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トピック
トリイソ、みたび トリイソ (2017年07月01日 00時00分)評価



 気負わず、決めず、時の流れとともに、着の身着のまま・・・


 

■ 36件の投稿があります。
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【36】

明日やろうは…  評価

ペリイソ (2017年09月09日 00時32分)

「明日やろうは馬鹿野郎」、という言葉がある

なるほど 至極明瞭だし、賢明な言葉だ

しかしながら人は、分かっていながらそれを実践出来ない場合も少なくない

そういう私も、幼い頃から、物事を先延ばしにする悪い癖がある

今日やっておくべきことを、自制心が利かず、忍耐できず、残してしまう

いや、そんな難しい話ではない ただ面倒くさいだけなのだ

明日でも問題ないなら、明日でよいだろう

そんな考えがいつのまにか増長して、今日やらなくてはならないことまで、明日に持ち越すようになってしまった

いつか、そのことで大きなしっぺ返しがくるだろう



そうして、そのときがやってきた

一人暮らし私は、今コレをトイレの中から書き込んでいる

ついさっき、大をした

そうして今も便座に座っている

長い時間座り続け、血流のせいか、足が既にジンジンしてきている

どうして今日、いや昨日、いやいやもっと前に

トイレットペーパーを買っておかなかったのだろう

切れていたのは分かっていたのに

毎日のように買い物しているのに

紙がない お尻を拭きたい けれど紙がない

誰か教えて欲しい 私は今、どうすれば良いのだろうか

こんな夜中に一人、誰を頼れば良いのだろうか



私はひとつ知った

「明日やろうはクソ野郎」だ、と
【35】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月09日 00時04分)

 私はもう、ご飯を腹7分くらいまでしか食べることができない。

 食べることができないというのは、物理的な話ではない。

 お腹いっぱいご飯を食べると、かなりの高確率で激痛に襲われるのだ。

 ご飯を食べているときは食欲が欲求の大半を占めているので、最初のうちは「まぁ痛くなったらなったで我慢すればいいや」と思ってよく欲求に負けていたが、夜も全く眠れないほどの激痛は本当に耐え難いものがある。

 なので今は欲求よりも理性が勝ってちゃんと自制できている。ただ、厄介なのが「想定外」だ。

 ちゃんと予想して料理してもらったり、注文をしているが、思ったほど食べれないことがままある。志半ばで7分目に到達してしまうのだ。

 さぁどうしたものか。ご飯を残すという行為は私の意に反するが、あの激痛の恐怖には耐えられない。だから、不本意ではあるが、そうなった場合は必ず残すようにしている。

 若い頃、当たり前にようにお腹いっぱい食べれてたあの事実がいかに幸せであったか、またしても今になって気づく。もっとその幸せを噛みしめとけばよかった。

 体の健康を考えれば7〜8分目で抑えることが一番いいのだろうが、お腹いっぱい食べたときの充実感は最高だ。

 もし8分目で抑えることが苦痛に感じるのなら、体の健康は保てても、その前提となる心の健康が冒されてしまうかもしれない。それでは本末転倒だ。

 たまにはお腹いっぱい食べたいだろう。普段は我慢したとしても、我慢しっぱなしじゃ辛い。たまにはご褒美があっていい。そしてそういう見返りがあればちゃんと我慢できる。

 たまになら、お腹いっぱい食べても、健康上何も問題ないだろうし。

 そしてこう思う。

 また違った、様々な理由も含めて、世の中には食べたくても食べられない人がたくさんいます。

 7分目であったとしても、まだ食べられてるという事実は本当に有難いことだ。そのことに感謝。
【34】

森の奥の兄妹  評価

ペリイソ (2017年09月09日 00時10分)

