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【134】

RE:仁義の墓場  評価

こぱんだ (2014年05月03日 20時37分)

  代
   表
   ぉ
    ぉ
    ぉ
   ! !    /
ヽ\   /
  ゜●  ● 旦~~
。(>Д<)っ 
゜(つ  / ゜。
  | (⌒)`
  し,⌒               ドダドダ!!


お疲れ様です!   ほ、ほ、ほうじ茶ぁああー!   どうぞ(^^)

プレミアムですね♪

ふた息いれて下さいです!
reoちゃんに乗っかり♪reoちゃんお許しを♪




のほ代表ー!こんばんは。元気にしてますか(^^)

私は、最近ピワドに書き込む気力が低下してまして。。。
少し、へばり気味なのですが…
でも!今日は墓場に遊びに来ました(^^)

少ししたら…いつもの調子に戻ると思うので。。。
そしたら、軍曹にもお茶かけたり出来るかな(^^)



代表ぉーーー!スゴイですね。。
いえ、血とかドンパチとか…正直言いますと
ちょっと苦手なので(^^)アレですけど…
応援してます!!!

フレーフレー☆のほ幹事長ーッ


あ!そうそう。。
前にチラッと見たんですけど…
虹ちゃんのピストルも凄かったですね〜
驚きましたよ(^^)



ではでは!この辺で。。。
レスなどは、お気遣いなくです(^^)



パッチンさん、編集長だったんですねー♪


失礼しました☆
【133】

皆さんこんばんは  評価

パチンシュタイン (2014年04月30日 23時52分)

OLG出版社のパッチンです(キリッ)

>のほ幹事長…じゃなくて野歩the犬さん
こちらのお部屋は女性ファンが多いですね(羨)

>資料の検証に
>つ、疲れるぅぅぅぅ・・・・
立証するのに資料を調査されたんでしょうね。
大変だったでしょう、執筆活動お疲れ様です。
もう少し官能的であれば、「赤タガワ賞」受賞間違い無しでしたね^^;

次回の原稿はいつ出来るのでしょうか!?
締切遅れないで下さいね(ウソです)
体調第一です、ゆっくりして下さい。

皆さんでは、仁義りんちょ♪
【132】

RE:仁義の墓場  評価

reochan (2014年04月30日 23時33分)


お疲れ〜



お茶でも入れますね

  ∧_∧
 (´・ω・) _。_ トポトポ
 / つ つc(__ア,,
 しーJ    旦~


一息入れんさい♪
【131】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月30日 17時07分)

【流血のバランス】

昭和五十年九月
「ジュテーム事件」から一月あまりがたったころ
山口組三代目・田岡一雄は佐々木組、佐々木道雄組長をつかまえて
「ゴルフばっかり、やっとってええんか」
という含蓄の深い言葉をかけた、という情報が兵庫県警に入った。


兵庫県警は大日本正義団、吉田芳弘会長射殺事件をうけ、
この首領(ドン)の言葉や幹部連中の叱責を殺人教唆にならないか、と検討したが
実質を確定できないことや、
仮に確定できても
「ゴルフばっかり、やっとってええんか」
というひと言だけではどうにもならない、
とサジを投げた。

それどころではなく、佐々木組による吉田芳弘会長射殺がはっきりし、
関係者を逮捕しても警察の手はついに佐々木組長に及ぶことはなかった。

逮捕された者たちはこの社会の掟通り、
組長の指示によるものではないと頑として
否認したのである。

いずれにしろ「ジュテーム事件」から一年二ヶ月後に報復は決行された。

山口組内部の反応はさまざまだったが
「これで五分五分だ」というのが大方の見方だった。

つまり、これまでの山口組側の損害、死者四、重傷一と
大日本正義団、吉田芳弘会長の死は
その重みにおいて匹敵するという意味であった。

「背中からではなく、せめて正面から撃てなかったか」という声もあったが
これは、傍観者の言葉であり、この事自体が山口組にとって
「他人事」という空気のあった証拠でもあった。

