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【36】

トリイソ、みたび

トリイソ (2017年07月01日 00時00分)



 気負わず、決めず、時の流れとともに、着の身着のまま・・・


 

■ 36件の投稿があります。
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【36】

明日やろうは…  評価

ペリイソ (2017年09月09日 00時32分)

「明日やろうは馬鹿野郎」、という言葉がある

なるほど 至極明瞭だし、賢明な言葉だ

しかしながら人は、分かっていながらそれを実践出来ない場合も少なくない

そういう私も、幼い頃から、物事を先延ばしにする悪い癖がある

今日やっておくべきことを、自制心が利かず、忍耐できず、残してしまう

いや、そんな難しい話ではない ただ面倒くさいだけなのだ

明日でも問題ないなら、明日でよいだろう

そんな考えがいつのまにか増長して、今日やらなくてはならないことまで、明日に持ち越すようになってしまった

いつか、そのことで大きなしっぺ返しがくるだろう



そうして、そのときがやってきた

一人暮らし私は、今コレをトイレの中から書き込んでいる

ついさっき、大をした

そうして今も便座に座っている

長い時間座り続け、血流のせいか、足が既にジンジンしてきている

どうして今日、いや昨日、いやいやもっと前に

トイレットペーパーを買っておかなかったのだろう

切れていたのは分かっていたのに

毎日のように買い物しているのに

紙がない お尻を拭きたい けれど紙がない

誰か教えて欲しい 私は今、どうすれば良いのだろうか

こんな夜中に一人、誰を頼れば良いのだろうか



私はひとつ知った

「明日やろうはクソ野郎」だ、と
【35】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月09日 00時04分)

 私はもう、ご飯を腹7分くらいまでしか食べることができない。

 食べることができないというのは、物理的な話ではない。

 お腹いっぱいご飯を食べると、かなりの高確率で激痛に襲われるのだ。

 ご飯を食べているときは食欲が欲求の大半を占めているので、最初のうちは「まぁ痛くなったらなったで我慢すればいいや」と思ってよく欲求に負けていたが、夜も全く眠れないほどの激痛は本当に耐え難いものがある。

 なので今は欲求よりも理性が勝ってちゃんと自制できている。ただ、厄介なのが「想定外」だ。

 ちゃんと予想して料理してもらったり、注文をしているが、思ったほど食べれないことがままある。志半ばで7分目に到達してしまうのだ。

 さぁどうしたものか。ご飯を残すという行為は私の意に反するが、あの激痛の恐怖には耐えられない。だから、不本意ではあるが、そうなった場合は必ず残すようにしている。

 若い頃、当たり前にようにお腹いっぱい食べれてたあの事実がいかに幸せであったか、またしても今になって気づく。もっとその幸せを噛みしめとけばよかった。

 体の健康を考えれば7〜8分目で抑えることが一番いいのだろうが、お腹いっぱい食べたときの充実感は最高だ。

 もし8分目で抑えることが苦痛に感じるのなら、体の健康は保てても、その前提となる心の健康が冒されてしまうかもしれない。それでは本末転倒だ。

 たまにはお腹いっぱい食べたいだろう。普段は我慢したとしても、我慢しっぱなしじゃ辛い。たまにはご褒美があっていい。そしてそういう見返りがあればちゃんと我慢できる。

 たまになら、お腹いっぱい食べても、健康上何も問題ないだろうし。

 そしてこう思う。

 また違った、様々な理由も含めて、世の中には食べたくても食べられない人がたくさんいます。

 7分目であったとしても、まだ食べられてるという事実は本当に有難いことだ。そのことに感謝。
【34】

森の奥の兄妹  評価

ペリイソ (2017年09月09日 00時10分)

ムーヴル8歳の男の子

アナスイは4歳の女の子

二人はとても仲良しな兄妹だった


ある日の午後、二人はいつものように森に出かけた

いつもの森 いつもの陽射し いつもの遊び場

当たり前すぎる環境に、ムーヴルは「いつも」と違うことがしたくなった

そうして、「行ってはいけない」ときつく禁じられていた森の奥へと足を進めた

「お兄ちゃん、ダメだよぅ」とアナスイの声が追いかけてくる

「おまえも来い」と少し強く言うと、泣きそうな顔でアナスイは付いてきた


どれくらい歩いただろうか

もはや、道といえる道はなく、完全なる樹海が二人を取り囲んでいた

二人は引き返せずに、ただただ前を進んだ

その時だった 大きな影が二人の前に壁となって現れた

熊だ 大きな熊だ 3mにも届きそうなほど大きな熊だった

二人は動けなかった 声も出ない

大熊の叫び声にも似つかない獣の嘶きで、ムーヴルはハッと我に返った

そうして

逃げた 振り返り一目散に逃げた

妹アナスイのことは既に頭に無かった

呼吸も、心肺能力の限界も忘れ、ひたすら走った

そうして、気付けば家の物置小屋に辿り着いた

そこで初めて、「助かった」と気付いた

同時に、恐ろしい恐怖と罪悪感が襲ってきた

妹が、アナスイが居ない

当然だ 自分が置き去りにした


どれくらいだろう 

もう長いこと動くことが出来ず、ただガチガチと震えるムーヴル

やがて表で大勢の大人たちの声が聞こえた

ハッと表へ出るムーヴル

そこには大勢の大人たちに抱え上げられた元気なアナスイの姿があった

生きてた…  何の前触れも無く涙があふれ、ムーヴルの頬を伝う

「お兄ちゃん!」ムーヴルを見つけたアナスイが走って抱きつく

ムーヴルはただそれを受け止めるだけで、何も言えなかった


その日の夜 いつもの団欒

両親から森の奥へ行ったことをたっぷり怒られた

「お兄ちゃん、おやすみ」とアナスイがムーヴルに告げる

その目が、何かいつもと違う そうムーヴルは感じた


ムーヴルは思った

いつの日か ボクはアナスイに殺されるだろぅ

そして悟った

今日からの人生は、ただその日を待つだけのものなのだ、と
【33】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月08日 23時58分)

 今日は昼からパチに行った。

 このトピを見ている全ての人が「パチンコする余裕あるんだったら仕事しろ」とお叱りになることだろう。

 でもこれは、私が作成した月間予定表に基づいたもの。一生懸命思案してこの予定を立てた。妻のサインもある(笑)

 なので、大人の事情ということでご理解頂きたい。

 実は土曜日、娘とアイカツをしに行った。プレミアカードが出たときの娘のとても嬉しそうな笑顔が今でも目に焼き付いて離れない。

 そうだ、私はこの笑顔をもっとたくさん見るために頑張っているんだ。

 で、本題。

 その帰りに店に立ち寄った。幸運なことに1軒目でその名の通り甘そうな甘乙女2を発見。こんなにもヘソがデカい甘乙女を見たのは初めてだ。

 しかも30個交換。多少スルーがマイナスだがそれでも十分勝てるレベル。というよりこれ以上望むのはムシが良すぎる。

 店を覗いたのは夜7時ころだったが、2台ある甘乙女は誰も打っていなかった。シマの客付は3割くらい。昼からの遊戯とはいえ、多分大丈夫だろう。いや、空いていてほしい。

 で店に入ると・・・良かった、空いていた。でもまさかまた甘乙女を打つ機会に恵まれるとは思ってもみなかった。嬉しい。

 甘乙女を打つのは本当に久しぶりだ。思えばこの台も相当打ったな。乙女アタックでのオウガイ撃破61回は、結構自慢できるレベルだと思っている。

 最初の当たりは286回転目だったが、回りの良さでほとんどストレスを感じることはなかった。演出は赤ステ+飛来矢で余裕こいて見てたら、萌えカットなし、チャンスアップなしのムラサメリーチで「まさか・・・」と思ったがちゃんと当たってくれた。

 でも残念ながら乙女アタック突破できず。「そうそううまくはいかないか」と思った瞬間、次の回転でいきなり緑ステチェン。これは当確でいいはず。これまたちょっと不安な展開だったがちゃんと当たる。でもまた突破できず。

 その後も最初の渋りが嘘のようにコンスタントに当たりを引けるがなかなか乙女アタックが突破できない。いつの間にか9回連続でスルーしてた。

 その間、新武将乱入3回、コタロウ3回出るも全て負け。3回目のコタロウのときはモトチカ乱入だったのでやっときたと思ったのに・・・乙女ループが楽しみでこれを打ってるようなもんなのに・・・全く勝てる気がしない。

 でも10回目にドラマが起こる。1回転目にオウガイで必殺技演出になり「面倒臭いな」と思いながら画面も見ずに猫パンチしてたら、兜が割れる音がして超びっくり。これがあるから乙女アタック癖になるんだよなぁ。

 これでオウガイ撃破62回目。そしてこれが26連。一気にプラスに転じた。このまま更に一気にいくかと期待したがそううまくいくはずもなく、後半の530回転ハマリで大きく出玉を減らし、11500円のマイナスで終了。

 まぁでも楽しめたから良しとしよう。初当たり19回で2回しか乙女アタック突破できなかったのはちょっと残念だが。コタロウも1/6だったし。15Rもなかった。

 それと今日はマイ鉄板だった乙女ルーレットからの擬似×4もハズしてしまった。でも、乙女アタック終了後の1回転目のステチェンを始め、それ以外にも連続ステチェンが2回もあった。普段あまり体験できないパターンを堪能できたが、それもまた複雑・・・

 そうそう、もう一つ珍しいことがあった。ハマリの途中、隣に座った人が僅か数回転で出陣青炎を出し、そのときの乙女アタックでコタ×3を出した。そしてちゃんと3回目に勝利。

 私の経験上及びまさごちゃんの情報でもコタ×3は全て勝利している。これってもしかして確定パターンなのだろうか。

 あまりにも情報が少ないし3回連続で負けることのほうが珍しいから何ともいえないが・・・

 まぁ私は、対コタロウ戦、8回連続で負けたことがあるけどね(笑)
【32】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月08日 23時50分)

