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【37】 | RE:ホールコントロール おぼしき人物 (2010年12月20日 03時28分) |
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>結局、結果が無い事には ゆらぎ が見れない裏返しであると言えると思います。 勿論、言っていることは理解できるし正しくもあるのは至極当然で 結果ありきということは疑いようがない事実でもあるんですが ただ裏を返せばということではその反対もありきかと思うことにもなりけりで。 そう、まずは過程・プロセスありきでのそれら判断材料があってはじめて結果という判断材料になりうるということで。 そして 確かに結果ありきは事の本質を論じる場合には正しくもあり真髄ではあるものの それらに至るところの過程を無視してしまっては 本末転倒にもなりうるということにも留意する必要があるのではないかと思われます。 ま、結局は仰るとおりその過程の中味にも依ることはいえます。 ですがその際におけるオカルトめいたものに関してもそれらはひとつの過程の考え方としての一環、 目くじら立てて否定するものではないこと御承知のことと理解するものです。 |
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【39】 |
賭博堕天録アカギ (2010年12月20日 12時17分) |
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これは 【37】 に対する返信です。 | |||
>そう、まずは過程・プロセスありきでのそれら判断材料があってはじめて結果という判断材料になりうるということで。 >それらに至るところの過程を無視してしまっては ここら辺が、ちょっと俺と違う。 結果と言う言葉に囚われてるっつぅか…(俺の表現が下手なだけねw そこのゴト師有限会社ってお爺ちゃんが珍しく良い事言ってるから使って説明。 あぁ… お爺ちゃんは自覚して言ってる訳じゃないから、その良さは自分では分からないでしょうけどw >日々の結果なんて過程にすぎんぞ。 っつぅのは正論で、過程・プロセスってもんを日々の結果と捉えてるんですよ。 んで、ゴト爺ちゃんの場合は 多分パチを辞めた時の勝ち負けを結果として見てる。 なので、結局全部が結果の連なり重なりでしか無いと思ってるんですよ。 演出なら一つ一つの演出結果が、所謂リーチから当たりまでの過程・プロセスと言える。 最終的 当否だけを結果と呼んでる訳じゃないんですよ。 当たりの波ってもんも、一つ一つの当否結果の集合体。 事が終わって初めて見えるのに、それを予測するのは(俺は)ちと違うかなってだけですよ。 それを認めれば釘や設定いらんっしょw あとアレっすよ… オカルトっつっても千差万別ですから… オカルトは第6感を具現化したものってのが俺の考え方です。 簡単に言えば、200回前後は当たり易いだのってのは、その周辺に何かを感じるから「○○の台は200前後が熱い」っと型にハメ込んだ言わばカンでしょ。 カンという捉えようの無い物を形にハメ込み武器にするっつぅか何つぅか… だから、俺も打ち手の時は全然使うんすよ。 俺はオカルトとして具現化させませんが、何かこうスロのボタン選択演出っとか、各ボタンに手をあてていくとビビビっと感じたり、スロひぐらしで台選びしてたらパネルの魅音がウインクしたように見えたりね。(末期ですね… |
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