松田組はこの報復に当然のことながら激昂した。

事件三日後の十月六日、
吉田芳弘会長の遺体は平野区の火葬場で荼毘に付された。

大阪府警の情報では大日本正義団組員は
会長の遺骨をしゃぶって報復を誓ったという。

翌七日、再三の大阪府警の中止勧告を無視して
松田組は吉田芳弘の組葬を西成区の「太子ホテル」で強行した。

広島、九州などから反山口組の組員七百人が集まった。

大阪府警は新大阪駅や大阪国際空港で検問を実施、
さらに会場前では機動隊が出動して、参列者のボディチェックを行った。

「何するんか、なんも持っちょらん!」

「なんや、はよ、通さんかい!」

バスから降りようとする黒い一団に
西成署の指揮官がハンドスピーカーで
「一人もおろすな!とじこめろ!」
と命令、警官隊がバスの出口に殺到するとついに乱闘が始まった。

抗争事件の真っ只中での組葬は単に殺された者を弔うだけでなく
報復への「鬨(とき)の声」に似ている。

また、参列の友誼団体からは多額の香典が集まる。
いわば、戦争のための軍資金集めでもある。

警察が躍起になって組葬を中止させようとするのは、そのためでもある。

山口組側からみれば、大日本正義団、吉田芳弘会長を射殺したことによって
ようやく相討ちとなった。流血のバランスはとれたのである。

当然、仲裁人が出てきて、山口組と松田組に和解が打診された。

松田組の答えは「ノー」であった。

いぜんとして山口組が松田組、樫忠義組長の謝罪を
要求したからだといわれている。


和解は成立せず、山口組と松田組は睨みあったまま、
しばらくの時をおくるのである。


―――――――――――――――――ー


◆前半終了・・・・

       書くんじゃ、なかった・・・・・・

 資料の検証に
        つ、疲れるぅぅぅぅ・・・・


書き溜めも底をついたので
               しばし、休筆します。


のほ
【130】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月29日 11時32分)

【大日本正義団】

こうした時に大阪キタに進出して金ヅルをつかもうとした
佐々木組系徳元組が松田組系の溝口組と衝突を起こし、
山菱の代紋をひけらかした徳元組に対して
溝口組は萎縮するどころか、猛烈な反撃にでた。

溝口組が徳元組に対して完膚なきまでの攻撃を引き起こした裏には
「山口組なにするものぞ」といった軽侮の念すら、感じられた。

それだけ、山口組の内部不統一はこの社会で知れ渡っていた。

だからこそ、松田組は大反撃に出たのである。

松田組は賭博一本でメシを食ってきた博徒組織としては「名門」であり
先代の松田重義は各地の親分衆と盃を交わしたこの稼業の重鎮でもあった。

松田重義は山口組のような膨張主義はとらずに
松田組モンロー主義を守ってきた男だったが、
昭和四十二年に引退、跡目を樫忠義が継いだ。

ここにきて、二代目・松田組もピラミッド体制をとりはじめ
傘下に村田組、溝口組、石田組、瀬田組など七組があり
村田組傘下に大日本正義団などの三次団体があって、
これらを加えると松田組は傘下二十団体、三百人となる。

大阪府警捜査四課は「これではマンモスと狼の戦いだ」と評した。

では、なぜ松田組はマンモスに戦いを挑んだのか。

繰り返すようだが、ヤクザは暴力を売り物としている。
相手の暴力の前で手も足もでないとなれば、
売り物なしのお手上げとなり
組織の存亡にかかわってしまう。

だから、どんな強力な相手であれ、
目には目を、歯には歯を、
で対抗しなければならない。

しかも相手の山口組は近頃、少しおかしい。
内輪もめばかりしている。

「山菱なんか、見かけ倒しだ!」というのが
当時のヤクザ社会でもちきりの話だった。

これが松田組の戦意をかきたてたのだろう

とりわけ、松田組には大日本正義団という戦力があった。

大日本正義団は昭和四十四年、吉田芳弘によって結成された。

吉田芳弘は元々松田組内、村田組の若頭であった。

一時、松田組の後継候補にも挙がったことがある実力者だったが
松田組二代目を樫忠義が就任すると、自ら大日本正義団を結成した。

吉田芳弘は賭博一本の松田組の方針には不満で、
自分が組を持つと西成を徘徊しているチンピラを片っ端から誘い込み
覚せい剤、売春、競輪、競馬のノミ行為、債権取立て、
あらゆる黒い勢力に手を広げた。

