■ 717件の投稿があります。 |
< 72 71 70 69 【68】 67 66 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 > |
【677】 |
カンバチ (2015年02月04日 09時32分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
(P-2) >>まず、何も言わないことです。そして、静かに、「なぜ、あの人は片付けられなかったのだろう」と冷静、かつ、客観的に考えてみることです。 >相手が他人の場合は比較的そう出来ると思うけど >身近な人程言ってしまうかと・・・ >子供、配偶者・・・ そこなんです。 身近な人ほど、言わないようにするには、自分を強く抑制しなければなりません。これぞ、まさに日々修行。 相手が他人だと比較的そうできるのは、なぜ、と考えてみるといいです。 他人には、「言わない」ということができるのに、 子供や配偶者には、「言わない」ということができない、つまり、言ってしまうのは、 他人に対しては、対等な存在として対応するのに、子供や配偶者に対しては、上から目線をやっちゃうからだと思います。単純に、その違いだと思います。 >>言わないことがストレスになり、別の問題に発展もすることも。。。 試しに、言わない、ということをやってみるといいです。 家庭の中で何が起きるか。 『何で片付けないのっ!』と安易に言ってしまうと、そこには、不穏な空気が流れます。 相手が、気の弱い人(メランコリー親和型の人)であれば、シュン、となって、『あたしはダメな人間だ』と思い、ウツウツとして、その日を過ごすことになるし(支配・従属関係)、 相手が、気の強い人(ナルシスト)であれば、『ウルサイッ!』と言い返され、険悪になります(戦争状態)。 そこで、言いたい気持ちをぐっと抑えると、どうなるかというと、そこには平和が訪れます。 ≪言ったことによって訪れる不穏で険悪な空気=戦争or支配・従属関係≫ ≪言わないことで訪れる平穏な空気=平和≫ ということではないかと思います。 戦争状態を作るのはいとも簡単です。しかし、平和を作るのは非常に難しい。自分の『怒りたい』という欲求を抑えなければならないからです。 実は、これは、僕自身の経験から書いてることです。 僕の彼女は、待ち合わせには、必ず、20分くらい遅れてきます。 待ってる間は、イライラするんですけど、彼女がやってきて、すまなそうに『ごめん、待った?』と聞くと、僕は、必ず、笑顔で、『いや、たいしたことないよ』と答えます。 本当は、『何で、こんなに待たせるんだっ!』と怒りたいのですが、その気持ちをぐっとこらえるのです。 では、ぐっとこらえたせいでストレスになるかというと、自分でも驚くのですが、まったくストレスにならないのです。 ぐっとこらえた先には、彼女との笑顔のデート、すなわち、平和が訪れ、ストレスになりかけた心が、あっという間に平穏になります。 ほんとですよ。 もし僕が『何で、こんなに待たせるんだっ!』と怒ったら、どうなるかは、想像がつきますよね。 怒った先には、『支配・従属関係』か『戦争』が待ってるだけなのです。 怒らないことが、どんなにしんどくても、続けていけば、相手に「愛」が伝わる、と思います。 いつだったか、彼女が、ポツっと、言いました。 「怒らないんだ・・・。いい人だよね」 自慢に聞こえるかもしれませんが、事実です。そして、これは、僕にとって、大発見でした。 まだまだ、考察を続けなければなりませんが、とりあえず。 |
|||
【676】 |
カンバチ (2015年02月03日 18時33分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
マキャべリ著『政略論』より。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 世の中のすべてのことは、流転してやまないものである。 釘付けにしておくわけにはいかないもので、 それらは、上り坂にあるか、 または、 下り坂にあるか、どちらかしかありえない。 そして、われわれは、多くのことがらを行うのに、 理性に導かれてではなく、必要に迫られてやっているのである。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー マキャベリ、すげーな〜。 |
|||
【675】 |
カンバチ (2015年02月02日 22時40分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