 半沢直樹 

 とりあえず今この話題をスルーする訳にはいかないか(笑)

 ・・・と言いつつも、私はこのドラマを観たことがない。友人からも面白いと勧められているが、今のところ観たいという強い思いはない。

 妻が全話録画しているからいつでも観れるというのもあるが、今はドラマを観る時間が勿体ないと感じる。

 他にやりたいことが山ほどある。寝る時間もおしいくらいだ。・・・でもパチンコをする時間はおしいとは思わない。本当にどうしようもない男だ(汗)

 おっと、また話が横道に逸れてしまった。半沢に話を戻すが、こういう状況なので今私が半沢について話せることは何もない。でも今を逃したらもう話す機会はないと思うので、ちょっとだけ触れておこう。

 今日、約1ヶ月ぶりに出勤した。たった半日だけだったが出勤してよかった。でも2ヵ月間で出勤がたったの1.5日なんて・・・と、それは置いといて。

 今日、部長が朝礼のとき、半沢の話題を出した。朝礼といっても毎日やっている訳ではない。業務の焦点や認識の統一を図る必要がある場合、各人の業務の進行状況や事後の予定を確認しその情報を共有するときなど、真に必要なときにのみ実施している。

 今日は三連休明けということもあってちょっと多めに時間設定してあり、余裕があったことから雑談的に半沢の話をされた。

 その概要はこうだ。

 『週末、スナック○○のママと半沢直樹について議論というか話をした。ママはこの大盛り上がりに反して、半沢直樹が嫌いだそうだ。特に今年の流行語大賞候補である「倍返し」という言葉が嫌いという。

 正確には違うのかもしれないが、恨みを恨みで返すという発想がどうしても好きになれないらしい。キリスト教でも、右頬を打たれたら左を出すっていうでしょ、そういう感覚のほうが日本の国民性に合ってるのかもしれない。

 でもこの盛り上がりを見てると、国民性というものは大きく変わっているのかもしれない。というより、そういう言葉では片づけられなくなっているのかもしれないし、もしかしたら国民性という言葉自体が、この時代にはもう相応しくないのかもしれない。

 まぁ私が言いたいのは、我々の仕事は「倍返し」と熱くなっても始まらない。当然熱くなるべきときもあるだろうが、基本は淡々と冷静に、着実に業務をこなしていくことが大事。

 怖いのは怠慢やいい加減が原因でやってくる「倍返し」だ。そうならないために、お互いに情報提供し、気づいたところはちゃんと指摘して、業務が滞ることがないようしっかりと連携していこう』

 冒頭でも書いたように私はこのドラマを観てないので何とも言えないが、皆さんは半沢直樹、どう感じてるだろうか。それぞれに色んな捉え方、考え方があるのだろう。

 一般的な映画やドラマを前提として書かせてもらえば、一部を除き、やっぱり大半は娯楽として楽しむのが第一義だと思う。

 なので、「すっごい爽快、気分が晴れる。でも現実は違う」と割り切れるのだと思う。

 ある意味、それが豊かさの象徴なのかもしれない。
【31】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月08日 23時18分)

 『ある朝 目覚めたら 神が待ってた 命に終わりがくるとそっと知らされた

 どうして僕だけが 旅立つのか 運命のさざ波に声は届かない

 一番近くの大事な人よ 幸せだったか それが気がかり

 もしも僕が居なくなったら 最初の夜だけ泣いてくれ

 君と僕が過ごした歳月を 思い出しながら見送って

 君と会えて幸せだった 

 朝の空見上げ 微笑んで 僕はきっと日差しになって 見守っているよ 君のこと

 見守っているよ 君のこと』
 
 クリスハートのアルバムの8曲目に入ってた曲。誰の曲かは知らない。

 私がクリスハートのアルバムを借りたのは必然。でも、なぜこの選曲だったのだろうか・・・不思議な力を感じずにはいられない。

 そして私は、妻にこう言った。

 「オレの葬儀のときには、クリスハートが歌うこの唄をかけてくれ」

 妻は泣いた。

 でもこれだけはわかってほしい。私は決して後ろ向きな発言をしたわけではない。

 私はいつでも前を向いているよ。
【30】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月08日 23時12分)

 そのとき私は、孤独が占拠する独房の中に身を置いていた。

 私の扉はあまりにも重い。でも、その重くて固く閉ざされている扉をこじ開けることができると、その先には希望の光が射し込んでいる。

 何とかまた扉を開けることができた。・・・でも何やら人の気配を感じる。

 右方に目をやると、一人の女性が座っている。

 ・・・まさごちゃんだ。

 最初はすごく驚いたし、なぜ彼女がここにいるのか理解できなかった。でもその次の瞬間には、事のいきさつの予想はついた。

 彼女は黙ったままずっと私を見ている。

 何だこの沈黙は・・・

 まずい。何をすればいいのか、何て言葉を掛ければいいのか皆目見当がつかない。沈黙に耐え切れなくなった私は、また悔いの残る言葉を発してしまう。

 「心配かけてるね」

 そう言うと、それまでずっと胸の中に閉じ込めていた多くの思いが、たくさんの愛情が、宝石の粒となって彼女の体から溢れ出てしまった。

 どうして私はこんなにも不器用なのだ・・・今ならいくらでも適切な言葉が思い浮かぶのに・・・

 それから更に長い沈黙が続いたあと、彼女は初めて口を開いた。

 「ベンガルさんなら絶対に大丈夫です。無責任なことを言っているわけではありません。伊達でベンガルさんとバディーを組ませてもらってた訳ではありませんから。本当に大丈夫です」

 彼女の言葉から、彼女が本当に言いたいこと、そして、その精一杯の優しさが痛いほど伝わった。あの宝石は、彼女にとっても不覚であったろう・・・

 私は本当に恵まれている。こんなに幸せでいいのだろうか。

 そして、あのときの先生の言葉を思い出す。

 「お前には単なる人ではなく、『人間』になってもらいたいのだ」

 人は一人では生きていけない。

 先生、私は今、『人間』になれているでしょうか?

 常に自問自答しつつ、これからも人との関わり合いを大事にして生きていきたい。

 
【29】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月08日 23時01分)


 若い頃はずっと、「明日できることは明日やる」、「明日もできるんだから無理して今日やる必要はない」というスタンスで生きてきた。

 何でも先延ばしにしてきた。夏休みの宿題がその典型だ。8月31日以外に宿題をやったことがない。そして、一度たりともまともに終えたことがない。とりあえず、「やった」という姿勢を見せるだけ。それでいいと思っていた。

 でもいつの頃からだろう。そのスタンスが変わってきた。意識して変わった訳ではない。「無意識の自覚」とでも言えばいいだろうか。

 若い頃は考えもしなかった、誰にでも訪れるあの現実が、その前提が、心のどこかに芽生えるのだろうか、潜在意識に訴えるのだろうか。

 そして、明確に自覚している今は、「今しかできないかもしれない」と思うことが多い。でも、それを実行するか否かはまた別物。

 人は決断を迫られたとき、必ずそこにバイパスを作る。と、思う。昔は弱いからだと思っていた。弱いからこそ、一見すると逃げ道みたいな他案や方策を案出しているのだと思った。

 でもそれは違う。心のどこかでその必要があると判断しているからこそ、人はそこにバイパスを作るのだ。

 そしてそこに「間違い」はない。自分自身のことを自分で決断しているのだ。判断を誤ったと思うこともあるだろう。でもそれは決して「間違い」ではないのだ。

 後悔してもいい。反省の連続でも構わない。最良の選択でなかったとしても、命ある限り、それは必ず自己の成長に繋がる。

 一歩ずつでいい。ときには後退したって構わない。人間とは、その繰り返しで大きくなっていくのだ。

 経験は財産。そして、その財産によってその人の人生観というものが構築されていくのだと思う。

 そして、その人生観とは、その人の「考え」や「思い」そのもの。人は、その人の考えや思いを、どのようにして理解するだろうか。

 やはり一番手軽で確実なのは「言葉」だろう。言葉は生き物。そして、ものすごい力を持っていると思う。でも、完全ではない。

 『言葉は心を越えない。とても伝えたがるけど、心に勝てない』

 この詩のように、私も心には勝てないのだと思う。そして、その心とは、つくられたものではなく、自然とその人からにじみ出る、あふれ出る「姿」であり、「態度」なんだと思う。

 娘は私の「姿」を感じ取ってくれるだろうか。

 いや、違う。娘ではない。その如何は全て私にあるのだ。
【28】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月08日 22時56分)


 結局8月はたった一日しか出勤しなかった。

 その間、色々なことを考え、そして、これまでずっと知ろうとしなかった、怖くて知ることを避けてきた「自分自身」というものをある程度理解した。

 多分私は、娘の成人した姿を見ることはできないだろう。このトピが落ちたとき、それは、私の命が落ちたときと理解してもらえればいい。

 さよならは言わない。『ベンガル』という物書き好きが居たというだけ。それ以上でもそれ以下でもない。それでいい。

 ・・・おっと、これではまるで、余命半年とでも宣告されたかのような書きっぷりだ(汗)

 心配ご無用。いつか急に、そして宣言する暇もなく来るであろう「トピが落ちる日」のために、前もって書いているだけのこと。

 そして、愚痴を言っている訳でも、悲観している訳でもない。世界中には、もっと悲しい、悲惨な状況にある人が星の数ほどいる。私は恵まれている。そしてなにより幸せだ。

 私は諦めた訳ではない。まだまだしぶとく生き抜いてみせるさ。
【27】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月01日 00時45分)


 何故か最近心に響いた言葉。

 大人は恋をしてはいけませんか?

 大人は我慢しなくてはいけませんか?

