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【154】

RE:☆ いい加減にして! ☆  評価

松風ヒヒン (2009年02月17日 18時39分)

真比呂さんこんばんは^^/~~

>私は子供に戻りた〜〜〜い♪
↑そうですか!♪たしかに一日長かったですねぇ〜楽しみにしてるの一週間後とか待つのが大変でしたもんねぇ〜^^♪

今は・・・一日どころか一月・・・一年が早いですからね( ̄□ ̄;)。。。

まぁでも一応は楽しい時間を過ごしてます。。。仕事してパチって仕事してパチって・・・ってホントに楽しいんか〜〜いヾ(゜∇゜)ノ・・・
【153】

コピペ 36 かあちゃんと弁当 2  評価

真比呂 (2009年02月16日 20時33分)

俺はかーちゃんの手をもう一度握ると弾けたように病室を飛び出していた。
そこからどうやって来たかはおぼえていない。
走って…乗り換えて…池袋駅を疾駆して
何とか一限の筆記を受けたときやっと正常な時間の流れに戻った気がする。

昼休み、何も食べる気がしなかったがかーちゃんの弁当を思い出した。
俺は中庭でそれを広げた時
何とも言えない懐かしさと何かこみ上げるものを感じた。
それは俺が中高5年間食べたかーちゃんの弁当だった
おいしい…涙をこらえ食べた かーちゃん…
それからは流れるように時間がたち手応えも何も感じないまま
フラフラと地元まで帰った…

病室に入ると、かーちゃんは居なかった
看護婦さんに聞いて霊安室につれていってもらった。
数名の御遺体の中、変わり果てたかーちゃんを見つけ
俺は叫びともつかない嗚咽をし、かーちゃんを抱きしめた。

担当の看護婦さんに連れられてラウンジで落ち着くまで色々な話を聞いた。
かーちゃんは俺が来た数日は本当に機嫌がよかったそうだ
看護婦さんや医者、同じ病室の人にも よく俺の話をしていたらしい。
逆に俺が来ない日が続くと元気がなく、泣いている日もあったという。
帰り際に、一枚のメモをもらった。
病院備え付けの薄っぺらいメモ用紙には
震えた力無い「お疲れさま」の文字があった。

68 名前:4/4[] 投稿日:2007/11/15(木) 10:15:26.19 ID:jEftDiJ40
葬式や通夜が終わり、俺は発表を見に行った。
結果は合格
俺は泣いた
合格も嬉しかったけれど
何より心で叫んだ
かーちゃん、ちゃんと受かったよ!!!!
お祝いしてくれよ、かーちゃんの弁当で花見行こうよ
何で…こんな時にいないんだよ…

かーちゃん…

俺は合格通知をかーちゃんの墓に見せに行き
たくさんの話をした。
端から見たら変な人に見えるだろう
でも俺はこの18年間のごめんなさいと ありがとう を全部語った。
【152】

コピペ 36 かあちゃんと弁当 1  評価

真比呂 (2009年02月16日 20時32分)

548 :水先案名無い人:2006/06/23(金) 18:39:57 ID:8qJ8h9f00
俺のかーちゃん、俺が高3に上がったときに
いきなり倒れて入院した。

検査をして入院が決まったが
俺は内容を詳しくきかされなかった。
夏頃から受験勉強もあって
かーちゃんに会いにいく時間も取れなくなっていった。

俺は決して頭が良くはなかった。かーちゃんは立教出身。
俺は小さい頃良く「かーちゃんと同じ大学にいく」と言ってた。
実際に受験となると、ハードルは高かったけど
立教を目指してがんばった。
冬になり、かーちゃんは次第に痩せていった。
飯も食わなくなり、俺の手を良く握るようになった。
かーちゃんは俺に色々と話をさせた。
学校 進路 夢
何であのとき気がつかなかったんだろう…

涙が…ちょヤバ…
最後の模試の結果が出た。
努力の甲斐か、立教大B判定が出た。
俺からすれば奇跡に近い
おれは帰りに病院に行き結果を見せた。
俺「かーちゃん、おれ立教大いくよ。判定もホラ」
得意げに模試を見せた。
かーちゃん「がんばってるのね
タケシ(仮)が後輩になってくれたらかーちゃん嬉しいよ」
その日もかーちゃんは俺にたくさん話をさせた
俺の手を握りながら…楽しそうに

