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【211】 | RE:嵌張大好き(カンチャンだいす... さんさんはなはな (2014年02月24日 19時38分) |
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まず バイアスフリーが分からない馬鹿な俺。(笑) とり。 |
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【212】 |
環八 (2014年02月24日 21時35分) |
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これは 【211】 に対する返信です。 | |||
バイアスフリーというのは、こういうことです。 バイアスとは、「偏り」あるいは『偏見』ということで、フリーというのは、『自由』ということです。 人間社会での偏見、ということで言えば、こうなります。 例えば、『ウンチ』 生まれて間もない、言葉を知らない幼児は、「ウンチ」=汚い、という概念は持っていません。だから、平気で、『ウンチ』にさわります。 しかし、幼児が言葉を覚え、親が、「ウンチ」をさわろうとする幼児に、「汚いから、さわっちゃだめ」と教え込みます。すると、幼児は、「ウンチ」=「汚い」と思い込むようになるので、「ウンチ」にはさわらなくなります。 では、医者、あるいは、医学者はどうでしょうか。 「ウンチ」を調べることによって、様々な病原を特定できるので、検便をします。彼らは、「ウンチ」=『汚い』と思っていたのでは、医療を遂行できません。 つまり、「ウンチ」=「汚い」という偏見から、自由になっている、ということができます。 バイアスフリーとは、偏見から自由になっている、あるいは、誰もが思い込んでいる偏見に疑問を持てるようになっている、という意味です。 誰もが、「汚い」あるいは「キレイ」と思い込んでいることに対して、「本当にそうだろうか」と、考えることができる人は、バイアスフリーな人、といえる、ということです。 「女らしさ」「男らしさ」についても、同じことが言えます。 「男なんだから、泣いちゃだめ」「女なんだから、化粧しろ」、など、こういったことは、生まれながらにそうだというわけではなく、親を始めとする、『オトナ』たちによって、教え込まれ、植え付けられた、偏見です。 そういうことが、「偏見だ、と分かる人」は、バイアスフリーな人、といえます。 ただ、とても、難しいことだと思います。 差別も偏見の一つです。 人種差別、男女差別、兄弟差別、学歴偏重、民族迫害etc。 人類の歴史を『偏見、差別』の歴史として眺めると、特に、市民革命以降、それまでの偏見からの解放の歴史だ、という見方もできます。 ところが、市民革命以降、新たに生じた偏見もあります。 フランス革命のとき『自由、博愛、平等』がスローガンとなりました。 特に、『博愛精神』に飛びついたのが、ユダヤ人でした。何百年もの間、迫害に苦しめられてきたユダヤ人たちにとって、『博愛』は、迫害からの解放を意味しました。 そして、シオニズム運動が始まるわけですが、シオニズムは、新たな差別を引き起こしました。それが、パレスチナ問題です。 心底、バイアスフリーになる、というのは、恐ろしく、難しい。しかし、一つ一つの困難を解決し、真のバイアスフリーを目指すことは、無意味なことではないと思います。 演説、終わり。 |
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