ムーヴル8歳の男の子

アナスイは4歳の女の子

二人はとても仲良しな兄妹だった


ある日の午後、二人はいつものように森に出かけた

いつもの森 いつもの陽射し いつもの遊び場

当たり前すぎる環境に、ムーヴルは「いつも」と違うことがしたくなった

そうして、「行ってはいけない」ときつく禁じられていた森の奥へと足を進めた

「お兄ちゃん、ダメだよぅ」とアナスイの声が追いかけてくる

「おまえも来い」と少し強く言うと、泣きそうな顔でアナスイは付いてきた


どれくらい歩いただろうか

もはや、道といえる道はなく、完全なる樹海が二人を取り囲んでいた

二人は引き返せずに、ただただ前を進んだ

その時だった 大きな影が二人の前に壁となって現れた

熊だ 大きな熊だ 3mにも届きそうなほど大きな熊だった

二人は動けなかった 声も出ない

大熊の叫び声にも似つかない獣の嘶きで、ムーヴルはハッと我に返った

そうして

逃げた 振り返り一目散に逃げた

妹アナスイのことは既に頭に無かった

呼吸も、心肺能力の限界も忘れ、ひたすら走った

そうして、気付けば家の物置小屋に辿り着いた

そこで初めて、「助かった」と気付いた

同時に、恐ろしい恐怖と罪悪感が襲ってきた

妹が、アナスイが居ない

当然だ 自分が置き去りにした


どれくらいだろう 

もう長いこと動くことが出来ず、ただガチガチと震えるムーヴル

やがて表で大勢の大人たちの声が聞こえた

ハッと表へ出るムーヴル

そこには大勢の大人たちに抱え上げられた元気なアナスイの姿があった

生きてた…  何の前触れも無く涙があふれ、ムーヴルの頬を伝う

「お兄ちゃん!」ムーヴルを見つけたアナスイが走って抱きつく

ムーヴルはただそれを受け止めるだけで、何も言えなかった


その日の夜 いつもの団欒

両親から森の奥へ行ったことをたっぷり怒られた

「お兄ちゃん、おやすみ」とアナスイがムーヴルに告げる

その目が、何かいつもと違う そうムーヴルは感じた


ムーヴルは思った

いつの日か ボクはアナスイに殺されるだろぅ

そして悟った

今日からの人生は、ただその日を待つだけのものなのだ、と
【33】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月08日 23時58分)

 今日は昼からパチに行った。

 このトピを見ている全ての人が「パチンコする余裕あるんだったら仕事しろ」とお叱りになることだろう。

 でもこれは、私が作成した月間予定表に基づいたもの。一生懸命思案してこの予定を立てた。妻のサインもある(笑)

 なので、大人の事情ということでご理解頂きたい。

 実は土曜日、娘とアイカツをしに行った。プレミアカードが出たときの娘のとても嬉しそうな笑顔が今でも目に焼き付いて離れない。

 そうだ、私はこの笑顔をもっとたくさん見るために頑張っているんだ。

 で、本題。

 その帰りに店に立ち寄った。幸運なことに1軒目でその名の通り甘そうな甘乙女2を発見。こんなにもヘソがデカい甘乙女を見たのは初めてだ。

 しかも30個交換。多少スルーがマイナスだがそれでも十分勝てるレベル。というよりこれ以上望むのはムシが良すぎる。

 店を覗いたのは夜7時ころだったが、2台ある甘乙女は誰も打っていなかった。シマの客付は3割くらい。昼からの遊戯とはいえ、多分大丈夫だろう。いや、空いていてほしい。

 で店に入ると・・・良かった、空いていた。でもまさかまた甘乙女を打つ機会に恵まれるとは思ってもみなかった。嬉しい。

 甘乙女を打つのは本当に久しぶりだ。思えばこの台も相当打ったな。乙女アタックでのオウガイ撃破61回は、結構自慢できるレベルだと思っている。

 最初の当たりは286回転目だったが、回りの良さでほとんどストレスを感じることはなかった。演出は赤ステ+飛来矢で余裕こいて見てたら、萌えカットなし、チャンスアップなしのムラサメリーチで「まさか・・・」と思ったがちゃんと当たってくれた。

 でも残念ながら乙女アタック突破できず。「そうそううまくはいかないか」と思った瞬間、次の回転でいきなり緑ステチェン。これは当確でいいはず。これまたちょっと不安な展開だったがちゃんと当たる。でもまた突破できず。

 その後も最初の渋りが嘘のようにコンスタントに当たりを引けるがなかなか乙女アタックが突破できない。いつの間にか9回連続でスルーしてた。

 その間、新武将乱入3回、コタロウ3回出るも全て負け。3回目のコタロウのときはモトチカ乱入だったのでやっときたと思ったのに・・・乙女ループが楽しみでこれを打ってるようなもんなのに・・・全く勝てる気がしない。