西成は暴力団事務所がひしめく無法地帯である。

その中で黒いダボシャツ、坊主頭の大日本正義団組員は
刺青をはだけて闊歩した。

暴力団とて、スーツを着て礼儀正しい言葉遣いで市民生活に溶け込み
資金源も企業舎弟や倒産整理などに知能化しつつある時に
大日本正義団は愚連隊への逆戻りの感があった。

もともと、喧嘩が三度のメシより好きというチンピラたちを集めた急拵えの組織だったから、このルーズさは仕方なかった。

しかし、彼らはほかの組織との
ドッグファイトでは負けたことがない乱暴者ぞろいだったから、
西成の暴力団も大日本正義団には一目おいて
松田組内部における吉田芳弘の地位は
三次団体の組長にもかかわらず
傘下各組の組長を凌駕せんばかりとなった。

「ジュテーム事件」後、松田組の当面の相手は
徳元組の上部団体、佐々木組だった。

いわば、松田組の大局観は局地戦であり、
その先頭に立っていたのが
大日本正義団だったのだ。
【129】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月29日 11時29分)

【潮流と苦悩】

山口組系ということであれば一万一千人はたしかに山口組系組員であるが
純然たる山口組組員を名乗れるのは田岡一雄一人にすぎない。

いってみれば山口組とは田岡一雄経営するフランチャイズチェーンであり
その組織は多角的安全保障のネットワークであった。

反山口組の組織にとって、山口組の脅威とはチェーンの一店と戦争となれば
連鎖反応的に山口組の全加盟店を敵に回すという「大量動員」に対する恐怖であった。

昭和三十年代、山口組三代目・田岡一雄は
神戸港船内荷役を牛耳る
全国港湾荷役振興会と神戸芸能社という二本の巨大な資金源を獲得していた。

田岡一雄は傘下各組が各地に遠征する費用として
この莫大な資金を惜しみなく投じた。

この資金力こそが、
山口組の全国制覇への原動力だった。

だが、警察庁の第一次頂上作戦で兵庫県警は
この二つの資金源に迫り
これを山口組から断ち切ることに成功した。

さらにこの時期、三代目・田岡一雄は心筋梗塞で
長期入院を余儀なくされていた。

「もう、一息で山口組を潰せる」

警察庁、兵庫県警は固唾をのんで彼らの動向をうかがった。

しかし、山口組は潰れなかった。

その理由は先に述べたように山口組という組織の特異性にあった。

それが偽装にせよ、首都暴力団は警察の猛攻の前に次々と解散を声明し、
神戸でも山口組と並ぶ古豪・本多会は解体した。

しかし、山口組だけは絶対に解散を宣言しなかった。

病床にあろうとも山口組とは田岡一雄、たった一人のものだからである。

兵庫県警、大阪府警をはじめ全国の警察が山口組系各組を追い詰めて解散させた例はいくらでもある。

だが、結果として山口組解体には少しもつながらなかった。

山口組とは多節足動物であった。
五百本の足があれば、傘下の五十や六十の団体が解散したところで
山口組は平気で歩いていけるのである。

田岡一雄が「解散」を宣言しないかぎり、
たとえ行動不能に陥ろうとも「山口組」の名は残る。
こうして山口組は生き残った。

だが、さすがに山口組の体質は変わっていた。

往時の資金力は失せ、財政を支えるためには、傘下の組織から償還のない負債が割り当てられるようになった。
つまり「上納金」である。

高度経済成長期には山口組傘下団体もそのおこぼれにあずかって収入増を続けていたため、
しのいでいられたが、山健組・山本健一組長が若頭に就任した直後に日本はオイルショック不況に陥った。

