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【677】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

カンバチ (2015年02月04日 09時32分)

(P-2)

>>まず、何も言わないことです。そして、静かに、「なぜ、あの人は片付けられなかったのだろう」と冷静、かつ、客観的に考えてみることです。


>相手が他人の場合は比較的そう出来ると思うけど
>身近な人程言ってしまうかと・・・
>子供、配偶者・・・


そこなんです。

身近な人ほど、言わないようにするには、自分を強く抑制しなければなりません。これぞ、まさに日々修行。

相手が他人だと比較的そうできるのは、なぜ、と考えてみるといいです。

他人には、「言わない」ということができるのに、
子供や配偶者には、「言わない」ということができない、つまり、言ってしまうのは、

他人に対しては、対等な存在として対応するのに、子供や配偶者に対しては、上から目線をやっちゃうからだと思います。単純に、その違いだと思います。


>>言わないことがストレスになり、別の問題に発展もすることも。。。


試しに、言わない、ということをやってみるといいです。

家庭の中で何が起きるか。

『何で片付けないのっ!』と安易に言ってしまうと、そこには、不穏な空気が流れます。

相手が、気の弱い人(メランコリー親和型の人)であれば、シュン、となって、『あたしはダメな人間だ』と思い、ウツウツとして、その日を過ごすことになるし(支配・従属関係)、

相手が、気の強い人(ナルシスト)であれば、『ウルサイッ!』と言い返され、険悪になります(戦争状態)。

そこで、言いたい気持ちをぐっと抑えると、どうなるかというと、そこには平和が訪れます。

≪言ったことによって訪れる不穏で険悪な空気=戦争or支配・従属関係≫

≪言わないことで訪れる平穏な空気=平和≫


ということではないかと思います。

戦争状態を作るのはいとも簡単です。しかし、平和を作るのは非常に難しい。自分の『怒りたい』という欲求を抑えなければならないからです。


実は、これは、僕自身の経験から書いてることです。

僕の彼女は、待ち合わせには、必ず、20分くらい遅れてきます。
待ってる間は、イライラするんですけど、彼女がやってきて、すまなそうに『ごめん、待った?』と聞くと、僕は、必ず、笑顔で、『いや、たいしたことないよ』と答えます。

本当は、『何で、こんなに待たせるんだっ!』と怒りたいのですが、その気持ちをぐっとこらえるのです。

では、ぐっとこらえたせいでストレスになるかというと、自分でも驚くのですが、まったくストレスにならないのです。

ぐっとこらえた先には、彼女との笑顔のデート、すなわち、平和が訪れ、ストレスになりかけた心が、あっという間に平穏になります。

ほんとですよ。

もし僕が『何で、こんなに待たせるんだっ!』と怒ったら、どうなるかは、想像がつきますよね。

怒った先には、『支配・従属関係』か『戦争』が待ってるだけなのです。

怒らないことが、どんなにしんどくても、続けていけば、相手に「愛」が伝わる、と思います。

いつだったか、彼女が、ポツっと、言いました。

「怒らないんだ・・・。いい人だよね」

自慢に聞こえるかもしれませんが、事実です。そして、これは、僕にとって、大発見でした。


まだまだ、考察を続けなければなりませんが、とりあえず。
【676】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

カンバチ (2015年02月03日 18時33分)

マキャべリ著『政略論』より。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
世の中のすべてのことは、流転してやまないものである。


釘付けにしておくわけにはいかないもので、


それらは、上り坂にあるか、


または、


下り坂にあるか、どちらかしかありえない。


そして、われわれは、多くのことがらを行うのに、


理性に導かれてではなく、必要に迫られてやっているのである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


マキャベリ、すげーな〜。
【675】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

カンバチ (2015年02月02日 22時40分)