 大人は遊んではいけませんか?

 大人は夢をみてはいけませんか?

 大人は言葉にしてはいけませんか?

 なぜ私はこの言葉に立ち止まったんだろう・・・なぜ頭に残ったんだろう・・・

 最近考え込むことが非常に多い。でも考えが右往左往するだけで少しも前に進めてない。こんなにも寝つきが悪くなったのは初めてかもしれない。

 ・・・でも、その必要があると体が訴えているのだと思う。

 私は今、何について考えなければならないのだろうか・・・早急に答えを出さなければならないことがあるような気がする・・・

 でもそれが何かわからない。

 なんでだろう・・・どうしてだろう・・・

 若い頃は片意地張って生きてきた。それしかできなかった。不器用なだけだと思っていた。そんな自分を思い出しては「若かったな」と苦笑いし懐かしんでいた。

 でも今になって、それがどんなに幸せなことであったかに気づく。今は片意地すら張れない・・・

 「いい大人」とは何だろう。大人と子供の違いは何だろう。

 もしかしたら結論はないのかもしれない。でも自分の生き様、やってきたことに言い訳はしたくない。

 いい大人なのだから。
【26】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年09月01日 00時18分)


 今日、二十日ぶりに出勤した。いやぁ、久しぶりの出勤ってこんなにも緊張するもんなんだなぁ。

 どんな顔で、どんな感じで職場にいけばいいのか悩んだ。まぁ結局、その結論は出ないままだったが。

 いつもと変わらないみんなの対応に安心した。嬉しかった。またここでも「些細な幸せ」を感じた。

 当たり前の、ありふれた「有難み」なんて日常にいくらでもあるのだ。その一つ一つを見逃すことなく、しっかりと感じていきたい。

 でも、今週の出勤も今日一日だけ。明日からまた休まなければならない。迷惑かけっぱなし。私の不在間の「ツケ」は必ずどこかに生じている。本当に申し訳ない。完全復帰したら、ちゃんと利息を付けて返そう。

 で、今日お昼休みに高校野球を観ていた。日大山形と明徳義塾の試合。6回表に山形が同点に追いつき、また勝ち越されるも、8回にまた同点、更に勝ち越し。

 そのときの会社の人たちの盛り上がりようといったらすごかった。皆、心のどこかで東北勢を応援していたのだろうと思う。やはりこういう活躍はすごく士気が上がるだろうし、復興への貢献という意味でも大きいものがあると思う。でも、逆転された明徳のナインや応援席の人たちの表情を見て、それはどこにとっても同じなんだということを感じた。

 誰も皆、それぞれの立場や状況における「熱い思い」がある。その中には、地元の人やたくさんの人たちの思いも含まれるだろう。そう、みんな同じなのだ。

 だからこそ、あんなにも一生懸命になれるのだと思う。まことに「あっぱれ」である。

 明徳サイドの人たちは本当に悔しいだろう。今夜は悔しくて眠れないかもしれない。そして、その悔しさを当分引きずるのかもしれない。

 でもいつか、「こんなこともあった」と笑顔で振り返れる日が来ることを願う。その日が来れば、それは、その経験がしっかりと自分に「活きて」いる証だから。

 では最後は、いつものようにくだらないどうでもいい話で締めよう(笑)

 先日、妻の実家から帰る際、懐かしさのあまり、高速を使わずにずっと下道で帰った。

 久留米を通ったとき、ナビに映った「安武」という文字を見て、こんなことを思い出した。

 中学のとき、すごく噂になったというか話題になったことがある。

 それは、「オレたちの1つ学年上の人で、安武に住む安武ヤスタカという恐ろしい男がいる」という話。

 当時は本当に一時期、この話題で持ち切りになった。正直私は全く信じてなかったが、本当にいればおもしろいなとも思っていた。結局真相のほどはわからなかったが、何故か今は「いてほしかった」と思ったりもする。

 安武さん、本当に居たのかなぁ。
【25】

チュウエイ時代の書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月19日 02時21分)


 『アイツが言ってんだろ?どうせまた嘘に決まってる。信じるだけムダ。・・・でも、アイツは本当のことを言っていた・・・』

 『信じていた。信じ切っていた。アイツが嘘をつく筈がない。・・・でも、そんなアイツが嘘をついていた・・・』

 疑う、そして信じるという上記2つの正反対の事象。でも結果、自分が「傷つく」のは同じ。

 同じ傷つくのであっても、その背景や傷つく度合いがまるで違う。

 私はこういう2つの傷心を経験し、明らかな場合を除き、「もう人を疑うのはやめよう」と決心しました。

 同じ傷つくのなら、人を信じて傷ついたほうが何倍もいい。

 人を信じて傷ついたのであれば、自分を納得させることができる。そう強く思ったのでした。

 人が嘘をつくのには、必ず理由があると思うのです。

 「理由はどうあれ、嘘をつくのは絶対によくない」と言われる方もいますが、私はそうは思いません。

 子供はよく嘘をつきます。でもその大半は、「自分を守るため」に嘘をつくのだそうです。

 だからある意味、自分を守るために本能的に嘘をついている部分もあるのです。

 悪意のある意図的な嘘を除き、子供は嘘をつくと、自分自身を責めます。

 そう、嘘をついてしまった自分に、深く傷つくのです。

 そんなとき、頭ごなしに叱りつけると、子供は追い込まれ、居場所をなくしてしまいます。更に傷ついてしまいます。

 なので、そういうときの親の対応は非常に重要であり、また、非常に難しいのだと思います。

 くり返しますが、人が嘘をつくのには理由があると思います。

 大事であり、問題視すべきなのはその「理由」であり、嘘という行為そのものではないと最近では思うようになりました。

 「嘘をつくのは誰だって心が痛む。でも世の中には、本当に相手のことを思って、考えて、心を鬼にしてまでつく嘘もある」

 そう思っています。

 そういう思いから、最近では自然と、人を疑うということがほとんどなくなりました。そして、人を信じて傷つくことも。




 おさなごの 清き心に 満ち足りて 我が行く道の しるべ示さん
【24】

無題  評価

トリイソ (2017年08月19日 01時49分)


 皆さん、こんばんは。下の転載は、今からちょうど4年前の8月に書き込みされたものです。

 この書き込みを覚えている方はおられるでしょうか。

 この書き込みに至るまでの経緯を見ると、今更ながらに、たくさんの方がベンガルさんのトピを楽しみにしておられたというのを痛感します。

 そして今、またあの当時のことを思い出しています。

 あの当時の私の思い、その一端を私が初めてトピを立てた最初の書き込みに書いています。

 その思いは今も変わりません。その書き込み、転載します。




 私のピワ歴も、もうかれこれ10年くらいになりますが、今まではずっとロム専でした。

 私がここに求めるものは、店舗情報、機種情報の取得、そして暇でしょうがないときの暇つぶしでした。

 談話室も、「何かおもしろい書き込みあるかな」と思って覗く程度でした。

 でもベンガルさんの書き込みを知ってそれが徐々に変わっていきます。

 ベンガルさんの書き込みに心打たれ、勇気づけられ、そして時には思わず笑みがこぼれるような話も。

 ベンガルさんの書き込みが楽しみで仕方ありませんでした。

 書き込みを心待ちにし、毎日毎日談話室をチェックしました。

 そしてこれまでほとんど「人のため」と考えたことのなかった私も、その意識が少しずつ変わってきたような気がします。

 同じ年代の同じ父親として、感ずる部分が多分にありました。

 そして、私にも何かできることはないだろうかと考えるようになりました。

 私がここにトピを立てたこと、そしてこのトピタイにしたのには理由があります。

 少しでもベンガルさんに近づきたい。正直、大したことは書けないと思います。暇つぶしにもならないかもしれません。

 でも、できること、思いつくことから始めようと思いました。

 ベンガルさんも言われてたように、大事なのは変われたかどうかではなく、その意識を持つことができたかどうか、行動を起こすことができたかどうか。

 そして、奥さんが言われてた、ベンガルさんがここに拘った理由が知りたかったのです。

 トピを立てることで少しでもベンガルさんの思いや気持ちを感じることができるかもしれないと思ったのです。

 そして、ベンガルさんが戻って来られたときに、このトピタイならばベンガルさんの目に留まるかもしれない、そして覗いてくれるかもしれないと思ったのです。

 私はベンガルさんと対等に話をする自信がありませんでした。恐れ多くて書き込む勇気が持てませんでした。

 でも私はただ感謝の気持ちを伝えたかっただけ。

 そんな誰にでもできる勇気すら持てなかったことを今はすごく後悔しています。

 だからここで伝えたいのです。ありがとうございましたと。

 そして奥さんの書き込みにも心打たれました。不安に押しつぶされそうな日々を過ごしておられたと思います。

 でも決して諦めではなく、どんなことになろうともしっかりと現実を見つめていく覚悟。

 本当に素敵な家庭だと思いました。私も見習いたいと思います。

 私のように、ベンガルさんのファンだった方は数えきれないくらいおられることでしょう。

 でもそんな皆さんの同意や賛同を得たい訳ではありません。レスは一切要りません。

 私のこの最初の書き込みは、全てベンガルさんのためだけに書いたものです。

 そしてこれは私の新たな一歩です。
 
【23】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月19日 01時32分)


 皆さん、こんばんは。

 色々と気を遣って頂いたようで本当に申し訳ないです。

 妻から、「続けてほしいって書き込みがあったよ」と聞いて、すぐにでも書き込みしたかったのですが、諸事情で・・・

 妻がそれとなく書いていましたが、実はあの2日後、7月30日の夜に入院する羽目に・・・

 でもその日の夜のことは全く覚えていない。こんなことがあるのだろうか・・・

 木曜の午後に目が覚めたとき、なぜ病院のベッドで寝ているのかさっぱりわからなかった。見舞いに来てくれた会社の人たちに事情を聴いてようやく状況が把握できたが、それでも一切の記憶がない。どんなに思い出そうとしても思い出せない。