これはヤクザ社会においても大きな打撃であった。

組の財政を預かる山本健一が
山口組フランチャイズを維持するために金集めに
口やかましくなったことは、これはもう、当然というしかなかった。

しかも彼の若頭就任が五対四という際どい支持であったとすれば
山口組の運営がギスギスとしたものになったことは十分に想像がつく。

このころから山口組傘下団体がほうぼうで
他の組織との摩擦が多くなり
時には同士討ちまで引き起こしたのは、
山本健一若頭の強引な政策の結果というより、
各組とも不況のあおりで収入が激減し、
他の縄張りに侵入せざるを得なくなっていたからだった。
【128】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月29日 11時26分)

【山口組の構造】

大日本正義団吉田芳弘会長射殺は暴力団の本質をあますところなく世間に暴露した事件となった。

ここまでの「大阪抗争」をおさらいしてみると次のようになる。

まず、徳元組組員に賭場を荒らされた溝口組が豊中の喫茶店「ジュテーム」で
徳元組組員三人を射殺したことから戦争は始まった。

賭場を荒らされるということは、
縄張りを侵されることであり
ヤクザ社会の典型的な抗争パターンである。

小さな組同士の紛争ならいざ知らず、
この徳元組にも溝口組にも上部団体があった。

徳元組の上部は佐々木組であり、
さらにその上には山口組である。

いっぽう溝口組は松田組傘下である。

この下部組織同士の紛争で仲直りは成立しなかった。

それどころか、交渉が決裂すると
山口組側は溝口組の上部団体、
松田組組長・樫忠義の自宅を銃撃した。

松田組側は即座に反撃し、
神戸の山口組本部事務所に銃口をむけた。

つまり、子供の喧嘩を親が買ったことになった。

もっとも、これは理由のないことではない。

山口組というのは当時傘下五百団体、
構成員一万一千人であった。

これを単純計算してみると
山口組を構成する一団体当たりの組員は二十二人となる。
なかには七、八十人を擁する組もあれば、
逆に七、八人という組だってあるのだ。

これらの組が親、子、孫といった上下関係、
いわばピラミッドの従属関係を結んでいるのが山口組の実態であった。

このピラミッドの頂点に立つのが
首領(ドン)の田岡一雄であり、
その下に若頭、九人の若頭補佐がいて
最高幹部会を開き、
組の運営や統制を行う。

さらに幹部ではないが、ほかに田岡一雄の直系の子分が約七十人いる。

これらの子分たちは若頭の山本健一が山健組組長であるように、
それぞれが自前の組の組長である。

奇妙なことだが、こういう観点に立てば、
山口組とはたった一人になってしまう。

つまりは首領(ドン)田岡一雄組長だけなのだ。
【127】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月29日 11時26分)

【密 告】

大阪府警捜査四課はただちに捜査を開始した。

瞬時の出来事とはいえ、白昼、繁華街が舞台であり、目撃者は多かった。
クルマで移動していた吉田芳弘会長を待ち伏せしていたのだから、
襲撃した男たちもクルマを使っていたに違いなかった。