今、『トラさん4作目』を見てます。 初めて見ます。 まだ、最初のほうなんですが、 寅さんが競馬で当てて、葛飾に凱旋してきます。 みんなが、 「箱根か、湯河原か、それとも、思い切って、別府か、雲仙あたり、どうかい」 とはやしたてます。 僕が、進学して、東京の学生向けアパートで暮らし始めたころ、 そのアパートの大家さんが、僕が九州出身だと知って、 『あたしも、いっぺんは、九州に行ってみたいもんだよ』 と言っていたのを思い出しました。 でも、その時、僕には、その言葉が、な〜んか、理解できませんでした。 今思えば、そりゃそうです。 僕は、『いっぺんは行ってみたい』と言われた九州で生まれ育ったんですもん。 東京の人にとって、少なくともその当時、九州というのは、外国みたいなものだったんでしょうね。 今では、どうなんでしょうか。 どなたか、教えて。 あ〜、逆に、東京で暮らすようになって、初めて、東京の人にとって、箱根とか湯河原というのが、どういう存在なのか、が分かりました。 東京の人ってのは、たぶん、「都会暮らしをしている」という「自負」があるのです。それが、「高級だ」と思い込んでいるのです。 『自慢』なんです。 『あたしは田舎もんじゃない』という、間抜けな『自慢』。 そして、「都会での忙しさ」なるものから離れるためのツールが、箱根や熱海や湯河原なのです。 違うのかな。 |
|||
【673】 |
カンバチ (2015年02月02日 00時20分) |
||
これは 【670】 に対する返信です。 | |||
rosa♪ さん、真剣なレスをありがとう。 僕も、真剣にお答えしようと思います。 少し、時間をください。 |
|||
【672】 |
カンバチ (2015年02月01日 23時22分) |
||
これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
フランスの文豪ユゴーは「レ・ミゼラブル」の中で 「世界は、自己中心主義でしかないもの、人類に対して理念を代表しないものを全て衰えさせる」 と言っています。 自己中心主義こそが悪であり、それは、いつまでもは続かない、ということだと思います。 ただ、人間は、なぜ、自己中心主義になるのかが、この作品では考察されていません。 僕のレスを読んでくださっていた方は、お分かりかもしれませんが、 『愛されないこと』が、人を自己中心主義=悪へと誘導してしまう。 そして、愛こそが悪を滅ぼす。 これを表現してくれる作家が現れないかな、と思ってます。 |
|||
【671】 |
カンバチ (2015年02月01日 16時59分) |
||
これは 【666】 に対する返信です。 | |||
まんまさん、こんにちは。 『片付け』の話を、もう少し考えてみました。 >まず、何も言わないことです。そして、静かに、「なぜ、あの人は片付けられなかったのだろう」と冷静、かつ、客観的に考えてみることです。 と言いましたが、 もう少し先に進むと、 片付けるか片付けないかの違いは、結局は、その人の生い立ちにかかわってくるんじゃないか、と思うのです。 「きれい好きな人」から見て、「片付けない人」というのは、単純に許しがたい存在に見えるかもしれませんが、 片付けないことをも含めて、その人を受け入れられるかどうか、がキーになりはしませんか。 それが愛するということなんじゃなかろうか、と。 たとえば、ワープロというものがなかった時代、小説家は、たいてい、原稿用紙を、書いては捨て、書いては捨て、とやってましたから、机の周りは紙くずだらけ(テレビドラマなどで、たまに見かけるシーンですが)。 その小説家の配偶者は、その様子を見て、腹を立てるかというと、そんなことはないと思うのです。 ということは、『片付けないから腹が立つ』のではなくて、その人の人格全体を受け入れられないから、腹が立つ、すなわち、その人を愛してない、ということなのかな、と。 さらには、『片付けてと言ったのに片付けてない』という事実は、 自分は愛されていない、というサインということになりはしませんか。 つまり、『片付けてない』=『私の言うとおりにしない』=『私を愛していない』と受け取ってしまいますから、 『片付けてっ!』=『私を愛してっ!』=『私を放っとかないでっ!』となり、 愛を求めて相手を攻撃してしまう、ということなのかな、と。 自己愛というのは愛されたいという欲求であり、誰もが持っているものです。 だから、人間にとっては、愛し合うということが何よりも大切であり、愛が不足すると、攻撃に転じてしまうものらしい、と思います。 自分は愛されていない、という実感は、苦しいものです。 その苦しみから逃れるために愛されることを求めます。 愛されるためには、まず相手を愛さなければならないのに、そこに気づかない。 愛されようとして失敗すると攻撃する。 では、人間は、どの時点で十分に愛されなければならないのか、というと、 最近の精神医学や心理学の学者さんたちが盛んに言っているのは、 『とにかく、3歳までは、徹底して甘えさせなさい』ということです。 『少なくとも満1歳までは』と言っている学者もいます。 どっちにしろ、幼いころ、十分に愛されていると、 『自分は、他者から、すべて受け入れられる存在なのだ』という、「基本的安心感」が身につくんだそうです。 しかし、誰もが、幼いころ十分に愛されて育ったか、というと、なかなかそうは行きません。 それで、たいていの人が、心の中に、『自分は愛されないのではないか』という、言わば、自己愛の不全感(不安感)を抱えて生きることになります。 