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【24】 | RE:メリエル・メルシ メリエル (2016年08月06日 00時15分) |
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>そんなファンが相手の配偶者有無を知らないのが不自然 なるほど、それもそうですね。ただ、配偶者がいることを承知で好きになることもありと言えばありです。 ウィキを見ると(ウィキってすごいですね。なんでもあります)、不倫という言葉が広まったのはドラマ『金曜日の妻たちへ(通称きんつま)』だったそうです。 それ以前は「よろめき」と言っていたそうです。 それは置いといて。私がどうにも解せないのは、なぜ、ベッキーだけが吊し上げられなければならないのか、です。完全に村八分です。彼女の場合イメージを売り物にしてましたから、しょうがないと言えばしょうがないのでしょうが、他の職業の女性だったら、こんな目には合わされないでしょう。結局は有名税ということでしょうか。 小説「緋文字」の主人公は、十数年にわたって白眼視されるのですが、彼女は、白眼視にひたすら耐え続け、一方で、虐げられている人たちの世話をし、いわば、弱者に寄り添う生き方をします。そして、ついには、町の人たちから尊敬を勝ち得るのです。 ベッキーにそういう生き方を求めるつもりはありませんが、彼女は、今、白眼視されている真っ最中です。要するに差別を受けているわけです。「緋文字」にしろ、ベッキーにしろ、差別がなぜ起きるのかを見事に示していると思います。 差別は、その時代の「倫理観」や「常識」が生み出すのです。そして、人々の物事の受け取り方(価値観)が変われば、「倫理観」や「常識」なるものもうつろうものです。そうして、かつて差別の対象とされたものがそうでなくなっていく、ということだと思います。 という訳で、私は、ベッキーを非難する気にはなれないのです。彼女は、現時点の倫理観の犠牲者である、と思っています。 |
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【30】 |
いただきだ〜 (2016年08月06日 14時39分) |
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これは 【24】 に対する返信です。 | |||
>配偶者がいることを承知で好きになることもありと言えばありです 一時でも其処に恋愛を含むなら不倫肯定ということか >なぜ、ベッキーだけが吊し上げられなければならないのか ベッキーだけか? 小指問題で総理辞職したのもおるがね 妻の出産入院中不倫してた議員とか・・・ それらも「常識観念」による被害者なのか >彼女は、白眼視にひたすら耐え続けついには、町の人たちから尊敬を勝ち得るのです。 それこそ不倫に対する自己懺悔ですね 不倫して毅然としてたら町の人たちから尊敬を得ていたのかね 「倫理観」や「常識」が形勢されるには其れなりのプロセス(道徳的学習)があるのでは? >ベッキーを非難する気にはなれないのです 上記に記した議員、総理でも同じ感情ですかね |
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