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【12】 | RE:メリエル・メルシ メリエル (2016年08月04日 08時35分) |
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昨日のヤフーニュースに、 「小倉優子の夫と不倫報道の馬越幸子 契約解除」 とありました。ベッキーのケースと同じです。 ベッキーも馬越幸子というタレント(私はこの人のこと知りませんが)も、妻子持ちの男に惚れて、芸能界を干された、ということです。 私は、不倫という言葉に、どうも違和感を覚えます。ごく普通の恋愛だと思いますが。 かつては、姦通と言われていたわけですが、姦通を扱った傑作があります。19世紀アメリカの作家ホーソーンの小説「緋文字」です。厳格な規律に縛られた17世紀ボストンの清教徒社会に起こった姦通事件を題材として人間心理の陰翳に鋭いメスを入れながら自由とは、罪とは何かを追求した傑作。 夫が長期不在の間に、ある青年と関係を持った女の物語。その女は妊娠するわけですが、キリスト教倫理をかたくなに守る人々が住む小さな町で、その女のお腹が次第に大きくなっていけば、誰もが、「道を外れたあばずれ女」とののしる。 聖職者、判事といった宗教と法律の守護者たちは、女を「犯罪者」として、さらし台に登らせ、その「罪」を糾弾し、いわば、村八分にしてしまいます。 女は、町を去るのかと思ったら、なんと、その村のはずれの小さな小屋で子を産み、町人の蔑みの目を浴びせられながらも、子を育て、「贖罪」の半生を送ります。 今、ベッキーと馬越幸子の置かれた状況が、この作品の主人公の置かれた境遇にぴたりと一致します。二人とも、罪の意識に苦しんでいることでありましょう。しかし、それは、本当に「罪」なんでしょうか。確かに、配偶者を寝取られた者にとっては、苦痛でありましょう。屈辱でありましょう。しかし、寝とられた側に何の落ち度もなかったのか。 ただ、そんなことより、時代の倫理観をかたくなに信じ、姦通者を糾弾する人々の「良識」なるものに、残忍さが見いだせる。 |
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【13】 |
いただきだ〜 (2016年08月05日 11時53分) |
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これは 【12】 に対する返信です。 | |||
こちらでは お初です >ごく普通の恋愛だと思いますが それはどうかしらん? 一夫多妻国家が何故ないのか(あったか?どうでもいいが) その「ごく普通の恋愛」で めぐり合う相手の子供を産みまくったら その子達の運命は明るいのですかね まさにルールを越えたただの我侭では? 動物界の♂♀と人間は違うのですよ |
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