自衛隊が怒るのを待っていた。

もう、これで憲法改正のチャンスはない。
自衛隊が国軍になる日はない。

健軍の本義はない。
それを私は最もなげいていたんだ。
自衛隊にとって健軍の本義とは、なんだ。

日本を守ること
日本を守ることとはなんだ。

日本を守ることとは、
天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることだ。

(ヤジ 猛然としてくる)

お前ら聞けぇ、聞けぇ!
静かにせい、静かにせいっ!
静粛に聞けっ!

(騒然としたヤジで、演説聞き取りにくくなり、
 演説口調も興奮しきった感じになる)

男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。

いいか。
いいか。

(ヤジに圧倒されそうで、言葉がとぎれそうになる)

それがだ、いま、日本人がだ、
ここでもって立ち上がらなければ
自衛隊が立ち上がらなければ、
憲法改正というものがないんだよ。

諸君は永久にだね、
ただ、アメリカの軍隊になってしまうんだぞ。

(バカヤロー のヤジ)

諸君と・・・・(ヤジで聴取不能)

・・・・・・・アメリカからしか来ないんだ。
シビリアンコントロールと・・・・・・
シビリアンコントロールがどこからくるんだ。
シビリアンコントロールというのはだな、
シビリアン・・・・・・


(ヤジと演説口調が興奮しきって、このあたり聴取著しく困難になってくる)
【113】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2015年03月21日 10時53分)

【発 覚】

サンデー毎日の徳岡孝夫とNHKの伊達宗克は
市ヶ谷会館の屋上にあがると、
並んで眼下の駐屯地を見ていた。

バルコニー前の閲兵グラウンドに
車が二、三台停まって、三、四人が
明らかに緊張した動きをしているのが分かった。

と、駐屯地正門に通じる急な坂を
パトカーがフルスピードで駆け上がっていった。
その後ろ、ほとんど車間距離をおかずに
白いジープが猛追していた。

白いジープ・・・警務隊、自衛隊の憲兵である。

二人は同時に「アッ」と声をあげた。

まだ十一時四十分になっていない。

手紙の中で三島は
「一切を中止し、何事もなく帰って来るなら
 十一時四十分ごろまでだ」
と告げていた。

その時刻までには、
もはや帰ってきそうにない。

市ヶ谷会館の楯の会の隊員たちが
移動を命じられた気配もない。

「何かあります。行きましょう」

伊達が徳岡に言った。

徳岡は咄嗟に三島から受け取った
手紙や写真の入った封筒を靴下の内側にねじこんだ。

市ヶ谷会館の玄関まで駆け下り、
今度は駐屯地正門に向っての急坂を駆け上がった。
走りながら自社の腕章を付けた。

正門では誰からも咎められず中に入れた。
グラウンドにはすでに何人かの自衛官の姿があった。

「何があったんですか」

「わからん。全員集合せよと命令があったので
 来ただけだ」

おいおい、人数が増えてきた。
その中から「総監が人質にとられた」と声が上がるのを聞いた。

徳岡はバルコニーの奥が東部方面総監室ということを
知らなかった。
しかし、総監が人質になった、
というならあの五人がやったに違いない。

手紙の中にあった
「傍目にはいかに狂気の沙汰に見えようとも……
 憂国の情に出でたるもの」とはそのことだ。

集まった自衛官の誰もがバルコニーを見上げていた。
建物の玄関には警察官が阻止線を張って中へいれない。

楯の会の制服に白い手袋をした若者が
バルコニーの端まで来てビラをまいた。

自衛官が拾ったのを見ると、徳岡が市ヶ谷会館で
受け取ったものと同じ「檄」である。

やがてキャラコの布地に墨書した垂れ幕が下りてきた。

「楯の会隊長、三島由紀夫と・・・は東部方面総監を拘束し、総監室を占拠した」
で始まる要求書と同じ内容だった。

自衛官二人が飛びついて垂れ幕を
引きずり下ろそうとしたが、
彼らがジャンプしても届かなかった。

徳岡は垂れ幕の下端に文鎮が下がっているのを見て、
ひそかに

「三島さん綿密に計画したなぁ」

と感嘆した。

まもなく、三島由紀夫と
森田必勝の二人が
バルコニーに現れた。
【112】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月25日 13時30分)