 ・・・ってか、別に思い出す必要もないのか。思い出すことに意味があるとも思えないし。ただ、自分自身がちょっと不思議な感じ。

 でも病院というものは暇で暇でしょうがない。娘が毎日来てくれて、トランプ、ウノ、オセロなどを一緒にやっていたが、そうそう長い時間できるものでもない。折角の夏休みなのに、約束してた阿蘇ファームランドにも連れていってあげれなかった。

 そして今日、無理矢理というか、無理を言って退院させてもらった。

 やっぱり家が一番いい。最高。そう、これこそが、ありふれた、当たり前の一番の幸せなのだ。

 ・・・しかし、妻があんな書き込みをしてるとは夢にも思わなかった。思わなかっただけに、「こんなこと書いてほしくなかった」という思いが先行し、私はつい「余計なことをするな」と怒鳴ってしまった・・・

 妻は何も言わなかった・・・妻にしてみれば、感謝はされど、文句を言われるとはそれこそ夢にも思っていなかっただろう・・・

 なんであんなことを言ってしまったんだ・・・最高に後悔してる。本当に申し訳ない。すまん・・・

 「姿」と書いていながら本当に恥ずかしい限り。こんなではしっかりと遺していくことはできない。

 明日ちゃんと謝ろう。そしてまた、思いを新たに。
 
【22】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月16日 01時42分)


 職を2〜3回、短いスパンで転々とすると、「辞め癖」がついてその後の職も長続きしない。

 昔の私はまさにそれだった。本当に全く長続きしないのだ。

 当時、一番長く続いたのでも木工所の工員で8ヶ月。最短はラーメン屋の半日だ(笑)

 今の職はよく長続きしてるなと自分でも感心する。

 当時の福岡県の最低賃金は435円。16〜17歳で車の免許もない(当たり前だが)となれば、ほぼ最低賃金の職しかなかった。

 その中でも植木職と木工所はかなり時給がよかった。それが少しだけ長続きした要因の一つだろう。

 レストランやスーパーなどのバイトはほぼ間違いなく最低賃金だった。

 スーパーでは当初、惣菜コーナーで働いていた。ここではなぜかパートのママさん達に非常に受けがよく、すごく可愛がられた。

 2ヵ月くらい経った頃、営業部長に呼び出され、鮮魚コーナーにまわってくれと言われ、渋々承諾した。でも鮮魚の雰囲気は私には合わず、それから5日後に辞めてしまった。

 これは後から聞いた話だが、このときパートのママさん達が部長に猛抗議をしたらしい。

 ママさん達ももう60近くなっているだろう。元気にしているだろうか・・・

 高校を中退して次の年から定時制(夜間)の高校に通った。別に高卒の資格がほしかった訳ではない。

 職安(当時の職業安定所)に行っても、16〜7で免許もないとなると、当時でもなかなか職にはありつけなかった。

 でも、定時制に席を置いていると、学校がある程度職の面倒を見てくれる。一人では無理でも、学校の後ろ盾があれば職にありつけることも多かった。

 結局3年近く席を置いていたが、一度も進級することはなかった。

 しかし、高校を2回中退しているヤツもそうそうおらんだろ(笑)
 
【21】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月15日 23時55分)

 
 あれは忘れもしない、平成11年12月30日の出来事。

 パチンコを終え帰宅すると、すぐに母が2階から降りてきてこう言った。

 「○○さん、亡くなったんだって」

 「いきなり何言ってんだよ」

 「お兄さんから電話があった」

 「!?」

 すぐさま折り返す。
 
 「今日の午後4時、心不全で亡くなった」

 心不全?どういうことだ?交通事故とかならわからなくもないが・・・

 実は○○はその年の10月に結婚したばかりだった。

 8月には婚前旅行で韓国に行き、二人でフルマラソンを走ってきたと言っていた。といってもアスリートのようにハードなトレーニングをしている訳ではなく、毎日軽くジョギングをしている程度。まだ28歳。体はどこも悪くない。というより健康そのものだ。

 なぜ心不全・・・

 その日の昼食後、奥さんに「ちょっと頭痛がするから横になっとく」と言ったあと、二度と起きることはなかったという。

 残念なことに、世界中の人々に「明日」という日が平等に訪れる訳ではない。いつかは自分の順番が来る。そしてそれは「いつ」かわからない。極論すれば、それは「今日」かもしれないのだ。

 だからこそ『今』というありふれた、当たり前の時間を精一杯、大事に生きていきたい。

 通夜のときの、終始泣き崩れていた奥さんの姿が今でも忘れられない。

 元日に届いた二人からの年賀状。

 そこには○○の字で「今年もよろしくお願いします」と書いてあった・・・
 
【20】

無題  評価

トリイソ (2017年08月15日 23時37分)


 最近よくベンガルさんのことを思い出します。

 ベンガルさんは私とは似ても似つかない人だと思うんですけど、なぜか境遇というか、私と似たような経験をされてたりして、すごく嬉しかったのを今でもはっきり覚えています。

 同性にこれほどまでに惹かれたのは初めてです。というより、これから先はもうないかもしれません。

 なぜ神さまは、ベンガルさんという人をこの世に送り出したのか、そして、なぜ私と巡り合わせたのか、そんなことをよく考えます。

 偶然ではない。そう思えてならないのです。

 だとすれば、私は何をすべきだろう・・・

 そんなことをよく自問自答します。

 人は色んな局面において、感謝の気持ちを覚えることがあります。

 そんなとき私は、なぜ今この瞬間があるのかということを考えたりします。

 そうすると、何気なく過ごしてたら絶対に気づかない『思い』があることに気づくことがあるんですよね。

 発見できたりするんですよね。

 そんなことをベンガルさんから学んだような気がします。教えられた気がします。

 ベンガルさん、あなたには感謝の気持ちでいっぱいです。またしばらく転載しますが、どうかお許しください。

  
【19】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月14日 02時46分)


 2013年7月9日(火)午前11時、そのとき私は鹿児島空港に居た。

 初めて来たが、鹿児島空港は日本で6番目に利用客が多い空港だそうな。たしかに予想していたよりも人が多い。

 それから私はジャパンエアコミューターで沖永良部島に行く。36人乗り。こんなにちっこい飛行機はセスナ以来だな。

 沖永良部は人口14000弱。結構いるんだな。それから与論島、奄美大島、喜界島に行ってきた。

 3泊で4つの島。結構なハードスケジュール。飛行機に乗ったのは4日で5回。こんな短期間にこんなに乗ったのも初めてだ。

 海や自然が好きな人はどの島も魅力的なのだろうが、個人的に一番オススメなのは奄美大島。この中では一番大きく(日本では沖縄、佐渡島に次いで3番目)栄えていて、パチンコ店も10店舗以上あったのも魅力的。

 おっと、間違えた。違う、違う。見どころもたくさんあってお土産屋さんも多く種類も豊富。この中では唯一ハブが生息する島。んっ?与論にもいたっけな?

 まぁ、それはさておき、奄美の浜辺でウミガメを発見。急いで写メを妻に送る。でも「ようわからん」とな。やっぱりこの感動は実際に見た者でないとわからないか。

 あと、瀬戸内町の南部大島自動車学校の横にある旧陸軍弾薬庫跡に行ってきた。昭和7年に作られたものにしてはすごい立派。その精強さがうかがえる。

 そして、最終日には喜界島に行ってきた。ここに来た目的は、地下ダムの研修。日本で2例目になる地下ダム建設だが、いやはやすごい技術だ。

 プライベートか、もう少し余裕のあるスケジュールだったら存分に楽しめたと思うが、あっという間に終わったという感じだった。結局パチンコもできなかった(涙)

 で、ここからが本題。

 奄美のホテルでテレビを観ていたら、CMでスターダストレビューの『今夜だけきっと』が流れていた。

 『今夜だけきっと』はこれまで聴いてきた曲の中で、多分私のトップテンに入るであろう名曲。メンバーの母親は、この曲を聴いたとき感動して泣いてしまったという。

 でもスターダストレビューの曲がCMに使われるのは何年振りのことだろう。絶頂期には結構使われていたが、最近では活動しているのかさえもよくわからない。

 そういえば、渡辺満里奈(実はおニャン子の中で一番好きだった)にも楽曲を提供していたな。

 おニャン子と言えば、山本スーザン久美子がなぜメンバーに選ばれたのか未だに理解できない(笑)彼女が一番好きだったという人はいるのだろうか?

 おっと、また横道に逸れてしまった。

 今日帰宅途中、カーナビのHDDに記録している3000曲以上の中から『今夜だけきっと』を探し出し久しぶりにじっくり聴いてみたが、やっぱりすごくいい曲。

 こりゃ片手に入るな(笑)
 
【18】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月14日 02時42分)


 「こちらが前菜のサラダとスープになります」「こちらがメインディッシュのサーロインステーキになります」

 いや、そんなの見りゃわかるって・・・っていうかその日本語おかしくね?

 「こちらが前菜のサラダとスープです」じゃねぇの?

