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【2168】 | こんにちは パチンコおばさん (2007年08月31日 11時39分) |
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☆S・Pエスさん ありがとうございます。 単純な私は、みなさんのやさしい言葉だけで、、 もう、気持ちが前に行ってます。 三浦綾子さんの本を読んだ時、 離婚でも、何でも、決断する時、 未練があるううちは、、するな、、 相手が死んでしまっても、何も思わない、、、 ぐらいの、所まで、、行けば、OK、、っていうのがありましたが、、 もう、未練、ないですね。 用法と用量を正しく使わなかったので、、痛い目にあいました、、 綱取り物語、、100回チャンス、、と、15回の千秋楽で終わるの、、 天国と地獄ですね、、 カイジは、2R内部確変があって、期待するも、、 悪い台は、終日悪いみたいです、、 役物も、、リアルで、、ざわざわ、、、 もう、撤去されるまで、、打たないと思います。 倖田来未、18回当たりから、、かなり回したのですが、、 帰ったあと、13回当たっていました、、 中途半端な立ち回りだったと、反省しました。 行くなら、逝く、行かないなら、早めに、帰る、、 どっちか、選択しないと、、、 理性のなさが、、情けないですわ、、 いつもの、事ですが、、 ☆パチ天さん あたらしい 門出をする 者には新しい 道がひらける みつを 現実は厳しいですが、、お互いが頑張りましょう!! ☆つかMMさん きのう、、今朝?か、、 投稿制限、、って、書いてあって、すぐ、削除したみたいですが、、 何か、あったのですか、、 そのかさん、心配してますよー!! 私が、心配しても、、効き目ないので、、でも、 私も、心配してますよ、、、 |
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【2171】 |
S・Pエス (2007年08月31日 15時34分) |
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これは 【2168】 に対する返信です。 | |||
寒さが増してきた11月下旬、浜松の北方に二俣城を陥落させた武田信玄率いる2万の大軍が静かに進軍してきて浜松城を睨んでいる。城内では同盟者・織田信長から送られた援軍の主将も交え軍議の最中だった。籠城を主張する重臣と援軍の主将、しかし、援軍の主将は目付役であることも十分承知していた。信玄が三河を突破し尾張領内に進入すれば、後々同盟者から援軍の主将に対し、甲高い声で「信玄坊主に三河を越えさせたのは誰だがや〜」と言われることは確実、これは自分への怒りでもある。小便をちびるほど怖い。 1月前、同盟者は岡崎城に退いて尾張と協力して迎え撃つべしとの伝言をしていた。しかし、岡崎城には正妻と同盟者の娘である嫡男の嫁がいる。窮屈この上ない。考えがまとまらない。その時、武田軍が三方原大地に向けて進軍を開始したと斥候からの知らせが入った。出撃命令を出していた。一斉に止める重臣達。聞き入れない家康。重臣の1人が進言する。武田軍が三方原大地を降りる細道を通るところを後方から突くべし。攻め方は決まった。ここで出撃し同盟者への義理は果たせる。軍列を乱せば大敗はないかもしれない。恐る恐る三方原へ進む家康軍。武田軍は三方原大地を西進しているとの情報も入る。 家康軍8千が三方原大地に上がり鶴翼陣を取ったその時、目の前には見事な魚鱗の陣形を整えている武田軍が風林火山の旗印の下、重厚な構えを取っていた。 その後の家康はご承知の通り、一方的に叩きのめされ浜松城に逃げ帰って来たときは、鞍上に脱糞していたことは有名ですね。城兵に「焼きみそじゃ」と言い訳したのもご愛嬌です。 その20数年後の関ヶ原の合戦に、この時の経験が殆ど活かされていなかったのも面白いところです。 深謀遠慮の塊のような徳川家康も理性を失い、大失態をしたと言いたかったんですけど、長すぎましたね。すいません。理性は大切ですけど、感情もありますから、適度にを心掛けたいです。 |
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