| ■ 148件の投稿があります。 | 【トピック終了】 |
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| 【148】 |
初代メドゥーサ (2026年03月09日 03時01分) |
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3月23日 月とプレアデス星団の接近 細い三日月が 夜空で明るく輝くプレアデス星団(すばる)のそばを通過する 日没後1時間から1時間半ほど 薄明りの西の空を見てみよう 日没後すぐには 西の空の地平線の上に明るい金星も見える 3月26日 月と木星の接近 3月26日の夜 ふたご座で木星と月が接近する 日没の直後には天頂付近にあり 真夜中過ぎに沈むまで ずっと並んだまま移動していく 日没後すぐの時間なら 地平線の近くに 沈みゆく金星を見ることもできる |
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| 【147】 |
初代メドゥーサ (2026年03月03日 23時17分) |
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テミスは「正義の女神」と見なされることが多いが 近代・現代的な意味での「正義」とは異なっている むしろ 古代ギリシア語で正義に該当する神は ディケー女神である ギリシア神話においては ティーターンとオリュンポス神の戦いの後 敗れたティーターンは主要な神の地位を失い 神話においても多くの神が言及されなくなり また地位が低下している オリュンポスの時代になって、なおその地位と威勢を変わりなく維持した神はテミスだけである |
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| 【146】 |
初代メドゥーサ (2026年03月03日 23時17分) |
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ヘーシオドスの『神統記』によると メーティスに次いで ゼウスは二番目の妻としてテミスを娶り 二人のあいだには、エウノミアー(秩序) ディケー(正義) エイレーネー(平和)のホーラーの三女神が生まれた 更に クロートー ラケシス アトロポスのモイライの三女神が生まれた ヘーラクレースの第11番目の課題は ヘスペリデースの黄金の林檎を獲得することであった アポロドーロスによると ヘスペリデースの園を知る海神ネーレウスの居場所をヘーラクレースに教えたニュンペーたちは ゼウスとテミスの間の娘であった またアイスキュロスによれば プロメーテウスはテミスの子である |
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| 【145】 |
初代メドゥーサ (2026年03月03日 23時16分) |
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ポーキスの南岸 パルナッソス山の南麓にはデルポイの神託所があった この神託所は 歴史時代にあってはアポローンのもので ピューティアーと呼ばれる巫女が神託を授けていた デルポイは往古 ピュートーと呼ばれ そこにはゲー(ガイア)の託宣所があり 竜のピュートーンがガイアの代理としてその地を支配していた アポローンはピュートーンを倒し 神託所を自分のものとした ここよりピュートーはアポローンの聖地となった 一説に これを記念して ピューティア大祭がデルポイで開催されることとなる 他方 ピュートーに神託所を持っていたのはテミスであるとする伝説も古くからあった テミスは予言の術に秀で アポローンに予言の術を教えた アポローンはこうして 後にデルポイに彼の神託所を持つことになる |
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| 【144】 |
初代メドゥーサ (2026年03月03日 23時16分) |
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ゼウスは「青銅の時代」の人間たちが暴乱の様をつのらせたのを知り 大洪水を起こして彼らを滅ぼす計画を立てた こうしてほとんどすべての人間は滅ぼされたが プロメーテウスの息子デウカリオーンとその妻ピュラーは 大洪水の起こることをあらかじめに父より教えられていたので 箱船を造り洪水の難を逃れた 人間が滅び 一組の正しい男女だけが生き延びたことを知ったゼウスは 大洪水を終焉させる 二人が乗った箱船は 九日九夜 水の上を彷徨った後 パルナッソスの二つの高峰近くに止まった 天候の回復を知ったデウカリオーンは船より降り ゼウスに犠牲を献げ デルポイに託宣所を持っていたテミスにも感謝の祈りを捧げた 二人は人間がすべて滅び消えたことを知り テミスに祈って 人間の種族を再び回復させる方法を尋ねた テミスは二人の問いに答え 「爾らの大いなる母の骨を歩を進めつつ背後に投げよ」と教えた 二人は 地上の岩の塊(大いなる母の骨)を歩みつつ背後に投げるとそこから新しい人間の種族が生まれ出た |
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| 【143】 |
初代メドゥーサ (2026年03月03日 23時15分) |
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テミスはローマ神話においてはユースティティア女神に対応するとされる 近代・現代において 秤を手に持ち 司法における法と正義の象徴として像に表現されるのは テミスではなくローマ神話のユースティティアである 彼女は正義の女神として 欧米においては司法の象徴ともなっている |
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| 【141】 |