今、『トラさん4作目』を見てます。


初めて見ます。


まだ、最初のほうなんですが、


寅さんが競馬で当てて、葛飾に凱旋してきます。

みんなが、

「箱根か、湯河原か、それとも、思い切って、別府か、雲仙あたり、どうかい」

とはやしたてます。


僕が、進学して、東京の学生向けアパートで暮らし始めたころ、

そのアパートの大家さんが、僕が九州出身だと知って、


『あたしも、いっぺんは、九州に行ってみたいもんだよ』

と言っていたのを思い出しました。


でも、その時、僕には、その言葉が、な〜んか、理解できませんでした。


今思えば、そりゃそうです。

僕は、『いっぺんは行ってみたい』と言われた九州で生まれ育ったんですもん。


東京の人にとって、少なくともその当時、九州というのは、外国みたいなものだったんでしょうね。


今では、どうなんでしょうか。


どなたか、教えて。


あ〜、逆に、東京で暮らすようになって、初めて、東京の人にとって、箱根とか湯河原というのが、どういう存在なのか、が分かりました。


東京の人ってのは、たぶん、「都会暮らしをしている」という「自負」があるのです。それが、「高級だ」と思い込んでいるのです。

『自慢』なんです。

『あたしは田舎もんじゃない』という、間抜けな『自慢』。

そして、「都会での忙しさ」なるものから離れるためのツールが、箱根や熱海や湯河原なのです。


違うのかな。
【674】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

カンバチ (2015年02月02日 21時47分)

クリント・イーストウッドが、



ルパンIII世の声で、




『な〜んてこった・・・』



泣けるぜ。
【673】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

カンバチ (2015年02月02日 00時20分)

rosa♪  さん、真剣なレスをありがとう。


僕も、真剣にお答えしようと思います。


少し、時間をください。
【672】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

カンバチ (2015年02月01日 23時22分)

フランスの文豪ユゴーは「レ・ミゼラブル」の中で




「世界は、自己中心主義でしかないもの、人類に対して理念を代表しないものを全て衰えさせる」




と言っています。



自己中心主義こそが悪であり、それは、いつまでもは続かない、ということだと思います。



ただ、人間は、なぜ、自己中心主義になるのかが、この作品では考察されていません。



僕のレスを読んでくださっていた方は、お分かりかもしれませんが、


『愛されないこと』が、人を自己中心主義=悪へと誘導してしまう。



そして、愛こそが悪を滅ぼす。



これを表現してくれる作家が現れないかな、と思ってます。
【671】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

カンバチ (2015年02月01日 16時59分)

まんまさん、こんにちは。


『片付け』の話を、もう少し考えてみました。


>まず、何も言わないことです。そして、静かに、「なぜ、あの人は片付けられなかったのだろう」と冷静、かつ、客観的に考えてみることです。


と言いましたが、

もう少し先に進むと、

片付けるか片付けないかの違いは、結局は、その人の生い立ちにかかわってくるんじゃないか、と思うのです。

「きれい好きな人」から見て、「片付けない人」というのは、単純に許しがたい存在に見えるかもしれませんが、

片付けないことをも含めて、その人を受け入れられるかどうか、がキーになりはしませんか。
それが愛するということなんじゃなかろうか、と。


たとえば、ワープロというものがなかった時代、小説家は、たいてい、原稿用紙を、書いては捨て、書いては捨て、とやってましたから、机の周りは紙くずだらけ(テレビドラマなどで、たまに見かけるシーンですが)。


その小説家の配偶者は、その様子を見て、腹を立てるかというと、そんなことはないと思うのです。

ということは、『片付けないから腹が立つ』のではなくて、その人の人格全体を受け入れられないから、腹が立つ、すなわち、その人を愛してない、ということなのかな、と。

さらには、『片付けてと言ったのに片付けてない』という事実は、
自分は愛されていない、というサインということになりはしませんか。

つまり、『片付けてない』=『私の言うとおりにしない』=『私を愛していない』と受け取ってしまいますから、
『片付けてっ!』=『私を愛してっ!』=『私を放っとかないでっ!』となり、
愛を求めて相手を攻撃してしまう、ということなのかな、と。