65 名前:2/4[] 投稿日:2007/11/15(木) 10:14:44.51 ID:jEftDiJ40
それからすぐ、俺は大学入試を迎えた。
大本命の日、朝早く起きて下に降りるとかーちゃんが台所にいた
俺:何やってんだよかーちゃん、寝てなきゃ
母:今日は本命の日でしょ、お弁当持ってきなさい

一年ぶりのかーちゃんの弁当だった
俺は涙が出るのをこらえながら準備をして出かけようとしたとき
かーちゃんが急に苦しみだした
俺は急いで病院に電話し、救急車がきた
家には俺しかおらず、付き添って行った。
意識が飛びそうになるくらい
混乱しながら苦しむかーちゃんの手を握った。
病院についてすぐ親父も駆けつけた。しばらくして担当医に呼ばれた。
最期になるかもしれないのでついてあげて下さい

俺と親父が病室に入ったときかーちゃんは無惨なほどだった
血の気は引き、やせ細り…しばらくして意識が戻った
かーちゃんはいつもみたく手を握った
病人とは思えないくらい強く
俺は子供みたいに泣いていた…
かーちゃんは声にならない声で何かを呟いていた。
俺は耳を近づけて聞き取ろうとすると確かにこう言っていた
「受けてきなさい」
そしてかーちゃんは俺から手を離した

67 名前:3/4[] 投稿日:2007/11/15(木) 10:15:04.10 ID:jEftDiJ40
そんなの無理に決まっている。
かーちゃんを置いて受験に行くなんてしかももう8時を回っている
間に合うとしてもギリギリだった。困惑した俺に親父が声をかけた。
「行ってきなさい、母さんもそうしなさいと言ってくれてるんだ」
【151】

RE:☆ いい加減にして! ☆  評価

真比呂 (2009年02月16日 20時29分)

私は子供に戻りた〜〜〜い♪
あの頃は1日が長かったのに・・・
今では・・・(´・ω・`)
【150】

RE:☆ いい加減にして! ☆  評価

松風ヒヒン (2009年02月16日 10時44分)

真比呂さんおはようございますm(__)m。。。

ん〜( ̄ω ̄+。。。自分は子供の頃の夢は「大人になりたい」でした。。。生き急ぐ子供。。。子供の頃は今よりも百倍悩みました(´▽`)懐かしい。。。
まぁ幼稚園とかそんな年ではないですが。。。
【149】

コピペ 35 おにぎり  評価

真比呂 (2009年02月14日 22時40分)

494 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2007/10/28(日) 21:36:44 ID:wb/GHMhd

以前、母が受け持っていた幼稚園児に
「大きくなったら何になりたい?」と尋ねた所

「おはなやさん!」
「サッカーせんしゅ!」
「○○レンジャー!」(まぁ、これは幼児にありがちな答え)

次々に回答していく中、ある一人の女の子が

「おにぎり!」

と言ったそうな

母が理由を聞くと、

「おかあさんが大好きだから、わたしがおにぎりになってあげるの〜」

…だって。かわゆす(*´д`)
【148】

コピペ 34 かあちゃん  評価

真比呂 (2009年02月12日 19時07分)

94 :大人になった名無しさん :04/10/26 23:03:25

母ちゃんは俺が4つの時病気で死んだんだ。
ぼんやりと覚えてる事がひとつ。

公園でいつも遊んでた、夕方になるとみんなの母ちゃんが迎えにくるんだ。
うちの母ちゃんは入院生活が長くて、
どうせ帰っても親父は仕事だし誰もいない。
暗くなってもよく公園にいたな、兄貴が部活終わって
公園の前通って一緒に帰るのが日課だった。

その日も暗くなっても砂場で遊んでた。
そしたら俺を呼ぶ声が聞こえて母ちゃんが息切れしながら歩いてきた。
ママーママーって馬鹿みたいに叫んで走ったよ。
暗い中、ブランコに一緒に乗ろう、って
母ちゃんが俺を膝に乗せてしばらくそうしてた。