【交 渉】

吉松一佐らは副長室側のドアから総監室に入った。

「何をするんだ、話し合おうではないか」

「邪魔するな」

三島が怒鳴り、灰皿が飛んで来た。
楯の会の隊員は椅子を振り回して抵抗していた。

自衛官による総監奪還のための行動は
三島の予想を遥かに超えるものだった。

三ヶ所のドアから計十一人が室内に突入、
八人が負傷、うち三人はかなりの深手を負った。

奪還行動を続ければ負傷者が増すだけでなく、
総監殺害の怖れもある。

三島が本気であるのは
斬りかかってきたことから明白だった。

防衛庁に連絡すると、
とりあえず臨機の措置をとれ、との命令である。

警察にはすでに110番している。

吉松一佐らはいったん作戦室に引いて
要求書を検討した。

「市ヶ谷駐屯地の全自衛官を本部玄関前に集合させ、
 三島の演説を清聴させよ」

「楯の会残余隊員を市ヶ谷会館から急遽、呼び寄せ、
 参列させよ」

「十三時十分まで、一切の攻撃、妨害はするな」

「条件が守られず、あるいはその怖れがあるときは
 三島は直ちに総監を殺害し、自決する」

など、要求は詳細を極め、一切の交渉に応じない、
と書いている。

吉松一佐は要求に従おうと決断した。

総監室前の廊下に出て、割れたガラス窓越しに
三島と問答した。

「要求書は見た。自衛官を集めることにした」

「君は何者だ。どんな権限があるのか」

「防衛副長で現場の最高責任者である」

三島は時計を見てから言った。

「十二時までに集めろ。
 十三時三十分まで一切の攻撃、妨害行動をするな」

時計の針は十一時三十四分を指していた。
【111】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月25日 13時27分)

【決 起】

合図を受けて真っ先に動いたのは
計画通り、小賀だった。

元の席に戻るふりをして総監の背後に回り、
首を腕で絞め、手ぬぐいで口をふさいだ。

古賀が用意していた細紐で総監の両手を縛り、
椅子にくくりつけた。

あとの二人は総監室の三方のドアに内側から施錠し、
椅子や机、植木鉢を動かしてバリケードを築き始めた。

廊下に通じるドアの下に二つに折った
要求書を差し挟んだ。
これが十一時二十分前後だった。

益田総監は抵抗せずに縛られた。
座った姿勢のまま、両手首は後ろ手に、
足首も椅子に縛られた。

だが、緊縛ではなかったし、小賀が
「呼吸が止まるようなことはしません」と
断ったので
レインジャー訓練の成果を披露しているつもりか、
と思った。

「どうです、機敏で驚いたでしょう」と
あとで笑い話にでもするのか、と思った。

少し動く口で
「三島さん、冗談はよしなさい」と言った。

抜刀した三島が目を見開いて睨みつけているのをみて、
初めてただごとではない、と知った。



総監室内の家具を動かす物音に
最初に気づいたのは沢本三佐だった。

報告を受けた業務室長の原 勇一佐はすぐ廊下に出て、
総監室との間の擦りガラスの窓に目をあてた。

窓の端に一片のセロテープが貼ってあり、
ぼんやりであるが室内の様子が
見える仕掛けになっている。

益田総監応接用の椅子にかけ、
その後ろに楯の会の若者がいた。

一瞬「マッサージでもしてもらっているのか」
と思ったが、総監の動きが不自然である。

なにより、ドアに鍵がかかっている。
体当たりすると鍵は飛び、
二十センチほどの隙間ができた。

「来るな、来るな!」

と内側から怒鳴り声がした。
ドアの下に白い紙があった。
それを拾って第三部作戦室にいた
副長の吉松秀信一佐に報告した。

原一佐は隣接する幕僚室に行った。

総監室に通じるドアをこじ開けバリケードをずらし、
すでに二人の自衛官が総監室に入っていた。

続いて入ると縛られた総監がはっきり見えた。

総監に付き添う楯の会隊員は短刀を持っている。

同時に三島が斬りかかってきた。

「出ろ、出ろ!」と言いながら
刀を手元に引くようにした撫で斬りだったが、
先に入っていた二人の腕からは鮮血が飛んでいた。

三島は真っ青な顔で
「要求に従わないと総監の命はないぞ!」と叫んだ。
【110】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月25日 16時00分)

【面 会】

三島由紀夫ら楯の会の隊員五名は
沢本三佐の案内で
二階の東部方面総監室の前に立った。

陸軍士官学校として建てられ、
戦時中は大本営本部となり、
東京裁判の法廷にも使われた三階建ての建物である。

現在は防衛省の敷地内に移設され、
事前申し込みで見学することができる。

総監室は横七・五メートル、奥行き六メートル。
当時の総監の執務机などは撤去され、
部屋のほとんどが旧防衛庁の模型で占拠されている。
扉の一部に刀傷が残っているのが唯一、事件の証言者といえようか。

