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【265】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

鈴木建設社長 (2014年05月27日 19時07分)

>スーさん、スーさん、おーはなが長いのね。


>(この程度のことしか、思いつかん。。。)


うん(^-^*)(・・*)(^-^*)(・・*)

あそこも長いよ(^^;

ひとよんで

長芋チ●ポ(^^;

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい

泥酔です

デモ

事実です(^^;

すべったやろ(^^;

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい(^^;
【264】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 19時01分)

>流石というようなレスが欲しかった


頼む、オレを買いかぶらないでくれ。



スーさん、スーさん、おーはなが長いのね。


(この程度のことしか、思いつかん。。。)
【263】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

鈴木建設社長 (2014年05月27日 18時54分)

>これじゃ、会話のキャッチボールにならんわな。

>反省。

げっ(^^;

しおらしすぎるw

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい

また、長文書いたな。今は酔っぱ過ぎて頭に入らないから
明日読むな…多分読むと思う

かんちゃんらしくないレスやとおもたから
レスくれるなら
流石というようなレスが欲しかった
茶化されただけやった

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい
【262】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

鈴木建設社長 (2014年05月27日 18時49分)

>そのくらい、分かれ。

だねw

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい

大きなお世話だったね(^^;
【261】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 02時50分)

スーパーロング抜き書き。

《P-1》

《冬美(仮名)の場合》

冬美の母親は、産休明けから、冬美を祖母に預けて、仕事を再開した。そのため、早くからミルクに切り替えることになったが、冬美は祖母にはよくなついていたので、母親は安心して働くことができた。

下にもう一人子供ができ、母親は一層てんてこ舞いだった。冬美は、とても聞き分けが良く、甘えん坊でやんちゃな下の妹とは対照的に、手がかからない子供だった。この子は大丈夫だと両親も安心しきっていた。小学校に上がってからも、成績優秀で、ほとんど問題らしい問題も無く、ずっと優等生だった。

ところが、高校に入って、成績が頭打ちになったころから異変が起きた。夜中に冷蔵庫の中のおかずを平らげては、トイレにこもって吐くようになったのだ。

母親が注意すると、そのうち泣きわめいたり、物に当たったりしだした。それまでの『良い子』だった冬美とは別人のようだった。母親は、ただ戸惑うだけで、一体何が起きているのか、全く分かっていなかったが、冬美は、何とも言えない空虚感を覚えるようになり、リストカットも繰り返していたのだ。

そのうち、母親にとっては、寝耳に水のようなことが起きる。ある日、母親は、警察から電話を受け、冬美が万引きをして保護されていると知らされたのだ。足がすくむようだった。警察に引き取りに行き、平謝りに謝った。連れて自宅に帰りつくと、抑えていた怒りが込み上げてきた。自分の顔に泥を塗られたようで、母親は激怒した。

冬美が家から飛び出し、踏切に飛び込もうとしたのは、その直後のことだった。

間一髪取り押さえられて大事には至らなかったが、精神科の救急を受診し、医療保護入院になった。与えられた病名は、境界性パーソナリティ障害と摂食障害だった。
【260】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 02時49分)

《P-2》


冬美の一歩手前の状態は、ごく普通の家庭で大きくなった人にも少なくない。強い自己否定と虚無感、死にたい気持ちを抱えているが、必ずと言っていいくらい、母親とのぎくしゃくした関係を抱えているのも特徴だ。

甘えたいけど甘えられず、その気持ちを、母親に当たり散らすとか、悪いことをするといった屈折した形で表していることが多い。母親としては、順調に育ってきただけに、なぜそんな風に自分で自分をダメにしてしまうのか、全く理解できない。

努力して、それなりに成果を収めてきた母親ではなおのこと、わが子の行動が解せない。ましてや、その原因の少なからぬ部分が、幼いころの関わり方から来ているとは思いもつかない。