 でも10回目にドラマが起こる。1回転目にオウガイで必殺技演出になり「面倒臭いな」と思いながら画面も見ずに猫パンチしてたら、兜が割れる音がして超びっくり。これがあるから乙女アタック癖になるんだよなぁ。

 これでオウガイ撃破62回目。そしてこれが26連。一気にプラスに転じた。このまま更に一気にいくかと期待したがそううまくいくはずもなく、後半の530回転ハマリで大きく出玉を減らし、11500円のマイナスで終了。

 まぁでも楽しめたから良しとしよう。初当たり19回で2回しか乙女アタック突破できなかったのはちょっと残念だが。コタロウも1/6だったし。15Rもなかった。

 それと今日はマイ鉄板だった乙女ルーレットからの擬似×4もハズしてしまった。でも、乙女アタック終了後の1回転目のステチェンを始め、それ以外にも連続ステチェンが2回もあった。普段あまり体験できないパターンを堪能できたが、それもまた複雑・・・

 そうそう、もう一つ珍しいことがあった。ハマリの途中、隣に座った人が僅か数回転で出陣青炎を出し、そのときの乙女アタックでコタ×3を出した。そしてちゃんと3回目に勝利。

 私の経験上及びまさごちゃんの情報でもコタ×3は全て勝利している。これってもしかして確定パターンなのだろうか。

 あまりにも情報が少ないし3回連続で負けることのほうが珍しいから何ともいえないが・・・

 まぁ私は、対コタロウ戦、8回連続で負けたことがあるけどね(笑)
【32】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月08日 23時50分)

 半沢直樹 

 とりあえず今この話題をスルーする訳にはいかないか(笑)

 ・・・と言いつつも、私はこのドラマを観たことがない。友人からも面白いと勧められているが、今のところ観たいという強い思いはない。

 妻が全話録画しているからいつでも観れるというのもあるが、今はドラマを観る時間が勿体ないと感じる。

 他にやりたいことが山ほどある。寝る時間もおしいくらいだ。・・・でもパチンコをする時間はおしいとは思わない。本当にどうしようもない男だ(汗)

 おっと、また話が横道に逸れてしまった。半沢に話を戻すが、こういう状況なので今私が半沢について話せることは何もない。でも今を逃したらもう話す機会はないと思うので、ちょっとだけ触れておこう。

 今日、約1ヶ月ぶりに出勤した。たった半日だけだったが出勤してよかった。でも2ヵ月間で出勤がたったの1.5日なんて・・・と、それは置いといて。

 今日、部長が朝礼のとき、半沢の話題を出した。朝礼といっても毎日やっている訳ではない。業務の焦点や認識の統一を図る必要がある場合、各人の業務の進行状況や事後の予定を確認しその情報を共有するときなど、真に必要なときにのみ実施している。

 今日は三連休明けということもあってちょっと多めに時間設定してあり、余裕があったことから雑談的に半沢の話をされた。

 その概要はこうだ。

 『週末、スナック○○のママと半沢直樹について議論というか話をした。ママはこの大盛り上がりに反して、半沢直樹が嫌いだそうだ。特に今年の流行語大賞候補である「倍返し」という言葉が嫌いという。

 正確には違うのかもしれないが、恨みを恨みで返すという発想がどうしても好きになれないらしい。キリスト教でも、右頬を打たれたら左を出すっていうでしょ、そういう感覚のほうが日本の国民性に合ってるのかもしれない。

 でもこの盛り上がりを見てると、国民性というものは大きく変わっているのかもしれない。というより、そういう言葉では片づけられなくなっているのかもしれないし、もしかしたら国民性という言葉自体が、この時代にはもう相応しくないのかもしれない。

 まぁ私が言いたいのは、我々の仕事は「倍返し」と熱くなっても始まらない。当然熱くなるべきときもあるだろうが、基本は淡々と冷静に、着実に業務をこなしていくことが大事。

 怖いのは怠慢やいい加減が原因でやってくる「倍返し」だ。そうならないために、お互いに情報提供し、気づいたところはちゃんと指摘して、業務が滞ることがないようしっかりと連携していこう』