 オタマジャクシを指差して「オタマジャクシになります」って言われたら、「えっ?カエルになるんじゃないの?」ってなっちゃいますよ。

 こういうことに限らず、現代には「新語」なるものがる。そして「死語」もある。まるで生き物だな。いやいや実におもしろい。


 『発足』

 我々の時代は「ほっそく」と言っていた。今は「はっそく」と言うらしい。

 あと、私が知らなかっただけかもしれないが、「代替」を「だいがえ」と読む人を、「もっと勉強しなさい」と思っていたが、どちらでもいいらしい。たしかにパソコンで変換すると普通に出てくる。勉強不足なのは私のほうだった。

 本当に日本語は難しい。英語を覚えるよりも何倍も難しい。日本語が話せる外国人を見ると、本当に感心するというかすごいと思う。

 英語はシンプルだし、「世界共通語」として適しているのだろう。

 でもやっぱり日本語独特の「味」は、方言も含め、非常におもしろい。

 そんなことを思った一日でした。
 
【17】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月14日 01時53分)


 今回の出張では、買い物や食事に行くとよく「ジャパニーズ?」と聞かれた。

 「イエス」と答えるたび、みんな、日本の友人の話や思い出話を聞かせてくれた。

 買い物レジでは長話はしなかったが、飲食店では10分以上話し込むこともざらだった。

 私が「日本人」だからという訳ではなく、色んな人に気さくに声を掛けていた。まぁそれが「接客業」の本当の姿なのかもしれない。

 翻って、日本ではどうだろうか?タクシーや床屋(といっても20年くらい行ってないが・・・)ではよく話しかけられるイメージがあるが、飲食店ではあまりそのようなイメージがない。

 「接客業」と「サービス業」の切り分けというか、日本におけるサービスの重点はもっと違うところに向けられているのだろう。

 まぁもっとも、コンビニのレジとかで、会計の都度話しかけられても、それはそれですごく鬱陶しい気もするが(笑)

 つまりはその各々で、需要と供給がうまく釣り合っているということか。

 でもまぁその、あれだ。実は私もタクシーとかで話し掛けられるのはあまり好きではない。静かなほうが落ち着く。

 パチンコも然り。というより長年パチンコやってきた弊害だろうか?それとも私が「日本人」だからだろうか?

 おっと、今回書きたかったのはこんなことではない。

 たくさん「ジャパニーズ?」と聞かれた。全て「ジャパニーズ?」だ。

 そう、そのことがすごく嬉しかったのだ。
 
【16】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月14日 01時48分)


 ロスから車を飛ばして5時間。所要でメキシコ国境までやってきた。

 ここにくるのは9年ぶり2回目。ここはある意味思い出の地。

 国境を境に、こちら側とあちら側の風景がガラリと変わる。以前来たときもそうだったかはよく覚えていない。

 ただ、一つだけはっきり覚えていることがある。

 好奇心でメキシコに行った。メキシコに行くのは非常に簡単だった。入国審査も検査もなかった。でもアメリカに戻るときの入国審査が非常に厳しかった。

 パスポートをホテルに置いていた私は、結局入国するまでに6時間を要した。海外では常にパスポートを携行したほうがいいとこのとき思った。(まぁパスポートを持っていたとしても、かなり時間を要したとは思うが・・・)

 待たされてる間、すごくイライラした記憶があるが、今となってはいい思い出。島国では経験できない貴重なものだったと今は思える。

 そして多分、あのときもそうだったと思うが、ここに立つと不思議な感覚を覚える。国境沿いにあるアウトレットモールへ向かう歩道橋の上から、メキシコ国旗がいくつも視界に入る。日本では味わうことのできない感覚。

 やはり国境は、ただの「境」ではなく、すごく重いものなのだろう。

 国境に立ち、ふとそんなことを考えていた・・・
 
【15】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月14日 01時41分)


 仕事というものは、気心の知れた仲間とやるほうがうまくいくというか効率がいい。

 初めての土地で、ほとんど面識のない人たちと仕事をすると、思わぬところで齟齬が生じてしまっていることがままある。

 それは、それぞれの職場、部課での常識が、他社や他の部署でも当然「常識」だという先入観があるからだろう。

 いざ相手方と調整を始めると、「いや、それは違う」と仲間内から横やりが入る。

 相手方にしてみれば、「何だ、あなた方は自分たちの意見もまとまっていないのに調整をしているのか?」となってしまう訳だ。

 なので、調整をする前の仲間内での見解のすり合わせが非常に大事だ。

 当然必ずやっている。でもこの「常識の先入観」が非常にやっかいなのだ。

 それぞれが「みんなそう思っている」という先入観や固定観念があるため、その相違の全てを事前に把握することは難しい。

 で、結局、大事な調整や商談中に「えっ?それも違うのか?」となってしまうのだ。

 同じ職場の仲間や、一つの職場で完結する仕事ならまずあり得ないのだが、他社との合同での調整ではこういうところにも配慮しなければならない。

 本当に仕事というものは難しい。

 実はこの海外出張中にも、大事な調整時に調整内容が180度ひっくり返るほどの大きな「認識の相違」が発覚した。

 当然、調整はその場で中止。

 正直、「もうダメだ」と思った。

 誰もがみな「私たちのミスです」と自責の念を口にした。でも、結局それは「言い訳」でしかなかった。

 かくいう私も、「本件については調整がつきませんでした」と報告せざるを得ないと思っていた。

 落胆し、重い足取りでホテルに帰ってきた。そして色々なことをずっと考えていた。「どう説明すれば納得してもらえるだろうか・・・」

 ・・・そうなのだ。どんなに説明しても、どんなに言葉を取り繕っても、結局全て「言い訳」なのだ。

 そう思ったとき、気持ちを切り替えることができた。「我々は選ばれてここにきたのだ。やれるだけのことをやらなければならない」

 どんなに見苦しくても、もし結果が出なかったとしても最後まであがき続けなければならないのだ。

 次の日、資料を一から作り直していることをみんなに告げた。みんなも同じ思いだったようだ。

 私はホテルに戻ってからも資料を作成する日々が続き、みんなは「再調整」のために奔走した。そして4日間かけて資料が完成、また、みんなの努力で「再調整」にこぎつけることができた。

 そして、資料のプレゼン後、相手方が口にした「Wonderful」は、我々にとって最高の褒め言葉であった。

 ものすごく遠回りをしたが、本件によって更に深い信頼関係が構築できたものと自負している。

 「有終の美」、「終わり良ければ総て良し」そして、経験の全てが財産。

 本当にいい経験をした。「人間、諦めなければそうそう簡単に活路が閉ざされることはないのだ」

 そう思えた。

 そうそう、余談ではあるが、この時は丸4日間で6時間しか寝れなかった。でも何とか踏ん張れた。私の体力もまだまだ捨てたもんでもないな(笑)
 
【14】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月14日 01時37分)


 ハワイでの仕事を一通り終えた私たちは、午後から時間が空いたので、会社借用のレンタカーを使ってアラモアナのショッピングモールにみんなでお土産を買いに行った。

 バブル時、ダイエーの中内元オーナーが買収していたモールだ。

 まずは腹ごしらえとのこと。まぁ仕方ない、付き合ってやるか。

 フードコートに行く。目移りするくらいたくさんのお店が並んでいる。席を確保し交代で買いに行く。

 「さて何にしようか・・・」

 一通り見て周ったあと、一番おいしそうだったステーキ丼にする。海外での食事でいい思いをした記憶がほとんどなかったので正直あまり期待していなかったのだが、食べてみるとこれがすごく美味しい。ボリュームもあり、これで9ドル20セントなのでそんなに割高感もない。ただ年寄りにはちょっと肉が多すぎるか(笑)

 みんなは「イマイチ」だったようで、「○○さんのが一番当たりだな。さすがですね」

 「いやいや、たまたまですよ」

 そしてここから、機械音痴の私と、柔らかい頭の若いみんなとの行動の差が出てくる。みんな食べながらスマホだかiPhoneだかを片手にそちらに夢中。

 「ここ、Wi-Fiが繋がるスポットなんですよ」と。「へぇ〜、そうなんだ」と返しつつも何のこっちゃようわからんが(汗)

 画面を覗くと(失礼)、ヤフーで日本のニュースとかが普通にみれてる。本当に便利な世の中になったもんだ。まぁ、私のようにその知識すらないと、ただの宝の持ち腐れになってしまうが・・・

 で、今回のオチ。

 結局このモールではそれらしいお土産を見つけることができず、みんな近くのドン・キホーテでお土産を買いましたとさ。
 
【13】

無題  評価

トリイソ (2017年08月14日 01時18分)


 皆さん、こんばんは。

 最近、ベンガルさんの書き込みをまた読み返しています。というより、そのためだけにしかパソコンを開いていませんが(汗)

 それで思ったのですが、ベンガルさんの書き込みって大体というかほとんど覚えてるんですよ。

 でもなぜか、自分の書き込みって忘れてることが多くて、大抵は「そういやこんなことも書いたっけ」って思い出せるんですけど、中には書いたことすら一切覚えてないような書き込みもあって、なんか不思議ですね。

 っていうかただの痴呆?