順調にいっていた冬美が、なぜ、心のバランスを失っていったのだろう。なぜ、食べるということや、生きるという当たり前のことに違和感を覚え、自分の死を願う気持ちにとらわれるまでになってしまったのだろう。

実は、冬美自身、ずっと生きていることに違和感や安心できない気持ちを覚えていた。しかし、冬美は、そんな気持ちを抑え込み、周囲が期待する『いい子』に振る舞ってきた。勉強を頑張ることで、良い成果を出し、それで自分の価値を認められることで、どうにか心のバランスを保っていた。

そうすることを親も期待していることを知っていたし、それに応えることが、母親に認められることでもあった。だが、その路線が通用しなくなった時、急に自分を支えられなくなったのだ。

ある意味、冬美は、忍耐や能力の面で優れていたため、それが裏目に出て、ぎりぎりまで我慢し、問題を深刻なものにしたともいえる。途中まで優等生だったというケースでは、とことん消耗しきってから問題が表面化してくるので、ギャップが大きくなりがちだ。
【259】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 02時54分)

《P-3》


この数十年、女性の社会進出が進むとともに、自立した女性が増加していると言える。それとともに、母親像も大きく変化することになったのだが、それは、今まで知られていなかった新たな落とし穴を用意することにもなった。

独立独歩で、自分の意志と努力で人生を切り開いてきた母親の場合、どうしても、周囲にも同じ厳しい生き方を求めてしまいやすい。もちろん子供にも、同じ生き方を、もっと高いレベルで求めてしまう。

元来そうした役割は、父親が果たす役割であった。しかし、父親は仕事で忙しく、子供の指導どころではなかったり、離婚してそばにはいなかったりする。母親が、その役割を果たさねばならない。

強く自立した母親の姿は、ある部分では子供に安心感を与えるのだが、その強さや鋭さの矛先が子供に向かうことになると、子供としては、安全感や主体性を脅かされることとなる。

本来、安全基地として、自分を守ってくれるはずの母親が、もはや安全基地ではなくなっていく。母親が母親的というよりも、父親的な役割まで引き受けねばならない無理が、子供にもしわ寄せする。こうしたことが、普通の家庭でも起きやすくなっている。


☆『母という病』を克服する


『母という病』は、最初、自覚症状がない段階から始まる。

どんな母親であれ、子供にとっては大切な存在であり、一人しかいない唯一絶対の存在だ。子供は、それをなんら疑うことなく受け入れ、愛そうとする。愛されたいと思う。
【258】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 02時56分)

《P-4》


どんな母親も、子供にとっては太陽のような存在であり、神のような存在だった。母親の言葉や態度、考え方、行動の仕方が、まだ真っ白だった子供の心に刻み込まれていく。それは、すべて、物心つく前から生じる無自覚なプロセスだ。

誰も知らないうちに、偏りやひずみが植えつけられる。その偏りを偏りとして自覚することはなく、その偏りが、自分にとっての、世界の軸となる。

自分が暮らしてきた世界が特有の偏りやひずみを持っていることに気づくのは、ずっと後のことだ。そして、その偏りやひずみが現実と齟齬(そご)を起こし始めるのが、多くの場合は思春期や青年期からだ。

偏りが大きすぎる場合には、小学校に上がる前から問題が出てくるということもある。しかし、それも、子供は無自覚なまま、ゼンマイを巻かれたおもちゃのように、知らないうちに行動しているだけだ。自分に何が起きているかなど知る由もない。

母親との間に安定した愛着が結ばれないことが、子供のころの多動、情緒不安定、困らせ行動、反抗といった問題を生みやすくする。

もっとも、母親にすべての責任があるわけではない。母親自身、自分の愛着スタイルの偏りを自覚していないし、その愛着スタイルも、またその親から授けられたものだ。

その子の持って生まれた特性も関係している。多動や情緒不安定を引き起こしやすい遺伝子をたまたまその子が持っていて、その上に、好ましくないかかわり方が重なった時、問題がひどくなりやすい。

