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【6337】 | RE:1パチ・2パチで楽しもう♪ カンパチ (2013年08月23日 10時05分) |
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(上からの続き) しかし、科学以前の人間社会には、直接死を予感させるような現象が沢山ありました。例えば、雷です。現代人は、雷の正体が電気だということを知っていますから、雷が鳴ったからって、『死の恐怖』を感じることはありませんが、昔の人にとっては、それは、まさに『神の怒り』であり、死を予感させるものでした。そりゃもう、怖いものでした。おびえきったことと思います。 雷だけではなく、伝染病(疫病)とか、支配者による恒常的な圧力(いつ切り殺されるか分らない。「切り捨てゴメン」とか)など、日常的に、瞬間瞬間に人々にストレスを与えるものは、数知れませんでした。 人間は、ストレスを感じると、血管が収縮し、多種類のホルモンが放出され、肉体が、異常な状態になります。戦闘状態、というか、張り詰めた状態、というか。それが一時的なものであれば、そう気にすることはありませんが、日常的に、いつでも引き起こされるとなると、話は別です。すぐに病気になっちゃいます。 ほとんどの宗教が、『平穏であるにはどういう心持でいるべきか』を説いているのは、一言で言えば、ストレスからの解放を目指している、と言えるのではないか、と思います。 >>いろんなお役だとか、当番活動(清掃、食事作り等)、勉強会、法座、説法、功徳の発表、行事、募金活動、ボランティア活動、研修、冬期の早朝供養、祈願供養(会員さんが病気や怪我等に遭われた時等、皆で自主的に行う)学童や青年部等の練成活動、講演会、手取り(布教)等いろんな活動があります。これは、みんなが仲良く平和に暮らせる為の活動です。 お寺が、こんな活動をしてるというのはほとんど知りませんでした。普通、お坊さんを見るのは、葬式の時だけですもんね。こういう社会活動をしているお寺というのは、どのくらいあるんでしょうね。地元にあれば、話くらいは聞きに行ってもいいかな、と思います。 >>本当は、良い行いは隠れて行う方が良いみたいです。私が良い事をやったっていう事により、徳が減ってしまうらしいです。 昔は、それが奥ゆかしくてよかったかもしれませんが、現代においては、ほとんどの人が、葬式仏教のイメージしか持ってないので、お寺が社会活動をやっていることをアピールした方がよさそうに思います。現に、僕は知りませんでしたから。 >>やはり慈悲心を持って周りの人と支え合う事だと思います。 日本人には、『恥』の意識が強いので、人様に迷惑を掛けちゃいかん、と思い込み、悩みや問題をひとりで解決しようとして失敗し、心を病んだり、自殺したりしがちです。『支えあうことが大事だ』とはよく言われるのですが、とりあえず、どうすれば支えてもらえるのか分らん、というのが、日本人社会の根深い問題じゃないか、と思います。 長々とお付き合いいただき、ありがとうございます。 笑夏’ さんのおかげで、自分なりに、問題点を明確にできてよかったと思います。 |
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【6344】 |
笑夏’ (2013年08月24日 11時36分) |
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これは 【6337】 に対する返信です。 | |||
>これは、『親の愛に著しい欠陥があるときは、子供は、その原因が自分自身にあると考えて反応する可能性が極めて高く、そのため、非現実 的なまでに否定的な自己像を身につけるようになる』と言う子供の発達の一般法則として語ることができる。≫ これは確かによく言われる事ですよね。 でも、逆にそれを乗り越えて強くなり、自分はその親のようにはならないように反面教師として捉えて、努力された結果 自分自身を肯定出来るようになれた方もいるようです。 ある芸人の方がそうと知って、ものすごく驚いたのですが、その方にそんな過去があったとは全く見せないような明るい方です。 そうとうな苦労があったんだなぁって思いました。 >性善説の考えに立って、社会貢献してる人の間にいると、確かに、希望が持てるし、心地よいものだと思います。ただ、前のレスにも書いたように、児童虐待、リストカットといった精神病理学的な問題は、性善説の考え方からは、解決の糸口は見えてこないんじゃないか、と思います。 そうは思わないです。 未然に相談出来る人がいれば、そういった問題が防げる事もあるかと。 実際に説法や法座でもそういった話もよく聞いたり、毎月の冊子なんかにもそういった事から立ち直った方の話等がよく書かれています。 >今風に言えば、ストレスを感じない状態、ということになりましょうか。 ストレスはある程度は必要だと思います。ストレスに対抗する事が出来るという事なのです。 感じなくなってしまうのは、逆にいろんな面で悪影響があるかと思います。 >ほとんどの宗教が、『平穏であるにはどういう心持でいるべきか』を説いているのは、一言で言えば、ストレスからの解放を目指している、と言えるのではないか、と思います。 解放まではいかなくても、それにどう対処していけばいいかという、生きるヒントみたいな事を教えて下さります。 自分勝手な捉え方ではなく、どのように捉えるかによって、良い方に転じていく事が出来るという事をです。 要は、自分の捉え方次第で、同じ状況でも幸せにも不幸にもなりうるのです。 >お寺が、こんな活動をしてるというのはほとんど知りませんでした。普通、お坊さんを見るのは、葬式の時だけですもんね。こういう社会活動をしているお寺というのは、どのくらいあるんでしょうね。地元にあれば、話くらいは聞きに行ってもいいかな、と思います。 お寺ではありません^ ^; 海外にも支部がある大きな団体で、本部は東京にあります。 毎年本部に団参があり、7月に参加させて頂いています。 カンパチさんの地域にもたぶんあると思いますよ。興味があるようであれば、お教えしますけど。 >日本人には、『恥』の意識が強いので、人様に迷惑を掛けちゃいかん、と思い込み、悩みや問題をひとりで解決しようとして失敗し、心を病んだり、自殺したりしがちです。『支えあうことが大事だ』とはよく言われるのですが、とりあえず、どうすれば支えてもらえるのか分らん、というのが、日本人社会の根深い問題じゃないか、と思います。 そうですよね。 いじめの問題でも、本人が誰にも相談出来ずに抱え込み、周りの人が気付かず自殺するケースも多いですよね。 相談出来る人がいるという事が大事です。 そういった方を救うために、手取りの活動を行っています。私はまだ行った事はないですけどね^ ^; これからは私も救う側になりたいと思っています。 完璧な人ではなくても、話を聞いて相手の気持ちに寄り添う事が大事だそうです。 それならきっと誰にでも出来る事だと思います。 |
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