 と、そんな前置きはさておいて、あくまで自己都合なんですけど、ある理由により、これからしばらく落ちない程度にベンガルさんの書き込みを紹介したいと思います。

 サボり過ぎと思われるかもしれませんが、大目にみてください。

 最初は、海外出張中にトピが落ちてしまって、帰国後一発目の書き込みを紹介します。

 では。
 
【12】

ベンガルさんの書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年08月14日 01時27分)


 先ほど帰宅すると、何やらメモ書きが・・・

 「ごめんなさい」
 
 あらあら、1回こっきりでもう忘れちゃったのね・・・

 まぁ、妻らしいというところか(笑)

 では、帰国一発目。



 『色んな人に支えられ』


 「ある一件」以外、仕事はすこぶる順調で、予定より10日ほど早く帰国することができた。

 所望の仕事を終えた我々は、その旨を会社に報告した。すると思いがけない返答が。

 「予定の期日までそっちでゆっくりしてこい」とのこと。このことをみんなに告げると、当然のごとく大はしゃぎ。でも私の心境は複雑だった。

 この出張間、休みは4日しか取れなかったが、その「休日」にすることがないのだ。2日は所要で潰せたが、あとの2日はすることがないというか何もする気にならない。ただ時間を持て余すだけ。

 改めて思い知った。今の私には「家族の存在」と「パチンコ」がなければ、休みなどいらないのだ。

 みんなはもうすでにディズニーランド、ユニバーサルスタジオ、グランドキャニオン、ラスベガスと、日々の予定を立てている。「川下りもいいねぇ〜」と本当に楽しそうだ。

 私も若ければ、みんなと同じように「ワクワク」できただろうか。

 かなり悩んだが、やっぱり私は帰国することにした。まぁ悩んだというより「私の行動など彼らには関係ない」と思っていた。

 帰国する旨を告げると、みんなが思いもよらぬ反応を示す。「絶対ダメです」と。

 「私と一緒に行きたい」と言うのだ。

 決して彼らが嘘を言っているとは思わないが、もし仮にそれが嘘であったとしても、私にはすごく有難い言葉だった。嬉しかった。

 でもよくよく考えてみれば、食事のときもいつもみんな一緒だった。私が抜け駆け(汗)して一人で先に行こうとしても、「待ってくださいよ〜」と言ってみんな付いてきた。

 たった2日だけの休みも彼らは誘ってくれた。なのに私は「疲れた」ことを理由に断ってしまった。

 彼らの厚意、やさしさに今になって初めて気づく。またしても思いが至らなかった。

 このことに気づいたとき、「今度はちゃんと応えなければならない」と思った。でも・・・

 多分私は、心からは楽しめないだろう。そして彼らもそういう「私」を望んではいない。何より早く娘に会いたい。私は思いのたけを彼らに話し、そして納得してもらった。

 彼らが心から楽しめるように、彼らが帰国するまでには「報告レポートを全て書き終える」ということを約束して。

 今の若者というか、彼らから学びとることは非常に多い。

 予定でいくと、彼らは今頃ラスベガス入りしたころだろうか。
 
【11】

現状に思う。  評価

トリイソ (2017年08月15日 23時42分)

 先日、オヤジの大腸に腫瘍が見つかった。幸い、癌ではないとのこと。

 歳とともに体は確実に蝕まれていく。例外はない。

 今後の可能性もあるし、癌でなくとも摘出はしなければならない。

 危険でないにしろ、老体に手術はそれなりに負担があることと思う。

 術後の病室に向かう。おふくろと姉貴はすでに病室にいた。

 オヤジは遠くを見つめている。その視界に私は入らない。

 1〜2年前までは、まだ何とか一人で散歩することができた。でも今はもう、付き添いなしでは散歩することさえもできない。

 大好きな車の運転も、毎月楽しみにしていたベストカーを読むことも、もうできないのだ。

 もう目だけでは、私の存在を認識することもできない。

 オヤジは今、何を思っているのだろうか・・・

 ベンガルさんは、光を失うことは恐くないと言われた。心の目で、全てのことを見ることができると言われた。

 オヤジは、どうなのだろうか。

 その心の目に、私の姿は映し出されているのだろうか。

 小さいころ、幼心に描いていたものは、オヤジみたいになることだった。

 その夢が、そう思えたことが、私にとって一番の幸せだったのだと思う。

 私は今、オヤジにどれだけ近づけたのだろうか・・・

 オヤジは、オヤジという重責を背に、毎日を精一杯生きていたに違いない。

 もういい加減、ゆっくりしてもいいのだと思う。

 オヤジと、そしておふくろと、あとどれだけ共に過ごせるかはわからない。

 残された時間、私は何をすべきであろうか。そして、何ができるのだろう。

 オヤジの遠くを見つける眼差しを見ながら、そんなことを考えていた。

 人は生まれながらにして家族愛というものを持っている。誰に教えられた訳でもない。本能的に持っている。

 それは多分、神さまからの贈り物。だから一生、大事にしなければならない。そう思う。

 また人はときに、生まれてきた意義を、生きていく意義を考えることがある。悩むことがある。

 意義とは、何をすべきか、何をしていくべきかということ。

 だから人それぞれでいい。いや、だからこそ人それぞれでなければならない。

 でも、万人共通のものがある。それは義務だ。

 生まれてきたのは偶然ではない。70億のすべてが、生まれてきたことは必然なのだ。

 オヤジとおふくろの息子として、私が生まれてきたのは偶然ではない。

 必然だからこその義務、それが必ずある。

 足早に通り過ぎていく季節も月日も、どう捉えるかは全て己次第。

 もしかしたら、思っているほど猶予はないのかもしれない。

 でも、焦る必要もない。そう思っている。

 息子として、そして親として、何をしていくべきか、また改めてじっくりと考えていきたいと思う。

 最後に、これで3回目であり、また自画自賛ではあるが、我ながらによくできたと思っているあの詩を詠んで、締めたいと思う。



 親として 大事なことは ひとつだけ 親であること それだけなのだ

 
【10】

人間味と魅力  評価

トリイソ (2017年07月26日 01時16分)


 人間味って一体何でしょうかね。何をもって人間味って言うんでしょうかね。

 完璧な人間などいないのは当然のこととして、マイナスの要素としては短所がありますよね。

 短気、優柔不断、消極的、その他にも色々あると思いますが、果たしてこれらは本当にマイナスの要素でしょうか?

 長所と短所って、それらが対になることが多いですよね。

 長所は決断力がある、それが短所だったら優柔不断、積極的だったら消極的みたいに。

 長所や短所になる要素を一通り自己分析すれば、概ねがそのいずれかに該当すると判断することができると思います。

 そしてその判断をしたときに、長所の割合が多い人ほど立派な人というか、社会的には『できる人』なんだと思います。

 社会的評価は当然自己評価ではなく客観的評価ということになりますが、分析が正しければ、その評価は概ね合ってると思います。

 何事にも積極的でかつ冷静沈着、決断力があり温厚でまじめ、気性も荒くない。段取りをつけるのがうまく効率的。頭がよく仕事もできる。芯もしっかりしてるし、そして何より優しい。

 こんな人物が身近にいたら、皆さんはどう感じるでしょうか。

 多分、仲間からの信頼も厚く、女子受けもいいでしょう。

 『非の打ち所がない』ってところでしょうか。

 でも何ででしょうかね、私はなぜか、そういう人間になりたいとはあまり思わないんですよね。

 当然憧れますよ、尊敬しますよ。でもね、やっぱりなりたいとはあまり思わないんですよね。

 魅力的な人物ってどういう人のことを言うんだろうって考えたときに、当然前述したような人は十分魅力的だとは思うんですけど、必ずしもそれがイコールになるとは思わないんですよね。

 魅力の根源って、人物評価をしたときに得られる答えではなくて、内面からにじみ出るというか、肌で感じるものだと思うんですよね。

 で、それって、一見マイナスと思われるようなことでも、魅力を感じることって多分にあると思うんですよ。

 だから私は、短所って実は欠点ではなくて、人間にはなくてはならないものだと思っています。

 例えば、普段は温厚で冷静沈着、いつも的確に指示を出し、仕事も完璧にこなす。

 そんな上司がいたとします。

 で、自己の想像とは違うその上司の一面を垣間見る瞬間があったとします。

 例えば、ほんの些細なことでムキになってるその上司を目撃したり、実は女性に対してすごくだらしない部分があったり。

 そういう瞬間を目の当たりにしたり、知ったりしたとき、嬉しくなることないですか?そのことで更にその上司が好きになったりすることないですか?

 そういう一見マイナスと思われるような部分が、実はその人の個性であり、それが人間味ってことじゃないかなぁって思っています。

 当然、全てが肯定できる訳ではありません。改善しなければならない部分もたくさんあると思います。

 でも、一見マイナスのようで実はマイナスではない、例えば、自分のことを消極的って思ってる人は、そのことを長所のところには書かないですよね。

 大抵は短所のところに書くと思います。

 でもそれは角度を変えると、謙虚であったり、縁の下の力持ちであったり、客観的に物事を見る力に長けてたり、色んな側面があると思うんですよ。

 つまり、そういう『否定はできない』部分こそが、個性たる人間味なんだと思うんです。

 人間味あふれる人物、そういう人物こそが、本当の意味での『魅力的な人』なんじゃないかなぁ。




 あら素敵 でもよく見れば だらしない でもまたそこが いいのよねぇ

 
【9】

書き込みの根源  評価

トリイソ (2017年07月26日 00時01分)


 バックナンバーの『幸せ』に因んで、もう一つベンガルさんの書き込みを紹介したいと思います。

 私もこれまでにたくさんの書き込みをしてきましたけど、私が書き込みをする根源は、おそらく、その書き込みを見た人が何を感じるか、どう思うか。そういうことなんだと思います。

 全く誰も見ない、若しくは見れない状態であれば、それは日記でしかなく、そこが一番の大きな違いだと思っています。

 こういうところでの書き込みと日記とでは、その部分の前提が全く違うため、同様の内容を書いたとしても、やはりそこには差異があるのだと思います。

 私ももう十何年日記を書いていますが、あっ、パチ日記ですよ、私が日記を書く一番の目的はやはり『記録』で、自己への戒めと、もう一つは、あるかどうかわかりませんけど、引退したときの楽しみの一つというか、『思い出』なんですよね。

 でも、第三者が見るという前提であればやはりそれは違くて、重複する部分はあったとしても、一番はやはり、それを見た人が『何を感じるか』だと思うんですよね。

 そういうことに思いを致して書く内容が決まるのだと思っています。

 自己のことなのにこのような曖昧な言い方は少し変なのかもしれませんけど、自分でもよくわからないというか、明確な答えって未だに出てないんですよね。

 というより、永遠に出ないのかもしれません。

 そんな中思うのは、こういうところでの書き込みの行き着く先っていうか目的は、ベンガルさんが言われてたように、やっぱり『自己満足』なのかなって。

 ちょっとわかりにくいかもしれませんけど、冒頭で書いた、何を感じるか、どう思うか、そういうことが自己満足なんだろうなって。

 そして、自己満足こそが心の安定であって、『幸せ』なんだろうなって思います。

 
【8】

ベンガルさん書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年07月26日 00時14分)