沢本三佐は一同をドアの外に待たせ、
一人で総監室に入った。

左が幕僚室、右に隣接して副長室、
後方に庶務を行う業務室がある。

廊下は暗く、なんの装飾もない。
総監室と廊下の間は擦りガラスを入れた
大きな窓があるだけだった。

沢本三佐が出てきて「どうぞ」と促した。

三島由紀夫を先頭に一同は総監室に入り、
沢本三佐は出ていった。

益田(ました)兼利東部方面総監は、
部屋の左手にある執務机の前に立っていた。

「よく、いらっしゃいました」

三島は四人の隊員を一人ずつ呼んで
総監に引き合わせた。

「どうぞ、こちらへ」

総監は三島を部屋の右手にある
応接用の椅子に勧めると正対する位置に腰を下ろした。
最初は辞退していた四人の隊員も促されて
ドア近くの小さい椅子に座った。

三島由紀夫は腰から刀を外した。

旧軍人である五十七歳の総監は
予想した通りに刀に目を留めた。

「先生はそんなものを持ち歩いて、
 警察に咎められませんか」

「いや、これは美術品だから構わないのです。
 ちゃんと登録証も持っています」

四百年以上前の室町末期、
美濃の刀鍛冶の手による大業物である。

「ご覧になりますか」

三島は刀を抜くと、刀身に目を注ぎながら、
刃文がよく見えないという「しぐさ」をした。

「小賀、ハンカチ」

演習ではそれが行動開始の合図だった。

小賀正義は手ぬぐいを持ち、総監の後ろに向った。

しかし、そのとき益田総監が予想外の動きをした。

急に立ち上がり「ちり紙ではどうかな」と
呟きながら数歩、執務机の方に歩いたのである。

小賀は仕方なく手ぬぐいを三島に渡した。

総監は三島の横の席に移った。
バルコニーを背にした椅子である。

「三本杉がありましょうな」

尖った目の乱れが三本ずつ連なる刃文を
三島が説明する。

総監は刀を受け取って刃文に目を凝らした。

「見事なものです」

刀を返して元の席に戻った。

その瞬間、三島が目で「やれ!」と
四人に合図を送った。
【109】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月24日 14時32分)

【遺 影】

文字通りの立ち読みであった。

「傍目にはいかに狂気の沙汰に見えようとも」

の下りを徳岡は二度、三度繰り返し読んだ。

文字や文章の乱れは全くなく、
それまでに貰った三島由紀夫の原稿を彷彿とさせた。

徳岡は片手に封筒から出てきた写真を
一纏めにしてもっているのに気づいた。

東条写真館撮影のキャビネ判より
さらに大きい五名の集合写真と
各自のフォーマルな肖像写真が計六枚。

すべて楯の会の制服制帽姿で、
集合写真の裏には三島の字で全員の姓名、
小賀にはコガとふりがなまで、振ってあった。

各自の肖像にはそれぞれの自筆で
姓名、生年月日、年齢、出身地、在学校名。

中で目を引いたのが楯の会の夏用の制服姿の
森田必勝の写真だった。

この一枚だけが東条写真館撮影ではなく、
スナップだった。

帽子を小脇に挟み、にっこり微笑んでいる。

裏面に四行の記入があった。



三重県出身
森田必勝(25)
昭和20年7月25日生
早稲田大学教育学部



表の写真は笑っているのに裏の「森田必勝」は
ボールペンの強い筆圧が浮き出てみえる。

徳岡は「必勝」(マサカツ)という名の強烈な語感の持つ森田の字に全身に言いようのない痺れを感じた。

急いで檄を読んだ。

B4判の紙二枚にびっしりと書いてある。

「われわれ楯の会は自衛隊によって育てられ……」

に始まり、

「今こそわれわれは生命以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる」・・・

言わんとするところは分かるようでもあり、
飛躍しているようでもある。

再び手紙に戻って
「いかに狂気の沙汰にみえようとも」
のところを読んだ。

ふと、見ると徳岡のすぐ横に立って、
同じように手紙を読んでいる者がいた。

「NHKの伊達さんですね?」

初対面の二人はそそくさと名刺を交換した。

「どういうことでしょう?」

「ぼくにもよく分かりません」

「とにかく屋上に行ってみましょう」

二人は四階立て、市ヶ谷会館の
屋上への階段を駆け上がった。
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