 冒頭でも書いたように私はこのドラマを観てないので何とも言えないが、皆さんは半沢直樹、どう感じてるだろうか。それぞれに色んな捉え方、考え方があるのだろう。

 一般的な映画やドラマを前提として書かせてもらえば、一部を除き、やっぱり大半は娯楽として楽しむのが第一義だと思う。

 なので、「すっごい爽快、気分が晴れる。でも現実は違う」と割り切れるのだと思う。

 ある意味、それが豊かさの象徴なのかもしれない。
【31】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月08日 23時18分)

 『ある朝 目覚めたら 神が待ってた 命に終わりがくるとそっと知らされた

 どうして僕だけが 旅立つのか 運命のさざ波に声は届かない

 一番近くの大事な人よ 幸せだったか それが気がかり

 もしも僕が居なくなったら 最初の夜だけ泣いてくれ

 君と僕が過ごした歳月を 思い出しながら見送って

 君と会えて幸せだった 

 朝の空見上げ 微笑んで 僕はきっと日差しになって 見守っているよ 君のこと

 見守っているよ 君のこと』
 
 クリスハートのアルバムの8曲目に入ってた曲。誰の曲かは知らない。

 私がクリスハートのアルバムを借りたのは必然。でも、なぜこの選曲だったのだろうか・・・不思議な力を感じずにはいられない。

 そして私は、妻にこう言った。

 「オレの葬儀のときには、クリスハートが歌うこの唄をかけてくれ」

 妻は泣いた。

 でもこれだけはわかってほしい。私は決して後ろ向きな発言をしたわけではない。

 私はいつでも前を向いているよ。
【30】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月08日 23時12分)

 そのとき私は、孤独が占拠する独房の中に身を置いていた。

 私の扉はあまりにも重い。でも、その重くて固く閉ざされている扉をこじ開けることができると、その先には希望の光が射し込んでいる。

 何とかまた扉を開けることができた。・・・でも何やら人の気配を感じる。

 右方に目をやると、一人の女性が座っている。

 ・・・まさごちゃんだ。

 最初はすごく驚いたし、なぜ彼女がここにいるのか理解できなかった。でもその次の瞬間には、事のいきさつの予想はついた。

 彼女は黙ったままずっと私を見ている。

 何だこの沈黙は・・・

 まずい。何をすればいいのか、何て言葉を掛ければいいのか皆目見当がつかない。沈黙に耐え切れなくなった私は、また悔いの残る言葉を発してしまう。

 「心配かけてるね」

 そう言うと、それまでずっと胸の中に閉じ込めていた多くの思いが、たくさんの愛情が、宝石の粒となって彼女の体から溢れ出てしまった。

 どうして私はこんなにも不器用なのだ・・・今ならいくらでも適切な言葉が思い浮かぶのに・・・

 それから更に長い沈黙が続いたあと、彼女は初めて口を開いた。

 「ベンガルさんなら絶対に大丈夫です。無責任なことを言っているわけではありません。伊達でベンガルさんとバディーを組ませてもらってた訳ではありませんから。本当に大丈夫です」

 彼女の言葉から、彼女が本当に言いたいこと、そして、その精一杯の優しさが痛いほど伝わった。あの宝石は、彼女にとっても不覚であったろう・・・

 私は本当に恵まれている。こんなに幸せでいいのだろうか。

 そして、あのときの先生の言葉を思い出す。

 「お前には単なる人ではなく、『人間』になってもらいたいのだ」

 人は一人では生きていけない。

 先生、私は今、『人間』になれているでしょうか?

 常に自問自答しつつ、これからも人との関わり合いを大事にして生きていきたい。

 
【29】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月08日 23時01分)


 若い頃はずっと、「明日できることは明日やる」、「明日もできるんだから無理して今日やる必要はない」というスタンスで生きてきた。

 何でも先延ばしにしてきた。夏休みの宿題がその典型だ。8月31日以外に宿題をやったことがない。そして、一度たりともまともに終えたことがない。とりあえず、「やった」という姿勢を見せるだけ。それでいいと思っていた。

