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【65】 | 過去を振り返る パチ公 (2008年07月07日 10時00分) |
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週末は法事で大阪へ。 土曜日の午後から時間が出来たので、南の繁華街へ買い物に出かけた。 心斎橋から難波までをぶらっと歩いて、パチンコ屋も覗いてみた。 京一、アロー、1・2・3、マルハン、その他のパチンコ屋が凌ぎを削っていると思いきや、どの店も 稼動はほぼ100%近いにもかかわらず、釘の厳しい事。 京一七条店の鬼締めを上回る調整が目に付いた。この釘でこの稼動率、立地条件が良いとこうなるのか。 フル稼働なので、パッと見た感じはかなり出ているように見える。しかし、あの釘なら店のボロ儲け だろう。ちょっと打って当ればバーゲンでもう一着買おうかと思ったが、さすがに打つ気が起らずだった。 大学生の頃、大阪ホールとアタリ屋でしょっちゅう打っていたのがやけに懐かしく思えた。 スロットではパルサーを契機に、初代アラジン、チャレンジマン、ワイルドキャッツ、リノ、アポロン、 サファリラリー等、貯金(ストック)方式から裏物までが堂々と設置されていた時代だ。 パチンコでは、スーパーコンビやアトム、セイヤ、ビッグウェーブ、ラプソディ等の一発台、アレジン、 エキサイト、アレンジマンのアレパチ等が所狭しと並んでいた。 あの頃はボーダーや回転率なんて考えもせず、バイト代や親から貰った金をせっせとパチンコ屋に寄付して いた。その当時は、一発台も打ち止め制の店が珍しく無く、同じ人は1回当ればその台を打てなかった店も あった。知り合いに(別に仲が良かったわけではないが)プロのような人が居て、投資金額はその人が出す 代わりに、小生は只ハンドルを触っているだけで5000円(当時は1回で約12000円〜13000円)貰った事 も偶にあった。 一発台なんて、釘さえ見れれば確実に勝ててた時代(スーパーコンビのような振り分けタイプでなく、 そこに入れば打ち止めまで玉が出る機種も多々あった)だったが、当時は釘の違いなんてわかるハズが ないと思い込んで見ようともしなかった。今から考えると、実に勿体無い話だ。 まだデータ表示器なんてなかったのでオカルトも流行ってなかったが、嵌っている台や出ている台を 狙って打っていた記憶がある。勿論、朝から行く時は、前日の嵌り台や爆発台に狙いを絞っていた。 所謂、波読みの走りのようなものか。勝ったり負けたりを繰り返して、確実に負けていた。 適当に台を選んで打っているので負けるのは当然なのだが、それでも止めようとは思わなかった。 そういう過去を振り返れば、今はデータ表示器があり大当り回数のみならず回転数まで表示している。 オカルト雑誌や攻略雑誌も多数販売されていて、簡単に立ち読み等で見れてしまう。 オカルトや波読みが根強く支持されるのも当然かも知れない。 どんなに技術が進歩しようと、“人”そのものは昔も今も変わらないということか。 |
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【67】 |
SK2 (2008年07月08日 00時50分) ID:EbSrEmSr |
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これは 【65】 に対する返信です。 | |||
大阪も厳しいのですね。 私は京都でも車で移動できる郊外店、大型店に行く事が 多いので、日曜などは大阪に行くのもいいかも? と考えてた時期もありましたが 結局、怖くて実行してません(笑)。 >大学生の頃・・初代アラジン・・パチンコでは、スーパーコンビ・・アレジン・・ 懐かしいですね〜と言っても殆どどんな台だったかな〜 ?ってぐらい昔ですが(笑) 私はパチ公さんと同年ですがその当時働いてまして 丁度パチンコを覚えた頃ですね。 スロットの初代アラジンはモーニングが有り 仕事が休みのときは朝から並んでまっしぐらに走って 台を打ち歩いたのを覚えてますね。 そこで得た資金でアレジンやスーパーコンビを打ったり 私が大好きだったフィーバーレクサスで攻略方が 広まった時などは本当にパチばかり打ってました(笑)。 そういえばあの頃はデーターカウンタなんて有りませんでしたね。 偶に大当り回数を札で表示してる店があったような。 当時給料が手取り13万程度だったのに 南区のPカムで朝から麻雀物語?とか言う台に 60K程入れ大撃沈したのを契機に パチから足を洗ってました(笑) 懐かしくてつい書いてしまいました。 |
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