初代メドゥーサ (2026年02月21日 19時48分) |
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3月の天体ショー 2026年3月は 3月3日の夜に日本全国で【皆既月食】が観測できる絶好のチャンスです 18時49分頃に欠け始め 20時から21時頃の皆既食では 月が赤銅色(しゃくどういろ)に輝く幻想的な光景が楽しめます さらに 同時期にはオリオン座や冬の星々も南の空で見頃を迎えます 3月3日(火)皆既月食(全国) 部分食の開始 18時49.8分 皆既食の開始 20時04分 皆既食の終了 21時03.4分 部分食の終了 22時17.6分 |
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| 【140】 |
初代メドゥーサ (2026年02月17日 12時47分) |
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古代オリンピックのさまざまな種目 その後 古代オリンピックは種目の数を増やしより大きな祭典へと発展していきます 伝説や考古学的研究によってわかっている古代オリンピックの歴史を 競技種目のあらましによってたどってみましょう ディアロウス競走 紀元前724年の第14回大会から 2スタディオンの距離を走る中距離競走が種目に加わった ちょうど現在の400mに相当し スピードと持久力が必要な競技だった ドリコス競走 第15回大会からは長距離競走も実施されるようになりました その距離は大会によって変更されたようですが スタディオンの直線路を10往復する競技でした 現在の陸上競技のようにタイムを計測するわけではないので 競技者はスローペースで駆け引きを繰り広げ 最後のスパートで勝負を決したようです ペンタスロン 紀元前708年の第18回大会から ペンタスロンといわれる五種競技が始まりました 短距離競走 幅跳び 円盤投げ やり投げ レスリングの5種目を一人の選手がこなす競技で 3種目以上を制した者が優勝者と認定されていたようです レスリング ペンタスロンで行われたレスリングが 紀元前668年の第23回大会から単独の競技として実施されるようになりました 立ったままの姿勢から(投げるために片膝をつくことは認められていた)相手を持ち上げて投げる競技で 正しく美しいフォームで投げなくてはなりませんでした 時間制限はなく 勝敗が決するまでに長い時間がかかる過酷な競技だったようです ボクシング レスリングと同じ大会から ボクシングも始まりました レスリングと同様に時間制限もインターバルもなく たとえ倒されても敗北を認めない限り相手の攻撃は止まりません さらに体重別の階級はなく グローブの代わりに敵へのダメージを大きくするための革ひも(のちに金属の鋲まで埋め込まれた)を拳に巻いての殴り合いだったようです 戦車競走 紀元前680年の第25回大会からは 48スタディオンの距離で争われる4頭立ての戦車競走が始まりました また 第33回大会(紀元前648年)からは競馬競走も行われたようです こうした競技はスタディオンの南に位置するヒッポドロモスで開催されていたらしいのですが 現在でも未発掘のため詳細はわかっていません パンクラティオン 第33回大会からは パンクラティオンという格闘技もオリンピック競技に加わりました ギリシア語で「パン」とは「すべての」を 「クラティオン」は「力強い」を意味します 素手ならどんな攻撃をしてもよいというルールで 間接技や首を絞めることも許され ボクシングと同じようにどちらかが敗北を認めない限りは勝負が決することのない熾烈な競技でした |
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| 【139】 |
初代メドゥーサ (2026年02月11日 19時54分) |
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オリンピックの聖なる休戦 古代オリンピックにはギリシア全土から競技者や観客が参加しました 当時のギリシアではいくつかのポリスが戦いを繰り広げていましたが 宗教的に大きな意味のあったオリンピアの祭典には 戦争を中断してでも参加しなければならなかったのです これが「聖なる休戦」です オリンピアからアテネまでの距離は約360km スパルタまでは130km 武器を捨て ときには敵地を横切りながらオリンピアを目指して旅をするために 当初は1カ月だった聖なる休戦の期間は 最終的に3カ月ほどになったといわれています 古代オリンピックの終焉 紀元前146年 ギリシアはローマ帝国に支配されます 古代オリンピックはギリシア人以外の参加を認めていませんでしたが ローマが支配する地中海全域の国から競技者が参加するようになり 次第に変容を遂げていきます さらに392年 ローマのテオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国の国教と定めたことで オリンピア信仰を維持することは困難となりました 最後の古代オリンピックが開催されたのは393年の第293回オリンピック競技大祭 戦乱を乗り越え 1169年間も受け継がれた伝統は 終焉の時を迎えたのです 近代オリンピックのはじまり 古代オリンピックの火が途絶えて1500年の時が流れた1892年 フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵は ソルボンヌ講堂で行った「ルネッサンス・オリンピック」と題する講演の中で 初めてオリンピック復興の構想を明らかにしました その理想は次第に世界中の国々の賛同を得ることに成功し 1896年 記念すべき第1回大会がオリンピックのふるさとであるギリシアのアテネで開催されたのです |
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