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【42】

RE:ああ、無情

ガンパチ (2020年07月25日 21時38分)
国会議員等による靖国参拝は、政教分離規定に反するか。
政教分離という理念は、
ヨーロッパでの歴史的経緯の結果生み出されたものだ。

この理念は、教会が、宗教団体として政治に干与することは絶対にせず、
政治はあくまで個人として参与すべきである、と言うことだ。 

具体的には、例えば、宗教団体が、独自の政党を通じて、
国会で
「信者にはたくさん年金を支払うこと」
「信者を無試験で公務員にすること」
といった法律を、数に物言わせて成立させたとしたら、
これは明らかに、政教分離の規定に違反する。

しかし、この規定は、宗教上の信条を政治に持ち込むことを禁止してはいない。 

従って、政党員が、教団の信条を基に、
国民全体の福祉を向上させるための法律を成立させることは、
一向に構わない。

中世ヨーロッパでは、教会が組織力を使って、その領地内の租税権を握り、
教会団体のみの利益をむさぼっていたわけだが、
世俗権力(王様とか貴族とか)が強大化する過程で、
教会の存在が邪魔になってきた。
世俗権力と教会との権力争いが展開され、
最終的には世俗権力が勝利し、
政教分離が自明とされるようになった。

ここで注意しなければならないのは、
政教分離は、組織権力としての教会団体を排除したのであって、
キリスト教の信条そのものまで排除したわけではない、ということだ。

ヨーロッパ人は、現在では、無神論者も結構いるが、
ほとんどの人が、キリスト教を信奉しており、
日常生活はキリスト教の教条抜きには成り立たない。
それは、政治家でも、同じことである。 

そもそも、民主的なものの考え方は、キリスト教の教えが出発点である。
一神教であり、「神の下の平等」が「法の下の平等」に転化し、
人権思想に発展した。
従って、ヨーロッパで発展した政治理念は、キリスト教抜きにはありえない。

欧米の政治家が、演説の中で、
聖書の言葉を引用したり、「神」と口にしたり、
あるいは、ミサで聖歌を歌ったり、クリスマスを祝ったりということは、
政教分離の規定とは何の関係も無い。 

それどころか、政治にキリスト教の教条を持ちこんでも構わない。
キリスト教○○党と言う政党がいくつも存在するのは当然だ。
要は、特定の宗教団体の利益のみを優先すると言うような公私混同をしなければいい。 

では、靖国参拝はどうだろうか。
仮に、議員が国家神道の信者だったとしても、
その信条を国民全体の福祉の向上に役立てたい、と考え、
その信条に基づいて法律を作り、
その法律に国民が納得するなら、
それはそれで結構なことだ。
あるいは、議員の信条に反感を持つのなら、彼に投票しなければいい。

しかし、もし、議員が、
靖国神社を優遇するような法律を作ろうとしているとしたら、
それは公私混同であり、
当然に違憲である。

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RE:ああ、無情  評価

情報屋a (2020年07月25日 21時45分)

もし、ピワ利用者が、
己の所業を無かったことにしようとしているとしたら、
それは言語道断であり、
当然に放置されるべきではない。
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