 今日、妻は朝から友人と渋谷に買い物に行った。

 だいたい1〜2か月に1回くらいの割合で、こんな感じで育児から完全に解放される。

 「毎週日曜日は好きにしていい」と言っているのだが、妻にも色々思うところがあるのだろう。

 ・・・というより、やっぱり私がもっとしっかりしないといけないのだろう・・・(汗)

 今日は朝一で娘と買い物を済ませ、そのあと公園で遊び、カラオケ行って、最後にイオンのプレイランドで遊んだ。

 一緒にお風呂に入って、ベッドに入ったあと、10分くらいして様子を見にいったらもう寝ていた。

 妻は10時過ぎに帰宅した。お酒を飲んで上機嫌。今日のことを話した。

 「お互い楽しい一日だったね。」

 そう言ったあと、軽くシャワーを浴びて、妻もさきほど就寝した。



 今日、娘と買い物に行ったときの話。

 娘の明日のおやつにアイスクリームを買った。

 「これ、明日のおやつに食べていいけん」

 私がそう言うと、娘はこう言った。

 『やった。これで明日も幸せだね。でも、今日のほうがもっと幸せ』と。

 言葉が出なかった・・・

 色んな思いが頭を巡った。

 そのあと何回も娘に、「パパ、今日はボーっとしてるね」と言われた。

 まずなにより、娘が今日(日曜日)という日を「幸せ」と言ってくれたことが嬉しかった。

 と同時に、「やっぱりこのままでは・・・」という思いにもかられた。

 また色々考えた。でも当分、今の状態が続くのだろうと思う・・・

 今日の娘の言葉を自分に照らし合わせてみた。

 あんなにストレートに自分の気持ちを伝えることができるなんて、子供は本当に素敵だと思った。

 大人は素直じゃない。色々なことを考えて取り繕ったり、言い訳したりして自分を誤魔化す。

 自分の気持ちすら、相手にまともに伝えきれてないのでは・・・とよく思う。

 いつからこうなってしまったんだろう・・・

 今日は色々考えさせられた一日でした。
 
【7】

バックナンバーに思う。  評価

トリイソ (2017年07月23日 23時49分)


 あれはたしか去年の暮れでしたか、バックナンバーのベストアルバムを買ってからというもの、今でもずっと聴いています。

 ヒロインが出て間もない頃、その歌詞に感銘を受けて、チュウエイ時代に思わず転載したのを覚えています。

 私が初めてバックナンバーを知ったのは、今から約5年ほど前です。

 いつもいくイオンモールでよく『わたがし』がかかっていました。

 ほんとにいつもかかっていたので、メロディーが完全に頭に焼き付いて離れなくなっていました。

 でも当時は何ていう曲なのか、そして誰が歌っていたのかも全く知りませんでした。

 でもどうしてもドライブ中に聴きたくて、色々調べてやっとわかった時の嬉しさ、今でもはっきり覚えています。

 最近またよく聴いているのは、『幸せ』という曲です。

 この曲を聴くといつもあることを思い出し胸が切なくなります。

 今更ですが、少し歌詞を紹介します。


   本当はもうわかってたの あなたがどんなにその人が好きなのかも
   となりにいる私じゃ勝ち目がないってことも本当はもう知ってたの
   あなたが恋に落ちていくその横で私はずっとあなたに恋をしていたの
   なんにも気づかないで笑うあなたの横顔をずっと見ていました

   あなたが今しているのは私が一番聞きたくない話なのに
   それでも聞き続けるのはあなたに会えなくなるよりはまだ少しだけましだから
   私が聞きたかったのは終電の時間でも好きな人の悪口でもなくて
   せめて今日のために切った髪に気づいて似合ってるよって言ってほしかった・・・


 この曲を聴くといつもベンガルさんのあの書き込みを思い出し、すごく切ない気持ちになります。

 ということで、ベンガルさんのあの書き込み、紹介したいと思います。

 
【6】

ベンガルさん書き込みの転載  評価

トリイソ (2017年07月24日 00時07分)

 妻と付き合っていた頃の話。

 ある日、彼女から「今度の土曜日、パチンコ終わってから会いたい」と連絡があった。

 ・・・「んっ?」

 何か違和感を感じた。

 そうだ、付き合ってから今まで、彼女から「会う約束」をしたことはなかった。

 付き合い始めた当初、私は彼女に、「オレには借金があるから、多分ほとんど会えないと思う」と言った。

 だから彼女は自分から誘うことはせず、いつもずっと「待っていた」のだ。

 何かある・・・

 鈍感な私でもさすがにそれだけはわかった。

 でも一体何だろう。心当たりを片っ端から当たってみるが、全く見当が付かない。

 やましいことは何もない。誕生日でもない。付き合った日は覚えていないが、こんなに肌寒い季節ではなかった。

 「じゃあ一体何だ?」

 結局予想もつかないまま当日を迎え、パチンコも終わった。

 彼女を迎えに行き、ファミレスに行った。いつになく緊張しているのがわかる。

 私は今日のパチンコの話を、彼女は最近のことについて話した。

 ・・・痺れを切らしたのだろうか、彼女は言った。

 「何か言うことないの?」

 全く見当が付かない私は、ちょっとキレ気味にこう言った。

 「オレはやましいことなんか何一つない」

 しばらくの沈黙のあと、彼女は言った。

 「そんなことわかってる。鈍感、バカ」

 聞けばなんてことはない。髪を切ったというのだ。まぁよくある話。

 一気に緊張がほぐれた私は、

 「なんだ、そんなことか、んなもんわかる訳ないだろ、ちょっと切ったぐらいで」

 と笑いながら言った。

 本当に恥ずかしい。女心を全くわかっていなかった。彼女の気持ちなんて考えたこともなかった。頭の中はパチンコでいっぱいだった。


 ・・・と、そんなことを最近思い出した。そして、なぜ「あの時」だったのか気になった。

 色々考え、今やっと、私なりの結論を出すことができた。

 彼女はずっと待っていた。先が全く見えないのに、何年間もずっと「待っていた」のだ。

 不安でいっぱいだったと思う。不安に押しつぶされそうなときが幾度となくあったに違いない。

 だから、自分の『些細な変化』に私が気づくことで、「心は離れていない、ちゃんと気に掛けてくれてる」と実感したかったのだろう。安心したかったのだろう。

 そんな彼女の気持ちを、ひとつも理解してあげられなかった・・・

 実は、あの日の帰りのことや、その後のことは全く覚えていない。

 多分、帰ったあと泣いていたんじゃないかと思う。「もう別れよう」と思ったと思う。

 でも彼女は、そんなことを口に出したことは一度もない。私が気づいてないだけかも知れないが、そんな素振りを見せたこともない。

 私はそれまでに、何人もの女性に愛想を尽かされ続けてきた。

 私の過去の「行い」を振り返れば、それは当然だし、賢明な選択だと思う。

 でも彼女は違った。

 最終的には、親の反対を押し切ってまで私に付いてきてくれた。感謝の言葉もない。

 多分、一生かかっても私にはその理由がわからないのだと思う。

 私が言うのもおこがましいが、

 「皆さん、どうでしょうか?奥さんや彼女の『些細な変化』に、ちゃんと気づいてあげれてますか?」
  
【5】

無題  評価

トリイソ (2017年07月12日 23時51分)


 皆さん、こんばんは。

 九州北部豪雨から一週間が経ちました。今もなお、被災者をはじめ、各自治体、警察、消防、自衛隊、そしてボランティアの人たちの懸命な活動が続いています。

 私も先日、現地において活動してきました。一日も早い復興のために何ができるのか、何をすべきか、しっかりと考えて行動に移していきたいと思います。

 今回は、東日本震災の際に、まさごさんが書かれたスレッドを紹介したいと思います。

 許可は得ております。

 私が初めてその書き込みを見てから、もう5年近く経ちます。なんか信じられません。

 尊敬する親友の自衛官に惹かれ、触れ合うことで感じたたくさんの思いが凝縮された書き込みのように思います。

 当時、まさごさんとその親友の自衛官は、まだ二十代前半の女性。そういうことに思いを致すとまた、様々な思いがこみ上げてきます。

 私が感じたように、皆さんにも何かしら感じることがあればと思います。

 
【4】

まさごさん書き込みの転載(その1)  評価

トリイソ (2017年07月13日 00時00分)


 まさごの独り言

 柄でもないことを書きます。
 
 これから下記文を書くにあたり、東日本大震災で被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。

 私には15年来の付き合いがある大親友が居ます。彼女は女性自衛官です。

 彼女は純粋、真っ直ぐ、情熱的で周りからの信頼も厚く、みんなから慕われています。私とは正反対の性格で、そんな私もどんどん彼女に惹かれていきました。

 彼女が自衛隊に入隊すると聞いたとき、それは必然の選択と妙に納得してしまいした。

 震災後、お茶会での話題は今でも自衛隊のことが主流です。自衛隊のこと、いっぱい聞きました。そのたびに涙が出ました。

 彼女は言います。「自衛隊って本当にすごいところよ」と。彼女は軽々しく物事を口にしません。そんな彼女が言うのだから、自衛隊って本当に素晴らしい組織なんだなって思います。

 自衛隊員も被災者です。家族を亡くした人、家を失った人も当然います。それでも災害派遣を最優先とするのです。任務なので当たり前のことかもしれません。でも、つらい気持ちは被災者と同じです。家族を捜索したかったでしょう。でも任務に私事は厳禁です。
 また、何ヶ月も家を留守にするご主人に対して、不安を抱かせないように賢明に振る舞う奥さん、子供さんの心中お察しすると胸が痛くなりました。