現場周辺の不審車の徹底した聞き込みによって、犯行の二十分前、
現場付近に「福島ナンバー」のクルマが停まり、
後部座席から二人の男が降りていたことが判明した。

さすがにナンバープレートまでは判明しなかったが、
捜査本部は「これはレンタカーに違いない」とにらんだ。

捜査員たちは大阪のレンタカー会社をシラミつぶしに洗った。

その結果、大阪市東区東和町の日産観光大阪支社に「福島55れ・413」という
ナンバーのチェリー・セダンのレンタカーがあることが判った。

さらにこのチェリーを借りた男は山口組系佐々木組の組員だとわかった。

まさにドンピシャであった。

この組員は犯行前日の十月二日に借り、四日には別人が返している。
しかも、この男は九月二十八日にも同じように借りていた。

捜査四課は執拗にこの男を内偵した。

これだけでは逮捕できないからである。
すると、男が八月末に改造拳銃をちらつかせたことをつかみ、
十一月十四日、拳銃不法所持の容疑で逮捕した。

いわゆる別件逮捕である。

これとは別に密告情報もあった。

事件の二週間後の十月十六日昼すぎ、捜査本部の電話が鳴った。

「おい、日本橋で吉田を撃ったやつを教えたろか」
というダミ声の男だった。

「あれはな、佐々木組の中の入江組と片岡組の二人組や。
一人は大阪の極道やが、もう一人は奄美大島の出身のやっちゃ」

さらに二日後には同じ声で
「警察はぼやぼやしとるな。もうちょい、くわしいはなし、したろか。
 一人の男の名前は北中ちゅうんじゃ」
と、名指しまでしてきた。

佐々木組系入江組にはたしかに北中政美という男がいた。

捜査四課はこの男が三年前に堺市で知人を殴り、三日間のケガをさせた事実をつかみ、逮捕状をとった。これも別件容疑である。

十一月十八日、北中正美は潜伏先の高松市内で逮捕された。

現在では事件の全容は以下のように判明している。

「ジュテーム事件」以来、一周忌が過ぎても
佐々木組になんの動きもないので
九月五日の山口組定例幹部会で佐々木組長は、
若頭・山本健一らから
「それで、極道といえるか」と罵られた。

このあたりから、松田組系大日本正義団の吉田芳弘会長に的を絞った報復計画が練られた、というのだ。

四人の男が襲撃班に選ばれ、一人が指揮兼見届け役、一人が襲撃車の運転、
二人がヒットマンとなり、スミス&ウェッソン38口径拳銃二丁が渡された。

六甲山中で試射訓練が行われ、メンバーは九月中旬から吉田芳弘会長の行動を監視し、十月三日、ついに射殺に成功した。

ヤクザ社会は「鉄の団結」などというが、実態はまさに絵空事である。

襲撃班は犯行を密告され、
最期は潜伏先までも事情通によって
警察にさされたのであった。
【126】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月26日 11時09分)