その不全感がどの程度なのかが、その人の人生をかなり決定付けてしまうのかも。 自己愛の不全感を埋めるために攻撃的になる、と言えるんじゃないのかな。 その攻撃がどこに向かうのか。 まずは、親に愛されたいという衝動から始まるでしょうから、親の期待にこたえようと必死になる、けど、なかなか親が愛してくれない。 親が十分に愛してくれないから、自己愛の不全感を抱え、 親は親で、愛するということができない人だから、 愛することができない人に愛されようとするのは、実にむなしい努力です。 それでも、親に愛されたいから、親の視線を自分に向けようと、努力する、 という、どうしようもないスパイラルに落ち込んでいくのです。 『お受験競争』なんて、そのスパイラルの見本みたいなものです。 ここまで考えてきたら、なんだか、頭が充血してきました。 長くなって、すみません。 |
|||
【670】 |
rosa♪ (2015年02月01日 16時29分) |
||
これは 【665】 に対する返信です。 | |||
>まず、何も言わないことです。そして、静かに、「なぜ、あの人は片付けられなかったのだろう」と冷静、かつ、客観的に考えてみることです。 相手が他人の場合は比較的そう出来ると思うけど 身近な人程言ってしまうかと・・・ 子供、配偶者・・・ 言わないことがストレスになり、別の問題に発展もすることも。。。 >しかし、支配欲に取り付かれてしまうと、相手の気持ちを考えるということができないのです。 レスとは少し方向がズレますが・・・ 先の話に出ていたモラハラの典型的な例。 私の知っている人で、ご主人に何を言われても何も口答えしない人が居ました。 見ている私の方が、そのご主人の横暴ぶりにはイラっとしましたし、不愉快でしたね。 で、奥さんが耐えていて偉いな、とも思わなかった。 いうのも、 全く相手に関心が無い、と見てとれたからでした。 それが冷めた愛の究極のカタチだと密かに思っていました。。。 |
|||
この投稿に対する 返信を見る (1件) |
【669】 |
rosa♪ (2015年02月01日 16時19分) |
||
これは 【651】 に対する返信です。 | |||
>ナルシストがよく使うフレーズ。 > >「だってさ〜」 > >「だって、そうだよね〜」 > >「えっ、ちがうの〜、うっそ〜」 > >「そうに決まってんじゃ〜ン」 > >「何言ってんのよ〜」 > > > >これを自己主張というわけですが、単に『私は正しい』『私のどこが間違ってるんだ。私は間違ってない』と言いたいだけです。 >結局は、『私の言うとおりにせよ』です。 > > このようなやり取りは、 女子ならナルシストに無関係で定型文になってるんじゃないかな? 特に相手に同意せよ、という気持ちはないかと思います。 また相手にそう言われても、私は「自己主張」だとは思いませんね。 >ナルシストでない人なら、 > >『私は、○○と思うんだけど、どう思う?』 > >となります。問いかけになります。そこから対話が始まります。 >自己主張にはなりません。 寧ろ通常会話で >『私は、○○と思うんだけど、どう思う?』 と言う人は殆ど居ないように思うわ。。。 その会話のやり取りは正直面倒くさいんじゃない? |
|||
【668】 |
rosa♪ (2015年02月01日 16時18分) |
||
これは 【649】 に対する返信です。 | |||
カンバチさん、レスありがとうございます☆ 遅くなってごめんね。 コテに変身したんですねー カンバチさん、ね。 ついつい「パ」と打ち間違えちゃいそうです(汗 >また、成長の過程で、『何を善とし、何を悪とするか』は、その人が受けてきたしつけや教育によって、それぞれ違いますし。 > >例えば、牧師様の家に生まれ育てば、『善が80%、悪が20%』くらいになるかもしれないし、悪徳商人の家に生まれれば『善が20%、悪が80%』になるかもしれません。 > >極端に言えば、客をだますことを善とするか、悪とするかは、その人が、どういう風に育てられ、どんな経験を積んだかによって違うということです。 分かり易いですねー >>悪の種類を把握しておけば > >というより、結局、育った環境によって、身に着けてきた善が人によって違うので、反対に、把握できる悪の種類も人それぞれ、ということです。 なるほどですね。 私が「悪の種類を把握しておけば」と書いたのは 一般的常識での考えで、ということで 勿論全てのことを自身で経験するのは無理があるので 例えば書物で知識として得る、ということも把握の内だと思いました。 確かに職業や育った環境での悪のものさしに、個人のズレがあるのは否めませんね。 そこに「一般的な」ものさしも常備すべきなんでは?と思うけど、理想論かな〜w |
|||
< 72 71 70 69 【68】 67 66 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 > |
© P-WORLD