そうした行動上の問題が、少し年齢が上がっていったん落ち着くということも多い。その子が成長することで、自分の状況に適応する術を学んだのだ。しかし、その成長が新たな苦しみを生み出す。今まで行動として外に表していたひずみを、内側に抱え込まなければならなくなるのだ。
【257】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 03時00分)

《P-5》


思春期、青年期を迎えるころ、表面的には良い子や優等生として振る舞うことができているのだが、心の中には、しっくりしないものが積もり始める。人といても心から安心して気楽に振る舞えなかったり、プライドと現実のギャップに自己嫌悪を感じたり、自分という存在の意味を確かなものとして感じられなくなる。

生きることや自分がここにいるということ自体に、何か違和感を覚え、自信が持てず、そのくせ、傲慢に振る舞い、かと思うと、自分を貶(おとし)めるような道化を演じたりする。自分を持て余し、生きることを持て余し、何かを求めているのだが、何もかもがしっくりこない。

これが、母という病の第2楽章だとは、まだまだ多くの人は気づいていない。思春期が来たのだと片づけられるか、アイデンティティや自分探しが始まったのだと受け止められる。

もちろん、そういう側面もある。誰もが迎える大人になり自立に向かおうとするステップだ。ただ、母という病を抱えた人にとって、それはより困難で険しく長い道のりとなる。青年期が終わってもなお未解決な課題を引きずりやすい。

しかし、それが母という病に由来することに、誰もが気付いているわけではない。母という病を抱えながら、それを自覚しないままに中年期、初老期に達する人もいる。

その意味で、母という病を自覚したとき、すでにその人は、次の第3楽章に入ったともいえるだろう。母という病の自覚は、ある意味、新たな苦しみの始まりでもあるが、それは回復への第一歩なのだ。

自分の抱えている偏りが、母親の偏りや母親との関係に由来するということを悟ることが、母という病から回復するためには、欠くべからざる段階だ。もし、今がその時だとすれば、今味わっている様々な苦しさや混乱した思いは、必要なものなのだ。
【256】

RE:嵌張大好き(カンチャンだいす...  評価

環八 (2014年05月27日 02時46分)

《P-6》


それが早く来ようと遅く来ようと、本当の意味で青年期を終わらせ、心の自立を成し遂げるためには、自分の中の母という病に向かい合うことが必要なのだ。


まだはっきりと自覚されないうちは、何かしら違和感や反発はあったとしても、うちの親はこういうものだと、それをあえて疑問視することもなく、丸呑みしている。濁った臭い空気でも、それを毎日吸っている者には、それが特別なことには思えない。小さいころからずっと吸っていれば、なおさらだ。

しかし、青年期になり、少しずつ社会に出て外の空気を吸うようになると、自分の家の空気の『臭さ』に気がつくようになる。ずっと当たり前と思っていた母親の考え方や言葉、行動の偏りに気がつくようになる。

自分自身が置かれた境遇というものを、相対的なものとして眺め始める。自分が受けてきた扱いや親から言われ続けてきた言葉が、別の角度から光を当てられ、別の陰影を持って浮かび上がり始める。「うちは、おかしい」と思うようになる。

それは、また、親に対する批判や反抗の始まりでもある。親の言葉や行動の矛盾が目につき始め、そのことに黙っていられなくなる。これまで黙って従っていた親の指図や説教に対しても、疑問や反発を感じるようになる。これはとても自然な自立のプロセスだ。

ところが、母という病を抱えた人では、親に対する反抗や反発が抑えられてしまう。外で、さんざん悪さをしているようなケースでさえ、そうだ。母親と面と向かうと、逆らえず、言いなりになってしまう。母親の機嫌をつい伺ってしまう。ましてや、良い子で、母親を喜ばすことを生きがいに頑張ってきたような子供の場合、母親に反抗の狼煙(のろし)を上げることなど、恐ろしくて考えることもできない。
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