【報 復】

山口組の「不戦宣言」から丸一年。

昭和五十一年十月三日、日曜日の大阪は秋晴れだった。

松田組系大日本正義団会長の吉田芳弘は
韓国人女性ら三人を市内見物のために案内していた。

護衛の運転する黒塗りのクラウンで
吉田芳弘は午前十時に西成区の愛人宅を出て、
三人と落ち合い、十一時にミナミのふぐ料理店で昼食をとった。

午後零時五十分、
吉田は浪速区日本橋の「やまと無線」前でクラウンを停めさせ、
お土産として電気シェーバー三個と
ホットカーラー一個、計二万七千円の買い物をした。

買い物を済ませた吉田がクラウンに連れの客たちを乗せようとドアの横に立ち、
手をあげたとき、二人の男が近づいた。

午後一時十五分ごろであった。

実は吉田芳弘ら五人が「やまと無線」に入ったころ、
この二人の男は左隣の電器店の入り口に立っていた。

「何かお探しですか?」

女性店員が出てきて、彼らに声をかけたが、
男たちは振り向きもしなかった。
店員二人は顔を見合わせて奥に引っ込んだが、
男たちはそこから立ち去らなかった。

あきらかに彼らは吉田芳弘を待ち伏せしていたのだ。

一人は茶色のジャンパー、
一人はハイネックのセーターに紺色のジャケット

二人は無言で吉田芳弘会長の背後、
三メートルにしのび寄ると、
同時に拳銃を引き抜き、計五発を連続発射した。

拳銃弾五発は吉田芳弘の背中、腰に全弾が命中、
うち二弾は胸部を貫通した。

吉田芳弘は歩道の縁石をまたぐようにあおむけに倒れた。

日曜日、買い物客でにぎわう商店街のど真ん中で起こった射殺劇に人々は悲鳴をあげて逃げまどった。

確実に吉田芳弘が倒れたのを見たとたん、
二人の狙撃手は商店街の中を走って逃げ出した。

吉田会長の護衛役だった西辻秀和は、
ブローニング22口径拳銃をとりだし追跡した。

男たちは商店街から左へ折れた。

俊足の西辻は距離、数メートルまで近づき、
走りながら拳銃一発を撃ったが命中せず、
流れ弾は駐車中のクルマに穴を開けた。

人々を押しのけるように彼らは走っていたから、
巻き添えの犠牲者がでなかったのは奇跡に近い。

二人の男はさらに二十メートル先の「佐久間病院」前で左右にわかれた。

西辻秀和は左に逃げた男を追い、
続けざまに発砲したが当たらず、
それらの流れ弾は三十メートル先のビル三階の窓ガラスを破った。

護衛の西辻秀和はついに吉田芳弘会長を狙撃した男たちを見失ってしまった。

吉田芳弘はパトカーで西区の救急病院に運ばれたが、
十五分後に出血多量で死んだ。

ほぼ、即死に近い状態だった。
【125】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年04月26日 11時00分)

【迷 走】

九月五日、大阪で開かれた西日本管区警察局長会議に出席した浅沼清太郎警察庁長官は
第三次暴力団頂上作戦を号令した。

「白昼、暴力団組員が市街地で発砲するなどは法秩序への挑戦である。
 三十年代後半、四十年代半ばに続いて
今回を第三次とする頂上作戦を全国的に実施、
幹部級の検挙、資金源の取り締まりに全力を挙げる」

会見が開かれるや、
山口組三代目、田岡一雄の反応は素早かった。

兵庫県警情報によるとこの日の午後
、山口組本部事務所で若頭・山本健一以下
直系組長七十人が参集して、幹部会が開かれた。

席上、山本健一は「今後、山口組側からいっさいの抗争をしかけてはならない。
また、一連の松田組との抗争の報復をしてはならない」と通達した。

田岡一雄は出席しなかったので、山本健一は
「これは田岡組長の意思である」と、
改めて首領(ドン)の決定であることを断り
この「不戦宣言」を代理伝達した格好となった。

山口組は傘下約五百団体、一万一千人
松田組は二十団体、三百人。

まるでマンモスと狼が闘っているにもかかわらず、
実際の戦闘は対等どころか損害では
死者四と山口組側の方が大きい。

往年の山口組の破壊力はどこへいってしまったのか。

さらに、ここにきての一方的な「不戦宣言」はなにを意味するのか。

兵庫、大阪の両警察はこの情報を慎重に分析した。

すると山口組内部で一つの見方が生まれていることが分かった。

それは警察の徹底した封鎖によって
一日に百万以上の水揚げがあった松田組の十数か所の賭場は開けなくなっており、
彼らの資金はいまや枯渇している、というのだ。

なるほど、これでは無駄な流血をせずとも
放っておけば、松田組は自ら潰れる、
という結論である。

九月五日の山口組の「不戦宣言」はこうした状況を踏まえてのうえのことだ、
というのが警察の観測だった。

だが、十月に入ると兵庫県警は意外な情報を入手した。

「松田組を放っておくとはなにごとか。山口組は四人の犠牲まで出したんだ
 なんとしても、報復しなければ、山菱の威光にかかわる」

タカ派の発言が強くなり、
幹部百人から一人百万、合計一億円の軍資金を
集め、同時に三十組から召集した戦闘団が準備された、というのである。

そうなると先の「不戦宣言」という情報はウソなのか。

いったい、山口組は戦争をする気があるのか、
ないのか。曖昧となってきた。

実はこのとき、山口内部である「粛清人事」が行われていたのである。

若頭補佐であった穏健派の菅谷政雄が松田組といつまでも争う愚を説き、自ら和解工作に奔走したが、実を結ばなかった。

主流の強硬派、若頭・山本健一はこれを「組の決定なしで独断専行した」との理由づけで、
菅谷政雄を若頭補佐から若衆に降格した。

首領(ドン)田岡一雄は長期入院中であり、
ポスト田岡の思惑を巡り、
内部の権力構造は極めて流動的であった。

つまり、よそと戦争するまえに内なる戦いが優先されていた、というのが
「不戦宣言」の一面でもあったのだ。
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