 自衛隊は炊き出しや入浴支援まで行います。でも、被災者のために作った温かい食事には自衛隊員は絶対に手をつけません。彼らは冷たい缶詰を、人目に付かないようにトラックの荷台等を利用して食べていました。
 用意したお風呂も当然自らが入ることはありません。彼らは冷たい水で顔を洗ったり、濡れタオルで体を拭くだけです。お風呂は一週間に一回、部隊で10分間だけ許されていました。

 震災後間もなくして、自衛隊員全員に対して、司令官からの「先憂後楽」のお達しがありました。
 自衛隊はこのように、人の目に付かないところで、創隊以来ずっと真摯に努力を積み重ねてきたのです。

 
【3】

まさごさん書き込みの転載(その2)  評価

トリイソ (2017年07月13日 00時01分)


 まさごの独り言(その2)

 いくつかエピソードを紹介します。

○全く睡眠が取れていないだろうご主人に「大丈夫?無理しないで」と奥さんがメールしたら、「自衛隊なめんなよ。今無理しないでいつ無理するんだ?言葉に気をつけろ」との返信

○少し歩く度に死体ばかり。一人づつ生存確認をしていく。サイレンが鳴り響く中、上官から言われたのは「一斉に被災者がすがりついてきても絶対に笑顔を絶やすな。絶対に泣くな」
 泥だらけの救助者達が力の入らない手で俺の手を握り、「ありがとう」と言われる度に涙を堪えるので本当に精一杯

○子供の遺体を収容した。幼稚園児くらい。兄弟だろうか、抱き合ったまま亡くなっていた。子持ちの仲間は肩を震わせていた。でも俺たちは泣くことはできない。この町が復興するまで、俺たちの涙なんて意味がないから。

 自衛隊はこれまで、メディアや世間一般から非難され続けてきました。それでも自衛隊は一切の反論をせず、ただ黙々と、ただ地道に、一般人には到底想像もつかないくらいの厳しい訓練を日夜行ってきました。
 最悪の状態(外部からの武力攻撃から国を守ること)を想定して訓練してきたからこそ、今回の震災での活動があるのです。災害に対処する訓練ばかり行っていたなら、今回の震災には到底対応できなかったでしょう。
 それが、自衛隊にとっては「想定外」ではなかったと言われる所以です。

 私が生まれて間もない頃、長崎の雲仙普賢岳が噴火しました。その際も自衛隊は長期にわたり災害派遣活動に従事しました。
 長期間の活動を終え、自衛隊が撤収する際のセレモニーにおいて、当時の長崎県知事は「人の命は地球より重い。でもそれよりも重い使命感というものがあることを知りました」と述べました。
 自衛隊の活動を目の当たりにし、心底感じたものが言葉として出たんだと思います。

 実は「まさご」というのは、陸上自衛隊のとある駐屯地にある、とある喫茶店の名前なのです。

 最後に、昭和32年2月、防衛大学校の第一回卒業式において、当時の吉田茂元首相が卒業生に対して送った言葉を紹介したい思います。

「君たちは自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終えるかもしれない。きっと、非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。ご苦労なことだと思う。
 しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡のときとか、災害派遣のときとか、国民が困窮し、国家が混乱に直面しているときだけなのだ。
 言葉を換えれば、君たちが『日陰者』であるときのほうが国民や日本は幸せなのだ。どうか耐えてもらいたい」

 自衛隊はこれまでずっと、この言葉を胸に真摯に努力を積み重ねてきました。そしてそれはこれからもずっと・・・

 
【2】

確率の妙  評価

トリイソ (2017年07月03日 01時04分)


 昨日は久しぶりに終日ラブ嬢と戯れてきました。

 この日は前々からラブ嬢を打つと決めてました。

 他に優秀台があるにも関わらず、それよりも極端に期待値の低いラブ嬢を打ったのには当然理由があるのですが、まぁ大した理由でもないのでそれは触れずにおきます。

 前にも書きましたけど、この機種の私の一番の推しポイントは、ラブラブモード中と16Rのスペシャルラブボーナス時に聴けるシャイニングスマイル。

 正直シャイニングスマイルは普段からよく聴いているんですけど、この機種で聴くシャイニングスマイルはまた格別ですね。

 まぁ聴いてる最中は至福の時間の真っ只中なので当然っちゃ当然なんですけど。

 でも音量を最大にしても周りの音がうるさすぎて聴こえづらいのが難点ですが。

 結果のほうはというと、10800玉のマイナス。52回当たったんですけど、延長権ゲットが極端に少なかった。

 セグ見ないんではっきりとは言えないんですが、潜伏と思われるような早い当たりも数回しかなかったし。

 スペシャルラブボーナスも5回だけ。電サポ中の25%がスペシャルラブボーナスなんでもう少しほしかったなぁ。

 まぁとは言いつつも、実は午後7時の時点ではそこまで負けてなくて、十分プラスにもっていけるラインだったんですよ。

 でも結局それから閉店まで当たりなし。この機種での1000回オーバーハマリは2回目。

 まぁそれでも9倍をちょっと超えたくらいなんで仕方ないっちゃ仕方ないんですけど。

 でもまだ当たってないんで通算での10倍ハマリも避けられないかな。まぁこれも仕方ない。

 でもまぁあれですね。今回はそこまで醜くもなかったんですけど、確率の妙って言いますか、確率って時にとんでもないことをしてくれることありますよね。

 大連チャンとかってそうそうないですけど、とことんっていうかこれでもかってくらい酷いことありますよね。

 何をやっても全てダメっていうかね。

 そう言えばこの前、フィーバークイーンIIを終日打って86回当たったんですけど、途中、47回連続で5Rってことがありました。

 この機種の16Rの割合は12%なので、88%の継続率の台で48連してもおかしくないってことですよね。

 まぁたしかに不思議ではないレベルなんでしょうけど、私には到底ムリかな。

 このときみたいにウラだったら取れる自信ありますけど(笑)

 私はね、パチンコに限って言えばね、『堅実派』だと思っています。

 でもね、やっぱりいつも夢みてますよ、期待してますよ。大連チャンをね。

 いつかみた、某店でのラブ嬢37連。それをいつも夢見てますよ。

 だって、人間だもの。



 大連チャン 夢見るどころか 現実は あまりに遠く はかなく揺れて

 
【1】

私の一番  評価

トリイソ (2017年07月01日 01時49分)


 皆さん、こんばんは。

 時間的に少し余裕が出てきたのでまた細々と書き綴っていきたいと思います。

 まずはやはりパチの近況からいきましょうか。

 たしか年の始めのころでしたか、前トピで年内には貯玉100万発いけるかもって書きましたけど、実は上半期の終了を待たずしてすでに100万発達成してしまいました。
 
 稼働時間からみてもこれはちょっと出来過ぎですね。

 でもまぁ、これまで蓄積してきた仕事量の見返り分のマイナス、いわゆる不ヅキ分はこれでも全然足りてないので、たまにはこういうことがあっても罰は当たらないでしょう。

 でもまぁ何ですかね、昔と今とではパチンコに対する考え方というか姿勢というか、自分にとってのパチンコの存在意義というものが大きく変わったような気がします。

 昔はパチンコが全てでした。四六時中パチンコのことばかり考えていました。

 冠婚葬祭も含めて可能な限りパチンコを優先させていました。デートも何度すっぽかしたかわかりません。

 たくさんの人に声をかけてもらいました。いっぱい誘ってもらいました。

 でもそれでも、申し訳ないとは思っていても、それらの全てを断ってでもパチンコに行ってました。

 当時の私がやらなければならないこと、それはただ一つ。借金を完済すること。ただそれだけ。

 それだけが目標でした。だから他の全てを犠牲にしても、それだけに一生懸命でした。

 20代前半の男にとって、750万という借金はあまりにも大きすぎました。

 毎月の最低入金額すら払うことができず、催促の電話に怯える日々が続きました。

 誰にも知られたくない、知られてはいけない。それまで一度たりとも人前で弱みなんて見せたことはない。

 そう、私にとって借金の存在を知られることは、それはもう死に匹敵するくらいの思いがありました。

 薄々感じてた人はいたのかもしれない。でも、誰にも言えなかった。相談できなかった。家族にも、親しい友人にも。

 孤独でした。周囲は違ったとしても、私の中では全てが孤独でした。

 全てに見放されたような気がして、絶望感しかなくて、どうしていいかわからず、思い悩む日々が続きました。

 そこに射し込んできた一筋の光。パチンコが、パチンコという存在が、私に、『もしかしたら』と思わさせてくれました。

 だからいっぱい勉強しました。何度も何度も自問自答しました。これでいいのか、間違ってないのかって。

 自分でも感心するくらい、本当に頑張ったと思います。

 でも、全然苦にはなりませんでした。好きだからというのもあります。でも、目に見えて蓄積される結果が、また頑張ろうという気持ちにさせてくれました。

 そう、当時の私にとってパチンコは、色んな意味で、そして全てにおいて、『一番』でした。

 
 でも今は違います。普通に考えれば、いつかはそうなるのが必然なのかもしれません。

 でも、私にとってのパチンコの存在はあまりにも大きく、違和感というか、すごく不思議な感覚があります。

 昔は暇さえあれば、ほぼ100%と断言していいくらい、パチンコに行ってました。

 でも今は、基本的に他の用事を優先させます。休日とかで時間があったとしても、「今日は家でゆっくりしよう」と思うこともあります。

 こういう感覚は今までありませんでした。なんか不思議です。

 私はずっとパチンコをして生きていく人種だと思ってました。定年後も毎日パチンコ店に通い、そして最期もパチンコで、パチンコ店で幕を引くのだろうと。

 そう思ってました。

 でもどうやら違ったようです。そしてそれは、理由不明のままに終わる。

 でも、もしかしたらこれが、色んな意味で、そして本当の意味での、『成長』というものなのかもしれませんね。




 最高と 最強とでは 似て非なり 高みと強さ その差大きく

 
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