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【6340】 | RE:1パチ・2パチで楽しもう♪ カンパチ (2013年08月23日 10時07分) |
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長文の労作をありがとうございます。 >>しかし、仏様の「子」としてしまっているのは、人間を、一個の確立した人格とは捉えていないように感じます。 >それは一つの人格として捉えて貰って良いと思いますが。 『子』というのを仏教で、どういう意味で使っているか、が気になります。キリスト教では『神の子』といった場合、確か、イエスのみを指していて、信徒を『子』とは言わないと思います。「子」という言葉には、『保護されている』というニュアンスを感じるので、人間扱いされてるのかな、という気はします。あまり、気にしないことにしましょう。 >仏性とは、暖かい心、思いやりの心、やさしい心、つまり仏の本性であって、誰にでも(同じように)本来は備わっているものなのです。 典型的な、性善説ですね。人間の性質を本来は、『悪』と捉えるか、『善』と捉えるかで、人間観は違ってきます。 これは、前にも、チラッと紹介して、軽く受け流されてしまった本に書いてあったことなのですが(著者は精神医学者です)、ちょっと、面白い考え方なので、書いてみますね。読んでるうちに、だんだん気分が悪くなるかもしれないので、気をつけてください。 ≪悪の問題は、善の問題と切り離して考えることがまず不可能なものである。 この世に善がなければ、われわれは悪の問題を考えることすらしないはずである。私はこれまで、『この世になぜ悪があるのか』と言った質問を患者や知人から受けたことが何度かある。ところが、『この世になぜ善があるのか』と言う質問を発した人はこれまでいない。これは奇妙なことである。 あたかもわれわれは、この世は本来的に善の世界であって、何らかの原因によって悪に汚染されているのだ、と言う前提に立って考えているかのようである。しかし、われわれの持っている科学的知識を基にして考えるならば、実際には悪を説明する方が善を説明するよりも容易である。 (下に続く) |
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【6341】 |
笑夏’ (2013年08月23日 18時43分) |
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これは 【6340】 に対する返信です。 | |||
カンパチさん、こんばんは^ ^ 長文レス、ありがとうございます。 時間がある時に、ゆっくり読ませて貰いますね。 また、後ほどじっくりレスさせて頂きます。 |
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