自己愛というのは愛されたいという欲求であり、誰もが持っているものです。

だから、人間にとっては、愛し合うということが何よりも大切であり、愛が不足すると、攻撃に転じてしまうものらしい、と思います。

自分は愛されていない、という実感は、苦しいものです。
その苦しみから逃れるために愛されることを求めます。

愛されるためには、まず相手を愛さなければならないのに、そこに気づかない。

愛されようとして失敗すると攻撃する。


では、人間は、どの時点で十分に愛されなければならないのか、というと、
最近の精神医学や心理学の学者さんたちが盛んに言っているのは、

『とにかく、3歳までは、徹底して甘えさせなさい』ということです。

『少なくとも満1歳までは』と言っている学者もいます。

どっちにしろ、幼いころ、十分に愛されていると、
『自分は、他者から、すべて受け入れられる存在なのだ』という、「基本的安心感」が身につくんだそうです。

しかし、誰もが、幼いころ十分に愛されて育ったか、というと、なかなかそうは行きません。

それで、たいていの人が、心の中に、『自分は愛されないのではないか』という、言わば、自己愛の不全感(不安感)を抱えて生きることになります。

その不全感がどの程度なのかが、その人の人生をかなり決定付けてしまうのかも。

自己愛の不全感を埋めるために攻撃的になる、と言えるんじゃないのかな。

その攻撃がどこに向かうのか。

まずは、親に愛されたいという衝動から始まるでしょうから、親の期待にこたえようと必死になる、けど、なかなか親が愛してくれない。

親が十分に愛してくれないから、自己愛の不全感を抱え、
親は親で、愛するということができない人だから、
愛することができない人に愛されようとするのは、実にむなしい努力です。

それでも、親に愛されたいから、親の視線を自分に向けようと、努力する、
という、どうしようもないスパイラルに落ち込んでいくのです。

『お受験競争』なんて、そのスパイラルの見本みたいなものです。


ここまで考えてきたら、なんだか、頭が充血してきました。

長くなって、すみません。
【670】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

rosa♪ (2015年02月01日 16時29分)

>まず、何も言わないことです。そして、静かに、「なぜ、あの人は片付けられなかったのだろう」と冷静、かつ、客観的に考えてみることです。


相手が他人の場合は比較的そう出来ると思うけど
身近な人程言ってしまうかと・・・

子供、配偶者・・・


言わないことがストレスになり、別の問題に発展もすることも。。。




>しかし、支配欲に取り付かれてしまうと、相手の気持ちを考えるということができないのです。



レスとは少し方向がズレますが・・・

先の話に出ていたモラハラの典型的な例。


私の知っている人で、ご主人に何を言われても何も口答えしない人が居ました。

見ている私の方が、そのご主人の横暴ぶりにはイラっとしましたし、不愉快でしたね。


で、奥さんが耐えていて偉いな、とも思わなかった。

いうのも、
全く相手に関心が無い、と見てとれたからでした。


それが冷めた愛の究極のカタチだと密かに思っていました。。。
【669】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

rosa♪ (2015年02月01日 16時19分)

>ナルシストがよく使うフレーズ。

>「だってさ〜」

>「だって、そうだよね〜」

>「えっ、ちがうの〜、うっそ〜」

>「そうに決まってんじゃ〜ン」

>「何言ってんのよ〜」



>これを自己主張というわけですが、単に『私は正しい』『私のどこが間違ってるんだ。私は間違ってない』と言いたいだけです。
>結局は、『私の言うとおりにせよ』です。





このようなやり取りは、
女子ならナルシストに無関係で定型文になってるんじゃないかな?

特に相手に同意せよ、という気持ちはないかと思います。

また相手にそう言われても、私は「自己主張」だとは思いませんね。




>ナルシストでない人なら、

>『私は、○○と思うんだけど、どう思う?』

>となります。問いかけになります。そこから対話が始まります。
>自己主張にはなりません。



寧ろ通常会話で
>『私は、○○と思うんだけど、どう思う?』


と言う人は殆ど居ないように思うわ。。。


その会話のやり取りは正直面倒くさいんじゃない?
【668】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

rosa♪ (2015年02月01日 16時18分)

カンバチさん、レスありがとうございます☆


遅くなってごめんね。


コテに変身したんですねー

カンバチさん、ね。

ついつい「パ」と打ち間違えちゃいそうです(汗




>また、成長の過程で、『何を善とし、何を悪とするか』は、その人が受けてきたしつけや教育によって、それぞれ違いますし。

>例えば、牧師様の家に生まれ育てば、『善が80%、悪が20%』くらいになるかもしれないし、悪徳商人の家に生まれれば『善が20%、悪が80%』になるかもしれません。

>極端に言えば、客をだますことを善とするか、悪とするかは、その人が、どういう風に育てられ、どんな経験を積んだかによって違うということです。


分かり易いですねー

 
>>悪の種類を把握しておけば

>というより、結局、育った環境によって、身に着けてきた善が人によって違うので、反対に、把握できる悪の種類も人それぞれ、ということです。


なるほどですね。
私が「悪の種類を把握しておけば」と書いたのは
一般的常識での考えで、ということで

勿論全てのことを自身で経験するのは無理があるので
例えば書物で知識として得る、ということも把握の内だと思いました。

確かに職業や育った環境での悪のものさしに、個人のズレがあるのは否めませんね。


そこに「一般的な」ものさしも常備すべきなんでは?と思うけど、理想論かな〜w
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