その後何日かして病院で死んじまった。
後から親父に聞いたら、自分でも長くない事わかってたらしい。
あの時母ちゃんどんな気持ち抱えてたんだ?
どうしていつも病院にいるの?ってしつこく聞いてごめん。
辛かっただろう。
来年、俺彼女と結婚するよ。
母ちゃんの分も向こうのお袋さん大事にすっから。
長文スマソ。
【147】

コピペ 33 脳内フィアンセ  評価

真比呂 (2009年02月06日 21時48分)

26 :大人の名無しさん :03/10/20 00:43 ID:wjqygkao
もう10年も前の話。
俺が京都の大学生だった頃、男2女2の4人組でいつも一緒に遊んでた。
そんな俺たちが4回生になり、全員めでたく就職も決まった。
「もうこうやってみんなで遊べるのも残りわずかだなー」とか4回生時の後期は話してたなあ。

そして卒業が近づいてきた二月ごろ、急に4人の内の2人が「結婚する」って言い出した。
俺を含む残り2人は、びっくりしつつも心から祝福したよ。それにすげえ羨ましかった。
残された2人で「何か羨ましすぎるから、俺たちも結婚しようか?」なんて言ってたら、
「じゃあお互い30歳になってもまだ独身だったら結婚しよう」
って話になった。
ありがちな話で恥ずかしいんだけどね。

そんなこんなで俺たちが25歳になった頃。
しばらく振りに仮フィアンセ(wに会った。
「あと5年で結婚するハメになっちゃうよ。結婚の予定ないのかよ」
って聞いたら、「全くナシ 」だって。
お互い笑いつつも、俺はちょっとホッとしてた。
この日、あ、俺本気でこの娘に惚れてるのか!って気が付いた。
27 :大人の名無しさん :03/10/20 00:44 ID:wjqygkao
その一ヵ月後くらいかな。脳内フィアンセが交通事故に遭ったのは。
即死だった。もうだめ。半狂乱みたくなっちゃって。仕事も長期休暇になった。
なんにもする気にならなくて、完全ヒッキー化してしまった。
そんな俺を助けてくれたのは、例の夫婦だった。
他県に住んでるのに毎週俺の様子を見に来てくれて。
たまには仕事休んでまで来てくれて。
「うっとーしい!もう来ないでくれ!」なんて言ってしまっても懲りずに来てくれて。
無理矢理酒を一緒に飲みに連れ出してくれて。
俺がなんとか仕事に復帰した時なんか、号泣してくれちゃって。
考えたらあいつらだって俺と同じくらい悲しかったはずなのに。

今は毎晩思うよ。ありがとなって。本当にありがとなって。
おまえらに見捨てられてたら俺、狂いすぎて自殺してたかもしれない。
救ってくれてありがとな。

そんで、脳内フィアンセよ。
もうとっくに30歳は過ぎちゃったけど、俺結婚することになったよ。
だから約束は守れない。
まあ半分以上冗談みたいな約束だったけどな(w
まあ見ていてくれよ。あいつらに負けないくらい仲のいい夫婦になってやるからさ。
【146】

RE:☆ いい加減にして! ☆  評価

松風ヒヒン (2009年02月05日 09時52分)

↓うぉぉおぉぉぉ〜(TдT。。。。どうして結婚して子供出来て。。。こんな事になるんでしょう・・・自分がこうなったらっと思うと。。。言葉も出ません。。。
【145】

コピペ 32 年上の君に  評価

真比呂 (2009年02月04日 21時44分)

3年前、妻と長女が事故で他界しました。

先日、次女が7歳の誕生日を迎えました。
早く仕事を切り上げて帰宅し、
次女と2人で妻と長女に誕生日の報告をした時の事です。
次女が長女の遺影に向かって、
「ゆうちゃん(長女)は6歳だから、今日からは、さや(次女)が
お姉ちゃんだね。」
と言ったとき、涙を堪えきれませんでした。

ミチエへ
年上の君に、「もうすぐ三十路だね。」などとからかっていましたが、
僕の方が先に三十路になっちゃいました。
年下の夫で頼りなく思っていたかもしれませんが、
年上になった今、少しは頼もしく見えますか?
さやは君そっくりに、たくましくしっかり者に成長しています。
ゆうちゃんと2人で、安心して見守っててください。
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