 でもいつの頃からだろう。そのスタンスが変わってきた。意識して変わった訳ではない。「無意識の自覚」とでも言えばいいだろうか。

 若い頃は考えもしなかった、誰にでも訪れるあの現実が、その前提が、心のどこかに芽生えるのだろうか、潜在意識に訴えるのだろうか。

 そして、明確に自覚している今は、「今しかできないかもしれない」と思うことが多い。でも、それを実行するか否かはまた別物。

 人は決断を迫られたとき、必ずそこにバイパスを作る。と、思う。昔は弱いからだと思っていた。弱いからこそ、一見すると逃げ道みたいな他案や方策を案出しているのだと思った。

 でもそれは違う。心のどこかでその必要があると判断しているからこそ、人はそこにバイパスを作るのだ。

 そしてそこに「間違い」はない。自分自身のことを自分で決断しているのだ。判断を誤ったと思うこともあるだろう。でもそれは決して「間違い」ではないのだ。

 後悔してもいい。反省の連続でも構わない。最良の選択でなかったとしても、命ある限り、それは必ず自己の成長に繋がる。

 一歩ずつでいい。ときには後退したって構わない。人間とは、その繰り返しで大きくなっていくのだ。

 経験は財産。そして、その財産によってその人の人生観というものが構築されていくのだと思う。

 そして、その人生観とは、その人の「考え」や「思い」そのもの。人は、その人の考えや思いを、どのようにして理解するだろうか。

 やはり一番手軽で確実なのは「言葉」だろう。言葉は生き物。そして、ものすごい力を持っていると思う。でも、完全ではない。

 『言葉は心を越えない。とても伝えたがるけど、心に勝てない』

 この詩のように、私も心には勝てないのだと思う。そして、その心とは、つくられたものではなく、自然とその人からにじみ出る、あふれ出る「姿」であり、「態度」なんだと思う。

 娘は私の「姿」を感じ取ってくれるだろうか。

 いや、違う。娘ではない。その如何は全て私にあるのだ。
【28】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月08日 22時56分)


 結局8月はたった一日しか出勤しなかった。

 その間、色々なことを考え、そして、これまでずっと知ろうとしなかった、怖くて知ることを避けてきた「自分自身」というものをある程度理解した。

 多分私は、娘の成人した姿を見ることはできないだろう。このトピが落ちたとき、それは、私の命が落ちたときと理解してもらえればいい。

 さよならは言わない。『ベンガル』という物書き好きが居たというだけ。それ以上でもそれ以下でもない。それでいい。

 ・・・おっと、これではまるで、余命半年とでも宣告されたかのような書きっぷりだ(汗)

 心配ご無用。いつか急に、そして宣言する暇もなく来るであろう「トピが落ちる日」のために、前もって書いているだけのこと。

 そして、愚痴を言っている訳でも、悲観している訳でもない。世界中には、もっと悲しい、悲惨な状況にある人が星の数ほどいる。私は恵まれている。そしてなにより幸せだ。

 私は諦めた訳ではない。まだまだしぶとく生き抜いてみせるさ。
【27】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月01日 00時45分)


 何故か最近心に響いた言葉。

 大人は恋をしてはいけませんか?

 大人は我慢しなくてはいけませんか?

 大人は遊んではいけませんか?

 大人は夢をみてはいけませんか?

 大人は言葉にしてはいけませんか?

 なぜ私はこの言葉に立ち止まったんだろう・・・なぜ頭に残ったんだろう・・・

 最近考え込むことが非常に多い。でも考えが右往左往するだけで少しも前に進めてない。こんなにも寝つきが悪くなったのは初めてかもしれない。

 ・・・でも、その必要があると体が訴えているのだと思う。

 私は今、何について考えなければならないのだろうか・・・早急に答えを出さなければならないことがあるような気がする・・・

 でもそれが何かわからない。

 なんでだろう・・・どうしてだろう・・・

 若い頃は片意地張って生きてきた。それしかできなかった。不器用なだけだと思っていた。そんな自分を思い出しては「若かったな」と苦笑いし懐かしんでいた。

 でも今になって、それがどんなに幸せなことであったかに気づく。今は片意地すら張れない・・・

 「いい大人」とは何だろう。大人と子供の違いは何だろう。

 もしかしたら結論はないのかもしれない。でも自分の生き様、やってきたことに言い訳はしたくない。

 いい大人なのだから。
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